doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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2/8(水) チワワのティラ(8ヶ月の男の子)がいるよ~
在宅介護にそなえて家の改装中なので、去年の年末から、ホームセンターにちょくちょく行くようになった。

ヴェルが逝ってしまって以来、ずっと犬を見れなかったのだけれど、久しぶりにペットショップをのぞいてみた。
いつ行っても売れ残ったままのチワワがいた。
『売れないと殺処分されちゃうのかな・・・』と心配になった。

ヴェルと似た毛色で、表情や動作がそっくり。性格もそっくり。
5月27日生まれで、もう8ヶ月。赤ちゃんじゃないから売れないんだろうな・・・

『気にしない、気にしない』と自分に言い聞かせながらも、行くたびにのぞいてしまう。
でも、もう犬は絶対に飼わないつもりだった。

治療室の中をうろうろ歩き回っていたとき、ドサッと何かが落ちる音がした。
パソコンの前に坐ったら、床に本が落ちているのが見えた。
『落ちたのはこれか』と拾い上げてみたら、なんと、「チワワの飼い方」の本だった!

『どこから落ちたんだろう』『あ、この隙間か~』と本を入れたあと、ドッカ~ン!と、びっくり仰天した。
なんでぎっしり詰まった本棚の中から、チワワの本が落ちたのだろう?他に誰もいなかったし、その本があることすら忘れていた。

これは神様の思し召しかもしれない?

その数日前、自転車でテニスに出かける途中、反対側の歩道をチワワ連れの人が歩いて行くのを見かけた。
頭が黒くて身体が白い。ちょっと大柄で、後姿がヴェルとそっくりだった。

『そうだよな。あの子じゃない。やっぱりチワワはこうでなくちゃ』と思い、追い越してから振り返って見たら、顔のこっち半分は黒くて、右顔面は真っ白だった。
心底ぞ~っとした。頭蓋骨に見えたのである。

本が落ちたあと、そのことを思い出してみると・・・
まるで、黄泉の国に恋人を迎えに行った神話のようだ。
「もうヴェルは死んで、この世のものじゃないんだよ」という、1つ目のメッセージだったのかもしれない。

・・・もうひとつ「お告げ」があったら、考えるしかない・・・と思った。

あんずがテレビをつけたら、ちょうど動物愛護協会の番組をやっていたそうだ。
ペットショップで売れ残ったり、野良で保護された犬たちのために、里親探しのイベントをしていた。
「そんで、それでもどうしても引き取り手のない犬は、殺処分されちゃうんだって!」と言うのである。
3つ目の偶然がおこった。

火曜日の夜、いきなり右手首が痛くなり、どんどん悪化した。
前日のテニスのときは平気だったのに、次の日の夜になって、いきなり痛み出したのだ。
フォームを変えると、今まで使っていなかった筋肉を使うことになる。歪みが手首に集約されたみたい。
すでに夜中だったので、おざなりの治療しかできなかった。

水曜日の午前中はDさんの練習会。
グリップをギュッと握ると、手首にグキッと激しい痛みがおこる。
ラケットも持てないので、ひとりで左手で壁打ちをした。

2回ぐらい手首を痛めたことがあるんだけど、そのときは3ヶ月ぐらいかかった。
あせりまくって、治療室に行って、えんえんと自分の治療をした。
手首だけの問題じゃないと思い、右の腕から指先まであらゆるところにハリを打ち、透熱灸もし、井穴から邪気も抜いた。

自分の治療は退屈である。放送大学をかけっぱなしで、いいかげん聞き飽きてしまった。NHK第二の基礎英語でも聞こうとチャンネルを変えたとたん・・・

いきなり、"How cute!" という女の子のかわいい声が耳に飛び込んできた。つづけて、"Can I keep it, daddy?" と言っている。
まさかのペットショップでの会話である。ここまで偶然が重なるとは!・・・

木曜日の朝、右手首はほとんど治っていた。
テニスはできそうだったけど、もしも強いボールとかうっかり受けて、こじらせたら長引いてしまう。
1日休めばそのまま完治するのがわかっていたので、あんずに来てもらって、改装のつづきをすることにした。

あちらこちら車で出かけたあと、用もないのにユニディにも行ってしまった。

チワワをゲージから出してもらい、あんずと代わる代わる抱っこした。
かわいい!ふわふわの毛の感触に、すごい幸せを感じた。
「誰かに飼われて欲しい」という気持ちから、「他の誰かに取られたくない」というふうに気持ちが傾いていった。

もうすぐ在宅介護が待っている。手はかからないけど外出ができなくなる。
家の中に死にかかった人間がいる。何時間も何時間も、ずっとそばにいなくちゃならない。
想像しただけでぞ~っとする。
でも、そこにかわいいチワワがいれば、どんなにか癒しになるだろう。
ちょくちょく散歩にも出て行かれる。

死にかかった人間・・・うーん・・・ストレスが・・・でも、そこにチワワが・・・あ~、癒される・・・
頭の中でそんな映像がくり返された。

もう飼うしかない!

契約したのは2月2日。私の開業24周年の記念日である。
自分で自分にプレゼントしちゃったのである。
8ヶ月までペットショップのゲージにいたということは、人間にすれば、小学校を卒業するまで牢に監禁されていたみたいなもの。

犬らしさがまったくなくて、外の世界を異様なほどに怖がっていた。
想像以上に困難な道のり・・・と思ったけど、あれあれ、順調に慣れてきている。

あんずとポプラと3人で協議するので、なかなか名前が決まらなかった。
誰かが提案すると、別のが却下する。
「どうするの~」とせかされて、結局私が決めた。
見た目の色から、名前は「ティラミス」、愛称を「ティラ」にしたんだよ。
(鼻筋が通っていてハンサム系なので、三銃士のアラミスも混ざっている)

なんか、神様じゃなく、ヴェルのお願いだった気がしてくる。
もしかしたらヴェルの生まれ変わりで、私がペットショップに行くのをず~っと待っていたのかもしれない。

治療室でもヴェルと同じで、ほんとうにおとなしくていい子なんだよ!
詳しい話は次回にして、とりあえず報告ね~。

<補足:チワワのブログ「ティラの部屋」を作ったよ~(2/12)>
1/29(日) 合言葉「セサミ」・・・でもシングルスで全敗
去年の暮れから、ポッコンボールの攻略に取り組んできた。
おばさんたちの女ダブで修行して、やっと「待つ」ことに慣れてきた。
でも、しょぼいボールしか飛んでいかない。

どこが間違っているんだろう?
ゆるいボールは、自分から打ちに行かなくちゃならない。
力んで打っちゃうと、かえってボテッとしたボールになってしまう。
華奢だから、力づくは無理である。

そこで思い出したのが、「セミ・サーキュレーション」である。
ラケットを「小さく回し」ながらインパクトすると、スイングの勢いをボールに伝えられるみたい。

最近、サーブには「セミ・サーキュレーション」を使っている。
ラケットを担いだ位置から打っているんだけど、どうもボールに勢いが出ない。
強く打とうとすると力んでしまい、フォームが崩れてしまう。
担いだラケットをうしろでクルクル回し、タイミングをあわせて打つようにしたら、ゆっくり振ってもボールに勢いがつくことに気がついた。

それを、ストロークのときにもやってみようと思いついたのである。
とりあえずニックネームを「セサミ」にした。
「セ」で構えて、「サ」でラケットを回して、「ミ」でボールを打つ。

去年はCさんが他の生徒たちに教えていた。
合同レッスンに参加させてもらったりしたけど、完成された人間にとっては、フォームの改造はとても難しいらしい。
「セサミ」は誰もできるようにならない。
私は2年前に教えてもらったので、練習のときには、注意をされるとその場ではできる。
でも、ふだんは忘れちゃっていたのである。

いろんな人のフォームを観察しているけど、サーブにしろストロークにしろ、「セサミ」ができているのは数人である。
ほとんどの人が、ボールの真後ろでいったんラケットを止めて、そこからインパクトしている。
ラケットを回すのは「形」だけなのだ。
(もちろんプロは、全員「セサミ」で打っている)

ちょうどCさんも同じことを思ったらしい。彼は、ぜんぜん別の観点から、新しい指導法を思いついた。
彼の発見が、私の発見「セサミ」とシンクロしたみたい。
最近うるさく注意されている。

壁でも練習しているけど、直線でボールを捉えるのと違って、タイミングが合いにくいんだよね~。
当たりそこないを多発してしまう。

えんえんとつづくフォームの改造・・・いったいいつ終るのか、いつになったら応用編に進めるのか、暗澹たる気持ちになるけれど、ちょっとずつ上達していることは確かなので、がんばるしかない。

C
さんみたいな、伸びのある、ピンポイントでコントロールできるボールを打てるようになりたいのである。

金曜日は、シングルスのラウンドロビンに出場した。16人出場で、4ブロックに分かれてのリーグ戦になった。

今回は、0-6、4-6、2-6の3連敗で、いいとこなしだった。
相手は3人とも、ほとんどミスをしないし、甘いボールはきっちり決めてくる。
自分の中にテーマが見つけられず、あれこれ迷って、対策法を見出す前に負けてしまった。

4位トーナメントは、各ブロックの最下位同士でやる。
1回戦は4-2で勝ったけれど、決勝は(夏に6-1で勝った)相手に1-4で負けた。

・・・いろいろ言い訳を羅列したくなる・・・
腰痛が治りきっていなかった。
母のことで忙しく、テニスに集中できなかった。
ほとんど練習ばかりで、シングルスはおろか、ダブルスのゲームすらほとんどやっていなかったので、ゲーム勘が低下していた。
そのうえ、フォームの改造中だし、どうしていいかわからなかった・・・

でも、格下相手だとプレッシャーで楽しくないし、勝ってもそれほど嬉しくない。
「勝った」と見栄をはれるというだけのことだ。

はじめて出場をした日から、ブロックに必ず格下がいて、なんとか1勝はできたというのは不思議である。

まるっきりの素人だった頃は、神様が、「あんまり全敗つづきだと、気落ちしてやる気がなくなる」と心配して、勝利をプレゼントしてくれていたのかもしれない。
ある程度できるようになってきて、「ここからが本番だよ」と、励ましてくれているのかもしれない。

反省点は山ほどある。

頭の中には、Cさんだけじゃなく、いろんな人たちのアドバイスが山と書き込まれてある。
今回どん底を体験して、はじめて「腑に落ちた」ことがたくさんあった。
やっと追いついたボールは「ロブで返せ」、または「スライスを使え」もそうだし、他にもたくさんの発見があった。
これも上手な人と対戦できたおかげだね。

昨日、全豪の女子シングルスの決勝を見た。
妹のセレナ・ウィリアムズが、姉のヴィーナスを、闘争心むき出しで、コテンパンにやっつけた。

「何が何でも、勝つ」、「たとえ足を使ってでも、相手をやっつけてやる」というぐらいの気合がシングルスには必要らしい。
今の自分にできることを駆使して、あらゆる方策を用いて「勝つ」ということが、ゲーム勘の向上につながるのかもしれない。

「練習」と思うとのびのびいいショットが打てて、ポイントがからむと、おっかなびっくりになる自分がいる。
それを克服しなくちゃね~。

たぶん、勝ち負けがからむと、心の奥底に潜む「負けたらカッコ悪い」という、一種の恐怖心が顔を出すんだね。

去年、ラリーのあと10ポイントタイブレークをやってくれた男性が、「上半身だけで打ってますね」と指摘してくれた。
「とりあえずなんとか追いついて、何でも返す」というのが、そのときの私のプレースタイルだった。

Cさんも、そこを矯正しようとあれこれ考えてくれている。
勝ちに行く闘争心も育てなくちゃならないけれど、まず、「セサミ」をモノにしようと思う。
ちゃんと打てずに、目先の勝ち負けにこだわったら、未来が縮小されるものね。

1回「全敗」したんだから、これからは居直ろう。「負け」を恐れず、負けつづけ、そこから何かを掴み取ろう、そう決心した。

練習でできることを試合でやる。今日の「負け」は明日の「勝利」につながると、自分を信じるしかないね。
1/22(日) 相手のラケットの「網目」が見えた
ぎっくり腰のほうは、まだまだ完治とは言えない。
仕事やテニスのせいじゃなく、母のリハビリをすると、また悪化するのである。

母は「レビー小体型認知症」なのだが、とくにパーキンソン症状が強いので、身体の硬さが半端じゃない。
去年の夏ぐらいから、固まり具合がひどくなってきた。

退院後はとくに、3日ぐらい放っとくと、岩みたいになってしまう。
腕1本持ち上げるにも、錆付いたバルブを開けるぐらいの、ものすごい力がいる日もある。
それを何十回もやるんだもの。腰にズシンと来る。

間があけばあくほど、どんどん固まっていくので、なるべくちょこちょこ行くようにはしているんだけど、それでもかなりの硬さ(=重さ)である。

もし私が職員だったら、リスクを恐れて、簡単なリハビリしかしないと思う。
先輩にも、「壊さないように気をつけるほうが大事。可動域は50%あれば充分。介護する人が洋服の脱ぎ着をさせるのに支障がなければOK」と教わった。

あまり重視していなかったROM(range of motion=関節可動域)訓練が母に必要だと気づいたのは、もう拘縮がはじまってからだった。

病院でリハビリをやったのは10ヶ月だけ。どうしても鍼灸がやりたくて、すぐに開業してしまった。
だからある意味、私のリハビリ能力は素人に毛が生えた程度。

拘縮する前からやっていれば、100%も可能だったかもしれないけれど、残念ながら、母の関節の可動域は平均すると70%ぐらいである。

それでも、ずっと母のリハビリをしてきているから、骨折の可能性を恐れながらも、できる限りほぐしている。家族だからできるのだ。
私以外、他の誰にもできないので、やりつづけるしかない。
重いものを持ち上げる筋力をつけるしかないのかもしれない・・・

月曜日はやばかった。
テニスに出かける準備をしながら、だんだん腰が壊れていくのを感じた。出かける直前に、軽いぎっくりが来た。
レッスンの約束があったので焦ってしまった。鏡の前でカマヤミニをしまくったら、少しマイルドになったので、テーピングをして出かけた。

壊れかかっている腰でテニス。「大丈夫かな?」と心配しながらも、レッスンを2時間ぐらいして、そのあとゲームを2セットやった。
なんと、終わりごろには腰が軽くなった!
かなりハードなテニスだったが、動いたほうが、今回の腰痛には良いのである。

水曜日の午前中はDさんの練習会である。
はじめていきなり冷や汗モノ。ボールが取れないのだ。腰の切れが悪いので、速いボールとか、ちょっと遠いボールに間に合わない。
絶望的な気分になった。

これは、動いて動いて動きまくるしかない。
ずっと足を動かしつづけていたら、途中から身体の切れがもどって、ちゃんと打てるようになったんだけど・・・

練習中、ふいに、ネットの向こうのDさんの「網目」が目に入った。
打ってくる相手のラケットのガットの「網目」が見えたのである!

今まで、「相手のラケット面を見て、ボールを予測しろ」と、何十人にアドバイスされたことだろう。
「相手がラケットを立てたら、スライスを打つと分かるでしょ」と言われても、ボールを追うことしかできなかったのである。

自分が打つだけで精一杯だったんだもの。
ボールに対しての入り方、足の運び、正しいフォームで打つことに集中していた。
相手を見る余裕はまったくなく、放たれたボールを見てしか反応できなかった。

腰の不安から全力でテニスができなくなった。攻撃から受身の態勢になる。「自分」がかすんで「相手」が見えた・・・ということかな?

「相手を見ろ」という表現は漠然としている。フォーム、ラケット、足の動き、それに「感情」のオーラも伝わってくる。

なるほど、「網目」を見れば、ラケットの角度がわかる。飛んでくるボールの方向が推測できる。
スライスかドライブかの球種も見分けられるようになるかも。

人はそれぞれフォームが違う。
相手の「網目」の角度と、ボールのコースの関係のパターンを見極められれば、ゲームの中盤から優位に立てそうである。

まさに怪我の巧妙である。人のためにしたことが、別の形で、自分にプレゼントされて返ってくる。
これをモノにできれば、未来は明るいぞ~~

転んでもただでは起きない、究極ポジティブシンキングは、私の中でまだまだ健在である。(笑)
1/15(日) [本]オオカミ <迫害から復権へ>  他2冊
図書館の生物学のコーナーをうろうろしていたら、オオカミの本を見つけた。
ヴェルを思い出して、ちょっぴり幸せな気分になれるかなと思って借りたんだけど、オオカミが大好きになって、次から次へと読んでしまった。

最初に読んだのは、ハンク・フィッシャー著、「ウルフウォーズ -オオカミはこうしてイエローストーン公園に復活した-」(白水社)だった。
オオカミの生態や、絶滅の経緯など、はじめて知って愕然とした。

アメリカ大陸では、カナダをのぞくほとんどの地域で、オオカミは絶滅している。

北米に白人が移住して以来、バッファローなどの野生動物がほぼ絶滅した。
当然、オオカミは放牧されている牛や羊を狙うようになる。

牧畜を営む人間にとって、オオカミは大切な財産を盗む「敵」である。
狩猟を趣味とする人間とっても、シカを捕らえるオオカミは邪魔者だった。

すごい勢いで殺しまくったらしい。

見つけ次第、撃ち殺す。わなにかける。一番むごいのは、羊の死体にストリキニーネという毒薬をかけて、道端に放置しておいての毒殺だった。
単独で行動する動物と違って、群れで行動し、みんなで食べ物を分け合うオオカミは、あっという間に絶滅してしまった。

そのアメリカ合衆国では、オオカミを復活させようという試みがはじまった。
カナダのオオカミをイエローストーン公園に移住させ、現在では、いくつかの群れが生息するようになったそうだ。

イエローストーン公園では、エルクやシカなどが増えすぎて、困っていたらしい。
植物の芽を食い荒らすので、森林が破壊されていく。
エルク自身も、感染症や病気が蔓延して、群れの健康が損なわれていった。

人間がシカを殺すときは、遠くから銃で、一番大きな個体を狙う。健康で長生きをして、数々の経験を積んだシカが殺されることになる。
指導者が殺されると、群れにとっては大きな損失になる。

オオカミがシカを殺すときは、群れの近くをうろうろして、弱い相手を見つけ出す。
手ごわい相手だと、自分の命が危険にさらされるからだ。

病気のシカや、トロい子ども、年寄りなど、弱くて不健康なシカが淘汰され、強くて健康で頭のいいシカが生き残ることになる。
感染症の蔓延も防げるし、シカの群れの健全性が保たれる。
オオカミは食べるだけしか殺さないので、結果、生態系のバランスも保たれる。

オオカミを愛してやまない詩人、リック・バス著、「帰ってきたオオカミ」(晶文社)を読んだ。
ますますオオカミに感情移入してしまった。

鋭い牙や爪を持つ捕食動物は、生き物を食べる「悪人」・・・、つぶらな瞳のかわいい被食動物は、かわいそうな「善人」・・・という、自分勝手な正義をふりかざした人間。
私たちも「命」を食べて生き延びているというのにね!

神に成り代わったつもりで、人間が自然をコントロールできると信じていたのだ。
だけど、大自然がもたらすバランスのほうが、結局ははるかに優れていた。

ギャリー・マーヴィンの「オオカミー迫害から復権へ」(白水社)では、オオカミの歴史、迫害の理由、オオカミの特徴が、系統的に語られている。
彼もそうとうなオオカミ大好き人間で、いたるところに愛があふれている。

「赤頭巾ちゃん」や「オオカミ少年」などの童話から想像されるように、ヨーロッパでは、オオカミはずっと悪者扱いされてきた。
牛や羊の放牧で暮らしをたてている牧畜民族にとって、オオカミは、大事な財産を盗みにくる「こそ泥」なのだ。
卑しく狡猾な、悪の代名詞とされてきた。

アメリカの先住民やアイヌなど、狩猟民族にとっては、オオカミは狩猟の腕を競うライバルでもあり、「すばらしいハンター」と尊敬されていたという。
自然と共に暮らし、森林を守り育てる「仲間」でもあった。

農業で暮らしをたてる日本では、オオカミは「神」のような存在だったらしい。
シカやイノシシなどの鳥獣被害から、作物を守ってくれるからだ。
日本オオカミは「山犬」もしくは「大口」と呼ばれ、お祀りする神社もあった。
農民は山犬のお札をもらって、家や柵に貼りつけたりもしたそうだ。

オオカミの研究がすすみ、あらたな事実がわかってきた。

オオカミの集団は支配と服従で形成されている、と推測したのは、デイヴィッド・ミッチである。
交尾できるのはボスのカップル、「アルファー雄」と「アルファー雌」だけで、ボスの命令には絶対服従。
群れには序列があって、強固な縦社会であると推測した。

でも、事実は違っていた。オオカミの群れは「家族」だったのだ。

交尾するのは、お父さんとお母さん。毎年生まれる子どもたちは、兄弟姉妹。
経験豊富な両親の指導のもと、協力し合って狩をする。年長の子どもは弟や妹の世話をする。家族で食べ物を分け合う。
生まれ育った群れから巣立って、一匹オオカミになったオスとメスが出会うと、またあらたな群れ=家族ができる。

ミッチも今では、「アルファー雄」「アルファー雌」という呼称をやめて、「繁殖オス」「繁殖メス」という言葉を使っているのだそうだ。

犬の生態もオオカミに倣って語られてきたが、「アルファー・シンドローム」という言葉そのものが、現実には存在しない「仮説」からきていたのだ。
ヴェルの思い出の、追記27:「犬語② オオカミのDNA」を読んでね~)

私は昔、およそ10年間、小寺ときさんが主宰する、無農薬のグループ農場に参加していたことがある。
小寺さんは、「食」へのこだわりが半端じゃなかった。安全で美味しい食べ物を追求して、自らクワで耕しただけでなく、あらゆる食材を作ったすごい人である。

いろんなアイディアを思いつくたびに、みんなが狩り出される。
私は小寺ファンなので、いろんなところへくっついて行き、面白い経験をたくさんさせてもらった。
パスチャライズ牛乳を日本に再導入し、「みんなの牛乳」をつくった人でもある。

小寺さんがあるとき、東毛酪農の子牛の育成牧場のそばに、消費者が自由に立ち寄れるリゾートランドを作ろうと思い立ったことがある。
いつものように数十人の若い女性たちが集まってきて、わいわいと車に乗りこみ、赤城山の山頂近くまで、曲がりくねった山道をえんえんと登っていった。

蕎麦やとうもろこしの種を蒔き、野菜だけのバーベキューをして、作物が実ったら刈り取りに行こうと楽しみにしていた。
ところが、すべてシカに食べられ、全滅したそうだ。
あんな山奥では、シカから作物を守ることはできないのだという現実を知った。

尾瀬にニッコウキスゲを見に出かけたときのこと。
かつては、黄色い花が見渡す限りの平原に咲きほこったのだそうだが、数輪の花しか見ることができなかった。
シカに若芽を食べられて、ほぼ全滅、という状態なのだそうだ。

現在、シカやイノシシなど、野生動物による農作物の被害がどんどん増えつづけている。
このままだと農業を営むことが難しくなる時代がくるかもしれない。
人間の力で、一頭ずつ撃ち殺すのは不可能だし、前述したように、生態系のバランスを崩すことになる。

人家の近くに熊が現れている。食べ物をあさって、家の中にまで入り込む熊まで目撃されている。人間を襲う事件も出始めている。
田舎で暮らせなくなる日がやってくるかもしれない。

オオカミがいれば、人間にとってプラスに働く可能性が高い。
シカやイノシシを適正な数に保ってくれる。作物を守り、森林を守ってくれる。
熊の数も減らしてくれるかもしれないね。

ニホンオオカミ(山犬)はとっくに絶滅してしまった。狂犬病を恐れての野犬狩りの影響があったらしいとのこと。
日本でも、オオカミを復活させようと声を上げる人々がたくさんいる。

「送りオオカミ」という言葉は、「女の子を送っていって悪さをする男」という意味ではなかったのだそうだ。
暗い山道をひとりで歩いているときに、遠くからオオカミがあとをつけてくれば、「オオカミに送られて無事に帰れる」という安心をあらわす言葉だったんだって。

極寒の地でも、家族で肩を寄せ合って、けなげに生きるオオカミたち・・・
かわいい!
日本にも取り戻せたらいいね~
1/9(月) ぎっくり腰→スキー→テニス→仕事もOK
年末のぎっくり腰で、ほとんどの患者さんが今年に持ち越しになったので、年始からメッチャ忙しく、新年のご挨拶が遅くなってしまった。

みなさん、明けましておめでとうございます!

もう1回治療してもらえれば治るのは分かっていたけど、それは不可能。自分でなんとかするしかなかった。

お助けマンは、ジッポーのカイロである。久しぶりに使った。
お腹や腰のあちこちに移動させるのだけど、しつこく温めつづけると、じわじわと効果が出る。

患者さんたちが遠慮してくれたので、仕事場でパソコンにはまってしまった。
FAQ22:「360度ストレッチ」を書き直し、ついでに患者さんに手渡せるようにパンフレットまで作ってしまった。

ずっと坐っていると、立ち上がった瞬間に「イタタ・・・」となって、腰痛が悪化していることに気づく。
座位で上半身の体重が集中する部位が、今回の腰痛のワースト・ポイントらしい。
しかも、重いものを持てない。
・・・母のリハビリのやりすぎが一番の原因だったと判明した。

年末は忙しい。大量に料理を作る。そのために何度も買い物に行く。お掃除もしなくちゃならない。
動いて動いて動きまくった。

巷の話とはまったく逆で、たいていの病は安静にしていても治らない。
とくに、ぎっくり腰などの運動器系の疾患は、動いたほうが早く治る。

動くことで、隅々まで血が巡る。カイロで温めるのも同じ理由。「血」が治すのである。
しかも、筋力を維持できる。治ってそのままスムーズに日常に復帰できる。

一番怖いのは、痛みが眠ってしまうこと。
そのまま固まってしまい、筋肉がギブス化すれば、腰が縮んだまま固まってしまう。
可動域がせまくなって、足腰の動きが悪くなる。
老化への道、一直線である。

お正月は母も呼び、今年は7人。家族の大集合である。

母はとても喜んでいたみたい。「お腹がすいた」とか、「美味しい」とか、発語もかなりあって、私の手作り料理を喜んで食べてくれた。
ホームでは相変わらず「糊」を食べているんだけど、食べる能力は落ちていなかった。
また回転寿司に連れて行ってあげなくちゃね~

元日にはまだ「イタタ」「イタタ」をくり返す状態。スキーなんて論外だった。
2日の明け方、まだ暗いうちに目が覚めた。自分で書いた「最後の一手はストレッチ」を思い出し、おふとんのなかでやってみた。
かなりの痛みに耐えながら、あっちやこっちを伸ばしつづけた。

そしたら、なんと、「治った!」
90%ぐらいの治癒状態になり、ほとんど痛みがなくなったのである。

(痛みの起こり始めは、ストレッチで悪化する危険があるので、文字通り、「最後の一手」として、治る寸前にやってね~~)

車の運転はピョン君がやってくれたので、後部座席でこんこんと眠りつづけた。宿でも眠りつづけ、帰りの車でも眠りつづけた。
そうとう疲れがたまっていたみたい。

「尾瀬岩鞍スキー場」は、雪が少ないため、一部閉鎖のコンディションだった。

ゲレンデを見たピョン君は、「上に行ったほうがいい」と言う。
下の初心者コースはところどころ土が見えている。雪質も悪いから、かえって大変とのこと。
ゴンドラに乗って、山頂に行った。

数年ぶりのスキーなので、すっかり滑り方を忘れていた。
目的のミルキーウェイは、滑り出しが急坂で、一番の難関である。
青空の下、遠くの山々がくっきりと美しかったけれど、見惚れている余裕はない。

怖くて足がすくんでしまった。
「どっちの足に体重かけるんだっけ?」とピョン君に聞いた。
彼はショートスキーのインストラクターの経験者である。

なるほど、谷側の足に体重をかけ、清水の舞台から飛び降りるみたいに、谷底に向かって落ちていくのが「コツ」だったと思い出した。

久しぶりなのに、いきなりの難関トライで、また腰に軽い「ぎっくり」が来た。でも滑れないほどではない。
のんびり出かけたので、すぐに夕方になってしまい、コースが閉鎖。初日は2コースだけのお試しスキーになった。

宿に戻って、温泉に入って、足や腰などあちこち念入りにほぐした。
翌朝、あんずにカマヤミニをしてもらったら、かなり上手なのに驚いた。
なんと、またほぼ完全復活。スキーを楽しむことができた。

たった半日だったけど、楽しかった~~。『もうちょっと滑りたい』ぐらいでやめておくのがいいかもね・・・と、怪我なく滑れたことを喜ぶことにした。
(腰に気が行っていたので、写真を取りそこねた)

翌日4日はクラブでの初テニスである。
正会員と平日会員が両方来ていたので、ものすごく混んでいた。
腰の重みが残っていたので、とりあえずリハビリである。待ち時間が長いので、無理をしないですんだ。

壁で少し調整し、おばさんグループで2セットやった。
動いたのが良かったらしく、「あれ、治った?」と思うほど腰が軽くなった。サーブもOKだった。

5日は腰痛の不安なしで、全開でテニス。4セットもやったけど、ぜんぜん平気だった。
久しぶりに自転車で行って、クラブハウスでお酒も飲んだ。

6日は初仕事。3日間、フルで働いて、腰のほうは90%から85%にレベルダウンした。何時間もずっと中腰だったからね~。
合間にまたパソコンに貼りついて、新しいページを作ったのも悪化の一因と思うけど・・・、とりあえず、テニスはやっぱり番身体にいいみたい。

患者さんとかに、金粒・銀粒の貼り方を教えてあげるんだけど、みなさん、すぐに忘れてしまう。
「忘れたら、ホームページを見てね」と言ってあるんだけど、目的ページを探し出すのはけっこう大変である。

イラストを入れて一目瞭然のページを作ったらどうかな・・・と思いついて、「セルフケア・ナビ」(自己治療ガイド)を新設した。見てね~

今朝は、起きてびっくり。まったく腰が痛くない。昼間テニスも思いっきりやれた。

人生で2番目にひどいぎっくり腰だったけど、とりあえず、1週間でスキーをやれて、2週間で「完治」目前なんだから、まあまあだったね。

このまま治ってくれるといいなあ・・・
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