8/18(木) |
「死体のポーズ」と女性のサーブ |
車に乗り込んだとき、助手席に折れて散らばっているお線香のかけらが目に入った。
新潟に行ったとき、あんずが「お墓参り用のグッズだよ」と、一式を小さなバッグに入れて、持っていってくれたのだ。
「かわいい!」「楽しかった~」と、ふいに感情がやって来た。
忙しくて疲れ果てて、何かを感じる余裕がなかったんだけど、あんずとの旅はほんとうに楽しくて、すっかり気分転換ができた。
このところサーブが安定している。ほとんどフォルトをしなくなった。
自分でも不思議なのだが、イップス=サーブ恐怖症は、ほんとうに治っちゃったみたい。
それだけじゃなく、また新しい発見をしちゃった!
シングルスの試合中に、「4本指を意識してグリップを握ると安定する」ことに気づいたんだけど、なんとそれには理論的な裏づけがあったのである。
他の人とゲームをしている私を見ていたCさんに、「ラケットダウンのときの手が変だ」と指摘された。
「手刀から振り上げていけ」とフォームを直されたのだが、ゲーム中にまたサーブが不安定になった。
やっぱり、「4本指」を意識しないとだめなのである。
それで思い出したのが、治療のときのことである。
うちの鍼灸治療は、ベッドに仰向けに寝た状態ではじめる。
陰経を中心に経絡の調整をしたいので、手の平を上に向けて寝そべってもらう。ヨガでは「死体のポーズ」と呼ばれているそうだ。
女性はあたりまえにできるのだが、男性には難しいらしいのだ。
とくに、筋力のある男性は、すぐに手がひっくり返ってしまう。
親指と人差し指の甲側、ツボで言えば「合谷」が上になってしまう。
女性にとって「死体のポーズ」がたやすいのは、肘の構造が外反肘ぎみになっているからだ。
肘から先が外に広げやすいので、スライスをすぐに覚える。
男性は、肘が内側に向きやすいので、ドライブやスピンが自然に打てる。
男性で筋力の強いCさんにとって、手刀(空手チョップ)でラケットを振り上げていけば、自然に前腕が内側に向いていく。
うつ伏せでボールにインパクトし、そこから更にプロネーションをかけるのは、男にとっては自然な動きである。
さんざん苦労した「手首が裏返る」という私の欠点は、女性としての腕の構造からきていたのだ。
空手チョップでラケットを振り上げていくと、途中で面が外にひらいていき、手の平が空を向いてしまう。
「グリップに当たる4本指を意識する」というのは、「面をうつ伏せにする」という意味だったのだ。
はじめからうつ伏せにして振り上げていくと、うつ伏せのままインパクトができる。プロネーションも簡単にかけられる。
私の思いつきは、身体構造学的に理にかなっていたのである。
Cさんとも話し合った。
治療のとき「死体のポーズ」ができない彼は、すぐに納得してくれた。
彼のサーブは錦織そっくりのフォームで、とてもきれいである。
私にも「自分と同じフォーム」を教え込もうとしていたのだけど、どうしても安定しなかった。
(ちなみに、他の女性には、面をオープンにしたまま、ボールの下方からかけるスライスを教えていた・・・)
フォームに理論的裏づけができると、迷ったときの道しるべになる。
ゲーム中に自分で修正ができる!
「スライスサーブは3年かかる」と言われていると聞いたことがあるが、ほんとうに丸3年かかった。
はじめに教わったのは、「フラット」に当てること。半年後に、「じゃあ、次はスライスで」と教わってから、ちょうど3年なのである。
直されては練習し、また直されては練習し、ついにどん底に陥った。
Cさんもお手上げ状態になって、半ばあきらめム-ドだったが、私と同じ、あきらめの悪いやつなのである。
ぐちゃぐちゃをくり返しながらも、えんえんとサーブ練習をつづけたおかげで、そうとうな筋力がついた。
練習は筋トレも兼ねていたんだもの。
しかも、いつのまにかトスが安定していたという、プラスの副作用もあった。
前を知っている人たちは、「サーブ、入るようになったね」と、喜んでくれるというよりも、ホッとしている感じ。そうとう心配してくれていたんだね。
あきれていた人も多かったけど・・・(笑)
前を知らない(?)人の中には、ゲーム中に、「ファーストを入れろ」とか、「グリップを厚くしろ」とか、「フラットで打て」とか、あれこれアドバイスをしてくれる人もいる。
でも、「サーブに関するアドバイスは、一切受けつけないからね」と、きっぱり言うことにしている。
もう混乱するのはごめんだし、まだリハビリ中だから、誰にも何も言われたくない。
大幅なブレがなくなったとはいえ、まだ完全とはいえない。それがゲーム中には、逆に功を奏したりする。
回転がかかりすぎて、失速してポトンと落ちて曲がったり。回転不足で、フラット気味の深いサーブが入ったり。
「読めない」ので、相手は翻弄されるのだが、自分にも「読めない」ところが笑えるね~。
10本に1本ぐらい、ラケットが外から出て、腕が伸びきったところでインパクトになる「お気に入り」のサーブがあった。
これでいいのかな?と不安だったけど・・・
Cさんに見てもらったら、OKが出た。
彼の教えは基本中の基本である。迷ったときに、立ち返る基本があることは、ほんとうにすばらしいことである。
お気に入りのサーブは、スピードも威力もある。
フォームを安定させることができたら、コースや回転を自在に変えて、相手に「読めない」サーブを、「意図的」に打てるようになるかも・・・
そうなったら、すごいね~~!
下克上はまだまだつづく。 |
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8/9(火) |
瀬波温泉のはずれのビーチで |
早めの夏休みは新潟に行ってきた。
実家の世話をしてくれているご近所さんへのご挨拶+父の墓参り+海水浴と、恒例のコラボである。
いつものホテルは火事のため改装中なので、今回は瀬波温泉ビューホテルに2泊した。
ビーチは目の前だが、瀬波温泉の中心よりかなり離れたところにポツンと建っている。
海水浴をしているのは3組ほどで、放送もなければ、監視員もいない。 |
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中央に見える建物があるあたりが瀬波温泉の中心部。
ほらね、遠いでしょう~。
炎天下のテニスで直射日光には慣れているはずのに・・・
村上の日差しは強烈で、素肌にピリピリと突き刺ささった。
(スモッグのせいで、東京の日差しは弱いらしい)
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湿度が低いので、日陰に入るとすっと涼しい。
ホテルで借りたビーチパラソルの下で、くつろいでいるのは私である。
メガネやサングラスをかけてテニスをしているので、目のまわりがほんのり白く、逆パンダになっている。
顔全体をきれいに焼こうと思って、メガネなしでビーチに出たのであった。
バックに見えるのが宿泊先のホテルである。 |
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人がいないので、温泉街のそばよりも、海は澄んでとてもきれいだった。
今回はあんずと2人だったから泳げたけど、1人だったら、監視員のいない海で泳ぐのは怖かったと思う。
あんずが持ってきた大きな浮き輪があったので、久しぶりにテトラポットに上ってみたんだよ~ |
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「海に行く」というと、みなさんビックリするのだが、がんがん泳ぐわけじゃない。夏の日本海は波がないので、プカプカ浮かんで楽しむだけである。
ちょっと泳いでは、砂浜に寝そべって、また泳いでは寝そべる。
海からあがって、そのまま温泉に直行。
豪華な夕食を食べながら、冷たいビールで乾杯!最高である。
宴会場の窓からも日本海が見える。
残念ながら、夕日は雲のむこうに沈んでいったけど、美しい夕暮れだったよ~~ |
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8/2(火) |
美味しいものを食べたい私、そして母も・・ |
胃腸の調子をよくするためにあれこれ考えた。
気温と湿度が高いこの時期は、細菌の繁殖力が旺盛になる。
糠床の乳酸菌も発酵がさかんになる。食品を常温におくと、内部のいろいろな菌が活発になる=腐りやすくなる。
お腹の中には多種多様の菌が住んでいて、消化を助けたりしてくれるのだが、バランスが崩れると、大腸菌などの悪玉(=病原菌)が大繁殖してしまう。
この時期は「冷え」にも要注意である。
エアコンのせいで外側から、冷たい飲食物で内側から、身体が冷やされる時期でもある。
お腹が冷えると、腸内環境を維持するのが難しくなる。
冷たいビールも飲みたいし、たまには飲み会にも参加したいし、夜中のディナーもやめられない。
自分の胃腸を守るために、何をしたらいいだろう?
とりあえず、自分で作ったもの以外は食べないことにした。
お腹の調子がいまいちだと、食欲がなくなる。料理をつくろうという発想が貧困になる。
何も持たずに出かけちゃうと、途中でお腹がすき、出来合いのものを買い食いすることになったりする。
前回の腹痛は、数日前から調子がダウンしていた状態で食べた、コンビニの春巻きが引き金だった。
一口かじって『うっ、油がヤバイ・・・』と思ったのに、もったいないからと全部食べてしまったのである。
買い食いは、油が悪かったり、添加物が多かったりでリスクが高い。
家で作ったものは、たいていが粗食だけど、胃腸にはやさしい。
食べ物はすべて家から持って出かけるようにした。
ついでに、毎朝、お腹にお灸をすることにした。カマヤミニである。
私の場合、おへその下辺りに「魔物」の巣ができやすい気がする。
グーッと指で押すと、奥のほうにかすかに硬いものがある。
調子を崩すと、巣の中で菌が繁殖し、だんだん塊が大きくなっていく。
壊してしまったら、お腹全体にたくさんお灸をしなくちゃならないけど、悪くないときにやっておけば簡単である。
結果は良好で、1日で落とした1キロを、あっという間に取り戻せた。
胃腸の弱い人間にとっては、食事の管理は重大問題だ。
美味しいものを美味しく食べるために、あれこれの工夫がいるのだ。
母が向精神薬のせいで植物人間寸前になってから、丸6年になる。
脳の活性化のために、いちばん役に立ったのが「食べ物」だった。
眠ったままで反応がないときでも、好きな食べ物を見ると、目を開けてむっくりと起き上がり、喜んで食べることがあった。
美味しい料理は、母の命の綱だったのだ。
母が入所している特養、「ちょうふの里」は、食べ物が美味しいと評判のところでもある。
この2年半、おかずは「粗刻み」でお願いしてきた。
「噛む練習をしなくなったら、お寿司を食べれなくなってしまう」というのが大義名分である。
ところが、先週、「刻み」に変えさせて欲しいと言ってきた。
歯が次々に抜けているし、食べられないときが増えているので、栄養摂取が難しくなったからという理由である。
母に食べさせるのがどんなに大変かを知っているので、とりあえず、受け入れるしかない。
「いつでも戻せますから」と言うので、様子をみることになった。
数日後、たまたま母の夕食の介助をした。こっそり味見をしたら、あまりにもまずいことに驚いた。
「粗刻み」は、普通に作ったものを細かく刻んだだけなのだが、「刻み」は別物だった。
水で薄めてミキサーにかけたみたいで、味も香りもほとんどない。
母は、それぞれを1さじ食べ、それっきり口を開けなくなった。
唇をすぼめて、思いっきり堅くしめるので、スプーンをさしこむのも不可能になった。
職員さんに言うと、「あとはお任せください」と自信たっぷりの返答だったけど、絶対に食べないなと思った。
(その通りだったらしい)
母はお料理が上手だったし、美味しいものしか食べない人間だ。
アルツっぽいおばあさんたちが、「刻み」でも文句を言わず、嬉しそうに食べているのを見ているが、母は違う。
マネキン人形のように寝たっきりで、自分から動くこともないから、お腹もすかないんだろう。
不味いものを食べて我慢して生き延びるよりは、死んだほうがマシなのだ。
胃漏をして植物人間にすることはしない。「食べれなくなったら死んでもらう」つもりである。
何も食べなくなって、あっという間に死んでしまうかもしれない。
・・・そう思ったら、眠れないほど心配になった。
私の治療をしてくれるSさんは特養の職員である。「ご家族の要望が一番重視される」と常々聞いていた。
相談したら、「お母さんは美味しいものを知っているから、美味しいものしか食べないのよ。職員はそれに気づいてないのよ」と言ってくれた。
刻み食にして1週間たったとき、ホームの人たちに話をした。
脳がショートしているときには食べれないけど、気合が入っているときには、何でも食べられる。それでいいと思います・・・
めったに口をきかないんだけど、食事が「美味しかった」といつも言っていたし、食べるのだけが唯一の楽しみなのだから・・・
職員さんもわかってくれて、とりあえず、また「粗刻み」に戻すことになった。
そのまま母のリハビリに行き、「歌、歌う?」と聞いたら、「歌わない」と答えた。しかたないから、食事を変えてもらった話をひとりでべらべらしゃべった。
母は妙に元気づいたみたいである。
「おばさんに電話する?声が聞きたい?」と聞いたら、「聞きたい」と答える。
まともな会話は久しぶりである。
ベッドの上でおば(母の妹)に電話をかけた。スピーカーにして、ときどき私が相槌をうつ。
おばはちょっとアルツなのだが、明るくてほがらかで、同じ話を2度3度くり返しながら、ほとんど1人でお喋りをしてくれた。
結局、思ったより、母の頭はレベルダウンしていなかったみたいである。
私が行っても、ほとんど無反応。喜ぶわけでもなく、話すわけでもないので、「こいつ、私のこと分かっているのかな?」と疑問に思っていた。
間が持たないので、歌いながらリハビリをして、さっさと帰ってきてしまっていた。
でも、分かっていたのである。
まずい食べ物に辟易していたが、お世話になっている立場だから、自分からは何も要求できない。口をすぼめて食事を拒否するしかなかった。
私の話を聞いて、ものすごく喜んで、心が活気づいたのだと思う。
「美味しい食べ物」効果はすばらしいね!
日曜日、ポプラと私の都合が合ったので、母を回転寿司に連れて行った。
運よく母の調子が良いときだったので、好きなお寿司をたくさん食べられた。ちゃんと噛めたし、飲み込めた。
ホームの職員さんたちに、食べさせるのに手間のかかる「粗刻み」をお願いしている手前、月に1回の回転寿司通いは、なんとしてもがんばらなくちゃ。
身体機能があきらかに低下しているとはいえ、もうしばらく「母はまあまあ」と報告できそうである。 |
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7/24(日) |
[映]オリバー・ストーンが語る もうひとつの アメリカ史 |
「オリバー・ストーンが語る、もうひとつのアメリカ史」は、全10巻の長い長いドキュメンタリー映画で、オリバー・ストーンが監督とナレーションをつとめ、ピーター・カズニックが脚本を担当したそうだ。
ケーブルテレビのヒストリーチャンネルで、たまたま見つけた秀作である。
(ここでの題名は「合衆国大統領の歴史」になっていた)
第二次大戦中のルーズベルトからはじまって現在のオバマまで、歴代の大統領を軸に、さまざまの事実があきらかにされていく。
さすがは映画監督で、その当時の世界各国の映像がみごとに織り込まれ、衝撃的で見ごたえのある内容になっている。
まず感じたのは、オリバー・ストーンの「アメリカに対する愛」である。
徹底的に史実を掘り起こし、大統領を中心とする政治家や側近、企業の悪行を、これでもか!これでもか!と並べ立てている。
国民に「事実を知って、目覚めて欲しい」、「より良い選択をして欲しい」という必死の愛情からやっているんだな・・・ということをひしひしと感じた。
第二次大戦での死者の数は、全世界で6000万人を越えたらしい。
その内訳は、ロシア人=2700万人、中国人=1000万~2000万人、ユダヤ人=600万人、ドイツ人=550万人、非ユダヤ系ポーランド人=300万人、日本人=250万人、ユーゴスラビア人=150万人。
その他、オーストラリア、イギリス、フランス、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、アメリカの犠牲者が、それぞれ25万~33万人とのこと。
それぞれの国の人口を考え、犠牲者のほとんどが民間人であることを考えると、戦争によるダメージのすごさがよくわかる。
人命だけでなく、国土も建物も、あらゆるものが徹底的に破壊された。
両親や祖父母などを通して、戦争の悲惨さのイメージを受け継いでいる世代にとって、「もう2度と戦争はごめんである」という思いは強い。
ヨーロッパの国々が、戦争を回避しようと一生懸命になってきた理由がわかる。
アメリカだけは自国が戦場にならなかった。ずっと「勝利」してきたのだ。
軍需産業が儲かったおかげで、豊かな生活を享受してきた。
「アメリカは世界の警察」であり、「良心」であり、「守護者」であり、「正義を行える唯一の国」であるという幻想を持ってきた。
その国民の幻想を、この映画は、次から次へと打ち砕く。
とても公平なのである。
事実と数字を並べて、当時の映像、映画の中のシーンを利用して、どの国のこともひたすら公平に、ありのままを描こうとしている。
第3巻のテーマは「原爆投下」だ。当時の日本人の映像がたくさん出てくる。
普通の暮らしをしていた普通の人々が、原爆や焼夷弾、絨毯爆撃で殺されたり、収容所に入れられたりした。
さすがに、日本の昔の映像を見ると、特別な感情が動く・・・
大戦終了後も、なんとしても戦争をつづけたいと暴走するアメリカ合衆国。
軍部の陰謀、CIAの暗躍にはすさまじいものがあった。
スペイン語を勉強していた頃、中南米の情勢にもかなりの関心を持っていた。
あの頃のアメリカが中南米を「裏庭」と呼び、チリやエルサルバドル、ニカラグアなど、あらゆる国々で行った殺戮や陰謀、傍若無人な人権侵害の数々をまざまざと思い出した。
ベトナムもあったし、イランやイラクのこともあった・・・
他国の人々を虐殺したばかりでなく、自国の人々、キング牧師やマルコムXら多くの人権運動家たち、おまけに大統領まで暗殺したのだ。
そんな国と日米同盟を結んでいる日本だが、盲目的に信じて追従するのは、とても危険なことなんだなと、恐ろしくなった。
合衆国が大嫌いになった。
だけど、こんな映画を作って、配信もできる国でもある。
トランプ氏を大歓声で持ち上げる人々もいるが、はっきりと反対を表明する人々がいる。
多数決のシステムは怖いね。
「半々」でも、51対49だったら、僅差で権力を握ったほうが、すべての決定権を持ってしまう。
政治戦略に長けた強欲な人々が、知性と人間愛を持ち、良心に基づいて行動しようとする人々を選挙で負かして、国の実権を握ってしまうかもしれない。
大きな世界の中の、たった1人の小さな人間・・・自分に何ができるだろう?
スペイン語を勉強していた頃、消費者運動からはじまって、反原発運動にもかかわった。
当時、原発の数は33基だったけど、どうしても止められず、周囲の人々には奇人・変人のように見られた。
疲れ果てた私は、小さな世界で自分にできることをやりつづけようと決めた。
仕事で人助けをすること、周囲の人を幸せにすることをモットーに、自分の生活や楽しみとのバランスを取りながら生き延びているけど・・・
ときどき、こういう映画を見ると、抑圧してきた焦燥感を思い出すのである。 |
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7/15(金) |
シングルスでリーグ2位になった |
5連チャンでテニスをしちゃった。
気になるところに日替わりで予防のテーピングをしながらだけど、どこも故障なし。
ギラギラの太陽にも、ベトベトの湿気にも、小雨にも負けず、5日間全力で打って走って楽しんだ。
中日(3日目)はシングルスの試合だった。
いつもの京王のラウンドロビンで、今年は、1月、3月につづいて、4ヶ月ぶり、3回目の出場である。
私は4人ブロックで、リーグ戦を3回やることになった。
1戦目と2戦目の相手は、「素人」だった。。。
なあ~んちゃって、私もどうやら、クラブでもまれているうちに、「玄人」の仲間入りをしたみたい。(笑)
前日、サーブの調子が狂ったところでおわったので、はじめのうち苦労したけど、試合をしながら、だんだん安定していった。
グリップをギュッと握らないで、はさむようにしてラケットを振り上げていくのだけど、親指側でなく、4本指の根元を意識すると、手首がひっくり返らないことを発見したのは、数日前のことである。
そして試合中に、ついに極意をつかんだ(・・・と思う)。
ラケットを振り上げてすぐに、親指と4本指の位置を「入れかえる」ようにすると、ボールがコートに落ちてくれることを発見したのである。
もしかしたら、それがプロネーションの秘訣かな?
1戦目の相手は若くて背が高くて、いかにも上手そうだったけど、はじめてすぐに素人と気づいた。
いいボールも打つけど、ミスが多い。
あっという間に5-2になり、そこで急に不安に襲われ、自分のミスで2ゲーム取られたけど、なんとか持ち直して6-4で勝った。
(勝ちビビリ、というらしい)
2戦目は前回負けた相手。今回は、素人に負けるわけにはいかない。
サーブが短くてポッコンなので、先週開眼したばかりのスライスを使った。
ポイントが欲しいところで、ドロップショット。面白いように決まる。
へたにラリーに持ち込むと、それなりに返ってくるので、面倒なことになる。暑いし、早く終らせたかった。
ドロップショットを連発して、6-1で勝った。
実は前日に、練習を買ってでてくれたおじさんに、「明日シングルスなの」と言ったら、「勝ちパターンをいくつか持ってるといいよ。甘いボールが来たら、ドロップショットを打ちなさい」と言われ、さんざん練習したばかりなのである。
3戦目は毎回出ているすごい上手な人。横目で見てても、たいてい6-0で勝っていたし、前回対戦したときは、手も足も出なかった。
いつも同じ(ちょっとコンパクトな)フォームで、決めるときにはきっちり決めてくるし、何でもできるし、ミスをしない。
学生時代からやってるっぽい。
「格下に負けるわけには行かない」と思うと緊張するのだけど、負けて当たり前だからと、気楽に試合にのぞめた。
結果は1-6だったけど、今回は1本も抜かれなかった。
次はセンターに、次はクロスにと、考えて打ち分けられたし、何度もジュースになった。
相手もだんだん顔色が変わって、私のことを『イヤな相手だな』思っているのが伝わってきて、ミスもしてくれるようになった。
ネットをはさんでの攻防のとき、相手のボールに左手が出た。
2回とも当たりそこないで返せなかったけど、ものすご~くイヤな顔をしてた。
ラケットに当たっただけでもけっこうショックだったのかなあ?
そのときは?だったけど、その表情を思い出すと、なんだか笑ってしまう。
(次は勝てるかも・・・なあ~んて思っちゃったりして・・・)
ポイントを失ったのは、ほとんど私の決めるボールのミスだった。
決めるボールのミスは、ダブルスでも課題である。
チャンスボールが来ると、緊張しちゃって、慌てて打って失敗する。それをなんとかしなくちゃな。。。
結果ははじめてのリーグ戦2位である。景品をもらった。バンザ~イ!
普段ほとんどシングルスの練習はやらないのだけど、4ヶ月前とは別人になってた。
しかも、この1・2週間でゲットしたスキルが、いくつもあったんだもの。
格下にきっちり勝って、格上をあせらせたなんて、すごい進歩である。
最近気づいたのが、「上手い」と「強い」は違うってこと。
勝つ人は根性が違うんだよね。勝ちたいという気持ちのレベルが半端じゃない。
「みんなで楽しく」がモットーの私だけど、試合に出るたびに、精神的にも技術的にも、「強く」なっていってる気がする。
クラブ内のゲームでは、ポッコンサーブをバシッと打ち込んだり、走れない人にドロップショットを打ったりするのは、どうしても気が引ける。
でも、「試合」と思うと、相手の嫌がることを平然とやれる。心に潜む邪心を解放できる。
ストレス解消になるかもね~。
2時から仕事が入っていたので、2位トーナメントは辞退した。
あまり気張らずに、ひとつのルーティーンにして、気楽にシングルスをやろうと決めたのである。
仕事の時間に合わせて帰る。腰痛とかの不安が出たら、すぐに棄権。。。
気長にやろうと思うんだ~。 |
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