doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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3/3(金) サンキュー・ボーイズの原作を読んでみた
映画「サンキュー・ボーイズ」の翻訳本を読んだ。ドリュ-・バリモアの演じた主人公、ビバリー・ドノフリオの書いた自伝(的小説?)だ。

映画とのあまりの違いにビックリ。映画を観て、のどかな田舎を連想したのだけど、実際には、プレスリーにビートルズの時代。フリーセックスとドラッグの、殺伐とした世の中がもう始まっていた。

息子がひとりしかいないのに、なんでボーイズと複数形なんだろう?と不思議に思っていたのだが、「男の子たち」というのは、彼女が次から次へと寝た男たち、カジュアルセックスの相手のことだったみたい???

できちゃった婚も、両親は、自分たちが子供を育ててあげるからと、どうしようもない男と結婚するより未婚の母になることを提案したのに、ビバリー自身が望んだことだったし。

大学のこととか、他にもいろいろな面で違っていて、ある意味、まるで別人の人生がそこには描かれていた。

より多くの人が共感できるようにした結果なのだろうか?
それとも、映画に関わっている人達の、それぞれの思い入れの集大成のような風に仕上がってゆくのだろうか?
それとも、ただ単に、見る人の思い込み?
それぞれの人が、自分の人生観や境遇に照らし合わせて、全然別のメッセージを読み取る、ということなのだろうか?

アル・パチーノとジョニー・ディップが出演した「フェイク」も、映画で見た後、原作本を読んでみたら、全然、別の話になっていて驚いたことがある。
ストーリーの中心となっているテーマそのものが違っていたからだ。

そういえば、「ジュラシック・パーク」だって、原作者のマイクル・クライトンが映画の脚本も手がけたのだけど、映画の方は完全にお子ちゃま向けになっていた。
映画を見てから原作を読むと、どちらも楽しめたけど、先に原作読んだ人には、映画がえらく物足りなかった。そ
れだけ、原作が奥行きが深い、ということなのだが。一家全員でクライトンファンになってしまったもの。

ブラッド・ピット主演の「デビル」は、英語の勉強のために原文も読んだのだけど、恋人のメーガンが、原作では筋金入りのIRAの女闘士なのに、映画では、メソメソ泣いて助けを求め、恋人を死に追いやって、ミッションの失敗を招く、情けない女に変えられていた。
これは、どうやら、ハリソン・フォードがうるさく注文をつけたのが原因だったらしく、自分をヒーローにするために、映画を駄作にしてしまった。

その点、アル・パチーノは、自分は情けないマフィアの下っ端に徹して、映画そのものの質を大切にしたのだから、さすがだ。
その上、正義感に溢れ、世の中に対して、勧善懲悪、因果応報のメッセージを送ろうとしているように見える。

やっぱ、アル・パチーノはカッコイイよな~
2/10(金) ドリュー・バリモアのサンキュー・ボーイズ
実は、前にも観た事があったのだけど、また借りてみた。
娘が、「前に観たじゃん。すごいよかったよ。もう二度と見たくはないけどね」と言ったので、ちょっと興味を引かれて。
どんな点が、また見たくはないと思わせたのだろう?なんて・・・

年を取っていいことのひとつは、よほど印象に残らない限り、映画や本の内容をあっさり忘れてしまうので、何度も同じものをみて感動できることだ。

ドリュー・バリモアが演じる主人公のビバリーは、15歳で妊娠して、相手の男と結婚した。1960年代のアメリカの田舎町が舞台だ。
日本だって、その頃は、のどかで保守的な時代だった。

もっと後の時代に、アメリカの未婚の母のためのアドバイスが書かれた文章を読んだことがある。
「妊娠に気がついたら、まず、産むかどうかを決めなさい。出産を決意しても、当の相手との結婚をあせってはいけません。子供を産むかどうかという問題と、生涯のパートナーを選ぶことは、別の問題です」と書かれてあった。

ともかく、それより前の時代。自分で選択するなんて自由は、ない時代だった。
ビバリーは、それでも大学に行く夢を捨て切れず、子育てをしながら、必死になって勉強する。だが、結局、大学はあきらめざるを得なかった。

息子が20歳になったとき、ビバリーは、自分の自伝を出版した。あがきつづけて、ついに、夢を実現したのだ。この映画の原作だ。

子育てというまわり道のすごいところは、まわり道の終点に、心を持ち、言葉をしゃべり、自分の意志で行動する、ひとつの人格、大人になったひとりの人間と出会えるところだ。
それは、何ものにもまさる神様からの贈り物だ。

父親には恵まれなかったけれど、祖父母やまわりの人に愛されて、優しい人に育った息子。
父親は、妻と息子をとても愛していたらしい。ただ、誰かを愛する気持ちを、具体的な行動に結び付けていく、現実的な能力に欠けていたのかもしれない。

ビバリーの両親は素敵だ。昔かたぎの価値観の中で、娘たちを援助する素朴な愛に感動した。
今のように、個人の自由な選択のなかった時代。その息苦しさに、新しい価値観が台頭したけれど、それで、現代人たちは幸福になっただろうか?

昔は、あんな風に、人々がお互いのつながりを信じていられた。そんな、確固たる人間関係の中で、子供たちは、安心して暮らしていけた。

ビバリーの人生は、私自身の葛藤と重なるところもたくさんあって、妙な気分だった。もう、笑うしかない、みたいな。

現代人は、まだ、新しい生き方が見出せないでいる。若い頃には、過激、極端、現代っ子、新人類と言われつづけた私だけど、ぐるりとひと回りして、古いことの中に価値を見出すことも多くなった。

古い生き方と、新しい価値観の狭間で、私たちは、まだ、迷っているけれど、でも、子供たちのために、人生の指針となるものを、残してあげられたらいいなと、まだまだ模索中である。

15歳から35歳までを演じきったドリューの演技力はすごかった。それと、ビバリーの書いた原作も読んでみたいな。
1/23(月) 伊豆の温泉、「のんびり」だけだと疲れ損?
先週、三連休を利用して伊豆へ行った。約1年前から温泉通いをするようになって、今回は初めてペンション(民宿?)を体験した。

一泊目は伊豆高原の「プチホテル クイーンズ スウィート」だった。
全室オーシャンビューで露天風呂付き。貸切露天もあり。料理は和洋折衷で、なかなか美味しかった。
ただ、しょっぱいものが少なくて、しょっぱさに飢えてしまった。次回は梅干とお新香を持参しようっと。

部屋食をオプションしたので、他の客にはほとんど会っていないけど、若いカップル向けという感じ。部屋にプレステがあったし。
DVDの大画面のスクリーンを借りたのだけど、部屋を暗くしないと見れないので、飲み食いしながらというわけには行かなくて、途中で眠ってしまった。

なんたって、普段が、昼頃起きて朝方寝る、という生活パターンなので、朝から起きて活動すると、晩ご飯の後は、眠~くなってしまう。
いったん寝てから夜中に起きて、夜空を見ながら露天風呂に入ったり。暗いと海は見れないけどね。
人に会わずにすむので、ゆっくり静かに「おこもり」できてよかった。

二泊目は熱海の「ペンションプリンス」だった。
伊豆山の急坂を登って登って登りまくって、ちょっと怖かった。雪が降っていたら、たどり着けなかっただろうな。

私たちが泊まった別館ロイヤルは、内湯と露天は貸切のみ。他に6種類の貸切露天があるらしいが、狭いし、寒いし、時間もなく、結局一つしか入ってこなかったが、そこは、ちょうどよい広さで、気持ちよかった。

食事は本館プリンスの、山小屋風の雰囲気のいい素敵な食堂でとる。なんと、6時から7時まではビールとサワーが飲み放題。
生ビール、冷たくて、こくがあって美味しかった。料理もなかなか美味しかった。持ち込み自由で、冷蔵庫付き、食堂にもお酒を持ち込める。

夜の9時から11時はバーになるそうだ。客のほとんどは若いカップルやグループだった。漫画やDVDが置いてあって、なんか、「青年の家」風の雰囲気があり、ペンションの人やお客が交流するのかな、という感じだったけれど、飲みすぎて寝てしまい、とてもバーには行けなかった。

ペンションは気に入ったなあ。初体験にしてはどっちもよかった。こじんまりして落ち着く。中で道に迷うこともないし。
狭い範囲の客層にターゲットを絞っているので、そこがマッチすれば居心地がいい。ペンションのオーナーの人となりが感じられる。いろいろと工夫を凝らしているのに感心した。

大きな旅館やホテルは、ツアー客がメインだったりするのかな?にぎやかさと騒々しさは紙一重だもの。
金沢の温泉や、花巻温泉(正確にいうと、花巻南温泉の大沢温泉の山水閣は料理が抜群だった)、乳頭温泉の蟹場温泉(素朴でひなびていて、お料理も美味しかった)なんか、また行ってもいいかなと思うくらい、いい感じではあったけど。

今まで、ツーリングとかキャンプとか、とにかくアクティブに遊ぶことにしか、興味がなかった私。温泉なんかにわざわざ行って「のんびり」するなんてばかばかしい。だったら家でゴロゴロする方がマシ、と思っていた。

でも、日頃、仕事で忙しく、緊張感に満ちた人生を送っているのに、この上、遊びに命かけるのはやーめた、と、温泉に凝りだした。

だけど、「のんびり」するのも大変だ。帰りの道でところどころ渋滞し、何時間も車を運転し、買い物をし、家に帰って料理を作り、やれやれと思うともう夜中。

「のんびり」してきても、結局疲れる。だったら、何か、アクティブなことも取り入れたほうがよかったという気がする。
なんかやって疲れたのなら納得できるけど、「のんびり」してきて疲れたんじゃ割に合わない気がしてきた。

自分に合った遊び方やペンションを探すのも、なかなか大変だ。練習も楽しめるところが、遊ぶ練習のいいところだけど。
1/21(土) ひえ~雪だよ~、でも、ちょっとウキウキ
昨日の夜、帰りが夜中の2時半になったら、真っ暗な空からヒラヒラと雪が舞い始めていた。だから、明日の朝はチェーンをつけるぞ、の覚悟を決めて寝た。

何年ぶりだろう。最後に、ジムニーにチェーンをつけたのは、1998年の終わりだった。なんと、7年ぶりだ。

でも、ビックリ。地面にチェーンを2本広げ、車をバックさせて、タイヤにチェーンをかけたら、スルリ、と、あっという間に巻けてしまった。続いて2本目も。

ダウンジャケットの袖口が、タイヤで汚れてしまったのは心残りだが、でも、「私って、すご~い!何でもできるじゃん?」と自画自賛。昔のチェーンと違って、かけやすくなっているのはたしか。
昔取った杵柄と言うが、一度覚えたことは忘れないものだ。

でも、団地の外へ出たら、道路には雪がない。チェーンを巻いたタイヤでは走りにくい。だけど、せっかく巻いたのに、ここではずして、もし、帰りに雪が積もって、また、巻く羽目になるのはごめんだ。

ということで、なるべく裏道を選んで、タイヤをゴロゴロいわせながら、時速20キロで治療院にたどり着いた。
患者さんも、キャンセルは自転車の人ひとりだけ。皆さん、雪の中を来てくれた。

さ~て、これから、雪道走行して帰るぞお。楽しみだなあ。
1/10(火) Keikoさん、さようなら・・・
10年以上前から治療にきていた患者さんが、去年の暮れ、急死した。
明るくってかわいらしい人だった。よく、私の悩み事を聞いてくれた・・・。老後の茶飲み友達にリストアップしていた。
彼女の死を受け入れなくてはならなくて、実は、年末年始は、体調崩す寸前だった。

週1とか、月1とかで、何年にも渡って治療をしていると、不思議に親密な関係ができあがる。プライベートな付き合いがなくとも、家族のような友達のような。
今はお互い、仕事が忙しいから、一緒に遊んだりはできないけれど、「定年退職して時間ができたら遊ぼうね」と言っていたのに。先に逝かれてしまった。

たいてい、だんなさんと一緒に治療に来ていた。家ではお互いにお灸のし合いっこをして、使い終わったお灸のカラを取っておいてくれ、リサイクル用にと、わざわざ持ってきてくれていた。
「はい、あなたが一番喜ぶお土産よ!」と、けらけらと笑いながら渡してくれた。

いつも、一生懸命、人の面倒を見ていた。本当にいい人だった。
「女は弱し、されど、母は強し」って、本当かも。Keikoさん、末っ子で甘えん坊だったから、だんなさんをおいて、さっさとあの世へ旅立ってしまった。

「もう、仲がいいねって言えなくなっちゃったね・・・」と、だんなさんが言った。当然のことだけど、慰めようもないほど落ち込んでいる。
人が亡くなると、悲しみに浸る余裕もないほど忙しい。葬儀の手配って、本当に過酷だよね。

彼を見ていると、気丈な方が生き残るのかなあ、と思ってしまう。元気になって欲しいな。私は、両方と仲良しだったから。
Keikoさんに逝かれて、せめて、1人だけでも、生き延びて欲しいと思うのは、残されたものたちの勝手な思いかもしれないけど。

やっぱり、この人と仲良くしたい、と思ったら、すぐに仲良くするべきだよな。
私って、何でも、先延ばしする癖があるから、これからは、思い立ったらすぐに行動しよう、と心に誓った。

Keikoさん、さようなら。あの世の(茶?)飲み友達になろうね。
1/4(水) 仕事始めです
年末年始の休みを短くしたうえ、急患があって間に仕事をしたので、ちっとも休んだ気がしなかった。

もちろん、そのつもりだったのだけど。

つまり、行楽地が込み合って、値段も高い年末年始を避けて、すいた頃にバカンスを取ろうと画策したのだもの。でも、結局、1月半ばの連休にどこへ行くか、何の予定も立てられずに年を越してしまった。

いつものパターンだな。遊ぶのにも練習がいる。
行く場所を選んだり、予約をしたりは、慣れていないとけっこう難しい。てきぱきと予定を立てることができない私は、ただいま練習中なのである。

家と治療院を往復するだけの人生から、少しづつ脱却しつつはあるけれど、「遊び上手」になる道は、まだまだ遠い。
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