ふろく4・ レビー小体型認知症
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早期発見すれば、親の老後を穏やかにできる
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親の変化を感じたら・・・
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アルツハイマー型認知症は有名です。記憶障害が顕著なのでとてもわかりやすいのですが、それでも診断には数年の遅れが生じます。
レビー小体型認知症は、脳のどこから不具合が始まるかによって、人それぞれ異なる症状から始まるので、判別がとても難しくなります。
子どもとしては親の「老い」をなかなか受け入れられません。
ついこの間まで働き者だった親が、気づいてみたら「怠け者」になっていた。多くの友人を持っていた親が、「引きこもり」になっていた・・・
「そんなはずはない」「やる気を出して」と、子どもとしては親が元気を取り戻すことを切に願ってしまいます。でも、それは叶わぬ夢です。
「何で?」と疑問を感じはじめたとき、親が「守りに入った」と気づいたとき、それは認知症がはじまったという最初のサインなのです。
早期発見ができれば、親の老後を安らかなものにできるし、子どもとしての葛藤や後悔を少なくすることができます。
母を介護した経験が、みなさんの参考になればと思っています。 |
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レビー小体とは
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1912年にフレデリック・ヘンリー・レビー (Frederic Henry Lewy) さんが、死んだ人の脳を解剖して、顕微鏡で調べたら、脳細胞のまわりに小さな粒々がついているのを発見したそうです。のちに「レビー小体」と名づけられました。
アルツハイマーの人は記憶をつかさどる海馬に、パーキンソンの人は脳下垂体に、レビー小体がびっしり付いていたそうです。
脳全体にパラパラと付着している場合をレビー小体型認知症(レビー小体病)と呼ぶのですが、主に前頭葉に多く付着しているのが特徴です。
ちなみに、顕微鏡でしか見えない微小な粒なので、CTやMRIでは確定診断はできないそうです。 |
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初期症状が人によって異なる
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人によってレビー小体が付着している部位が異なるので、人によって異なる症状からはじまります。それが初期の段階での発見を難しくしています。
記憶障害が強いと「アルツハイマー」と診断されやすく、動作に出ると「パーキンソン」、無気力になって落ち込むと「うつ病」というふうに、ほとんどの人が誤診からスタートしてしまうということになります。
昔は大家族で暮らしていましたし、電化製品のない時代には雑用が山とありました。動ける間は動きつづけるしかありません。向精神薬もありませんでした。
「おばあちゃん、この頃、身体の動きが鈍くなったね」「おばあちゃん、このこの頃、物忘れをするようになったね」「おばあちゃん、この頃、変なこと言うようになったね。死んだおじいちゃんと一緒にご飯を食べた、なんて言ってたよ」
・・・というふうに、それなりに人の役に立ったまま、自然に年老いていけたのだろうと思います。 |
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向精神薬に過敏
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レビー小体型認知症の特徴は、「向精神薬に過敏」なことです。誤診によって、「とりあえず、お薬を飲んで効き目を見ましょう」と向精神薬を処方され、どんどん症状が悪化していきます。
症状がすべて出揃って、病名が判明したときは、かなり悲惨なことになっている・・・ということが多いそうです。母もそのパターンでした。
誰よりも元気で若々しかった母が、73歳から突然、「老化」につかまりはじめました。老化を認めたくない母は、デパス(ベンゾジアゼピン系抗不安剤)を飲みはじめました。どんどん症状が悪化して行き、デパスをやめさせたのですが、母はすっかり薬の依存症になっていました。
パーキンソンと誤診され、うつ病とも誤診され、両方の薬を飲みつづけたために、2年で妄想状態がはじまり、そして一気に薬で脳をやられ、一日にして植物状態寸前になってしまいました。 |
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脳の老化と関係がある
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「形あるものは必ず壊れる」のことわざ通り、人間も老化は避けられません。経年劣化で、ある人は心臓から、ある人は腎臓から、ある人は脳細胞から不具合がはじまります。
脳は全身に監視網を張り巡らしています。身体各部の状況や、ウィルスなどの外敵の侵入を受信しています。体内の状況を判断する働きをしています。筋肉を動かす命令を下します。不具合を修理し、外敵を駆逐する(免疫システム)ための送信もします。
残念ながら、加齢と共にいずれも低下していきます。
急激に進行する若年性の認知症もあり、まだまだ原因不明ですが、老人性認知症はその命名の通り、脳の老化現象なのです。 |
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日内変動
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レビー小体とは、脳細胞のまわりにできる「錆」のようなものだと思います。最近の研究では、微小なタンパク質であることが分かってきました。
タンパク質はそれ自体一種の生物なので、独自の活動をし、増殖をしていきます。
脳の神経細胞は電気的刺激(インパルス)で指令の送信、感覚器からの受信を行います。レビー小体の活動が活発になると、ショートしてうまく働かなくなります。
特徴のひとつに「日内変動」があるのですが、ショートの具合に応じて、時によって症状が変化し、悪化したりやわらいだりをくり返すのだろう・・・というのが、母のリハビリをした私の実感です。 |
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手が不器用になる
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前頭葉には「手」の運動野が広く分布しています。人間は指を器用に使って、ものを作ったり、箸やスプーンを使って食事をしたりと、複雑な動作を行うことができます。
レビー小体病の特徴のひとつに「手が不器用になる」があります。手先が器用で、洋裁の内職で家計を支えてきた母は、料理も上手で、和裁や手芸も達者でした。
とても綺麗好きで、掃除、草取り、木の剪定、障子やふすまの張替えなど、何でもこなしてきましたが、だんだんできなくなっていきました。筋力も落ちて、手の筋肉が痩せていきました。
向精神薬で植物状態寸前になったあとは、歯磨きや着替えなどの日常動作もだんだんできなくなっていきました。亡くなる4年前には、スプーンが使えなくなって食事も全介助になりました。 |
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無気力=総合的判断能力の欠如
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前頭葉は人間だけが持つ「状況を把握し、総合的判断を下す」働きをしています。前頭葉が働かなくなると、自分の状況を客観的に把握することができなくなります。将来へのビジョンを持つことも、そのために努力することもできなくなります。
無気力になって、見れば横になっていた母。散歩に連れ出せば一緒に歩きますが、誰もいないと何もしない、という症状からはじまりました。
合理的な会話が通じるところが一番のとりえだった母が、私の必死の説明をぜんぜん分かってくれなくなりました。リハビリを教えても、そばに誰もいなければ、何もしません。「動け」「歩け」と言う私に、「虐待されている」と逆切れしました。元気なだけにパワーもすごい。
「何で?」と、娘としては焦燥感に刈られ、あの頃はほんとうに葛藤の連続で、まるで地獄のような日々でした。
ある意味、植物状態寸前になったあとのほうが楽でした。幼稚園児のような母と、面倒を見る大人の私。立場が逆転してやっと平和が訪れました。 |
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想像力の欠如
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前頭葉は人間だけが持つ「想像力」をつかさどっています。
母はテレビドラマやニュースに興味を失いました。ドラマを楽しむためには、登場人物のひとりひとりを「この人はお母さん」とか「この人は悪者」とか、想像の中で架空のドラマを思い描かなければなりません。
40歳から毎日行っていたパチンコにも興味を失いました。ギャンブルをするワクワク感を感じられなくなってしまったからです。
植物状態になって半年後に東北大震災が起こりました。老健のテレビで一日中そのニュースを流していたのですが、まったく興味を持ちませんでした。何度も行った「仙台」の地名にも、「津波の被害」という大事件にも、まったく反応をしませんでした。
私を見れば「嬉しい」、ひ孫を見れば「かわいい」と、目の前のことは理解ができます。でも、広い世界のことや、周囲の人々の心の中には関心を持たなくなり、自分の欲求、「快・不快」が世界の中心になってしまいました。 |
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幻視と幻聴
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レビー小体病のもうひとつの特徴は、「幻視」と「幻聴」です。現に見えている景色と重なって、等身大の人間や車、建物などが、リアルに見えてしまうそうです。
好きな人も嫌いな人も、生きている人も死んでしまった人も、目の前で普通に歩いたり、しゃべったり、寝そべっていたりするそうです。
話しかけても返事をしてくれない。『嫌われたのだろうか?』と悩んだり、『なるほど、私は死んでいるんだ。だから、相手には私が見えないんだ』と思い込んでしまったこともあります。
「火事だ。火がめらめら燃えている。カーテンもベッドも燃えている」とか、「洪水だ。窓からも天井からも、水がゴーゴー流れている」とか言ったこともありますし、いろんな幻視があったようです。 |
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起きているときに「夢」を見る
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人間は眠っているときに夢を見ます。たぶん、前頭葉にある、夢と現実を区別する識別能力が低下することが原因だろうと思います。
母には「あんたの病気は、昼間でも夢を見る病気なんだよ。見えていても『夢』と思って、気にしないでね」と言ってあげたら、それからはあまり悩まず、その状況を受け入れるようになりました。
歩行訓練のときに、「そこら中、床に大根がゴロゴロ転がっていて歩きにくい」とか言いながらも、車椅子を押して一生懸命歩いていました。
一緒に歩いているときに、「そこに良子がいる」と私に言ったことがあります。「へえ~、何歳ぐらいなの?」と聞いたら、「5歳ぐらいかな?」と言いました。「かわいい?」と聞いたら、「かわいい」と嬉しそうでした。
50代の娘と歩行訓練をしながら、小さい頃の娘が遊んでいる姿が見える・・・状況を受け入れられれば、「幸せ」を感じられるということです。 |
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前頭葉は人間だけが発達している
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前述したように、前頭葉は人間だけが大きく発達している分野です。想像力、判断能力、手の巧緻運動など、人間だけが持つ能力と関わっています。
犬を飼っているので、「母は犬と同じになったのだ」と納得ができました。そうすると、母の状況を楽に受け入れられるようになりました。
犬は家族のことも分かるし、かわいがってくれる人、餌をくれる人、お散歩に連れて行ってくれる人、いじめる人など、身近な人間を識別できます。でも、犬にテレビドラマを見せても、まったく興味を持ちません。
具合の悪い犬に、「どう?病院に行ったほうがいい?ゆっくり休めば治るかな?」と聞いても答えられません。筋トレやリハビリを教えても、誰もいないときにひとりで頑張ったりはできません。
車椅子につかまるとか、手を握るなどの動作は最後まで可能でしたが、犬と同じ、手も足と同じようにしか使えなくなっていきました。 |
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自律神経失調症
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脳下垂体は生命維持の働きをして、ホメオスタシス(恒常性)をコントロールをしています。そこにレビー小体がつくと、自律神経の働きが上手く行かなくなります。
いきなり立ち上がったときには、心臓が一瞬で脳に大量の血液を送り込まなくてはならないのですが、うまくいかずに「立ちくらみ」が起こります。
胃腸の働きも自律神経がコントロールしているので、頑固な便秘になったりします。
更年期障害と似ていますが、母は更年期の頃にまったく不調を感じることなく普通に過ごせました。73歳でレビー小体病を発症し、生まれてはじめて「体調不良」を感じたショックは、それまで人一倍元気だった母にとっては、天地がひっくり返るような衝撃だったようです。 |
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パーキンソン病:随意運動に障害が出る
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脳下垂体にレビー小体が付着すると、パーキンソン症状が起こります。「小刻み歩行」「仮面様顔貌」「手の振戦」が特徴です。
脳の運動野から出た運動神経は、脳下垂体の垂体外路を通っているのですが、パーキンソンの場合は、意図して動くときの随意運動に障害が起こります。
「歩こう」と思って足を出そうとしても、足が前に出にくい。歩き出すと、つんのめるように身体だけが前に出て、小刻みな小走りのようになってしまう、などの症状が起こります。
母のように「ゆっくりとしか歩けない」のではなく、逆に「ゆっくりと大きく足を運ぶことができない」のです。
不随意運動には障害が起こらないので、いきなり飛んできた物体を反射的に避けることはスムーズにできます。 |
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パーキンソンの人は「やる気」がある
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病院でリハビリをしていたとき、パーキンソンの患者さんを何人も見ました。平行棒の間を何往復も歩きつづける人、何時間でも自転車をこぎつづける人など、みなさんリハビリに熱心でした。
脳下垂体だけにレビー小体が付着した人と、前頭葉も含めて脳全体に付着した人では、あきらかな違いがあるのです。
レビー小体型認知症の人も、最後は全身の筋肉が硬直してマネキン人形のようになります。最後はパーキンソンと同じになるのだから、大きく「パーキンソン病」に含めていい、という説もあります。
でも、最後にいたるまでの過程は、病態においても、治療法やリハビリに関しても、決定的な違いがいくつかありますから、「同じ」にしてしまうのは問題があると思います。
最後は心臓が止まって死ぬのだからと、すべての病気を「心不全」にしてしまう、というわけにはいきません。 |
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パーキンソンに誤診が多い理由
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たいていのお年よりは「小股」でしか歩けなくなります。小股でちょこちょこ歩いていると、「あ、小刻み歩行だね」となります。
たいていのお年寄りは全身の筋肉が硬くなって、柔軟性を失います。表情筋も同じく硬くなって、それぞれの生き様が皺をつくり、皺の形によってお年寄り特有の顔貌になります。
自分の状態に落ち込んで、暗い顔で黙って坐っていると、無表情だから「仮面様顔貌だね」となります。
お年寄りで手が震える人は多いのですが、それを「本態性振戦」と呼びます。パーキンソン病の振戦は、独特の「丸薬丸め動作」なのですが、それを勘違いされた人がたくさんいました。 |
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アルツハイマー型認知症との違い
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記憶をつかさどる海馬にレビー小体が多く付着すると、記憶障害が起こります。そこだけが顕著だと、アルツハイマー型認知症になります。
身体も口もよく動きます。最後まで、よく働き、よく動くので、介護の人は大変です。
夜も寝ないで動きつづける。歩けなくなった人が「自分が歩けない」ことを忘れて、車椅子やベッドからいきなり立ち上がって歩き出し、転倒、骨折などの危険が生じます。
さっき聞いた話、さっきした話を忘れてしまうので、同じことを何度も聞いたり、何度も話したりします。
レビー小体型認知症の詳細を知らなかった頃は、記憶が確かだった母がまさか認知症とは夢にも思いませんでした。
母の記憶にはまったく問題がなく、最後までその点は持ちこたえました。身体はマネキン人形のようになり、自分からは身動きもできなくなりましたが、会話能力を保っていられたことは、不幸中の幸いでした。 |
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うつ病との違い
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前述したように、自分の状態に悲観して、暗い気持ちになって落ち込んでいると、「無表情」に見え、パーキンソンの「仮面様顔貌」に見えます。
同じように、「うつ病」と診断されることにもなります。
母の場合、以前のように動けなくなり、生まれてはじめて味わう体調不良、生まれてはじめて味わう肩こりなど、身体的苦痛に悩んでいました。
それでも、美味しいものを食べたときには「美味しい!」と満面の笑顔になり、楽しい話をすれば大笑いもします。
でも、本物の「うつ病」の人は、理由がないのに「うつ」になってしまうのです。美味しいものを食べても砂を噛むように味気ない。楽しいはずのことも楽しめず、人生の暗闇の中に追い込まれていきます。
辛いときに落ち込むのは人間として自然なことです。 |
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「個性」から「病気」への境目がない
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人間の脳は生まれたあとでも進化をつづけます。思春期を過ぎると「成長」は止まり、実はそこから「老化」がはじまっていきます。
若年性の認知症のように、急激に発症し進行していく患者さんを除いて、老人の認知症は、発症の前後にほとんど境目がありません。
若い頃からずっと「個性」として受け取られてきた状態が、年齢がすすむにつれて固定化していき、その人特有の行動パターンを形成します。
若い頃から頑固な人が、年を取ってますます頑固になる。昔から忘れっぽかった人がアルツハイマーになる。昔からわがままだった人が、よけいに自己主張が強くなる・・・
なので家族は認知症の発症をなかなか気づけません。それが早期発見を難しくしています。母と私もそうでした。あのときに認知症と気づいてやれれば、もっと優しくできたのに、ほんとうにかわいそうなことをしました。母の認知症を早期発見できなかったことは、一生の心残りです。 |
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症状が極まるまで、「ケンカ」が多くなる
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親は自分の衰えを認めたくないし、まだプライドがあります。でもその反面、「子どもに頼りたい」「幼稚園児のように守られ、かわいがってもらいたい」という気持ちになります。
子どものほうでも、親が年を取ったことをなかなか受け入れられません。時には上から目線で子どもに威張るかと思えば、時には「できない」とやれるはずのことを自分でやらない。
「そんなはずはない」「自分でできるはず」「いちいち頼ってくるのは『甘え』だ」と、親の自立を望みます。
認知症の症状が進み、親と子どもの双方が、親の老化と病気を受け入れられるまで、派手なケンカが起こってしまいます。親の認知症の症状が極まり、「守る者」と「守られる者」という立場が逆転して、はじめて家族の平和が訪れるのです。
< 「母のリハビリカルテ・3」に、認知症がはじまったばかりの母と私の壮絶なバトルを紹介してあります。2021/4/18> |
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Updated: 2018/1/19 |
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