2022/8/13(土) |
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身動きもままならないほどの痛みだったわりには、今回のぎっくり腰はみるみる良くなってくれた。自分で自分の治療をつづけているうちに、手探りで後ろ手で(しかも左手でも)、鍼を打つ技術が向上していたのである。
翌日には「立ったままなら動ける」ようになった。次の日は前傾姿勢も取れるようになった。次の日は朝起きるときの腰の痛みと「こわばり」だけになった。次の日にはふいな動作も問題なくできるようになった。
水曜日、6日ぶりにテニスをやってみたけど、腰にも動きにもまったく問題なし。悪化の兆しもなくて、完全復活である。
患者さんへの治療のレベルに近づいてきたね~~
6月から週2回、寝たきり同然の患者さんの出張治療に行っていた。動けない人の治療は腰に負担がかかるのである。
ベッドの上で動けなくなってる患者さんの体位を変えたり、起き上がるのを手助けしたりしなくちゃならない。
やっと動いている患者さんを見守るときも危ない。手助けするタイミングを見計らってハラハラして、自分が緊張して立ちすくんでしまう。そのあと自分がぎっくり腰になったこともあったんだよ。
(この話は長くなるので、次回のブログで詳細を書くつもり・・・)
そのあとが「コロナかも自粛」。座椅子に寝そべってテレビを見る姿勢がえらく腰に悪い。前回のぎっくり腰も「コロナかも?」が原因だった。症状はほぼ同じ。あのときはまだ自分の治療が下手だったので、「完治」まで2ヶ月ぐらいかかってしまった。(私のブログ→2021/1/7)
「過労」と「寝そべり」は最悪の組み合わせだね。
自己治療が上達したとはいえ「未病を治す」のレベルにはほど遠い。
自分の治療は「痛み」がでないと難しいのである。腰にちょっとずつの過負荷が積み重なって、ちょっとずつ筋肉が固まっていく。固まってしまうと痛みが眠って、不具合を感知できなくなる。
メンテナンスに来ている患者さんなら、筋肉が固まりはじめた段階で治療ができる。長年私の治療をしてくれた友人も「あら、ずいぶん腰が張っているわね」と、私が気づく前に硬直をほぐしてくれた。
仕事を休むほどのぎっくり腰になったのは3回目だけど、客観的に私のメンテナンスをしてくれる人がいない時期だった。
予兆はあった。
テニスのときに身のこなしが悪くなっていた。取れるはずのボールが取れずに、思うように身体が動いてくれなくなっていた。足の速さもイマイチになり、カバーリング能力が低下していた。
『やっぱりトシなのかな・・・』と落ち込み、『シングルスに再チャレンジなんて無理なのかな・・・』と、なんとなく絶望的な気分になっていた。
知らない人は「ぎっくり腰になったらお終い」と思っているみたいだけど、本当は「壊れたとき」は「チャンスのとき」なのである。
腰の筋肉がバラバラにほどけた。いろんな筋肉たちが「激しい痛み」で自分の存在をアピールする。それぞれをなだめてあげれば、本来の自分の位置で自分の仕事をしてくれるようになる。
みんなでこり固まってる状態を脱して、可動域を取り戻す絶好のチャンスなのである。
昨日金曜日にはダブルスをやった。えんえんとラリーがつづく白熱したゲームを3セットやって、さあ帰ろうと思ったら、ひとりが「もう1つできるんだけどな」と言う。
久しぶりに涼しかったし、翌日は台風予報。みなさん根っからのアスリート(テニキチ)なのである。
4セット目のはじめに、左の腸腰筋の付着部に痛みが出た。『止めとけばよかった』と後悔したけど、まだはじまったばかりである。
リョコちゃんウォークで歩いてみたら、久しぶりにきっちり歩ける。そのうちに痛みが消え、またまた走りに走って白熱ゲームに熱中した。
ぎっくり腰になる前は「リョコちゃんウォーク」がイマイチだった。「ストレッチ感」がなくて、なんだか妙だな・・・と思っていた。「腰でん部が固まって可動域が狭まっている」という、要注意サインだったんだね。
これから気をつけよう・・・とは思っても、痛みが出ないうちの「未病」の治療を自分でやるのは難しい。誰か見つけないとね~
テニスのあとは治療室に直行。ベッドに横たわって全身治療をしたら、太ももとかに筋肉痛が起こって、それがまた超心地よい。
テニス肘も治ったし、シングルスに再挑戦する準備完了かな?終わりよければすべて良しで、メデタシ、メデタシ、である。(笑)
ところで、新しく作った「アクセス」に自作の地図を入れたんだよ。ホームページビルダー21に「地図スタジオ」があったので、ちょっと試しているうちにハマってしまった。
おおまかな地図を作って、いつものウェブアートデザイナーで文字などを入れて仕上げるのが楽ちんとわかった。見てね~~ |
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2022/8/7(日) |
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5月からずっと手首痛のページ作りに取り組んでいた。教科書から手首を通る筋肉をすべてスキャンして、骨と合体させてイラストを作った。手関節の構造は複雑だし、専門用語もたくさんある。どうやったら分かりやすくなるだろう・・・と工夫をこらしたので、ものすごい時間がかかった。
そのうえ途中で「みづ鍼灸室」でGoogleで検索できなくなった対策に翻弄され、中断を余儀なくされた。。。
→「手首痛・new1 2022」だよ。
3ヶ月もかかっちゃったけど、やっと更新できた。10年ぶりの改訂である。
おかげで、治療法もすっきりまとまったし、手首痛の患者さんが来るたびに、いちいち解剖学の本をひらくという手間も省ける。
気分は爽快なんだけど、ぎっくり腰になっちゃった。週末の患者さんをキャンセルすることになって、ただいま療養中である。。m(_ _)m。。
ところで、コロナ関連のニュースだよ。
ついにうちの患者さんでコロナにかかった人が現れた。(今まではひとりもいなかったのである)
先々週の土曜日のことである。隔週で治療に来ている男性(54歳)で、ワクチンを3回接種済み。非喫煙者だけど、太っていて、ぜんぜん運動しない人である。
間の週末に福岡に野球観戦に行ったとき、微熱と喉の違和感に気づいたそうだ。東京に戻って来てから、「それにしても、やたらに汗をかくなあ」と不審に思ったそうだ。38.3度の熱が出たので、「これはヤバイ」と薬局を駆けずり回って、最後のお店で抗原検査キットをやっとひとつ手に入れたそうだ。
(つまり、薬局とかは感染リスクが高い・・・ということだね)
結果が陽性だったので、発熱外来(これもやっと1ヶ所だけ見つけ)に行き、そこでも陽性判定だったそうだ。
「ワクチンのあとの副反応と同じぐらいの程度でしたよ」と、数日つづいたけどそれほどつらくなかったそうである。
自宅待機で仕事はテレワークで休まずにこなしたとのこと。陰性になってから(タイミングよく)予約通りに来院したのである。
咳がまだ残っていたので、天突に金粒( )、郄門に銀粒( )を貼ってあげた。「空咳を止めて、痰の排出を促す」ツボである。
大椎周辺には金粒を3ヶ所、風邪(ふうじゃ)の入口である。
「喉のゴロゴロしているところに、自分で金粒を貼るといいよ」と言ったんだけど、本人が一番ツボを探しやすいからなのだ。 |
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(→症例10「風邪・new1;コロナ対策:風邪治療マニュアル」に詳細が載っているよ)
そしてついに家族に陽性者が出た。
先週水曜日、夜中にポプラがいきなり「陽性だあ~」と叫んだ。ちなみにヘビースモーカーで、炎天下で働く職人で、筋肉質である。
遠方の仕事でホテルに泊まらなくてはならなくなった。「ワクチン接種済み証明書」がない場合は、「陰性証明」が必要なのだそうだ。気楽にPCR検査を受けたら、なんと「陽性」というメールが来た。
ワクチン接種しても「感染する」のだから、「接種済み証明書」が免罪符になるのはおかしなルールである。でも日本人はいったん決まったことをなかなか変えられない民族なのである。
無症状なんだけど、「陽性って聞いたとたんに、なんだか頭が痛いような、ふらふらするような気がしてくる」と、意気消沈していた。
・・・ということは私は「濃厚接触者」である。でも風邪を引きそうな気配はない。皮膚がピリピリして過敏になるとか、細胞の隙間をスースー冷たい風が吹くとか、何百回も風邪を引いてきたので、ウィルスが入り込んだらすぐに気がつくのだ。
木曜日はテニスに行く予定だった。風邪予防には炎天下で運動して体温を上げ、大汗をかいて毒素を体外に排泄するのが一番効果があると信じているのだけど、自分の評判を落とすのはまずい。
治療室で手首痛のつづきを書いた以外は、テレビの前で映画を見て、ごろごろ寝そべって過ごした。
仕事ができなくなるのは困る。患者さんうつすわけにはいかないので、PCR検査を受けることにした。
息子が行ったのは府中駅徒歩3分の常設の無料検査場という。10時には整理券の発券だけで、午後に出直して検査を受けたのだそうだ。
「あんたが行ったところに連れて行ってよ」と、ティラもつれて車で出かけた。駐車場がないのでポプラに車にいてもらい、いそいで整理券だけもらって、検査は自力でバイクで行くという計画をたてた。
検査場の前には数人の人が並んでいる。「理由は?」ときかれ、「息子が陽性になったので、濃厚接触者になったんです」と答えた。「保健所に届けましたか?」ときかれ、「届けていません」と答えた。
保健所に届け出ると、そこでは検査ができないそうなのだ。
症状のある人でも行く病院がない。保健所だって電話に出ない、という噂である。さっきの患者さんだって、保健所から1回も電話が来なかったと言っていた。
あれあれ、その場ですぐ検査になった。(この間に、「陰性証明書を提出する必要がない」とかいう通達が出たそうで、検査をする人間が激減したのかもね)
唾液を提出し、ジリジリしながらその日を過ごした。座いすに寝そべって映画をみたりと、またまただらけ生活をし、夜中の2時過ぎに「陰性」というメールが届いた。ヤッホー!
翌日土曜日、12時から2時は多摩川コートでテニスをした。ものすごい暑さで、灼熱の太陽がギラギラ照りつける真昼の時間帯である。申込者が少ないので狙い目なのである。
うちの患者さんたちなんだけど、珍しく全員ワクチンをしない主義だった。屋外でのテニスは数年ぶりというおじいさんもいたけど、「暑いね~!」と言いながらも無事に楽しくテニスができた。
声を掛け合って水分やミネラルの補給をするし、ところどころで日陰休憩をするので、みんなでやるテニスは「熱中症」になりにくい・・・と私は思う。
コロナが「無症状でも人にうつす」という宣伝は怪しい。
ウィルスを抑え込んでいるから「無症状」なのだ。体内のウィルスは免疫システムにこてんぱんにやっつけられて、息も絶え絶えである。
増殖したくても抑え込まれているんだから、「そばにいる人間の体内に乗り込もう」というような元気はないと思う。
風邪でもインフルエンザでも麻疹でも水疱瘡でも、症状が出る直前が一番ウィルスの勢いが強いときなのだ。(だから人にうつしやすい)
人間にとりついたあと、ウィルスが体内でどんどん増殖して勢いを増していく。「発症する」=「ウィルスが人体を乗っ取る準備完了」なのだ。
発症してびっくり。人体の免疫システムが「これはヤバイ」と気づき、ウィルスの駆逐がはじまる。ウィルスはどんどん力を失っていき、数日したら敗残兵である。もう「他の国に攻め入ろう」というパワーはない。
無症状のポプラは数日休んで仕事に出かけた。私はいつも通りに仕事とテニスをしていたんだけど、ときどき「あれ、腰が痛い?」と驚く日があった。テニスのときに身のこなしが悪くなっていた。なんだか身体の切れが悪くなっていて、思うようにボールを打てなくなっていた。
おととい金曜日、いつものようにストレッチをし、ティラの散歩をし、ご飯を食べたあと椅子から立ち上がろうとしたら、「あれ、立てない!」と驚いた。
腰の筋肉がバラバラにほつれていて、激しい痛みで身動きもままならなくなっていた。
立っていることもできないので、腰のカマヤミニもできない。なんとか道具を拾い集めて、とりあえずお腹に多壮灸をした。痛くても身動きぐらいはなんとかできるようになったんだけど・・・
生涯で最悪から2番目の重症である。
治療室に直行してベッドで鍼を打った。打てば打つほど、痛みが際立っていく。全体にぼんやりと固まっていた腰部が、あちこちほぐれてくれたおかげで、いつもの腰部の横棒( )が出現した。
このぎっくり腰になった要因には思い当たる節がたくさんある。
長くなってしまうので、それは次回に報告するね~ |
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2022/7/23(土) |
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私は山形県酒田市で生まれた。そこには父の実家があって、白鷹町には母の実家があった。子どもの頃は毎年両親に連れられて、お盆とお正月に両方の実家に帰省したのである。
私は父方のほうが好きだった。7歳上、5歳上、3歳上と3人の従兄がいて、必ず誰かしらが遊んでくれたからだ。空中を振り回されるのが大好きで、何度も何度もせがんだ記憶がある。
真ん中の従兄がいちばん優しくて、いちばん辛抱強く相手をしてくれた。
1970年ぐらいのことと思う。その彼が京都産業大学に入って、統一教会に洗脳された。親があわてて連れ戻したんだけど、そのまま廃人同様になってしまった。。。
目はうつろで生気がなく、ときどきブツブツとひとり言をつぶやいていた。「これが本物の聖書」だと、ボロボロになった「原理キリスト教」の本を私に見せて、「良子、この世はもうすぐ終わるんだよ」と教義を私に教えようとしたこともある。
『いまだに本気で信じているんだ・・・』と子どもながらに唖然とした。
農家だから広い家で、居場所はあった。たぶん農業の手伝いもしていただろうし、新聞配達のアルバイトをしているという噂も聞いたことがある。
でも田舎のことだから、周囲の人たちに対して「恥ずかしい存在」だったのだと思う。とくにお母さんには彼の話はタブーだった。本人はもとより、家族全員が悲劇のどん底に落とされたのだ。
そして彼は40歳のときに首つり自殺をしてしまった。選んだ日は1月1日。親戚一同が集まるお正月なら、自分の葬式のためにわざわざ出向いてくることもない・・・という優しい彼の思いやりだったのだと思う。
法事で父の実家に行ったときに、一番上の従兄(彼の兄)が仏壇の前で頭を下げて、心の中でえんえんと弟に語りかけていたのを見た。
かわいい弟を廃人にされた。どんなにがんばっても洗脳を解くことができなかった。そしてついに自ら命を絶ってしまった。。。
かばい通すことができなかった自分を責め、悲しみと後悔と無念にさいなまれていたのだろう・・・と、その姿にたまらない思いをした。
20年近く前のことだけど、スティーブ・ハッサンの「マインドコントロールの恐怖」(恒友出版)という本を読んだ。
ハッサンは自分自身が統一教会に洗脳された過去を持つ。家族に連れ戻され、監禁されて、説得されたそうだ。その経験をもとに、脱洗脳のプログラムを開発した人である。
なるほど、ただ連れ戻すだけではダメだったのだ・・・と知った。あの頃に知っていれば・・・と残念でならなかった。
洗脳を解くのはほんとうに不可能に等しい。こちらとしては、相手がなんでそんなことを信じているのか、皆目理解できない。
相手としては、こんな当たり前の「真実」をどうして相手がわからないのか不思議でならない。それは「悪魔に操られているせいだ」とかなんとか、騙す側にとっては想定内だから、すでに答えを用意している。
限られた人間だけが知っている「真実」を伝えなくちゃと躍起になって、誰かに会うたびに熱心にくり返すので、友人たちは恐れおののいて距離を置いてしまう。
それまでの世界で孤立して、自分の居場所がなくなってしまう。統一教会の信者たちだけが「おいで、おいで」と誘ってくれる。
どちらの世界にもいられなくなると、究極の孤独に追いやられ、そこから逃れるためには自殺するしかなくなってしまう。。。
安倍元首相が殺された。普通の人は直接関わった身近な人に恨みを抱きがちだけど、犯人はトップを狙った。トップと遭遇するチャンスがなかったので、安倍のビデオレターを見て、彼こそが裏でバックアップをしていた本家本元だったと「知った」。
多くの政治家が新興宗教団体と結びついていることが、今回の事件であきらかになった。私もはじめて知った。政治献金に票集めと、政治家にとってはなくてはならない存在だったのだ。
霊感商法や合同結婚式で被害者が続出しているというのに、いつまでたっても取り締まりがされないのはこの「癒着」が原因だった。
うちの患者さんたちはほとんどの人が安倍嫌いなので、「ついでに誰かプーチンを殺してくれないかしら」など・・・と、おばあさんというのはけっこう過激なのである。
安倍とプーチンとトランプの共通項は「堂々と嘘がつける」ことである。
心の中にちっぽけでも「良心」があったら、目が泳いだり、言い淀んだりしてしまう。
「堂々と嘘がつける」大物がいれば、自分は陰に隠れられ、良心の呵責なしに利権をむさぼることができるのだろう。
・・・とそんなふうに想像してしまった。
「周囲の人を巻き込まないように」した犯人を、ネット社会で英雄視している人たちがいるとのことで、マスコミの人たちは躍起になって犯人を貶めているようだ。
「社会的な影響力を考えてじゃなく、お母さんのことにこだわる彼は単なるマザコンですよ」と言ったコメンテーターもいた。
もちろん暗殺が日常茶飯になるのは困る。でも大切な家族をひとりでも失ったら、その人にとっては「すべて」と等しいことなのだ。。。
従兄を廃人にした統一教会である。
そこにビデオレターを送って、「平和」とか「貢献」とかの美辞麗句を並べ、「感謝」の言葉を述べた安倍元首相だもの。原因を作ったのは彼だから恨まれてもしょうがない・・・と思ってしまう。
この事件を契機に、政治家の人たちは自分を振り返って反省し、国民のために尽くす政治をしてほしいなあ。。。 |
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2022/7/10(日) |
Googleの検索に引っかからなくなったので、全ページをリニューアルした |
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あなたがここにたどり着いたということは、リニューアル版を見ているということだね!
2月に来た患者さんが「先生のホームページが検索できなくなってますよ」と教えてくれた。診療日を調べようとしたけど、どうしてもダメで、息子さんに探してもらったとのこと。
Googleで「みづ鍼灸室」で検索したら、関係ないサイトばかりがぞろぞろ並んで、自分のサイトが出てこない。
ネットで調べてあれこれやってみたけど、いろんな語彙がほとんど理解できないので、途中で行き詰まって断念した。
「未津良子」で検索すると出てくるので、そっちは後回しにして、とりあえずレイアウトの変更に取り組んだのである。
二度ほど電話がかかってきたことがある。最初の女性は「ホームページを見ても治療のメニューがありません」と言う。次の男性には「え、ホームページがあるんですか!」と驚かれた。
ホームページが見つからなかったので、「もう辞めちゃったのかと思いました」と言った患者さんもいた。
・・・これは由々しき事態。今年、紹介以外の新患がないのは、これが原因だったのかもしれない・・・と、危機感に駆られた。
2001年にホームページを解説して以来、当たり前のようにトップにあった。それなのにどうして?
ホームページに関係する仕事をしている昔の患者さんにメールでアドバイスを求めたら、「Google Search Consoleに登録を試してみたら?」と、やり方がのっているサイトを教えてくれた。
辿っていくと、なんだか見たことのある風景である。前と同じ迷い道に入り込んで同じドツボにはまってしまった。でも分かりやすい説明のおかげで、無事に登録することができた。
昔、検索エンジンに引っかかるために、白壁に白文字でたくさんの言葉を埋め込むという技を駆使した悪質サイトが横行した。
うちのホームページの内容は多岐にわたる。「鍼灸」以外の語彙がたくさんあるために、検索エンジンに「悪質サイト」と判断されたらしいのだ。
自分がオーナーと「Google Search Console」に登録し、サイトに一貫性があるということを示すために、「XLMサイトマップ」を送信する必要があるとのこと。
エラーがたくさんあるのも「不良サイト」とされる原因になるらしい。
「XP+ホームページビルダー2001」から「11+ホームページビルダー21」に変更したときに、変換がうまく行かずに、どこかで不具合が生じてしまったのかもしれない。。。
Googleでは3ページ目ぐらいだけど、「みづ鍼灸室」で、とりあえず登場するようにはなった。。。
グーグルコンソールから「SEO診断」が送られてきた。「文字が小さくて読みにくい」「リンクとリンクの間が狭い」などのエラーがあるとのこと。
もしかしたら「天井メニューバー」が原因かもしれない・・・と思った。
プロのゲンさんのページをベースに、自分で更新することになったときに、「フレーム」を作ってみたくなった。
左のメニューバーをフレームで固定して、右側にページが現れるようにしたのである。(マニュアルを見ながら苦労して作ったんだよ)
当時は「坐骨神経痛」とかで検索しただけで、うちのページを見ることができた。でも拾われるのは右のページだけなのだ。
ゲンさんにきいたら、ウェブの世界を流れているページから、検索エンジンが捉まえるのは「1ページ」のみとのこと。
そこから「ホーム」に入ってもらわないと、症例集目次やブログなどのメニューにたどり着けない。なので天井メニューバーにめぼしいものを詰め込むようになったのである。
フレームを作ったことを後悔した。でも駆け出しの素人だし、患者さんの治療だけで精一杯ということもあって、あちこちチョコチョコ手直しをしながら、なんとかやってきたのである。
この機会に長年の願望を実行することにした。フレームを外して、1枚のページに左のメニューバーの要素を入れ込む作業に取りかかった。
まずベースのレイアウト作りからはじめた。思いつきでさっさかやったんだけど、意外にあっさりベースができた。
ホームページビルダー内で見える景色と、ウェブ上で見える景色が違うので、何枚か作って、こっそりリンクを貼って確認してみた。
せっかちなので、すぐに見切り発車。ベースをしっかり作ってからはじめればスムーズだったのだろうけど、次から次へと作りつづけ、途中で不具合を見つけるたびに作ったページを全部直す・・・という大変な手間のかかる作業をつづけたのである。
Edgeではトップに出てくれるんだけど、文字化けしている。
ネットで調べたら、複数の文字セットが指定されていることが原因らしい。なので、途中でそこの手直しもした。
木曜日、テニスをやりながらも頭の中はホームページの手直しのアイデアがチラチラ巡った。
七夕の話が出たので、その日にリニューアル版をアップしようと決め、治療室に直行した。英語とスペイン語のページもやっつけ仕事。更新してからウェブサイトを見て、あちこち手直ししたのである。
そのあとで細かいエラーの修正をして、とりあえず完了した。
でも、Googleではやっぱり他のサイトに追いやられて、まだ後方に位置しているのである。
なので、みなさんにお願い。「みづ鍼灸室」で検索する協力をしてもらえたら、少しは前進するかもしれない?
詳しい人がいましたら、アドバイスもよろしくお願いします! |
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2022/6/27(月) |
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映画「83歳のやさしいスパイ」はドキュメンタリーで、監督はマイテ・アルベルディである。サンフランシスコにある老人ホームで3ヶ月間撮影されたものだそうだ。キリスト教系のホームで、みなさんスペイン語で会話をしている。
新聞広告の求人欄に「80歳~90歳の男性求む」という募集広告が載った。普通なら年齢を言っただけで断られるのにと、仕事を求めて、おじいさんたちがぞくぞくとつめかけた。スマホを渡され、操作にとまどうおじいさんたちの姿にまず微笑みがおこる。
選ばれたのは83歳のセルヒオ・チャミーだった。
なんと仕事は「スパイ」だった。老人ホームに入所している母親が「職員に虐待されているんじゃないか?」と疑った娘が、A&A探偵事務所に、ホームでの潜入捜査を依頼してきたのだ。
テレビ電話の使い方に難渋しているセルヒオに、ペン型の隠しカメラや、眼鏡型の隠しカメラなどが渡される。動作はモタモタしてまさにおじいさんである。『大丈夫かな?』と心配になってつい感情移入してしまう。
ターゲットはソニア・ペレスという女性である。2枚の写真を見せられて、その場で覚えて、自分で彼女を見つけるようにと言われた。
目立たないようにしろと言われ、もしも潜入捜査と気づかれたら、その場で捜査は打ち切りになる、と言われた。
スパイ活動のことは伏せて、ドキュメンタリー映画を撮っているのだ。
ホームに入所するためには家族の協力が必要だ。実の娘も呼ばれ、一緒に探偵事務所のロムロの面接を受けた。
「お母さんを亡くしてまだ4ヶ月なのに・・・」と反対する娘に、「散歩も買い物もあきあきした」とセルヒオ。「この仕事をするようになって、昔の自分を取り戻した気分になれて、やりがいがあるんだ」と言う。
聖フランシスコ特養ホームには女性40人、男性4人が入所していた。ターゲットはなかなか見つけられない。
居室のネームプレートを確認して、情報を求めていろんな人と話をする。その会話が面白い。顔はしわしわだし、身体が曲がっているしで、完全なるお年寄りたちが勢ぞろい。だんだんそれぞれの人の個性があらわれて、内容が深まっていく。
マルタというアルツハイマーのおばあさんは、子どもの頃の記憶しかない。職員がときどき「ママ」になって電話かけてあげている。
「ママ、どうして会いに来てくれないの?」と話しているマルタを見て、「あの人のママ、まだ生きているのかしら?」なんて、まわりのおばあさんがつぶやいたりしてる。
テニスクラブでもいつも思うのだけど、同世代のお年寄りたちの関係って、ゆるやかでほのぼのしていて、見ていると楽しいんだよ。
優しいセルヒオはみんなの人気者になっていく。結婚を申し込まれるんだけど、その断り方がすばらしい。悩んでいる人に親身になって相談相手になってあげている。
危なっかしい潜入捜査と、ホームの人々の日常生活がほのぼのとコラボしているのだ。
セルヒオは昔気質の真面目さで、毎日長文のレポートを書いて、電話で読み上げてロムロに報告する。
聞かされるロムロは苛立って、「捜査が進んでいない。ターゲットに集中しろ!」とハッパをかける。
依頼人からは「持ち物が盗まれる」という訴えもあった。女性の居室に入り込み、持ち物を調べるセルヒオ。いいのかな・・・と心配になるのだが、お年寄りだから、ボケたふりをすればごまかせる(?)
ついに捜査が終了し、セルヒオはホームの暮らしにもあきあきした。
職員さんたちはみんな親切で、虐待などは行われていない。依頼人であるソニア・ペレスの娘は一度もホームにやって来たことがない。お年寄りたちは「孤独」に苦しんでいる。探偵に捜査を依頼するよりも、自分で母親の様子を見に来たほうがいい。。。
最後のレポートにそう記述して、迎えに来た家族とともに家に帰る。
帰る家があってセルヒオは幸せだ。まわりのお年寄りたちはそんな彼を妬むこともなく、彼の幸せを喜んでくれている。さすが年の功、自分の境遇を受け入れて、それぞれの「孤独」と戦っているのだ。
ついでにもうひとつ、お年寄りだらけの映画を紹介するね。
映画「43年後のアイラブユー」も施設へ潜入する物語で、監督はマルティン・ロセテである。冒頭でおじいさん2人が会話をしている。親友同士、老後を楽しく暮らしているのだ。
70歳のクロード(ブルース・ダーン)はかつての恋人で、有名女優のリリィ(カロリーヌ・シオル)がアルツハイマーになって介護施設に入所したことを知った。どうしてもリリィに会いたくなったクロードは、アルツハイマーのふりをして同じ施設に入所しようと決心した。
友人のシェーン(ブライアン・コックス)は嫌々ながら協力することになった。
当然、リリィは彼のことなんか覚えていない。毎日のように2人の思い出を語りかけるのだけど、まったくのミッションインポッシブル。
あの手この手で、43年ぶりに、なんとかして自分の愛を伝えたいとがんばる姿がほのぼのしているんだよ。
更新の間があいた理由は、次回に紹介するね。
テニス肘はまだ治っていないけど、肘の頑丈さが増して、男性のボールも平気になったんだよ~~ |
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