8/26(日) |
瀬波温泉で海水浴 |
瀬波温泉のある村上市は、中学3年生と高校時代、4年間(も)住んだ町である。夏休みには、部活や受験勉強の合間を縫って、しょっちゅう海に通った。
当時はもちろん、自転車で。自転車に乗れない友達と行くときは、歩いて。遠いけど、なんとか歩ける距離だった。
海岸で着替える身にとっては、温泉に泊まって海水浴をするのが、ずっとあこがれだった。
新潟市に帰省したときは、実家から車で行くか、岩船の友人の実家に泊まらせてもらうかだったしね。
瀬波温泉は海岸にある。2泊して、間の丸一日、ビーチでのんびり過ごそうというのが、自分のための夏休みの計画であった。 |
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宿泊先はホテル瀬波観光。事前にネットで調べたら、「不潔」という口コミがたくさんあって、かなり迷った。でも、ビーチの際に立ち、源泉かけ流しで露天もあって、このハイシーズンに1泊12000円と格安である。
地元の友人に聞いたら、悪い評判もないようなので、思い切って行ってみた。
「不潔」なのではなく、「古い」んだよね。ちゃんと掃除は行き届いていて、私は大満足。お料理も美味しかったし。
マジョルカ島やバリ島のバカンスに匹敵する快適さだった。
3階の洋室は、大きなダブルベッドがふたつ。古いけれど、シーツは清潔だ。バルコニーがついていて、すぐ下はビーチ。美しい日本海の波が打ち寄せる。波の音を聞きながら眠りにつくと、とても素敵な気分になれる。
部屋からも、露天風呂からも、洒落たレストランからも、チャンスに恵まれれば、日本海に沈む夕日が見える。残念ながら、2日とも、海の近くに雲があって、壮大な夕焼けとはいかなかったけれど。
口コミに多かった、「女将の熱意」は本当だった。たぶん、親の代からの古いホテルを改装し、なんとか盛り返そうと必死なんだろうなと、彼女の一生懸命さに、私も感動しちゃったよ。
昔、宮崎の日南海岸が、新婚旅行のメッカと言われていた時代があった。その頃にあちこちの海岸に、新婚さん向けのホテルが建てられたのだろう。
ホテル瀬波観光も、そんな雰囲気があった。 |
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中学1・2年は柏崎に住んでいた。
鯨波という岩だらけの有名な海岸があって、そこの旅館の娘と友達になり、遊びに行ったことがある。
とてもおマセな娘で、「あそこの岩のむこうには、キスしてる人がいるんだよ」「あっちの木陰にも、絶対いるよ~」と、興味しんしんで、2人であちこちのぞきこんだ。
部屋にも入れてもらって、お風呂を見せられた。
「新婚さんて、2人で一緒にお風呂に入るんだって。お湯の中を精子が流れて、子どもができるんだって。うちのお母さんが言ってた」
なあ~んてことを、私に教えてくれた。
昔だね~。
「結婚までは処女」で、「新婚旅行が初夜」があたりまえという時代。キスシーンを見られて、恥ずかしそうに顔を赤らめたカップルを思い出す。
古きよき時代だったのかなあ。。。 |
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8/19(日) |
酒田市を訪ねる |
7日は、朝早く新潟を出て、酒田に行った。
時間の節約のために、数年前にできた高速道路を通った。新潟~村上、鶴岡~酒田間以外は、まだ開通していないけど。
昔は、左に日本海、右に山を見ながら、海岸沿いの道を走るのが好きだったんだけど、日帰りだから、そうも言っていられない。
酒田は私が生まれたところである。父の転勤で、1歳11ヶ月で新潟県に引っ越した。
子どもの頃、毎年、お盆とお正月には、父の実家に連れていかれた。
家や風景、おじいちゃんのこと、おばあちゃんのこと、たくさんの叔父や叔母、いとこ達と遊んだことなど、私の記憶の中では、「点」でしかない。
なんとなく、「点」をつないでみたい気持ちになったんだ。
旅の目的は、父の土地を見に行くこと。今後のことを決めるのに、土地や、近隣の様子を見ておかなければならないと思って。
それに、おじさん夫婦にお礼を言わなければならない。何十年もずっと、草取りなどの面倒をみてくれていたのである。
1人息子が生まれる前は、遊びに行くたびに、「うちの子にならない?」と言われ、カキ氷などを食べさせてもらった記憶がある。
母が新潟の施設や病院にいたときも、何度もお見舞いに来てくれた。電話で様子も尋ねてくれた。
おじさんはもう80歳。とうとう草取りができなくなった。
近所の植木屋さんが、うちの土地に、「車を置かせてほしい。ついでに畑もやらせてほしい。そのかわり、草取りや下水の世話をするから」と言ってきたんだって。
おじさん夫婦がずっと畑をやっていたんだけど、従兄が、父の土地の上に、いらない土を大量に捨てたそうだ。石ころがゴロゴロで、畑に適さない不毛の土地になり、そうとう苦労したそうだ。
話には聞いていたけど、実際に見たら、ほんとうにひどい。こんもり盛られて、雨が降ると、下水に土が流れ込んでしまう。
広い農地を相続したのに、ちっぽけな叔父の土地に、なんでそんなことをしたのだろうか?と、ちょっと理解に苦しむ。
みんなには、「ちゃんと賃貸契約書とかかわさないと、地上権とか言われて、もめることになるかもよ」と脅されている。
遠方の不動産を維持、管理するのは難しいことだなと、つくづく思った。物を持つのは重荷なことである。
そのあと、酒田をぐるぐるドライブした。私が生まれて育った家は、港の近くだった記憶がある。でも、住所も分らないので、どのあたりなのか皆目見当もつかなかった。
私は、赤ちゃんのときから活発で、すぐ通りにでてしまう子だったらしい。車にひかれると危ないので、家の周りに柵を作った。そしたら、柵の下に穴を掘って、そこからハイハイして外に出たんだって。
「だんごやさ~ん、こおり3っちゅ~!」、向かいの団子屋さんに勝手に注文し、本気にした団子屋さんが、カキ氷を運んできたとか。
その頃からおしゃべりで、道行く人に話しかけ、みんなのアイドルだったらしい。
どの家庭にもある「家族の逸話」というもののひとつだけど、「三つ子の魂、百まで」のことわざ通り、性格って変わらないね~。
なんといっても時間がない。その日は、村上の瀬波温泉に泊まる予定にしてあった。またまた高速にのって、新潟県にもどった。 |
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なんとか、5時には瀬波に到着し、無事にチェックインをすませた。
日本海は、やっぱり、めっちゃ綺麗だね~。 |
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8/12(日) |
夏休みは、今年も田舎へ行ってきた |
ちょっと早めに夏休みを取って、6日~9日は、新潟と酒田へ行ってきた。
両親が健在だった頃は、実家以外のところに行ったことがなかった。
父親が淋しがり屋で、「いつ来る?いつ来る?」とずっと私たちを待っていて、「帰る」と言うと、しょぼーんと泣きそうになったから。
仕事を始めてからも、たいして長くもない休みでも、すべて実家に帰っていた。
私って、けっこう親孝行だった?とりあえず、父より長生きしたしね。
父が亡くなって14年。母を調布に連れてきてから、そろそろ2年がたつ。
もう田舎に帰る必要がなくなったと喜んでいたんだけど、結局、そういうわけにはいかないんだよね。
実家は空き家で、近所の人たちが草取りなどの世話をしてくれている。
やっぱり、年に1回ぐらいは、自分で実家の掃除をして、ご近所さんたちにご挨拶しなくちゃね。
去年は母を連れて行ったんだけど、今年はやめにした。
病院に入院している間、あまり歩かせてもらえなかったので、この7ヶ月で足の筋力がちょっとづつ落ちてきていた。
8/1に老健(青樹)に戻れたんだけど、その日は全く足が立たず、車椅子での入所となった。
歩行とROM訓練を中心に、週5回の集中リハビリをお願いした。
4日目には、20メートルほど歩けたし、昨日なんか、元気に童謡を歌っていた。
もしや、それほどレベル・ダウンしてはいなかったのかな?
今まで、ほとんど毎日病院に通って、私がリハビリしていたんだけど、ちょっとホッとしている。
「元気になったら、また新潟にいけるよ」を餌に母を励ましているんだけど、ほんとうに元気になったら、連れて行くしかないよね。
あ~あ。(ちょっと、ため息)
6日の朝早く調布を出発。練馬インターから関越道にのった。
なんか、突風が吹いたらしいね。『巻潟東~新潟、強風のため通行止め』の表示を見て、そういえば、父がいつも、巻で下りて弥彦神社へ連れて行ってくれたなあ、と思い出した。
これは、『弥彦神社へお参りに行け』というサインかもしれないと思って、急遽、寄り道をすることにした。 |
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弥彦神社でお参りをしたあと、ロープウェイに乗って、弥彦山の山頂へ。日本海と、むこうに佐渡が見える。
そこからシーサイドラインに入り、海岸沿いの道を車でひた走る。父のお墓は、その道沿いにある。
父の墓参りは3年ぶりである。去年もおととしも、母の介護で手一杯で、お墓に寄る余裕がなかったのである。
墓石を洗い、花を活け、線香に火をつけて、ビールをお供えした。お盆の前なので、他には誰もいなかった。
規格はずれの娘だから、父も納得してくれているだろうと思う。墓よりも、生きている人間のほうが優先だものね。 |
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8/5(日) |
梅干しを干した |
「梅干しを干した」という言い方、変だね。干されて梅干しになるんだもんね。
団地の3階に住んでいると、干す場所をみつくろうのが大変だ。雨が降ったら、取り込まないといけない。しかも、仕事で家を空けるので、つきっきりではいられない。
というわけで、毎年、干すのはベランダだ。 |
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土用の頃は、日差しは強いけど、太陽が高いので、日の当たる面積が狭い。
夏の終わりだと、日差しは長くなるけど、日光が弱くなる。
どっちがいいのか、いまだ結論はでていない。
天候不順で、9月とか10月に干した年もあったから、お天気がつづきそうなときに干しちゃわないとね。
ベランダは、太陽の動きにつれて、日のあたる場所が変化するので、けっこう頭を使う。
ザルの向きを変えたり、移動させてみたり。梅をときどき裏返したり。
三日三晩という人もいるし、七日七夜という人もいる。
でも、最低1日、お日さまに干せればOKだ。夜露に当てると皮が柔らかくなるので、夜も最低一晩は干したい。
こんなふうにいいかげんでも、毎年ちゃんと美味しい梅干しができるんだよ。
昨日、雨の降る前に、梅干しをカメに戻した。食べるのは来年だ。カメの中で熟成させてからのほうが、ぐーんと美味しくなるからね。
梅を干したあとのザルで、紫蘇を干してゆかりを作る。今朝はお天気になったので、ベランダに出してきたよ。(にわか雨が降りませんように。。。)
とりあえず、一段落だよ~。<レシピ・2「梅干の漬け方」を読んでね~> |
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7/28(土) |
尾瀬① 大清水にて |
今週は、水・木と連休にして、尾瀬に行ってきた。一度は行ってみたいと思っていたんだ。
関越道を沼田で下りて、大清水へ。駐車場に車をおいて、まずは山歩きの身支度。すごい髪の毛ボサボサだ~。帽子をかぶるからいいんだけど・・・。 |
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いつもの長靴が、またまた大活躍。アウトドアの専門メーカーのものなんだって。
パルコのブティックで買ったんだけど、
頑丈すぎて歩きにくいし、車の運転もしくい。後悔していたんだけど、最近、役立ってるね~。
あとはいつものテニスウェアー。うちにあるもので、なんとか間に合わせた。
尾瀬は水が多いらしい。雨が突然ふってきたり、道にジャージャー水が流れてたりで、先輩いわく、「けっこう大変だよ~。尾瀬をあなどるなかれ」だって。
ザックの中は、着替えに、雨具に、水に、非常食などなどで、ズシリと重い。暑さと寒さと雨と、あらゆる事態に備えなくちゃならないんだって。
走るのは得意だけど、山歩きは苦手。高尾山半分がやっとの私なのに、重いザックを背負って、自分の足で、最後まで歩きとおさなくちゃならない。
大丈夫かなあ~~ |
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