doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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リョーコの手作りブログへようこそ!
9/5(金) テニス肘は全快寸前
府中にバイクで出かけた帰り道、信号待ちの途中、ふと横を見ると、「里親募集」の張り紙が目に入った。

保護犬(飼い主に捨てられた犬)や、福島などで放置された被災犬の里親になっている患者さんがいるので、それかなあ・・・
犬の写真が、何枚も飾られている。どの犬もみな、つぶらな瞳でこっちをジーッと見ている。ヴェルみたいにかわいい表情で、カメラを見つめて、必死で飼い主を求めているのである。

また飼うとしたら、絶対にチワワがいいと思ったけど、他の犬もかわいいな・・・♪
いや、いけない、いけない。見ちゃいけない。やっと立ち直ったところなのに、また飼いたくなったら困る。

ヴェルがいた頃はほんとうに大変だった。
毎日が分刻み。ご飯も立ったまま食べて、家の中でも走っていた。
大体、自分から犬を飼うつもりはなかった。あまりに忙しい毎日なのだもの。預かってくれと頼まれたからで、そのまま手放せなくなったのである。

犬は赤ちゃんで、しかも恋人のようだった。
ご飯を食べさせ、お散歩に連れ出して、カットして、シャンプーして、四六時中気にかけて、無償の愛をそそぐ幸せを教えてくれた。
見返りを求めないはずなのに、「愛情」という最高のプレゼントをもらった。
・・・でも、やっぱり、必ずいつかは死んじゃうんだよね。

「ヴェルの部屋」を更新する時間を有効に使わなくちゃと、症例48「ぎっくり背中」を更新をした。ぎっくり腰やぎっくり首(寝違え)の背中版である。

もうひとつお知らせがある。
料金の改定である。消費税が上がり、物の値段が軒並み上がっているときに心苦しいけれど、ご了解ください。m(_ _)m。

テニス肘はほとんど違和感がないぐらいになった。掃除をしても、ダンボールを片付けても、痛みが出ない。
あんずとヨーコには、何回もお掃除に来てもらって、ほんとうにお世話になった。ふたりとも、無償の愛を与えられる人たちなんだよね。

テニスのほうは、自分で言うのもなんだけど、ブランクを感じさせないぐらいに調子がいい。
これも、教えてくれる先輩のおかげなんだけど。
肘を痛めるテニスは、自然に逆らって、無理な負荷をかけてしまうテニスである。痛めたおかげで、フォームの改造ができ、前より上手くなったみたい。

スマッシュやサーブも、そろそろ打てそうなんだけど、打ち方を忘れちゃった。

スマッシュが打てそうなボールが来ると、とりあえず、ハイボレーで深く返して、つなぐようにしている。

ゲームのときは、まだアンダーサーブである。ドライブ回転がかかっているので、けっこう相手は打ちにくそう。「このサーブ、いやね」と昨日の先輩に言われた。
イケイケの男の人なんかも、打ち込もうとしてネットにかけたりしてくれる。ダブルフォルトしにくいので、セカンドに使えそうだね。

完全復帰にそなえて、タオルを使うフォーム練習をはじめたところである。
8/29(金) テニスクラブで花火見物
24日は調布市の花火大会だった。
夕方お休みにして、京王テニスクラブのパーティに参加した。京王多摩川から徒歩5分のところにあるので、花火見物には絶好のロケーションなのである。

正会員は親睦テニス試合のあとなので、おおいに盛り上がっている。私は平日会員なのでパーティのみの参加である。
盛り上がりの谷間でポツンは慣れている。ひたすら飲んで食べた。仕事のあとのビールも美味いよ~。

今年は、まだ明るいうちから打ち上げがはじまった。ビールとワインとつまみのコップを持って、上のコートへ向かった。
コートに敷かれたブルーシートの上に寝そべっての見物なので、今年は枕代わりのぬいぐるみをバッグにしのばせていた。(ごめんね、ゴロー)

携帯で写真をとったが、シャッターチャンスがむずかしい。ろくな写真がとれなかったのに、花火に集中できず、あっという間に終わってしまった。
来年は写真はやめて、見ることに徹しよう。

花火のあとは、なんだか急に夏が終わったみたい。
猛暑に適応した身体にとっては、肌寒さすら感じてしまう。湿度が高いので不快だし、寒くて、しかも蒸し暑い、妙な気候だね。

水曜日は雨でテニスも無理そう。仕事が休みのポプラがゴロゴロしているので、久しぶりに母を回転寿司に連れ出した。
7月はお風呂の都合で断られたので、2ヶ月ぶりである。

この数ヶ月、母はほとんど口をきかなくなった。
週に2回、リハビリに通って歩かせていたのだけど、5月ぐらいから立つ筋力がなくなってしまった。
認知症の人は「危険なので歩かせない」というのが、現代日本の介護の趨勢である。普段、抱えてもらっての移動なので、ついに立てなくなった。

歩くときって、脳をフル稼働させるんだね。手は車椅子につかまって、一歩一歩、交互に足を運ぶ。足元にも注意しなくちゃならないし、周囲にも気を配らなくちゃならない。

歩けなくなったら、みるみるレベルダウン。「お名前は?」ときいても、「私は誰?」ときいても、返事をしなくなった。リハビリに通うテンションが下がる・・・

私のことが分からなくなってしまったのか?
分かっているから、返事するのが面倒くさいのか?

こんな状態で、お寿司が食べられるのだろうか?
こんどこそ、喉に詰まらせて死んでしまうかも?

でも、迎えにいって、「お寿司食べたい?」ときいたら、「食べたい」と答えた。娘はわからなくても、「寿司」はわかるのか?

「何が食べたい?」ときいたら、「何でもいい」と答えた。
母の好きなお寿司を、ハサミで半分に切って、口に入れてあげた。けっこう調子よく、一人前弱、たっぷり食べて、「もういらない」と言った。

今回しゃべったのは三言だけ。
でも、食べられるから、まだしばらくは、月1回の回転寿司通いができそうだね。
8/19(火) [本]ファザー・グース
7/9に映画「グース」をupした。
自分でも『何でこんなに詳しく?』と思うほど、長々と書いてしまった。ヴェルをグースに重ねたんだね。
はまり込んだおかげで、映画と原作はまったく別物に違いない、と気がついた。

よくあるんだよね。映画の場合、"based on"となっていても、脚色によって、ほとんど別のストーリーになってしまうことが。

あまりにもいろいろな事件やエピソードを盛り込みすぎ、ディズニー映画のようになってしまった。きれいにまとまりすぎたため、さらっと通り抜けてしまう。

どうしても原作が読みたくなった。
飛行機で鳥に渡りを教えるなんて、壮大な取り組みである。現実的問題と、大人たちの格闘の詳細を知りたくなった。
それで見つけたのが、ウィリアム(ビル)・リッシュマンの「ファザー・グース」である。

リッシュマンは農場育ちである。子ども時代は、家畜や小動物や鳥たちと一緒に遊んだ。
生物学者のお母さんから、生き物のことをいろいろ教わった。それが大人になって自然保護運動に関心を持つきっかけになった。
お父さんには、機械の修理や、道具を作ることを教わった。それが、彫刻家としての仕事や、飛行機をつくる技術につながった。

8歳のとき、農薬をまく飛行機に魅せられて、「飛ぶこと」を夢みるようになった。
自力で飛行機の操縦を習った。

グライダーに乗って空を飛ぶと、ときに、いろいろな鳥たちと出会う。
鳥たちは自由自在に飛ぶ。体の構造、羽毛の1枚1枚が、飛び立ち、滑空し、方向転換をし、着陸するという、空気の中での華麗な動きを可能にする。
人間が一生懸命工夫をして飛行機を作っても、鳥にはとうてい及ばない。

鳥への憧れはそれだけじゃない。大空を編隊を組んで飛んでいく、渡り鳥たちにも魅せられた。
どこからどこへ飛んでいくのだろう?
なぜ、正確な地理が分かるのだろう?
どうやって、渡りの時期を知るんだろう?

危険な渡りをするには理由がある。
夏の間、あえて寒い地方で卵を産み、温める。敵がいないので、落ち着いて子育てができる。
冬は湖が凍ってしまう。子どもたちが飛べるようになると、秋に南へ移動する。地球を半周するほどの距離を飛ぶ渡り鳥もいるそうだ。

「渡り」をするのは鳥だけじゃない。ヘラジカなどの動物、鯨、鮭やニシンやうなぎなども、季節に合わせて大陸を、海を、とてつもない長距離を移動する。
太古の昔からつづく、地球の生物の神秘である。

現在、北アメリカ大陸では、1年中同じ場所にとどまるようになった渡り鳥がたくさんいるのだそうだ。
工場の温排水などで、冬になっても凍らない池を見つけた。人間のそばにいれば、1年中食べ物に困らないことにも気づいた。

渡りを忘れた渡り鳥に、なんとか渡りを思い出してもらいたい。
自分たちのグースに渡りを教えることができたら、ナキハクチョウやアメリカシロヅルにも、渡りを思い出させることができるかもしれない。

そんなこんなで、壮大な実験がはじまった。強い信念をもった何人もの大人たちが、知識と知恵と技術を出し合い、多くの困難に立ち向かった。

「ファザー・グース」を読むと、映画とはまったく違う物語に出会える。
基本的には、著者リッシュマンの自伝でもある。彼の生い立ち、冒険的な生き方からはじまって、鳥のこと、飛行機のこと、地球の生命のことまで、内容は濃い。
とても興味深いし、いろいろ考えさせることも多くて、いつまでも感動が残る。
すばらしい肉厚の本なのである。
8/10(日) 梅の江戸漬けを干した
台風の前に梅を干した。テニス肘のために紫蘇揉みができなかったので、今年は黄色い梅干である。
紫蘇を入れない梅干を、「江戸漬け」と呼ぶんだって。

3年前、紫蘇を入れそこなったので、見た目が悪くてがっかりしていた。でも、1年間熟成させてみたら、トロ~リと柔らかい絶品の梅干になっていた。
がんばって紫蘇を入れすぎた年は、皮の堅い、実離れの悪い梅干ができた。

素材の梅の品質によるのかもしれないが・・・
梅酢は酸が強い。紫蘇で酸が薄まるのかもしれない?
仮説をためすチャンスでもある。小梅を5キロ、南高梅を5キロ、今年はすべて江戸漬けにした。

とりあえず、カメから出した感じでは、小梅はすでに皮が柔らかくなって、つぶれかかっていた。小梅は少し紫蘇を入れたほうがよかったのかな?

カメに戻して1年間熟成させる。お酒の醸造みたいに、ドキドキである。
美味しくなるのは1年たってからなので、結果は来年にならないとわからない。ベテランとはいえ、まだまだ毎年、試行錯誤である。
やっと、ヴェルの不在に慣れてきたようで、思い出しても、もうそれほど胸が痛まなくなった。「可愛かったな~~」と、思わず笑顔がでるほうが多い。

犬の散歩がなくなった分、テニスで身体を動かすようにしなくちゃ。
週に1回、先輩にレッスンをしてもらい、そのほか、壁打ち、ラリー、ゲームと、ほとんどフルコースでやれるようになった。

サーブとスマッシュはまだ打てないけど、アンダー・サーブでゲームに参加。
プレッシャーがないので、ほぼ確実にコートに入る。回転がかかっているので、相手はけっこう打ちにくそうである。

「アンダーのほうがいいんじゃないの?」などと言われたりするけど。
・・・でも、4年もひたすら1人で練習して、フォームの改造に取り組んできたのに、中途であきらめるのは悔しいよね~。

日常生活では、まだ掃除ができない。右手でほうきが使えない。この間、段ボール箱を片付けたら、また痛みが出た。「嫌いだから」という理由だけじゃなく、ほんとうに無理なのである。

故障したおかげで、いいこともあった。
ストロークもボレーも、正しくはグリップから出して、グリップエンドをボールにぶつけるように打たなくちゃならない。
それなのに、ほうきで掃くように、ラケットを動かしてしまう癖があって、何度も何度も注意されつづけてきた。

今は、グリップから出さないと、ボールが打てない。うっかり昔の癖が出そうになると、怖いのでボールを見送るしかない。

力んでしまう癖もあって、「打ち過ぎ」と何度も注意をされてきた。
でも、腕力で打つことができないので、身体全体で打つしかなくなった。怪我の功名で、テニスのフォームはかえって向上しつつある。
8/5(火) バカンスで、心身ともにリフレッシュ
翌朝は10時に、水着の上からムームーを着てチェックアウト。車に荷物を積み、お風呂場に着替えや石鹸などを置かせてもらい、そのまま海に出た。
浜辺はまだ人がほとんどいない。

夏の太陽がガンガン燃え、どんどん暑くなっていった。焼けすぎを用心して、休憩は、ホテルで借りたビーチパラソルの下。
土方焼けになりかかっていたんだけど、全身こんがり、きれいに焼けたよ~。
その日もかなりの距離を泳いだ。潮の流れは向かって右から左である。
砂浜とテトラポットの中間ぐらいのところを、流れにのって泳ぎ、波打ち際を歩いてもどった。瀬波の波打ち際は、小さな砂利で、足の裏が痛い。

温泉があるせいか、それとも砂が土っぽいせいか、そのあたりの他の海水浴場と比べると、海水の透明度は少々落ちる。
それでも、関東の太平洋とは比べ物にならないほど、きれいな海である。

海で泳ぐのが好きなのは、空を飛ぶ感覚に似ているからなのかもしれない。体重を失って浮遊する感覚。皮膚をなでる海水の感触。そして、静けさ。

1時すぎたら、さすがに急に力尽きたのを感じた。そろそろ海とはさようならだ。温泉に入ってから、村上をうろつき、そのあと高速で新潟市に直行した。
いつもは実家に車を置いてからバスで行くので、駅の近くでしか飲んだことがなかった。実家は風化して、とても泊まれる状態じゃない。

昔のイメージで、一番の繁華街、古町のホテルを予約してあった。
でも、古町はえらくさびれていた。にぎやかだったあたりは、あちこちシャッターが下りて、買い物できそうな店もない。食べ物屋さんもあまり見当たらない。

選択を誤ったか・・・
駅前のほうが、お店がたくさんあって、にぎやかだったなあ。

前夜のディナー、朝のバイキング、2時ごろ食べた麻婆麺で、お腹がいっぱいである。夜はイタリアンで、と思っていたので、その前にお腹をすかしておかなくちゃ。
うだるような暑さの中、汗だくになって、歩いて歩いて歩き回った。

花屋さんを見つけたので、先にお墓参りに行くことにした。
アパホテルの駐車場は、20時間停められ、出し入れ自由とのこと。
花と線香をもって、海岸通を走った。お墓の前を通り過ぎてしまい、ちょっとしたドライブになった。おかげでばっちり、日本海に沈む夕日を見物できた。

お墓を洗い、花を飾り、亡き父と話す。海のそばのお墓を選んだのは、父も海が好きだったからなのかなあ?
位牌はうちに置いてあるから、淋しくないよね~?

夜は、花屋さんで聞いたイタリアンのお店に行った。3人目にして、やっとイタリア料理のお店の情報がゲットできたのであった。
三越の隣のアンフォラで、小皿料理にビールにワイン。1人だと、いろいろなお料理を試せないという欠点があるね。
会話は自分の頭の中で。ボーっとして、あれこれ考えを巡らせるのは、かなり充実した時間である。(若い頃には考えられなかったけど)

次の日は、市内をうろうろ。実家のご近所さんたちに挨拶をして、一路東京へ。
運転中はずっと右ひじにハリを打っていた。マニュアルであるが、右手はけっこうヒマなんだよね。

3日間、料理もせず、仕事もせず。右ひじはかなり良くなった。
翌日のテニスでは、ボレーも打てるようになった。「そろそろゲームに入れそうだね」と、アンダー・サーブを教わった。

そして昨日は、2ヵ月半ぶりにゲームに参加した。
テニスジャンキーなら、誰でも1度はテニス肘を経験している。みなさん親切でやさしく、のびのびとプレーができた。
スマッシュとサーブはまだ怖いけど、いろんな意味で、リハビリはもうそろそろ終わりに近づいているみたいである。
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