doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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リョーコの手作りブログへようこそ!
8/22(火) やられた! こんどは駐車違反!
お土産を届けに行った先で、ほのぼのとおしゃべりをした後、外に出てみたら、運転席の窓ガラスに、べったりと黄色と白の紙が貼られていた。

そういえば、いつもずらりと車が路駐していたのに、1台もなくて変だなと、ちらりと頭をかすめたんだよね。
そこに行くときは、いつもマンションの前の道路に路駐していたので、何の疑いもなく、いつものように、いつもの場所に車を停めてしまった。

駅の近くとか、いかにも迷惑そうな場所とかなら、私も気をつけるのだけど、埼玉県の住宅街だし、まさかこんな田舎まで、駐車違反摘発車両が巡回していたなんて、夢にも思わなかった。たぶん、みんなが用心して駐停車する車がいなくなったので、ありとあらゆる路地をまわって、必死で取り締まっているんだろうな。

仕事場からの帰りに、土砂降りの夜中の2時ごろ、ローカルな道で青灯を光らせた白い車がのろのろ走っているのを見かけたことがあった。
いったん法律ができて、それで飯を食う人が雇われると、過剰な取締りが行われるのだ。
生活のあらゆる面に、細かく網の目のように「法律での禁止事項」がはりめぐらされ、どんどん生き苦しくなってくる。

庶民のささやかな楽しみや、人と人との交流に、ドロ水をぶっかける行政。すべてが、税収のためだ。歴史的に見ても、重税と官の汚職が、国家の崩壊の原因になっている。
外的には国家としての形を保ってはいても、内的にはあちこちでほころびが出始めている。悲惨な事件が次から次へと起こるのも、こういう生き苦しさと無関係じゃないような気がする。
8/9(水) [本]モンテ・クリスト伯
久しぶりに、また、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」を読んだ。

昔読んだ本は、あらすじはわかるし、登場人物の名前や人間関係がわかっているので、あまり頭を使わずに気楽に読める。仕事で疲れた神経を休めるのにちょうどいい。赤毛のアンシリーズとか、指輪物語、ケストナー、ジェーン・エアなどなど、忘れたころにまた読み直す本がいくつかある。
ハッピーエンドの、ほのぼのした小説が好き。

同じ本でも、読む年代によって、物事を見る観点が違ってくる。だから、常に新しい発見ができる。最近は、バックにある、その時代の価値観、人間関係に興味が移っている。時代ごとに変遷する社会的背景と、どの時代であっても変わらぬ人間的真実を、見比べてみるのも楽しい。

10年前に読んだときは、若く美しい女性エデと再出発するエドモン・ダンテスにひきかえ、同じような年齢なのに、隠者のような生活に突入するかつての恋人メルセデスをかわいそうに思った。男尊女卑的な時代?という疑問も持った。
今回は、また別の視点から興味を引かれた。

社会的な「恥」を決闘であがなうことが、正しいとされた時代だったらしいこと。たとえ、悪行を重ねた親父でも、息子が決闘すれば、社会的に生き延びられる時代だったのだろうか?

出てくる登場人物それぞれが、ものすごく深い因縁で結ばれている。それだけ人口の少ない狭い世界だったのか、それとも、単にお話だから、くもの巣のような人間関係を作り上げたのだろうか?

「神」との濃厚な関係。エドモン・ダンテスは、自分が神に成り代ったつもりで、悪人どもに制裁をしていたらしい。そこらへんで、ギョッとするんだけど、メルセデスの懇願によって心を動かされ、自分が神ではないこと、神に制裁の権限を与えられたわけではなかったことに気づく。
相手が非常な悪人だったことが次々明らかにされることによって、エドモンの中で、「復讐」が、いつのまにか「神罰」に変化してしまった?でも、ちゃんと、修正しているところに、ちょっと健全さを感じる。
最初から、作者の予定だったのかも。それとも、新聞に連載していたから、読者の想い、つまり、その時代の大衆の価値観を反映していたのだろうか?

善人はあくまで善人に、悪人はあくまで悪人に書かれ通してあって、そこが安心できる。
最近のテレビドラマは、キャラクターの設定がしっかりしてなくて、本当にイライラするものが多い。人間の本質なんて、そう簡単に変わるものじゃない。
完全なる勧善懲悪も、当時の人々の健全さを表している。

忙しさのあまり、本を読む時間がほとんどなかったので、あの長いセリフ、克明な描写でつづられた長編を読むのにすごく時間がかかった。この2ヶ月間(ウィンブルドンを見ていた間を除いて)は、ビデオも借りず、空いた時間はモンテクリストに没頭してた。
読み終わったあとの物悲しさは、ドラクエやファイナルファンタジーをクリアーした後の淋しさに匹敵するなあ・・・

つぎの癒しアイテムは何にしようかな。気分転換にもなり、いろいろなインスピレーションを与えてくれるものがいいな。
8/6(日) 旭山動物園~札幌~小樽
旭川に着いて、あの有名な動物園に行ってみようと、カーナビに目的地をインプットしようとした。あれ?あれ?出ない・・・、あせりまくった。あわててガイドブックを見直して、勘違いに気づいた。
みなさん、旭(カワ)市にある、旭(ヤマ)動物園だって、気づいてた?

前日は大きな黒雲が追っかけてきて、とうとう層雲峡で雨雲につかまり、大雪山ロープウェイは視界が悪く残念だった。でも、どしゃ降りだった雨もおさまり、動物園に着いたときは晴れていた。
ちょうど昼時、鳥たちはのんびりと寝ている。鴨も白鳥もフラミンゴも、グニャリと首を曲げ、くちばしをお腹の羽毛の中におさめてまるまっている。鳥の寝姿なんてはじめて見たかも?
シロクマが水の中へダイブして、足を蹴って泳ぐ姿や、キリンが餌を食べたり、柱をなめてるのを見たり。強そうなヒグマにも見入ってしまった。
動物たちはのんびりと楽しげだ。ソフトクリームが美味しかった。

札幌では、大通公園の地下駐車場に車をいれ、テレビ塔と時計台を外から眺めた。市の中心部のビジネス街で、近代的な高いビルが立ち並ぶ。
都会には興味がないが、北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)は見甲斐があった。中には樺太関連資料館などがある。第2次大戦時代の人々の苦難、歴史、写真、遺品には、思わず涙しそうになった。

小樽に入るころには、また雨雲に追いつかれ、大雨になった。海も灰色、景色も灰色。はじめは渋滞、次には霧。やっとの思いで、運河沿いに建つホテルソニアに着く。ここには二連泊して、強行スケジュールの旅の疲れを取る予定だ。

夜、小雨の中を寿司屋通りへ歩いてゆく。ガード下の寿司処きた家に入った。「小樽の寿司は美味しい」というのは本当だった。その上、とても素敵な出会いがあった。

カウンターに常連さんがひとり。近所の美容師さんで、とても面白い人だった。彼女が言うには、
「先週、旭山動物園に行ったけど、もう最悪!動物がみ~んな寝ていたの。テレビでは、あんなにいろいろの動きが見れてすご~いと思ってたのに、実際に行ってみたらとんでもない。3時間もねばって、動くのを待ってたけど、キリンもシロクマもオランウータンもライオンも、ずうっと眠りこけてて、ぜんぜん動かないんだもの。いくらのんびりしてるって言ったって、あれはないわよ」

同じような時間帯だったのに、私たちは運がよかった?朝まで降り続いた雨のせいで、お客が少なかったからかな?日本中から観光客がやってくるので、見物人の多さに、動物たちがうんざりしていたのだろうか?
でも、たぶん、ほんの数時間の晴れ間、雨上がりにやっと現れた太陽に、動物たちが大喜びで隠れ場所から出てきた、ちょうどのグッドタイミングに出くわしたということなのかもしれないな。

日頃は人見知りの私だけど、きた家の店長と奥さんと、5人でおしゃべりした。
店長さんが、「ポテトサラダ食べる?野菜を食べて、元気を出すといいよ」と、メニューにないポテトサラダをサービスしてくれた。私があまりにも疲れた顔をしていたからだって!
前夜のテレビ、お寿司屋で修行をする番組の話になって、私が、「のり巻が下手で、何年やっても、どうしても上手にできないんだよね」と言ったら、
「素人は、のり巻だから、『巻く』と考えちゃう。だからうまくいかないんだ。『巻く』んじゃなくて、『折りたたむ』んだよ」と教えてくれた。
「巻こうと思うと、中のごはんが押し出されて、パンクしちゃうんだよね。こんな風に、具を真ん中に載せて、折りたたむ!」と、ふきんを使って実演してくれた。
なるほど・・・

家に帰ってから、のり巻に挑戦したら、おかげさまでうまくできた。100%という訳にはまだいかないけど・・・ありがとう!
北海道の人はみんな素朴で親切で、食べ物はなんでも美味しいし、とても楽しい旅だった。
7/26(水) 遠軽町のラーメン屋「のぶりん」
知床から旭川へ向かって、カーナビを頼りにひた走った。
途中でお昼ごはんを食べようと思っていたが、お店がない!本州なら、山道を抜けて人里に出れば、必ず、ラーメン屋とかおそば屋とかファミレスとか、なにかしら食べさせてくれる店がある。
それなのに、走っても走っても、一軒のお店もないのだ。コンビニすらない。
私は間食をしない主義。だらだらと食べるのは嫌い。思い切りお腹をすかせて、美味しく食べたい。だから、お菓子など持ち歩かない。朝が早かったので、お腹がすいてすいてたまらなかった。

たぶん、北海道の田舎町の人は外食なんかしないんだろうな。一年の半分近くが雪に埋もれる。外に出かけるより、家にあるものを食べる方が楽。人口が少ないし、町から町へと走る車の台数も少ない。街道沿いの飲食店なんて、営業しても客が少なすぎて、採算が合わないのだろう。

腹減りが限界に達したとき、民家のある交差点の角に、初めてのコンビニを見つけた。もうこうなったら、コンビニでもいい。車の中で、食べながら運転するしかない、と思った。駐車場に車を入れて、ふっと横を見ると、数軒先に、はたはたと揺らめく「ラーメン」の文字。

それが、ラーメン屋「のぶりん」だった。建物は、町内会の集会所みたいだけど、お店の前には、色とりどりの花が咲く、たくさんの植木鉢が置いてある。
店の中はおしゃれな雰囲気。きれいに掃除が行き届いている。去年、開店したばかりだって。一生懸命な若い夫婦の熱意が伝わってくる。人って、こんなふうな仕事に対する情熱に感動し、惹かれていくんだよね。
かわいい小物も飾ってあって、そのほとんどが動物のカップル。仲がいいんだなあ・・・微笑ましいぞ。

私は辛い味噌ラーメン。辛いものが苦手な友人は普通の味噌ラーメン。どっちも、とっても美味しかった。各々のテーブルの上に置かれた、大きなガラスのボトルに入った水には、備長炭が入っていた。美味しかったので、残りの水をくださいと言ったら、ペットボトルになみなみと注いでくれた。

やっとたどり着いた、たった1軒の店が、こんなに美味しくて素敵だなんて、北海道というのはすごいところだ。
遠軽町の安国にある食堂「のぶりん」。11時から2時まで、昼時のみの営業だって。333号(遠軽街道)沿いの小さな店だよ。もしも、行く機会があったら、寄ってみてちょうだい。
7/23(日) 知床半島 ウトロにて
ウトロに着いたのは、もう午後の4時だった。「世界遺産はどこ?」と、うろうろしていた間に夕方になり、知床五湖へと車を走らせる頃には、なんだか薄暗~い感じになってきた。
途中、道路の真ん中に、狐(キタキツネ)と鹿が立っていた。にらみ合っているみたいな様子で、動かずにじっとしている。
徐行で走り抜けた。昔話の世界に迷い込んだような、不思議な感覚。その瞬間に、都会の日常生活から解き放たれた気がする。

知床五湖に着き、「四湖と五湖はヒグマが出るので封鎖されています」という看板を読んで、ぞ~~~。もし、熊が出たら、死んだふり?それとも、ヒグマが来ないように、大きな音を立てて歩くといいの?
なんだか薄暗いし、怖いし、虫もいたし、一湖と二湖だけを、そそくさと散歩した。静かな湖面には、ところどころに雪の残る知床連山が映っていた。

「空室あり」の看板を見て、「ランタン」という民宿に電話をした。まだ新しくてきれいで、すぐ裏が海岸だ。食事も美味しかった。
オホーツク海に沈む夕日を眺めながら、ビールで乾杯。オレンジ色の太陽が、空と海を赤紫色に染め上げながら、海上にかかるもやの中に沈んでいった。
部屋に冷蔵庫がないのが残念。

次の朝は、民宿の人の紹介で、ゴジラ岩観光の船に乗った。小さな船の方が、岸壁近くまで寄れるからお薦め、とのこと。
知床岬コースは半島の先端まで行くらしいのだが、所要時間が3時間もかかるので、朝 8:30発の硫黄山コース(約1時間)にした。
前の晩ほとんど寝ないで昼間活動し、夜にはバタンキュー。こうやって、普段のタイムスケジュール(一種の時差ぼけ)を矯正して、旅行のときは早朝から行動するようにしている。

陸にいても肌寒い日だったから、海上は真冬の寒さ。長袖を2枚重ね着していたのだけど、船が走り出すと、冷たい風がビュービュー吹きつけてくる。船の人が救命胴衣と防寒着を貸してくれたので、何とか持ちこたえられたけど、あまりの寒さに凍死寸前だった。6月というのに!

知床の寒さを甘く見ていた。厳しい気候なのだ。海から垂直にそそり立つ険しい岸壁は、「あんな高いところまで波が届くのだろうか?」と驚くほどの高さまでえぐられている。冬のオホーツク海は、想像を絶する荒波なのだろうか・・・。その上には険しい山々が連なっているし。
ありとあらゆる場所の木を切り倒し、山を崩し、海を埋め立て、そこら中に道路をはりめぐらし、あらゆる場所にはびこる人間。自然があるからこそ、生きられるのだということを忘れて、地球の王者として、この世の栄華をむさぼり食らっている。
人間を寄せつけない厳しい自然が、知床を、ヒグマや鹿や狐たちの楽園として残したのだな、と痛感した。

今回は、知床から小樽へ、北海道を車で横断するというハードスケジュール。本当なら、もっと時間をとって、ゆっくりすべきだった。「ちょっと足を踏み入れただけ」の知床.だった。名残惜しかったなあ。
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