10/10(金) |
携帯サイトのカレンダーができたよ |
先週は、携帯サイト用のカレンダーづくりにはまっていた。
i-モードでは、表が使えないので、今までは、休診日を羅列するだけだった。曜日との関係がわかりにくいので、ずっと気になっていたんだ。
(今は、携帯でカレンダーが見れるので、予約のときに便利だよ~!)
治療室のドアの前には、プリントアウトしたカレンダーが貼ってある。それを写真にとって、最初のカレンダーを作ってみた。きれいに、とはいかない。もうちょっと、もうちょっと、となってくる。パソコンのディスプレイも写してみた。
実は、デジカメをもっていないので、写真は、携帯でとっている。何度も何度も写真をとって、そのたびにメールでPCに送るので、けっこうめんどうなんだ。
少しでも見やすくしようと、ホームページ・ビルダーのウェブアート・デザイナーを使って、文字やアイコンをあれこれ切りばりして、一生懸命に工夫をした。
こうなったら、もう止まらない・・・
とうとう、カレンダーを自分で作ることにした。ボタンを細長~く伸ばして、それを複製し、格子状に組み合わせて、枠を作った。
裏には、これもボタンを使って、大きく広げて台紙にした。枠の中の色も、ボタンで四角を作ってはめ込んだ。
日、月、火、、、とロゴを作り、1~31までの数字も作った。毎月、毎月、そんな面倒なことはやれないので、どうやったら、簡単にその月のカレンダーを作れるかを考えながら。
そして完成。デザインまで考える余裕がなかったので、PCのカレンダーと同じパターンだけど、下手なところが、逆に、手作りの味がある?
「なかなか、いいじゃん!」と、大喜び。何度も携帯サイトを開いては、カレンダーを眺めて、いい気分になった。ついでに、あちこちのぞいてみたら、けっこう、更新されないままのページがあることに気がついた。
それで、携帯サイトもリニューアルしてしまった。よく更新しているものを上にして、「みっく」は「あれこれ」に入れた。
ついでに、英語版も、作っちゃおうかな?
なーんてことで、英語のカレンダーをつくり、information をつくり、今は cases (症例集)を携帯サイト用にアレンジしてる。
とにかく、私って、ほんとうに凝り性なのだ。
はっと気づくと、もう夜中。「ヴェルたん、ごめんね~」状態。お散歩も、ほんとうにおざなりだった。首はバリバリ、肩はカチカチ。
そして、テニスで、自分の身体に付けが回っていることに気がついた。
先週なんか、自分でも驚くほどの実力アップ。思い通りのプレーができて、大満足の自画自賛だったのに。。。
それが、今週は、本当に悲惨だった。直前までパソコンに貼りついて作業をしていたので、できの悪いロボットみたいに、身体がギクシャク。
思うところにボールが飛ばせないどころか、ときには、目の前に来たボールまでが、ラケットを素通りして行ってしまう。空振りっていうやつ。
みんなに褒められた反射神経は、どっかへ行ってしまった。
鍼治療をサボると、身体の切れが悪くなるのはたしかだった。ボールのスピードについて行けなくなる。でも、それだけじゃなかった。
ヴェルのお散歩を減らしたら、てきめんに自分の身体機能の低下がおこった。チワワにしては筋肉質のヴェル。鍛えたのは私なんだけど、いつの間にか、私自身も鍛えられていたみたい。ほとんど毎日の、ハードな散歩が、私の脚力の源だった。
鍼灸治療と運動は、バイクの両輪だ。どちらが欠けても、こけてしまう。テニスでハッピーになるためには、どっちも必要なんだよな。
できれば、週に2回ぐらい、テニスをやりたいなあ・・・ |
|
|
|
|
9/28(日) |
テニスをして、肩が笑う |
23日の祝日は、テニススクールのイベント、こんどはオータム・スクールに参加した。一日、6時間もテニスの練習をするのだ。いつもは、たったの1時間半。
そんなに体力がつづくかな? 朝9時からなんて、起きれるかな?
前々日には、網戸の張替えと、風呂場のカビ取りのせいで、右のぎっくり肩甲骨になった。前日には、ドアに左ひざをぶつけ、中華なべで右手をやけどした。
やるまえから不安材料だらけだった。
ぎっくり肩甲骨は、カマヤミニで応急処置をした。左膝は、びっこを引くぐらい痛かったけど、糸状灸をして、次の日にはよくなっていた。火傷も、なんとか、ラケットが握れる状態だとわかった。
当日の最初の難関は、「太陽」だった。雲ひとつない青空で、ギンギラ、ギラギラ燃えつづけ、ジリジリ、チリチリ肌を焼く。
私は、顔には何も塗らない主義なので、日焼け止めクリームは初体験に等しい。去年買ったパックスの日焼け止めを、一応、用心に、顔には塗ったのだけど、なんと、腕がジリジリと、痛いぐらいに焼けはじめた。
「手とか足にも、日焼け止め、塗ってるの?」と、まわりの人たちに聞いた。
「そうよ。手にも足にも、首筋にも、とにかく出ているところは全部塗るのよ」と、みんながアドバイスしてくれた。
暑い炎天下、長袖、長ズボンでテニスしている人を見て、ずっと不思議だったのだけど、日差しって、すごいパワーがあるんだね。
更衣室に戻って、長ズボンに着替え、日焼け止めを塗りたくった。
初級のクラスは、昔お世話になった斉藤コーチだった。1年半ぐらい前に、転勤になって「悲しいよ~」と、日記(07/2/5)で言及したコーチなのだが、実は、数ヶ月でこっちに戻ってきて、他のクラスのコーチをしていたんだ。
斉藤コーチに、「みづさん、手首のクセ、まだ直ってないじゃないですか」と、また注意された。覚えててくれたんだ。すごい!
2年前にも、何度も、手首の使い方を注意されてたんだけど、言われていることが、ぜんぜんピンと来なかった。
それが、今回はじめて、理解できた。なるほど!
親指の方向に手首を立てて、そこを支点にして、手首を回転させながら打つと、ボールに当たるときのラケット面が固定できて、コントロールが安定するんだ、ということに気がついた。
「スピンをかける」という感じも、身体でわかった。スピンをかけて、なおかつ思うところにボールを飛ばせる感覚が新鮮で、実に面白い。
調子に乗って、やりすぎたんだろうな。手首に気をとられて、ちょっと「手打ち」気味になっていたのかもしれない。
午後の練習がはじまってすぐに、右肩の筋肉が笑っていることに気がついた。
よく、「ひざが笑う」って言うでしょ。山登りとか、長い階段とか、慣れないことして無理すると、ひざがガクガクする、アレだよ。
筋疲労が極限を超えて、力がうまく入らなくなってしまうんだよね。それが、肩でおこった。
サーブはぜんぜん無理だった。ラケットが重くて、頭の上に持ち上げるのもやっと。ボールに当てるだけでよろよろしてしまい、飛ばすなんてとんでもない。
サーブ練習のあいだ、ベンチに坐って、スポーツ・マッサージに古方あんまに指圧と、いろいろやってみた。ハリを打ちたいけど、そんな余裕はない。いったん始めたこと、途中でリタイアするの大嫌いなんだ。意地でも、なんでも、やり遂げたい。
そうだ!キネシオだ!いつも、患者さんに教えてあげてるみたいに、自分もやってみよう!と思いついた。
また更衣室に戻って、右肩を囲むように、上も下も横も、肩から腕への筋肉にも、キネシオ・テープを貼りまくった。
キネシオ・テープの力はすごい。サーブは、3球ぐらい打つと、どっと筋疲労がすすむので、アンダーにしたけど、ボレーは問題ない。ストロークは何とか打てる。手首の極意をつかんだおかげで、コントロールでしのいだ。
不思議なのは、練習がすすむにつれ、筋疲労がマイルドになっていったことだ。
キネシオ・テープは、伸縮性のあるテープを使って、筋肉に沿って伸ばしながら貼る、運動器疾患の治療法のひとつだ。
筋肉は縮むことで働く。「縮もう、縮もう」とするテープを貼ることで、筋肉が収縮するのを助ける。筋肉の負担がへり、少ない力で、大きく動かせる。
筋肉が動くと、筋ポンプ作用で、筋肉の内部の血行が良くなる。それが、疲労物質を押し流し、筋疲労の快復を早めたのだろう。キネシオを貼って動いたことが、笑いころげる肩の筋肉を、マジにする(?)効果があったのだ。
ただひとつの自慢は、最後まで走れたことだ。たしかに疲れたけど、でも、動けた。テニスは、走れればなんとかなる。非力でも、全身のバネでボールが飛ばせる。
脚力がついたのは、チワワのヴェルとの散歩のおかげかも・・・
夜、「名探偵ポアロ」をみながら、右肩を中心にハリを打った。
松尾芭蕉の「閑かさや岩にしみいる蝉の声」じゃないけど、心地よい刺激が、傷んだところにしみいっていくような感じがした。ものすごく気持ちがよくて、筋肉が蘇っていくのがわかった。
鍼灸治療には、道具にも手技にも、さまざまなバリエーションがある。それが、もっとも適切なかたちで使われると、こんなふうに、「快感」と「効果」の二重奏がおこる。求めている刺激を、ツボをつかって与えてあげるのだ。
もっとも鍼灸の恩恵を受けているのは、この私自身なのである。
次の日のスクールでは、多少疲れが残っていて100%とはいかなかったけれど、いつものように練習できて、すごい自信がついた。
テニススクールに通いはじめて、もうすぐ4年になる。練習回数は200回ぐらいになるのかな?体力と筋力をつける目的ではじめて、最近、やっと「テニスが趣味」と言えるようになってきた。
90歳まではつづける予定なんだ~。(^-^)~~ |
|
|
|
|
9/18(木) |
[映]シックスセンス |
全米オープンテニスが終わった。ナダルが準決勝で負けちゃったので、決勝を見る楽しみが半減した。残念だったよ~。
WOWOWでは、一日10時間も放映があったので、とりあえず、男子の試合だけ見たのだった。それでも、けっこうなハード・スケジュールだった。
そのオブセッション(?)から解放されたので、今は、チューナーに録画しておいた古い映画を見たりしてる。アガサ・クリスティの「ミス・マープル」や「名探偵ポアロ」なんかも、ちょっとハマって見てる。
映画「シックス・センス」は、インド人の、M・ナイト・シャマラン監督の作品で、ブルース・ウィルスが、主役の精神科医を演じている。
ちなみに、原題は、The Sixth Sense で、第六感という意味だよ。
何年か前にはじめて見たときは、映画の後半になってトリックに気づき、最初から、また見直したのであった。そのときは、トリックに気をとられて、大していい映画とも思わず、???だけが心に残っていた。
ちょうど、ケーブルでやっていたので、とりあえず録画をしておいたんだ。
この先、ネタバレありだよ。
精神科医のマルコム(ブルース・ウィルス)は、妻アンナ(オリビア・ウィリアムズ)との二人暮しだ。ある夜、家に暴漢が侵入した。彼、ヴィンセントは、10年前にマルコムが治療をした患者だった。
マルコムは背中を撃たれ、実はそのときに死んでしまったのである。本人も、自分が死んでいることに気がつかず、観客にも、最初はそのことがわからないように映画が作られている。
幽霊となったマルコムは、今も、自宅の地下室に住んで、精神科医としての臨床に取り組んでいる(つもり)だった。
そして、8歳の少年、コール(ハーレイ・ジョエル・オスメント)に出会う。コールは死者の姿が見えるという能力を持っている。まわりに、死んだときの姿をしたままの幽霊たちがウヨウヨいて、コールに話しかけてくるのだ。
そのことを誰にも打ち明けられない。だから、友達もできず、まわりの大人からは、情緒障害児と思われていた。
思うに、ヴィンセントもそうだったのだろう。「大人になれば見えなくなるって言ったけど、10年たっても、まだ治っていないじゃないか!」
ヴィンセントはそう言って、マルコムを撃ったあと、自殺をしてしまったのだから。
治せなかった患者のことが心残りだったマルコムは、死者となってもなお、精神科医としての仕事を忘れられず、コール少年に出会ったのだ。
コールは、マルコムの助けを得て、勇気を出して、幽霊の話を聞いてみることにした。そして、生きている人間に、死者の願いを伝えてあげることにする。
母親にも、思い切って打ち明けることができた。子供らしい笑顔になって、生き生きとしていくコールの姿が、感動ものだ。
コールは、死者が見えることをマルコムに打ち明け、信じてもらったことで、勇気を持つことができたんだろうな。
おとなになってからだって、同じことが言えるんだけど、特に子どもは、まわりの人間に信じてもらうことが、自分自身を信じることにつながり、そこから前向きに生きる力を培っていくんだと思う。
「幽霊が見える」という話を、まともに取り合ってくれる大人に出会うチャンスなんて、めったにないことだと思うけど、コール君は運がよかった。
マルコムもコールに助けてもらう。人間と人間とのいい関係って、そういうものだと思う。完全なる一方通行って、ないんだよね。
マルコムは、事件以来、妻との間が気まずくなり、会話もなくなって、無視されつづけていることを、とても悩んでいたからだ。
「眠っているときに話しかけると、相手に伝わるよ」と、コールにアドバイスされ、そして、マルコムは自分が死んでいることに気づく。幽霊なんだから、無視されるのはあたり前だ。愛がなくなったわけじゃなかった!
幸せそうなコール少年を見て、自分の役目を果たしたことを知ったマルコムは、安らかに神様のところへ行く。
私も、治せなかった患者のことは、いつまでたっても気がかりだもんな。成仏できないと困るから、その後の経過をメールしてもらえたら嬉しいな。
もち、治った人もだよ。返事は、ものすごく短いかもしれないけどね。
(^-^)~~
あと、「信じる」という話は、うそつきには当てはまらないよ。うそつきの話を信じても、軽蔑されて、ますますつけあがるだけだ。
まっ、うそつきは、自分より上手にウソをつく人を尊敬し、惹かれていくので、そのうち、もっとひどい目にあうのだけどね。 |
|
|
|
|
9/6(土) |
トラウマを乗り越える |
デル・ポトロ戦の錦織は、自分らしいプレーをすることなく負けてしまった。試合をやる前から、泣きそうな顔をしてたもんな。。。
あんまり騒がれたんで、プレッシャーに押しつぶされたのかもしれないね。一流選手になるためには、どうしても乗り越えなければならない壁だ。
そのあと、デル・ポトロはマレーに負けたのだけど、試合のあとのデル・ポトロが、「自分はハッピー」とすがすがしい顔で答えていたのが印象的だった。
全力を出しきれたときは、試合のあと、満足感を味わえるのだろうな。次への挑戦という、新たな目標が生まれるし。
今回の私のテーマもそれだった。「のびのびとプレーをする」という目標。前回、ひどいあがり方をして、カカシのようなプレーしかできなかったことが、トラウマになってしまっていたので、それを乗り越えたかった。
「また、あんな風になってしまったら、どうしよう!」という不安が、恐怖心を呼びおこし、その恐怖心が、また不安を増強する。その悪循環がトラウマになって、ついには身体機能にまで影響を与える。
パニック障害でいう「予期不安」と同じ現象だ。「予期不安」は、うつ病でも、対人恐怖症でも、普通の日常生活でもおこることだ。
もうすぐ練習試合という頃、コーチが、試合に向けた練習に力を入れてくれた。「今度こそ!」という、みんなの思い。でも、張り切れば張り切るほど、プレッシャーでかたくなる。特に私は、試合になると、またカカシになった。
古くからの友人に電話して聞いた。
「いつもなら絶対にコートに玉が入るのに、試合になると、全部ホームランになっちゃうんだけど、どうしたらいいの?」
彼女いわく、
「ああ、なるほど、面が上向いちゃってるんだね。入れよう、入れようと思うあまり、知らないうちにフォームが崩れてるんだよ。『玉を置き行く』って言うんだけどね。『入れよう』じゃなくて、『フォームで打つ』ように心がけるといいよ」
彼女は、スペインの路上で「ここ、イタリアってさ」とボケをかますような人間なんだけど、なぜか、テニスのアドバイスはすごく的確なんだよね。
試合の当日、私の出番が来て、ついうっかり、先にサーブを選んでしまった。けっこうサーブは得意なんだけど、いきなりはヤバイよね~。
「練習のときはほとんど入るのだから、練習どおりのフォームでやれば、絶対入るはず」と信じてやったけど、トリプル・フォルトの連続。そして、やっぱりカカシになった。
試合のあと、そばにいたOコーチに、
「練習のときと同じフォームで打ちつづけたんだけど、ぜんぶロングで、ぜ~んぶ同じ場所にフォルトしたんですよね。何でですか?」と聞いた。
「同じフォームと思っても、カタくなっているから、腕とか縮こまっちゃってるんですよ。ネットの上の空間に目標を定めて、そこを狙うようにするといいですよ」とのアドバイスをしてくれた。
やっぱり、試合では、練習と同じフォームで、というのも難しいようだ。
4ゲームずつ、全部で3試合やって、2試合目は、相手サーブが大きくフォルトしたことにも気づかず、エースと思い込んでしまったほどあがっていた私だけど、だんだん落ち着いていった。
3試合目には、平常心を保つことができて、練習どおりのプレーができた。思うところにボールを飛ばせて、自分の組み立てどおりに動けたことで、どうやらトラウマから解放されたことを知った。
実は、平常心を取り戻したのには、秘訣がある。ポケットにふまれこⅡ世(お守りのぬいぐるみ)を入れていたんだ。
1本終わるごとに、ポケットに手を突っ込んで、ふまれこを握りしめる。ふわふわの感触が、私にはけっこう効果がある。歯医者に行くときとか、苦手な人に会うときとか、バイクで遠出をするときとか、お守り代わりに持ち歩いてる、レッサーパンダの小さなぬいぐるみだ。「信じるものは救われる」だよね。
練習試合のあとは、スクールのバーベキューパーティ。最後に、ビンゴゲームをやる。そんで、ナイキの時計をもらっちゃった!ナダルと同じマークがついている!
患者さんに「ナイキの製品には、みんな同じマークがついてるんだよ」とバカにされたけど、でも、時計を見るたびに、ナダルを思い出していい気分になれる。
いつも患者さんを待たしている私。時計を持って、時間に正確な人間になろうと思っていたところだった。
これからは、あまり、待たせないようにがんばります!(^-^)~~
・・・でも、とりあえず、用心に、ちょっと遅れて来てね~~・・・ |
|
|
|
|
9/1(月) |
テニスの練習試合 |
昨日の全米オープンの、錦織圭とフェレールの試合はすごかったね。フルセットの末、錦織が勝ったけど、4時間以上の試合は、見るほうも体力がいる。
フェレールもけっこう好きなんだ。2セット取られたあと、スペイン語で¡coño! とか、¡mierda!とか、汚い言葉を連発して、でっかい声で悪態をついてたら、審判に警告され、英語で Why? ととぼけていた。
どっちも好きな選手の熱戦は、見てて楽しいよね。
おとといは、テニススクールの練習試合に出た。
まあまあ、目標はクリアーしたかな。試合で過度に緊張せず、練習のときに近いプレーをする、っていう。
・・・前半はひどかったけどね・・・。
練習試合といっても、私が行っている京王テニススクールの、初級の人だけを対象にしたイベントだ。
最初の1時間は、みんなで練習し、そのあとはリーグ戦。試合形式で、それぞれ8ゲームやる。サーブは3回までできる。最後にサイコロを投げて、取ったゲーム数にかけて、それで勝敗を決める。
「試合に慣れるように」との目的での特別ルールなのだ。
イベントに出るのは、今回が3回目なのだけど、前回、ゴールデンウィークのときのは、もう最悪だった。ガチガチに緊張して、かかしが棒切れを振り回しているようなものだった。ホントだよ。
いくら、久しぶりの「試合」とはいえ、それにしても、こんなにあがってしまうなんて、本当に尋常じゃない。
私だけでなく、クラスのみんなもガチガチだった。
週に1回のスクールだもの。練習不足。試合慣れしてないこと。そして、チームメイトとしての信頼関係も、まだ育っていない。
みんな、すごくまじめにテニスに取り組んでいるから、失敗を恐れて、マイナス思考になっちゃうんだよね。
ゴールデンウィークまでの1年半は、ちょうど、私のテニス道も、迷い道のどんづまりだった。どんどん下手になっていって、どこにボールが飛ぶかもわからない。自分が何をしているかもわからない状態になっていた。
カカシのように突っ立ったままでの自分の「試合」を終わったあと、コーチのエキシビション・マッチを見た。
さすが、テニスで飯を食ってるだけのことはあって、コーチたちは、ものすごく上手だった。これから100年がんばっても、あの10分の1もうまくなれないことに気がついた。
そこで、私は開眼した。
この年で、この(細身で華奢な)身体だもん。強い球を打とうとか、すごいスピンをかけようとか、無理難題に取り組むのはやめて、自分らしい目標を立てよう。ヘナヘナでもいいから、ちゃんとコースを狙える球を打てるようにがんばろう。。。
すると、相手コートが見えるようになった。
それまでは、自分の腕のふりだの、足の位置だの、ラケットの動きだの、部分に気を取られて、全体を見る余裕がなかったのだ。
一気に迷い道から抜け出し、突然の変身。のびのびとプレーできるようになったら、なかなかナイスなショットが打てるようになった。
練習でいいショットが打てるようになっても、「試合」でできるかどうかは、また別の問題だ。
どんな名選手でも、コートに立つときは、心臓バクバクで、かたくなってしまうらしい。Sコーチも、「試合で6割、自分の力が出せれば、上等ですよ」と笑って言った。
それに、「対人恐怖症」的な問題もある。パートナーやチームメイトが、よく知らない人間だったりすると、無意識のうちに、過去のトラウマを相手に投影してしまうこともある。なにかが引き金になって、恐怖心が引き起こされるのだ。
そんなこんなの「気づき」があって、余分な緊張感から解放され、それがプレーにも反映されたのだ。
おとといの練習試合は、過去のいろいろなトラウマを克服し、試合の中で、自分の闘争心をプレーとして表現できるかを試す、絶好のチャンスでもあった。
P.S. 症例37 便秘を更新したから、読んでね~ |
|