7/17(火) |
「キラキラ星」で肩まわり~指先のストレッチ |
ほんとうに暑いね~~
今日はバイク通勤の7・8分で、汗だくになっちゃった。
走っているときも、風が熱風なので、かえって暑いぐらい。
ティラは頭が黒い。太陽でジリジリ焼かれているが、バイク好きのスピード狂なので、楽しそうにしている。
治療室の前は、2階への階段の下なので、広々としたスペースが日陰になっている。
ときどき、近所の猫がのびのびと寝そべって、日陰ぼっこをしていたんだけど、さすがにこの暑さ、今日はいなかった。
先々週の日曜日、帰っていった患者さんが、またすぐにドアを開けて、「みづさん、トカゲが干からびているよ」と教えてくれた。
「キャ~!」と私は、トカゲを草むらに掃きだしてもらった。
先週の土曜日も、外に出た患者さんがすぐにドアを開けて、「トカゲが干からびているよ」と教えてくれた。
3時ごろ、ティラを外に出そうとして、ゴキブリが仰向けになって、足をバタバタさせてもがいているのを発見。
あとで見たら、そのまま干からびていた。
日曜日、治療室に着いたら、こんどはカマキリが干からびていた。
1週間でトカゲ2匹、ゴキブリにカマキリと、4匹もの虫が頓死するなんて。
開業して25年になるけれど、干からびた虫ははじめてと思う。
この暑さだけど、時間を見つけては、テニスコートで汗だくになっている。
さすがに人が少ないけど、テニスクラブはジャンキーの巣だからね。なんとか仲間を見つけて、ゲームを楽しんでいる。
私が考案した「360度ストレッチ」は、だんだん進化している。
新しい発見があるたびに更新してるので、なかなか完成しない・・・
不具合を鍼灸で治療するのだが、最後の決め手は「ストレッチ」である。
関節の可動域が完全にならないと、完治はないのである。
関節を動かしている各々の筋肉が、それぞれ100%可動して、はじめて完璧でスムーズな動作が可能になる。
毎年、連休前後に右肩を痛めている私。
テニスのときはテーピングで持ちこたえていたけれど、『まてよ・・・』と、肩のストレッチを真剣にやってみた。
「おふとんでごろごろストレッチ」の1番目(#6)は、枕に頭をのせて、横向きで行う。
足を前後に大きく広げ、腰と股関節のストレッチをしながら、同時進行で、肩関節を360度方向に伸ばすのである。
あれあれ?痛いぞ!
手の平を上に向けたときと、下に向けたときでは、異なる部位に痛みが出る。
可動域は問題なしと思っていたが、実際には、根元のところでかなり固まっていて、完璧ではなかったことが判明した。
肘や手首を伸ばしたり、曲げたり、角度を変えることで、肩と肩甲骨の関節につながる筋肉を、すべてストレッチできるみたい。
肩と肩甲骨~上椀、肘を通過して前腕、手首を通過して指先へ・・・
キーワードは「キラキラ星」である。
患者さんに「キラキラ星で」と言うと、すぐにピンときてもらえるが、みなさん、意外に「痛い」し、ちゃんと「できない」ことに驚いている。
「キラキラ星」で動かすたびに、パキパキ、ポキポキと、あちこちから音が聞こえてくる。
骨がこすれているような音だけど、骨と骨が直接ぶつかり合うことはない。
多方向に絡み合っている靭帯がこすれる音なのである。
肩と肩甲骨に関係している筋肉は、他にもいろいろある。
首~肩、首~肩甲骨、肩~腕、肩甲骨~腕と、複雑にからみあっている筋肉たちを、角度を変えながら伸ばすのである。
「痛い」角度でじっと我慢。「1、2、3・・・」と10まで数え、10秒間こらえる。
あまり無理しないように、ちょとだけ無理をして、気長にやろうと思った。
1ヶ月ぐらいたったら、かなり痛みが消えた。
いつの間にか、パキポキ音もほとんどしなくなった。
でも、それでもまだまだ終わりは来ない。
ストレッチをすると、痛みの部位がどんどん変化していくのだ。
肩の前面がメインの患部かな?と思って、鍼を打ってみる。
すると、次には肩の後面に痛みが出る。
そこに鍼を打つと、あれあれ、どうやら中央らしい?
そんなこんなで、まだまだ時間がかかりそう。
サーブの練習はしばらく休むことにした。
肩に不安をかかえていると、どうしてもかばってしまうので、フォームが崩れる心配がある。
ゲーム中はアンダーのスライスサーブ。最近だんだんコツがつかめてきた。
不思議なことに、スマッシュはぜんぜんOKなのである。
ゲーム中も、1セットに1本ぐらいは決めれるようになった。
みなさんが、「おお!」と驚く・・・、それが快感なのである。(笑) |
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7/8(日) |
シングルス精神力は4ゲームで尽きる |
火曜日はシングルスのラウンドロビンだった。
5人ブロックが2つなので、1セットマッチを4試合やったあと、順位別トーナメントがある。
ときどき雲が出て太陽をさえぎってくれたが、猛烈な暑さで、風もだんだん強くなっていった。
シングルスでなかなか勝てないおじさんがいる。「また4連敗しちゃったよ~」と報告したときのこと。
「私がされたアドバイスですけど、はじめの3ゲームぐらいは、相手も元気だから、決めに行っても取られてしまう。4ゲームを過ぎて、相手が疲れてきたな・・・となってから、厳しいボールを打つと決まるらしいですよ」
と、おずおずと教えてくれた。
なるほど!
いろいろできるようになったから、試合でそれをやらなくちゃ・・・と、はじめからショートポイントで決めにいこうとした、私の考えが間違っていた。
直前にCさんに、「ムーンボールを打て」とアドバイスされた。
シングルスで、相手に打たれて一番イヤなボールは、ベースラインに落ちて、パ~ンと伸びて高く弾む、トップスピンである。
得意な「ムーンボール」を打ちつづけられれば、相手に攻め込まれにくい。
今回のテーマは「フォアのラリー」である。
序盤の3ゲームぐらいは、得意なフォアのラリーをつづける。試合はストロークの練習をするチャンスでもあるので、逃す手はないよね。
まず、相手を疲れさせて、中盤以降、チャンスボールを決める練習をする。
去年、ストレートに打つ決めボール(ダウン・ザ・ライン)をほとんどミスしていたのは、打ち方が間違っていたらしいのだ。
ラインに沿って、フラット系のボールを打ち込むものとばかり思っていたら、サイドスピンで打たなくちゃならなかったんだって。
変なクセがついちゃったので、なかなか修正できない。
「すべてスピンで打つ」も、今回のテーマである。
「シングルスの心得」のあんちょこも作ったし、試合に臨んでの戦略も立てたので、漫然とコートに立っていた頃とは、ちょっと気合が違う。
初戦の相手は、ブロック2位の若い人。
バッシン、バッシンと打ち合って、いい試合内容だった。
ときどきミスしてくれるので、4-3まではこっちが先行していたんだけど、そこから迷いが入って、4-6で負けてしまった。
2戦目の相手はブロック5位。
ほとんどポイントも与えずに、一気に4-0になったところで、いきなり精神力が尽きた。
また「勝ちビビリ」病に襲われた。
サーブがぐちゃぐちゃになったので、あきらめてアンダーのスライスサーブにした。
こっちがミスを多発しはじめたら、相手は調子づいていくみたい。どんどん追い上げられる。
『格下に負けるわけには行かない』と、プレッシャーがひしひしと襲ってくる。
でも、ここで考えをあらためた。
今が試合のスタートと思おう。いいショットが打てないのは、縮こまってしまっているからだ。相手に何ゲーム取られようと気にしない。ミスを気にせず、思いっきり回転をかけて打ちつづけよう・・・
そしたら、だんだん調子が上がって、7-5でなんとか久しぶりの1勝を手にした。
3戦目の相手はブロック1位でなおかつ優勝者。あっという間に0-6で負けた。
ほとんどノーミスだし、こう打って、ああ打ってと、組み立ても完璧なんだろうな。
でも、強い相手だと居直れるので、きっちりとサーブは打てた。
4戦目の相手はブロック3位。太ったおばさんで、ガッコ~ン重いボールを打ってくる。
途中から、相手を振り回して疲れさせる作戦に出た。
でも、チャンスボールが決められず、3-6で負けた。
ブロック4位になったが、相手の4位は帰っちゃったのだそうだ。
5位トーナメントの勝者と、試合をすることになった。
ラウンドロビンは待ち時間が長い。9時半から試合開始で、5戦目は3時を過ぎていた。
気持ちがダレちゃって、戦意喪失。
5戦目の相手からは、短いボールしか返って来ない。あまりに短くて、取れない。
後半になってやっと、『そうだ、前に出て、短いボールを決める練習をすればいいのでは?』と思いついた。
時すでに遅しで、1-6で負けた。
相手に「すごいスタミナですね」と言われたけど、何をもってしてそう思われたのか、イマイチわからない。
シングルスの体力は充分あるが、精神力がなさすぎる。4ゲームぐらいで精神的に疲れてしまうのだ。
シングルス精神力は4ゲームぐらいしか持たないらしい。
でも・・・、クラブのゲームに入れてもらえるようになってからも、しばらくは精神力がつづかず、破竹の3ゲーム連取のあと、ボロボロになって負けたり・・・
今ではかなりの「クラブダブルス精神力」がついている。
「カカシ病」からは離脱できたから、「勝ちビビリ病」もそのうち克服できるかも。
今はやっとシングルスが面白く思えはじめたところ。やりつづけているうちに、シングルス精神力も育つかもね。。。 |
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7/1(日) |
調停が・・・いきなり・・・終了! |
遺産相続の調停が、いきなり、終わった!
みなさまに心配をおかけしたので、とりあえず簡単に報告するね~~
高校時代の友人に、「もめても半々、もめなくても半々。どっちにしろ半々なんだから、早く終わしたほうがいいぞ」と言われたのだけど、2500万円ものお金を請求されたのだから、防戦するしかなかった。
弁護士さんの話によると、現在の法律では、「介護をしたほうが損をする」ことになるのが実情だそうだ。
子どもが親の面倒をみるのは当たり前・・・という観点から、介護のために要した時間、労力に対しては、一切の対価が認められない。
親が死んだあと、何もしなかった人間が、自分の取り分を要求してくるという話をよく聞いた。
どんな事情があろうと、配偶者が半分、残りを子どもが均等に分け合うのが法定相続なのだが・・・
うちの場合は半々どころか、遺産の総額より多いという、とんでもない金額を請求されたのである。
最近は、「介護をした人間から、逆にお金を取り立てる」という事例が増えていて、社会問題になっているそうだ。
弟は警察官で、まあまあ普通だが、あまり頭がよくないタイプ3である。
弟嫁は詐欺師の娘で、病名をつけるなら「虚言依存症」=自己中の大嘘つきである。
法律事務所で働いているので、いろいろな情報を見聞きして、私を罠にはめる準備をしてきたらしい。
向こうの手間は、銀行の口座を調べて、通帳の引き出し金額を一覧表にしただけ。
それを「使途不明金」と「不当利益返還要求」という名目で請求してきたのである。
6年半も介護をした私が、金銭の使途を証明しなければならない。
できなければ、遺産をすべて弟に渡したうえに、借金まで背負わされる・・・
親の介護のために帳簿をつけたり、領収書を保存しておくという人はほとんどいない。
病院代がいくらとか、洋服代がいくらとか、6年半も遡るのは不可能なので、困っている人がたくさんいるそうだ。
でも私は帳簿をつけていた。
仕事で使っている会計ソフトを利用して、母のお金の管理をしてきた。
はじめの2年間は、領収書もすべて保存していた。
30年以上も日記をつけているので、記録はほぼ完璧である。
そのうえ、昔は「まるでテープレコーダーのよう」と驚かれたほど、何でもまるごと記憶してしまう特殊能力を持っている。
年表やカレンダーも作った。手紙やメールもすべて保存してある。今までの経過をすべて書面にした。
リハビリに通った回数だけでも、830回以上もあった。
半年間で提出した記録と陳述書は、計370ページにも及ぶ。
冤罪から身を守るには、日々の記録で立証するしかないのである。
調停員さんは2人とも良識ある優しい人たちで、私に同情的だった。
弟の申し立てが嘘だらけだったことも、私に幸いした。
なんと、向こうが請求してきた金額のうち、300万円は、母が新潟の老健に入所中に、彼らが自分で引き出したものだった。
安い施設に預けっぱなしにしておけば、年金との差額を自由に使える。
「介護は儲かる」「楽して金が手に入る」と思い込んでいたので、母を東京に連れてくるとき、さんざんな妨害にあった。
その後、静観していたのは、こうやればお金が手に入ると計画していたからで、母が死ぬのをじっと待っていたのである。
はじめは精神的にかなり病んでいたけど、途中から、激しい「怒り」に変わった。
弟夫婦は、私に対しても、甥姪に対しても、一度も感謝の言葉を述べたことがなかった。
母の状態について聞かれたことは1回もなく、母を外食に連れ出したこともなく、オムツを換えたこともなく、母に指1本触れたこともない。
母のことなんか、本心からどうでもよかったのである。
私の帳簿を見た申立人の弁護士は、今度は、病院代とオムツ代以外のお金をすべて、私の不当受益と訴えてきた。
母の洋服代、介護用品代、外食代、手伝ってくれた孫への交通費、ボランティアの方々へのお礼、司法書士に支払ったお金などなど、すべてである。
日本国憲法の第13条には、「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」について書かれてある。
そこには、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由、幸福の追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする」と明記されている。
母が自分の幸福を追求する権利、自分のお金を自由に使う権利、外出をする権利、食べたいものを食べる権利、着たいものを着る権利、健康を望む権利、延命治療を拒否する権利など、これらはすべて憲法で保障されているのである。
母と話し合いながら、動けない母、病院や施設の職員に自分の望みを自分で語ることのできない母の代行をして、すべて私がやってきた。
弟夫婦の訴えは、憲法第13条で保障された母の人権を完全に否定したものである・・・
私個人だけの問題じゃない。こんな「悪」がまかり通ったら、親の介護なんて、怖くて誰もできなくなる。
この先、テニスじゃなくて「裁判が趣味」の人生になったとしても、10年かけて争ってやる!と、覚悟を決めていた。
最後の調停の1週間前に記録をすべて書き上げ、すでに裁判所と申立人に送付してあった。
調停室で気負いこんで、自分の提出物の説明をしようとした私だったが・・・
調停員さんに、「今日で終わりにしましょう。残ったお金を半分ずつ、家を半分ずつ。これでいかかですか?」と言われ、「えっ!」と驚いた。
うちの弁護士さんは、えらく喜んでいる。
『よっしゃ、走るぞ!』と気負ってスタートラインに立ち、『ドン!』で走った瞬間に、『はい、終了!』と言われたような感じである。
いきなりで拍子抜けしたけど、突然、すべてが面倒くさくなった。
「ここで終わったら、楽ですよね~」となって、「それでいいです」と言った。
いったん待合室に戻ってから、調停室に呼ばれた。
申立方弁護士は、「500万円余分に欲しい」と言ってきたそうなのだが、とりあえず、依頼人本人と電話で直接話すように言ったそうだ。
その間に調停案を裁判官に持っていくので、しばらく待って欲しいと言われた。
また、調停室に。
調停員の真ん中に、丸々と小太りの若い裁判官が坐っていた。
「家を弟さんに、現金はすべてあなたに。これでいかがですか?」と裁判官。
「えっ、向こうはそれで承知したんですか?」と聞いたら、彼は「私がそうとうバシバシ言いましたからね!」と、誇らしげに胸を張っている。
裁判官からは、『ほら、あなたのために最高の結果を出してあげましたよ!』という、燦然たるオーラが伝わってくる。
調停員さん2人も、にこにこと嬉しそうに笑っている。
うちの弁護士さんも、『こんないい結果になるなんて』と満面の笑みである。
法律のプロたちの笑顔を信じたのである。
遺産相続は、どっちにしろ半々以上にはならないのだから、これ以上の結果はない・・・と確信しているのだろう。
裁判官が書類を作る間、あんずと2人で喫煙所に行った。
なんとそこへ、弟方の(悪徳)弁護士がとぼとぼと入ってきた。ジャニーズ系の若い弁護士なのだが、見るも哀れにへこんでいる。
点けたタバコをすぐに消して、またとぼとぼと出て行った。
その「へこみ」方を見て、『もしかしたら、向こうが負けた?』と、ちょっと小躍り。
終わってよかった~~
調停は、想像以上に私を侵食していたらしい。
突然に活動的になった自分を発見。梅干も漬けたし、梅ジャムも作ったし、大豆を煮て、ムラサキ豆を煮て、次から次へと料理を作っている。
(掃除は、やっぱり後回しであるが・・・)
詳細は370ページに及ぶ大作なので、どうやって報告しようかな。
女性の調停員さんから、「ぜひ、本にしてください」と帰りがけに声をかけられたので、そのことも考え中である。
でも、とりあえず、症例集を書かなくちゃね。
頭の中に、書きかけの症例がわんさとたまっているんだもの。 |
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6/20(水) |
腕とラケットを長めに使う・・・ |
先週の火曜日はシングルスのラウンドロビンで、またまた4連敗してしまった。
テーマも持たずに、漠然とコートに立ったこと。アドサイドからのサーブが入らず、ダブルフォルトを連発したこと・・・などなど、反省点は多数である。
初戦の相手は、テニスがDNAに組み込まれているような若い人。
お手本のようにきれいなフォームで、速くて正確(でも軽い)スピンボールをきっちり打ってくる。サーブも完璧だった。
40-40が1回だけで、あっという間に0-6で負けた。
2戦目の女性も若くて、そこまでいいボールじゃなかったけど、シングルスに慣れていて、1-6で負けた。
3戦目はシャラポワばりに叫びつづける長身の若い子。でも、見た目ほどではなかった。サーブも短い。
ラリーをしていて、彼女が私のボールに押されていることに気がついた。
ここは、えんえんラリーをつづけるより、前に出てみようと思いついた。
自分のストロークが良くて、『押したな』と思ったら前へ出た。
上がってくるボールを上から打ち込んで、ことごとくミスした。2-6で負けた。
4戦目は、似たようなスコアで3連敗した者同士。
去年は勝ったんだけど、クラブテニスの人なので、ストロークで押されても、ロブでしのいでくるし、配球もいい。
何度も40-40になったけど、1-6で負けた。
「ゼロの壁」はおおむね越えたとはいえ、はじめから心は「負け犬」だった。
普段、シングルスをまったくしないで、しかも、ラリーすらほとんどしていない状態で、試合に出ようなんて、考えが間違っていた・・・と反省。
翌日、壁で会ったおじさんにラリーをお願いした。
30分間のラリーで、相手の左右に打ち分ける練習をした。
ゲームを1回やったことがある上手なおじさんが、ベンチに坐ってシングルスの準備をしていた。
「今度、シングルス教えてください」と声をかけたら、「こちらこそ、よろしくお願いします」とにっこり笑って答えてくれた。
できるだけ、ラリーやシングルス練習の機会を増やさなくちゃ・・・と、手当たり次第にお願いしようと決心したのである。
「シングルスの心得」のあんちょこも作ったよ~~
数日後、たまたまポッコンのおじさんとシングルスをすることになった。
走れないし、「6-0で負けるかな」と言われたけど、苦戦。やっと4-4に追いついたところで、ダブルスをやることになった。
もっとポッコンのおばさんのボールに苦戦。
1セット目の終わりごろ、『そうだ、ボールがゆっくりだからと、自分もゆっくり動くのがいけないんじゃないか?』と気がついた。
『相手が打ったら、フォアならフォア、バックならバック、すぐにラケットを構えて』とつぶやきながら、早めに打点に入るようにしたら、やっといいボールが飛んで行った。
6-5のあと、6-1で勝てた。
ポッコンボールの攻略法は、ここにあったのかもね!
月曜日には、Cさんにラリーをお願いした。
フォームを確認しながら、えんえんとショートラリーの練習をした。
途中で、『あれ、腕とラケットを長めに使うといいかも?』と思った。
回転量もふえるし、コントロールが安定するのである。
そのあと、おじさん3人とダブルスをやった。腕とラケットを長めに使うと、きっちりクロスにコントロールできて、前衛につかまらない。
大発見だったね!
しかも、上からのショットを打ちたくてたまらない。ボレー、ポーチに出まくった。
前へ、前へと気持ちが向いている。
ダブルハンドのアングルボレーと、スマッシュも1本、当たりはイマイチだったけど、コートの中に落ちてくれた。
おじさんたちは「おお!」と驚く。「前向きでいいね~」とほめてくれた。
シングルスの試合で、上からのショットを打ちつづけたことで、自分の中で何かが変わった気がする。
スマッシュを打つことへの恐怖心がなくなったみたい?
シングルスで負けつづけていると、心がどんどん「負け犬」になっていくような気もするが・・・
でも、勝敗にこだわったところで、今の実力では、勝てる相手はそういない。
やっと、シングルスが分かりかけてきた段階なのである。
世話役のコーチにも、帰りがけにフロントで、「みづさん、これにめげずに、がんばってください」と声をかけられた。(笑)
試合でチャレンジしたことが、次のゲームに生きていくような気もするし、もうしばらくチャレンジャーとしてがんばろうと思う。 |
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6/10(日) |
アドサイドのサーブに苦労した |
まだ、私のかかりつけ鍼灸師を見つけていないので、ひたすら自力でがんばっている。
腰もなんとか持ちこたえているので、今の状態を維持しようと必死である。
360度ストレッチは1時間、何はさておき念入りにやる。
週に2回はベッドの上で、経絡治療を中心に、手の届くところに浅い鍼を打ってしばらく横たわる。(たいてい眠ってしまう)
夜はワインを飲みながら、全仏オープンを観戦しながら、その日気になったところにあちこち自分で鍼を打つ。。。
過去に、4月5月はテニス肘、手首、肋軟骨、肩、右腕全体の痛みと、毎年、上焦の病に悩まされた。
6月は下焦の病、ぎっくり腰の要注意月。用心、用心、である。
壁でスマッシュ練習をするようになったので、ますます右肩に負担がかかるけど、キネシオテーピングをすれば問題ない。
バンバン打ちまくっているので、肩の前方(上腕ニ頭筋)には、テープを2本並べて貼っている。
サーブは、シングルスに向けての急務の課題である。
ファーストとセカンドを交互に打つ練習をしてみた。
ファーストは最後に手首を入れて、フラット気味の速いサーブ。
セカンドはラケットを長めに使って、回転重視で、下から上にゆっくり振り上げるようにしてみた。
Cさんに、「サーブは、ゲームのはじめはセカンドを打って、肩が温まるにつれてスピードを上げていって、ファーストを打つ」と教わった。
女ダブのゲームで、セカンドからはじめてみた。ボヨョ~ンと、丸くてぬるいサーブが飛んでいった。
途中でファーストをと思ったが、とうとう勢いのあるサーブは打てずに、だんだんボロになっていき、アンダーを使う羽目になった。
練習でできても、ダブルスだと縮こまって、回転がかけにくくなる。
4月の女ダブの市民大会のとき、誘ってくれた先輩のアドバイスを思い出した。
「はじめ『入れ』に行くと、途中で修正ができなくなっちゃうのよ。そうなるともう、いいストロークは打てなくなるから、3ゲーム目まではミスしてもいいから、思いっきり回転をかけて打ちなさい」
と、言われたのである。
もしかしたら、フォルトしても気にせず、最初っからバコ~ンと、思いっきりファーストを打ったほうがいいのかな?
なんだか、ファーストのほうが確率がよさそうな気もする・・・
火曜日、1年ぶりにテニスオフでシングルスの練習試合を開催した。
参加者は、前回の同世代の女性と、もう一人はなんと、44歳の男性だった。
背が高くて、スピンのかかったすごいボールを、バッコ~ンと打ち込んでくる。
男性との試合で、相手を左右にふってみた。
フォアにバシ~ンと打ったら、鋭いボールがきっちりコーナーに飛んでいった。あれ?と自分で驚いた。
次にバックに打ったら、あれあれ?またまた鋭いボールがきっちりコーナーに。
数回やって、フォアのあと、相手が走り出したのを見て、またフォアに。逆をついてポイントを取った。
バックの打ち合いになった。3回、4回、5回とつづけたあと、短めのボールをフォアに打ち込んだら・・・、『あれ、決まった!』と自分で驚いた。
高いボールがポワ~ンと飛んできた。バコン!とスマッシュが決まった。
「おお、すごい!」と2人に感心された。
若くてレベルの高い人たちに、ラウンドロビンで負けつづけているうちに、いつの間にか、自分ができることが増えていた。
やられて覚えた、のかもね。
相手に「配球がいいですね」とほめられて、ますます驚いた。
自分の辞書にはなかった言葉で、思いもよらぬ褒め言葉だった。
でも、サーブがダメだった。
はじめから思いっきりファーストを打った。
ジュースサイドからのサーブは安定していたが、アドサイドがフォルトの連続。
男のボールに慣れているとはいえ、剛球にときどき打ち負ける。とたんにドッカ~ンと打ち込まれる。
40-40まではいったけど、0-6で負けちゃった。
女性同士のゲームでもダブルフォルトを連発したが、6-5で勝った。
彼女とはオフで3回対戦しているけど、私の3連勝である。
同年輩の女性が相手だと、私よりかなり足が遅いので、勝ちやすいのである。
木曜日にサーブ練習をやった。
どうやら、ジュースサイドとアドサイドでは、サーブのフォームが違うみたいなのである。
コートのラインと、ネットのライン、景色が違うので、混乱しちゃうのである。
打ち比べてみたかったんだけど、コートの関係で、アドサイドからしか打てなかった。
フォームもボールもバラバラで、どうしても修正できない。
隣のコートで練習をしていたWさんが、スタスタと歩いてきた。
ときどきグッドタイミングなアドバイスをしてくれた男性である。
Wさんは、「身体が前に倒れているから」と言う。
「野球のピッチャーだって、前のめりにボールを投げないでしょ」と、胸をそらしてピッチングの真似をした。
「それに、左足が動いている」と、私の左足の上に、自分のラケットを置いてくれた。
「軸足が動くと、軸がぶれてしまう。こうやって、軸を保って」、バッシ~ンとサーブの見本を見せてくれた。
目の前で打ってみたら、「ほら、そのほうがいいサーブが飛んでいくでしょ」と言われた。
そのまま練習をしたかったけど、時間切れだった。
ファーストとセカンドで、打ち方を変えるのもまずいかも・・・
Cさんが、「ファーストとセカンドは、同じフォームで、スイングスピードを変える」と言っていたような気がする。
雨つづきだし、仕事も忙しいし、なかなか思うように練習時間が取れないでいる。
今のうちに方策を考えとかなくちゃね~ |
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