doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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リョーコの手作りブログへようこそ!
5/8(水) 動けないのも疲れるね~
肋軟骨のせいで、ずっとテニスを休んでいたでしょ~。

仕事と家事、母のリハビリと、やるべきことばかりをこなしていると、イライラがたまっていく。いつもなら流せることが、気になる。些細なことでも、腹が立つ。
ついに、「ギャ~」と叫びたい衝動に駆られたり。。。

テニスのときって、思いっきり走ったり、ボールをぶったたいたり、「キャー!」とか、「やったー!」とか、大声で叫んだりする。邪悪な感情も出せるし、大笑いもする。
映画を見て気晴らしをしても、じっと見ているだけだから、テニスの代わりにはならないことが分った。

主婦業も、けっこう忙しい。
いつもなら、仕事とテニスの合間にこなしている雑用も、のんびりやると、それだけで1日が終わってしまう。

のろのろと起きて、のろのろと料理をし、お皿を洗い、洗濯をし、そのへんを片付けしているうちに、「あれ、もう時間だ!」
あわててヴェルを病院に連れて行き、狂犬病の予防接種をし、買い物して帰ったら、もう夕方だ。
「大変だ、ばあちゃんのところに行かなくちゃ!」と、青樹に直行。リハビリをして、食事介助をして、また買い物をして、家に帰ったら、もう7時半。それでもう1日が終わってしまった。

ぐったり疲れて、背中に糊がついて、床に貼り付けられたみたいに、起き上がる気力もなくなってた。

いつもは分刻みで行動してる。家の中で走り回って家事をこなす。
テニスに行って思いっきり動き回り、肉体的にはもっと疲れるはずなのに、「ぐったり」にはならない。さわやかで元気な疲れだ。

主婦業って、それだけやってると、ものすごく忙しいのだということもわかった。

連休の谷間に、2日だけテニスをしちゃった。
まだ治ってはいないんだけど、奇経治療のひとつ、内関+公孫をつかって銀粒を貼ってみたら、肋軟骨の痛みがかなりやわらいだ。
ストレッチも大丈夫。立ったまま靴下を脱いでも、胸に痛みが来なかった。

ずっと病人暮らしで、そろりそろりと生きてきたので、筋力も落ちていた。テニスもすっかり忘れちゃった。
不出来なテニスだったけど、でも、気持ちは爽快。活力が戻ってきたカンジ。

こんなにテニスが楽しかったなんて、自分でも思っていなかった。
一人ぼっちでテニスクラブに行っていた頃は、「遊びに行く」というより、「会社に行く」みたいな気分だった。かえってストレスの源だったこともある。

テニスが上達し、仲間に入れてもらえるようになって、想像以上に、テニスがストレス解消になっていたんだね。
これも、一生懸命教えてくれた、MさんやYさんのおかげだね~。
4/28(日) [映]死を処方する男
左肋軟骨の痛みがまだ残っているので、テニスはお休み中である。
となると、気晴らしは夜中の映画鑑賞、ということになる。

映画「死を処方する男-ジャック・ケヴォーキアンの真実」(原題 "You Don't Know Jack")の監督は、「レナードの朝」のバリー・レヴィンソンである。
(以下、ネタばれあり、である)

ジャック・ケヴォーキアンは、アメリカ合衆国ミシガン州に実在した医師である。Doctor Death と呼ばれ、1980年代から、130人以上の患者の安楽死を手伝った。

当時、日本でもそうとう騒がれていたようだ。
若かったので、「老い」や「不治の病」や「死」は、自分にとってあまりにも遠い世界の話で、おぼろげな記憶しかない。

今は、植物状態寸前の認知症の母を抱えている。病院や老健で、いろんな患者さんたちの話を見聞きしているし、古くからの友人のなかにも、認知症の人、難病の人がポツポツと出はじめている。
他人事ではない。「明日はわが身」でもある。

ケヴォーキアン(アル・パチーノ)は、母親が末期症状に長い間苦しめられていたとき、ただ見ていることしかできず、つらい思いをした経験を持つ。
その後悔が、彼の原動力になっていたらしい。

ケヴォーキアンは、誰にでも、安楽死の手助けをしたわけではない。たくさんの応募者に、まず、入念な面接をする。
「助かる見込みのない病に長い間苦しんでいる人」で、精神的に健全で、意思決定能力をもち、確固たる決意をもつ人を選んでいる。家族の理解も重要視していたらしい。
興味深いのは、うつ状態にある人間をリストから除外したことだ。判断能力が低下しているという理由である。

「もうこれ以上は耐えられない」と、身動きすらままならず、永劫につづく痛みのつらさを語る男性。「自分が誰かもわからなくなる前に、自分らしく終わりたい」と語るアルツハイマーの女性。
傍らには、愛する人の意志を尊重したいと、涙する家族がいる。
患者と家族の会話と、死の様子をビデオに撮って、証拠として残した。

彼が自作した自殺装置、タナトロンは、患者本人が装置を作動させる。
まず、点滴の針を刺し、はじめは生理的食塩水、1分後にチオペンタールが流れ、患者は眠りにつく。最後に、塩化カリウムが流れて、心臓が停止する。

キリスト教徒にとって、自殺は、決して犯してはならない大罪である。「死」は、神の領域である。しかも、患者を生かすべき医者が、患者に死を与えるなんて、世界に爆弾を投げつけたようなものだ。
ケヴォーキアンは、検察に起訴され、監獄に入れられた。
獄中では食事を拒否し、ハンガー・ストライキで抵抗した。自分の信念に、命をかけていたのである。

当時、自殺幇助は罪に問われなかった。
無罪にはなったが、医薬品の入手が困難になった。ケヴォーキアンはあきらめず、一酸化炭素を使用する自殺装置、マーシトロンを作った。

6回も裁判にかけられ、6回とも無罪。
知事が自殺幇助を罪とする法律を作っても、医師免許を剥奪しても、それでも彼は、安楽死を手伝いつづけた。

ケヴォーキアンは、医療は、"Medical service" であると主張。患者にとって最良の治療をするのが医師の役目。
選択肢の一つに、医師の手による「尊厳死」があるのは、最後まで人間らしくありたいと願う患者にとって、当然の権利である。
助かる見込みのない患者をそのままにしておくのは、そのほうが医師や薬品会社が儲かるからだとも思っていた。

ケヴォーキアンの信念はゆるがなかった。尊厳死を法制化したかったのだ。

1998年に、最後の患者を安楽死させたとき、あえて、自らの手で注射をした。その様子をビデオにとって、テレビ局に送った。
60ミニッツでそれが放映され、全米を驚愕させた。

ちまたでは、自分や家族が不治の病におかされた場合、安楽死を望む人が大半をしめる。
涙する家族に陪審員たちが同情して、無罪になることを避けるため、「自殺幇助」をのぞいて、「殺人罪」だけで起訴をした。
陪審員に、本人や家族のビデオを見せる必要もないし、家族を証言台に立たせることもしなくていい。
ケヴォーキアンは、第二級殺人罪で、有罪になり、10年~25年の実刑判決をうけた。。。

大好きなアル・パチーノが、皺だらけの顔、白髪、丸まった背中をした、別人かと思うほどのおじいさんの姿で、スクリーンに登場。
清廉潔白で、強固な意志を持ち、患者のために一身をささげる老医師を、本人かと見まごうほどの迫力で、みごとに演じている。

友人の医薬品セールスマン、ニールは、ジョン・グッドマンが扮している。えっ?と思うほどの、しわくちゃのおじいさんなのだが、声と体格でわかった。
もう1人、協力者の女性、ジャネット・グッドは、スーザン・サランドンだ。
そうそうたるメンバーが、社会のためにと出演しているのは、すごいね~。

気晴らしになるどころか、重大な社会問題を提起したシリアスな映画だった。夜中に夢でうなされたが、その価値はあった。
くだらない映画やドラマに、「見なきゃよかった」と後悔することが多いのだもの。

自分が尊厳死を選べるのなら、そうしたいと思う日がくるかもしれない。
でも、医者に「死」を取り扱う権限を与えるのは、ちょっと怖い気がする。悪用される危険があるからね。
母はときどき、「死にたい」「殺してくれ」と私に言うけれど、認知症の母には、もう、安楽死を選ぶ判断能力はない。
私の手で母に死をもたらすのは、たとえ事故でも、空恐ろしい。
難しい問題だね~。
4/19(金) 肋軟骨痛をこじらせた
月曜日はテニスをお休みして、日帰り温泉に行ってきた。
そう。結局、肋軟骨痛もこじらせてしまったのである。またまた、みなさんにあきれられている私である。

痛めて以来、毎日、カマヤミニをしていたのであるが、それでは治りそうもないので、自分で胸に透熱灸もしている。
ジワ~ン、ジワ~ンと熱さが患部に沁みこんでいくようで、とても気持ちがいい。

昔の患者さんのことを思い出したんだ。
大工さんで、ゴルフで胸を痛めた。彼は、レントゲンを撮ってもらって、骨には異常がないと言われてやってきた。
痛みの点在している部位が、肋間神経や、筋肉の走行と一致しない。

「これって、何だろうね?」
「板ガラスに小石がぶつかったときに、ピシピシーと、あちこちひび割れが走るみたいな、そんな感じなんじゃないのかな?」
などと、2人でおしゃべりしながら、圧痛点を探して、透熱灸をくり返した。
カルテを見てみると、途中で1回ぶりかえして、治るのに3ヶ月ぐらいかかっていた。

解剖して見たことがないので、はっきりとは分らないけど、肋骨の周囲に肋軟骨が張りついていて、1枚の板みたいになっている感じがする。

「バイクから降りるとき」
「車のギアチェンジのとき」 (うちの車はマニュアルである)
「バックハンドのストローク」
「サーブのトスを上げようとすると」
「立ったままで靴下を脱ぐとき」
「ベッドに横たわるとき、起きるとき、水平時の身動きで」
痛みが走る。

本を調べてみたら、大胸筋や腹直筋は、肋軟骨にもくっついている。
走行の異なる複数の筋肉が、同時に収縮すると、別方向に肋骨が引き伸ばされる形になるのかも。
腹筋を緊張させた状態で、大胸筋を使って腕を動かすと、ギクッと痛みがくる。

肋骨周辺には、たくさんの筋肉がくっついている。呼吸を助けるために、肋骨を広げたり、狭めたりするからだ。筋肉の走行は複雑だ。
はじめの頃は、咳やくしゃみでも、軽い衝撃を感じた。

患部には透熱灸、かばっておこる圧痛点にはカマヤミニと、組み合わせている。
どんな関節痛でもいえることだが、悪いところがあると、そこを守ろうとして筋肉が過緊張する。過緊張した筋肉が、患部を引っぱって痛みが増す。
だから、両方を治療しなければならない。

6時間もぶっ通しでテニスをやったのが、一番の敗因だろう。
下半身は鍛え上げてあるから、走りつづけても疲れない。右上半身も頑丈になった。何度も痛めたけど、そのたびに筋力が増していった。
たぶん、左上半身が、下半身と右上半身についていけなかったんだね。

疲労しきった状態で、自転車でぶつかって、ピシッと来たんだと思う。
そのあと、車のギアチェンジと、2回のテニスでこじらせちゃったみたい。

温泉は、西伊豆の堂ヶ島温泉ホテルに入った。
「天然」「かけ流し」「露天あり」じゃないと、イヤなんだよね。海を見ながらドライブしてたら、とんでもない遠くまで行ってしまった。

温泉に入る前とあとでは、痛みの具合が変わったから、温泉も効果があるみたい。お灸と違って、楽だしね。
昨日は、バイク屋さんに行って、定期点検をしてもらった。バイクで走って風に吹かれると、風が患部に凍みたので、カイロを胸に当てた。

こじらせた患部って、血流が悪いから冷えるんだよね。
思い出せば、去年も肩でテニスを休んで、温泉に行ったなあ。毎年、この時期はどこかしら痛めていて、まともにテニスをした記憶がない。

日に日に良くなってはいるものの、いつ治るのか、見当がつかない状態である。気持ちがノリノリのときにテニスを休むのは、超つらいね~~。
4/10(水) 肋骨のあたりが痛いけど・・・
先週の木曜日、6時間もテニスをした。ぎっくり腰からは完全回復。

壁打ち40分、スマッシュとサーブの練習を20分ぐらいやったあと、ゲームを6セット。私1人休憩なしで、コートを走り回った。戦績も4勝2敗で、負けた試合も互角のプレーができた。
「上手くなったね~」と、またみんなにほめられた。(^-^)/

そのあとのビールの美味しかったこと!クラブハウスで飲んで、二次会のそば屋にも行き、おおいに盛り上がった。テニスのあとの飲み会は楽しいね~。

家に帰ったら、左の肋骨あたりが痛いことに気がついた。ヒビとか骨折ではなさそうだけど、肋軟骨とか肋間筋とかを痛めたらしい。
帰り道、自転車で、2回も電柱にぶつかりそうになったせいかな?

「酔っ払ってるときは、ドカーンと転ぶんで、思わぬ大怪我をするんだよね」と、患者さんに言われた。

昔は、それほどお酒に強くなかったので、「ほろ酔い」以上になったことがなかった。度を過ぎると、クラクラして吐いてしまうので、いつも用心していた。

最近、どんどん強くなって、「酔っ払い」になれるようになった。
自分のしゃべったことをあまり覚えていないとか、千鳥足で歩くとか、自転車で転ぶとか、新しい体験をしている。

私の乗っている自転車は、バドミントンの先輩に借りているものである。
後に荷台がないので、大きな前カゴを取り付け、そこにテニスのバッグを入れている。前が重すぎて、とても安定が悪い。
サドルも高すぎて、両足がつかない。走っているときは快適なのだが、転びそうになったら自転車を降りるしかない。

でも、サドルの方は、突然、問題解決した。
下げようと思ってあれこれやったが、錆びて固まっていたので、あきらめてそのまま乗っていた。
おととい、走っている最中に、サドルがクイクイ、左右に動くのに気がついた。降りて確認したところ、どうやら、留め金をはずしたまま乗りつづけている間に、錆が取れてくれたようだ。

両足がつくようになったとはいえ、調子に乗って飲みすぎないように、気をつけなくちゃね。
自分も変化するし、サドルも変化する。(笑)
それに、自転車に関して、法律が厳しくなりそうだし。

日常生活に細かく張り巡らされる様々の法律。新しい法律がどんどん作られている昨今である。
罰則、罰金で、暮らしの中から、のどかでおおらかな部分がなくなって、ギシギシと人を締めつける。息苦しいよね。

どうせ、天下り先の確保、反則金の収益がめあてなんだろうな・・・

左の肋骨の痛みはあったけど、とりあえず、テニスクラブに行ってみた。練習なしで、いきなり、ゲームに誘われた。
全力で走れないし、サーブもショットもポッコンだったけど、休憩しながら4つゲームをした。

肋骨のあたりに3本、キネシオでテーピングをしたので、終わったあとは、かえって痛みがやわらいでいた。明日もテニスに行けそうである。
3/31(日) 老いてさらに美し(桜)
桜って、咲きはじめが一番美しいと思っていた。
春めいた日が多くなるにつれて、茶色の枝に、たくさんのつぼみが付きはじめる。遠目で見ても、枝が重そうに太っていくのがわかる。
つぼみがだんだんピンクに色づいていく。枝いっぱいにピンク色が広がり、ひとつ、またひとつと花開いていく。そして、いっせいに開花。

満開直前の桜が、私は一番好きだった。ふっくらとピンク色のつぼみと、可憐な白い花が混在し、若々しくて、元気いっぱい。

・・・のはずが・・・

毎日、桜並木の下を、犬と散歩している私。下から見上げるだけではなく、階段の踊り場からは、目の前で桜が観賞できる。
春の訪れとともに変化する桜を眺めるのが、楽しみのひとつなのであった。

でも、今年の桜は変だった。
枝が細くて茶色くて、つぼみが色づく気配もないうちに、突然の「開花宣言」。
「え~、うそ~!」と思って、よくよく見ると、たしかに、ところどころ花が咲いていた。
遅い春のはずが、急に暖かくなって、まどろんでいた桜があわてて花を咲かせたのだろう。気候の異変に、『これはヤバイ』と、あせったのかもしれない。

「今年の桜は、ちっともきれいじゃないね」と、みんなで言い合った。

いつもなら、河川敷での散歩を早々に切り上げて、嫌がるヴェルを引っぱって、桜の真下、サイクリングロードを、桜の花を見つめながら歩いていた。

でも、「遠目でいいや」と、今年は河川敷オンリーだった。
ところが、なんと、満開の盛りを過ぎて、散りはじめてから、桜が美しくなった。
ピンクに色づいてきたんだよね。
今になって、上ばかり見て歩いている私である。

人間にもそういう人がいるなあ、と思った。
若い頃がどうだったのかはわからないけれど、年齢を経て、どんどん素敵になっていく人がいる。
人生経験が蓄積されて、深みが出る。若い人には見えないことが見えて、若い人には言えない言葉が言える。
穏やかで、気骨があって、前向きで、おおらかで、人に優しい。そういう人は、見た目も美しく見える。
私も、そういう老人になりたいものだ。

ところで、腰痛の方は落ち着いて、月曜も木曜も、なんの問題もなくテニスができた。とりあえず、一段落である。

私だけでなく、ぎっくり腰の患者さんが異常に多い、今日この頃である。
人間も気候の変動に弱いんだよね。
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