doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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5/6(火 映]メルシィ!人生
ゴールデンウィークは、4日をお休みにして二連休にさせてもらい、ファミリーで出かける予定だったが、ドタキャンになった。

超ブルーだし、丸2日もぽっかりと暇だし・・・

でも、前日に電話がかかってきて、4日はK先生に治療に来てもらえた。限界寸前だったので、ほんとうに助かった。
患者さんがいるときにはできない雑用をたくさんこなし、夜は息子と飲みに行った。ポプラと飲むのははじめてだったが、なかなか楽しかった。

5日はテニスオフに参加。なんと、午前8時~12時と、午後4時~6時と、2ヶ所も行っちゃったんだよ。
落ち込んだままじっとしている・・・ということができない性格なのである。

午前の4時間は6人でゲーム。いつものことながら、私以外はすべて男性。
見知らぬ人たちの中に、ひょいと1人で参加する女性は、あんまりいないみたいである。

みなさん、とっても上手で、大丈夫かなと心配だったけど、すぐに慣れて、あまり緊張なくテニスができた。
ハードコートでボールがグィ~ンと弾む。こっちはミックスなので、前にはりついてボレーで決める練習をした。ストロークもなんとか打ち返せた。サーブも半分ぐらいは納得のいくのが打てたし、セカンドもおおむね良好だった。
私がいいショットを決めると、みんながやんやと拍手喝采をしてくれる。

高校時代にバスケをやっていた頃も、男の先輩に教わっていた。上級生男子にうちらのファンクラブみたいな人たちがいた。試合になると、男子部員も加わって、総動員でやんやと応援してくれたなあ。。。

バイクに乗っていた頃も、いつも男の中に女1人だった。ツーリングや河原でモトクロスとか、男の子たちに親切にフォローしてもらった。

テニスオフも、共通の趣味をもつ男たちの集まり。はじめて出会った人たちと、すぐに仲間意識をつくりあげ、和気藹々とテニス楽しむ。

意外にあっけなくオフに慣れたのは、バイク乗りたちとの、そんな共通項があるからなのだろう。
連休中にぽっかりあいた空き時間を、楽しく過ごせてよかった。

午後は、雨は降らなかったけど、強風にあおられて、思うようなテニスができなかった。お昼にビールも飲んじゃったしね。レベルの差もありすぎた。

夜は映画を見た。
「メルシィ!人生」は、フランスのコメディである。監督は、フランシス・ヴェベール。

コンドーム会社に勤めるフランソワ・ピニョン(ダニエル・オートゥイユ)は、まじめで堅物の平凡で目立たない男。奥さんには2年前に離婚された。17歳の息子はママに洗脳され、父親をバカにしているので、なかなか会ってももらえない。

自分がリストラの対象だという噂を聞いたピニョンは、人生に絶望し、マンションのバルコニーから、飛び降り自殺をしようとした。
でも、隣に越してきたばかりの男、ベローヌ(ミシェル・オーモン)に止められた。

「話をするまで帰らない」と、押しかけてきたベローヌにうながされ、ピニョンは悩みを打ち明けた。
「解雇を避けるいい方法がある」とベローヌは言う。
なんと、自分がゲイであるとカミング・アウトすれば、会社は、解雇の理由がゲイ差別であると思われることを恐れて、解雇できなくなると言うのだ。

「自分は平凡でつまらない男だし、ゲイの演技なんてできない」とピニョン。
ベローヌは言う。
「ゲイの演技は俳優でも難しい。演技などしたら逆効果。君はそのままの自分でいろ。君が変わるんじゃない。君を見るまわりの人の目が変わるんだ」

実は、ベローヌはゲイで、20年前、ゲイを理由に解雇された。
時代は変わった。想像をはるかに上回るかたちで。
ピニョンを助けることは、自分を踏みつけにした社会へのリベンジでもあった。

お尻丸出しで男と抱き合う合成写真を、社長に送った。マル秘の話はすぐに全社員に伝わり、社内は騒然となる。ピニョンはみんなの好奇の的になる。

おどどどした平凡でつまらない男だったピニョンだったが、次々に起こる騒動に立ち向かっているうちに、あきらかに変化していく。
ピニョンのこの変化が見ものである。

人事部長のサンティーニ(ジェラール・ドパルデュー)は、マッチョな男で、ラグビー部の部長でもある。ピニョンを毛嫌いし、事あるごとにいじめてきた。
彼の差別的発言に苛立っていた同僚が、「ピニョンと仲良くしないと、差別主義者として、君が解雇されるよ」とサンティーニに言う。あれこれ忠告をされ、サンティーニは自分を見失い、思いもよらぬ方向に変化していく。

とにかく、俳優たちがすばらしい。それぞれ個性的でリアリティーがある。
あり得なさそうな話を、どこにでもいそうな人々がくり広げる、「人間」が見れる映画である。

このあとはネタバレになるので、自分で映画を見てね~。
4/22(火) ダライ・ラマの講義を受けた
またまた更新が遅くなってしまった。
気温の変動が激しいときは、調子をくずす人が多い。患者さんが混みあって、パソコンに向かう時間がとれなかった。
母のリハも、1週間もあいてしまったが、おかげさまで、なんとか「まあまあ」を維持している。

先週の木曜日、テニスを休んで、ダライ・ラマに会いに行ってきた。
昔、映画「セブンイヤーズ・イン・チベット」を見て、ダライ・ラマに興味を持ち、彼の自伝を読んで、大ファンになったのである。
あんずから、「ダライ・ラマが来るよ~。もうおじいさんだから、生きているうちに、会いに行きたいよね」と電話があって、2人で行くことになった。

何の下調べもしなかった私。言われた通りに、12時ちょっと前に神保町駅についた。待っている間に地図を見た。会場のホテル・オークラは見当たらない。住所の虎ノ門も地図にはない。
あんずからのメールをよくよく見ると、神谷町(日比谷線)を、神保町(都営新宿線)と、勘違いしていたことがわかった。慌てて地下鉄に乗り込む。

途中、「あ、発券するの忘れてた!」と、あんず。
コンビニでチケットを発券してもらわないと、会場に入れないんだって。まず、コンビニを探さなくちゃ。
そのうえ、あんずのスマホは途中で電池切れ。(いつものパターンである)

徒歩10分で会場に着き、開演までの1時間半、ホテルのレストランで、豪華なランチを楽しむはずだったのに・・・、いつもは避けているコンビニのサンドイッチを、歩きながらかじる羽目になった。

あちこちにある地図を見ながら、通りすがりの人や警官に道を聞きながら、そこら中を迷走。とても暑い日で、早足で歩き回ったのと冷や汗で、汗だくになった。

こんなドタバタ親子だけれど、なんとか開演直前にすべり込めた。会場に入ると、もうすでに始まっていた!
ダライ・ラマが、熱弁をふるっている。どうやらチベット語らしい。

渡された資料を見ると、タイトルは「ダライ・ラマ法王来日法話」で、テーマは「空と慈悲の教え」と書いてある。
よもやま話の講演会ではなく、仏教の講義を受ける場だったのである。

長い長いチベット語が終わった。こんなに長い話をどうやって通訳するのだろう?と不安になった。

さあ、通訳だ・・・
ところが、日本語も理解できない。「活字の言葉」である。
難しい仏教用語を交えて、早口でしゃべる、「通訳」というより、それ自体が大学の講義みたいだった。

「やばい。日本語もまったくわからない」と、あんずが耳打ちしてきた。
「煩悩(ボンノウ)」もわからないのだから、どうしようもない。こっそりちょこちょこ教えてあげた。

私は、10年ぐらい前に仏教に興味を持って、ちょっと勉強したことがある。片耳で講義を聞きながら、手元の資料を読みあさった。
久しぶりに脳がフル回転。ちょっとずつ思い出していった。

一番目は「般若心経」についてだった。お経の言葉が併記されている。
般若心経との出会いは、父のお葬式が最初である。「色即是空」など、耳にしたことのある言葉を、はじめてきちんと解説してもらった。

目に見えるものは、本当には存在していない。五感で感じるものは、すべて無い。「空(クウ)」である。
「煩悩」は、現世での欲望、執着である。人の本質、魂は誰もが「仏陀」なのだが、「煩悩」をまとっているために、人は苦しむ。

洋服を脱ぎ捨てるように、「煩悩」を脱ぎ捨てなさい。悟りをひらいて「空」になれば、あなたは「仏陀」となって、そのまままっすぐ「涅槃」に行ける。(涅槃はネハンと読み、極楽のことらしい?)
でなければ、「輪廻(リンネ)」に落ちる。

「ギャーティー」という奇妙な音は、「行け」という意味で、「まっすぐ彼岸に行け」と言っていたのである。
あんずはここで「わかった。お彼岸にお墓参りに行け、という意味だね」などと勘違いしていたが、「彼岸」は、あちら側の世界、あの世のことである。

大昔は生きることはつらいことだった。大自然の猛威の中で、熊などの獣から身を守り、水や食物を手に入れ、小さな集落にかたまって暮らす。命や家族を維持するのは、ほんとうに大変なことだった。

「輪廻」は、地獄のことらしい?
「輪廻転生」と言われるように、現代社会に生きるものにとっては、「今をリセットして、また新しい自分に生まれ変わる」みたいな、明るいイメージがある。
でも、大昔の人にとっては、つらい現世をまた一からやり直すより、まっすぐ仏様のところに行って、未来永劫、安楽に暮らすほうが幸せと感じたのかもしれない。

神も仏もあの世もピンと来ない現代人と比べると、昔の人は死者のたたりを、とても、とても恐れていた。(法隆寺は、聖徳太子のたたりを恐れ、彼の魂を鎮めるために造られたのだという)
般若心経は、死に行く人に、「化けて出ることなく、まっすぐあの世に行きなさい」と切々と説得している言葉なのでは?と思った。

2話目は、「法界讃」で、現世に生きながら、空を理解し、悟りをひらくための詳しい解説書。
3話目は、「三十七の菩薩の実践」で、菩薩道を実践したい人のための、具体的な教え。

生きているうちに悟りをひらけば、生きながらにして「仏陀」になれる。
でも、それは、日夜勉強し、修行をつんでいる自分にとっても難しい、とダライ・ラマは言っていた。
大物は、素直で正直である。

みんなに「オーラがあった?」と聞かれたけど、「権威」のオーラなどみじんもなく、田舎のおじいさんみたいだった。身体をゆらゆらゆすっているし、自然体である。なんだか腕白小僧がそのまま大人になったみたいな感じ。

近隣の村々にまで評判が伝わるほどの「神童」として生まれ、ダライ・ラマの生まれ変わりとして見つけ出され、幼い頃に寺院に連れて行かれた。
宗教の指導者であると同時に、政治的にも指導者となるべく、英才教育を受けて育った。
いばる必要もなく、権威を身にまとう必要もなく、ただ、ありのままに、生涯をチベットの人民にささげて生きてきた。

彼の語り口は、ちまたの人民(彼にとっては自分の子どもたち)に、ありふれた言葉で、わかりやすく話をしている感じ。
通訳(たぶん大学の先生?)の言葉は、高尚な教えを、あえてより難しく教え、選ばれた人のための権威的な表現のように感じた。

最後にダライ・ラマが、「渡した資料をよく読んで、一生懸命勉強してください。来年、その資料が新品同様だったら、勉強していないことがすぐにバレますよ。だからといって、読まないで、手でベタベタ汚したらダメですよ」
な~んて、冗談を言っていたらしい。

ダライ・ラマは、晩年の父に面立ちが似ていた。
内的な世界、霊的な世界、現世的な世界と、3つの世界に深く入り込み、いろいろなことを考えさせられた、貴重な数時間だったよ~。
4/6(日) テニスオフで仲間をさがしてみた
テニスクラブに入ると、人を集めるという煩わしさから解放される。自分の都合でクラブに出かけても、誰かしらが相手をしてくれる。
この頃は気心が知れて、いろんな人と楽しくテニスができるようになったんだよ。

スクールつながりの友人たちとも、ときどきテニスをしている。土・日は仕事なので行けない日も多いのだけど、ずっとコートを取ってあげてきたのである。

でも、市民コートは抽選なので、予定が立てにくい。コートが取れても、その日に都合のつく仲間を4人集めるのは、かなり大変である。

そんなとき、クラブの先輩に教えてもらったのが、「テニスオフ」である。
サイトをのぞくと、いろいろなコートで、いろいろな人たちが仲間を募集している。

先月、はじめて、オフに参加してみた。
私以外は6人全員男性で、かなり上手な人たちもいた。
練習のときは落ち着いていたのだけれど、ゲームになって、男同士、かっこいいフォームでバシバシ打ち合っているのを見て、いきなりビビりはじめた。

『なんで、こんなところに参加しようと思いついたんだろう・・・』と、後悔。
やっと、クラブの人たちに慣れ、よぶんな緊張することなく、テニスを楽しめるようになった矢先に、また新しい世界に飛び込んだ私。
(いつものことながら、人見知りな自分と、大胆不敵で度胸ある自分のギャップには、自分で自分が不思議である)

対人恐怖症がよみがえって、緊張感で萎縮しまくった。
ゲームに加わってみたら、ちゃんとラリーがつながったし、つなげていると相手がミスをしてくれたりと、まあまあだったのにね。

あとから考えると、萎縮した自分がバカだった。みなさん、初対面同士なのにフレンドリーで、ニコニコと優しかったのだもの。
萎縮していたから、2ヶ月前ぐらいのレベル、2割落ちの実力しか出せなかった。
でも、先輩に言わせれば、「緊張しているときのテニスが、自分の実力」なんだそうだ。なるほど。

試合のときに、実力を100%出すというのは、プロでも難しいらしい。緊張状態でできることが、自分がモノにした「テニスの実力」ということになるのだろう。

そして、クソ度胸の第2段。
昨日、今日と、2日つづけて、自分でオフを主催した。
昔から、広報で呼びかけて共同保育の仲間を募集したり、スペイン語のサークルを作ったり、バスケのチームを作ったりと、人を集めることには慣れているんだ。

木曜日、スクールつながりのおじさんから、キャンセルのコートが取れたので、来てほしいと連絡があった。
土曜日の朝8時~10時だって。11時からはびっしりと仕事が入っている。
でも、付き合いのいい私なので、足りないメンバーをオフで募集。数時間で3人集まった。

<主催オフ、その1>

土曜日の参加者は30代の男性3人。すごい上手で、すごいボールを打ってきた。主催側のおじさんと私は、圧倒されまくり。
男のボールには慣れているはずが、若い男のボールは強烈で、打ち負けることしばしば。なんとかラリーでつないでも、決めるまでにはいかなかった。

対人恐怖症がでてきて、途中で帰りたくなった。精神的にかなり疲れて、ボロになった。ボロのほころびはサーブからはじまる。
でも、『これを乗り越えないと成長はない』と自分に言い聞かせて、なんとか立て直した。
3人とも感じのいい人たちで、(内心動揺している私以外は)みなさん、とても楽しそうにテニスをしていた。

<主催オフ、その2>

今日は、スクールつながりの(別の)おじさんと、20代の女性。オフからの参加者は40代の男性。彼もとてもいい人で、和気藹々のいい雰囲気であった。

実は、今週、フラット・ドライブのショットの完成に向けて、特訓をされたんだ。
やっと、スピンのボールが打てるようになったところで、また次の課題を与えられたのである。

フラット・ドライブは、打ち方がスピンと全く違う。面の使い方が逆で、ワイパーもかけちゃいけない。ネットすれすれに、低い軌道でボールを鋭く飛ばす。
ドライブがかかっているので、思い切り打ってもコートに入るし、相手の足元に落とすこともできる。

違う打ち方を習ったので、両方がごっちゃになった。そのせいで、今週は、フォアのストロークがぐちゃぐちゃだった。
私が唯一、得意なショットは、フォアのスピンのムーンボールである。
緊張しているときは、得意のショットを打ちながら、ゲームに集中していくんだけど、それがうまく使えないと、雑念の世界にどんどん転がり落ちていく。

でも、3回目にして、さすがに、慣れてきたのかな?
今日は、はじめて、オフでのびのびとテニスができた。
打ちごろのボールだったので、スピンとフラット・ドライブの打ち分け、ボレーやスマッシュの練習もできた。楽しく、しかも得るものがあった。

早速、4/20のオフを開催。次はどうなるかわからないけどね~。でも、人間、前進あるのみ、である。
3/21(金) 帯状疱疹: ウィルスはお灸で焼き殺す
間があいちゃったね~。
自宅のパソコンが、またまたトラブル。Dellのモニターに何も映らなくなった。1月に中古で買ったものなので、「壊れた」と思い込み、お店に持っていって見てもらおうと思っていた。

でも、時間がない。
仕事場のパソコンで、あちらこちらのサイトをのぞいた。Dellのサイトに解決法のページがあって、順を追って、わかりやすく解説してある。
モニターは正常だった。捨てようと思っていたパソコンとつないでみたら、画面が現れたので、ついでにフォーマットをした。

パソコンに問題があることがわかったが、これもあんずにもらった中古である。
解決法の次のステップは、「ビデオカード」の問題かどうかを確認する作業だった。
「ケーブルをはずし、内蔵ビデオの出力端子につないでみて、画面が出たら、ビデオカードの問題なので・・・」と書いてある。

「ビデオカード」って、何?
モニターへの出力に、アナログとデジタルの2種類あることをはじめて知った。
当たり前のように使っていたのは、内蔵ビデオ機能で、アナログなんだって。

結局、あんずに電話し、そのパソコンにはビデオカードが入っていて、以前は、デジタル式のコネクターで出力していたことを知った。
「今まで使っていなかった内蔵ビデオに、急に電気が流れたんで、びっくりして壊れたんでしょうね」と、元の持ち主が言う。

「デジタル・コネクターも一緒に渡した」と言うので、机の引き出しを開けてみたら、ちょこんとそこに入っていた。
ケーブルのアナログコネクターの先に、デジタルのコネクターをくっつけて、ビデオカードの出力端子につないでみた。

『これでダメだったら、このパソコンも捨てなくちゃな・・・』と、ドキドキしながらスイッチを入れたら、無事に、モニターに画面があらわれた!

解決には数週間かかって、またまたパソコンに詳しくなってしまった。

最近、患者さんが2人、帯状疱疹になった。
季節と関係があるのだろうか?たいてい複数の患者さんがいて、みなさん春(2月~6月)だった気がする。

2人とも、「帯状疱疹になったので、予約をキャンセルしたい」という連絡があって、「だったらすぐに治療したほうがいいよ」という流れだった。
鍼灸で治るとはみなさん知らないんだけど、実はすごい即効性がある。

帯状疱疹は、水疱瘡が治癒したあと、生き残ったウィルスが、何年も何十年もじっと神経節に身を潜めていて、宿主の人間の体力が低下したときに、再活性する病気である。
怖いのは、そのまま神経が変性を起こしてしまい、帯状疱疹後神経痛になってしまう可能性があることである。
(詳しく知りたい人は、症例36:「帯状疱疹」を読んでね~)

ウィルスも生き物である。
水痘・帯状疱疹ウィルスは、神経節を根城にし、そこから皮膚に向かってコロニーを形成する。鍼で血行を良くして、ウィルスの逃げ場をなくす。お灸でウィルスを焼き殺す。
コロニーが体表に近いから、劇的な効果があるのかもしれないね。

ところで、テニスの師匠からクレームがついた。
サーブは左足軸足だけど、ジャンプは両足なんだって。(どっちにしろ、片足ではジャンプできず、両足ジャンプだったんだけどね)
それと、サーブ&ダッシュじゃなく、サーブ&ボレーが正しいそうだ。

左ひざも治り、今のところ、どこも悪いところはない。相変わらず、雨の日以外はテニスをしている。

胃腸の調子もずっと良くて、1キロぐらい太れた。最低が41キロだから、3年かかって3キロゲットしたということになる。
ものすごく食べれるようになったから、これからどんどん太っていくのかな?
3/4(火) 中国から黄砂、日本から放射能・・・
そろそろ花粉が飛んでいるのかな?2・3日前から、日に数回、鼻がむずむずしてくしゃみが出たりするようになった。
ひどくならないうちにと思って、耳のツボの目ポイントと鼻ポイントに金粒を貼り、足のツボ、(たぶん)飛陽に銀粒を貼った。

巷のうわさでは、すでに花粉症に悩んでいる人も多いようである。
去年、薬をやめて、金粒・銀粒で、花粉の時期を乗り越えた患者さんたちは、今のところ、まだ大丈夫とのことである。

昨日のテニスのゲーム中、何度かくしゃみが出そうになったけど、耳の金粒をグイグイ押して、持ちこたえた。
メガネをかけてテニスをしているので、マスクをかけるとメガネがくもっちゃう。できれば、このままマスク無しでやっていきたい。

ただ、昨今は、花粉だけじゃなく、中国から飛来する「黄砂」が混ざっているので、問題がややこしい。
花粉だけなら、自然の脅威。人体の免疫反応が花粉に慣れれば、問題は解決する。

中国からの黄砂は、大気汚染物質、つまり化学物質なので、「慣れる」ことを期待せず、「避ける」ことを考えなければならない。
つまり、マスクはしたほうがいいってこと?

「まったく、中国のせいで・・・」と、中国の悪口を言っていたが、ふと、サンフランシスコのことを思い出した。
サンフランシスコの海岸で、放射能値を計測している人の動画を見た。「福島の放射能がサンフランシスコに上陸した」というのである。
通常の5倍の放射能が測定されたという。
Fukushima と悪者にされ、福島県人がお気の毒である・・・)

つまり、地球はひとつ。
中国からは黄砂が日本に。日本からは放射能がサンフランシスコに、そして他の国にも流れ着く。

放射能は分解も破壊もできない。
「除染」というが、汚染水から放射性物質を除去しても、集めた放射性物質は、こんどは高レベル廃棄物になる。
ひまわりの種が放射能を吸着すると、騒がれた時期があったが、その種をどうするの?集めたら危険きわまりない高レベル廃棄物になる。

だから、海に流すしかない、と私は思う。広く地球上に拡散させて、危険を薄めるしかないのである。
日本は雨が多く、まわりを海に囲まれている。だから、国土の除染は簡単なのである。たぶん、台風のときなんか、「今だ!」と、放射能を大量放出しているのではないか・・・、と私は疑っている。

低レベル廃棄物は、ドラム缶に入れている。毎日出る大量のドラム缶。でも、貯蔵するスペースは限られている。
昔、ソ連やアメリカ合衆国が、日本海にドラム缶を捨てに来ている、という噂があった。日本は太平洋の真ん中に?

そうやって、各国が、自分の国から遠いところを捨て場に選んでいるということは、回りまわって、結局は自分の裏庭がゴミ捨て場になってしまうということだ。

ああ、恐ろしい。。。

その恐怖を心の奥に押し込んで、テニスなんかやって遊んでいる私である。

必死の治療の甲斐があって、左ひざも数日で治り、昨日も、えんえんとテニスをやりつづけた。

筋肉って、壊れるとつくんだって?
持てる筋力を上回る負荷をかける → 筋肉が壊れる → 「これはマズイ」と筋力がつく、という図式らしい。

なんだか、利き足の右より、左足ほうが、太くたくましくなったようである。サーブに威力がでるかなあ?
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