7/9(木) |
[映]シュガーマン 奇跡に愛された男 |
テニス開始から1ヶ月たって、やっと筋力が戻りはじめてきた。
足や腕はだんだん太くなってきているけど、まだジーパンがずり落ちる。腰まわりやでん部の筋肉が細くなっているからだと思う。
ずっとヒマだったから、仕事中の中腰が長くつづくと腰が痛む。テニスで鍛えてはいるものの、筋力が復活するまでは「痛み」とお友だち。
「使っては痛め、痛めては治療」をくり返して、筋力をアップするのである。
「シュガーマン」はマリク・ベンジェルールが監督したドキュメンタリー映画である。
メキシコ系アメリカ人、シンガーソングライターのシクスト・ロドリゲスは、1942年7月10日に生まれた。明日78歳になる。
16歳からギターを弾きはじめ、大学では哲学を専攻した。
自動車工場や建設現場で働きながら、酒場やパーティでギターを弾いて稼いでいた。
1970年、28歳のときに、ミシガン州のデトロイトで、有名アーティストを何人も世に送り込んだ大物プロデューサーたちにその才能を認められた。
2枚のアルバムを出したけど、ぜんぜん売れなかった。
彼はそのまま世の中から忘れられてしまった。
ちょうど私が洋楽を聴きはじめた年である。
高度経済成長の真っ只中で、大量生産大量消費の時代に入っていた。
ありあまるお金と物の洪水の中で、自分たちのアイデンティティをいかにして見つけるかと、若者たちが模索しはじめていた。
貧しい労働者たちの生活を語る彼の歌は、アメリカでは時代遅れだったのかもしれない。
70年代半ばに、彼の1枚目のアルバム「Cold
Fact」がカセットテープにダビングされ、誰かが南アフリカ共和国に持ち込んだ。
アパルトヘイトの全盛時代で、世界中から制裁を受けて孤立し、人々は貧困と圧制に苦しんでいた。
その中の1曲「シュガーマン」は、反権力のシンボルになった。「シュガー」はヘロインの意味で、「シュガーマン」は売人のこと。
彼のリアルでシュールな歌詞が、アパルトヘイトと闘う労働者に大歓迎され、50万枚以上も売れたそうだ。
政府は彼のアルバムを放送禁止にし、検閲官がLPに傷をつけた。
それでも人々は彼の歌をうたいつづけた。
南アフリカ人にとって、ロドリゲスは謎の人物だった。どの国のどの雑誌を調べても、彼の素性はわからない。
レコードジャケットの帽子とサングラスの写真だけが、彼の唯一の写真だった。
すでに死んだ、と思われるようになった。
「ステージの上で拳銃自殺した」とか、いろんな噂だけが飛び交って、謎は深まるばかりだった。
1996年、南アフリカのレコード会社「カミング・フロム・リアリティ」の社長、スティーブン・(シュガー)・シーガーマンは、2枚目のアルバムのCDを作るとき、ロドリゲスについて何の情報もないことに、ふいに大きな疑問を抱いた。
軍隊にいるときに「シュガーマン」とあだ名され、それ以来、自分を「シュガー」と名乗っているほどのロドリゲス・ファンである。
スティーブンは、ロドリゲスが誰なのか、どこに住んでいたのか、ほんとうに死んでしまったのか、どうしても知りたくなって、調査をはじめた。
ずっと印税を送っていたアメリカの会社は、連絡をとった翌日に電話が不通になった。
アメリカ人に聞いても、彼を知っている人間はひとりもいなかった。
歌詞の中にしかヒントがない。アムステルダムやロンドンにも問い合わせた。
ある日、「インナー・ノーツ」の中の「ディアボーン出身の娘」という歌詞から、地図でディアボーンを探してみた。デトロイトの隣の町だった。
やっとデトロイトにたどり着き、最初にアルバムを発売した会社をつきとめ、ロドリゲスが生きているらしいことを知った。
彼の存在がはじめて現実味をおびてきた。
スティーブンは、「グレート・ロドリゲス・ハント」というサイトを立ち上げ、インターネットを使って情報の提供を呼びかけた。
1997年8月、ロドリゲスの娘がそのサイトを見て、「私のお父さんよ」と書き込みをした。そして、なんと本人から電話が!
ついにロドリゲスを発見したのだ。
ロドリゲスは解体業や掃除の仕事をしながら、3人の娘を育てた。
タキシードを着て仕事に出かける、几帳面で真面目な人間だった。
貧しい人を救うために、何度も市長選に出馬しては落選したという経歴も持つ。
1998年3月、55歳のとき、南アフリカのケープタウンでコンサートをすることになった。
3人の娘たちと飛行機をおりたら、2台のリムジンと大勢の新聞記者たちが待っていた。
それが自分たちを出迎えていると知って、心底驚いた。
しかも、スタジアムには熱狂的なファンが2万人も押しかけていたのだ。
"American, zero / South African, hero"
アメリカでは無名だが、南アフリカではヒーローである。ミュージシャンとして大成功していたのだ。
ロドリゲスはギターを愛し、歌を愛し、自分の信念を貫き通した。
自分を認めてくれる人々に出会って、とても嬉しそうで誇らしそうだった。
その後4回も南アフリカに出かけて、30回以上ものコンサートを開いたそうだ。
得たお金はほとんど家族や友人にあげて、デトロイトの同じ家に住み、そのまま生活のために肉体労働をつづけたそうだ。
今でも歌いつづけているのだろうか?
映画の中で流れてくる彼の音楽は、力強くて優しくて、メッセージにあふれている。フォークソングのようだけど、ジャンルはロックらしい。
彼の地味で実直な人柄と、ほがらかな娘たち、関わった人々の笑顔が素晴らしいんだよ。 |
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6/28(日) |
「withコロナ」はいつまでつづく? |
無作為で新型コロナの抗体検査をしたら、東京都で抗体を持っている人の割合は1%ぐらいらしいという予測が発表された。
ワイドショーで、あるコメンテーターが「だったらこの先、第2波、第3波が確実にやってくるということですね」と言った。
『そうだ、そうだ』と注目した瞬間に、司会者が突然話題を変え、話をそこで終わらせてしまった。
何だろう?それはテレビで言ってはいけないことだったのだろうか?
なんだか、怪しいぞ。。。
今回の自粛は、「医療崩壊を防ぐため」という大義名分が掲げられていた。たしかに、その点に関しては反論のしようもない。
でも、真の目的は、日本社会を牛耳っている長老たち、政治家や権力者たちを守るためなんじゃないだろうか。。。
新型コロナの変異のスピードはとてつもなく速いし、暑さにも乾燥にも湿度に対しても、適応能力をどんどん増して行ってる。
ウィルスたちはお互いに遺伝子交換をして、新しい能力を共有できる。
何百種類もあるコロナだから、他にも肺に巣を作るヤツが現れるかもしれない。
集団免疫を獲得するまで、「with コロナ」はえんえんとつづくのである。
子どもは感染しても軽症ですむことがほとんどという。
だったら、子どものうちに感染させて、免疫を持たせたほうがいいのではないだろうか。。。
小さい子はしょっちゅう熱を出す。
風邪はもちろんのこと、麻疹、水疱瘡、風疹、手足口病、リンゴ病、とびひとか、次から次へといろんな病気にかかる。
伝染性短核球症もそうだけど、小さいときには軽症ですみ、大人になって罹ると重症化する病気はあまたある。
子どもは未来の働き手だ。彼らが健全に育ってくれないと、私たち中高年の未来も暗澹たるものになる。
将来、経済活動をにない、医療や介護サービスをにない、年金を払ってくれる世代なんだもの。
・・・人と接しない、そういう子どもたちが大人になったら、どんな世の中になるか、想像することすら恐ろしい。
もしもこのまま「自粛」傾向をつづけたいなら、日本は鎖国するしかない。
観光客を呼ばない。海外旅行もやめる。ビジネスもスポーツも、すべて国内だけで行い、外国との交流を断つ。
とくに海外から人々が殺到するオリンピックなんか、論外である・・・という選択である。
国内にも感染源が存在するんだから、「絶対に感染したくない」人は、どこへも出かけず、人とも会わず、この先の人生を「自粛」で暮らすしかない。
そういう選択は個人の自由だけど、他人のことは放っておいてほしい。
原発が33基だった頃、反原発運動をやっていた。
周囲の人に訴えても、変人扱いされて白い目で見られるだけだった。
みなさんの意見は、「科学技術はものすごく進歩しているから、今の技術では放射能のコントロールができなくても、将来できるようになるだろう」というもの。
疲れ果てた私はその「将来」に期待して、静観することにした。
そして20年後、福島原発が事故を起こし、いまだに終息の目途はたっていない。
いまだに人間は放射能に近づくことすらできない。
なんだか、そんなことを思い出してしまった。
新型コロナが、いつのまにか消滅する日を期待して、あらゆることを先延ばししているような気がしてならない。
「抗体」に関しても、まだ何もわかっていないみたいだね。
たいていの病気は、「抗体」を持っていれば安心なんだけど、エイズの場合は違う。「抗体」を持っている人が、将来発症する人なのだ。
たしか、肝炎もそう。「抗体」を持っていると、要治療の対象になる。
前々から不思議に思っていたので、ネットで調べてみた。
朝長啓造氏のインタビュー記事、「そもそもウィルスってどんなもんでしたっけ?」によれば、ウィルスは7種類に分類されるそうだ。
生物はDNAとRNAと両方を持っていて、自力で自分をコピーできる。
ウィルスは半生物なので、どちらか片方しか持っていない。取り憑いた宿主の細胞成分を利用して、自分をコピーする。
DNA型のウィルスはコピー能力が高く、RNA型のウィルスはミスコピーを連発・・・というところまでが私の知識で、実際にはもっと複雑だったのである。
HIVウィルスは、「1本鎖RNAウィルス/逆転写」タイプで、逆転写酵素でDNAを作って、それが宿主のDNAに組み込まれて潜伏感染するそうだ。だから人間のDNAの中でウィルスが安定して育ってしまう。
コロナウィルスは「1本鎖RNAウィルス/プラス鎖」という種類で、日本脳炎、ノロ、風疹なども仲間なんだって。
なるほど、ウィルス学は奥が深い。素人の私にはこれ以上は難しすぎる。
研究は進んでいるんだろうけど、金や利権がからむと、正しい発見が横道にそれてしまうというのが悲しいね。
私に分かることは、ウィルスとは人間の免疫力で戦うことができるけど、放射能が体内に入ったら必ず死ぬ・・・、ということぐらいである。
それともうひとつ、最近分かったのは「テニスは身体にいい」ということである。
先週は雨つづきで、5日間テニスに行けなかった。
その間に、首から背中から腰から、身体中が木彫りの人形のようになってしまった。
右の股関節痛は左にも波及し、腰全体がやばかった。
治療をしても、ちょっとずつしか良くならなかった。
でもテニスをすると、痛みが軽減していく。
やるたびに良くなって、あとちょっとのところまで来ている。
(テニスはボロだけど・・・)
今週は水、木、金、土と4日つづけてテニスに出かけた。
昨日の夜、あれ、太ももがちょっと太くなった!と大喜びした。
自粛の間にどんどん細くなってしまい、木に布を巻いたような足になっちゃってたけど、すこし実入りがよくなった。ほっ。。。
腰まわりはまだあちこち少し痛いけど、順調に治っている。
テニスクラブの閉鎖は二度とごめんである。(笑) |
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5/17(水) |
股関節まわりの筋肉を痛めちゃった |
テニスを再開して1週目はかなり用心していた。体力、筋力の低下に加えて、暑さにも慣れなくちゃならない。
2週目に梅雨入り宣言が出たので、やれるときにやっておこうという欲が出て、月、水、金とたくさんテニスをやってしまった。
金曜日はテニスのあとで仕事に出かけた。
夕方に雷雨予報が出ていたので、患者さんの治療のあと、降り込められている間に自分の治療をする予定だった。
でも、外を見たら、あれ、降っていない?
東京アメッシュをのぞいたら、八王子あたりですごい雨である。
降られる前に帰ったほうがいいと思って、治療を先延ばしにしてしまった。
それが運のつき。翌日の朝、右の股関節あたりに痛みが出ていることに気がついた。
立ったまま靴下をはこうとしたら、股関節が上がりにくい。「リョコちゃんウォーク」で歩いてみたんだけど、どうしてもかばってしまう。
あわてて治療をしたんだけど、ちょっとずつしか良くならない。
パソコンの前で腰掛けている間は、①腸腰筋はまったく使わない。筋力がとことん落ちてしまったんだね。
②中殿筋は反対の足を上げるときに、骨盤を支える筋肉である。走るときには大活躍をする。 |
①腸腰筋(大腰筋+腸骨筋) |
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②中殿筋 |
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骨盤の表側には①腸腰筋があって、裏側には②中殿筋があって、腸骨を裏表で支えている。
筋力が落ちているのに、ガンガン走ったから、かなりのダメージを受けたらしい。
股関節には上から下から、前から後から、いろんな筋肉がくっついて共同作業をしている。
酷使のせいで周辺の筋肉がぜんぶ痛みはじめた。
月曜日に①腸腰筋と②中殿筋にテーピングをして、テニスに出かけた。
今年に入って、テーピングがいらなくなっていたのに・・・
壁打ちをしている間に痛みがマイルドになったので、軽めのテニスはつづけている。
右だけじゃなく左も痛くなり、両方の腰にも痛みが出てしまい、今日は腹筋の両サイドも痛い。腰の回転に使う筋肉である。
これじゃあ、来週のシングルスは無理そうである。
「日本人は正座をするせいで膝関節を痛め、白人はイスに腰掛けるせいで股関節を痛める」というのを聞いたことがある。
最近の日本人はイス生活が多いので、昔話になっちゃったね。
パソコン仕事で痛めた膝はもうすっかり治ったけど、股関節の治療は範囲が広いので時間がかかりそう。
パソコンはほんとうに身体に悪い!
それでも、パソコン仕事はやめられない。
症例1「椎間板ヘルニア」を19年ぶりに書き直したんだよ。
英語版と同じく、前に書いたものを直すのはミッション・インポッシブルだった。英語を日本語に直したほうが早かった。
あれこれ書き足したので、英語より詳しくなっちゃった。イラストも入れたから、読んでね~ |
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6/6(土) |
2ヶ月ぶりのテニスはみんなで仲良く珍プレー |
自粛要請がやっと解除された。
テニスクラブは6月1日から再営業だったんだけど、月曜日はあいにくの雨だった。なので、水曜日、久しぶりにテニスに出かけた。
『あれ、何を持っていけばいいんだっけ?』と、なんだか、まごまごしてしまい、準備にえらく時間がかかった。
人数は少なかったけど、いつものメンバーがそこかしこにいた。変わらぬ姿のテニキチたちに会えて、ホッとした感じ。
例年なら、4月、5月とだんだん暑さに慣れていくんだけど、準備期間がないままのいきなりの真夏日である。
あっちこっちから、「暑いよ~」とへこたれてる声が聞こえてくる。(笑)
とりあえず壁打ちをしてみたけど、まともにボールが返ってこない!すっかり打ち方を忘れてしまっていた。
筋力も落ちているしね。。。
コートに行ったら、人数が中途半端である。暑いから4ゲーム先取にして、交代でまわそうということになった。
湿度が高いうえに、思うように動けないので、まるで水中でプレーしているみたいだった。
当たりそこないを連発し、空振りまでしちゃった。
動体視力も落ちているせいだね。うまくボールに合わせられなくて、狙って打つときほど失敗する。
でも、私だけじゃない。みなさんも2ヶ月ぶりのテニスで調子が狂っている。
自分だけがブランク明けだと、「足を引っぱってごめんね~」になるんだけど、なんだかすっごい気が楽である。
まるで強風の中のテニスみたいに、珍プレーの連発になって、そのたびに大笑いになった。
一緒に楽しめる仲間がいるって最高だね!
途中で疲れちゃって、やめたくなった。太陽がギラギラ照りつけて、とっても暑いんだもの。
でも、なんとか4-3で勝った。
次は別のメンバーとやって、6-4で勝った。
だんだん「動く身体」になっていったらしく、2戦目のほうが疲れを感じなかった。
でもそこで終わりにして、(時間はあったけど)仕事に出かけた。
そんな調子で、2セット限定で、水・木・金と3日つづけてテニスをやった。
体力だけじゃなく、日焼けのコントロールもしなくちゃならない。
ブランクの前、やっとサーブが安定しだしたところだったのに、打ち方をすっかり忘れてしまった。
サーブ練習をしたら、肩が痛くてまともに打てない。動かさずにいた間に、肩が固まっちゃっていた。
ストレッチだけでは追いつけないのである。
動かしてほぐすしかない。
痛みに耐えながら打っていると、50球ぐらいでだんだん肩が慣れてきて、痛みが消えるんだよ。
今朝はさすがに疲れを感じた。身体が重かったけど、テニスに出かけた。
コロナ以来、土曜日はものすごくすいている。会社勤めの人には、テニスは気が引けるのかもしれないね。
コートが空いていたので、サーブ練習をはじめた。
今日は最初から痛みが出なかったので、フォームをだいぶ思い出してきた。
ついでに、スマッシュ練習もした。
自分でボールを高く放って打ったんだけど、ベストではないけれど、普通に打てる。
スマッシュの調子を狂わせるのは「プレッシャー」なんだね。
落ちてくるボールに対して、インパクトがちょっとでもずれると当たりそこなうのだ。
球出しのボールでも、まわりに人がいると難しくなる。
ゲーム中のスマッシュは、残りの3人の目が注がれているから、ますます難しくなる。。。
大発見だったね!
ひとりで1時間ぐらい練習して、仕事に出かけた。
なんと、テニスは今のところ全勝である。調子はイマイチだけど、走れる強みがあるからかもね。
ティラのお散歩しかしなかったときは、「走れる自分」を想像もできなかったけど、ボールがあると自然に身体が動くのである!
この間に、椎間板ヘルニアの英語版"Disc Herinia"を更新した。(これもPCのみである)
case #1なんだけど、17年前に書いた英語があまりにひどくて、ずっと放ってあった。
前に書いたものを参考にすると、1行書くのに1時間もかかる。なので、完全に新しく書き直した。
それに合わせて、日本語版のほうも書き直す予定。
英語の作文はパズルをやっているみたいに楽しい。
辞書を引きまくらなくちゃならないけど、すべてのピースがおさまると、すごい快感なんだよね。 |
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5/27(水) |
USBメモリーの破損でファイルが壊れた! |
ふだんは仕事場のXPで、ホームページビルダー2001を使って作業をしている。
慣れているし、使いこなせているんだもの。
XPからバックアップをすることはあっても、USBメモリーから戻すことはなかった。
HTMLの手直しも、XPを使って、ちまちまと手作業でやっていた。
でも、このブログのタイトルには参った。
書体や色を何度も変えた痕跡がすべて残っていて、とんでもなく長く複雑になっていたのである。
毎回「コピペ」をしていたので、不要なタグがすべて持ち越されていた。
109ページもあって、それぞれに5つのタイトルがある。
2ページだけ手作業で直してみたけど、ものすごい手間と時間がかかった。
見た目にはわからないんだから放っておいてもいいんだけど、気持ち悪い。
ところが、自宅にあるWindows10 の新しいホームページビルダーには、不要なタグを直してくれる機能がついていたのである。
「HTMLのクリーンアップ」をためしてみた。
不要なタグの一覧が出て、「すべて削除」をポンと押すと、一瞬で終わる。
手作業で直したものと見比べても、ほとんど変わりがない。
治療室にパソコン持ち込んで、次から次へ、とにかくいったんはじめたら、どうしても止められない性格なのである。
すると、とんでもない事態に陥っていたことが判明した!
ティラのブログを書いていたら、あれ?写真が壊れている!!!
ウェブ上ではちゃんとなっているのに、おかしい!
フォルダーの中の他の写真を見てみたら、あっちこっちでいろんな画像が壊れていた。。。
原因は、USBメモリーの破損らしい。
ワインを飲みながらあれこれいじって、USBを抜くときに、「破損したので、今すぐ修復してください」というエラーメッセージが出たことがあった。
まだ動作中だったらしく、いきなり抜いて壊れてしまったらしいのだ。
USBメモリーは2つあって、交互にバックアップを取っていた。
そのあと、ファイルにもとくに変化がなかったし、普通に作業ができたので、そのまま数日間、データーを入れたり出したりをくり返したのだった。
出し入れのたびに、ファイルが次々にほころんでいったに違いない。。。
USBメモリーが破損したのは、いったいいつのことだっただろう?
まるでブラックホールにはまり込んだような日々だった。
熱に浮かされたように没頭していたので、ぜんぜん思い出せない。。。
その日はショックで明け方に目覚め、ぜんぜん眠れなくなった。
苦労に苦労を重ね、20年もかけて作り上げてきたんだもの。
データーが壊れてしまったら取り返しがつかない。
3000ものファイルをひとつひとつ手直しするなんて技は、素人の私にはとても無理である。
プロに頼んだら、細かい作業が山とあるので、莫大なお金がかかる。。。
休みの日だったので、とりあえずビールを飲んでまた寝た。
そのおかげでお腹の調子がイマイチになった。
目覚めてから、目まぐるしく頭を働かせて、対策を考えた。
サーバーには変更したファイルしか転送されないから、クラッシュ以前に送ってあるファイルは無事なはずである。
健康なファイルが残されている可能性が一番高い。
一番古いデーターは?と探してみたら、ゴミ箱の中に、4日前のフォルダーがあった。
出し入れの回数が少ないので、中の写真はほとんど壊れていない。
このフォルダーをベースに、サーバー上のファイルで上書きするのが一番簡単だろうという結論に達した。
4日間の作業・・・その間にいったい何をしたのか、まったく思い出せないけど、それはまたやり直すしかない。
転送が無事に終わったので、次は壊れたファイルの修復である。
「リンクエラーのあるファイル」を開いたら、とんでもない数である。
『どこが壊れているんだろう?』と、1枚1枚つぶさに調べた。
HTML言語の文字が、一文字壊れただけで、フォントの色や背景の色、リンク先やレイアウトなどにも不具合が起こってしまう。
「スクリプト・エラー」にも参った。ネットで調べてもぜんぜんわからない。
HTMLソースに入り込み、壊れているファイルと無事なファイルを見比べて、一文字ずつ点検した。 i が ) に化けていたり、u が ! に化けていたりと、ちっちゃなほころびを見つけて修復をした。
とりあえず、「リンクエラー」がなくなったので、サーバーに転送することにした。
直したところだけが転送されるかと思ったら、3000近くのファイルがすべて転送されることになった。
取り返しのつかない結果になるかもしれない・・・・と、心臓がバクバクしたけど、ウェブをのぞいて見たら、なんとか無事な様子である。
やれやれ・・・である。
ファイル全部は調べきれないので、もしもおかしなところを見つけたら、教えてね~~
お腹の不具合は、お灸をしたらすぐに治った。
大体から連休前後は私の鬼門で、毎年どこかを故障してまともにテニスをやれたことがなかった。
(今年はコロナのせいだったけど)
梅雨時にお腹を壊すのも毎年のことだった。この季節は用心、用心・・・だね。
壊れた膝は、2・3日でほとんど治ってしまった。
すぐに治療をはじめたから、あっという間だったね。
緊急事態宣言が解除され、うちのテニスクラブは6月1日からオープンの予定だそうだ。
ほんとうにできるようになるのかなあ・・・?
ゆっくりリハビリテニスからはじめなくちゃね。いきなり走ったら、どんなことが起こるかわからないもの。
自分の身体に過信は禁物のお年頃なのだから。。。(笑) |
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