6月1日 |
食欲を失う |
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これも先週。この日は、丸一日、ご飯を食べなかった。 |
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犬は、前の日に食べすぎると、絶食して体調をととのえる。人間には真似できない。(犬のほうが偉い!)
よくある事なので、あまり心配もしなかった。 |
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私のフリースにあごをのせて、ひたすら寝ていた。 |
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この頃は、まだ少しは元気があったんだよね・・・ |
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6月3日 |
ヴェルは逝ってしまった・・・ |
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昨日6月2日、ついにヴェルは旅立ってしまった。急に具合が悪くなってから、2週間という短さだった。
僧房弁閉鎖不全という心臓病を患いながら、14歳半までがんばって生きてくれたから、もうしょうがないと、あきらめるしかない。
うちに来て7年半、たくさんの幸せをくれたヴェル・・・
人間が大好きで、人懐っこくて、甘えん坊だったヴェル。みなさんにかわいがってもらって、ヴェルもとっても幸せだったと思う。
11時50分ごろと思う。ちょっと台所でご飯の支度をしているすきに、1人であの世に逝ってしまった。
夕方6時から、深大寺の動物霊園で火葬してもらい、お骨を家に持ち帰った。あんずとヨーコが立ち会ってくれ、お見送りをしながらみんなで泣いた。
亡くなるまでの様子を、ゆっくりお知らせしようと思っていたら、ヴェルはいきなり急ぎ足で、あっという間に逝ってしまった。
もうすぐ、この「ヴェルの部屋」を終了しなくてはならないけれど、しばらくの間、旅立つまでのヴェルの様子を、順を追って報告するね。
最後の写真は、最後のページにのせるつもり・・・ |
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具合が悪くなってから、数日たった写真である。
丸一日絶食したあと、次の日からは、ご飯になると歩いてきた。足が立たなくなっていて、ヨタヨタしてたけど、それでもなんとか歩いてきた。
1日2回。お皿の分を食べたら、それで終わり。
前のように、「もっとくれ」と、ワンワンおねだりすることはなくなった。 |
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6月5日 |
11日前 ヴェルを『落とす』 |
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今年になって、ヴェルは、目の下にたまる涙を拭いてもらうのを、とことん嫌がるようになった。(→ブログ 1/25)
ティッシュで拭いていたのだけど、ティッシュを見ただけで、唸って、怒って、しつこくやると、噛む。ティッシュを噛み、指を噛む。
だから、こっちもなかなか決心がつかない。
放っておくと、涙が毛にこびりついて、塊ができてしまう。塊を引っぺがすと、毛も一緒に抜けてしまう。
痛いからますます嫌がって、やらせてくれないので、ますますこびりつく。晩年は「小さな野獣」のようで、ほんとうに苦労した。
急にガクッと元気がなくなったのは、亡くなる2週間前ぐらいからだけど、そのころからヴェルの目に、目やにが溜まるようになった。
大きな目玉の下のほうに、まるで膿のように、うようよとした目やにがたまり、目の下3分の1を覆ってしまう。目やにが邪魔で見えにくそうだった。
ヴェルの目やにを見たのは初めてだった。
塊が目を刺激して、大量の目やにがでたのだろうか? それとも、目が炎症を起こして、膿が出たのだろうか?
答えを、ある日、目撃した。
目やにを取ろうとしたら嫌がって逃げ、自分でおふとんの端っこに目をこすりつけて、自力で目やにを取っていたのであった。
動けなくなって、余裕がなくなって、目やに取りができなくなったのだ。
「そうだ、2人がかりなら、なんとかなるかも・・・」と思った。
1人がヴェルを抱っこして、肘で顔をはさんで押さえ込み、もう1人が目の下を拭けばいい。
夜、ポプラと2人で、目を拭こうとした。ヴェルは嫌がって顔を動かしまくる。
興奮すると心臓に悪いし、噛まれるのは誰だっていやだ。
ポプラは、しっかり押えることもできないし、グイッと目を拭くこともできない。結局、きれいに取れたのは、片目だけだった。
イヤなことをやるのは私だけなので、一番嫌われてしまう役回りが、私に回ってくる。そんで、唸られ、噛まれ、ママというのは損である。
次の朝、私の寝床で、いつものように私の肘にあごをのせ、ヴェルはスヤスヤ眠っている。
朝はおとなしいので、目の掃除はいつも、朝、寝床の中でやることにしていた。
右ひじでヴェルの顎をはさみ込み、左手で目の下の塊を取ろうとした。ヴェルは怒って、私の左指を思いっきり噛んだ。
(中指にあるその傷あとは、むけた皮が再生しかかっているが、今となっては懐かしい・・・)
私はやっきになって、ヴェルの顔をグイッと押さえ込んだ。
「ブー」というような変な声を出して、ヴェルはおとなしくなった。塊を取りおわってヴェルを見たら、ぐったりして動かない。
「ヴェル~!」と叫んで、抱き上げたら、首がグニャリと下に垂れ下がった。
「えっ!」と驚いて、「ヴェル~」と叫びながら、思いっきり揺すったら、頭がグニャグニャと揺れた。
首の骨が折れたのかと思った。
「ヴェルを殺しちゃったよ~」と、泣きそうになりながら、あんずに電話した。
あんずは「医者に連れて行け」と言う。ヴェルは息をしている。首の骨を折ったわけではないらしい。
頚椎損傷だったら、頭を揺すってはいけなかった。遅かりしかもしれないが、動かさないで、そっと寝かせておくことにした。
あんずと話しながら、ぐったりしているヴェルの様子を観察していた。しばらくしたら、顔を上げてこっちを見た。
「あ、首から上は動かせる」と、ちょっと安心した。
脊髄損傷なら、下半身不随になる。そのうち、また頭を上げてこっちを見たときは、手と足も一緒に動かしたので、脊損でもないことがわかった。
格闘技などでよく使われる、「落ちる」という状態だったのだ。頚動脈を絞められると、脳に血が行かなくなる。脳が酸欠になって、気を失うのである。 |
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ヴェルはなんとか生き延びた。
「ヴェルはもう長くないから、今のうちに会っておいたほうがいいよ」と、あんずに言って、あんずが来ることになった。
ヴェルを連れて、外に出た。すでに、足腰は立ちにくくなっていた。お腹を支えて地面に立たせたら、とりあえず、おしっこをした。
車に乗せて、一緒にあんずを駅まで迎えに行った。
いつもなら、大好きなあんずを見れば、大はしゃぎで喜ぶのに、ほとんど無反応である。 |
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その日も、1日中、ぐったりしていた。水も飲んだし、ご飯も食べた。
「落ちた」だけ。
とりあえず、ヴェルは無事だった。横たわったまま、ただひたすら息をしつづけた。 |
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6月9日 |
8日前 ハリのおねだり |
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日曜日は、ポプラがお休み。ヴェルを置いて仕事に出かけた。
バイクに揺られて治療室に行くより、家で静かにしているほうが安心と思った。
夜中に帰宅したら、ヴェルは真っ白でフワフワ、モコモコになっていた。
「ヴェルが臭かったからさ~」と、ポプラ。生まれてはじめて、自分で犬をお風呂に入れたのである。
「すげえ、おとなしかったぜ。気持ちよさそうだったぞ~。お風呂のあとは、家中走り回って、元気になったし」と、ニコニコ嬉しそう。
私には、とてもヴェルをお風呂に入れる勇気がなかった。
2ヶ月近くもシャワーをしていなかった。ずっと、ヴェルの体調を見はからってきたんだけど、どんどん延び延びになっていた。
ヴェルは、心臓がバクバクすると、肺に水がたまる病気である。お風呂の湿気は危険だし、興奮させるのは怖い。
私なら、シャワーの前に、肉球の間の毛をカットする。暑くなってきたので、トリミングもしたかった。
でも、14歳になってからのヴェルは、小さな野獣化していた。
「イヤなものはイヤ」と、怒るし、唸るし、ハサミを噛み、私の手を噛み。手に負えなくなっていた。
怯えてガタガタ震えると、心臓に負担がかかるので、それも心配だった。
ポプラがお風呂に入れてくれたのは正解だった。亡骸になったあとも、ずっといい匂いだったから。
その日、夜中にヴェルに起こされた。ピー、ピーと泣きながら、ドシンと私に体当たりしてくる。顔や腕に、背中やお尻をのっけてくる。
(その頃、人間の子どものように、ピーピー泣くことを覚えたヴェルである)
電灯をつけて、「ヴェル、ハリ打って欲しいの?」と聞いた。
『うん』とうなづきはしなかったけど、つぶらな瞳でジーッと私を見つめていた。
ペリペリと、ディスポのハリをむき、ハリを見せてから、背中に1本打った。
ヴェルは泣きやんで、そのままスースー眠りについた。
その日は、一日中留守にしていたので、1回も鍼を打っていなかった。毎日、ちょこちょこ打ってはいたんだけど。
それ以来、背中に鍼を打ちつづけた。抜けたらすぐ打つ。また抜けたら、すぐに打つ。昼といわず、夜中といわず。
何かできることがあるのは、私にとっても、心の拠り所だった。 |
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これは1ヶ月以上前の写真。
ポプラのおふとんの上。ガルル・・・と、唸って私を威嚇。ヴェルの体がビブラートしている
大きな手の中だと、ヴェルはほんとにちっちゃいね~ |
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6月13日 |
6日前 お散歩が抱っこになった |
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4月に、「久しぶりに階段を下れるようになった」と書いたけど、そのあと、すぐにできなくなった。
下っているときに、ときどき後ろ足がよろけてしまことがあって、ヴェルはすっかり怖くなってしまったらしい。
抱っこで階段をおりる。下でリードをつけて、サイクリング道路を歩く。河川敷では、ヴェルは放牧、私はストレッチ。帰りはまたリードをつけて歩く。また抱っこで階段を上る。
そんなパターンが1ヶ月ぐらいはつづけられたけど・・・
だんだん、地面におろしても、歩こうとしなくなった。立ちすくんだまま、ジッと私を見つめる。
「抱っこがいいの?」と聞くと、『うん』とうなづきはしないけど、瞳で訴える。
ヴェルを高々と、肩の上まで抱き上げて歩く。
ヴェルは嬉しそうだった。高い位置からだと、いろんなものが見えるからね。
河川敷におりてから、ヴェルを放牧。私はいつものようにストレッチをするのだが、5分もしないうちに、『もう帰ろうよ』と、呼びにくる。
立っているのが、だんだんつらくなって行ったんだね。
治療室では、ちょこちょこ、おしっこに連れ出してあげていた。
到着すると、すぐに玄関に駆けて行く。「シッシだけね~」と外へ出すと、なんとか時間を稼ごうと、おしっこを我慢して、あれこれ画策してた。
患者さんが帰ったあとも、椅子の上で、『アゥ、アゥ』と私にアピール。下におろすと玄関に走り、お坐りして待っていたものだった。
もう、動こうとしなくなった。椅子の上で、横たわったまま、ひたすら息をしていた。一生懸命、呼吸をしつづけた。
ちょっと前までは、何よりお散歩が大好きだったヴェル。
主婦の朝は忙しい。
着替え、洗面、洗濯、片付け、食事の支度・・・ |
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ヴェルはタイミングをうかがっている。
『今だ!』と思うと、走ってきて、キラキラ輝く期待のまなざしで、私を見つめた。
でも、もう、お散歩にも、あまり行きたがらなくなった。
そんな短いお散歩では、ウンチが出ない。ウンチをしている途中でよろけて、自分のウンチの上に、ヨロヨロと尻餅をついたこともあった。
人間の都合とヴェルの体調にはズレがある。自分が動けるときに、家のトイレでウンチをするようになった。
おしっこも、外でよろけて立てないときは、たくさんはできない。家の中なら、自分の体調でできる。
家の中でもトイレしてくれたのは、小さな救いだった。 |
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6月17日 |
5日前 エアコンの真下で寝る |
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ほとんどの時間、ぐったりと寝ていたヴェル。大好きな患者さんにも、「いらっしゃい」の挨拶をしなくなった。
でも、無視されても誰も怒らず、寝ているヴェルを撫でてくれた。
急に元気を取り戻すこともある。その日、治療が終わったあと、患者さんからメンチカツをもらって、パクパク食べた。
「まだ、食べれるから大丈夫よ」と、彼女もほっとしていた。
前日の患者さんには、「ヴェルちゃんは、ほんとにいつも毛づやがいいわね~。毛づやがいいから、まだまだ大丈夫よ」と言われたんだよ。
ポプラに洗ってもらったしね。
3年前の夏、ヴェルがはじめて肺水腫になったとき、獣医さんに「湿度のはかれる温度計を買ってください。湿度は65%を越えないように。人間じゃなくて、犬に合わせてくださいね」と言われた。
それ以来、毎日、湿度計とにらめっこをしてきた。65%どころか、55%を越えると元気がなくなる。夏はエアコンだが、それ以外は除湿機を使って、湿度の管理をしてきた。
冬場は湿度が20%とか、30%とかになる。ヴェルはかなり元気で暮らせる。
呼吸器に悪いと言われているが、私はすっかり慣れてしまった。濡れた洗濯物なんか、絶対に部屋に干さない。
ヴェルがレベルダウンしたあとも、ヴェルと温度計を見比べつづけた。湿度は51%ぐらいだったから、大丈夫なはず・・・?
それでも、ヴェルはぐったりしていた。
冬場並みに下げようと思ったけれど、エアコンと除湿機で、ダブル除湿をしても、せいぜい49%が限界だった。
エアコンは人間にとっての快適環境をめざすもの。50%以下には下がらない設定になっているらしい。
でも、エアコンをかけると、あきらかにヴェルが落ち着くことがわかった。人間にはそうではなくても、ヴェルには気温が高すぎたみたい?
あわてて、昼も夜も、エアコンをかけつづけた。
・・・もっと早くからエアコンをかければよかった・・・(あとから、後悔)
いつも、夜中に、私の腕にもぐりこんできたヴェルは、ちょうど私とポプラの真ん中あたり、エアコンの風が当たる畳の上で、朝まで寝るようになった。
夜中に目覚め、ヴェルの様子を見に行く。
ヴェルの背中が上下し、息をしているのを確かめて、また眠る。
ヴェルが亡くなったあとも、しばらくそのクセが抜けなくて、ずっと睡眠不足状態がつづいた。
(最近、その頃の寝借金を返すために、暇さえあれば寝ているけどね) |
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まだ、がんばってご飯は食べに来たけど、つらそうだった。。。 |
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6月20日 |
4日前 バイクでお出かけ |
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私のブログ(6/1)にも書いた話だけど・・・
何ヶ月も先延ばしにしていた、バイクの点検に行った。肘が痛くてテニスに行けないうちに、と思ったのである。
バイク屋さんのすぐ近所にモス・バーガーがあって、そこにはオープンテラスがある。点検が終わるまで、ヴェルと一緒にお店に入れる。
朝ごはんを食べずに、11時ちょっと前に外に出た。
ものすごい暑い日だった。ヴェルを下におろして、おしっこをさせようとしたが、よろけて立ちにくい。おしっこもちょびっとしか出ない。
バイクにまたがって、バッグの中のヴェルを見たら、ぐったりしている。ベロが白っぽい。「もしや、チアノーゼ?」とびっくり。
この暑さの中、バッグの中でバイクに揺られ、風をうけて走ったら、着くまでに死んじゃうかも・・・と、足元すくわれそうな不安にかられた。
エアコンをきかせた家の中で、背中に鍼を打って、お留守番させたほうがいいかもしれないと思った。
家に戻りかけたけれど、私のバイク屋さん(バイト)は八王子にある。片道20キロ以上も走るのに、ヴェルがいないと超淋しい。
ヴェルと一緒にモスで過ごす時間は、めったにできないささやかな幸せである。
もうすぐ死んでしまうとしたら・・・、
その間、ずっと家の中で、壁と天井だけ見て寝たきりでいるより、外の空気を吸って、景色を見たりしたほうが、かえって幸せなんじゃないか?と思った。
少なくとも、私なら、そうしてもらいたい・・・、と思った。
肘に負担がかかるので、あまりアクセルを開けられなかったが、半泣きになりながら、可能な限りビュンビュン飛ばしてバイトについた。
ヴェルはぐったりしていたが、なんとか生きていた。
店長も従業員もヴェルのことを、とてもかわいがってくれていた。心配そうにヴェルを見つめる。ヴェルのために、エアコンを強くしてくれた。
涼しい中だと、ヴェルもちょっと落ち着いた。ベロにも赤味がさして、チアノーゼは免れた。
イスの上に寝そべって、ひたすら息をしている。いつも下におりたがって、お店の中を探索していたのにね。
ちょっとだけ、モスに行ってみようと思った。ヴェルを抱っこして外に出た。ものすごく蒸し暑い。
下におろしても、よろけて立てないので、おしっこはあきらめた。
ぐったりしているヴェルは、とても重たい。グニャグニャするヴェルを抱っこして、モスまで歩いた。
店内はエアコンがかかっている。でも、オープンテラスは外なので、とても暑かった。
エビバーガーを食べはじめたら、ヴェルに「ちょうだい」と言われた。
小さくちぎったパンをあげたら、一生懸命、食べていた。 |
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エビをあげたら、もっと喜んだ。
犬にエビをあげてはいけないと、本に書いてあったのだけど、もうすぐ死んじゃうんだから・・・と思った。 |
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目はどんよりと光がないし、ベロも白っぽい。目の下を拭かせてくれないので、目やにと涙がこびりついて、みっともないね。
男前が台無しである。 |
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ちょっと食べただけで、力尽きたみたい。お水をあげたけど、飲もうとしなかった。
イスの上に坐らせて、本を読みながらゆっくり・・・は無理だった。
もう限界、と思って、早々にモスを出た。
バイトの店内は涼しいので、ヴェルはだいぶ落ち着いた。エアコンの風に吹かれて、ものすごい勢いで毛が抜けた。ヴェルの白い毛が、モワモワと舞いあがった。
ブラシを見ただけで唸るようになったので、洗ったあと、毛がボワボワだった。
「この夏を越せるかどうかが、勝負だね」と、心配そうに店長が言った。
夏を越すなんて夢のような話だなと、悲しく思った。
帰り道は、黒雲がモクモクと出てきて、太陽をさえぎっている。夕立の気配で、暑さが少しやわらいだ。
バイクも快調だったし、ヴェルもバッグから顔をのぞかせて、通り過ぎる景色を嬉しそうに見ていた。ヴェルはスピード狂なのである。
家に帰って、エアコンの中でヴェルを寝かせたまま、ホットケーキを焼いた。いつものように20枚以上も焼いた。
焼きたてを待っていたヴェルにあげた。嬉しそうにしていたが、匂いをかいだだけで、食べようとはしなかった。
私はその夜、あんずとヨーコと3人で、青山でスペイン料理を食べる約束をしてあった。
出かけようとしたとき、「30分遅らせて欲しい」と、電話があった。
いったん冷蔵庫に入れたホットケーキを取り出して、ヴェルの前におき、となりに坐って、全仏テニスなんか見た。
その30分がよかった。ヴェルはホットケーキを食べてくれた。
グッタリおとなしいので、「もしや?」と思って、久しぶりにブラッシングしてみた。あんまりたくさんやらずに、身体を撫でながらやってみた。
東洋医学では、肺は皮膚と関係がある。喘息のときに皮膚をこすると発作がおさまる。皮膚を刺激したら、肺呼吸が楽になるかも?
ヴェルはおとなしく、気持ちよさそうだった。
ポプラに「早く帰って」とメールして、ヴェルを置いて出かけた。
夜、またヴェルをブラッシングした。ブラシにたくさん毛が取れた。
・・・その毛を取っておけばよかったなあ・・・(と、あとから後悔) |
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6月21日 |
3日前 腹ばいで水を飲む |
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野川にお散歩に出るのはあきらめた。外はモワッと蒸し暑いから、もうヴェルを外に出したくなかった。
ヴェルをバッグに入れて、バイクで通勤。1分でも早く涼しいところにと、鬼のようにバイクを飛ばした。心配のあまり、半泣きである。
この日は、ヴェルの大好きな患者さんが目白押し。誰が来ても反応しない。「いい子ね」と撫でられても、顔も上げなかった。
「もう危ないから、ひと目会ってもらってよかった~」と言った。みなさん、まさか!と思ったみたいだけど、とても心配そうだった。
犬の存在はすごい。ただ息をして寝ているだけでも、人の癒しになれる。
夕方、空き時間に、駅前のATMに行く予定があった。
ヴェルは無理だろうな・・・と、ひとりで出かけるつもりだった。ドアを閉めようとしたら、ヴェルが顔を上げて、ジーッと私を見ていた。
「ヴェルも行きたいの?」と聞いた。『うん』と言っているみたい。
抱っこで外に出た。門の横、いつもの場所でおしっこをさせようとしたけど、よろけているので、おしっこができない。
グニャグニャするヴェルを、肩の上まで抱えあげ、耳の飾り毛に顔をうずめて歩いた。ふわふわで、いい匂いだった。
ATMに入って、下にヴェルをおろした。
立っていられるかな?と心配だったけど、よろよろしながらも、一生懸命立っていた。
帰りも抱っこで歩いた。キョロキョロまわりを眺めるようすはなかったけど、外に出て、気分転換になったらしい。
治療室に戻って、ドーナツをかじったら、ヴェルが『ちょうだい』と言う。
お砂糖と塩がついているけど、食べてくれればなんでもいいやと思った。小さなドーナツを1個食べた。
食べたあと、『お水を飲みたい』と言った。
声の調子や息づかい、目線や身振り手振りで、人間とコミュニケーションを取る方法は、ヴェルが考え出したんだよ。 |
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床の上にヴェルをおろした。立っていられず、ペタリと床に腹ばいになった。ヴェルが這ったまま、水のそばに行こうとした。
犬は偉いね。文句も言わず、愚痴も言わず、残された力でがんばってる。最後の最後まで、あきらめない。健気で可愛い姿でしょ。
お水のお皿を顔の近くによせてあげた。
立ったままではお水が飲めなくなった。腹ばいになったまま、お皿を抱えるようにして、ピチャピチャ・・・一生懸命、お水を飲んでた。
お水が飲める間はまだまだ大丈夫。ひと安心である。
(大好きな写真なのだ。ヴェルのがんばりがとてもけなげで、誇らしい) |
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その夜来た患者さんは、若い頃、獣医の助手をやったことがあるという、70歳の男性である。
ドアを開けて、ヴェルを見るなり、「あ、全身の力を使って息をしているな。そうとう肺がやられているな」と言った。
ほら、45歳以上の男性には、ワンワン吠えてお出迎えをするって、前に言ったよね。
彼にはいつも、シッポを振りながら、ワンワン言って挨拶するのに、ヴェルはイスの上で寝そべったまま、なんの反応もしない。
昔、肺が半分腐っていた動物がいて、こんなふうに、身体全体で息をして、呼吸するだけで精一杯だったのだそうだ。
「これは、あと1ヶ月が山場だな」と彼が言う。
私は内心、『多めに言ってくれてるんだろうな・・・』と思った。
家に帰ってから、ホットケーキを1枚食べ、またお水を飲んだ。
夜中に、ヴェルの目やにを取ろうとしたら、唸って、怒って、ワンワン吠えた。まだ、怒る元気があったのだ。
ポプラと2人でほっとした。唸られて喜ぶなんて、飼い主はほんとにおめでたい。 |
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6月22日 |
2日前 病院に行かずに・・・ |
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ヴェルは病院が大きらいだった。小さいとき足を骨折して、入院して手術を受けたことがあるので、それがトラウマになっているんだと思う。
病院に行くと、興奮してチアノーゼになる恐れがある。体調のいいときじゃないと、診察は危険である。
「今なら!」と思える日がなかったので、狂犬病の予防接種も、まだしていなかった。フィラリアの薬ももらいそこなった。
心臓の薬はずっと飲ませていたけど、診察は避け、お薬だけもらっていた。
3年前、ヴェルは肺水腫になった。心雑音は10歳の頃に指摘された。
心雑音は僧房弁閉鎖不全がある証拠で、肺に水が溜まりやすくなり、呼吸困難になるおそれのある病気なのだそうだ。
病院でレントゲンを撮られ、台の上にのせられ、注射を3本打たれ、あれこれ診察されているうちに、みるみるベロが真っ白になった。
恐怖で心臓がバクバクし、一気に肺に水が溜まり、呼吸困難になり、新鮮な血液が送られなくなって、チアノーゼになってしまったのだ。
そのまま酸素ボックスに入れられ、物悲しげにじっと私を見つめていたヴェルを思い出す。
病院に行く前のほうが、ずっと元気だった。ハッ、ハッ、しながらもたくさん歩けたし、病院の中を探索しまくり、脱走も企てた。
あの日は30分ほどボックスの中にいて、そのまま家に連れ帰った。背中にハリを打って、静かに寝ていたら、次の朝にはご飯が食べられた。
病院に連れて行けば、興奮して、もっとレベルダウンする。あっという間にチアノーゼになって、酸素ボックスに入れられる。
あの状態では、そのまま入院になるだろう。独りぼっちで、病院で死ぬことになる。甘えん坊のヴェルだから、それはあまりにかわいそう。
今年になってから、ヴェルはみるみる年老いていった。足腰が弱って、お散歩に出てもあまり歩かず、すぐに帰りたがるようになった。
夜中にワンワン吠えるようになった。幻覚、幻聴があったのかもしれない。何の異変もないのに、宙に向かって吠えつづけた。
脳が老化したのはあきらかで、認知症らしきものがはじまっていた。
「動物は、最後の最後まで元気にしていて、急に具合が悪くなって、1・2週間で死んでしまうんだよね」と、何人もの人に聞いていた。
野生の動物は、動けなくなったらそれで終わり。動けないことは、即、死を意味する。人間に飼われていても、犬は野生の生き物だ。
「夏さえ乗り切れば、寒い間は元気に暮らせる」と、毎年がんばってきたけど、もう次の夏を乗り越えるのは難しいなと思いはじめていた。
ヴェルの命が長くはないと、あきらめはじめていたんだよね。
点滴をしたり、注射を打たれたりすれば、延命はできるだろう。
若くて元気な犬が病気になったのなら、治ればピンシャン、そのあと元気に長生きできる。
でもそれはもう望めそうもない。犬には理解できないのだから、痛い思いや怖い思いをさせるのはかわいそう。
家族のそばで、このまま静かに逝かせてやろうと思った。だから、後悔が残っているのかもしれない・・・ |
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いつも口からはみ出しているヴェルの舌。
この写真は、レベルダウンする直前に撮ったもの。鏡の中のヴェルは、ベロが逆向きに映っているね。
白っぽいのがわかるでしょ。
ペコちゃんみたいに愛嬌があって、かわいいね。いっそ「ベロ」という名前にすればよかったなどと、ジョークのネタになっていた。
トレード・マークのヴェルの舌は、チアノーゼをはかるのに、すごく便利だった。ベロですぐ体調が見れる。
こっちの写真は、今年の冬に撮ったもの。ベロに赤味があるでしょ。元気なときは、きれいなピンク色なんだ。 |
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その日も、ものすごく暑かった。バイクに乗るとき、バッグの中のヴェルを見ると、やっぱりベロが白っぽい。
心配で気が狂いそうになりながら、半泣きで通勤。
治療室は、前日にタイマーをかけておいたので、涼しい部屋めざして、猛スピードで走った。
ヴェルは治療室のイスの上で、ひたすら呼吸をしていた。
「ちっとも、苦しそうじゃないよね。静かに寝ているんだから、苦しんでないのよ」と患者さんに言われた。
「お友達の犬は、痛みがあったのか、ワンワン騒いで大変だったんだって。だから、病院に連れて行くしかなくて、結局、そのまま病院で亡くなったのよ」
別の患者さんも、「私も病院に連れて行きたくなかったんだけど、うちの猫が苦しんじゃって、暴れているので、どうしようもなかったの。そのまま入院になって、病院で死んだのよ。かわいそうだったわ」と話してくれた。
苦しそうに呼吸している・・・と思ったけど、苦しくなかったのかな?
治療室にいる間は、何も食べないし、水も飲まなかった。外に出しても、おしっこをしなかった。
家に帰ってから、鶏肉と野菜のスープ煮を作ったんだけど、固形物は残して、スープだけ半分飲んだ。お水もなんとか飲んでくれた。
「水さえ飲んでいれば、1週間ぐらいは大丈夫」と誰かに言われたので、とりあえず、ほのかな希望をもった。
夜中、食堂の床の上に、2メートルぐらいの長さに渡って、ヴェルがジョボジョボ、おしっこをした水溜りができているのを見つけた。
トイレに間に合わなかったのかな?
数ヶ月前から、トイレの中だけにおさまらず、外にまでおしっこのつづきをすることが頻繁になっていた。
おじさんたちにその話をすると、「わかる、わかる。だんだん、おしっこの切れが悪くなるんだよね」と、みんなが共感してた。
ヴェルのおしっこの始末には慣れている。おしっこが出てよかった。
いつものように、黙っておしっこを拭きとった。 |
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6月27日 |
1日前 古方あんま |
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日曜日はポプラがお休みだ。
前の日の夜、「明日、ヴェルを連れて行くんだろう?おれ1人でいるときに、死んじゃったらやだからさ」とポプラに言われていた。
ヴェルを連れて行くつもりだったけど、やっぱりその日もとても暑かった。
出かけようとしたとき、まだポプラもヴェルも眠りこけていた。たまたま朝と夜しか予約が入っていなかったので、「途中で帰ってくるから」とポプラに声をかけ、1人で仕事に出かけた。
1時に終わって、まず、母のところへ行った。ポプラがいないとヴェル1人でお留守番になる。今行っておけば1週間はさぼれる、と思った。
帰りに、スポイトとプリンとアイスクリームを買い、猛スピードで帰宅した。
お水やプリンをスポイトに入れて口に入れてみたけど、無駄とわかった。本人が飲み込む気がないと、のどに詰まらせるかも。肺に入ってしまうかもしれない。
でも、お水はお皿から少し飲んでくれた。
昨日の夜からおしっこをしていない。
トイレシートの上に、ヴェルを手で支えたまま立たせようとしたけど、全然立てない。グニャリとお尻がシートの上に落っこちる。その拍子に、ウンチが出た。でも、おしっこはしなかった。
腕や足だけじゃなく、首の辺りの筋肉もすっかりなくなっていた。首もグニャリ、お尻もグニャグニャ。クタクタ人形のようになっていた。
食べられなくなったあと、体中の筋肉のエネルギーを燃やして、呼吸をしていたんだね。
ポプラに、「手伝ってよ。2人がかりで立たせて、おチンチンを刺激すれば、おしっこがでるかもしれない」と言ったのだけど、「いいよ」と断られた。
・・・役に立たない。
ヴェルに古方あんまをしてあげようと思いついた。
体力が弱っているから、力をいれずにゆるゆると。経絡に沿って、背中から、お腹から、指先へ、足先へと、気を流してあげるのである。
父が癌で亡くなる前、新潟まで毎週通って、父に古方あんまをしてあげたんだけど、そのおかげで、父は痛みがすっかりなくなり、痛み止めがいらなくなった。
心穏やかになって、自分は「治った」と信じたまま、あの世に旅立ったのだった。
最近は、撫でようとしただけで、いきなり噛まれることもあったけど、ヴェルはおとなしく、されるがままになっていた。ついでに、ブラッシングもして、目の下もきれいにしてあげた。
怒る気力もなくなったのだろうか?
あんまをしながら眠ってしまった。ずっと睡眠不足がつづいていたからね。
「時間だ!」と、目を覚ましたら、ヴェルの両手を握ったままだった。
ヴェルはつぶらな瞳で私をジッと見ている。「ありがとう」と言われたみたい。
母なんか、私を見てもニコリともせず、痛いリハビリのときは、私の手を引っかいたり、反対の足で蹴りを入れたりするのにね。(もともと、そういう愛想のない性格である)
犬の介護のほうが、よっぽどやる気が出る。
また眠りこけているポプラを置いて、仕事に出かけた。ポプラは出かけず、ずっとヴェルのそばにいてくれた。大きな犬並みには役に立つ。
仕事のあとブログを書いて、夜遅く帰宅した。
なんと、ヴェルは、ひとまわり小さくなっていた。あんまのおかげで、肺の水が抜けたんだね。呼吸も楽そうに見えた。
夜、お水をちょっとだけ飲んでくれた。家中を探索したけど、おしっこをした形跡はない。このままじゃ尿毒症になってしまうと超心配になった。
点滴で水分を補い、おチンチンに管を入れて導尿すれば、延命できるんだろうな・・・という心の迷いをふり切った。 |
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ヴェルを抱っこして、おふとんに連れこんだけど、すぐに逃げられてしまった。
バタフライで床に移動しようとするので、エアコンの風の下に寝かせた。ヴェルは横たわったまま、ひたすら呼吸をしつづけた。 |
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○ ○ 追記 ○ ○  |
追記・32 |
一番に愛されないつらさ |
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ヴェルが逝ってしまってから、最後の日々を書きつづけた私。1日1日を思い出しながら、取り憑かれたように書きつづけた。
ヴェルの思い出に埋没して「書く」ことが、癒しになったんだよね。
ヴェルにはいろんな思い出をもらい、いろんなことを学ばせてもらった。なかでも、生まれてはじめて味わったのが、「1番に愛されない」つらさだった。
ヴェルの面倒を一番見たのは私。食事もお風呂もカットも、すべて私がやってあげた。
お散歩だってほとんど私。毎日、ときには何時間もヴェルを外に連れ出した。子どもたちが熱心だったのは最初の3ヶ月ぐらいで、あとは気まぐれ。若い者は自分の都合が優先なのである。
それでもヴェルは、あんずが1番好き。ポプラのことも大好きで、誰もいないと仕方なく私のところにやってきた。
仕事場に連れて来るようになって、1日中一緒だからいいんだけど・・・、家では坐っている時間もなく、家事をしまくっているからいいんだけど・・・、そう、自分に言い聞かせてみるが、悲しい。
夜中、ゴミを出すついでに、ヴェルをおしっこに連れ出した。みんなはすでに寝静まっている。
ゴミを出す準備を始めると、ヴェルはすぐに気づいて、あんずの部屋から、こそこそ、のそのそ歩いてくる。
家に戻ると別犬になって、大急ぎであんずの部屋に直行する。
あんずのお布団で眠るヴェル。通りかかって「ヴェル!」と声をかけただけで唸られる。うっかり撫でようとすると、噛まれたり。
私を利用するだけという罪悪感があったのかな。だから泥棒のように「こそこそ」歩いてきたのかもしれない。
子どもたちにも友人たちにも、たぶん両親にも、自分が一番に愛されて来たのだと気がついた。
一番に愛されることを「当たり前」と思っていた私が、はじめて、2番目にしか愛されない人の気持ちを知った。
(とはいえ、長い人生を生きてくると、一番愛される人には、愛されるなりの理由があるということにも気がついた。
人は誰でも、自分に対して優しくて思いやりのある人に懐くのである)
あんずが出て行き、ポプラが出て行き、ヴェルと私のふたり暮らしがはじまった。さすがにヴェルも、私を重要視しはじめた。
病気になって心細さを感じるたびに、私を頼り、私に寄り添うようになって、ちょっとずつ関係が変化していった。
誰かが来ると、自分の象を私のおふとんの上に置く。「あれ、なんで象が?」と毎回驚き、そのうち、「誰と仲良くしても、ボクのハウスはここだよ」と私にアピールしているんだと気がついた。
晩年は、あんずがお泊りしても、あんずにべったりすることはなくなった。夜中に行ったり来たり。私の様子を確かめに来るようになった。
「私だけ」が吠えられたり、噛まれたりするのは、子どもがママに反抗するみたいなものだと、自分に言い聞かせた。
子どもたちに反抗されるのには慣れているもんね~~
一番に愛されるようになったかどうかは分からないけれど、一番に頼られるようになったことは確かだった。 |
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私の洋服の上が安心だったみたい |
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updated: 2017/2/5 |
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