dosei みづ鍼灸室 by 未津良子(症例集)
症例39・脊柱管狭窄症2
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症例39・脊柱管狭窄症2
仙骨神経叢(坐骨神経など)の障害
40代での発症
2015年4月に来院したZさん(当時46歳、男性)は、4日前から右でん部の痛みがはじまったそうです。
「歩いていると、痛みと痺れで歩けなくなる。少し休むと、また歩ける」という間欠性跛行がありました。「夜も痛みで目が覚める」とのことでした。

痛みの激しい部位は右のでん部()でした。痺れ()はそこから右太ももの外側、ひざ下まで広がっていました。
Zさんの背骨は前後にまっすぐで、背中から腰まで筋肉がガチガチに硬直して縮まっていました。
Zさんはかつてバイクのレーサーで、世界に参戦した男です。
猛スピードでのレースをくり返したために、全身の筋肉を極限まで緊張させた後遺症かもしれません。

スピード狂の男性にありがちなのですが、とてつもなく鍼を怖がるので、治療は大変でした。
どうしても必要な部位以外は浅い鍼にして、お灸と組み合わせました。
仰向けで経絡治療をしたあと、うつ伏せでは右の梨状筋を中心に灸頭鍼をしました。

それでも変化がなかったので、右上横向きになってもらい、右でん部、股関節、太もも外側を重点に治療しました。
磁石で背骨の矯正もしました。

治療後は痛みと痺れが少しやわらいで、足を持ち上げられるようになりました。
でも、その日の夜、「痺れだけは少し軽くなったような気がする」ものの、症状が100%もとに戻ったそうです。
上殿神経の障害
翌日また治療にきたのですが、前日とはでん部の痛みの部位が変化していました。
ターゲットが絞られたので、解剖学の本と相談しました。

仙骨神経叢から分岐する神経です。
仙骨神経叢(L4~S3)
上殿神経(L4~S2)
中殿筋/小殿筋/大腿筋膜張筋
下殿神経(L5~S2)
後大腿皮神経(S1~S3)
坐骨神経(L4~S2)
中殿筋()、小殿筋()、大腿筋膜張筋()に激しい痛みが集中していたので、どうやら上殿神経の障害のようです。
3つの筋肉ををおおざっぱに重ねてみました。
Zさんには鍼をたくさん打てないので、簡単な経絡治療のあと、右上で横向きに寝てもらい、まず最初に、痛みの激しいでん部に長い中国鍼を打ち込みました。
ついで、腰椎、でん部、股関節と太もも外側だけを徹底的に治療しました。

治療後、立位で右太ももの屈曲時と外転時に、右でん部痛と痺れが起こることがわかりました。
でも来院は2回だけでした。

その後、Zさんは病院で検査をしてもらい、様子をみることにしたそうです。
しばらくして電話があり、「先生のおっしゃったとおり、2週間で痛みがなくなりました」と報告してくれました。

3日に1回の治療をつづけての「2週間」だったのですが、Zさんが2回の鍼でそのまま治ったのは、40代という若さと、発症から4日後だつのったことが幸いしたのでしょう。

Zさんには、「背骨の形が悪いから、筋肉の硬直を放っておくと、また再発するよ」と言っておいたのですが、鍼への恐怖でどうしても勇気がでなかったそうです。
予想通り4年後、2019年2月に今度は頚椎症を発症して来院することになりました。
40歳で発症、50歳直前に再発して悪化
2014年に来院したEさん(当時50歳、男性)は、40歳のとき長く歩けなくなって、脊柱管狭窄症と診断されました。電気治療などでいったん良くなったそうですが、半年ぐらい前から悪化しはじめたそうです。

来院時は「坐っていると何ともない」けど、「膝を曲げて歩く」「まっすぐ立つと痛みがでる」「背中をそらせない」「パッと起き上がれない」という状態でした。
医師には手術をすすめられたそうですが、友人の紹介で来院しました。鍼灸治療は初体験なので、「10回やってみる」と、週1の治療でスタートしました。

Eさんは若い頃は海の男でした。20歳のときにボートをこいで坐骨神経痛になって以来ずっと腰痛に悩まされたそうです。
すでに事務職になっていましたが、趣味は野外活動とのこと。テニスをやったり、走ったり、泳いだり、筋トレも欠かさないスポーツマンです。

Eさんにはパルス治療の他、灸頭鍼、透熱灸、磁石治療など、症状に応じていろいろな治療をやりましたが、さすが50歳、みるみる良くなっていきました。
   - 初診時 -
40歳からの狭窄症(右腰が縮み)
背中の張り
筋肉がゆるゆる
ときどき熱感
痺れ
2回目に「少し楽になった」、3回目には「腕立て伏せで痛みが出なくなった」、4回目「すっと立てるようになった」、5回目「クロールで泳げた」、7回目「平泳ぎもできるようになった」、8回目「高尾山で腰を伸ばして歩きとおせた」、9回目「バタフライで泳げた」と報告してくれました。

予定通り、10回で終了したのですが、走れるようになり、日常動作もすべてOKになりました。脛の内側()筋肉もしっかり育ちました。
でも、腰のゆがみ()が残っていたので、『左右対称になるまでつづけたほうがいいのに』と心残りでした。
1年後、「腰と足は良くなった」けど、左手の母指の痺れがあって、「肩から腕へつながる感じ」で来院しました。腰のゆがみ()はまだそのままでした。

2021年、Eさんは6年ぶりに来院しました。京都へ単身赴任中で、近くの鍼灸院にときどき通っているそうです。
事務職だから、時間を見つけて毎日走って、ストレッチも欠かさずやって、月に2・3回はテニスをしているそうです。
Eさんの腰を見て驚きました。右に縮まっていた腰が、きれいに左右対称()になっていたのです。細身になって、筋肉隆々で、すっかり若返っていました。
立ち上がった瞬間に両でん部()が硬直して痛むとのことでしたが、中殿筋への中国鍼ですぐに治りました。

左肩()が痛くて上がられないとのことでしたが、硬直は一点で、鍼と透熱灸ですぐに治りました。
簡単に治ったのでEさんはえらく感激してくれましたが、私も若返った彼を見ておおいに感動しました。

日々の努力は嘘をつかないとお伝えしたくて、Eさんの症例を追加しました。<2021/10/5>
50代:あっちに出たり、こっちに出たり・・・
2015年4月、Mさん(当時53歳、男性)が腰痛で来院ししました。
右のでん部にも痛みがあって、ハムストリングスに「痺れがあるような気がする」ということでした。
前述したように、男性がでん部の痛みを訴えるときは、たいてい腰椎に原因があります。

梨状筋を中心に、坐骨神経痛の治療をしました。
それは1回で治ったのですが、その後もときどき腰痛をおこしました。Mさんの脊柱もまっすぐで、若い頃からの腰痛持ちです。
1日中立ったままで宝石の販売をするのが仕事なので、腰に負担がかかるのです。
でも千葉県在住なので、来院するのはヤバくなったときだけでした。

2017年8月、初診から2年後(55歳)、9回目に来院したとき、ついに脊柱管狭窄症の症状に見舞われました。
1週間前から神経痛がおこったそうで、間欠性跛行がありました。右太ももの前面に痛みが出て、足が上げにくくなっていました。
前ページのAさんと同じく、大腿神経に障害が出ていました。

4回の治療で、痛みも痺れもゼロになりましたが、両方の太ももの裏も表も、ときどきつりそうになるそうです。それが消えるまで、もう3回の治療が必要でした。

Mさんの場合は、大腿神経、坐骨神経、上殿神経に、入れ代わり立ち代りで障害が起こるというパターンでした。
腰部で筋肉が硬直しているものの、なんとか軽度で持ちこたえているのでしょう。
その後もときどき腰痛や神経痛を起こしていますが、今のところ大事には至っていないようです。
60代:坐骨神経の障害
2010年7月に来院したTさん(当時67歳、男性)は、2年前、通勤時に左右のハムストリングス()が痛み、病院で腰部脊柱管狭窄症と診断されたそうです。

Tさんは筋肉隆々のスポーツマンです。子どもの頃からスピードスケート、野球をやり、その後もソフトボール、武道抜刀術、クレー射撃、バドミントンは実業団でならしたつわものです。
「スポーツのやりすぎで腰に負担がかかった」とTさんは言います。

「朝のストレッチのときに、左ハムストリングス()に痛みが出て、しばらく動けなくなる」
「帰宅時に右足が痺れがあるときは、自分の足でないような感じがして、ガクッと来て転倒寸前になる」
「夜も熟睡できなくなって、3時間ぐらいで目が覚めてしまう」とのことでした。

間欠性跛行もありました。歩いているとハムストリングスが硬くなって痛み、前かがみになってしばらく休むと、また歩けるようになるそうです。
   - 初診時 -
MRIでの狭窄部位(腰椎4番と5番の間)
ハムストリングスのつっぱり、痛みと痺れ
でん部は軽い痛みと痺れ
右ひざと足首の違和感
ふくらはぎがカチンカチン
   - 治療がすすむにつれ -
右脛に痛みと痺れが出始めた
Tさんの神経症状と支配筋肉を比較してみました。
仙骨神経叢(L4~S3)
1)梨状筋、内閉鎖筋、双子筋、大腿方形筋
2)上殿神経(L4~S2)
中殿筋、小殿筋、大腿筋膜張筋
3)下殿神経(L5~S2)
大殿筋
4)後大腿皮神経(S1~S3)
5)坐骨神経(L4~S2)
大腿二頭筋、半腱様筋、半膜様筋
1)総腓骨神経
外側腓腹皮神経
浅腓骨神経
長腓骨筋、短腓骨筋
深腓骨神経
前脛骨筋、長母指伸筋、長指伸筋、第三腓骨筋、短母指伸筋、短指伸筋
5-2)脛骨神経
腓腹筋、ヒラメ筋、足底筋、膝下筋、後脛骨筋、長指屈筋、長母指屈筋
深腓骨神経にも障害が
解剖学の本は参考程度です。
鍼灸師にとっては目視と触診が一番の目安なので、Tさんの訴えを聞きながら、筋肉の硬直部位を片っ端から治療しました。
どうやら仙骨神経叢から分岐する神経を、左右両側で侵害していたようです。

でん部()の症状は軽く、坐骨神経とその先に強い痛みと痺れがありました。
Tさん自身はとくに違和感を感じていなかったのですが、ふくらはぎ()の治療にも重点をおきました。
日に日に症状が緩和されていき、4回目に朝起きてすぐの痛みがやわらいだそうです。

7回目、ハムストリングス()の硬直が取れたとたんに、入れ代わるように右脛()の痛みと痺れがはじまりました。

症例56「足先が上げにくい(脛の神経麻痺)」に詳細がありますが、深腓骨神経()の障害には手こずりました。
Tさんの前脛骨筋と長母指伸筋はものすごく発達していて、脛骨にかぶさるほどに盛り上がっていました。

14回目の来院時には「歩くとだんだん熱感と痺れが起こり、立っていると治り、また歩くとはじまる」という訴えがありました。
熱感や冷感も神経の病の目安です。
深腓骨神経()の神経症状が治まるまで、3年近くかかりましたが、麻痺には至らず、筋肉隆々を維持できました。
部位が目まぐるしく変化した
Tさんの主訴、痛みと痺れの部位と症状は毎回変化しました。
ハムストリングス()と右脛()の愁訴を中心に、坐骨神経の支配領域のあちらこちらに、痛みや痺れが移動したのです。
あっちからこっちへ、こっちからあっちへ、消えては戻り、戻っては消え、主訴がぐるぐると移動しました。

「立っていると痛む」日もあり、「歩くとき痛む」日もありました。
「じいさん歩きをしないですんだ」日もあれば、「前かがみでなければ歩けない」日もありました。
間欠性跛行もなかなか完全にはなくなりません。
途中で痛みが出ると、「人前も気にしないで、その場で屈伸をすると、また歩ける」と、とても前向きでした。

Tさんはものすごい活動家でした。
仕事、家事、運転、家の改装、修理、孫の世話、バドミントンに自転車にテニスと、多趣味で多才でじっととどまっていることがありません。
あちこちに移動する痛みにもめげず、動いて動いて動きまくっていました。

障害部位が多彩だったのは、多彩な動作のせいですが、そのおかげで特定の部位に過負荷が集中することを避けられたのかもしれません。

背中~腰~でん部の筋肉はまるで装甲車のようでした。
硬い筋肉が何層も重なっていたので、薄板をはがすように1枚1枚ほぐしていくしかありません。
腰を押されて「痛い」と分かる、つまり、深部にある病根に私の指がとどくまで、何年もかかりました。
動きまくっては治療をし、そしてまた動きまくる
Tさんは、途中で帯状疱疹を患ったり、通風になったりと紆余曲折はありましたが、4年後(71歳)の2014年10月、仕事をやめたタイミングで治療を終了しました。
その頃には、痛みだけでなく、痺れもほとんど消えて、やりたいことを思うようにこなせるようになっていました。

多種類の運動や動作を組み合わせるのは、完治に向かう大きな要因です。
同じ動作だけをつづけると、同じ部位に過負荷が集中します。
違う動作をするときには、負荷がかかる筋肉が異なります。主になって酷使する筋肉以外の筋肉たちが、休みながら動きます。
動くと「筋ポンプ作用」で内部の血流が促進され、疲労物質を代謝できるので、筋肉がほぐれていくのです。

障害部位の変化に苦労はしましたが、まあまあ順調に快方に向かったのは、Tさんが動いて動いて動きまくってくれたおかげと思います。
ストレッチも欠かさずにやっていましたので、姿勢もだんだん良くなっていきました。

一緒にテニスをしたことがあるのですが、運動神経バツグンで、足が速いうえに、狙うコースがすごいので、初心者とは思えない活躍ぶりでした。
現在も元気にバドミントンと、その他もろもろの活動にいそしんでいるそうです。
70代の治療はドーゼの調節が難しい
2017年11月に来院のYさん(当時73歳、男性)は、1年前に脊柱管狭窄症と診断されたそうです。
「右の腰からでん部が痛くて、100メートルぐらい歩くと右足が痺れる」とのことでした。
1ヶ月前にスペインに旅行に行ったのですが、歩けなくなって、痛み止めを飲んでずっとホテルにこもっていたそうです。
「海外旅行のとき、思う存分歩き回って楽しみたい」というのが目標でした。
   - 初診時 -
MRIでの狭窄部位(腰椎4番と5番の間)
右でん部に痛みと痺れ
ハムストリングス/裏と外側に痛みと痺れ
右足首痛(ねんざの後遺症)+ひざ痛
左肩を回すと痛い
70代になると、治療がほんとうに難しくなります。
早く治そうとして治療をしすぎると、逆に痛みが増悪することがあります。
ノーメンテだった患者さんはとくに要注意です。

神経には「閾値」があって、一定レベル以下の刺激を受け付けないという性質があります。
痛みが長引くとどんどん「閾値」が上がっていき、小さな痛みを拾えなくなってしまいます。
つまり神経が鈍感になるということです。

2013年の秋、70代の女性が同時期に2人来院しました。1人は脊柱管狭窄症で、1人は坐骨神経痛でしたが、2人とも「痛みはそれほどでもないけど、痺れが気になる」とのことでした。

30代で開業した頃は、70代はすごいお年寄りと思っていました。
でも、自分がその年齢に近づくにつれ、「若く」感じるようになっていきます。
しかも2人とも前向きで、とても若々しい人たちでした。

思うように痺れが消えてくれないので、『もっとハードにやらないとダメなのかな』と思って、若者と同じドーゼ(刺激量)で治療をしました。
2人とも、翌日激痛に襲われて、あわてて大学病院に駆け込む・・・という結果になりました。
あるはずの「痛み」がなくて、「痺れ」だけが強い、それは神経が鈍感になっている証拠だと気づくべきでした。
寝た子を起こさず、起きてる子だけを治療する
Yさんのお孫さんが小学生のときに1回で、高校生のときにも1回で治ったので、彼の期待がプレッシャーでした。
「70代だと、治せないかもしれませんよ」とあらかじめ断ったので、Yさんは相当ショックだったそうです。

Yさんは身体が頑丈だったので、若者とお年寄りの中間レベルのドーゼでの治療ができました。
定量の治療以外、追加治療を「やりすぎない」のがコツです。
初回の治療のあと、台湾に旅行に行ったのですが、「歩き回れた」ととても喜んでいました。

そこから週に2回の治療をつづけました。
激しい症状はさっさと治したほうがいいのです。
坐骨神経が圧迫されている腰椎は右を重視しました。
歩くと硬くなる右でん部には中国鍼で、はじめの頃は灸頭鍼をしました。
右のハムストリングスは外側にも鍼を打ちました。

Tさんと同じく、日替わりでいろんな症状が出てくるので、その時々の愁訴に応じて、重点ポイントを変えました。
歩ける距離が少しずつ伸びていって、1ヶ月半後、10回目の治療時に、5キロの道を通しで歩けるようになりました。
そこから週1の治療になりました。
治療をつづければ、ゆっくりでも向上していける
Yさんの治療のあと、「ね、ほぐれたでしょ!」と私が自慢をします。
でもYさんは困ったような顔をして、「それがすぐに分かんないんだよね。家に帰ってしばらくしてから、『あ、楽になってる・・・』って、やっと分かるんだよね」と答えます。

年を取ると、感度が鈍くなってしまうので、よくある話なのです。
とくに50代以上の男性だと、「次の日」とか「次の次の日」にやっと、楽になっていることに気づくという人が少なくありません
。長年の仕事の無理がたたった結果でしょう。

治療開始から半年後(36回目)、カーテンから出てきたYさんは、「楽になったのがわかった!」と、とても嬉しそうでした。
それ以来、治療後すぐに身体の状態を感じ取れるようになりました。
神経の鋭さを取り戻したのです。

若い人は筋肉痛もすぐに出ます。
年を取ると筋肉痛が出るのに時間差が生じます。翌日ならまだしも、3日後とか1週間後に出る人もいます。
治療の効果が出るのは、筋肉痛が出るのと同じタイミング、と思っていいでしょう。

鍼灸の醍醐味は、1年、3年、5年のスパンにあります。
1年過ぎると、あちこちのいろんな愁訴がほとんど消えて、身体がいったんリセットされます。
治療をつづけていればちょっとずつ良くなっていく。でも、旅行などで間があくと、また少し悪化してしまいます。
治療をやめたら、落ちていくのは確実と思います。それが現実とYさんは納得してくれています。
ふくらはぎの神経麻痺が残った患者さんもいた
2007年12月、Kさん(当時56歳、男性)が頚椎症で来院しました。医者から手術を勧められたそうですが、「もう手術はしたくない」ということでした。

実は、Kさんは、5年前に脊柱管狭窄症の手術を経験していました。
排尿障害(馬尾症状)があったのですが、何年も整形外科で対症療法を受けていたそうです。
ある日、思い切って脳神経外科に行ってみたら、即、手術になったそうです。
「こんなに長く放っておいた人はめずらしい」と、脳神経外科医に言われたそうです。

Kさんの話によれば、「整形では、脊柱管狭窄症の手術は大手術でしょう。でも、脳の難しい手術をやっている脳神経の先生から見れば、こんな簡単な手術なのに、何で?という感じだったらしいですよ」とのことです。

Kさんの右ふくらはぎは、筋肉が萎縮し、棒のようになっていました。
痛みはなく、痺れだけが残っていました。神経が麻痺してしまい、ふくらはぎをまったく使えませんでした。
神経が変性してしまっているので、元通りになるのは難しいと思いました。
Kさんもすっかりあきらめていて、頚椎症が治ったあと治療を終了しました。

ところが、その後の患者さんで違う展開がおこりました。
2010年に来院した患者さん(当時66歳、男性)は、久しぶりにラジオ体操をやってみたら、ジャンプができないことに気がついたそうです。
病院で脊柱管狭窄症と診断され、うちに直行しました。

症例53「ふくらはぎ・2(神経麻痺による筋萎縮)」に詳細がありますが、神経麻痺で萎縮していたふくらはぎの筋力を取り戻すことができました。
「半年かかって5割、1年かかって6、7割が限界」と伝えたのですが、彼はあきらめませんでした。
鍼灸治療と筋トレで、1年後にはかなりの筋力を取り戻すことができました。
68歳からテニスをはじめ、現在もテニス、畑仕事、ゴルフと多趣味の生活を送っているそうです。
Tゾーンで狭窄した60代の女性
2018年8月、Nさん(当時62歳、女性)が来院しました。
友人が前ページのAさんと同じテニスサークルにいて、「脊柱管狭窄症だったのに、鍼ですっかり治って、若者のように動ける人がいる」と聞いてやって来たのです。

Nさんは、前年の6月、右でん部()と右脛()に激しい痛みと痺れが起こって、脊柱管狭窄症と診断されたそうです。
医師に「手術は不可能な部位」と言われたとのことで、痛み止めを飲んでずっと安静にしていたそうです。

私がTゾーンと呼んでいるのは、腰椎と骨盤の付着部です。
ずっと治療をしてくれたSさんを解任して、半年間自己治療とストレッチで持ちこたえていたある日、身動きもままならない最悪のぎっくり腰になってしまいました。

自分を治療しながらテニスの試合を見ていたら、解説者が「やっぱりTゾーンですね」とくり返していました。
テニスのTゾーンは、センターラインとサービスラインが交差するポイントです。
ダブルスペアの真ん中で、しかも深いので一番の狙いどころだそうです。

テニスコートの映像と、自分の腰痛部位が重なりました。
腰のTゾーンは、まさに私が何度もぎっくり腰をくり返したワーストポイントであり、患者さんの治療をするときの最重要ポイントです。(→2018/9/16

自分では鍼を打てない場所だったのですが、それ以来、後ろ手で打ててるようになりました。
(当てずっぽうなので、毎日2・3本必ず打っています)
腰椎=男性はここに歪みが集約される。
骨盤=女性はここに歪みが集約される。
Tゾーン=腰椎と骨盤の付着部。一番「圧」がかかる部位で、治療は複雑になる。
男性の脊柱管狭窄症は腰椎で起こりましたが、Nさんの狭窄部位は、腰椎5番と仙骨1番の間(右側)で、まさにTの横棒の部位()でした。

Tゾーンは、腰部からの筋肉と骨盤内の筋肉が交差しているところなので、とても複雑にできています。
腰椎と骨盤ががっちり固定されているので、ほぐすのが大変です。
寝た子を起こしながら治療したけれど・・・
Nさんは、「じっと坐っていると平気だけど、5分歩くとつらい」という間欠性跛行と、「朝、ベッドから起きると痛い」というスターティングペインがありました。

1年以上経過しているので、痛みの神経の閾値が上がっています。
最初の発症から比べると痛みはかなりマイルドになっていて、痺れのほうが強く感じられるそうです。
   - 初診時 -
MRIでの狭窄(腰椎5番と仙骨1番の間)
右でん部に痛みと痺れ
右脛(深腓骨神経)に激痛と痺れ
脊柱全体がぐちゃぐちゃによじれていた
ふくらはぎはブワブワ
Nさんはすでに仕事をリタイアしていまいた。
ジョギングとスキーと旅行が趣味という活動的な女性で、以前のような元気な暮らしを望んでいました。
年齢も私よりもひとつ下だったので、根深いこりを掘り起こして「完治」を目指そうと話し合いました。
安静にするのはやめて、どんどん活動するようにとアドバイスしました。

Tゾーンには、首からつながる脊柱起立筋、肩からつながる広背筋も通っています。
背中の硬直をほぐさないと、Tへの圧はなくなりません。
脊柱、右でん部、右脛を中心に、週2回の治療を行いました。

治療の直後はベッドから降りるのもままならないほど痛みが増悪し、しばらくは歩けないぐらいになってしまいます。
10回目、治療のあとすぐに動けるようになって、「楽」が翌々日までつづくようになりました。

右でん部()の痛みが薄れると同時に、それまでなかった腰痛を感じるようになり、そして右脛()の痛みが悪化していきました。
他の鍼灸院でよくなった
Nさんの症状は、Tさんと同じく一進一退でした。脊柱全体はでこぼこしていましたが、右でん部、右脛とともに、筋肉の硬直は順調にほぐれていきました。

19回目には「前回治療直後から痛みがはじまり、身動きもできないほどになった」とあり、20回目には「だいぶ楽になった」とあります。
25回目には「まっすぐ立てるようになった」と喜び、26回目には「痛みでまっすぐ立てなかった」とまたぶり返しました。

一番の悩みは右脛()の間欠性跛行でした。筋肉は柔らかくなったのですが、痛みは変わらずです。

神経痛が起こると、病んだ神経繊維が硫酸みたいな物質を放出するのかな?と感じられるほど、周囲の筋肉が硬くなります。
「痛い=硬い」で、硬直をほぐすと痛みがやわらぎます。そうやって治療をするのですが、Nさんの右脛は筋肉がゆるんでいるので、本人の「痛み」の強さと、筋肉の硬さの相関性に戸惑いました。

Nさんは3ヵ月(29回)たって、私の手には負えないと判断して他へ行きました。
鍼治療をつづけて、紆余曲折ありながらも、1年ぐらいで5キロ歩けるようになり、1年半で日常生活を楽しく過ごせるようになったと報告してくれました。

症例12「頚椎症・2(究極の頚椎症)」の患者さんを思い出します。
最初の激痛が「妙な鈍痛」になって1年半後、激痛が再発しての来院でした。「激痛」が「痛み」になるまで1ヶ月以上かかり、再発しなくなるまで2年ぐらいかかりました。
古い神経痛はほんとうに手ごわいので、自分に合う治療師を見つけることはとても大切と思います。
治せずに終わった深腓骨神経痛
実はもうひとり、深腓骨神経痛を治せなかった60代の女性がいました。
脊柱の手術の後遺症で10年ベッド暮らしをしたあと、2010年(60歳)、来院してすぐに卓球ができるほど元気になったのですが、1年半後に転んで腰痛が起こり、パニック状態になってしまいました。
転倒など、とっさのときの身のこなしが大事だから、ストレッチをするようにアドバイスしたのですが、「脊椎にチタン合金が埋め込まれているから無理」と拒絶されました。

漢方薬で治すという医師に鍼を止められ、いったん治療を終了しました。そのあと精神病院に入退院をくり返したりしたそうです。
2017年(68歳)に来院したときは、向精神薬の依存症になっていました。
がんばって歩いてくれたのですが、しばらく歩くと右脛()に激痛が起こります。
筋肉の硬直をほぐしても痛みは消えずに、17回やってあきらめて他へ行きました。
もしかしたら神経が「痛み」を記憶する・・・ということもあるのかなと思います。

深腓骨神経の治療はほんとうに難しいと思います。手ごわい麻痺や痛みが残ってしまった患者さんがたくさんいます。
坐骨神経の束の中でどこに位置しているのでしょうか。侵害されやすく、治療しにくい場所を走行しているのかもしれませんね。
Updated: 2020/7/30