11/5(日) |
トスを上げる足 |
先週になってやっと太陽が顔を出すようになった。
ちょくちょくテニスに行けるようになったんだけど、山積みの課題に苦労している。
まず、サーブ。
練習する時間がなかったので、ゲームのときは「入れとけ」サーブでなんとかしのいできた。
でも、あまりに威力がなさすぎる。
たまに80番を打ってみるんだけど、不安定でぜんぜん打てない。
まず、トスが乱れに乱れて、「やっぱりダメ」と即、あきらめることになる。
70番だとトスがなんなく上がるのに、80番だとトスが乱れる・・・
根本的なところで間違いがあるんじゃないかと、プロの試合を見ながら考えに考えた。
雨の間にイメージトレーニングをしたのである。
私は筋力がないので、トスを上げられるようになるまでが一苦労だった。
(おばさんみんなに当てはまるみたいだけど)
スクールの初級の頃、膝の屈伸を利用してトスを上げていたら、あるコーチに、「トスで膝を使うと、打つときに膝を使えなくなる」と指摘された。
膝を伸ばしたままトスを上げつづけ、何年もかかったけど、いつのまにか安定するようになった。
トスには何の問題もないと思っていたけど・・・
トスを上げるときの「足」に問題があるのかもしれない?
「入れとけ」サーブは、下半身を忘れて打つ。
フォームをあれこれ考えはじめると、入らなくなってしまうからである。
「入れとけ」を打っているときの、自分の「足」に注目してみた。
右足重心でトスを上げたほうが、サーブが安定するみたいである。
そのままで80番を打つと、右足でトスを上げてから、左足(軸足)に体重移動して、それからラケットを振り上げていくことになる。
軸の移動が、フォームが不安定になる原因なのではないだろうか?
「80番サーブ」への変更点は、「左足に右足を寄せて打つ」なので、軸足になる左足重心でトスを上げる必要があるかもしれない。
左腕と左足は、地面に対して垂直なので、腕力だけでトスを上げなくちゃならない。
でも、下から上への体重移動で、身体のバネを使って、威力あるサーブを打つことができる。
「70番」のように、右足でトスを上げれば、左腕と右足は対角にあるので、身体の力を加えられる。非力でも大丈夫。
後ろから前への体重移動なので、上半身だけで打つことになる。
威力は落ちるが、工夫を重ねてサーブを安定させることは可能である。
せっかくトスが安定したんだから、このままでいこうかな・・・?
左足でトスを上げられるようになるまで、最初からやり直そうかな・・・?
迷いどころである。
とりあえず、左足に乗ってトスを上げる練習をしてみよう。
やれるだけやって、どうしても無理とあきらめがついたら、まあまあのサーブをモノにしよう・・・
昨日、午後の空き時間にテニスクラブに行った。
コートがひとつ空いていたので、ボール籠を持って、サーブ練習をはじめた。
トスがうまく上げられずに苦心していたら、おじさんが、「リターンに入っていいですか?」と声をかけてきた。
打てるかどうかもわからないのに、リターンに入られるのはプレッシャーである。
相手の練習にならないと悪いもの。
でもそのおじさん(Kさん)はとっても優しくて、しかもほめ上手だった。
「ナイスサーブ!」とか、「やられた!」とか、「ジャストだったけど、いいサーブでしたよ」とか、一球一球声をかけてくれる。
そのおかげか、だんだんマシになっていく?
30分ぐらいやったあとでお喋りをした。
「確率50%ですね」とニコニコ。
「いいサーブのときは、軸が安定していて、身体が横向きで打てている。悪いときは、ふらふらしていたり、身体の開きが早すぎて正面を向いてしまっている。
フォームを見ただけで、あ、いいサーブが来るな!とわかるんですよ」と、Kさんが教えてくれた。
トスを上げる足の話をしたら、実演しながら「なるほど」と、左足でトスを上げ、左足で打っている自分にあらためて気がついたらしい。
男性は筋力があるから、自然にやれてるみたいである。
ちょうど目の前でカップルがサーブ練習をはじめた。
やっぱり女性のほうは右足でトスを上げていた。上手な人だけど、サーブに威力はない。
「途中で言ってくれればよかったのに~」などと言って、「いいアドバイスしてもらったから、もうちょっとやりたいな」と、おねだりをした。
そのまま別のコートに移動して、またえんえんとサーブ練習にお付き合いをしてもらった。
途中から、左足を半歩踏み込んで、左足への体重移動をしながらトスを上げるようにしてみた。
あれあれ、なんだか上手く行ってるぞ。
終わったあと、Kさんが「どんどん確率が上がっていきましたね。いいサーブが連続して、すごいですね!」と、ニコニコ笑顔で言ってくれた。
「でも、ゲームになると怖くて、きっと打てないと思います」と言ったら、「大丈夫。ゲームでも打つようにしなくちゃ。できるようになりますよ」と励ましてくれた。
そのあと、女ダブに入れてもらった。
80番だけを打つことに決めた。
「入れとけ」も80番でがんばる。トスの足を変えるのはまずい。だったらアンダーにするほうがマシと思った。
サーブの出来はまあまあ。結果も6-3で勝利。
Kさんのおかげである。
数回しかゲームをしたことがないんだけど、親切に声をかけてくれたんだよ。
Kさんの奥さんは全日本に出ている有名人。
もしかしたら、あの優しい笑顔と励ましが「内助の功」になってたりして・・・?(笑)
1時間以上もサーブ練習をしたので、今日は左肩が筋肉痛である。腰もかなり疲れている。
でも、なんだか先が見えてきたみたいで、心地よい疲労である。
テニスはやっぱり楽しいね~ |
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10/25(水) |
[映]コロニア |
身体が治って、さあテニスを・・・、と思いきや、毎日雨である。
3ヶ月も「半」引きこもり状態がつづいて、映画をたくさん観ちゃった。
「コロニア」は、1973年に独裁政権下のチリで起こった実話をもとにつくられた映画で、監督はドイツ人のフロリアン・ガレンベルガーである。
1973年、南米のチリでは、世界ではじめて、自由選挙による社会主義政権が誕生した。
民衆の圧倒的な支持を得て、サルバド-ル・アジェンデが大統領に就任したのである。
中南米を「裏庭」とよぶアメリカ合衆国は、「ドミノ理論(=一国でも共産化すれば、他の国々に波及していく)」を唱えていて、アジェンデ大統領を追い落とすために、チリの軍部に大量の資金と武器の援助をした。
< このへんのことは、2016/7/24のブログで紹介したオリバー・ストーン監督の「もうひとつのアメリカ史」を観ると理解が進むよ~>
ピノチェットひいきる軍隊がクーデターを起こし、アジェンデ大統領は宮殿で自殺。
軍部は反対勢力を駆逐するために、あらゆる手段で民衆を弾圧した。
拉致、誘拐、拷問、殺人が日常茶飯で行われた。
行方不明の息子や夫の写真を胸に、黙々とデモ行進をする女性たちの姿は世界的に有名だったが、軍部の暴走を誰も止められなかった。
1990年にピノチェットが大統領を辞任するまで、悪名高い圧政が国民を苦しめた。
・・・という歴史的事実を踏まえて・・・
題名の「コロニア」は、「コロニア・ディグニダ」
=colonia dignidad (栄光のコロニー)のことで、表向きは宗教の慈善団体だが、実態は元ナチス党員のパウル・シェーファー(ミカエル・ニクビスト)ひきいるカルト教団である。
「教皇」シェーファーは、秘密警察とつながって、軍部に協力をしていた。
拷問だけじゃなく、武器や弾薬、サリンなどを作って、軍に供給していたのだ。
主演女優は、「ハリー・ポッター」シリーズでハーマイオニー役をしたエマ・ワトソンである。
大人になった彼女を見たいと思って録画をしてあった。
チリの首都サンティアゴに到着したドイツ人の客室乗務員レナ(エマ・ワトソン)は、仲間とわかれて、同じくドイツ人の恋人に会いにいった。
ジャーナリストで写真家のダニエル(ダニエル・ブリュール)は、アジェンデ大統領の応援をして、ポスターや宣伝ビラのデザインなどを手がけていた。
はじめ、エマ・ワトソンには誰かの恋人役は似合わないな・・・などと思いながら見ていたけど、状況は突然、暗転する。
1973年のまさにその日に、2人はチリにいたのである。
クーデターに成功したあと、街に軍隊がやってきた。
アジェンデ派を一掃しようと、一軒一軒しらみつぶしに捜索した。
家から追い出された人々が道路に並べられ、銃を向けられ、次々に暴行を受けていた。
アパートから逃げ出したダニエルは、カメラマン根性が捨てきれない。路上の様子を写真に撮りはじめた。
軍隊に見つかってカメラを取り上げられ暴行される。かばおうとしたレナも殴られた。
2人は軍隊に連行され、他の連中と共に国立スタジアムに集められた。
覆面をした男がやってきて、ひとりひとりの顔をのぞき込み、「こいつは大統領の運転手」とか言いながら、アジェンデに協力した人間を選別していく。
ダニエルも見つけられ、白いバンに乗せられ、連れ去られてしまう。
必死でダニエルを探すレナだけど、誰も手伝ってくれない。自分の身を守るだけで精一杯だったのだ。
アムネスティに相談に行くと、「盗聴されているから」と用心したうえで、コロニアのことを教えてくれた。
「脱出したものはいない」というコロニアに、エマはダニエルを探しに行くことにした。
質素な服に身を包み、「神を求めて」と偽って、コロニアの門を叩いた。
そこから先は、さすが、悪の魔法使いたちと戦ったハーマイオニーである。
悪魔の化身のような独裁者シェーファー。彼の冷酷な目に射すくめられながら、過酷な重労働に耐え、強制収容所のような暮らしに耐え、ダニエルを見つける手がかりを探す。
コロニアでは、男、女、子どもはそれぞれ別々に暮らす。会えるのは数年に1回の混合行進のときだけなのだ。
シェ-ファーは「神」の名の下に、暴力と恐怖で人々を服従させ、思いのままに操っている。
そのやり口はほんとうにおぞましい。
そのうえ彼は小児性愛者で、いたいけな少年たちをレイプしていた。
コロニアの地下には秘密通路が張り巡らされていた。
拷問室に数百人が送り込まれて、電気ショックなどの拷問の末、ほとんどが殺された。
広大な敷地は高圧電流の通った有刺鉄線で囲まれ、入ったものは二度と出られない。
脱走に成功したのは、40年間でたったの5名だった。
どうやったら逃げ出せるのだろう?
心臓ドキドキ、手に汗握って、最後までスリリングな展開に、画面から目が離せなかった。
外敵に備えて軍備を拡張すると、いつかその銃が国民に向けられる日が来るかもしれない・・・?
そんな危惧も沸いてくる。
歴史から学べるものは多いよ~~ |
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10/15(日) |
練習はOK、でもゲーム勘がない・・・ |
月曜日、テニスクラブで壁打ちをしていたら、となりで打っていた男性に「空きコートで打ちましょうか?」と声をかけられた。
私のシングルスへの道を開いてくれた人である。
何年も前、クラブハウスのあとの二次会のカラオケスナックで、隣同士でお喋りをしたときのこと。
「最近になってシングルスをはじめて、なかなか勝てずにいたんですよ。
この間やっと1回戦を突破して、みなさんに『ついに2回戦ボーイになったね』なんてからかわれちゃいましてね」
と、ニコニコ嬉しそうである。
「私もシングルスに興味があるんだけど、この年で今からじゃ無理ですよね~」と言ったら、
「そんなことはないですよ。私は63歳からはじめたんですけど、まだまだ頑張るつもりです。みづさんもこれからですよ。ぜひ挑戦してください」
と励ましてくれたのである。
なるほど・・・と希望を持って、でも、亀の歩みのようにちょっとずつノロノロと取り組んできた。
初心者なのに、この年でシングルスなんて恥ずかしいと、人目が気になった。
隠れてこそこそ(たまに)練習し、こそこそラウンドロビンに出場。
でも、ラウンドロビンは京王テニスクラブのコートで行われるので、どうしても誰かの目に触れる。
「あ、見てる!」と気づくと、『下手なくせに』とバカにされそうで、緊張しまくってしまう。
雑念に邪魔されて試合に集中できなくなってしまう。
だんだんに人に知られることに慣れていった。
みなさん生粋のテニスきちがいだから、誰も私をバカにしたりしない、ということに気づいていった。
「シングルスに出てましたね」と優しく声をかけてもらい、温かい目で励ましてもらっているうちに、やっとこの頃、自分から「シングルス教えてください」とお願いできるようになった。
まず、自分の中で「心の壁」を突破するのが大変なのである。
次に突破しなければならないのは「ゼロの壁」だそうだ。
試合で1ゲーム取ることが難しい。0-6で負けつづける日々がつづくのだそうだ。
次が「1回戦の壁」だそうで、まだまだ道のりは遠いね~~(笑)
その男性には、以前もときどき練習してもらったことがある。
久しぶりにやってもらったら、数ヶ月でレベルアップしている自分を発見した。
ラリーをしても、ぜんぜん打ち負けない。サーブレシーブも、ほぼ思い通りにコントロールできている。
球出し練習もやってくれた。
短いボールをクロスに打ち込み、前に出て反対側にボレーで決めるパターンだけど、ほぼノーミスである。
シングルスの練習は、あれ、意外に完璧みたい?
水曜日のDさんの練習会はダブルスなのだが、あれあれ、私ってものすごく上手い?
ボレー&ストローク練習で、どっちもコントロール能力が増していた。
ところが、ところが・・・
木曜日、おじさん3人に混じってダブルスをやったとき、あれあれ?当たりそこないは連発するし、空振りまでする始末。
あせればあせるほど、どんどん下手になっていった。
これでは1年落ちのレベルである。
3セット終ったところで、あんちょこを見ながら対策を考えた。
これはたぶん、ボールを目で追っていたせいではないだろうか。
ボールが飛んできてからあわてて走る。あわてて打って当たりそこなう。
昔の悪いクセが出た。
ボールを追わずに相手を見る。相手が構えたら、すぐに構えて次に備える・・・
そこに注意してゲームをしたら、だんだん自分のショットが打てるようになっていったけど、その日の戦績は1勝4敗だった。
勝敗よりも、自分のテニスの内容が悪かったことのほうがショックである。
ここに来たボールをそこに打つ・・・のは、練習を重ねてできるようになった。
パターン練習はほぼ問題なし。なんなくこなせるようになってきた。
でも、ゲーム中は、どこにどういうボールが来るかわからない。
どこに打つかも、その都度自分で考えて打たなくちゃならない。
この2ヶ月、まともにテニスができなかったので、ただでさえ貧困な「ゲーム勘」が、ますますレベルダウンしてしまったらしい。
これからは実践的な練習をやっていかなくちゃだめだなあ、と痛感したところである。
テニスの課題はまだまだ山積みである。
身体は軽い。走りは前より速い。腰も足も治ったし、体力も筋力もほぼ戻った。
課題に挑戦できる身体がつくれて、ほんとうによかった~~ |
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10/7(土) |
あれあれ、身体が軽いぞ~~ |
梨状筋を中心に、友人に徹底的にハリを打ってもらった。
もうそろそろ良さそうかな・・・と、月曜日にテニスクラブに行ってみた。
心の中は不安でいっぱい・・・
壁打ちを15分ぐらいやってから、コートの前でうろうろ。
おばさん3人のグループに運よく混ぜてもらえた。
病み上がりだから、できれば女性の中で・・・、と思っていたので、ちょうどいいタイミングだった。
とりあえず、動けるし、そこまで身体も重くない。でも、1セットで抜けて、休憩をさせてもらった。
リハビリ中だから、無理をするのは怖い。
つづけてやって、もし腰が重くなったらいやだもの。
しばらくベンチに坐っていたんだけど、坐っているのも腰に悪そう。また壁打ちに行く気力もないし、サーブ練習も腰に悪そう・・・
コートの空き待ちで20分ぐらい、うろうろ歩き回ったり、ストレッチをしたり、動きながら休んだあと、おばさんの中でもう1セットやった。
あれあれ?
やっているうちに、逆に身体がどんどんほぐれていく・・・
治りかけに運動をすると、こじらせる危険がある。
でも、動くことで血液が巡り、かえって良くなる場合もある。
どうやら、テニスが治癒を促進する時期に来たようである。
(とりあえず2勝した!)
翌朝、『あれ?身体が軽い?』と驚いた。
ティラのお散歩中も、空気に乗って歩くみたいに軽い。
仕事中もてきぱき素早く動けている。ずっと中腰でもぜんぜん平気だった。
すごい!ついに治った?
でも、2ヶ月もの間、どうしようもない痛みと重みに苦しんできたから、なんだか自信が持てない。
落胆につぐ落胆の毎日だったのだもの。
フォアの打ち方を忘れてしまったので、次の日Cさんにレッスンをしてもらった。
どうしても短くなってしまうし、遠くへ飛ばそうとするとアウトしてしまう。
右の内転筋を痛めたあと腰痛がつづいて、フォームが狂ってしまっていた。
1時間の予定だったけど、身体がぜんぜん重くならない。
ついでにシングルスの指導もしてもらい、4時間も教わってしまった。
どうかな・・・?
身体が重くなる気配はない。
右の太ももが筋肉痛になったけど、キ~ンと高音の筋肉痛で、かえって心地よいぐらいである。
昨日もCさんにボレーなど、ダブルスの特訓をしてもらい、そのあとゲームを2セットやった。
男3人に混じって、走りに走ってボールを追って、それでもぜんぜん重くならない。
(ここでもまた2勝した!)
やったね!ついにトンネルを抜けた。
今まで使われずに眠っていた「赤ちゃん」の筋肉たちが、使えるようになった。
筋力をつけるのはこれからである。
ストレッチをやりつづけたおかげで、骨盤内や股関節につながっている筋肉たちの可動域が広がった。
歩くとき、走るときの自分の動きに、新感覚の伸びやかさを感じている。
まだまだこの先も、上達を目指すテニスをやれそうである。(笑)
いい報告ができてよかった。みなさんもがんばってね~~ |
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9/29(金) |
なんとか試合に出られた |
波状攻撃のように襲ってくる不具合の連鎖にヘトヘトになっていた私。
先の見えない「激しい鈍痛」に、精神的にもかなり参っていた。
先週の休日、テニスを休んだだけじゃなく、一日動かずにいることにした。
あちこちにハリやお灸をしながら、テニスの試合や映画を見て、ごろごろ寝転がって過ごした。
立ったり、腰掛けたり、仕事したり、家事をしたりすると、腰に「圧」がかかって、そこら中が痛くなってしまう。
「圧」をかけずに様子を見る作戦にでたのである。
「圧」がかかると、連動して動く筋肉たちに負荷がかかる。
腰から腸骨筋から股関節から太ももまで、不具合が広がって、自分ではどこがメインなのか、皆目見当がつかなくなってしまう。
部位が増えると大仕事。手当たり次第に治療をするのは大変なんだもの。
「ゴロゴロ作戦」は大成功。
翌朝になったら、痛みがでん部の中心に限局されていた。
どうやらメインは梨状筋だったらしい。
仙骨から股関節につながっている左右の梨状筋が、カチンカチンにこり固まって、「分厚い本の背表紙」状の横棒になっていたのだ。
とりあえずカマヤミニをしてはみたけど、梨状筋は深い。長い中国鍼でなければ届かない。
自分で打つのは無理なので、友人にお願いして治療をしてもらった。
翌日にはかなりマシになって、日常動作にはほとんど問題がなくなった。
シングルスの試合まで1週間を切っている。年に1回の調布の市民大会だから、キャンセルするのはいやである。
それまでテニスは休むことにした。
ためしにやってみて、もし壊れたら、治す時間がない。ぶっつけ本番で試合に出ることにした。
試合でもしも壊れても、ゆっくり治す時間がある。
試合の雰囲気を味わうことも大切と思った。
24日日曜日、朝9時40分に多摩川の市民コートに着いた。
1回戦の相手は普通のおばさんで、ダブルスにはかなり慣れている模様。
久しぶりのテニスなので、ゆっくりラリーからはじめた。
センターあたりにボールを集めて、自分の調子をたしかめながら、徐々にペースを上げていった。
3-3までは競ったゲーム。そこから、あれこれ試しはじめた。
ストロークで押したら、ちょっと前に出て、短いボールをクロスに狙う。
高いボールはスマッシュを打つ。
短いボールのフラットドライブも打てるようになった。
パッシングショットも1本決めたし、スマッシュも決めれた。
決めるボールの確率は半々だったけど、去年よりは上達している。
去年の「半々」は、ボカ~ンと打ちそこなったりのミスだけど、今年はちゃんと打てている。
でも、シングルラインを割ってアウト。
ダブルスならインだけど・・・、というボールで、しょうがないね。シングルス練習をする時間がなかったんだから。
最後のほう、だんだん腰が重くなっていって、もし勝ち上がっても2回戦目は無理と思った。
結局、そのまま3-6で負けた。
今回の合言葉は「2割増し」である。
ゆるいボールを思いっきり打つと、力んでしまってかえって飛ばない。
相手ボールの2割増しぐらいの勢いをつけて打つと、それでも充分効果がある。
前の合言葉「サ、サ、サ~」は、今は、「フン、サッ、サ」に変えてある。
相手が打つ瞬間に「フン」と構えて(できれば、スプリットステップを踏んで)、ボールが落ちる瞬間に「サ」と数え、次の「サ」で打つ。
「サ、サ、サ」より、「サ、サ」のほうが、ライジングにも対処できるからね。
何でもないボールをミスしたりして、練習不足はあきらかだった。
でも、今回は出られただけで満足である。壊さずに終われたし・・・(笑)
11時前に試合が終ったので、そのままテニスクラブに行った。
そしたら、たまたま男子シングルスのクラブ内トーナメントをやっていた。
ちょうどいいタイミングだった。頭がシングルスモードだったから、男子の試合を見学して、シングルスの試合運びを学ぼうと思ったのだ。
ひとつひとつのショットはだいぶ打てるようになったけど、どうやって勝っていいかがわからない私。
ちょっとは勉強になった気がする?
腰が重いので自分のテニスはあきらめ、結局、ブロックの決勝まで観戦した。
「シングルス、好きだね~」などと声をかけられたりしたけど、4人いる複雑なダブルスより、ナダルで見慣れたシングルスのほうが理解がしやすいんだもの。
腰のほうはまだまだだけど・・・
風邪でもなんでも、病邪の勢いが強くて、どんどん悪くなっていくときは、ほんとうに辛い。
でも、病邪に勝ちはじめる瞬間がある。「峠を越える」瞬間だ。
どんどん悪くなっていくときと、ターニングポイントを越えたあとでは、同じ状態でも、受けるダメージがまったく違う。
明るい痛みになるんだよね。
ストレッチを1時間。自分で治療しながら、友人の助けも借りて、この苦境を乗り越えたい。
走れなくなったら・・・もうシングルスは無理だもんね。
リハビリ中なので、少しずつ練習量を増やして行こうと思う。 |
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