10/31(金) |
バイクが盗まれかかった |
夕方の空き時間に、バイクであれこれ用事をたしに出かけた。
雨の予報である。厚い雲がおおい、湿度が高く、どんよりとした空気の中、まず、母のところに行った。
ベッドに行くと、めずらしく目を開けていた。二言三言何か喋ったようだが、声が小さくて聞き取れない。
いろいろ話しかけると、返事をしたそうに、じっと私を見るのだが、言葉は出てこない。ROM(関節可動域訓練)だけやって、そうそうに外に出た。
まずい、ポツポツ雨粒が落ちてきている。
最優先は、三角コ-ナーの水切り袋である。1枚もなかったのである。
洗濯用石けんと、トイレットペーパーも切れかかっている。ついでに、ビールや野菜など買って、とりあえず、治療室に運んだ。
そのまま、またバイクにまたがって、ときわスポーツに向かった。
モスバーガーを通り過ぎ、信号のところから歩道にのって、東急ストアーのはしっこにバイクを停めた。キーを抜いて、いそいで歩いた。
ラケットを受け取って、東急で花を買い、自分のバイクに戻った。ほんの10分か15分の間のことである。
バイクがない!
ヴェルがいなくなったときと同じように、異世界に紛れ込んだみたいに風景の色合いが変わった。
盗まれたら、バイクを買わなくちゃならない。20万以上はするから、大きな損失だ。冷や汗が出た。
まわりを見渡しても、人々が忙しそうに往来していて、目撃者を見つけるのは難しそう。東急の裏で、籠車を移動させている職員を見つけたので、聞きに行った。
公社に持っていかれたのなら、『何処そこに撤去しました』と書かれた紙が、地面に置いてあるはず、と言う。
ハンドルロックをかけたかどうかの記憶はないが、キーは抜いてあるので、こそ泥はたぶん、バイクを引っぱって歩き、まだその辺にいるはず、と思った。
とりあえず、バイクを探しながら、交番に向かった。
警官はイヤな奴だった。放置自転車の保管場所を書いた紙切れをくれ、「4時までだから、明日の朝、電話をしてみたらどうですか?」と言う。
同情のかけらもない。
「盗まれたんじゃないと思うんですか?」と聞くと、「盗まれたかどうかわからないと言ったのは、あなたですよ」と、切り返してくる。小学生の口論みたい。
「5時ごろ電車が止まったので、そのせいじゃないですか。私はしませんが、悪い奴なら、直結して乗るでしょう」と、口元に薄笑いすら浮かべている。
昔の警官なら、どうしようもないという現実認識はあっても、正義感と、「お気の毒ですね」という気持ちを感じられたのに。
悪い少年たちなら、ごまんと知っていた。
たぶん、どっかの路地に引っぱっていって、人目のないところでいたずらしているか、とりあえず放置して、あとから取りに来る算段をしているに違いない。
スペイシーなんて、悪ガキにとって魅力のあるバイクじゃないし、部品を取りたくなるような装備もないのに・・・、と不思議に思いながら、裏通りを歩きまわってバイクを探した。冷や汗だけでなく、汗だくになった。
反対側の路地に入ろうとしたとき、ウィンドシールドのあるバイクがモスの前に停まっているのを見た。
薄暗いので見えにくいけど、スペイシーより大きそうだから違うだろうなと思いながら、一応バイクを確認しに行った。
「藁にもすがるような思い」からである。
『やっぱり違うよな・・・』と落胆しながら、ふと前方を見ると、なんと、私のスペイシーがちょこんと歩道にのっているのが目に入った。
置いた場所のひとつ先の信号の、やはり歩道の上。異なる交差点の同じ位置。
信じられない思いだった。
モスの前を通り過ぎた記憶があるから、そこに置いたのは絶対に私じゃない。
まるで別の人のバイクのように感じられたけど、うしろの籠にかかっているゴムのボロさ加減まで、まさに私のバイクである。
ハンドルロックはかかっていた。どうやってここまで運んだのだろう?2人がかりなら目立ちすぎるかも?
置いた場所になければ、持ち主はあきらめてしまう。あとでゆっくり盗みにこようという計画だろう。
キーを入れてみると、すんなり入って、エンジンもかかった。
なんだか自分のバイクじゃないような不安感は、なかなか消えない。
数十分の異世界から、いきなり元の世界に戻ったのだが、気持ちのほうはなかなか適応できない。
あのバイクを見なかったら、たぶんそのまま裏通りを探し、そのまま歩いて治療室に戻っただろうな・・・
雨が降らなかったのもラッキーだった。
見つかってよかった~~(^0^)~~ |
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10/26(日) |
冬支度完了 |
いきなり冬が来たみたいだね~。
木曜日、あんずがお掃除の手伝いに来てくれた。
合間を縫ってテニスに行くつもりだったが、前日に雨の予報。あんずに付き合ってもらって、先延ばししていた買い物に行った。
家に帰ったら、もう夕方の5時である。あわてて掃除に取りかかった。
ほんとうに掃除は苦手である。物がごちゃごちゃしていると、見ただけで思考停止してしまい、どうしても先に進めない。
あんずはてきぱきと片づけをはじめる。
「これは何?」、「どうするの?」と聞かれる。
「う~ん・・・」とあいまいな返事をする。
「じゃ、いらないね。捨てよう!」と、決断が早い。
家のあちこちには壊れたパソコンや、使えなくなった家具など、そのまま放置されてあった。とりあえず置いたままになっていたのだ。
「捨てるものは見えないところへ置く」と言いながら、不要なものを使ってない部屋に運んでくれた。
頭の痛くなる掃除はあんずにお任せして、便器を磨き、風呂場を磨いた。ゴシゴシしている分には、何も考えずにすむ。
扇風機3台をピカピカに磨いて、押入れにしまい、代わりにストーブを出した。
きれいになった部屋にホットカーペットを敷いて、冬支度が完了した。
昔は、性格も、頭の構造も、趣味も、何もかもが違っている子どもたちに、超戸惑っていた。
もし、この子達が学校で同じクラスだったとしたら、誰とも友だちになっていないだろうな・・・、などと思っていた。
ところが、大人になってみると、違うからこそ、とても役に立つ。特にあんずとは、二人合わせれば百人力である。
私の頭の中は、病気や治療に関することや、心理学や、歴史や、文学とか、本から得た知識など、人があまり知らないことがいっぱいに詰まっている。
それがあんずには有益らしい。
でも、私は巷のことはあまり知らない。普通の人が普通に知っていることを知らないので、今でも毎日が「発見」である。
あんずは普通のことをよく知っていて、困ったときに相談すると、なるほどと思う答えが返ってくる。
私は目的意識を持って、前へ前へと進む人間。あんずは、ゆっくりと道を歩き、その時その時を味わえる人間である。
私は自分の主義を優先し、あんずは人と仲良くすることを優先する。
あんずとは価値観や食べ物の好みが同じである。出来事に対するスタンスや興味の対象も共通項が多い。
性格が違うからよけいに面白いのかもね。
母との葛藤には苦労したけど、娘との関係でプラマイが相殺されるのかな・・・?
なんだか最近は、あんずや、あんずの友だちと飲むことが多くなった。忙しい私の都合に合わせてくれるからね。
友だちって、年とともに減るんだよね。
テニスばっかりやって、クラブの人たちとばかり遊んでいるせいもあるけど、他の友だちづきあいがほとんどなくなってしまった。
年を取ると出不精になってしまうし、いろんなことに対する興味をなくしたりするので、新しい出会いや発見を楽しめなくなってしまうらしい。
同世代や年上の友だちは、病気になったり、引っ越したり、宗教に入ったりで、1人また1人と疎遠になっていく。
母だって、昔は友だちもいたし、姉妹とも仲良くやっていたけど、ああなってしまってみると同世代はみんな年寄りで、結局、若い世代に頼るしかなくなる。
若い頃は、老後は気の合う友だち同士で一緒に暮らしたいね・・・、などと言い合っていたこともあったけど、非現実的な発想だったなあ。。。 |
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10/10(金) |
自分の殻をやぶること |
水曜日、朝10時にテニスクラブに行った。
誰とも約束をせずに、ひとりで午前中に行くのは、かなり勇気がいった。
いつも行っている午後なら、誰かしら相手を見つけられるけど、午前中はほとんど知らない人たちばかり。
だからといって、行かなければ、永久に知り合いはできないままだ。
はじめは居心地が悪くても、ウロウロしていれば、そのうちなんとかなるはず。
もしも、練習コートも仲間も見つけられなかったら、早めに終わって、仕事場に行けばいい・・・、と自分に言い聞かせた。
どっかで殻を破らなければ、始まりもないものね。
壁でストロークの練習をしたあと、ボールのかごを持ってウロウロ。
上のコートに空きを見つけ、サーブの練習をはじめた。
となりのコートで男性1人、女性2人が練習をしていたのだが、女性がやってきて、「みづさん、ゲームをしてもらえますか?」と声をかけてきた。
私の名前を知っている?
その中の1人に見覚えがあった。前に会話したことがあるみたい。
テニスクラブは実力の世界。ヒエラルキーでは、何年も最底辺にいた。
それなのに、最近は、「入れてもらえる」だけじゃなく、「お願いされる」こともあるようになった。
このところ、テニスは不調だった。スランプと言ってもいい。
バンバン打つ人たちとゲームをしたあと、まったくプレースタイルの違う女性たちとゲームして、適応にとまどったのがきっかけである。
速くて深いボールを、勢いよく打ち返すのは、ある意味簡単である。パートナーのショットが相手を「押したな」と思ったら、前に出てボレーで決める。
ゆるいボールを強く打ち返すのは難しい。ベテランぞろいだから、何でも返ってくるし、2人で前に出られると、どこに打っていいかわからなくなる。練習どおりの深いショットを打つと、相手のチャンスボールになってしまう。
迷いに迷って、足元に小さく打っていたら、フォームが縮こまって、修正できなくなった。
それ以来、低迷は10日ぐらいつづいた。
ベテランのおばさまに言われた。
「小さく縮こまってると、こっちで見てても分かるのよ。突っ立てるし、動きも悪いし、つまらないボールしか飛んでこないし。それじゃ、面白くないの。勝敗なんてどうだっていいのよ。ミスなんか気にしないで、思いっきりいい球を打ちなさい」
負けてばっかりいると、「やっぱりダメね」と、のけ者にされるんじゃないかという恐怖があって、とにかく、ミスはご法度とテニスをしてきた。
でも、もう仲間入りが当然という状況になってきたので、勝敗を気にしないで、ゲーム中でも、常に、いいショットを打つ練習をしようと腹が決まった。
「つなぐテニス」から、「攻撃的なテニス」への挑戦がはじまった。
練習と違い、いろんな球種のボールが、いろんなところへ飛んでくる。どれがつなぐボールで、どこで決めるのか、選択がむずかしい。
勝率は悪いけど、しばらくはしょうがない。まわりの人の思惑を想像して、遠慮ばかりしていては伸びない。
ミスしても、「練習、練習」と、みんなが励ましてくれる。
「今のは、決めるボールじゃなく、つなぐボールだったんだよ」
「前衛につかまるのなんか恐れていないで、思いっきり打って、ぶつけてやれ」
とか、ゲーム中にあれこれ教えてもらっている。
これも、もうひとつの、自分の殻を破る修行である。みんなが励ましてくれる今が、チャンスだものね。
ところで、上から打つサーブが入るようになった。
テニス肘前には、あんなに不安定だったのにね。昨日は、久しぶりにセカンドも上から打ったのだけど、1回もダブルフォルトをしなかった。
不思議だけど、入れようと思えば、入れられるようになった。
ずっとフォームの改造をしつづけて、さんざん練習してきた。
だから、「フォームはできている」と信じて、トスを上げたあと、高く掲げた左手だけを意識するようにした。
トスの位置を確認し、スライス系にするのか、フラット系にするのか、スピン系にするのか、ラケットの振り方を調節することに集中している。
コースを狙うのと、幾種類かの球種を打ち分けるのは、これからの課題である。
~~まだまだ、だね~~ |
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9/30(火) |
ヴェルの出会いから編」を作りはじめた |
ヴェルの世話がなくなって、生活はかなりゆったりペース。空き時間ができたので、ホームページの充実に取り組んでいる。
腰痛のページを書き直した。前から気になって仕方なかったのだが、やっと着手する気になった。
症例17「腰痛・1改:千差万別の種類がある」、「腰痛・2改:鍼灸で背骨の矯正」である。見てね~。
前のバージョンは、11年も前に書いたものである。
その間、数え切れないほどの腰痛の患者さんを治療した。昔のページに登場した人たちの「その後」もある。
21年も開業していると、初心者の頃にはわからなかったことが、いろいろと分かるようになってくる。
昔は手探りで治していた。圧痛点を押しながら、「ここは、痛いときに痛いところ?」とか、いちいち患者さんに聞きながら、一個一個ツボを取った。
今では、見ただけでツボがわかるし、表面にあらわれている症状だけでなく、どこが病根かもわかるようになった。
診断が早くなっただけじゃなく、予測もできるようになったのである。
そしてこの数日、ヴェルの部屋の組み立て直しをはじめた。
自分でもときどきのぞいて、ヴェルを懐かしんでいる私である。
「いつまでヴェルのこと引っぱっているの?」とからかわれたりもする。もう忘れてもいい頃だと思う人が多いのである。
赤毛のアンシリーズの「アンの夢の家」で、燈台守をしているジム船長が登場する。猫を飼っているジム船長に、ギルバートが、「船長なら、犬を飼っていると思っていました」と言う。
ジム船長は、「飼っていましたよ。でも、犬は『友だち』ですからな。1匹死んだから、じゃあ次を、というわけにはいきませんでな」と言う。
愛犬を亡くしたあと、新しい犬を飼う人もいるけれど、私にとってはヴェルは永遠である。赤ちゃんであり、家族であり、友だちでもあった。
治療室にはヴェルの写真が何十枚も飾られ、お花も生けてある。
久しぶりの患者さんが来て、写真と花を見て呆然と立ちすくんだ。「ヴェル、死んじゃったんだよね」と言ったら、「そうですか・・・」と、とてもがっかりしていた。
「ブログを見ました」と、泣きながら入ってくる患者さんもいる。
そんなふうに、みんなに愛されて、ヴェルは幸せ者であった。
7年間にわたって、写真とエピソードをのせてきた。
ブログというのは、常に最新ページが見れるようになっている。古いものの上に積み重ねていく方式で作ってある。
いつものバージョンから入ると、いきなり last page、「ヴェルが旅立った日」に遭遇する。それはあまりに悲しすぎる。
諦めがつき、悲しみが癒えた今日この頃は、ヴェルの可愛かった姿を思い出すことのほうが多くなった。
他にも、元気な頃のヴェルに出会いたい人がいるかもしれない・・・
順序を逆にして、ヴェルがやってきたときからの日々を、順を追って見れるようにしようと思い立った。
で、作ったのが、ヴェルの「出会いから編」である。
毎回、「追記」として、ブログにはのっていない詳しい話と、残っている写真を掲載しようと思う。
月一ぐらいのペースでゆっくりと・・・、ね。 |
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9/19(金) |
全身筋肉痛 |
水曜日、4ヶ月ぶりにボールのカゴを持ってコートに入り、ひとりでサーブの練習をした。ついに、ラケットを振り上げられるようになったのである。
まず、ネットの近くで、高くトスを上げ、スマッシュとサーブの中間ぐらいの感じで打ってみた。肘の痛みは出ない。(^o^)/
だんだんうしろに下がっていき、ベースラインから打つ練習をした。
打ち方を忘れてしまっていて、なんとなく心もとない。
バシン、バシンと打ってたら、おじさんが交代でリターンに入ってくれ、あれこれアドバイスもしてもらった。
「フォームはきれいだね」と褒めてくれたが、まだ、自分のものにしていない。
以前は左足軸足で打っていたのだけれど、利き足の右足に重心をのせ、右足中心でジャンプして、打ちながら左足に重心を移す。
あれこれ考えて、フォームのマイナーチェンジ中でもある。
ゲームでも、上からのサーブを打ったが、ほとんど入らない。でも、セカンドはアンダーなので、ダブルフォルトは避けられる。(たまにするけど)
ゲームの緊張感に慣れるために、あえて上から打ちつづけた。
昨日は、午前中2時間半、先輩に特訓をうけ、午後は1セットマッチを4つもやった。最後まで、全力で走り回った。
おかげで今日は、あちこち筋肉痛である。
サーブを打つ右うではもちろん、トスを上げる左うでも、太もももふくらはぎも、腹筋も肩の筋肉も、ほとんど全身筋肉痛。
どこにも痛みのない、激しい運動のあとの筋肉痛は、とても心地よい。
テニスはまことに浮き沈みの激しいスポーツである。
ゲームは黒星がつづく。
この間、フォアのストロークが良くなったと報告したばかりなのに、そのあとまったくダメになって、打ち方を忘れてしまった。ちゃんと打とうと思えば思うほど、力んでしまって、ボールが飛んでいかない。
決めるボレーが打てない。チャンスボレーをつづけてミスすると、自信がなくなって、ゆるくつなぐことになる。そうなると、なんでも返ってくるので、えんえんとラリーがつづく。
ベテランの先輩たちに混ざって勝利するには、決め手を欠くと不利なのである。小さくまとまると、絶対に勝てない。
最後のゲームのとき、見物をしていたおじさんが、「みづ~!なんで前に出て打たねえんだよ!」と、大声で叫んだ。
「だって、決めるボール、ミスしちゃうんだもの」と言ったら、「やらなきゃできるようになんねえだろ、バカ。それしか取りえがないんだから、練習しろ!」と、激励してくれた。優しいね~。
ゲーム中にミスしても、「気にしなくていいのよ」、「思い切りやりなさい」と、みんなが笑顔で言ってくれる。ときどきアドバイスもしてくれる。
調子が悪いときでも、競ったゲームができるようになったので、仲間の1人として認めてもらえてる。
もうちょっと自己中になって、練習させてもらおうかな・・・ |
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