10/5(水) |
カメのおかげで、ぬか漬けは大成功 |
うちのぬか床が、とうとう夏を越えた。
やっぱり、カメが良かったみたい。家の中が30度を越える日でも、カメの中はひんやりした感じ。
本に書いてあった通り、「カメは周囲の温度変化の影響を受けにくく、中の温度が一定している」みたい。土でできているから、空気を通すらしいし。
きゅうりなんかは、夏は3時間といわれたのだけど、仕事をしているからそういうわけにもいかない。
寝る前に漬け込んだら、起きるときに出し、仕事に行く前に漬けて、帰ってから取り出す、というパターン。
すると、きゅうりはかなり漬かり過ぎになってしまう。
ぬか床が余りに酸っぱくなってしまい、本を読んだら、「野菜くずをきれいに取り出し、卵の殻と辛子、鷹の爪を入れて、2・3日は野菜を漬けずに、1日に2・3回かき混ぜて様子を見る」と書いてあったので、その通りにした。
でも、患者さんに相談したら・・・
「一度酸っぱくなってしまったものを元に戻すのは大変よ」とか、
「あら、酸っぱいのが美味しいじゃないの」とか言われ、抵抗するのを止めた。
先輩方は「古漬けが美味しいよ」と言うのだが、私にもその境地が少しわかり始めてきたかもしれない。
みんなの牛乳勉強会に行っていた頃、細菌のことをずいぶん勉強した。乳酸菌にはものすごいたくさんの種類があって、温度によって活性化する菌が違う。
田舎に帰っていた間、冷蔵庫に入れておいたら、ぬか漬けの味が変わってしまっていた。5度で活性化する菌以外は、みんな眠ってしまっていたんだと思う。
しばらくしたら、また味が戻ったけど。塩分濃度によっても、菌の種類が変わるのだろうか?
寒くなるにつれて、菌の繁殖具合も違うかもしれない?
病気の治療のためにウィルスや細菌の本を読んだりする。けっこう面白い世界。
ぬか床の中の細菌や、それを取り入れたお腹の中の細菌のことも考えてみる。
この地球で、一緒に生きているんだよな。
涼しくなったら、ほどよい酸味に落ち着いた。適度な酸味で、いい菌が育つと、塩気が薄くても傷みにくいのかもしれない。
「ぬか床をかわいがると、美味しくなるよ」というアドバイスを念頭において、繁殖している菌を育てているようなつもりでかき回してみる。
植物と同じで、声をかけると元気になるかも?
美味しい漬物を毎日食べられるのはうれしいことだ。にっこり。
<お料理レシピ集② 「糠漬けの作り方」を見てね~> |
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9/24(土) |
スターウォーズ エピソードⅢ |
やっと、エピソードⅢを観た。昔のスターウォーズのビデオを借りて復習してからだったから、こんなに遅くなってしまった。映画館は すでに、がらがらだった。
若い二人がかわいそうだったなあ。よってたかって仲を引き裂かれて。
アナキンは子供の頃からパドメが好きだったのだもの。やっと幸せになりかけたところで、何もかもが逆方向に回りだした。
パドメにとって、自分が愛した人が、自分と相容れない、邪悪な価値基準を持っていた(持たされてしまっていた?)ことに気づいたときのショックは、きつかっただろうな。
もちろん、シスが一番悪いんだけど、オビワン・ケノビも、二人が結婚していることにも気づかないなんて、鈍感すぎる。他のジェダイたちだって責任がある。
子供の個性を理解して、その子にあったやり方で、見守ってあげなくてはいけなかったのでは?子供は、狭い世界に生きていて、善悪の基準がまだしっかりしていないし、感情の発達が未熟だ。
まわりの大人がしっかり見守って、正しい方向にいけるように導いてあげる必要があったのでは?
なによりも、セルフラブ、ありのままの自分を愛し、受け入れられるように、手伝ってあげなくては。。
とはいえ、もちろん、アナキンのような、ナイーブで感情が揺れ動く人間とつきあうのは並大抵のことではない、とは思うけど。
落ち込んで、自信を失くしていると、「わかる、わかる」と親切そうに近づいてくる人間に、たやすくマインドコントロールされてしまう。
理解されて、助けられているようでいて、実は、どんどん孤独になり、どんどん自信を失くしてゆき、どんどん自分を見失ってゆき、いつの間にか、相手の言うままになってしまっている。
その人しか頼れる人間がいなくなり、そこしか住む世界がなくなってしまう。大切な人を傷つけてしまい、そのことで、自分もボロボロに傷ついてしまう。
私も昔そんなことがあった。人間て、弱い生き物なのだ。
スターウォーズ的価値観は、西洋的だ。
怒り、恐怖、不安、悲しみを「悪」とみて、それを抑圧しなければジェダイになれないなんて。片手落ちだ。
そんなんだから、ダークなフォースにやられてしまったのだ。
東洋医学はバランスを重視する。喜びすぎてもいけないし、考えすぎてもいけない。悲しみや恐れ、怒り、すべての感情を受け入れて、バランスよく生きることが、心と身体の健康につながる。
ジェダイの思想が、「善」のみに偏りすぎたために、「悪」に足元を救われることになったのだと思う。 |
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9/14(水) |
自分の言うべきことを言う人と、相手が聞きたがることを言う人 |
この間の選挙結果を見て思った。小泉首相って、相手が聞きたがっていることを言う人なんだろうなって。
患者さんにそう言ったら、「ブッシュもそうだと思います」と言った。だから、二人は気が合っているのかも。なんだか、時々操り人形のような目をしてるもの。
もしかしたら、民主党の岡田代表って、自分の言うべきことを言う人なのかな?
あまり政治には関心がないので、政見放送なんかをちゃんと聞いたわけじゃなく、あてずっぽうなんだけど。
みんなが彼のことを「真面目すぎる」と言うのを聞いてそう思った。
私もよく「真面目すぎる」と言われた。ちょっと見は、ファンキー(?)なんだけど、話すと真面目なのがばれるらしい。
私は、友人や患者さんには「言うべき」と思ったことを話すタイプ。仕事のときは特に。西洋医学と東洋医学、プラス、私の知っていることを話すのが私の仕事と思っているから。
相手が「聞きたがる」ことを話すわけじゃないので、それであんまり一般受けがしないのかもしれないな、ということに気がついた。
うちの患者さんは、私が「話したいと思うことを話す」ところが気に入ってくれてる人たちだから、楽だな~。
実は私、私が「聞きたがりそうな」ことを言う人は苦手かもしれない。言葉と本心がかけ離れていると、混乱してしまう。
お互いに思っていることを言い合って、それでコミュニケーションが取れる人たちと出会えることも、仕事する楽しみのひとつだ。
今回の小泉さんのやり方はヒトラーのようだと感じた。反対派を切り捨てるやり方もそうだけど、相手が聞きたがりそうなことを言って人気者になるところが、ヒトラーに似ている。
かつてのドイツで、国を挙げて、ユダヤ人の絶滅と言う暴挙をやった。先導したのは、国民に選挙で選ばれた政党だ。銃で脅したわけじゃなかった。少なくとも初めのうちは。
ユダヤ人は都市部に集中して住んでいて、民族的な結束が固いし、金融関係などの要職につき、お金持ち。
自分たちが生活が苦しいのはユダヤ人がいるせいだ、とヒトラーは言ったのではなかろうか。
みんなが聞きたいと思っていたことを言ったから、人気が出たのかもしれないな。
スケープゴートを作るのが、一番たやすく人々を団結させる。大抵の人は、手近なターゲットや、聞き心地のよいセリフを求めているのかも。
アメリカや中国なんかは、日本みたいに、「戦争がいけない」なんてお人好しの言葉は吐かない。「やらなきゃ、やられる」だ。
日本人て、もう少し利口で平和的かと思っていたけど、民族が違っても、時代が違っても、人間てみんな似たり寄ったりなのかも。なんだか、怖いなあ・・・ |
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9/2(金) |
「航路」を読んで夢判断を思い出す |
コニー・ウィリスの「航路」(ヴィレッジブックス)を読んだ。
これから読もうと思う人は、先入観を持ってしまうかもしれないから、この先は読まない方がいいと思うよ。
「航路」は臨死体験を扱ったフィクションで、うちの患者さんに「はまるわよ~」と勧められた本だ。文庫で上下巻に分かれ、すごく分厚い本だったけど、あっという間に読んでしまった。
マイクル・クライトンのような、科学(医学)とフィクションが入り混じる読み応えのある内容だった。
作者が女性だけに、人間の描写はクライトンよりも優れているし、ちゃんと最後につじつまが合ったのはすごい。
死後の世界がどうなっているのか、人それぞれ思い描くイメージは違う。本は面白かったけど、コニー・ウィリス的死後の世界はいやだなあ。
死んだあとで死後の世界を彷徨って、何度も死の恐怖を味わうなんて。「死ぬ」のは一回で充分だ。
何かの宗教を信じているわけでもないし、私の中に特別なイメージがあるわけでもないんだけど、あの世で父とか、仲のよかった人たちが迎えに来てくれて、そのあと、宇宙生命に融合できたら嬉しいな、とは思う。
やっぱ、一人ぼっちはいやだから。一生どころか、未来永劫だもの。
小説の中で何度も出てきた「メタファー」は、昔、私がうつ状態から抜け出すために夢を利用した時に使ったやり方と似ているなと思い、懐かしかった。
ユング的夢判断は、夢の中の事物ひとつひとつに意味を当てはめず、人も物も、シンボルとして象徴的に受止める。稀にそのものズバリの夢を見ることもあるが、大概は、比喩的な方法(メタファー)でメッセージを送ってくるのだ。
無意識は膨大な記憶を蓄えており、意識と違って、願望や恐怖やしがらみに曇らされずに、真実を見抜いていることがある。しかも、集合無意識といって、他人の無意識ともつながりがあるらしい。
偶然の一致(シンクロニシティ)が起こるのもそのせいだ。
無意識が、脳の中に蓄えられた事物を手当たり次第に使って、ストーリーに仕立て上げる。それが夢だ。
無意識からのメッセージを受け取るために「夢を見」て、機能させるために、正しく解読しなければならない。
私は当時、教本として、別冊宝島⑮「夢の本」の中の、ユング派秋山さと子氏の「夢解きのマニュアル」を使った。
フロイト派はフロイト的な夢を見、ユング派はユング的な夢を見ると言われている。ユング派の本を読むことで、ますますユング的な夢を見ることが多くなるかもしれない。
まず、夢を見る。目が覚めてすぐにパキッと起き上がって日常生活をスタートさせると、見た夢を忘れてしまう。
朝は、布団の中で夢を思い出すことから始まる。夢を忘れないように時折思い出しながら仕事をする。
時間ができたらノートに書く。
書きながら、過去や現在の人や状況が連想されたら、その連想も書く。夢を見てすぐの瞬間と、書いているときでは、夢のイメージが微妙に違ってくる。
最後に、夢の解釈を書く。
だんだん熟練してくると、無意識とのコミュニケーション能力が向上してくる。
私の過去、私の人間関係、私の性格、私の願望、私の恐怖・・・夢は、私のオリジナリティに根ざしたマンツーマンのカウンセラーでもある。
解釈が当たっているときには、その夢はそれで終わりになり、外れていると、同じテーマで、また夢を送ってくる。解釈が当たるまでそれは続く。
夢と仲良くなるということは、私の夢と私なりの解釈法を連動させる、ということだ。それには何年もかかるけど、信頼できる友人の1人となって、私を助けてくれる。
時には予知夢なんかも見たし、治療のアイディアや、対人関係のアドバイスも夢が教えてくれたことがある。何年も前の夢とその解釈を読むと、そこには私の精神的成長の記録を見ることができる。
最近はかなり精神的に安定してきたし、自分のことや周囲のことがかなり分かるようになったので、長いストーリーのある夢はあまり見なくなった。
夢に聞くまでもなくなった、ということみたい。
・・・とはいえ、いまだに時々、ドキッとするような真実を指摘してくれる夢を見るけどね。 |
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8/26(金) |
ADD/ADHDと枠組みと織物 |
おとといは農耕民族の作った枠組み、などと、大いに悪口を言ってしまったが、本当のところは誰が社会のシステムを作ったのだろう?
遺伝子なんて、いろいろ混ざり合ったものだと思う。狩猟タイプと農耕タイプに関しては、どちらか一方の遺伝子に完全に支配されてしまうものなのか?
それとも、傾向としてどちらかの要素がより多い、という程度の違いなのだろうか?
人間は、似たような人に惹かれていくので、同じタイプの人同士が友達になったり、カップルになったりしやすい。そのため遺伝子が偏るのかもしれない。
これは、農耕タイプがどういう特徴をもっているのかが体系化されるまで、明らかにはならない問題だ。
どっちにしろ、ADHDの人には枠組みが必要らしい。
だだっ広い荒野にポーンと放り出されると、どっちへ行ったらいいかも分からず、どうしたらよいかも分からなくなって、混乱して機能停止状態に陥ってしまうらしい。
ADHDに限らず一般的に言える事だけど、親があんまり理解があって「なんでも好きなことしていいよ」と言われると、逆に何がしたいのか分からなくなる。
適度な制限があった方が、反発もしやすいし、道も見えやすい。極端にがんじがらめにされると、潰される危険性があるけれど。
まず初めは、その人、その子に合った枠組みを上手に作ってあげる必要がある。
その内、自分に合った枠組みを、自分で上手に組めるようになると思う。
昔、言葉で表現するのに限界を感じ、「絵を描きたい」と思った。
事実は球体に似ていて、言葉で表現しようとすると、球体の表面を流れる一筋の水の流れのように、一つの結論しか導き出せない。
ある人間を「この人は悪人だ」と、理路整然と解明したあとで、「でも、いいところもある」などと、反対の面が現れてくる。
そのあと、また、「こういう見方もある」と、また別の面が浮上してくる。
「絵を描きたいけど、線一本描けないんです」と言ったら、絵の上手な患者さんが慰めてくれた。
「制限があった方が、絵は描きやすいんですよね。真っ白いキャンパスに、『何でもいいから、さあ描きなさい』と言われても、最初はなかなか描けないものですよ」
なるほど、そうなのかもしれない。
真っ白い紙に、いくらでも描けるのは、幼い子供だけだ。子供の頃には絵を描くのが大好きだったのに、ある時点から描けなくなった。
これは、芸術に評価と点数を結びつけた学校教育の責任が大らしいが。
でも、絵は描けなくても、織物なら織れるんだよね。織物作家の小林愛子さんに織物教室をしてもらった。
キャンパスの木枠を利用して、トンカントンカン釘を打ち、手製の織機を作る。
とりあえず、縦糸を張る。そしたら、あとは横糸を次々に入れていくだけ。
模様の所はターンすればいい。
この辺に、この色、この糸で、こんな模様を入れてみよう・・・そうやって、黙々とやっていると、いつの間にか、マフラーやタペストリーが織り上がる。
昔の女は、誰もが織物を織れる芸術家だったというのもうなづける。 |
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