doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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5/29(日) ぎっくり腰になっちゃった
テニス・スクールでドロップ・ボレーを習っている。やっと中級になり、新しいことを習っているので、私はノリノリであった。
スクールのあと、すぐに壁で練習をすると、よく覚えられるんだよね~。

調子に乗って、1時間も壁打ちをし、そのあと、空きコートでサーブの練習をはじめたら、「あれ???」
なんだか、腰が重い?カゴのボールを取るときに、腰をかがめるのがつらい?

最初にギクッときて、だんだんよくなるタイプではなく、時間の経過とともに、だんだん悪化していくタイプのぎっくり腰だ。
疲労がたまりにたまっているときに起こる。ある瞬間、臨界を越え、いきなりメルトダウン。次から次へと、歪が波及していく・・・、そんな感じ。

今まで何年間も、スクールで教わってきたのは、トップ・スピン(順回転)である。ドロップショットはスライス(逆回転)だ。
今までとは、腰の筋肉の使い方が違う。

しかも、この数ヶ月、犬の散歩中に毎日ストレッチをしているので、ずいぶん効果がでてきて、いろいろな関節の可動域が広がっている。それで、筋肉バランスが変化して、今まで使っていなかった筋肉を使うようになった。
それも原因のひとつだ。

あとは、ずっとパソコンの前に坐って、スペイン語や英語のページを書くのに夢中になっていたせいもある。
¿What's Acupuncture? のページも書き直した。今も、あれこれ書きつづけている。
ずっと坐っていると、立ち上がったあと、「あ、また悪化している」とわかる。

しかも、この気候だ。この頃は、ぎっくり腰の嵐である。
まず、私を治療する人がぎっくり腰になって、治療の間があいてしまった。
昔馴染みの患者さんが、次々にぎっくり腰になってやってくる。
この季節のぎっくり腰は、「冷え」が原因のことが多い。特に女性は。

どうしようかな・・・、明日のスクール行こうかな・・・、休んだほうがいいかな・・・、と迷いながら、ずっとパソコンに貼りついている私である。
5/20(金) スペイン語版に手を入れて・・・
魔がさしたというか、スペイン語にはまってしまった私。

英語版のメニューバーの "Spanish""español" に変えようと、突然、思いたったのだ。
前から気になっていたんだけど、うちのホームページビルダーでは、ñ の文字がロゴで作れず、無理と思ってあきらめていたんだ。
でも、だんだん技術が向上している。espanol を組み合わせて、español にすればいいんだよね。
初心者の頃に作ったので、データーをきちんと記録しておらず、色など合わせるのが大変だった。

次に、"What's Acupuncture?" のページを、スペイン語にしようと思いたった。
英語をスペイン語にするのは、単語を入れ替えればいいので、けっこう簡単と聞いていたし。

何年ぶりかで辞書を開いてみたら、うっ、・・・、見えにくい!!!

昔は普通に読めていた和西辞典の文字が、小さすぎて読みにくい。いつのまにか老眼がすすんでいたのだ。

スペイン語のページを作るのを、老後の楽しみにしようと思っていたのだが、辞書が読めないのでは、そうとう困難な「楽しみ」になってしまう。
最近は、あらゆるものの文字が大きくなっている。数年前に買った西和辞典のほうはちゃんと読めるのだが、20代で買った辞書は、字が小さいんだよね。

老眼は、調節機能の低下と聞いた。見る努力をつづければ、見えやすくなるかもしれない?
いったんはまってしまうと、抜けられなくなってしまうのが、私の習性。毎日ちょっとずつやろうと決めたのに、暇さえあれば、何冊もの辞書をひろげてPCに向かい、寝る時間も削って打ち込んだ。

10年ぐらい前に書いた文章なので、今では少し考え方が異なっている。それもついでに書き直さなきゃならなかったので、それがけっこう大変だった。

昔は、自分がうつだった時代のなごりがあって、精神的な疾患にとても興味があった。自律神経失調症の患者さんも多く、治療も得意だった。
でも、最近は、あまりいなくなった?

今では、そういう症状は「うつ病」と診断され、抗不安剤や抗うつ剤などをすすめられているのではないだろうか?

(向精神薬や痛み止めなどの、神経に作用する薬を飲んでいると、鍼灸の効きが悪い。クスリかハリか、どっちか選んだほうがいいですよ、ということになる・・・)

そんなこんなで、時代も、私自身も、この10年で変化してしまった。それに合わせて、あちこち書き直す必要があるなあ。

集中していたら、細かい字を見ることに目が慣れてきて、辞書が読みやすくなったよ。でも、睡眠時間も減らし、食事も不規則になり、胃は壊れるは、目は疲れるは、頭痛はするはで、けっこう悲惨なことになった。
3日間のめりこんで体調を崩し、3日間休養するより、やっぱりちょっとずつやっていくほうが利口だよね。
反省している・・・。

スペイン語に興味のある人は、¿Qué es acupuntura? を読んでみてね~
5/11(水) スペイン旅行記⑪ サッカー観戦
同行の先輩は、大のサッカーファンである。一緒にスペインに行くことになったとき、「サッカーの試合を見に行く?」と聞いたら、「だって、あなた、興味ないんだから、悪いわよ」と遠慮。
サッカーには興味がないけど、いろんな体験をするのは面白い。

事前にネットで調べたら、ちょうどバルセロナの最後の日が日曜日で、その夜に、リーガ・エスパニョーラの第5節、バルサVSマジョルカの試合があることが分った。
私たちって、本当にラッキーだった。

前もって、スタジアムにチケットを買いに行く余裕はないから、ぶっつけで行くしかないね、と言っていたのだけど・・・

ランブラス通りに着いてすぐに、先輩が、「まず、あの店で、ユニフォームを買うわ」と、リセウ駅のすぐそばのお店に入った。

店員はユニフォームを見せて、『これはオリジナル』と何度も主張する。
先輩は、英語もスペイン語もできないのに、いきなり、手まねで『ダウン』、『ダウン』と、値引きを要求。けっこう安く手に入れた。
一見奥様風なのだけど、上野の生まれ。「アメ横のそばで育ったのだから、一応、値切らなくちゃね」と、にっこり。

私も、ジャパン・オープンにやってくるナダルの応援のために、スペイン国旗を買おうと思っていた。ちょうどいいお店に行き当たった!

最初、部屋に飾れるように小さいのにしようと思ったのだけど、待てよ・・・?、席はかなり上のほうと聞いていたので、それじゃあ、ナダルから見えないじゃん。
国旗も、『オリジナル、オリジナル』と何度もアピール。あんまり言われると、かえって怪しい?

(先輩のおかげで私の国旗も負けてもらえ、無事に、ナダルの決勝戦でひらひらさせることができたよ)

「明日、バルサの試合を見に行くって言ってちょうだい」と先輩に言われ、店員に話すと、『チケットは買ったのか?』とノリノリの反応。
『まだ』と答えると、『すぐそこにチケット売り場がある』と、もう1人の店員もやってきて、ふたりがかりで、一生懸命に道を教えてくれた。

『ガイドブックあるでしょ?ガイドブックを出しなさい』と言う。
ガイドブックの地図に印をつけてくれたのだけど、それでも足りないと思ったらしく、『紙、紙、紙はどこだ?』と机の下を探しまわり、地図まで描いてくれた。

歩いて1分、駅の反対側、教会の路地を入ったところに、チケット売り場があって、けっこういい席が手に入った。
ね、私たちって、本当にラッキーでしょ!

次の日、サグラダ・ファミリアを外から見たあと、カタルーニャ音楽堂に戻って、中を見学した。
たっぷり1時間、なんと説明はすべて英語だった。
ガウディのライバルといわれた建築家、ドメネク・イ・モンタネールが建てたものだ。たったの3年で完成したらしい。
一切の照明を使わず、美しいステンドグラスごしに差し込む自然の光で、昼間だけコンサートをやったんだって。

そのあと、ガイドブックを見ながらたらたら歩いていたら、すぐ近くに、クワトロ・ガッツがあった。ピカソが通っていたカフェ&レストランだよ。中には、ピカソの絵や写真がたくさん飾られていた。
ここでは、ピーマン炒め(素揚げ?)とビール。入り口で『食事ですか?』と聞かれ、『ちょっと食事とビール』と答えたら、カフェに案内された。
奥がレストランで、みんなが美味しそうに食べているのを見て、ちょっと後悔した。ピーマン、すごい美味しかったけどね。

そこから、また、たらたら歩いて、王の広間でひと休みしたあと、予定のお店、サンタ・カタリーナ市場のレストランで、お寿司と海老料理を食べた。
日曜日なので市場はお休み。先輩は残念がってた。

そのあと、「ちょっと待っててね」と、先輩はトイレでバルサのユニフォームに着替えた。地下鉄に乗って、一路、カンプ・ノウ・スタジアムへまっしぐら。
近づくにつれ、ユニフォーム姿の人の割合が増えていく。
「けっこう、すいてるね」と思ったらとんでもない。
ぞくぞくと人が増えて、98000人収容のスタジアムが、満員になった。

全館禁煙とのことだったが、みんな、シートでもどこでも、普通にタバコを吸っていた。
スペイン人はおおらかだなあ。
さすが、本場のサッカーはすごい。
ひとつひとつのプレーに、スタジアム全体が、生き物のようにどよめく。

ひそかにマジョルカを応援していた私。
というのは、スペインに行く前に予習をしようと、リーガの試合を録画しておいたんだけど、あまりの忙しさに、マジョルカVSレアルの試合をみるのがやっとで、バルサの試合が見れなかったんだよね。

ここでマジョルカを応援したら殺されかねないと、私はシーンと小さくなっていた。
となりでは、先輩が、スペイン人よりもすごい激しさでバルサの応援をしていた。
この前、ケーブルテレビで、リーガ・エスパニョーラの試合を見たときに、「あれ、ここはカンプ・ノウ?」
見覚えのある風景とともに、あのときの感動が蘇ってきた。日本のために黙祷をしてくれた。
いまや、世界は狭いなあ。行っておいてよかった~。
試合が終わったあとは、もう真っ暗。人波のあとをついて、地下鉄に乗った。先輩は、「みんなが私を見るのよね」と不安がってる。
バルサのユニフォームを着ているのだから、みんなに見られて当然。注目されていれば、スリも近寄りにくいと思う。

バルセロネータまで行って、そこでまた晩ご飯。先輩の胃は疲れを知らない。
カウンターで食べていたら、若い男の子が、先輩の肩をポンポン、と叩いた。
「この人がなんか言ってる」と言うので、『何?』と聞くと、両手の人差し指を立てて、”¿uno y uno?” と言っている。
『えっ?』と戸惑う私に、相手は外国人と悟った彼は、手を振って行ってしまった。

「1,1って、何だろう???」と言う私に、先輩が、「あ~!」とでかい声。
「試合の結果よ! 1対1かと聞かれたんだわ! 惜しかった~。感動を分かち合えたのに~~」と残念がる。

昨日も、思い出して、まだ残念がってたよ。(笑)
4/27(水) スペイン旅行記⑩ サグラダ・ファミリア教会
久しぶりに症例集の更新をしたよ。私がてこずったテニス肘の話。
治ったら書こうと思っていたんだけど、なかなか治らず、なかなか書けなかった。長い間引きずって、ほんとうに苦労したけど、おかげで肘のことがすご~くよく分った。
テニス・プレーヤーとしては、かなりの回り道だったけど、仕事にはおおいに役立った。「終わりよければすべて良し」というところだろうか。

テニス肘・1」は患者さんの治療。以降は私の話で、「テニス肘・2」は、フォアハンドでの話。「テニス肘・3」は、こじらせたときの治療の話。「テニス肘・4」は、バックハンドでの伸筋と、その後の話。
すご~く長くなってしまったけど、読んでね~。

ところで、いつ終わるのか、これも長々と引っぱっている去年の旅行の話。つづきを書くね~。

スペイン最後の日。朝イチで、カタルーニャ音楽堂へ行った。切符売り場の前は長い行列で、昨日のオランダ人夫婦とバッタリ会った。30分以上も待たされて、チケットは1時間後だって。
待っている時間がもったいないので、2時間後のチケットを買い、その間に、地下鉄で、サグラダ・ファミリア教会の見学に行った。

これで3回目になる。前に行ったときは、並んでいる人もなく、すぐに中に入れた。でも、チケット売り場の前から、50m以上もの長い長い行列ができていた。
バルセロナ中がヨーロッパの観光客でいっぱいになってしまった。

これでは、ちょこっと見物というわけにはいかない。先輩が、「ここは外から見るだけでいいわ」というので、ぐるりと周囲をまわって終わりにした。
新しくできたところは白くてきれい。だんだん風化して黒ずんでくる。着々と建設が進んでいる。
当然のことながら、あまりの大きさに、全体を写すことができない。
下の写真は、裏から見たところだよ。
教会の裏側は、壁一面、彫刻で飾られている。初めて行ったのは7年ぐらい前になるかなあ。
その頃は、真っ白だった。
天使たちが、けぶるような柔らかさで表現されていて、この世のものとは思えない美しさだった。1日中でも眺めていたいと思ったものだ。

でも、すっかり黒く汚れてしまい、あの感動はもう味わえない。
教会の裏手にある公園でひと休み。ベンチのおじいさんと一緒にタバコを吸った。私たちを見て遠慮して、いったんは胸ポケットにしまったんだけどね。

先輩が、携帯灰皿を出すと、『えらい!』と、ニッコリ。
『吸殻はどうするの?』と聞いたら、地面に捨てて、足で土をかけて、『ほら、こうすれば見えない。掃除の人が片付けてくれるから大丈夫』だって。

『ものすごい人が並んでいるけど、日曜日だからなの?』と聞いたら、『最近は、毎日がお祭りだ』だって。人、人、人で、昔のような静かな日々はもうないそうだ。
おじいさんは大工さん。ドアの専門職人というから、建具屋さんのようなものらしい。指を切断したときの傷を見せてくれた。若さを保つために、毎日トレーニングをしているという。写真を撮りそこなったのが惜しい。

若い白人の観光客のグループを指差して、『泥棒に気をつけなさい。ああいう人たちが一番狙われるんだよ』と言う。
『ロマーノ(ジプシー)は、顔も髪も黒い。でも、髪を金髪に染めて、観光客のような格好をする。カモフラージュだ。そして、仲間をよそおって、観光客に近づく。ナイフを隠し持っていて、布のバッグを切る。横にサーッと切ると、中味が全部、ドサドサッと下に落ちる。慌てふためいている隙に、財布を取って逃げる』んだそうだ。
ウェストポーチの紐をナイフで切って、落ちたところを、拾って逃げることもあるそうだ。毎日、ベンチに坐って、毎日、泥棒を目撃しているんだって。

私のバッグは、ポシェットとウェストポーチと、2種類の紐がくっついている。『ほら、安全でしょ』と自慢すると、『う~ん』と、感心してくれた。肩に下げた赤白のカゴは、硬いビニールでできているので、切られる心配がない。
先輩も、バッグの上から上着を着させていたので、それも褒めてくれた。

なんせ、はじめての海外旅行がグアテマラで、リーダーの愛子さんに、うるさくうるさくアドバイスをされたので、用心深いんだよね。
ものすごく用心はしているけど、危ないと評判の地下鉄を愛用している。
そこら中、観光客だらけなんだから、泥棒だって、取りやすそうな人から狙うと思う。「こいつ、取りにくそうだな」と思わせれば安全かな、なんて。
あまり観光客と思われず、住人に見られるんだけどね。
4/20(水) 今月から中級になった
テニススクールで、長い間、初級のクラスだった私だけれど、とうとう今月から中級に上げてもらえた。

2年近くも肘や手首を痛めていたのを抜いて、5年ぐらいずっと初級だった。まったくの初心者の人たちとも一緒で、「ラケットの握り方は」など、毎回、同じ説明を聞かなくちゃならなかった。

実は、最初の半年ぐらいですでに聞き飽きていたんだけど、去年の11月にスクールを再開したときは、「今度こそ、肘を痛めないフォームを身につける」ことが目標だったので、心穏やかでいられた。

2月ごろ、「フォアのショット、まあまあかな」とSコーチ。「いっぺんには直らないから、やりながらちょっとずつ修正して行くしかないね」だって。
これって、さじを投げられた?

クラブでたまにゲームに入れてもらうようになったのだが、緊張しているので、サーブがなかなか入らない。サーブが入らないと始まらない。それでは、ますますみんなに嫌われてしまう・・・。
バスケのフリースローのように、100%入るセカンドサーブを身につけようと決心して、サーブのフォームの改造にも取り組んでいる。

トスの上げ方から始めて、順番にちょっとずつ変えていった。
最初はトス。次の回は、ラケットの担ぎ方。次は、腕の振り出し方。次は、肘を伸ばしながら、外に向かってラケットを振る。次は、ボールに下から回転をかけること。次は、スタンスを狭くすること。

サーブが安定しないのは、スタンスが広すぎたせいもあった。
スタンスを狭くすると、体が縛られたような感じがして不自由なので、それがイヤだったんだよね。
でも、結局、不自由だからこそ同じフォームで打てる、ということに気がついた。

スクールのあとはクラブへ行って、空いているコートで1人、えんえんとサーブやショットの練習をした。教わってすぐ、その日の課題を復習すると、けっこうできるようになるものだ。

中級は月曜日の12:30からのクラスにした。Iコーチは、私がテニスを始めたときの最初のコーチだ。若いから、バンバン打たせてくれる。

やっぱり、中級の方が面白い。スライスのかけ方とか、新しいことをいろいろ教われる。けっこう実戦に即しているし。クラスのみんなも気合入っているしね。
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