11/16(金) |
[映]モーツァルトとクジラ(自閉症の人たち) |
このところ、ずっとパソコンに貼りついていた。
ふろくの話のコーナーに新しいテーマのページを書き始めて、途中で、どうしても「石けん」のページ書き直さなければならないことに気づいた。だったら、「はしか」も書き直さなければならない。そうこうしている間に、表を直し、文章を直し、あちらこちらレイアウトを直し始め、まるで、暴走列車に乗り込んでしまったみたいに、止まらなくなったのである。
目も脳も疲れて、ボロボロだ。その合間に、半額につられて借りまくったDVDを、何本も見てしまった。
「モーツァルトとクジラ」は、実話をもとにした映画だ。アスペルガー症候群(自閉症の一種)の人たちの交流を背景に、ふたりの男女のラブストーリーが描かれている。
主人公のドナルド(ジョシュ・ハートネット)は、アスペルガーの人だ。タクシーの運転手の仕事を普通にこなすことができないけれど、数字には天才的な能力を持っている。彼は、アスペルガーの人たちのサークル(自助グループ?)を作った。
そこに参加してきた女性イザベラ(ラダ・ミッチェル)とドナルドは、お互いに強烈に惹かれあう。
以下は、私なりの自閉症研究による解釈である。
アスペルガーの人たちは、他人とコミュニケーションを取るのが苦手だ。
最初のシーンで、アスペルガーの人たちが、それぞれ自分の話だけを、声高にしゃべりつづける場面があった。他人の話を聞こうという意志はまったくないように見えるけれど、そういうわけでもないと思う。いつ自分がしゃべり、いつ相手の話を聞くのかの、タイミングの取り方がわからないのだ。
たいていのアスペルガーの人たちは、心がきれいで純粋だ。人をうらやんだり、妬んだり、意地悪をしたり、足を引っ張ったりしない。
みんな、ドナルドとイザベルのふたりが幸せになることを、心から願っている。
アスペルガーの人たちは、嘘をつけない。本当のことしか言えない。だから、他人の嘘や社交辞令が見抜けない。理解できないからだ。
普通の人たちの中で長く暮らしていると、コミュニケーションの混乱がひどくなる。「変人」とののしられたり、のけ者にされたりの経験で、対人恐怖症になったりすると、ますます、コミュニケーションが困難になる。機能停止状態になったり、自動操縦状態になったりする。
でも、アスペルガーの人たち同士でなら、ちゃんとコミュニケーションを取れる。
映画の中の彼らは、お互いに自分の話だけしているように見えながら、実は、思いやりあい、優しい関係をつくっている。この微妙なコミュニケーションが、まさに自閉症の人たちなんだよな、と思った。
自閉症の人たちは、他人とシェア(分かち合う)することに、大きな抵抗がある。
自分に対するこだわりが強い。自分のモノに対する愛着が強い。自分のお金や労力、自分の興味、自分のやり方にこだわり、自分のパターンに埋もれて暮らすことで、自分の世界を守っている。極端なまでに変化を嫌い、変化を恐れるのだ。
これは、カップルとしての関係を続けていくためには、大きな障害だ。
誰かと親密な関係になるということは、自分のモノや時間を相手に分け与え、相手の興味や関心事を分かち合うという作業が必要だ。
別に、自閉症じゃなくとも、心が狭かったり、恐怖心が強かったり、自己中だったり、ケチだったりとか、分かち合えない、というより、与えられない人はたくさんいるけどね。
ふたりは、とりあえず、お互いに感情を出し合えるから、この先も何とか折り合ってやっていくんだろうな・・・
主演のジョシュ・ハートネットは、脚本を読んで、自分の中にもアスペルガー的なところがあると思った、と語っている。
私の中にもあって、自分は自閉症的人間だと思っている。普通の人たちと自閉症の人たちの、まんなかぐらいのような気がする。 |
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10/23(火) |
[映]ウォーク・ザ・ライン/君につづく道 |
ジョニー・キャッシュのこと、私は全然知らなかった。1950年代に、エルビス・プレスリーとならんで一世を風びした、ロックン・ロール(ロカビリー?)のカリスマ・スターだったらしい。
彼の伝記的映画、「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」で、ジョニー・キャッシュを演じたのは、ホアキン・フェニックスだった。
この映画に心打たれた。何故なのだろう?
ホアキンのあまりの熱演。彼自身の人生の苦悩と、あまりに重なり合っているように感じて、それで映画に引き込まれ、心を捉えられてしまったのだろうか?
ホアキンがすごい演技力をもっているのは知っていた。だけど、あまり好きじゃなかった。暗い、暗すぎる。役もなぜか暗い役柄が多い。容貌も濃すぎる。
私は、彼の兄、リバー・フェニックスの大ファンだったのだ。といっても、リバーの映画を観たのは彼の死後。
「スタンド・バイ・ミー」の印象的な演技のあと、彼のことが気にかかっていたのだけど、リバーの映画をビデオでみはじめたのは、1993年に、バーで急死、という新聞記事を読んでからだった。
そして、リバーとサマンサ・マシスの映画「愛と呼ばれるもの」をみて、リバー・フェニックスに心魅かれた。
主演のふたりが、本当に恋をしてしまい、実生活でも恋人同士になった。リバーのサマンさを見る目に、私自身も「恋をしてしまった」という感じ。
この映画、脇役のみんなが、ほのぼのとして和気あいあいとしてて、幸せな気分になれるよ。サンドラ・ブロックも、脇役で出ている。
リバーとホアキンの両親はヒッピーだった。中南米などを転々として、アメリカに戻ったときには無一文だった。リバーを総領に5人兄妹が、大道芸人をしてお金を稼いだ。リバーは5歳の頃から、道端でギターを弾いて歌っていたらしい。
リバーが映画スターになったあとは、彼が一家の大黒柱だった。
リバー・フェニックスの訃報が伝えられた当初は、映画の中のクリスのように、ケンカの仲裁に入って刺されたのかと思っていた。でも、そうじゃなかった。
コカインとヘロインと風邪薬の大量摂取による急性麻薬中毒で、リバーが23歳で急死したとき、救急車を呼んだのは、当時19歳のホアキンだった。
ジョニー・キャッシュは12歳のときに、兄を亡くした。貧しい家に生まれて、子どもの頃から働かなければならなかった兄弟。兄のジャックは、真面目で頭がよくて、両親を助けて働くけなげな少年だったが、工作機械に巻き込まれて死んでしまう。
いつもかばってくれた優しい兄を亡くし、悲しみに沈むジョニー。
ジョニーは、音楽が好きだった。軍隊に入ったあと、結婚したけど、生活は苦しい。
あるとき音楽のオーディションを受けて、たちまちのうちにスターダムにのし上がる。ライブと巡業に明け暮れる日々。愛する妻は、彼の心をわかってくれず、孤独に苦しむジョニー。
ついには酒に溺れ、ドラッグに溺れる。麻薬中毒の発作で死にかかるシーンの、あまりの迫真の演技は、目の前で、ドラッグのために兄を失うホアキン自身の人生の苦悩と重なって見えてしまう・・・
孤独なジョニーの前に、子どもの頃からのあこがれの歌手、カーター・ファミリーのジューンが現れる。ジューンも結婚に失敗し、孤独だった。
ジョニー・キャッシュの永遠の恋人、ジューン・カーターを演じたリース・ウェザースプーンもすごい熱演だった。
ホアキンもリースも映画の中で、吹き替えなしで自ら、歌い、踊り、パフォーマンスを披露する。生き生きとしてすばらしかった。
映画の中で、ジョニーの歌を歌うホアキンが、「愛と呼ばれるもの」の中で、ギターを弾きながら歌うリバーと、あまりにも似ている。ギターの持ち方から、歌うときの口元、表情、目線までがそっくりだった。
容貌はまったく似ていないのに・・・、私は妙な気持ちになった。
一緒に大道芸人をやっていた頃、リバーを見つめ、リバーのまねをし、リバーにあこがれ尊敬し、兄のあとを追いつづけていたのだろうか?
若くして死んでしまった少年の面影を残すリバーと違って、ホアキンは大人の男だ。リバーが生き延びていたら、どんな顔立ち、どんな人間、どんな俳優になったのだろうという思いで・・・ I miss River ・・・
でも、そう思っているのは、ホアキン・フェニックス自身なんだろうな・・・
もちろん、ジョニーとジューンのふたりの絆、苦悩を乗り越えて真摯に生きる姿のすばらしさ、映画そのものの力強さにも感動してしまったのは事実なのだけど。 |
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10/13(土) |
新・掲示板「みっく」を開設しました |
いろんな人に「最近、更新してないね」とか、「忙しいんでしょう?」などと言われ、ごめんなさい。m(_
_)m
忙しいのは事実だけど、実はちゃんとパソコンとも格闘してた。
新しい掲示板の構想を練っていた。「みづ鍼灸室」のホームページを見て、共感した人のたまり場だから、「みづ・つながり・くらぶ」という名称にする。患者さんや友人など、個人的に親しい人たちにも声をかける。パスワードを設定する。
どの掲示板を使い、どんな風にするか?
方針が決まった後は、ルールブックの文章を考え、レイアウトを考え、「みっく」という愛称を思いつき、色合いを決め、1回目の書き込みをし、ついには「みっく」のロゴマークまで作った。
ほんと、私って凝り性なんだよね。(首も肩もバリバリ凝った)
今のところは、まだ、約1名しかパスワードの問い合わせのメールをもらってないけれど、とりあえずオープンする事にした。気長に、気楽にをモットーに。失敗したら、また、やり直せばいいのだから。
なんたって、私の人生、失敗と発見のくり返しだったんだもの。いまだにそうなんだけど、だからこそ、生きてることを楽しめるわけで・・・(^
^)~
だから、読者のみなさんも、気楽に参加してね。昔の掲示板も、同じパスワードで覗くことができるよ。
今日は時間があったので、ヴェルと一緒に近所の花屋さんに土を買いに行って、ついでにちっちゃなピンクのシクラメンを買った。水仙の球根を植え、ラベンダーの植え替えもした。おかげで肋骨のあたりが筋肉痛だ。
うちのラベンダー、今年の猛暑で、もうボロボロだった。トシなのかもしれない。種から育てて、もう6歳ぐらいになるかな。
ある女の子 (Hiromin) が庭でラベンダーを植えてるというので、「いいなあ、私も植えたいな」と言ったら、次に会ったとき、「はい、これ」と種をプレゼントしてくれた。
「Hiromin も種から育てたの?」と聞くと、「私は苗を買った」と言う。袋の裏には、花が咲くまで2年もかかると書かれてある。はっきり言って、青ざめたね。
図書館で本を借りてきて、いろんな人に聞きまくって、なんと翌年には5・6本花が咲いた。その翌年には満開。きれいな花を咲かせてくれた。
(なんたって、鍼灸院というところは、人脈の宝庫。たいていのことは、患者さんの誰かが知っている。その道のプロやセミプロがごろごろしている)
本当は、咲きほこる前に花を摘んで、ポプリを作ればいいのだけど、それではあまりにかわいそう。咲き終わった花でもいい香りだし、茎や葉っぱの部分も乾燥させてその辺に置いてある。ラベンダーは、種の頃から芳香を発し、だから虫がつかないのだそうだ。
毎秋、植え替えのときに株分けをし、治療室の前に置いておいて、患者さんに持っていってもらった。なので、今、うちにあるのは、貰い手のなかった子達のなかで、何とか生き残った2鉢だ。
糠床(糠の中で菌を飼っているようなもの)や、花や植木や、すべての命あるものは、常に心にとめて、気にかけていてあげないとみるみる弱ってしまう。
掲示板もそうかもな。これからは、何年越しで育てるつもりだから、気を配ってあげないとね!
(子どもや犬もそうだけど、やつらは自分からおねだりするので、放っとくことの方が難しい・・・) |
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9/30(日) |
とりあえず、掲示板は停止中 |
掲示板の管理はむずかしい。当初は、いろいろな人に開かれていて、(批判も含めて)いろいろな意見を聞いて・・・と、理想に燃えていたのだけど、現実は、そう単純にはいかなかった。
最近のニュースで、「学校裏サイト」のために、いじめのターゲットにされるという事件が話題になった。
そんな話を聞くにつれ、「開かれた掲示板」を、邪悪な感情のごみ箱にしている人間が、あまりに多いことにも気がついた。
誰かのフラストレーション、ヒマつぶし、ねたみ、恨み、怒りのはけ口にされるのはたまらない。
邪悪な感情を持つことは、人間として、当然のことと思う。だけど、その感情を、自分自身の中で、どう捉え、どう扱って、どういう風に他人に投げかけていくか、というところで、人間性の違いが出てくるのだと思う。
あれこれ考えつづけて、そして、ついに決心が固まった。
怪しい投稿があっても、不快に思う気持ちを抑えて、丁寧に対処したりしていたのだけど、もう限界だ。
これからは、私が、ちょっとでも「怪しい」とか「不快」とか思った投稿は、即削除することに決めた。うちの患者さんや友人に話を聞くと、私が不快を感じた投稿は、みんなもそう感じていることがわかったし。
ネットの世界だけじゃなく、サークルや喫茶店や飲み屋など、すべて「たまり場」的な場所では、集う人が「居心地がいい」と感じる人の輪を、いかに維持するかが、とても重要な命題だ。
うちのようにこじんまりした鍼灸院だって、同じことが言える。結局、似たような価値観、人間性を持つ人間だけが残っていく。だから、癒しになる。
ネット社会では、星の数ほどのブログや掲示板があって、誰もが、自分にとって、居心地のいい場所を、簡単に見つけられる。
(地獄が好きな人は地獄を、天国が好きな人は天国を・・・?)
今のところ、考えているのは、掲示板に閲覧パスワードを設定して、仲間になりたい人は、あらかじめメールなどで、パスワードを問い合わせてもらうことにしたらどうかな、ということだ。ちょっと面倒な手続きだけど、その代わり、安心して語り合うことができるというメリットがある。
私と直接面識がない人でも、このホームページを読んで、共感を感じてくれた人なら、仲間になれる可能性がある。
そういう人たちの、話し合いの場、仲間作り、そして癒しの場として利用してもらえるのなら、続けていく価値があると思う。
まだ、どういう風にやっていくかは考え中なのだけど、みなさんの意見も聞かせて欲しい。
掲示板は休止中なので、会えない人は、メールで、ということになるけれど。
メールでの問い合わせの場合は、名前、年齢、性別、職業、住所地などを教えてもらうことにしている。
私も名前を公表しているわけだし、「個人の秘密を厳守する」という私の約束を、信じてくれる人は、メールください。 |
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9/17(月) |
[映]ホリディ ふさわしい人とつきあうこと |
涼しくなりだした先々週あたりから、いきなり仕事が忙しくなった。
夏の暑さが一段落したあとは、体調崩した人々がどっと押しかける、というのが鍼灸治療院の宿命ともいえる。
暑い夏は、エアコンのおかげもあって、内と外から身体を冷やしてしまう。冷たいものの飲みすぎで、胃腸をこわす人もけっこう多い。私もだったのだけど・・・
でも、そんなお腹の不調を、一気に癒してしまう映画に出会った。
以下、ネタバレあり。ナンシー・マイヤーズ監督の映画、「ホリディ」を、これから観るつもりの人は、見終わってから読んでね。
人間は、時として、ふさわしくない相手に恋心を抱く。
心の奥底では、相手がたいした人間ではないと知りながら、ときには、騙されていることに気づいていながら、どうしても相手を思う気持ちから離れられないこともある。心の声が聞こえても、それを無視してしまうこともある。
ロンドンの田舎に住むアイリス(ケイト・ウィンスレット)は、3年以上も片思いしていた男の、いきなりの婚約発表を聞いて、絶望のどん底。
LA(ロス・アンジェレス)に住むアマンダ(キャメロン・ディアス)は、同棲していた男の浮気を知って別れたばかり。
2人は家や車を交換するサイト(ホーム・エクスチェンジ)で出会い、2週間の休暇をとることにした。アイリスはイギリスからアメリカへ、アマンダはアメリカからイギリスへと渡る。ちょうどクリスマスの頃に。
田舎者らしい素朴さと優しさを持つアイリスは、アマンダの隣人、ハリウッドの引退した脚本家アーサーと仲良しになる。冴えない女から、輝くような魅力的な女性に変化してゆくアイリス。アーサーも、人生に再び活気を見出す。
誰かの脇役だったアイリスは、自分の中に強さ(ガッツ)を見出し、自分自身の人生の主役になる。
アマンダの仕事を手伝っている、映画音楽の作曲家のマイルズ(ジャック・ブラック)も、いい味を出していた。彼も、若くて美人の駆け出しの女優とつきあっていて、悪女と知りつつ、引き込まれていたのだけど。
アマンダは、映画のCMの製作をする会社の社長だ。彼女は、子どもの頃、両親が離婚して、父親が出て行って以来、泣いたことがない。何があっても、泣けないのだ。
アマンダは、アイリスの兄のグラハム(ジュード・ロウ)と出会う。こんなにキュートなジュード・ロウを見たのは、はじめてだ。キャメロン・ディアスを見つめる目は、演技とは思えないような愛にあふれている。
アマンダは、グラハムとの関係の中で、彼に心を開き、愛し合うことで、自分の中に涙を見出す。孤独でギスギスしたやり手の女から、輝くような優しい笑顔の女に変化してゆく。
アイリスもアマンダも、魅力的でゴージャスな美人だ。旅に出て、あっという間に幸福をつかんでしまう。たったの2週間で、こんなにすらすら物事が進展するなんて、現実にはありえない。まるでおとぎ話のようだ。
だけど、おとぎ話の中には、往々にして、人生の真実を見つけるヒントが隠されている。
甘い言葉をささやかれて、都合のいい女にされてたふたりの女。ふさわしくない相手ときっぱり縁を切って、ハッピーになった。それはただの偶然ではない。
プライドにもこだわらず、とことん自分を捧げて、相手に打ち込んで、一生懸命にやったからだと思う。
やるだけの事はやった。だから悔いはない。だから、新しい可能性が開けた。
もしも、中途半端に、半分逃げ腰でかかわっていたら、目の前の誠実な男は目に入らず、似たような無責任で浮気ものの男に魅入られていったかもしれない。
それに、都合のいい人にされて、あれこれがんばっていると、いつの間にか、自分の能力値が向上する。だから、いい相手にめぐり合えた。
嘘をついて人をだます人間は、簡単にだまされてしまう人間を軽蔑する。人を利用している間に、自分の能力値が下がる。「情けは人のためならず」、自分のためになるのだ。
嘘つきは、自分より上手に嘘をつく人に惚れこんで、いつかは騙される側の人間になってしまうのがパターン。それが、人生の面白いところだ。
自分が愛や心や誠実を捧げても、相手に、その大切さが理解できないようではどうしようもない。
開くべき相手に心を開き、捧げるべき相手に愛を捧げる。自分にふさわしい相手を愛して、それで、はじめて幸福への入口に入れる。
男と女に限らず、仕事や家族、友人との関係にも、同じことが言えると思う。
本物の幸福を手にするためには、そこからまた長くて険しい階段を上り続けなければならないのだけど。 |
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