doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
PC
ホーム
スマホ
ホーム
症例集
目次
新着
ブログ
カレンダー
金・銀
ナビ
症例
マップ
FAQ
質問
ティラの部屋
予約
トピック
ふろくの話
母の
カルテ
ヴェルの部屋
料金
ツボの取り方
雑談集
本&参考文献
お料理レシピ
当院の方針
プロフィール
鍼治療とは?
サイトマップ
アクセス
リョコちゃん
ストレッチ
リョコちゃん
ウォーク
Español
English
リョーコの手作りブログへようこそ!
9/29(土) また右肩に違和感が・・・
今日はまた、暑かったね~。調布市の多摩川コートが取れたので、仕事の前にテニスをしてきた。厚めの半袖で行ったら、汗ぐっしょりになっちゃった。

午前中にテニスで、午後から仕事なんて、「外国みたいでいいですね~」と患者さんに言われた。そういうパターンにも慣れてきた。
究極の夜型人間だった私も、年とともに、だんだん朝型人間になりつつある?

残念なことに、今、またちょっと右肩に違和感。そのうえ、肘もちょっとピリピリ。

ニキシマ・テニス・スクールの今週のテーマは、『まっすぐ当てる、フォアのフラット』だった。相手の球が甘くなったときに、前に出て、上から叩きつけるように打つ、『決め』のショットなんだって。
水曜日の午前中に、ニキシマで習ってきた。

コーチに、「腕を真横に伸ばして」と言われ、内心、ビビッた。実はこの4ヶ月、その角度で痛みが出るタイプの、右肩痛だったのであった。
肩を開いて、ボールの衝撃を受けたらどうなるか?また痛みが出そうで怖い。「怖い」というのは、要注意のサインである。

そのうえ、「最後に手首をかぶせるように打って」と言われ、それにもビビッた。
私のテニス肘は、手首をかぶせる打ち方(=手首の外転)が原因の、短母指伸筋と総伸筋腱の障害だったのだ。

コーチに、『肩と肘が心配なので、このショットは無理です』と言おうかなとさんざん迷いながら、言い出せずに、やってしまった。
そしたら、案の定、右肩痛がすこしぶり返してしまった。

そして、肘にもちょっと違和感が出た!
フォアの両手打ちをやめたのも、肘に痛みが出はじめたからなのである。
どうしても、左手でラケットを引っぱってしまい、最後に手首をかぶせるような打ち方しかできなくて。
もう2度と、絶対、テニス肘にはなりたくない。

このトシになると、100%完治はありえない。中古の身体なんだもの。ほころびを残したままでも、ハードなテニスが可能な状態を、『維持』することしかできない。使える身体でいることが大切なのだ。
廃車になるか、きちんとメンテナンスをして、クラシック・カーとして生き残るか、選択肢は2つに1つである。

不思議なことに、昔のクセって、すぐに自分のもとに戻ってくるんだよね。せっかく矯正したフォームがどっかへ行っちゃって、なんだかワケわかんなくなっちゃった。
フォアの打ち方を忘れちゃったよ~。
また、出直しだね。
9/22(土) 小林愛子さんの織展がまたあるよ
この間、マラソンとトライアスロンをやっている女性が、2ヶ月ぶりに治療に来た。
「あれ?白い?」とちょっと驚いた。

ほとんど毎日走っているという彼女。去年の暮れ、はじめて会ったときは、冬なのにとても日焼けしていて、「浅黒くて、精悍なかんじで、かっこいいな~」と思った記憶がある。

いつの間にか、私のほうが、彼女の倍ぐらい黒い。毎年、夏には日焼けする患者さんたちにすら、「すごい焼けたね。私より黒い」と驚かれている次第である。

この夏は、それほどテニスをしていたのである。特に、8月、母が青樹に移ってからは、すっかり気がゆるんで、空き時間をつくっては、せっせとテニスに通っていた。
週に4・5日。たいてい真昼の炎天下。雨がほとんど降らなかったからね。
昔の色白の私とは、まるで別人に、黒く黒く日焼けしたのである。

色が黒いと、テニスが上手そうに見えるよね。実は初心者だとみんなにばれているのだけれど、とても熱心に練習していることも知られていて、最近では、いろんな人がゲームに誘ってくれるようになった。
負けたとしても、まあまあせった試合。ときには、相手の油断に乗じて、ベテラン相手に勝ってしまうこともある。「リベンジ」と言われて、次には負けちゃったりするんだけど、「本気にさせた」とほめられている。

テニスクラブに入って以来、とにかく、今は、どこも傷めていないという稀有な状態。右肩もほとんど治っているし、肘も手首も太ももも足首も、100%とはいえないまでも、ほとんどテニスに支障がない。
中古車だけど、それなりに頑丈な身体になってきたかな~?
でも、あんまり喜ばないようにしよう。こういうタイミングで無茶をして、どっか痛めるというパターンだったから、用心、用心。
ところで、来月は、織物作家、小林愛子さんの個展があるよ。
写真は、今年の新作のタペストリーの一部である。

古い友人でもあり、患者でもあった愛子さんは、今はサンフランシスコ在住で、年に1回ぐらい、日本での個展のために帰国する。

治療室に飾ってある、私の処女作(たぶん、最初で最後の作品)の先生でもあるんだよ。
タペストリーも楽しみだし、彼女と会うのも、とっても楽しみなのである。
私は10/8(月)に見に行く予定。お昼ごろに行って、一緒にランチしませんか~?
9/16(日) テニスの平日親睦会
今週水曜日はお休みして、京王テニスクラブの平日親睦会にでた。

参加は3回目なんだけど、今回はじめて、参加者が上手な人たちばかりだということに気がついた。びっくりした~。
そーだったのか! レベル高かったのか!
前は、なんにも知らなかった。誰も知らなかったし、テニスも知らなかった。くそ度胸だけで出席した私であった。

今は、クラブの人間マップは、ほぼ完成。どういうグループがあって、誰と誰が仲良しで、誰がどういう人で、テニスのレベルはどうかとか、いろいろわかるようになった。

『こんなところに私が出てよかったのかな?』と、あらためてビビッた。
「大丈夫。親睦会なんだから」
「楽しくやりましょう」
などなど、いろんな人がニッコリ、励ましてくれた。

ここではいまだに初心者の私である。3年たっても「新人」で、しかも、このトシで「若手」でもある。
ヘタなのはすっかりバレている。いまさら緊張するのはバカげているけど。。。

4グループに分かれて勝敗を競うのだが、私は黄色グループだった。
さて、試合開始。相手もパートナーも、はじめての人たちとのゲームである。
同じグループの先輩、Tさん(女性)が、アドバイスに来てくれた。

「どうしよう、上がっちゃって、ドキドキしてる」と言ったら、「自分の試合じゃなくて、団体戦なんだからね。上がっている場合じゃないよ。みんなのために勝たなくちゃ」と、ミックスダブルスのやり方を教えてくれた。
Tさんの励ましで、気持ちが落ち着き、あまりミスなく試合ができた。

特別ルールで、25分間で試合は終わり。
2-1で勝っているところで、「終了3分前」の合図があった。
私のサーブで、ジュースになったところだった。このゲームを取られれば、2-2の同点になってしまう。ゲームを取れなくても、ジュース、ジュースで粘れれば、こっちの勝ちで終われる。
3分の長かったこと!でも、必死になって持ちこたえて、初戦は2-1で勝った。

Tさんが来て、「よくがんばった。次は、○ちゃんとだから、こうやって・・・」と、またアドバイスしてくれた。
でも、4-5で負けちゃった。しょうがないよね。ダブルスあまりやったことないし、他の3人は格上だから、順当と思うことにしよう。。。

3回目のアドバイスは、「最後、同点になったときに、ゲーム数で勝敗が決まるから、なんとか粘って、なるべく相手にゲームを上げないようにね」だって。
相手にものすごく上手な男の人がいたから、はなっから勝ちは期待されていない。
1-6で負けたら、「よくやった」と褒められた。

結果、黄色グループは2位だった。(去年もおととしも、1勝2敗で2位だった)
でも、1年間の練習の成果が出て、ミスが減った。
レベル上の人たちみたいに、コースを狙っての返球や、ダブルスらしい動きはできないけれど、とにかく相手コートに返すことだけは、なんとかできた。ほぼ実力どおりのゲームができたと思う。
Tさんも、「あんた、がんばったよ。みんなもそう言ってるよ」と褒めてくれた。すっごい上手で、裏表がなく、気さくで、親切な人なんだよ。嬉しいな。。。

試合のあとは、パーティだ。いろんな人とおしゃべりして、ビールの美味しかったこと!またまた二次会にも行っちゃった。
団体戦は楽しいね~。
9/9(日) テニスの開眼② サーブのつづき
母のリハビリをしていたら、いきなり、「もう、ここは出よう」だって。やっぱり、おうちに帰りたいんだね。。。

「18日、お盆に、家に連れ帰ってくれると言ったのに」と、文句を言われた。
う、、、やばい。記憶はわりとちゃんとしているので、約束したのを覚えていたのである。内心、冷や汗がタラ~リ。

「もうちょっと歩けないとね~。車椅子は家では使えないんだよ。毎回、トイレに歩いて行かなくちゃならないもの。歩けるようになったら、うちにも行けるし、新潟にも連れて行ってあげるよ。だから、リハビリがんばろうね~」と、あわてて言い訳した。
その日の母は、自分からよくしゃべった。妄想めいた話も混じっていたけどね。

4月に「テニスの開眼① サーブ」を書いたのだけど、直後に、肩を痛めた。だから、サーブを極めるのはお預けになった。

今年の初めから、ずっと右手首を痛めていて、手首の痛みが消えたとたんに、肩に痛みがでた。本当に、入れ替わったみたいに、痛い場所が移動した。
人間の身体って、不思議だね~。

肩に気をつけながら、ポッコン、と打つ。とにかく、なんとかボールを飛ばして、コートに入れる。
それを3ヶ月つづけていたら、サーブの確率が上がって、ダブルフォルトの心配をしなくてよくなった。まさに、怪我の巧妙だね。

また、Mさんから、注文がついた。
「腕は水平の位置からトスを上げ、あまり時間をかけずに、もっと、素早くパパーンと打ちなさい」

非力な私は、全身の力をつかって、「エイッ」とトスを上げていた。
京王のコーチに、「膝を曲げてトスを上げると、打つときに膝を使えないから」と注意されたことも、いつの間にかすっかり忘れていた。

下のほうから、エイッとトスを高~く上げて、ゆっくり落ちてくるのを待って打つと、たしかに、間がありすぎて、インパクトのタイミングがまちまちになる。

『やっと、入るようになったのにな~』と内心思いつつ、またまた、フォームの改造だ。サーブのタイミングを早めると、たしかにサーブが安定する。

だけど、どうしても、トスの位置が安定しない。左右にバラついてしまう。
ネットに対して、後向きに構えるので、腕がネットに平行になって、それで左右にバラつくのかも?と思いついた。
トスを上げる左腕を、ネットに垂直、つまり、自分の打ちたい方向に向けてみた。

「あ、ビーナス・ウィリアムスの構え方に似ているな」と思って、彼女をイメージしてトスを上げた。
そうすると、多少、トスの位置がぶれても、前後にぶれるだけなので、サーブのフォームが乱れなくなった。

今度こそ、フォームの改造の完成かな?
「ビーナスとは似ても似つかない」と悪口を言われたけどね(笑)
9/2(日) 尾瀬② 尾瀬沼でトンボに会った
この間、リハビリのベッドを用意していたら、車椅子に坐って恍惚しているように見えた母が、いきなり、「おまえ、海に行ったの?」と聞いてきた。
「えっ?」と聞き返したら、「ずいぶん焼けたね」だって。
久しぶりに、親子の普通の会話をした感じで、懐かしい気持ちになった。

母は、8/1から、もといた青樹(老健:老人保健施設)に移った。残念ながら、病院にいた間に、足の筋力が衰えて、車椅子での入所となった。
リハビリ目的の施設なので、足の状態も良くなりつつあり、日中のオムツも取れ、一安心である。

途中になっていた尾瀬のつづき。

大清水(▲1180) → 三平峠(▲1762) → 尾瀬沼(▲1665)が、私たちが歩いたコースである。約600mを登って、100mを下る。
三平峠を越えるこのコースが、尾瀬の一番の難所なんだってね。「初心者にはきつかったね~」と、あとからみんなに言われた。

入り口で道を間違えちゃったので、4時間ぐらい歩いたんじゃなかろうか。
三平峠は急勾配の山道で、道は険しいし、暑いし、ザックは重いしで、超大変だった。

峠を下って、「もう限界・・・」と思った瞬間、目の前に尾瀬沼山荘が見えた。まさに地獄に仏。宿泊先は三平下にあった。急な予約で、そこしか空いてなかったのが、本当にラッキーだった。
たどり着いたのが5時で、晩ご飯も5時だった。山の夜は早いね~。いそいでお風呂に入って、汗を流し、足の筋肉をもみほぐした。

生ビールの美味しかったこと!
「山小屋だから、ろくな食べ物がないよ」と聞いていたけど、お料理もたくさんあって、どれもこれも美味しかった。
昔は、人が担いで食材を運んだけど、今はヘリコプターで運んでるんだって。だから、食材が豊富になって、冷えた生ビールも飲めるし、こった料理も食べられるっていうことらしい。

苦労のあとだから、なおさら、格別の味だったね~。
次の朝、着替えなどを山小屋に預かってもらって、最低限の荷物をザックに詰めて、尾瀬沼東岸にむかって歩いた。

ザックの重さで肩がこって、前にしょったり、右肩と左肩、交互に担いだり。まさに山登り初心者だね~。

この先の大江湿原で、絢爛豪華なニッコウキスゲの群生を見る予定だったのだが、ニッコウキスゲはこれだけしか咲いていなかった。鹿に食べられてしまったんだって。
それで、尾瀬沼を一周することになった。
これは沼尻(ぬしり)の休憩所から、尾瀬沼を写したもの。

トンボがたくさん飛んでいた。こんなにいろんな種類のトンボを見るのは、何十年ぶりだろう。
昔懐かしいトンボたちに会えただけでも、苦労の甲斐があったなあ (^-^)~~
日記 TOP
前の日付へさかのぼる