4/14(土) |
掲示板のトラブルから① 医学の本質とは? |
私は、相手が誰でも、「プラス1」からスタートするというスタンス。最初は「とりあえず、いい人」と想定し、そこから、いろいろなやり取りを通して、プラスしたり、マイナスしたり。関わりながら様子を見る。
その結果、距離を置くようになる人もいるし、生涯の親友になる人もでてくる。
匿名の投稿って、怖いね。
「整形外科医」氏(これからS氏と呼ぶ)の、掲示板への書き込みのせいで、この間は、本当に大変だった。一番はじめの書き込みは、私の書いたことを「間違いだらけ」の「でたらめ」と主張し、事実以外に、中傷と揚げ足取りが散りばめられていた。
そのときは、彼の知識でなく、傲慢な医者に見うけられる居丈高な態度とモノの言いようが、本物っぽいなあ、と私に思わせた。
実際に何ヶ所か、間違いや説明不足のところがあったわけだし、それを指摘してくれたことには、とりあえず感謝することにした。その後のやり取りで、S氏が、真摯な姿勢で医学に打ち込む専門医で、鍼灸のせいで手遅れになるかもしれない患者さんのことを思うあまり、つい暴言を吐いてしまったのかもしれないと思うようになった。
ところが・・・
論争が1段落した後、私や他の人の整形外科的質問に答えてくれるのかなと期待していた。(だって、ハンドルネームが「整形外科医」なんだもの)
そこでS氏は、突然、雑談へと走りはじめた???
細木さんが好きか嫌いかは別として、彼女は占い師。人は占いに興味があるのであって、誰も彼女から医学的講義を受けようとは思っていない。医療ドラマだって同じ。そこに描かれている人間模様に興味があるのだ。
S氏は、物事の本質を理解しようとしていない。
医学の本質とは何だろう。医学とは、病人を治すための学問。解剖学や病理学などは、そのための道具でしかない。道具にこだわるあまり、「治す」という行為を軽視するというのは本末転倒なのではないか。
人を治療するためには、心と知識と技術が必要だ。まず「心」があって、知識と技術は、生涯を通して学んでゆく姿勢。これが医療関係者にとって、一番大切なことだと私は思う。
S氏からは、臨床に携わる人間の「心」や「感情」がまったく感じられない。
心ある医師たちは、西洋医学の限界を知っているし、病める人のために身を粉にして働いている。S氏の言動を迷惑に思う医師も多いのでは?
もしや、S氏は、他人の仕事のあら捜しをし、本筋とは関係ないところでの小さな間違いを指摘し、それをきっかけにして、自分がいかに物を知っているのかを見せつけたい、ちょっと「ビョーキ」の人間の可能性もあるぞと、ふたたび疑いが沸いてきた。
でも、私には、そんなことにいちいち反駁したりする時間はない。全部を読んでいる人もいないんじゃないかと思う。S氏の投稿は無視し続けることに決めた。
すると第2弾の、中傷爆弾が炸裂。S氏がいいがかりをつけてきた変形性膝関節症は、まさに鍼灸の適応症なんだけどね。
病院に行って「膝が痛い」と訴えたオバサンが、「トシですね」とあっさり片づけられる。たとえ生死に関わらないような簡単な病気でも、その人のQOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)は、どうしようもなく低下する。
掲示板で、他の鍼灸師の人たちも指摘したように、家事や仕事ができなくなったり、ちょっとした楽しみも閉ざされてしまった人たち、他に行き場がなくて絶望的になった人たちが、鍼灸師に助けを求めてやってくる。
そんなオバサンたちの膝にかがみこみ、何百時間もかけて治療をした事実の積み重ねと、それを通して感じたことが、私の「症例・ひざ痛」なのだ。
今は、掲示板の閉鎖も考えている・・・ |
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4/1(日) |
自分の花粉症の治療のコツを発見 |
おととし、風邪をひいたあと鼻炎の症状が残り、そのまま花粉症の症状が悪化した。患者さんの花粉症は治せるのに、何で自分のは治せないんだろう?全身治療が自分ではできないからなのかな?患者さんの耳のつぼを探すときには、私は目で見て探せるけど、自分のはあてずっぽうだからかな?手探りで貼るときに球がずれるのかな?
それとも、これって、花粉症じゃなくて、子どもの時によく言われた「慢性鼻炎」なのかな?だったら、鼻炎の治療法を発見しなくちゃならないな・・・
・・・などと、さんざん悩んでいた私・・・
去年はなんとか大丈夫だったのだけど、今年は1月になって風邪をひき、そのまま鼻炎の症状が残り、そのまま花粉症に突入するという悲劇をまた繰り返した。
ちょうど「難聴」と「めまい」のために、花粉症の治療はあきらめていたのだけれど、耳の状態が良くなったので、また花粉症に取り組むことにした。
(耳ボワ~ンや耳鳴りは銀粒、花粉症は金粒が効くので、同時に両方の耳ツボ治療はできない)
そして、ハタと思い当たった。自分で耳に球を貼って治療している人はみな、「今年も全然平気よ」と毎年言っているのだから、上記の???は関係ない。それ以外に何かコツがあるに違いない!
鏡に向かって、耳のツボを探す。爪楊枝のお尻を使って、グイッと耳たぶを押してみる。そういえば、本に「渋面兆候」と書いてあった。患者の「痛い」の訴えだけでなく、顔をしかめて痛がるポイントを探せ、ということだった。
すると、あら不思議。鼻ポイントをグイッと押すと、鼻が楽になる。目ポイントをグイッと押すと目がすっとする。
つまり、「渋面兆候なのだ」。患者さんは、私の言うことを聞いて、私がやるように、耳のツボを思いっきり押して痛い場所を探す。まさに、その行為が、花粉症の症状の軽減に役立っていたのだ。
わざわざ金粒を貼らなくても、お出かけの前や、くしゃみを連発したときに、爪楊枝のお尻で、耳たぶの鼻ポイントと目ポイントのあたりを、思いっきりグイッグイッグイッと強く押すと、それだけでしばらくの間は、マスクとさようならができる。
皆さんもお試しあれ! |
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3/14(水) |
めまい④ すっかりよくなりました! |
皆様にご心配をおかけしたけど、ふわふわ感は4日ほど続いてから消え、そのあと、1週間ほどで体力も戻って、今はすっかり元気になった。
先週は1日おきに3回(土、月、水)も続けてテニスに行ったし。ヨタヨタしていたけど、なんとか走れた。
最初の聴覚検査をしたあとの鍼で、1日で聴覚が戻った、という可能性もあるけれど、耳がボワ~ンとなってから、月曜にもちょこちょこ鍼を打ったりしたので、火曜の朝のめまいは、瞑眩反応だったのかもしれない。
「耳ボワ~ン」や「めまい」の患者さんに鍼を打つと、いったん悪化してから治る、というパターンもあるからだ。
医者に四の五の嫌味を言われたけど、結局、薬を飲まずに鍼だけで治ってしまった。あとは、再発しないように、生活状態を改めるという課題が残っている。
なぜ、ここまで疲労とストレスがたまっていたのか?あれこれ考えてみた。
私は、一種の「ヒロイズム」に酔っていたんだと思う。
昔の私って、仕事とか、料理とか、友達づきあいとか、好きなことを中心に生きていて、嫌いなことには時間をさかないできた。家事も、適当なところで線引きをして、あまり無理をしないできた。(もっと忙しかったけど、ずっと若くて元気だった)
若い頃は、外にいることが多くて、ゴミをまたいで台所に行った。最低限の家事だけこなし、あとは、目をつぶれば見えないよ、という感じ。
でも、だんだん年を取ると、体力がなくなってくる。外に出かけて友達と会うより、家で静かに過ごしたいと思う日がだんだん多くなる。(友達もみな年を取る)
家にいる時間が長くなると、少しはきれいにして、快適に過ごしたいと思うようになってくる。
でも、まわりの人間は、仕事を理由に何もしない。家事は各自、が基本なのだけど、結局、私がみんなの後始末、明日の準備をする羽目になる。
何もしなくても、目が覚めてみるとできあがっているのだから、まるで、靴屋の小人がいるかのように思っているに違いない。
仕事もし、家事もし、人の面倒も見る私・・・。
若いモンに、大人としてどう生きるべきかの見本を見せてやろう、などという勢いだった。私の人生を失敗と思っている母への対抗意識もあったと思う。
「大人としての責任を『完璧に』果たす私」というヒロイズムに酔っていたのだ。
で、私が、責任を引き受けてがんばればがんばるほど、まわりの人間はどんどん無責任になっていく。
イラ立つ。怒りが増す。その怒りがまた原動力となって、ますますたくさんのことをこなし、ますますストレスがたまる。愚痴らずには生きていけない。
年上の、親切で有能なおばさまたちに愚痴る。
尊敬するおばさまたちが、「あら、私もよ」「分かるわ~」と言ってくれる。責任を果たしている素敵な女性に「共感してもらえる」という快感。いい女たちの仲間入りができた快感。
「私って、なんていい女なんだろう」というヒロイズムに酔う。
ワーカーホリックならぬ「いい女」ホリックだった。
怒りがどんどん増大し、肉体の疲れは限界を超していった。どこまで自分が行けるのか、行き着くところまで行ってみようという、(タイプ7的)自己破壊的な衝動もあったかもしれない。深層心理的に、怒りが行き場を失って、結局は、自分の身体に向けられたのだと思う。
でも、私は降りた。無理はしたくない。(ここであっさり降りるのもタイプ7的?)
どこから降りて、どこに重点を置くか。どうやったら、きれいに降りられて、もっとのどかで楽しい暮らし方ができるかを、今考え中だ。 |
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2/27(火) |
めまい③ 大学病院に行ってみたら |
次の日は、朝10時に起きて病院に行った。私としては2時間も早起きしたことになる。睡眠不足だし、それに、なんだかふわふわしたような感じがする。
慈恵医大では、例のごとく、2時間以上もえんえんと待たされた。
診察室に呼ばれて、いきなり、医師(30代後半?ぐらいの男)が、いらだたしげにケンカを売ってきた。
「自分で鍼で治療できるんじゃないんですか!?」
「今回は、西洋医学的治療をすべて受けようと、決心してきたわけですか!?」
「具合が悪くなったのをずーっとそのままにしておいて、それで、どうしようもなくなってから、西洋医学に来たんですか!?」
などなど、のっけから戦闘態勢でたたみかけてくる。最近の大学病院の若い医者は、けっこう鍼に対して好意的なので、こんな目にあうのは久しぶりだ。
私は、具合悪くて意気消沈しているので、淡々と受け答えをする。
「めまいが起こったのが火曜日で、火曜の午後は耳鼻科がお休みなので、水曜に行って、そしたら、こちらへ伺うようにと紹介状をいただいて、今日(木曜)来たんですけど・・・」と答えると、少し納得したようにおとなしくなった。
「では、聴覚検査を受けてきてください」と言われる。
聴覚検査を受けている間、ショックと不安と睡眠不足で、『ここはどこ?私は誰?』状態。検査に集中しなくちゃと、必死で自分に言い聞かせるのだけど、心はあらぬ世界を彷徨っている。昨日よりひどい結果が出るんだろうな・・・と思いながら、また診察室に呼ばれた。
すると先生が、あせりまくっている。「ちょっとこれを見て下さい」と手招きするので、とことことデスクの方へ歩み寄る。
「ほら、これが昨日の検査の結果で、こっちが今日の結果なんですけど、ほら、これ、ほとんど正常ですよね。何でですか?」
「え~と、今日はちょっと耳の具合がいい感じなんですよ」と答える。昨日までなかったふわふわ感はあるけれど、耳のボワ~ンは少しマシになっていた。
突発性難聴なら、1日で聴覚が戻ることはない、と言う。(正確に言えば、ボワ~ンは4日間続いたんだけどね)
今の病名としては、低音障害型感音難聴(?)で、これを繰り返せばメニエールの初発ということになるんだって。
結局、MRIなど撮ることもなく、めまいの薬だけもらって帰ってきた。「薬を飲んでも効かない」という話を山と聞いてるので、とりあえず、まだ冷蔵庫に入れてある。
月曜には、ふわふわ感もほとんど消え、耳ボワ~ンも「気のせいかな?」程度になり、完治とはいえないまでも、現在、おそるおそるながら平常生活に戻りつつある。 |
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2/26(月) |
めまい② 聴覚障害 |
次の日の朝、とりあえず、あのひどいめまいは襲ってこなかった。大丈夫かな?と思いながら仕事に行った。
仕事の合間に、すぐ近くの耳鼻科へ行った。数年前に外耳炎でかかって以来、ときどき耳掃除をしてもらいに行っているところだ。
「聴覚検査をしましょう」と、白いブースに案内された。
怖がりの私は、医者にかかるときはいつも、お守り代わりのぬいぐるみを持っていく。今日のお供はラッコ。ハンカチとラッコを握りしめて、心臓はドキドキだ。
結果は聴覚障害あり。左耳の聞こえが悪い。特に低音と高音が。
「鼓膜など耳の中はきれいだから、神経の問題だと思います。大きな病院へ行って、徹底的に調べてもらって、西洋医学的処置、できることは何でもしたほうがいいですよ。 ・・・ステロイドとかでも・・・」
と、優しい女医さんが、気の毒そうに言った。私が鍼をしていること、薬が嫌いなことを覚えていてくれてたみたい。
「神経の障害」と聞いて、ショックを受けた。じゅうじゅう知っている。神経って、長い間侵害されると、元に戻りにくい。このまま聴覚障害が残ったらどうしよう・・・
考えられる病気は、メニエールとか突発性難聴らしい。繰り返すとメニエールなんだって。「風邪をひいた、ストレスが多い、疲れすぎてる、この3つのうちのどれかに思い当たることがありますか?」と聞かれた。
1月に風邪をひいたし、疲れ果ててるし、ものすごいストレスもあった。
治療室に戻って、友人に電話をした。以前に、耳がボワ~ンとなって聞こえが悪い症状の治療をしたことのあった人だ。彼女いわく、
「2・3日前から耳がボワ~ンとなってて、聞こえにくかったんだけど、それとは別に治療に行ったら、みづさんに『首と肩がこっているからだよ』と言われて。治療のあと、いったんボワ~ンがひどくなって心配したんだけど、その後、すっきりしてなんともなくなったんで、やっぱり肩こりのせいだったんだなって納得したんだよ」
耳の不調とか、軽いめまいとか、そういう患者さんがたくさん来るんだけど、気軽に治療して、けっこう簡単に治っていたんだよね。
今年になって、1回しか鍼灸治療を受けに行ってなくて、左の首と肩のこりを残したままだった。温泉に行ったりして、首・肩こりが楽になったような気がしていたんだけど、「感じなくなる」のは、実はやばい兆候だってこと忘れてた。。
仕事が終わってから、ベッドに横たわって、自分で簡単な経絡治療をした。耳の周りにもたくさん鍼を打った。鍼を打ったまま、眠り込んでしまったから、睡眠不足でもあったのだろうな。
次の日、紹介状を持って、慈恵医大(第三病院)に行った。 |
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