doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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リョーコの手作りブログへようこそ!
3/25(日) 丸沼高原スキー場
この間は、群馬県の丸沼高原スキー場に行って来た。

ある女性の患者さんが言った。
「私は緩斜面専門。丸沼に、いつも行くペンションがあったの。林間コースみたいなのがあって、景色がいいのよ。山の頂上から木の間を通って、ゆっくりと下っていくのが好きだったわ。ペンションのオーナーがやめちゃったので、それっきり、スキーにも行かなくなっちゃったんだけど」

自称、運動嫌いな彼女が、20年ぐらい前までスキーをやっていたというのが、不思議な感じがするけど、それだけスキー人気が高かったんだね。

「丸沼はどうなの?」と、スキー仲間に聞いた。

丸沼は、標高が高いので、真冬は寒すぎて滑れない。他ではまだスキーができない頃と、シーズンの終わり頃、ゴールデンウィークぐらいまで滑れるんだって。
「では、丸沼に行ってみる?」ということになった。

お天気は最高だった。緩斜面がたくさんあって、あちらこちらを広々と、いろんなコースを滑ることができる。
ベテランのスキーヤーには物足りないそうだが、私には、恐怖と戦うストレスがなくて、ちょうど良かった。じっくりと、パラレルの練習に取り組めた。

富士見パノラマとか、尾瀬岩鞍とか、何ヶ所か行ったのだけど、緩斜面がちょっとしかないので、すぐにあきてしまう。
そうなると、ゴンドラに乗って、急斜面を滑ろうという気になるが、初心者の私は、怖くて怖くて、それこそ、命がけの緊張感で、必死になって滑ることになる。
肉体的には大丈夫でも、精神的に疲れてしまうんだよね。

パノラマなんか、最初に行ったときは、雪がごんごんふって、メガネにくっついて、「前が見えなくて、滑りにくい~」と騒いだのだけど、目の前の斜面を滑ることに集中できた。
2回目のパノラマは、快晴。すばらしい景色が眼下に広がっていた。恐怖で足がすくんだ。
これは、36年前の妙高のチャンピオンコースの再現か!となるところだった。なんとか下まで滑りおりることができたけれど、またやりたいとは思えないなあ。。

あちこちの山々を見下ろせるすばらしい風景を、「素敵」と感動する余裕をもって、急斜面を滑る楽しさを味わえるようになる日が来るのかなあ?
3/18(日) ストレッチの時間
今年は雨や雪が多いね。この季節はたいてい、ほとんど休まずテニスができた気がするんだけど。。。

雨だ、雪だとヴェルのお散歩をはしょる日がつづき、それにお出かけも加わって、ストレッチをさぼる羽目になり、久しぶりに腰の痛みを感じた。
犬のお散歩中にストレッチをする習慣なのだ。1週間とかさぼると、ほんとうに身体が硬くなってしまう。

母の病院に通うために、仕事の開始を1時間早めているので、朝のゆったりした時間がなくなって、毎日がせわしない。
雨の日は、お散歩の時間をストレッチに当てればいいのだけれど、つい、のんびり寝坊をしたり、あれこれ家事をしたりしてしまう。

お散歩以外で、ストレッチをする時間を作るのは難しい。お風呂上りはビールを飲みたいし、晩ご飯のあとはごろごろしたい。

やっぱり、朝しかないか!
83歳の男性の患者さん、とはいえ、健康維持のために来ているので、いたって元気である。鍼は15歳からで、40歳から、毎朝、真向法というストレッチ体操をつづけているそうだ。前屈でペタリとおでこが床につくんだって。
筋肉も柔らかく、気の通りがいいので、鍼灸治療の効果がすぐ出る。

実は、彼を見習って、私もストレッチを始めたのだ。1年前から、真面目につづけているので、身のこなしが違うし、怪我もしにくくなったよ~。
天気がいいので、ヴェルと一緒に野川に出かけた。犬はクンクン、私はストレッチ。
お散歩中にアオサギを見た。シラサギより太めで大柄。堂々とした体格をしている。
となりにいるのはカモだよ。
3/4(日) 母のことで手一杯だったよ~
こんなに長い間更新しなかったのは、いくらなんでも、初めてかも?

母の病院に毎日通っていたので、全然、余裕がなかった。このままでは、あっという間に植物状態か?と、恐怖におののいて、毎日、歩行訓練とリハビリに通っていたのだ。

同じ病院でも、病棟が違い、担当医が違うと、治療の方針が異なるということに、はじめは全然思い至らなかった。
「どうしたら、これを乗り切れるだろうか?」と、頭の中で、日夜、考えを巡らしつづけた。分刻みの日常と、心労で、インフルエンザらしき風邪を引き、4日も寝込んでしまったり。

それで、先生と看護士さんたちにお手紙を書くことにした。その文章を考えるのに、またまた頭を使い、日記にまで手が回らなかったのである。「ヴェルの部屋」だけは、必死で更新してたんだけど。。。

さてさて、長~い手紙を渡した、その結果は?

バルーン(尿道に管を入れての排尿)を入れられているので、トイレに通うことはないけれど、歩かせてもらえるようになり、2週間飲まされていた向精神薬もやめてもらい、職員の方たちに、ちょくちょく話しかけてもらえるようになった。

ちょっとずつレベルダウンはしているものの、まあまあの状態を維持している。
よかった、よかった。
それで、ちょっと息抜きができるようになった。テニスは雨にたたられ、あまり行けなかったけど、かわりに、スキーに行くようになった。

ついに、スキーウェアとブーツを買ってしまった。毎回レンタルだと、高くつくもんね。板とストックは友人に借りているけど。

数えてみたら、今シーズン、9回目である。あんまり上手くなった気はしないけどね。
1/18(水) スキーに行ってきた
何十年ぶりにスキーをした。
まわりの人に話すと、ほとんどの人がスキーの経験者で、かなりの人が、「熱中していた時期があった」とのこと。
へえ~、スキーって、そんなにメジャーなスポーツだったんだ!驚き!

お正月に一族が集まったとき、若いものたちが、みんなでスキーに行こうと盛り上がっていた。私もちゃっかり便乗しようかな?その前に、こっそり練習してみなくちゃ、と思ったのがきっかけである。

私は新潟育ち。小3までは長岡にいた。当時は、2メートルとか3メートルとか、毎冬、大いに雪が降った。だから毎日雪遊びをして、あたり前のようにスキーで遊んでいた。小学生のうちは、自分の板を持っていた記憶がある。

その後は、海の近くの町ばかりに引っ越したので、山よりも海が好き。スキーよりも海水浴の方が私のお気に入りだった。スキー場で滑った経験はあまりない。

弟は山の高校で、体育の授業でスキーを習い、スキーが得意になった。
19歳のとき、弟に誘われて、妙高高原にスキーをしにいったのが、最新のスキー体験。それは悲惨な結果に終わった。

スキーは中学生以来だったが、緩斜面はすいすい滑れた。「姉ちゃん、滑れるじゃん」と、弟に、いきなり山のてっぺんに連れて行かれた。

そこは、忘れもしない、妙高山の頂上からはじまる「チャンピオン・コース」である。
目に見える雪面はほんの2・3メートル。その先は、遥かなる遠景。田んぼや道路や車が、マッチ箱のようにちっぽけに見えた。
まるで、高層ビルから下をのぞきこんだみたいに、恐怖で足がすくみ、結局、スキーを担いで下りたというトラウマがある。

今年、はじめに行ったのが、白樺高原である。
果たして、私にスキーができるのだろうか?まず、スキー靴が異様に重い。ガンダムになったみたいに、思うように足を動かせない。長いスキー板に足を固定され、「ハア~」と、ため息が出た。

ベテランの友人に、プルーク・ボーゲンから教えてもらった。午前、午後と丸一日滑り、最後は筋疲労でヘナヘナになってしまった。
ちょっと、スキーに興味が湧いた。日頃テニスで鍛えているので、筋肉痛はそれほどでもなかった。

次は、尾瀬の岩鞍スキー場へ行った。パラレルを習った。昔は、片足でシュッと止まれたのに、なかなか安定しない。半日滑って、温泉で自分で腕や足などをスポーツマッサージした。

翌日、「うん、今日も滑れそう」、そんな調子である。
なんといっても、慣れないことは、まず、身体と相談しないことには前に進めない。年寄りだね~~(笑)
緩斜面はかなりのスピードで滑れるぐらいに、すっかり慣れた。途中、何度か、ゴンドラで山の上のほうに連れて行かれた。ミルキー・ウェイも滑ったんだよ。

雪を抱いた山々が、どんどん下になって、遥か遠くまで見渡せる。すばらしい景色だ。もしかして、それがスキーの醍醐味?
でも、そこを滑り下りるとなると、話は別問題。過去のトラウマが蘇って、恐怖に足がすくんだけれど、いったん登ったら、あとは下りるしかない。
怖いところは、斜滑降をまじえて、なんとか無事に滑れたよ~。

雪が降るはずだったのに、3日間晴天がつづき、なんと、3日もつづけてスキーをしてしまった。翌日、4時間半もテニスをしたけど、全然大丈夫だった。
「アクティブなイベント」+「露天の天然温泉」という組み合わせはいいねえ。

課題は、左足をいかに鍛えるかだね。右足を軸足にして左回りをするのはほとんど問題がないけれど、右回りは左足が安定しないので、オットットとなってしまう。
犬の散歩中に、左足1本で身体を支える訓練を付け加えた。

もともとがバイク乗りで、スピード狂の私。しかも、山の景色は、本当に気持ちがいいもの。私、スキーにはまってしまうかな?
1/7(土) 母の入院は長引きそう
1月5日、母は慈恵医大を退院し、青木病院に入院した。
褥創の手術の後、吸引機をつけられるのは、最長4週間までということで、その日に退院することになったのだ。

青木病院は、新潟の病院にいた母を、引き受けてくれたところ。母にとっては古巣だけれど、本人が記憶しているかどうかは、さだかではない。
車椅子だった母を歩かせてくれ、トイレに行けるようにしてくれ、脳障害を看護で快復させてくれた、大恩ある病院である。

前回は、3階の介護棟だったが、今回は、2階の内科病棟に入った。

医師は、母の褥創を見るなり、「これはひどい!」と驚いた。
「慈恵からは、もう治りかかっているというお話を聞いていたんですが、褥創はかなり深いです。お年のせいかもしれませんが、1ヶ月たっているわりには、全然、肉の盛り上がりがみられません」

「青樹は老健なので、医療行為ができません。ですので、褥創が治るまでは、こちらの病院で手当てをするしかありません。そうとう長くかかりそうですよ」
医師は、深刻な表情で私に告げた。

「えっ? ということは、2・3ヶ月ぐらいかかりそうということですか?」

「いや、そうとう長く、ということで、はっきりは言えません」

「えっ? ということは、半年ぐらいかかるかもしれないということですか?」

「そうとう長くかかるかもしれない、ということです」

つまり、老人の褥創は、極めて治りにくい、ということらしい。

今日の患者さんは、自宅で介護をしていたお母さんに褥創を作って、医師に怒られ、それから病院に入院させた経験をもつ人だ。
「1年ちょっとで亡くなったんだけど、死んだときにも、まだ褥創は治っていなかったわね」と、悲しそうに話してくれた。
10年以上も前のことなのに、90歳で亡くなったお母さんを思い出して、いまだに後悔している優しい娘さんである。

(私の観察では、一生懸命に面倒を見た人ほど、『ああしてあげれば・・・。こうしてあげれば・・・』といつまでも後悔し、たいしてしなかった人ほど、自分はよくやったと満足しているのである)

2階の病棟では、面会時間が、午後の1時半~6時半に限られている。施錠が必須の精神病院なので、面会時間には厳しい。
母のリハビリに通うためには、患者さんの予約時間の調整をしなくてはならない。あちこち電話をしたりして、バタバタしてしまった。

入院の日は、いつも以上にシャンとして、足取りもしっかり。私や娘たち、看護婦さんたちと、ちゃんとまともな会話をしていた。
でも、年寄りは、環境が変わると、本当に、一気にレベルダウンする。

翌日、母の様子を見に行った。やはり、相当なレベルダウン。ベッドに横たわったまま、目はあらぬ方向を見て、現実感覚を失っている。
「となりの人が猫を飼っていて・・・」とか、「痛くて痛くて、どうしてだろうと思ったら、殺虫剤が入っていんだよね」とか、おかしな話をぺらぺらとしゃべる。

まさに『恍惚の人』、だ。

母を見ながら考えた。私はあきらめるということを知らない人間。「なんとかして正気づかせよう」と、あらゆる手段をつづけて来た。
普通の人なら、「病院に入ったら、あっという間に認知症が進んだのよね」と、そのまま受け入れてしまうだろう。

だけど、自分の現実を認識するのは、苦しいことだ。病気に囚われ、自分の身体が思うように動かせないもどかしさ、治る見込みのない現実をつきつけられ、母はいつもつらそうな顔をしていた。

認知症が進んで、現実感覚を失い、不安も不幸もない恍惚の人となって生きる方が、もしかしたら、母にとっては、幸せなのだろうか?
そんな疑問が、ぐるぐる頭の中をよぎる。

でも、自分のやり方で、できるだけのことをするしかない。他のやり方を知らないのだ。認知症が進めば、あっという間に、植物人間になってしまう・・・。
ということで、毎日病院通いをする生活、アゲインである。

お正月、母を外泊させる予定を取りやめにしたので、たっぷり遊んだからね~。精神的に、かなり回復したから、まだまだがんばれそう。
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