doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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2023/6/18(日)
[映]ブラック・クランズマン by スパイク・リー
スパイク・リー監督の映画を久しぶりに見た。簡単に紹介するつもりが、あまりの奥の深さにそうもいかず、更新に時間がかかってしまった。

「ブラック・クランズマン」は黒人警官がKKK(クー・クラックス・クラン団)で潜入捜査をした実話をもとにした映画である。
KKKは白人至上主義者の過激派組織で、白いシーツを頭からかぶって、次から次へと黒人を殺しまくった恐ろしい暴力集団だ。
そこに黒人が潜入???という、ありえない設定の実話である。半信半疑で見はじめたんだけど、息もつかせぬ展開で、あまりの面白さにグイグイ引き込まれていった。

スパイク・リーはこの映画で、アメリカの黒人差別と解放の歴史を蘇らせた。私も昔読んだ本など、古い記憶を次々に掘り起こすことになった。
黒人差別の歴史にはある程度の知識があったけど、ユダヤ人も差別されていたことをはじめて知った次第である。

最初に観たときはアクション映画のように楽しめたけど、歴史的背景に着目したあと、恐怖感が増大した。手に汗握って、心臓バクバク。ハラハラ、ドキドキしながら見直したという、奥深い映画なのである。
(以下、ネタバレあり、である)



1865年

映画の冒頭は「風と共に去りぬ」の再現映像。スカーレットがミード医師を探しに行くと、とんでもない人数の南軍の傷病兵たちが広場を埋め尽くすように横たわっている。。。

<北軍の勝利で奴隷制度が廃止された日を起点にして、真の解放を目指して、どれだけ長く困難な道のりを歩んできたのか・・・、それを思い起こしてほしいというメッセージだろうか?>

1957年

次も再現映像だ。ケネブルー・ボーリガード博士が黒人とユダヤ人を口汚くののしっている。1957年8月25日のブラウン判決で黒人と白人が同じ学校に通うことになったことを、「ユダヤ人の差し金で白人と劣等人種との混交が蔓延している」と批判し、マーティン・ルーサー・キング牧師をクーン(黒狸)と蔑み、「アカ軍団による公民権攻撃で白人のプロテスタントの価値観が危機に瀕している」となじる。。。

<当時はWASP(White Anglo-Sakuson Pulitan)がすべてを牛耳っていて、アングロサクソン(イギリス系白人)でピューリタン(新教徒)以外の人種は片隅に追いやられていた>

1979年 (潜入の現場)

1979年、ロン・ストールワース(ジョン・デビッド・ワシントン)は黒人警官募集の広告を見て面接に出かけ、コロラド州コロラドスプリングスの警察署に採用された。初の黒人刑事である。
侮蔑的態度をとる白人警官もいたけど、ロンは平気であしらった。とにかく資料係の雑務にうんざりしていた。黒人が活躍できる職種につくのはなかなか難しい。

やっとロンにチャンスがやってきた。最初の任務は、演説が上手いと評判のストークリー・カーマイケルの講演を聴くことだった。
隠しマイクをつけて、コロラド・カレッジの黒人学生自治会が主催する演説会場へ潜入した。

カーマイケルはアフリカ移住後にクワメ・トゥーレと改名していて、ブラック・パンサーの元最高幹部だった。
当時のFBI長官、フーバーが「ブラック・パンサーは国の治安の一大脅威」と語ったそうだが、マルコムXが暗殺されたあとで結成された、武装する革命集団なのである。

クワメ・トゥーレは語った。
「黒人であることから逃げるのを今こそやめよう。高等教育を受けた君たちが、黒人の美とは何かを定義すべきだ。それがブラックパワーだ」
「白人に憧れるのはやめよう。彼らにへつらい、アフリカの遺産を恥じ、自分自身を憎んでいる。我々は黒人だ!我々は美しい!」
「この国の黒人の大多数は、牢獄のような環境で迫害に耐えている。そして今、我々はレイシストの警官に、道端で犬のように撃たれている。くたばれ、警察!」
「ベトナムで起きている戦争は違法なうえに非倫理的だ。こう言おう。ふざけるな、俺たちは行かないぞ!」
「自分がやらなければ、誰がやる?ブラックパワーは団結だ。武装して戦え!同胞のために不滅の愛を!すべての人にパワーを!」

学生たちが大喝采し、ロンは微妙な表情を浮かべている。車の中でマイク越しに聴く白人警官たちも心中穏やかではいられない。
警察署のミーティングで「人種戦争に備えろ」と言う上司に、ロンは「武器を取って戦えというのはレトリックで、みんなクールで、誰も革命など起こさない」と反駁する。

集会で知り合った会長のパトリスとロンは仲良しになった。警官嫌いのパトリスと身分を隠しているロンの交際が始まった。

ロンは情報部に転属し、新聞でKKKのメンバー募集広告を見つけ、本名で電話をかけた。言われ慣れている差別用語を駆使して黒人の悪口を言いまくり、まんまと面接にこぎつけた。
彼は白人のキングズイングリッシュ(純正英語)と黒人訛りの英語を完璧に使い分けられるのだった。

まさか黒人がKKKに出向くわけにはいかない。同僚の白人、フリップ刑事(アダム・ドライバー)が隠しマイクをつけて会いに行くことになった。
つまり、ロンとフリップとふたりで潜入捜査をやったのである。<これで謎が解けた>
KKKはユダヤ人も排斥していた。フリップはユダヤ人で、彼にとっても命がけの危険な任務だった。

黒人のロンが白人訛りで電話をかけてKKK連絡を取り、ユダヤ人のフリップがロンに代わって「仲間」に会いに行く。
支部長のウォルターは穏健な男だが、過激なフェリックスはフリップを疑って、執拗に追及する。綱渡りのような危険をどうやって乗り切ったのかは見ものである。

ロンはルイジアナにあるKKKの本部にも電話をかけた。「大魔法使い」と呼ばれるデビット・デュークが全米理事になったあと、暴力的な団体から路線変更をしたそうだ。
デュークと話して「アーリア系白人の発音」とお墨付きをもらい、KKKの会員証を送ってもらうことに成功する。

ロンの入会式のために、デュークがコロラドスプリングスに来ることになった。なんと、ロンが彼の警護担当に命ぜられた。
黒人訛りの黒人のロンが警察官として警護するデュークに、ロンの会員証を持ったフリッツが対面する・・・、というすごい展開である。

コロラドカレッジでも黒人学生自治会が「語りつぐ会」をやっていた。ひとりの老人がテキサス州で1915年に起こった事件を語っていた。
17歳の知的障害のある友人が、白人女性をレイプして殺したとして捕まった。全員白人の陪審員にたったの4分で有罪にされ、法廷から引きずりだされてリンチされた。警察と市の職員は見ているだけだった。
引きずりまわされ、刺され、殴られ、血まみれになった身体を火の中に投げ込まれた。黒焦げの遺体は袋に入れられ、町中引きずりまわされた。遺体は売られて、記念の絵葉書にされた。。。

フェリックス一味が大学に爆弾を仕掛けようとしたが、警官隊の警備が厳重なために近づけなかった。代わりにパトリスの自宅を狙ったけれど、失敗して一味は爆死した。
ロンの自宅も知られている。パトリスと一緒にいるところへ何者かがやって来た。銃を構えて歩くふたりの行く手に、KKKが十字架を燃やす映像があらわれ、そしてそこから一気に現代へとタイムスリップする。

2017年8月 (バージニア州、シャーロッツビル)

①バージニア大学で白人がデモをしている。「ユダヤ人に絶対取って代わらせない。ナチは家に帰れ。White lives matter!」と叫んでいる。

②奴隷解放公園でも白人がデモをして、警官隊ともみ合いになる。

③トランプ・タワーでトランプが語る。「一方に悪い集団がいて、一方に暴力的な集団がいて、全員がネオナチではないし、白人至上主義ではない。中には非常にいい人たちもいる」

④マッキンタイヤ公園では白人至上主義者が集結して、昔の黒人差別映画を上映した。
大魔法使いデビット・デュークが、「トランプが選挙戦で言及していたことが本当だとわかった。これがアメリカを取り戻す第一歩だ」と演説し、「アメリカ・ファースト!」と叫んでいた。

⑤4番通りとウォーター通りの角で、黒人と白人が入り交じったデモ隊に車が突っ込んで、大勢の人間が負傷して地面に横たわった。女子学生のヘザー・ヘイヤーが轢き殺された。
彼女の墓前に刻まれた「NO PLACE FOR HATE」の言葉で、この映画は終わる。



スパイク・リー監督の映画との初めての出会いは「マルコムX」で、マルコムXを演じたのはデンゼル・ワシントンだった。
彼らと私は同世代なのである。「黒人としてのアイデンティティに誇りを持とう」という呼びかけを知って、自分の中の白人コンプレックスを洗い直すことになった私である。

「ブラック・クランズマン」で主役のロンを演じたジョン・デビッド・ワシントンは、デンゼルの長男である。
うちの長男と一歳上の男の子が話をしたときのこと。ふたりとも大のヒップホップ好き少年だった。ひとりが「黒人て、カッコイイよね」と言うと、もうひとりが「うん。オレ、黒人に生まれたかった」と言い、ふたりでうなづきあっていたのである。

ドッカ~ン!と驚いた。
私たちの世代は、白人コンプレックスを乗り越えるのに苦労したというのに、子ども世代は黒人に憧れていた!
国も人種も異なるけれど、時代の変化とスピリチュアルな変化は、国境を越えてもたらされるのだろうか?

黒人のオバマが大統領になったあと、トランプの出現をきっかけに、すべてが逆行していくような気配も感じられる。
スパイク・リーはこの映画を通して、黒人差別の歴史的背景を「決して忘れないように」と警告を発している。それは特にこれから巣立つ孫世代に向けられているのかもしれない。
2023/6/4(日)
6回目のJOPのシングルスは初戦敗退
月曜日はJOPの試合で、前回から1年半ぶり、6回目の参戦である。
65歳代女子シングルスにエントリーしたのは10人で、私の集合時間は9時半だった。
5時半に起きて外を眺めたら、予報通りに雨がザーザー降っていた。いろんな人から「雨でもやらされる」という話を聞いていたので、眠気をこらえてのろのろとストレッチをはじめた。

中止かどうかの決定は7時半なので、それまでは出かける準備をしながら、起きていなくちゃならない。
時間になってホームページを見たら、「コートに水たまりもなく、使用可能な状況なので、小雨まで続行します」というお知らせがのっていた。そこからラストスパート、9時ちょっと前にテニスクラブに到着した。

対戦相手と一緒に傘をさしてコートを眺めていたら、雨がどんどんひどくなっていく。「これって、小雨だよね」と話しながらスタッフの方を見ると、「本部から中止の連絡は入ってません」と言う。
仕方なくコートに入ったんだけど、途中で雨が止んでくれた。

試合は4ゲームの3セットマッチ。セミアドで、3セット目は10ポイントタイブレークである。
ラウンドロビンのおかげで、すぐにシングルスに適応できた。「勝敗を気にせず、攻めるボールの練習をする」と決めていたので、プレッシャーもなく、あまり緊張せずにいつものテニスができた。

初戦の相手は361ポイントの、背の高い細身の女性。強いボールもなく、攻めてくるわけでもないけど、よく走るしミスも少ない。
1ゲーム目からジュースになった。上々の滑り出しだったけど、どうしてもゲームが取れない。最後のポイントでミスをするのは私なのである。
1時間もがんばったけど、0-4、0-4で負けてしまった。

雨は途中で止んだけど、地面が濡れていて、ボールも水を吸って重くなっている。こういうときってボールがあまり弾まないらしい。
スピンのストロークで優位に立ってからの展開・・・を想定していたんだけど、当てが外れた。

でもとりあえず、短いボールを決めに行って、アングルに3本、ストレートに1本、成功したんだよ。対戦相手がラケットを叩いてほめてくれた。
カウントを間違えたときには、コートの向こうから「まだ1本目ですよ」と優しく声をかけてくれたりして、とってもいい人だった。(いい人とやる試合はほんとうに楽しい!)

後半になって、ボールに角度がつけられなくなった。どうがんばっても相手の近くにボールが飛んでいき、長いラリーになった。
こうなった原因の解明はこれからだけど、もしかしたら打ちたい方向に身体が向いてしまったせいかもしれないね。

7ゲーム目の最後のポイントはドロップショットを打たれ、8ゲーム目のマッチポイントもドロップショットで決められた。
はじめから打ってくればこっちも用心するんだけど、意表をつかれて追いかけられなかった。得意ボールを最後まで隠していたのかな?
ゲームポイントをひとつも取れなかったのも、「ここを取らなきゃ」という大切なポイントで打つボールを隠し持っていたのかもしれない?

試合で「勝つ」ためには、いろんな秘訣があるらしい。互角のラリーができるようになって、ここはまだ一里塚。この先に進むためのヒントももらえたし、やっぱり試合に出て良かったね。これからもがんばろうという前向きな気持ちになれた。

朝には『もう2度と試合に出るまい』と固く決心ていたんだよ~
前日の夜、ぎっくり腰の急患が来た。3年半分のこりをまとっていたので、動けるようになるまでえらい苦労をした。
疲労困憊して深夜に帰宅し、睡眠不足でやっと起きたら雨で、試合ができるかどうか分かるまでえんえんと眠気と戦ったのだもの。。。

が大丈夫だったのも朗報である。試合では用心にテーピングをしたけどまったく問題なしで、翌朝になっても痛みは出なかった。
テニスをやり過ぎると治癒率が89%に落ちるけど、治療をすると90%以上に浮上する。
でも「治せる」という確信が持てている。自己治療のほうがシングルスよりも早く上達した・・・というのは当然と言えば当然だよね~~(笑)
2023/5/28(日)
「ツボを見つければ治せる」を再発見
先週土曜日、患者さんにお灸をしてもらったときのことである。
背面のお灸のあとで、ついでに、明け方つりそうになった左ふくらはぎと、右の膝裏にもやってもらおうと思った。
うつ伏せになって指し示したのは、右のふくらはぎと左の膝裏だった。(左右を間違えたのである)

それなのに、彼女は私の右膝裏を触っている。
「あれ、ここに硬いスジがあるよ」と言い、「ほら、ここも」「ここも」と、硬直をなぞっていく。そこはまさに不安感のある中央ラインだった。
「ごめん、悪いのは右膝だった」と、自分の間違いに気がついた。

彼女にはツボが見えたのである。10年以上も自分や家族にお灸をしてきた人なんだけど、コロナでご無沙汰だった間に、格段にレベルアップしていたのである。
カマヤミニだけで治すのは難しいから、鍼を打てるようになってくれたらいいのにね~~

彼女のおかげで、不具合のある硬直が体表から触れる位置にあることを知った。(自分では触れられなかったのに、である)
中央ラインを取り残していたことに気がついたのは、左足裏の治療のときだったので、体位との関係かもしれないと思った。

いつも左側の壁にくっついているベッドで治療していた。足を上げると不安定になるので、壁に足先をつけて鍼を打つ。
左足の治療のとき、
まっすぐ上げて真裏から取穴して鍼を打てる。
右足の治療のときは、
壁まで遠いので、太ももが斜めになる。
右足を左壁につけると角度がつくので、大きな筋肉に患部が隠れてしまうのかもしれない???
試しに、右のベッドで右足裏の鍼を打ってみたら、硬直部位に、ズシン、ズシンと鍼が入っていった。

それ以来、毎日、帰る前に膝裏の中央ラインに鍼を打っている。
用心に夜、膝の皿にカマヤミニをやっている。
みるみる不安感が薄らぎはじめて、木曜日にはテーピングを忘れて行くほどになった。 クラブに着いてからテーピングをして、ミックスダブルスに入れてもらった。3セットガンガン走っても何の問題もなかった。

翌朝にはまた右膝裏の違和感が戻っちゃったけど、今は安心感がある。「ツボを見つければ治せる」ことを再発見したのだもの。
今回のテーピング
A 大腿四頭筋の外側(お皿を囲むように)
B 縫工筋に沿って
C 膝裏の両サイド
昨日もテーピングをしてテニスに出かけた。はじめる前は右膝にちょっとした違和感があったけど、4ゲーム先取を2セットやっているうちに、きれいに消えてしまった。
今朝には違和感がちょっと戻ったけど、かなりマシになっている。

明日はJOPの公式戦である。65歳代女子シングルスでエントリーしたんだよ。ひざ痛から2週間で、どこまで治ったのだろうか?とりあえず、全力で「攻め」のテニスにトライするつもりである。

台風が近づいていて、連日雨予報。そういうときの試合って、どんな展開になるのか・・・、初体験になるね~~
2023/5/21(日)
マニュアル治療の落とし穴
患者さんの身体なら、見て、触って、筋肉の状態を確かめながら治療をする。
自分でやるときは、筋肉の地図をもとに鍼を打つので、マニュアル治療になってしまう。その落とし穴にハマっていたのだった。

2年前のシングルスの試合のあとでは、太ももの両サイドの筋肉()がガチンガチンに硬直した。
ダブルスと違って、右へ、左へ、コートの端から端まで走るので、サイドの筋肉に過負荷がかかる。
右の内転筋がとくに激しく硬直して、付着部である鵞足()を引っぱって壊してしまった。
<詳細は→症例33「ひざ痛 new1」にあるよ>

今回は両サイドの筋肉()はきっちりほぐしてあったので、そこには何の問題も起こらなかった。

ラウンドロビンの1ゲーム目に右膝裏()に不安感があったので、両サイドにテーピングをした。
(ぎっくり腰のあと、1カ月ぶりにテニスを再開した日にやったテーピングと同じ部位である)
シングルス5試合、ダブルス1試合、そのまま猛ダッシュでテニスをして、その日は持ちこたえてくれた。
右膝全体がパンパンに腫れて、痛みが出たのは翌朝だった。

ぎっくり腰の間、足にそうとうな過負荷がかかっていた。必死で治療をしたんだけど、足の裏側には手が届きにくい。
耳なし芳一の「耳」を発見したのは、左足に鍼を打っているときだった。
左膝裏のちょっと上、真ん中あたり()を押したら妙な不安感があって、鍼を打ったらズシンと響いた。
『あれあれ、何筋だろう?』と不思議に思いながら、右足の裏を探ったら、太い筋肉の裏側に、ちんまり無言の筋肉を発見した。
ハムストリングスの中央から、膝下のふくらはぎの中央、そのライン()が盲点だったのだ。

大腿後面の筋肉を紹介しよう。膝の内側で鵞足をつくる筋肉は、縫工筋()、薄筋()、半腱様筋()である。

半腱様筋()は、半膜様筋()と大腿二頭筋()とともにハムストリングスを形成している。
大腿後面の筋肉
鵞足を作る内転筋
縫工筋
薄筋
半腱様筋

ハムストリングス
半腱様筋
半膜様筋
大腿二頭筋
筋肉の図を参考に、大きな筋肉だけを治療していたので、半膜様筋()だけが忘れ去られていたのだった。
半膜様筋
ふくらはぎも、筋肉の図を参考に鍼を打った。
2年前に足指につながる深層の筋肉にてこずったので、徹底的に鍼を打った・・・つもりだった。
下腿後面の筋肉
腓腹筋
膝上の筋肉と交差している腓腹筋()の内側頭と外側頭に注目していたので、中央のラインの治療を取り残してしまった。

もうひとつ、見逃していた筋肉があった。
大腿前面の筋肉
大腿四頭筋
外側広筋
大腿直筋
中間広筋
内側広筋

鵞足の筋
縫工筋
薄筋
半腱様筋
縫工筋()は鵞足を形成する筋肉のひとつである。昔の仕立て屋さんが膝の上で縫物をしたのが名前の由来の、長~い筋肉である。

大腿四頭筋は太ももを上げて走るときに使う。大腿直筋()は中央にある最も強力な筋肉である。
縫工筋
大腿直筋
横向きになって自分で鍼を打つときに、骨盤の付着部()がよくつりそうになった。
てっきり大腿直筋()と思い込んでいたのだけど、縫工筋()の付け根もその近辺なのである。

リョコちゃんストレッチで一番辛かったのが割座(#23)だった。とても痛くて窮屈なのが不思議でならなかった。
今回の膝内側の圧痛点は膝蓋骨寄りにあった。もうひとつの盲点は縫工筋()だったのである。
#23
割座
縫工筋
半膜様筋()と縫工筋()を中心に治療をつづけていたら、日に日にマシになっていって、1週間で右膝の腫れが引いた。
まだ鵞足には軽い痛み、膝裏には冷えがあるけどね。。。

来週はシングルスの公式戦なので、とりあえずテニスを休んで、治療室の掃除に取り組んでいる。

マニュアル治療はほんとうに恐ろしい。
患者さんにお灸をすすめると、「ツボに印をつけてほしい」と言われるのだけど、絶対に教えないできた。その方針を貫いて来てほんとうに良かった。
マークがあると幻惑されてしまう。自分の目と触覚で、誰でもツボを取れるようになる。うちには「ツボ取り名人」の患者さんがたくさんいるんだよ。
2023/5/15(月)
攻めのテニスで5連敗+1勝、翌朝右膝痛
先週金曜日のシングルスのラウンドロビンは14人が参戦した。
前回から2週間なので、シングルスへの備えはまあまあ。「攻め」のテニスを貫くことと、勝敗にこだわらずに「決める」ボールを練習をすることをテーマにした。
私は5人ブロックの3番手で、休みなしで4試合もやったんだよ。

1戦目の相手(リーグ4位)は比較的年配で、何でもできるし、すごいサーブを持っていた。
私の「攻め」も好調で、ほとんど毎回ジュースになったんだけど、結局1-6で負けた。
1ゲーム目で右膝の裏に不安を感じたので、そこでテーピングをした。(それで最後まで大丈夫だったんだけど、内転筋にもやっておけばよかったね)
2戦目の相手(リーグ2位)は見覚えのある若い女性で、対戦は数年ぶりだった。
たぶん油断していたんだと思う。相手がしょっぱなからミスを連発して、4-2まで先行した。
『今日は勝ち負けを気にしないで、決めるボールの練習をするんだ』と誓い、トライしたけど、そこからは1ゲームも取れず、4-6で負けた。
終ったあと、「めちゃくちゃ進化してますね~」と絶賛してくれ、「足も速いし」と、ニコニコ笑ってほめてくれた。

3戦目の相手(リーグ1位)は毎回上位の常連さん。2年半前に対戦したときは前に出られ、どうしても横を抜けずに2-6で負けた。
あとで、「足が速いし、ガンガン打ってくるし。ラリーをすると大変だから、これは前に出るしかない、って思ったんですよ」と言われた。
今回も「前に出てくる」だろうから、頭を越えるロブの練習をすることにした。試合のときに焦らずに打つのは難しいのである。
ほとんどがショートポイントで決められ、あっという間に0-6で負けた。
ロブのチャンスは少なかったけど、成功率は高かったので、トライした甲斐はあった。

4戦目の相手(リーグ3位)は左利きで、フォアのボールが左に曲がっていくので、ラケットが届きにくい。私のバックにボールを集めて、得意なフォアで展開しようという作戦?と思った。
相手のバックにボールを集めようとがんばって、何度かジュースにはなったけど、0-6で負けた。

4連敗してリーグ最下位になったけど、気分は爽快だった。
格上相手にはつないでいても必ず負ける。「攻め」て負けるほうが後味がいいのだ。
2年前のレベルを取り戻したし、そのうえ前には出来なかったことが出来るようになったのだもの。

またまた最下位トーナメントに出ることになった。
相手は前回の4戦目で対戦した粘りのストローカー。1ゲーム目に相手がミスを連発し、そこでいきなり気が緩んだ。身体が縮こまりはじめて、どうがんばっても「大きなテニス」ができない。
『ここで負けるとビリになる』なんて思ったのと、たぶん4試合やって肉体的に疲れていたんだろうと思う。
こっちのボールの威力が落ちると、相手はのびのびプレーができる。3-4で負けて、ビリになった。

疲れ果ててベンチに坐っていたら、クラブの女子が3人でやって来た。
「ダブルスの動きはシングルスの10分の1」という話を聞いたばかりだったので、それを試してみようと思った。

シングルスのあとのダブルスでは勝ったことがない。前衛を避けなくちゃならないので、ストロークがボロになって、そこからどんどん落ちていくのである。
でも今回は「攻め」るテニスの高揚感のまま、バッシン、バッシン強打をつづけた。やることなすこと面白いように成功して、6-2で勝てた。

6試合やったあと、いつものルーティンで稲城の温泉に行き、ティラのお散歩(クールダウンにもなる)を1時間。録画してあった映画「ジョジョ・ラビット」を観ながら、美味しくビールを飲んだ。

・・・その日は何ともなかったのに・・・

翌朝、右)がパンパンに腫れ上がって、激しい痛みで歩くのもやっとになってた。膝にカマヤミニをしまくった。
幸いに腸腰筋()の痛みはストレッチのあとで消えてくれた。
前々からちょっとした違和感があった部位が、シングルスで一気に悲鳴を上げたらしい。夜中にベッドで全身治療をした。

一気に6試合、4時間以上も走りつづけたんだから、しょうがないね。。。

2日間ぶっ通しで仕事をしたけど、右膝の痛みはちょっとずつマイルドになってきている。治療の詳細は次回に報告するね~~
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