6/25(水) |
網戸の張替えをした |
月曜日、あんずとヨーコがお手伝いに来てくれた。ヴェルのことで落ち込んでいる私を、遠路はるばる、慰めに来てくれたのだと思う。
娘が2人いるようで、ほんとうにありがたい。
家の中は埃だらけ。ベランダの目隠しもボロボロ。網戸も破れたままだった。
テニス肘が悪化しないように、最低限のことしかしないようにしているので、2人にお願いしちゃったんだ。
網戸は2枚ある。網戸Aは5年前、連休に遊びに来た珠菜ちゃんが、網戸に突進し、下半分がぺろりとはがれてしまたのである。
(なぜか、やっぱり、テニス肘を患っているときだった)
そのとき張り替えた網戸を、またお正月に珠菜ちゃんたちに壊された。そろそろ蚊の出るシーズンなので、あせっていた。
居間にブルーシートを広げて、作業開始。
網戸Aは、まだ5年しかたっていないので簡単だった。一気にゴムを引っぱって、古い網を一瞬ではがすことができた。
網戸Bの下準備は大変だった。20年以上も、ベランダで日光と雨風にさらされていたので、ゴムが劣化し、硬くなってボロボロになっていた。
細いドライバーを使って、ちまちまと溝を掘り、劣化したゴムをポコポコ掻き出す作業をしなくちゃならない。
1人でやったときは3日もかかったが、みんなでワイワイお喋りしながらやったので、かなりの短時間でできた。
サッシに網を広げ、溝にゴムを入れ、コロコロで押し込んでいく。前回、張るのは長男にやってもらったので、私も初体験である。
試行錯誤で、何回もやり直した。ピンと張るためには、どうしても3人の力が必要だとわかった。
次は、余分な網を切り取る作業である。
昔、大工さんに、「ものさしを当てて、カッターで網を切るんだよ」と教わったんだけど、切るのはヨーコがやってくれた。
ヨーコはDIYが大好きで、慎重で丁寧で、仕事が完璧なのである。
張りあがった網戸を、みんなで取り付けた。
引っ越したばかりのときに、車で流している業者につけてもらったものだけど・・・
網戸Aはきちんと滑り、開け閉めがスムーズなのだけど、網戸Bは、最初からダメだった。グイッと押し付けて、立てかけたままの状態でしか使えなかった。大風が吹くとバタンと倒れるというシロモノだった。
網戸Bも直しちゃったんだよ。下にローラーをはめ込み、上の押えをネジで調節したら、かなりスムーズに開け閉めができるようになった。
やったね!
何時間もかかったが、仕上がりはすばらしい出来栄えだった。
ベランダの目隠しも、すばらしくピンと張られ、見ていて気持ちがいい。家中のお掃除もしてくれた。
手伝ったおかげで、肘に負担がかかったらしい。翌日、また肘が悪化した。
やっているときじゃなく、翌日に痛みが出るので、テニス肘はやっかいである。
最近は、肘で天気予報ができるようになった。「治ってる?」と思うほど肘が軽いときは、雨は降らない。
肘に痛みがあるときは、数時間後に雨が降るので、洗濯物を入れて出かける。
常時痛いときは、お天気に関係なかったので、治りつつあることは確かである。
掃除をさぼっていても治らないのは、マウス操作のせいもある。まだヴェルの追悼ブログを書きつづけているから。
マウスでクリックするたびに、人差し指を動かすので、総指伸筋を酷使することになる。はじめに痛めたのは古傷の短橈側手根伸筋だが、上腕骨外側上果のところでくっついて共同腱になっているので、伸筋全部がだめになっちゃう。
何時間もパソコンに向かったあとは、鉛筆も持てないほどになる。
でも、どうしてもやめられない。死んでしまったヴェルがかわいそうで、いつもいつも思い出してしまう。
なかなか、喪は明けないね。まるで、「うつ」の頃のような暮らし方である。
先週、バイク屋のお兄ちゃんが来たのだけど、彼が昔飼っていた犬も、晩年はかなりの厄介者だったらしい。
「最後、犬になっちゃうんですよね」と言う。
「それまで、こいつ、『自分を人間と思っているな』という感じだったんだけど、最後は犬になっちゃいました」
うちの母もそうだけど、人間も、前頭葉がどんどんダメになると、新しく会得した知識や経験がどんどん消えていく。
大脳によるコントロール機能が低下し、理性よりも本能が優勢になり、人間も「獣」のようになっていく。
犬はもともと獣だもの。人間と暮らして、人間ぽく生きていたものが、野生の本能が蘇ってくる。遠吠えするようになった犬もいるんだってね。
野生では、道具を使ってトリミングをしたり、お風呂に入ったりはしないものな。
晩年のヴェルが、小さな野獣になっていったのは、自然なことなのだ。そこまで元気にいられたのだから、寿命をまっとうしたのだ・・・
そう自分に言い聞かせても、赤ちゃんみたいに扱ってきたから、感情がそれを受け入れられない。
父が死んだときは、大好きなお父さん、お母さんが迎えに来て、まっしぐらにあの世へ行ったんだろうな、と思えた。
犬は?
親から引き離され、同族の犬と離れて、人間の中で暮らしたヴェルは、どこへ行くのだろう?途中のあたりで待っているのかなあ?
心配である。 |
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6/15(日) |
私もなったペット・ロス |
ヴェルが逝ってしまってから2週間たった。「悲しい」という感情はだいぶ薄れてきたのだけど、代わりに別のものが襲ってきた。
とにかく落ち着かない。
やるべきことがあって、忙しい間はいいのだけど、集中が途切れた瞬間、ドヨ~ンとなって、何も手につかなくなる。
本当なら、緊張感から解放されたあと、ひとときの安らぎを味わえる貴重な時間なのに、ざわざわと胸が騒いで、落ち着かなくなる。
仕事に出かけようとする。「あれ、こんなに軽々で、いいのだろうか?」と不安になる。ポシェットはぶら下がっているし、リュックも背負っている。
完璧である。
4キロのヴェルが入ったバッグをぶら下げて、階段を下りて、バイクに乗って、仕事、買い物、市役所、図書館と、重たい思いをして歩くこともなくなった。
仕事の前にテニスに行くときは、いったん家に帰ってヴェルを連れてと、あちこち目まぐるしく走り回った。
『ヴェルがいなければ、テニスクラブに寄って、そのまま仕事に行けるのになあ・・・』なあ~んて、いつも思っていた。
家に帰ったとき、待合室に戻るとき、台所から部屋に入るとき、まだときどき、無意識にヴェルを探す。
ヴェルと食べ物を分け合い、朝は、何よりも優先してヴェルのお散歩。
振り向けばそこにヴェルがいて、必ず、ヴェルと目が合った。
すぐに何かに夢中になってしまう私を、ヴェルはいつも待っていた。
いつもヴェルを探してた。どこにいるかを確認し、体調や呼吸をチェックして。
私の日常は、ヴェルを中心に回っていたんだね。
ちまたで言われる「ペットロス症候群」は、「空虚」というものなのかもしれない。
犬を亡くした人たちに、「1年間、ダメでした」とか、話には聞いていたけど、私も人並みなのだろうか?「クール」と言われていたのにね。
大きい犬が帰ってきて、小さい犬の世話がおろそかになった。
でも、大きい犬は、ちょっとは小さい犬の面倒を見てくれた。
『もうそろそろ危ないな・・・』と思いはじめたとき、大きい犬がいてくれてよかったと思った。心配を分かち合ってくれる。
小さい犬が死んだあと、大きい犬に、ご飯を作ってあげなくちゃならなかった。
大きい犬のおかげで、栄養失調にならなくてすんだみたいである。
大きい犬のポプラは、「動物がいないと淋しいね。また犬が飼いたいね」と言う。
若いから、それもいいと思う。
でも、私は、新しい犬を飼うより、ヴェルの思い出にひたっていたい。
心臓病持ちの犬の世話は、ほんとうに大変だったから。
お墓も位牌もお骨も、なあ~んにも信じていない。魂はそんなところにはいないと思っている。でも、空き家でポツンは淋しいだろうと、父の位牌をこっそり持ってきて、本棚に入れてあった。
その隣に、ヴェルのお骨を置いた。
父は離れて暮らしていたので、世話をしたわけじゃない。位牌の水は面倒で、しょっちゅうパスしていたけれど、ヴェルには毎日、水をあげてる。
(ついでに、位牌の前にもコップを置く)
翌朝、水を替えようとして、水が減っているのに気づいた。
「あ、ヴェル、お水、飲んだんだ!」と喜んで、思わずお骨に声をかけた。
冷静に考えれば、蒸発して減ったのである。お皿だから表面積が大きいので、たくさん蒸発するんだと思う。
最後のほう、お水を飲まなくなったのが心配で、その心残りがあるんだね。
落ち着かないので、10日連続で仕事をしてしまった。ヴェルの追悼ブログを書きに来てたら、急患が入ったりして。
さすがに神経が疲れて、木曜日は、久しぶりに家にいた。
梅干作りは、この季節必須の恒例行事である。今やらないと、この先1年間、困ることになる。
梅を6キロ塩漬けにし、梅ジャムも2キロ作った。
梅のヘタを取ったり、重さを量ったり、カメを運んだり、洗ったり、重石を持ったり、ジャムを煮たり・・・
腕を使いすぎたら、また、右ひじが痛みはじめた。
来週からテニスに復帰しようと思っていたけど、無理みたい。
みんなと騒いだり、話したり、笑ったりする気力はなさそうだし、もうしばらくヴェルの喪は明けそうもないね。 |
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6/10(火) |
ヴェルの喪中である |
先週の月曜日、6月2日、ヴェルは一人ぼっちであの世に旅立ってしまった。
前回のブログを書いた翌日、私がちょっとそばを離れたすきに。
バイク屋さんに行ったのは木曜日の話。
最後にひと目会いたいと思っている人たちのために、早くお知らせしなくちゃと、日曜日にいそいで書いたんだけど、間に合わなかったね。
詳しい話と写真は、「ヴェルの部屋」にのせてある。もうしばらくは、亡くなるまでの様子など、ヴェルの思い出をつづっていこうと思う。
立てなくなったヴェルの介護は、そうとうな負担だったのか? テニス肘はほとんど違和感がない。みるみる治ってきている。
でも、テニスに行く気にはなれない。
さすがに大泣きはしなくなったけど、まるで胸に杭を打ち込まれたみたい。すべてがスローモーションのように、ノロノロと過ぎていく。
ストレッチもやる気になれない。
仕事と家事だけだと、楽チンだね。ヴェルの散歩とテニスが加わっていたときは、分刻みで段取りをして、家の中でも走っていたから。
テニス肘は、「そばにいて欲しい」という、ヴェルの訴えだったのだろうか?
数ヶ月前から違和感があって、テニスのときはテーピングをしていた。
前日、ガンガン、テニスをしたけど、そのときも、そのあとも、全く平気だった。
翌朝、「えっ?」と、右肘の急激な痛みと、ヴェルの急激なレベルダウンが、同時に起こった。
左の指もヴェルに噛まれ、左手もラケットを握れなくなった。心配で気もそぞろだったけど、私のことだから、「ちょこっと」と行ってしまったかも知れない。
テニスができなくなって本当によかった、としか思えない。
ヴェルのことだけ思い出して、暗く沈んでいたいんだけど、患者さんはどんどん来るし、家族のトラブル、友達のトラブルと、次々に難題がやってくる。仕事をしていると気がまぎれる。
「あんまり悲しまないで~」とヴェルが送り込んでくるのだろうか?
ヴェルのことをすごく可愛がってくれていた、84歳の素敵な女性。
ヴェルの写真は、ホームページをのぞけばいつでも見れるが、彼女はパソコンを使えない。「写真が欲しい」と言われた。
ホームページの写真をピックアップ。本人に選んでもらおうと、何枚かプリントアウトして、壁に貼っておいた。
花を持ってきてくれた患者さんもいた。
ヴェルのために焼いたホットケーキが、大量に冷凍庫に残っていた。食べてもらえないかとメールをしたので、来る前に訃報を知っていたのだ。
お線香をあげたいという患者さんもいた。前々日に治療に来たとき、内心、『もうダメだな』と思ったんだって。
それで、写真の下に祭壇をつくった。花と犬のぬいぐるみ、ろうそくに、お香立ても置いた。
まるで人間並み?みなさんに愛されて、ヴェルは幸せ者だったね~。
写真はどんどん増えそうである。 |
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6/1(日) |
ヴェルとの別れが近づいている・・・ |
古傷のテニス肘をぶり返してしまった。
打ち方を変えてから、肘に負担がかかっているな・・・と思っていた。用心にテーピングをしてテニスをしていたのだけど、ついに限界。
飛ばしまくりでテニスしたからね~
いつも、ノリノリのときに故障する、というパターンなのである。
思い起こせば、5月は毎年、まともにテニスができたことがない。1ヶ月とか、3ヶ月とか、長期に休んだこともある。
去年は肋軟骨を痛めた。おととしは肩で、その前はぎっくり腰で、その前は手首痛、その前がテニス肘。
5年前のテニス肘のときは、とことんこじらせて、ひどい目にあった。結局、完全復帰まで1年近くかかってしまった。
今回はそこまでひどくないが、テニスはしばらくお休みすることにした。
ミニ親睦会の翌日、「あ、肘が痛い」と思ったのと同じタイミングで、ヴェルが急に元気がなくなった。
ひたすら寝てばかり。目もどんよりとして、ほとんど動かない。立つこともままならないときもある。
昔は、右手がダメなときは、左手で壁打ちに行ったりしたんだけど、そういう気力がおこらない。
ヴェルが心配で、気もそぞろである。もう14歳半。老衰なのだと思う。
病院に連れて行って、痛い思いをさせるのは可哀そう。家族のそばで、静かに死なせてあげようと決心した。
お天気だとテニスに行っちゃう。のびのびにしていた、バイクの点検にも行った。
アクセルを開けるとき、伸筋を使うので、肘に負担がくる。テーピングをして出かけた。というか、細いキネシオは、一日中しているんだけど。
家事、仕事、マウス、書き物、ヴェルの世話、すべて右ひじに負担がかかる。
休ませたほうがいいと思うんだけど、何かしらやってしまう私である。
小梅も5キロ漬けたし、これからも梅酒、梅ジャムと、春の恒例作業がつづく。
私のバイク屋さん(bite/ バイト)は八王子にある。バイトのすぐ近くのモスは、オープンテラスがあるので、ヴェルと一緒に入れる。点検の間のお楽しみなのだ。
ヴェルをバッグに入れて、『さあ出かけよう』と思ったら、ヴェルの舌が白っぽい。
『う、チアノーゼ?』と驚いた。
暑い中、バイクの振動で揺らされ、風を受けたら、着くまでに死んでしまうかも・・、と思った。
エアコンの部屋でお留守番のほうが、いいかもしれなかった。
でも、1人で行く気にならず、思い切って出かけた。
ヴェルは、バッグから顔をのぞかせて、景色を見ている。楽しんでいるように見えた。ヴェルはスピード狂。男の子だし、乗り物が大好きだ。
犬的には、自分では走れない速さの乗り物に乗って、風を切ってぶっ飛ばすのは、最高の快感なのかもしれない。
どうせ、もう長くはないのだし、あの世に行くまでの数日間、寝てばかりいるよりも、楽しいことをするのもいいかな、と思った。私ならそうしたい。
バイトに着いて、クーラーのきいた部屋に入ったら、舌の色も赤味がさした。
店長も従業員もヴェルのことかわいがってくれていたので、とても心配そうである。
途中でちょこっとモスにも行ってみたけど、暑さでグッタリしているので、落ち着けない。何も食べないし、水も飲まないので、早々に引き上げた。
前輪のタイヤ、空気が2倍ぐらい入っていたんだって。ガソリン・スタンドで入れてもらったのであるが。。。
「ものすごい振動で、バンバン跳ねたはずですよ」と言われた。
旧甲州街道がずっと工事中で、アスファルトがデコボコしてた。モトクロスやっているみたいにバイクが跳ねた。
その振動も、テニス肘悪化の原因のひとつだったかも。ヴェルの心臓にも悪かったかもね。けっこう楽しんじゃったんだけど。
バイクの調子は絶好調。
ヴェルは、ショート・トリップを生き延びて、無事に家に帰ったよ。
とりあえず、今もまだ、一生懸命、息をしている・・・ |
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5/21(水) |
人見知りと対人恐怖症 |
この間、壁打ちをしていたとき、「いつも、いろんな人とゲームしてますよね」と、となりで打ってたおじさんに声をかけられた。
もじゃもじゃ頭で背の高い、優しいナイスなおじさまである。
「女の人ってみんな、自分のグループの人としかやらないでしょ。それなのに、勇気があってすごい。俺なんか人見知りだから、知らない人には声をかけられないのに、偉いよね~」と言われた。
「え、私も実は、すごい人見知りなんですよ」と言ったら、「え~?」と、信用してくれなかった。
誰も知り合いがいないクラブに、1人で入った私。
テニス肘や手首痛、母の介護などであまり行かれなかった点を割り引いても、2年半は完全にポツンと孤独。1人でせっせと練習をしていた。
ときどき、いろんな人が声をかけてくれ、ゲームに入れてもらったり、教えてもらったりの積み重ねで、いつの間にか、ものすごく顔が広くなってしまった。
だから、1人で行っても、いろんな人が誘ってくれ、毎回違う人とゲームをやれているのである。
もしかしたら、私は人見知りじゃないのかもしれない?
好奇心旺盛で、どこにでも出かけていくし、知らない人とでも、すぐに仲良しになってしまう。治療室にはいろんな人がやってくるけど、いろんな出会いを楽しんでいる。
つまり、私は「人見知りという性格」ではなく、「対人恐怖症という病気持ち」だったのだ。病気だから、治ることもある。治れば、どんな場面でも、自分らしくいられるようになるはず・・・
おととい月曜日、京王テニスクラブの有志による、ミニ親睦会があった。
以前のブログに書いたけど、去年10月のミニ親睦会では、まわりは上手な人ばかり。上がりまくって、(ただでさえ少ない)実力の2割しか出せなかった。
11月のクラブ主催の親睦会では、ちょっとマシの5割ぐらいだった。
「試合」になると、突然よみがえり、私をカカシにする「対人恐怖症」が、どうなったのかを確認する、いい機会でもある。
先週、サーブの打ち方を忘れてしまった。1週間、ダブルフォルトの連続。99%ダブルフォルト、という試合もいくつかあった。
パートナーだけでなく、相手ペアも、私のサーブになると、心配そうに突っ立っていた。入らないので、レシーブの必要なし。となりのコートの人たちまでもが、心配そうに見守っている、という異常事態がつづいた。
練習で打てても、ゲームになると緊張がマックスになる。
サービス・コートはあんなに広いのに、なぜか、そこを見事によけて、サービス・コートの外にボールが落ちるのである。
金曜日にサーブを修正してもらった。スライスを打つつもりで、フラットで当たっていたというのが、一番の問題だったらしい。
道だって、スムーズに到着していると、逆に、道を覚えない。間違って、迷ってこそ、頭に中に地図ができあがる。そう自分を励ました。
「サーブに難がある」を引っさげての、親睦ゲームがはじまった。今回は、最初から、セカンド・サーブだけを練習をしつづけた。
前の親睦会で、「ドローを見れば、どっちが勝つかがわかることに気づいた」と書いた。抽選なので、レベルの調整をしていない。
上手なほうが勝つのがあたりまえだから、負けても恥じゃないし、勝っても自慢にならない、という試合がほとんどである。
それに気づいたので、今回は、1割減ぐらいですんだ。戦績は2勝1敗だが、実力的に順当だった。
サーブは、おっかなびっくりだったけど、なんとか入った。ダブルフォルトもあんまりしないですんだ。
対人恐怖症は、だんだんマシになっているなあ。
3試合目は、『もう、ゲームもフォームも気にするのはやめよう』と、居直った。壁で練習しているつもりで打とう、と思った。
相手も見ない、コートも見ない。ただ、ひたすらボールを打った。そしたら、なんと、ちゃんとしたサーブが飛んでいった。
もちろん、全部じゃないし、サーブの打ち方は忘れたままだったけど。。。
結局、それが「極意」なのだろうか?
「同じ位置にトスを上げ、上げたトスに向かって、マシンのように、毎回、同じフォームで打て」と教わった。
入りたての頃、「結局、サーブはフォームで打つしかないんですよ」と、アドバイスしてくれたおじさんもいた。
「風と共に去りぬ」を読んだことある?
淑女として家の中に閉じ込められていた女たちが、南北戦争を生き延び、自分で生活費を稼ぎ出す、強い女になった。
メリウェザー婦人が、「女は、怖いものがなくなったらお終いよ」と言った、その言葉をときどき思い出す。
怖いもの知らずの私。テニスの試合で上がるところだけが、唯一の弱点なのに、それを克服したら、かわいいところが一切なくなっちゃうなあ。
そしたら、女として終わりかもな。
それでなくても、いろんな人に、「みづさんは男だよね」と言われているのである。 |
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