doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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5/19(火) パソコン仕事でひざを痛めた
テニスクラブが閉鎖のままなので、ずっとパソコン仕事に熱中していた。そしたら、なんとを痛めてしまった!
テニスで何時間走りつづけても、1回も膝を痛めたことがなかったというのに。。。

PC用に英語版”Ryokochan Walk"を作った。
レイアウトも考えなくちゃならないから、とても手間がかかった。ついでにあちこち手直しをはじめた。

HTMLソースに入り込み、理解が深まるにつれて、不要なタグを見つけては、次から次へと直しつづけた。
。。ほとんどの直しが完了したので、そっちはとりあえず一段落である。。

先週ぐらいから、ずっとイスに腰掛けていると、なんだか膝がだるいな・・・と感じるようになった。
立ち上がるときに、左膝が伸びにくい感じもあった。
そのうち、坐っているときに、膝を曲げているのがつらくなっていった。
坐っていないときでも、左膝が「痛だるい」感じがつづくようになった。

鍼を打つと少しはマシになるんだけど、パソコンに向かっているうちに、どんどん悪化していく。

金曜日の夕方、お散歩がてらティラと買い物に出かけた。
歩きはじめてすぐに、左膝の違和感を感じたので、「リョコちゃんウォーク」できっちり歩くことにした。
「ちょっとぐらいの不具合は、正しく歩いているうちに治ってしまいます」と自分で書いているんだもの。
そしたらどんどん痛みが増していって、ビッコを引きたくなるほどになった。

月曜日、前夜の鍼が効いたらしく、痛みはなかったけど、左膝の支持力がなんとなく心もとない。
膝の裏に縦に2本テーピングをした。そしたら、「リョコちゃんウォーク」できっちり歩いても、痛みが出なかった。
ほっと安心したのもつかの間で、家事をやっているうちに痛みが増していき、左足に体重をのせられなくなった。

治療室に直行して、ベッドに横たわって、左のでん部から下腿まであちこちに鍼を打ちまくった。
膝の裏の鍼は自分で打つのはとても難しいんだけど、お灸は完全に無理である。

あちこちの筋肉をほぐしても、膝の関節内部が壊れているらしい。
体重がかかると、痛みが出てしまうのだ。

一番の患部は膝の裏側()である。
歩きはじめて、最初に痛みが出たのは、足の外側面()、股関節から膝までの筋肉である。

下腿の外側面()も異様に硬い。どうやら、上から下から、膝の外側面を引っぱっていたらしい。

そのうちに、でん部の坐骨結節から膝までのいろんな筋肉()が痛くなり、ふくらはぎまで痛くなった。
左膝をかばわずに動くと、痛みが激しくなる。
でも、かばって動けば、右半身もあちこちに痛みが出てしまう。
もうデッドエンドである。
パソコン仕事はしばらく休んで、治療に専念するしかない。

パソコン仕事はほんとうに身体に悪いね!テレワークで調子を崩す人が出るのもうなづける。

膝が「壊れた」のは、金曜日の朝、いきなり走ったせいみたい。

ベッドで自分の治療をしているときに、お尻の筋肉がげっそり落ちてしまっていることに気がついた。ハムストリングスも細くなっている。
『歩くだけじゃなく、やっぱり少しは走らなくちゃダメなのかな?』と思ったんだよね。

次の朝、外に出たとたんにティラが嬉しそうに走り出したので、一緒に走ろうとしたのである。
とたんに、左足首にキ~ンと痛みが走り、腰とか足とか、突風が吹き荒れたみたいに、身体中のあちこちがガタピシいった。
10歩ぐらい走ったところでティラが立ち止まったので、私も立ち止まった。

「走る」って、ほんとうに大変なことだったんだね。
いつも当たり前のように走っていたけど、長い停滞で「走る」筋肉がとことん落ちてしまっていた。
そこで、なんとか持ちこたえていた膝に一気に過負荷がかかって、「壊れて」しまったらしい。

これじゃあしばらくはテニスどころじゃない。日常生活にも差し障るんだもの。
テニスクラブが再開しても、以前の身体に戻るのは、たいへんな時間がかかりそうである。

みなさんも、再開時には、くれぐれもご用心を!(笑)
5/9(土) 英語版「リョコちゃんストレッチ」が完成
予想していたとおり、自粛要請がまた1ヶ月延びちゃったね。テニスクラブの閉鎖も継続になって、イライラしてしまう。。。

自粛の患者さんとメールのやり取りをしている。メールで様子を知らせてくれるのはとっても嬉しい。
この2ヶ月の間に、身辺に劇的な変化があって、ほとんどがとってもおめでたいニュースだった。

「家から1歩も出ない毎日です」とのことで、毎日出かけている私とは違うな、と思ったんだけど・・・、よ~く考えてみれば、私だって治療室以外どこにも出かけていない。
治療室が書斎のようなものなので、それが2階にあるか、バイクで3キロのところにあるかの違いしかないことに気がついた。

でも昨日はティラを連れて、八王子のバイク屋さんまで行ってきたんだよ。去年買ったディオの初回点検である。
テニスに行けない日が多かったので、やっと1000キロを過ぎたところである。
お天気は上々。ちょっと風が強かったけど、片道17キロを楽しく快適に走ってきた。

店長はサーフィンと釣りが趣味である。
現在はサーフィンの連盟で自粛を決めているそうだ。サーフィンの世界は規律でがちがちに固められているので、逆らう人間はいないのだそうだ。
(つまり、江ノ島あたりで波に乗っている輩は「素人」ということらしい)
釣り船のほうは、小屋から出すことすらできない状況とのこと。

本心を言えば、サーフィンも釣りもテニスも屋外でやるものだし、他人と接触しないようにすることもできるんだから、「やっちゃってもいいんだよね~」と思うんだけど、あえて行動にうつすのは気が引ける。

仕方がないので、お休みの日は自転車に乗って出かけたそうだけど、近所の人にあれこれ噂され、白い目で見られてしまうのだそうだ。

バイクの点検の間はティラと周辺をひと回り。お喋りも楽しかったし、いい気分転換になった。
行く気になったのは、リョコちゃんストレッチの英語版が出来上がったからである。
"360° Ryokochan Stretch with Rikachan" だよ。

(携帯サイト版までつくる余裕がないので、見れない人もいるかも。。。ごめんなさい!)

見るたびに直すところが目に入って、何百回も辞書を引いた。老眼には細かい文字は見えにくいんだけど、見続けていると慣れてくる。
夜遅く自宅に帰って、夜中もパソコンを開けて文章をチェックした。
目が異様に疲れて、極限まで来ると、黒い文字が緑と紫のまだらになってしまう。
そうなると、もう終わり。目をつぶって眠るしかない。

明日こそ休もう、と思うんだけど、あれこれひらめいてしまう。朝のストレッチと散歩と家事をすませて、一目散に仕事場に向かった。

英語にするためには、詳細に分析する必要がある。分かりやすくするために、いろんな工夫が必要だった。
結局、日本語版のほうも整理しなおす羽目になった。

「今度こそ完成!」と、とりあえずアップしてはみたものの、見るたびに細かい点が気になってしまう。
まだまだ直しは終わりそうもないね~~

英語の分かる人がいたら、文法チェックをお願いします!
4/29(水) マリー・アントワネットの大本営発表
冬は暖かかったけど、春になっても寒いままだね。
毎年3月の終わりには暑くなって、犬の毛を刈らなきゃならなかったんだけど、今年はまだぜんぜん大丈夫。
肌寒いからまだ暖房を入れているし。
新型コロナにとって居心地のいい気候がつづいている、ってこと?

安倍や麻生らの政治家の発言を聞いているうちに、ふいにマリー・アントワネットを思い出した。

彼女はフランス革命(1789年)のときのルイ16世の王妃だった。
飢えた民衆が宮殿に押し寄せてきたとき、「なんであの人たちは騒いでいるの?」と聞いた。
「パンをくれ!と言っているんですよ」と側近に言われ、「パンがなければ、お菓子を食べればいいのに」と答えたというエピソードが有名である。

オーストリアの皇女として生まれ、フランスの宮廷に嫁ぎ、金銀財宝に囲まれて贅沢な暮らしをつづけたマリー・アントワネット。
ついに革命が起こって、ギロチンにかけられてしまった。

今の国政をになう政治家たちも、2世3世が多くて、ほとんどが大金持ちの子どもとして生まれてる。
ちゃんと働いたこともなく、自活したこともなく、家賃やローンの支払いに悩んだこともない。
生活の苦労をしたことがないから、庶民の暮らしがまったく理解できないのだろう。

以前に書いたブログ(2018/1/30)で大航海時代のスペインの女王イサベルの歴史ドラマを紹介してあるんだけど・・・

先妻の子である兄が王になって、後妻の子であるイサベルは、母と弟とともに辺鄙な城に追いやられた。
食べるにも事欠くつらい少女時代を送ったそうだ。
女王になったあとも質素な生活を貫き通し、国民の暮らしをつねに思いやっていた。
庶民に絶大な人気があったから、国をまとめあげ、強大な国家を作り上げることができたのだと思う。

江戸幕府をひらいた徳川家康は、子どもの頃つらい人生を送ったそうだ。
反動で贅沢になる人間もいるけど、家康はそうはならなかった。武士に質実剛健を求めた。
権力者たちが質素な暮らしをしたおかげもあって、江戸時代は300年も平和がつづいたのである。

戦後70年の間、政界や財界やスポーツ界まで、長年の間のほほんと君臨してきたミニ「君主」たちが、日本の社会を牛耳っている。
権力や出世や金儲けに熱中してきた軍団だから、こういう緊急事態に対応できないのだろうな・・・と思う。

なんで、PCR検査が実行できないのだろう?
毎日、「今日は陽性者が○人」と発表しているけど、ちゃんと調べていないんだから、そんな数字はなんの意味もない。

それって、「大本営発表」と同じである。
戦争中、あっちでも勝った、こっちでも勝ったと、戦争を継続するために軍部が嘘を報道しつづけた。

一般庶民は検査もしてもらえずにいる一方で、有名人や金持ちは、すぐに検査をしてもらえて、すぐに入院して治療をしてもらえてる。
日本の官僚は優秀なので、あらかじめ医療崩壊がおこるであろう可能性を考えていたのかもしれない・・・という疑いがおこる。

日本には国民皆保険制度があるので、誰でも平等に適切な医療が受けられるはずである。
その「たてまえ」は残しておいて、実際にはセレブのために病院を空けてある?
そのためにあえて検査ができないように仕組んだのかもしれない。。。

「検査をしていない=実態がわからない」
どれだけの人間が感染しているか調べていないのだから、実態がわからない。実態が把握できなければ、自粛をやめるタイミングも計れない。
・・・えんえんと自粛がつづけば、倒産が相次ぎ、失業者があふれ出て、自殺者も増えていくだろう。

家の中に閉じこもっている人、運動する場を失った人たちの筋力低下が始まっていて、みなさん足が細くなっている。
私もテニスができなくて、身体がバリバリになっちゃった。

戦時中の「欲しがりません勝つまでは」という標語も思い出した。

お店を閉めさせられて、家賃や経費を支払えなくても、生活できなくなっても、「勝つまでは我慢しろ」ということか?
働く場を失って困っている人たちがいる一方で、普通に働かされている人たちがいる。
でも、ストレス解消のための外出も旅行もできない。
これも、「いづれ勝つんだから、我慢しろ」ということか?

戦時中には「隣組」制度があった。
町単位で人々を組織して、お互い同士を監視しあうシステムである。
軍部の命令に従わない人間は、特高(特別高等警察)にちくられて、牢屋にぶち込まれ、ときには拷問されたり、虐殺されたりしたんだって。

今でも日本には「隣組」の名残が残っている。
「自粛要請」にさからって外出する人間は、世間によって罰せられる。白い目で見られ、噂をたてられ、ちくられる。
軍部と違う意見を持つ人間は、戦時中には「アカ」(=共産主義者)、「非国民」と言われた。その伝統は、今でも根深く残っている。

私もずっと「対人恐怖症」持ちだった。英語では "social phobia" (=世間恐怖症)といい、アメリカの心理学では「日本人特有の病気」とされているのだそうだ。

コロナ渦で一番怖いのは、日本が監視社会になってしまうことである。
政治家の「要請」で行動の自由がなくなったけど、そのうち思考の自由もなくなってしまうかもしれない。

「大本営発表」が中心のマスコミだけど、ときどきまともな意見を聞くことがある。
コロナウィルスの感染力は、発症の前日(0.7日前)に最大になるという発表である。
それは常識でしょ!

子どもを育てた人なら誰にでも分かる。
麻疹ウィルスも水疱瘡ウィルスも、発症の前日に感染するんだもの。
普通に元気に一緒に遊んだあと、翌日になって「うちの子が麻疹になったのよ」と聞かされる。
どちらも潜伏期間が2週間なので、2週間後、その場にいた子ども全員が発症する。

ウィルスは人体に入り込んだあと、人間が気づかぬうちにどんどん増殖していく。
発熱や発疹など、「発症」してはじめてウィルスの存在を知る。
身体の免疫機能がそこで発動し、そこからウィルス退治がはじまる。
なので、「発症」直後からウィルスはどんどん弱まりはじめる。
数日もたてば、もう他の人間に感染する元気をなくしてしまう。

「発熱」してから検温しても無意味なのである。
「発熱」の直前が一番感染力が強いのだから。
宿主の免疫システムに知られる前、元気いっぱいなときに他の宿主に「感染」する。
だからウィルスはどんどん増殖していけるのである。

インフルエンザのときにさんざん嘘をついてきた。コロナと同じく、RNA型のウィルスなのに、ワクチンで感染予防ができると喧伝してきた。
(最近は、感染はするけど軽症ですむというふうに、下方修正されているらしいけど)
さんざん金儲けをしてきたから、折り合いをつけるための大義名分を考え出すまでは、にっちもさちもいかないのかもしれない。

風邪のときに病院に行くと抗生物質を処方される。風邪=コロナウィルスなんだけど、今までのコロナは肺に巣を作れなかった。

抗生物質は細菌にしか効果がない。
風邪を引いて体力が弱ったときに、肺炎球菌などの細菌が勢いづいて肺炎を起こすかもしれない?
「用心」のためと乱用してきた抗生物質に、耐性を持つ「耐性菌」が蔓延している。
そっちのほうが人類にとって最大の危険である警告する学者も多い。

ウィルスも細菌もお互い同士で遺伝子交換をして、より生存に有利な性質を共有できる能力を持っている。
人類発生の数億年も前からそうやって生き延びてきたのだ。
でも彼らには人間の免疫システムで対決できる。
病原体を察知して、抗体を作って、免疫を手に入れられる。

放射能は免疫システムで察知できないので、もっと怖い。
病原体に殺された人間を火葬すれば、病原体も一緒に死ぬ。
でも、放射能は焼かれても変化せず、煙と共に地球上に散らばっていく。
放射能は病原体とは比較にならないほど強烈な「悪の大魔王」なんだよ。

ホームページの更新をしようとがんばっていて、新しい症例をお届けするはずだったんだけど・・・
HTMLソースに入り込み、不要なタグをたくさん見つけて、ゴミ掃除をはじめたら止まらなくなった。
「ちょっとだけ」横道にそれるはずが、抜けられなくなった。

日本語を終わったら、英語とスペイン語のサイトが気になった。
10年も放っておいたので、どこに何があるかも忘れてしまっていた。
スタイルシートを整理して、HTMLを手直ししたあと、今は、リョコちゃんストレッチの英語版を作るのにはまっている。(笑)

誰でも1回はコロナに感染するときが来ると思う。
コロナと戦って死ぬか、勝って抗体をゲットするか、天下分け目の戦いをするときが来る。

パソコン仕事は身体に悪い。免疫力向上のため、合間に自分で自分に鍼を打っている私である。
4/19(日) リョコちゃんウォークで歩いてみよう!
今週のはじめに「屋外のスポーツ施設は自粛要請から除外」ということになって、水曜日からテニスクラブがオープンになった。

でも次の日には、フロントでいきなり、「土曜日からまた閉鎖です」と言われた。連休明けまでクラブもスクールもすべて再休業だって。。。
たったの3日間だけでも、テニスを楽めたのはラッキーだったと思うしかない。
他の人たちはどこもかしこもずっと閉鎖中なんだもんね。

「免疫力を高めるためには適度な運動が必要」と、テレビでも言っていたけど、運動する場がないとなると、身も心も腐りそう・・・である。

患者さんも少ないし、テニスもできないので時間がたっぷりある。このチャンスを生かして、ホームページの手直しをやっている。

あっちを直し、こっちを直しと、パソコンにへばりつき、またまた身体がロボット化しそうだけど、これも私の趣味のひとつ。
アクセル全開で取り組んでいる。

まず完成したのが、「リョコちゃんウォーク」である。
みなさんにさんざん教えている「正しい歩き方」をビジュアル化しようと、またリカちゃんにモデルになってもらった。

「リカちゃんウォーク」だと、著作権とか商標登録とか、クレームがくるかもしれないと心配になって、「リョコちゃんストレッチ」と「リョコちゃんウォーク」に名前を変更したのである。

でも今日の患者さんに話したら、リカちゃんを使っているだけで訴えられちゃうんだってね。
「営利目的じゃないから大丈夫でしょ」と笑われた。

リカちゃんの左足()に注目、だよ。
① 踏み出し


大きく踏み出して、踵から地面につく
② 体重移動


母指球と5本の足指で地面をつかまえる
③ 地面を蹴る


膝を伸ばしたまま、爪先立ちで地面を蹴る
<FAQ24:「正しい」歩き方とは?リョコちゃんウォーク>に、細かく筋肉の使い方とかを紹介してあるよ~~

テニスができないと身体がだんだん固まってくるので、ストレッチ(360度リョコちゃんストレッチ)に時間がかかるようになってしまった。1時間ぐらいかけてじっくりやっている。
ティラの散歩も長めにやって、「リョコちゃんウォーク」で歩いているんだよ。

この3日間のテニスでは、走るときはCRCをかけたての蝶番みたいに、足の付け根がスムーズに動かせる!と、自分で自分に驚いた。

毎回誰かしらに「足、速いね!」と言われるんだけど、ホントにどんどん速くなっているんだよ。
40代の頃の私と比べると、ものすごい進歩である。
関節の可動域が広がっているし、筋力もちょっとずつアップしているので、理論的に納得できる現象なのだ。

サーブはかなり安定して、「サーブ恐怖症」はどこかへ消えてしまった。
ストロークと同じく、回転さえかければコートのどこかに入ってくれるという、妙な自信がついたのである。

やっとダブルスが分かりはじめてきたところだし、ネットの向こうの相手がときどき見えるようになってきたところなので、ここでの「自粛」はとても残念。。。

ホームページは、プロのデザイナーが作ってくれたものをベースにして、手探りで作ってきたものである。

HTMLソースをのぞくと、不要なタグがたくさんある。
ウェブ上では気づかれないが、もろもろの虫たちがうようよとしていて、目が眩みそうである。

HTMLの本は何冊か読んだことがあるけど、マスターしないでやめてしまった。文章を書くほうが重要と判断したからである。

それで、おぼろげな記憶をもとに、HTMLページと編集ページを行ったり来たりしている。
「あ、消えちゃった!」となっても、もとに戻せばいいんだもんね。

横文字には強いから、だんだん手が速くなってきた。
どうしても思うように直せなかった部分が、「虫」退治をすると、簡単に変えられる。
直しはじめたらもう止まらない。

症例集を書く前に、ちょっとだけ横道にそれているんだけど、時間はたっぷりあるからね~(笑)
4/11(土) 久しぶりのシングルスで腰を痛めた
この間、京王テニスクラブはやっていると報告したばかりなのに、水曜日からついに閉鎖になった。
気晴らしのテニスがまったくできないとなると、ビョ-キになりそうである。

火曜日はシングルスのラウンドロビンの予定があった。
先月からすでに、JOP(日本テニス協会公認の大会)は6月まですべて中止になっているので、たぶん京王の月例トーナメントも中止だろうと思っていた。

前日にフロントで聞いたら、「今のところ、やる予定です。明日はわかりませんが・・・」という答えだった。

胸骨の怪我から復帰したあとはリハビリ・スタート。ダブルスでは普通にテニスができるようになってはいたけど、シングルスはぜんぜんやっていない。
『どうせ中止だろう』と、心の準備もしていなかった。

コートでサーブ練習をしていたら、3人集まってきて、ダブルスをすることになった。
試合の前日に「おちゃらけ」テニスなんかやってられない・・・と思ったんだけど、シングルスの練習相手が見つけられるかどうかはわからない。
なので、勝敗は無視して、バッコンバッコン打ちまくろうと決めた。

去年の夏からCさんが私に新しいストロークを教え込もうとしていた。
でも、去年は断続的に肩を傷めていて、ハードに打てる日がほとんどなかった。
そのうえ「眠り病」にかかっていた。8時間、9時間、12時間といくら寝ても寝たりない。
ティラがいるから、なんとか昼頃に起きるんだけど、Cさんのレッスン時間には間に合わない。

この間、Cさんに久しぶりに特訓をしてもらい、ちょっとだけコツがつかめたんだよ。

Cさんは、「ミスしてもいいから、ハードヒットをしろ」と私に言う。
「ずっとミスをするなと教えてきたけど、これからは違う。ハードヒットできなければ、シングルスで上には行けない」と、指示の内容が変化したのである。

ゲームを2セットやって、そのあと練習をし、またゲームを2セットやった。
そんなに長時間やるのは久しぶりだったので、ものすごく疲れた。

次の日は試合だけど、中止になるかもしれない。どうせ何の準備もしていないし、途中リタイアでもいいや・・・と暴走したのである。

ラウンドロビンの朝、ホームページで確認したけど中止のお知らせはない。がんばってクラブに出かけた。

他でテニスができない人が殺到して、定員20人満杯かと思っていたら、出場者はたったの7人。気合の入っている人ばかりである。
ひとつは3人ブロックだったけど、私は4人ブロックにエントリーされていた。

1戦目、サーブがぜんぜん入らなくて、ダブルフォルトの連続になった。どうしてもオーバーしてしまうので、ラインの1メートル後方からサーブを打つ羽目になった。
バックハンドの高いボールをすべてミス。
いつもは得意な「走らされて打つボール」にうまく追いつけず、シングルス勘がなくなっていることを知った。
相手はバッコン打って、ときどきミスの女性だったけど、2-6で負けた。

2戦目の相手はJOP の40歳代でランクインされている女性。左利きで強打を打ってくる。
9月のラウンドロビンで2-6で負け、10月の市民大会でも0-6で負けた相手である。
サーブが不調でバックハンドもノーコンだったし・・・、1-6で負けた。

3戦目、ラケットを変えたら、サーブとバックハンドが元に戻った。
相手はダブルスプレーヤー。ストロークは短いけど、前に強くて、決めボールのミスがない。
私は教わったばかりの強打をつづけて、甘いボールを決めにいって、ことごとくミスをした。2-6で負けた。

同じラケットを2本持っているんだけど、先週、1本が事故にあった。
バイクに乗っているときに、リュックからラケットが滑り落ちてしまったのである。
拾った人が、ガット張り替えのシールを見て、お店に届けてくれた。

傷ついていたので、お店の人に「車に轢かれたようだ」と言われたけど、ヒビは入っていないそうだ。
でも、グリップエンドがなくなっちゃったんだよね。

手元が軽い分、振り抜きがしやすい感じだったので、落としたラケットを使っていたのだ。
でも、私って超繊細だから、たったの数グラムの違いが大きく響くらしい。回転をかけるときの支点がずれるのかもね。
(どこかでグリップエンドを調達しなくちゃね)

またまたブロック4位、ビリになってしまった。
3位4位トーナメントの初戦は年配の女性で、(前に私が6-2で勝った)相手に、0-8で負けていた。

でも、腰が痛い。リハビリテニスの毎日だったのに、2日連続でハードなテニスをやったせいだ。
しばらくテニスができなくなりそうだし、やれるところまで全力を出そう。。。
おととしは全敗、去年は1勝で、「やっとビリから2番目だ」と思っていたけど、こだわりは捨てようと思った。

相手はベテランで足は遅いけど、読みもいいし、決めボールをミスらない。途中から追い上げられた。
腰はどんどん痛くなる。次の試合は無理だから、「5-5でリタイア」を目指したけど、3-6で負けた。
終わったあと、「何でも走って追いつかれるので、どこに打っていいか分からなくなっちゃいました」と声をかけてくれた。

足が速いのが私の唯一のとりえである。
走りに走って、なんでもかんでも強打したので、腰にはそうとうな負担がかかった。
壊れる寸前である。

仕事はお休みにしてあったので、家に帰ってお風呂に入ろうと思っていたけど、予定を変更。
クラブでシャワーして、治療室に直行した。明日までおいたら、腰痛がバクハツしてしまう。
Tゾーン(腰椎と仙骨の間)の蝶番に、硬い棒()が入っていた。
両方のでん部()もカチンカチンである。

右半身に鍼を打ったら、バランスが崩れて立ち上がるのも容易じゃない。
左半身にも打って、仰向けで経絡治療をしたら、かなりほぐれて、「ぎっくり寸前」でなんとか持ち直した。

その日の夕方、緊急事態宣言が出され、京王も閉鎖になった。月・火と思う存分テニスができて良かった!
しばらくテニスはお預けだから、心置きなく「腰痛」と付き合える。(笑)

長時間パソコンに向かって作業したあと、立ち上がると「う、腰が痛い!」となったけど、日に日に良くなった。
自分で自分を治療する技術がだいぶ向上したね~~

そういえば、シングルスで格下と対戦するときは、スピンのかかったムーンボールが有効だったな・・・と、いきなり思い出した。
試合中はそんなことすっかり忘れて、ひたすらハードヒットに取り組んでいた。

去年の最後のラウンドロビンで、「ストロークで押さないと、チャンスボールは来ない」ことを思い知った私である。
ハードヒットできないと、格上には手も足も出ない。

まだまだシングルス初心者の私だから、これからも「連敗」にめげずにがんばろうと決心したのである。
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