10/4(水) |
車と脳ミソは急に止まれない |
「車は急に止まれない」の交通標語があるけれど、今回の連休で、「脳ミソも急には止まれない」ことに気がついた。
旅行に出かけ、身体は止まった。だけど、脳が止まらない。ぐるぐるぐるぐる、頭の中をいろいろな想念が駆け巡る。・・・治療のこと、誰かと話したこと、それに対する答え、これから書こうとしているメールの内容・・・、かかわりのあるいろんな人のことが、言葉になって頭の中をものすごいスピードで駆け巡って、止まらないのだ。
頭の中が静かになったのは、身体が止まって1日以上たってからだった。
やっぱり連休は必要だ。ときどきは頭を空っぽにして、リフレッシュしないと、いい仕事はできない。生きていくのもいやになる。
仕事プラス家事で、友達と遊ぶ時間もなかなか取れないというのに、人の相談相手になったりして・・・、それがかなりハードだった。
もともと、自分のための時間なんてほとんどない私なんだけど、トラブル抱えた人が助けを求めてやってくると、つい面倒を見てしまう。
えんえんと面倒を見るわけじゃないけど。同じ話を聞き続ける能力が欠如しているタイプ7だから、期間限定にしたい。前向きじゃない人、自立心のない人は苦手なの。話が変化しないと聞きあきてしまう。
たいがいは、手間のかかる人ほど、ほとんど無駄な努力ということが多い。大きなお世話なのかもしれないね。
この仕事自体が、けっこう患者さんの人生問題にも関わってしまう面がある。でも、ちょっとしたアドバイスで、身も心も元気になって旅立っていく患者さんがたくさんいて、そういう時は本当にやりがいがある。
「その後」の話、人生の冒険談を聞くのが楽しみなんだ。疲れが吹き飛ぶ。
みなさん、いい土産話があったら、どんどんメールしてね。長い返事は書けないけれど、私を元気にしてちょうだい。 |
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9/27(水) |
ラフティング② MAXのオーナーの話 |
漕いだり、泳いだり、流れたりしているうちに時間があっという間に過ぎ、終わる頃にはすっかり慣れた。あれだけビビッていた私だけど、「え、もう終わり~?」と、名残惜しさバクハツだった。
川から上がり、ボートをトラックまで運び、みんなでバスに乗り込んだ。大穴ベースに戻り、グループごとにわかれて、お茶を飲みながらおしゃべり。ヒデさんが、美味しい店、お勧めの土産物屋などをいろいろ教えてくれた。
(次の日は、ヒデさんに聞いたおすすめスポット、一ノ倉沢へ行った。そこに車を停め、山道を散歩した。絶景だった。教えてくれた店がお休みだったので、車でうろうろ走り回った挙句、見た目だけ立派な手打ち蕎麦屋に入った。高いだけでまずかった。失敗した)
MAXはすごいよ。インストラクターもスタッフも、みんな親切で礼儀正しい。説明もきちんとしているし、熱意にあふれている。
ただボートに乗るのではなく、行きずりの人間どうしが、サークル活動のようなほのぼのとした一体感を味わえる。ボートや車、ウェットスーツなどのレンタルの装備品も充実している。
あらゆる面で、システムがきちんと完備されているのには感心した。
「帰りは、私が旅館までお送りします」と言ってくれたのは、静かなたたずまいの青年。まるで雑用係?のような控えめな人が、実はMAXのオーナーだった。
車の中で聞いた彼の話が、興味深かった。
MAXを立ち上げて13年だそうだ。
「日本の観光はお粗末ですからね。なんとか、外国のように、充実した『遊び』を取り入れた、単なる観光じゃないものを作り上げたいと思ったんです」
(日本の観光地については私も同感。景色もイベントも、ただ行っただけ、ただ見ただけ、ただ乗っただけ、のことが多い。絵葉書1枚ですべてが語れちゃう・・・)
若い頃、ワーキング・ホリデーでオーストラリアに行き、そのまま数年間、むこうでラフティングにハマッていたそうだ。日本に帰ってきて、日本でもラフティングができないだろうかと、あちこちの川を見に行った。
利根川を選び、地元の人に話をして歩いた。漁業協定を結んではいるが、地元の人や釣り人たちの理解を得るまでは大変だった。「初めの頃は、川をラフティングしてると、石つぶてが飛んできましたからね」だって!
最初は年間500人ぐらい、でも、今では1万5千人もの参加者があるそうだ。
「今では、遊びを仕事にして、それで食べていける人が増えて、本当によかったですよ」と彼は言う。
水上温泉は、ほんとうにさびれた佇まいなのだ。ラフティングを通じて若いお客を大勢呼ぶことができるようになったのだから、はじめに反対していた人たちも今では感謝してるだろう。
山よりも海が好きな私。
「川で泳ぐなんてつまらないだろう」と、頭から思い込んでいたのは、間違いだった。利根川の上流は、まず、水がきれい。飲んでも美味しい水。飛び込みもでき、潜ることもできる場所もある。両側は岩と土と木に囲まれ、自然を満喫できる。
その上、温泉もある。冷え切った身体で温泉につかるのが、また気持ちがいい。筋肉痛にもならずにすむ。そのあとのビールも美味い!
次は一日コースに参加したい。朝9時に集合して、途中で昼飯を食べ、午後また川を下る。最後は河原から温泉に直行。ウェットスーツのまま裏口から入れてもらい、乾いた服に着替えて出てくるんだって。なんか、気を惹かれる。
4月の中旬過ぎから1ヶ月間ぐらいが最高だって。利根川が雪解け水で増水して、ラフティングがメチャ荒々しく楽しいそうだ。
次回はその頃を狙えたらいいなあ・・・ |
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9/24(日) |
ラフティング① 利根川/水上温泉 |
連休を取っても、旅行というのは、けっこう疲れるものだ。
車で長距離を運転しなくてはならない。旅行先でのんびりできても、帰り道、都心に向かう車の渋滞は避けられず、家に着く頃にはぐったり疲れてしまう。
どうせ疲れるなら、ただ温泉でのんびりするだけじゃなく、アクティブな遊びと組み合わせようという計画どおり、今回はラフティングに挑戦することにした。
宝川温泉汪泉閣に、ネットで宿泊の予約をしようとしたら、なんと「ラフティングパック」があった。提携しているのは MAX (Minakami Adventure X-plorer) だ。
二連泊の中日、午後12時からの半日コースを選び、MAXの人が旅館まで迎えに来てくれた。
天気は上々、風はさわやか、頭上には青空が広がる。
何の下調べもしていなかった私は、ただ、ボートに乗ってだらだらと川を下るだけと思っていた・・・、でも、とんでもなく本格的だった!
まず、免責同意書にサイン。「保険には入っていますが、ラフティングは危険なスポーツなので」の説明に、ちょっとドキドキ。
ウェットスーツの着方の説明を聞いているうちに、また、ドキドキ。
その他に、ヘルメット、靴、救命胴衣にスプレージャケットを貸してくれる。それらを水着の上に必死で着込んだ。(とてもきついので・・・)
すっかり本格的なスタイルに変身した総勢21名は、車で利根川の河原まで移動した。インストラクターに救命胴衣の紐をしっかり締めてもらって、河原に腰をおろし、安全説明を受ける。
「川に落ちた場合は」とか、「流されてしまった場合は」とか、説明を聞きながら、私の心臓のドキドキは最高潮に達した。
全員で記念撮影をしたんだけど、「にっこり笑ってください」と言われても、どうしても顔が引きつってしまう。
グループごとに4艘のゴムボートに分乗した。インストラクターはヒデさんで、同じボートに乗った私たち4名は、お互いに自己紹介をしあった。
私は左側の2列目。左足の先っちょを、前の山(?)の下に入れ、右足のかかをを後ろの山の下に入れる。最初は緊張したけど、あれ??なんかモトクロスと似ている。下半身をボートの動きに一体化させれば、上半身は自由に動ける。
慣れたもんじゃん!
バイクの場合、膝でタンクをしっかり抱え込み(ニーグリップという)、下半身をバイクと一体化させ、上体を宙に浮かせる感じにして、でこぼこの地面を走る。
不安定なバイクと比べ、平らでボヨンボヨンのゴムボートに乗って、水面を滑るように走るのは、安定感があってぜんぜん楽だ。しかも、優しくて頼もしいヒデさんが、しっかりとサポートしてくれる。
少し走って、途中で陸に上がった。すると、「岩の上から川に飛び込んで、流れて行ってください」だって。
「最初は怖がるんですが、いったん水に落ちてしまうと、皆さん、けっこう居直って度胸がつくんですよね」と、女性インストラクターのミッチが言う。
なんだ、ボートから落ちたら困るのかと思っていたら、泳ぐのも遊びのうちだったのか・・・
川に飛び込むのは勇気がいったけど、思い切ってドボン。ズブズブッといったん沈んでから、強制的に水面に浮かび上がる。そりゃそうだ。救命胴衣をつけているんだもの。沈む方が無理難題だ。
川の水は冷た~い。でも、口に入った水は「美味し~い!」さすが、利根川の上流だ。
「寒がりの人はフリースもどうぞ」と言われ、ちょっと迷ったのだけど、それをジャケットの下に着て正解だった。着替え中は暑苦しかったので、着なかった女の子は、寒さで震えていた。
フリースが冷たい水を吸ってずしんと重いけど、寒くはない。
川幅の広いところは、プールのようになっていて、水も静かで深い。かなりの高さから飛び込んでも大丈夫なところもあるみたい。
川幅が狭くて、浅瀬になっているところは急流で、ゴウゴウと音を立てて、岩の間を水が流れる。そこは、ヒデさんの指示に従って切り抜ける。
川は流れているので、櫂(パドル)で漕ぐといっても、ほとんど何もしなくても前に進む。あとで写真を見ると、インストラクターだけが、必死になってバランスを取ったり、パドルを川面につきたてたりして、ほとんどひとりで船を操っているのが分かる。
(つまり、モトクロスで、ハンドルを押さえ込んでバイクを操る部分は、ヒデさんがひとりでやっていたということか・・・)
川で泳ぐのは初めてだったが、こんなに楽しいとは!
ウェットスーツのおかげで寒さも程よいし、流れに乗れば、何もしなくても前に進む。下流には、ちゃんと、インストラクターがボートに乗って待ち構えている。
今年は、とうとう海で泳ぎそこなった私。スペインでは、泳ぐ予定の日が寒すぎてチャンスを逸し、新潟でも、天候と親戚づきあいのせいで海に行きそこなった。
それが今年の心残りだったのだけど、代わりに川で泳ぐ楽しさを、さわりだけでも味わえたのは、本当にラッキーだった。 |
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9/18(月) |
イノセントボイスを観て、原点に立ち返る |
映画「イノセントボイス」は、中米の国、エル・サルバドルが舞台だ。12年間も続いた内戦の頃の話。主人公の少年チャパは、脚本を書いたオスカー・トレスの子供時代の姿。戦火の中で育った子供の実体験をもとにした映画だ。
自分や家族の命を守るという基本的なことが、簡単に剥奪される生活というものがどんなものなのかを、臨場感を持って味わってしまった。そのリアリティさはすごいものがあった。
そんな中でも生活がある。遊び、恋をし、助け合い、笑いあう。人々の愛と絆は、生き生きと暖かい。
なんだか、自分の原点に立ち返ったような想いがした。昔、無農薬野菜を求める消費者運動から始まって、いろいろな活動をした。スペイン語を勉強した関係で、中南米にも興味を持ち、エルサルバドルの内戦のことも知っていた。
FMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)のことも、彼らのラジオ放送、ノス・ベンセレモス(
Nos Venceremos 「我々は勝利する」)のことも、十四家族(エルサルバドルの富を独占するわずかな人たち)のことも聞いたことがあった。
映画は、どういう立場から描かれているのだろう?と、少しドキドキした。現在のエルサルバドルがどうなっているのか、ぜんぜん知らなかった。鍼灸室の小さな世界にこもっていた間、そういう世界から遠ざかっていたから。
解放軍が勝利し、革命政権が国を治めているのだろうか? それとも、政府軍が勝利したのだろうか?
時々は思い出して、気になってはいたのだけど。
映画もいろいろで、立場が違うと、全く別の観点からの情報を押しつけてくるので、見るのには心構えが必要だ。
男の子は12歳になると、政府軍の兵士がやってきて、強制的に連れて行かれ、兵隊にされる。チャパは11歳。もうすぐ、兵隊にされ、銃を持たされ、今度は自分が殺す側にまわらなければならない。それとも、解放軍に参加し、やっぱり、殺す側にまわるか・・・
1980年から始まった内戦は、アメリカが政府軍に軍事顧問を派遣し、多額の軍事援助を行うことで、革命軍を圧倒し、泥沼化した。
その前年(1979年)に、隣国ニカラグアに革命政権が誕生したので、アメリカも躍起になったらしい。
もともと、私が鍼師になろうと思ったきっかけが、ニカラグアで鍼をしていた井上真の「戦争と鍼灸」を読んだからだった。
自分の職業を通して、社会に奉仕すること、それがボランティアをやり続けていた私の、当時の絶大なる望みだった。
「そうだ、鍼師になってニカラグアへ行けば、それまでやってたスペイン語も役に立つ。これで私の人生のつじつまが合う・・・」などと大喜び。鍼師は天職と思った。
友人らに話すと、「今度は鍼なの?」とあきれられた。どうせすぐ飽きるだろうと思われていたが、私の中には確信があった。
夢をかなえられて私は幸せだけど、でも、目標を達成したかのような勘違いはしてはならないと心に誓った。鍼灸も奥が深いし、まだまだ世界には苦しんでいる人がたくさんいる。
私にできることは、ちっぽけな世界の中で、ちっぽけなことを、せっせとやり続けるしかないのだけど。 |
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9/3(日) |
動かないと老婆になる |
新潟へ帰郷したときのこと、親戚のSさんに久しぶりに会って驚いた。73歳とはいえ、去年まではあんなに元気で若々しかったのに、急に老婆になっていた。
73歳は微妙な年頃だ。いかにもおばあちゃんおばあちゃんした人と、まさに現役の若々しい人と、ものすごい差が出る。
Sさんは、内臓も丈夫。腰が痛いとか、膝が痛いとかも一切なく、まったくの健康体なのだ。動けなくなるなんて、もったいなさ過ぎる。プライドの高いSさんが、2・3ヶ月前から、「私も年取った」と電話で言うようになったので、変だなと思っていた。
一つ一つの動作がのろい。顔を向ける、手を動かす、立ち上がる、などの、すべての動作に時間がかかる。歩くのものろく、ゆっくりとしか歩けない。まさに、お年寄りの動作だ。
「パーキンソンなんじゃないの?」と聞いたら、「みんなにそう言われる」と言う。
でも、よーく観察すると、パーキンソンとは違う。表情もあるし、動きも一様だ。身体全体の筋肉が、カチカチに固まってしまっているのだ。
鍼灸をしてあげようかなと思ったけど、こういう人に、1回や2回の治療をしたところで、ほとんど無意味だ。
どうしようかなと迷いつつ、とりあえず、Sさんをドライブに連れ出すことにした。
まず、弥彦神社にお参りに行った。弥彦神社は、新潟市から車で1時間ほどのところ、弥彦山の中腹にある。駐車場から神社まで、だらだらなゆるい上り坂で、けっこうな距離を歩かなければならない。
そのあとは、ロープウェイに乗った。神社から、なだらかな山道を登って10分の所にロープウェイ乗り場があり、そこまでは送迎バスが往復している。
でも、建物の入り口まではバスで行けても、そこからロープウェイの乗り場までは、けっこう階段を上らなくちゃならない。そのあと、山頂の展望台までも、ちょっとした階段がある。
Sさんは、意地っ張りで、プライドが高い。「待ってちょうだい」とか、「そんなに歩けない」とかの、弱みは決して見せない。
ときどき、「え~、そんなところまで行かなくても・・・」などと、意見を言いながらも、平静を装って、必死でついて来た。
登ったら、降りなきゃならない。若いものには楽なコースでも、歩きなれていない人間には、かなりな道のりだ。
そのあとは買い物。帰り道にスーパーのはしごをした。スーパーの中って、意外に歩くんだよね。
そんなこんなで、あちこち連れまわした。
すると、あら不思議!!家に帰った頃には、Sさんは、すっかりスムーズに動けるようになっていた。
強制的に動かされたことで、体中のさまざまな筋肉や関節に血液がめぐり、まるで、さび付いたロボットに油を差したような効果があったらしい。
Sさんが動けなくなったのは、つい2・3ヶ月前なので、こんな風なスパルタ治療が効を奏したのだと思う。
鍼灸をするだけではダメ。特に70才を過ぎたら、動かないと治らない。毎週鍼灸をしても、今を維持するのがやっと、という感じだ。
若い人も、動く人ほどよく治る。
「楽をするのは棺おけに入ってから」だ。永遠に眠れる日がくるまで、生きている限り動きつづけなければならない、というのがどうやら人間の宿命のようだ。 |
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