doseiみづ鍼灸室 by 未津良子(リョーコのブログ) 
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2024/7/22(月)
新潟にお墓参りに行ってきた
両親のお墓は新潟市にある。魂がお墓に宿っているとは思えなかったし、コロナもあったしで、母の納骨が最後のお墓参りだった。

去年の8月13日の夜、食器棚の扉を開けた瞬間に、父が愛用していた日本酒のグラスが落ちてきた。
分厚いほうを下に落ちたので壊れなくてすんだのだけど、父があの世で「墓参りにも来んで!」と怒っていると思い、えらくビビった。
でも急には行けない。「冥福を祈ってね」と子どもたちにメールした。

ところが今年の6月、扉が閉まったまま父のグラスが落ちて、食器棚の中で粉々に砕けたのである。
他のグラスが落ちたことは一度もないので、これはヤバイ!どうしても行かなくちゃ!と急き立てられた。

息子たちの休みに合わせて、(普段は出かけない)休日を利用した。初日は村上の瀬波温泉に泊まることにした。海水浴を・・・と思ったけど、あいにくの雨だった。
チェックインまで時間があったので、市内をうろうろ走り回り、神社でお参りをしたあと、懐かしのお城山に登ることにした。

下の写真は全体が見えるように、村上市の公式ホームページから借用したもの。平地の真ん中、にょっきりと山があって、まるで牛が寝そべっているよう・・・ということから、正式名称は「臥牛山」である。
雨なので、傘をさしてのミニ登山である。ここが入口で、奥にちらりと見えるゆるやかな段々がえんえんとつづいていく。
高校時代にバスケをやっていた頃、体育館が使えない日にときどきここでトレーニングをしたのである。
「うさぎ跳びで登ったりしたんだよ」と言ったら、娘に「昭和だね~」と感心された。(笑)

うっそうと茂る木々のオーラを全身浴びて、想像以上に気持ちがよかった。ずっと海派だったけど、山歩きもいいもんだね~

緩やかな段々を登ったあと、まだ行程の半分ぐらいだったと気がついた。そこからはところどころに石垣の残る山道がつづいていた。

そして山頂に到着。とっくの昔に城趾だけになっていたんだよ。
村上城と思っていたけど、モニュメントには「舞鶴城趾」と書かれてあった。(このへんの歴史については何も知らない)
<舞鶴城趾>
<臥牛山 135m> <天守跡>
標高135メートルとのことで、散歩にちょうどいい高さだね。
山頂からは左に海が見え、晴れていれば粟島が見える。右には県境まで連なる山々が見え、山のこちら側には鮭と鮎で有名な三面川が流れている。
雨でけぶっていた割には、なかなか素晴らしい景観だった。
2週間前の予約だったので、5人で1室。温泉で一泊したあと、翌日は晴れてくれた。みんなが「泳がない」と言うので、砂浜を歩いて、足だけ海に浸した。(海の気も頂戴した)

高速で新潟市に向かい、海岸線を走って青山墓地に到着した。両親が選んだのは海のそばの霊園だったのだ。
近くのお店で線香とろうそくを買い、花屋さんでお花を買った。
みんなでお墓を磨いたおかげで、けっこうピカピカになった。ちょうど新暦のお盆の日だった。
「みんなで仲良く」が口癖だった父。子どもや孫やひ孫がそろって墓参りをしたことをさぞかし喜んでくれただろうと思う。

シーサイドラインから弥彦スカイラインに入りたかったんだけど、うろ覚えだったので、弥彦山の周囲をぐるりと一周することになった。広々とした新潟平野ににょっきりそびえる小高い山なのである。
臥牛山は山城になったけど、弥彦山には弥彦神社がある。神様がいると信じられてきたのだ。

神社でお参りをしたあとはロープウェイに乗った。標高634mで、東京スカイツリーと同じ高さなんだって。
山頂に着いた途端にいきなりの雨。日本海と佐渡島が見えるはずだったんだけど、雨でけぶってしまった。山の天気はホントに変わりやすいね~
帰りはほとんど休憩なしで高速をひた走った。預けたティラが心配で、一刻も早く迎えに行きたかったのである。

両親はドライブが好きだった。私たちが行くと、いつも海岸線や山道など、景色のいいところを選んで走ってくれた。その思い出の道を走るのも追悼になるかな?と思った。
お墓参りをすませ、肩の荷が下りた感じでホッとしている。

家族そろっての遠出は久しぶりで、とても楽しかった。自然の気をたくさんもらって、おおいにリフレッシュした二連休だったんだよ~
2024/7/11(木)
ラケットの振り上げとトスのタイミングを調整
先々週にサーブのフォームを変え、練習では順調・・・と喜んだのだけど、5日間テニスを休んでいたら、すっかり忘れてしまった。

「右膝を曲げたまま、低い姿勢で」とがんばったら、なんとなく右腰に痛みが出た。そのあとの鍼治療で、このフォームで使った筋肉がはっきりした。
ここが痛むのはNG
サーブで負荷のかかる筋肉は左半身なのに、そこには負荷がかかっていなかった。
右半身()のでん部、股関節、太ももが硬直していたのである。
フォームが根本的に間違っていたらしい。

前回のサーシャは、ラケットを回してから、トスアップとスイングまでを曖昧にやっていたので、きっちり思い出せなかったのである。
前回のサーシャ
このあたりが曖昧
ここを細分化してフォームの構築をしなくちゃならない。

ちょうどウィンブルドンなので、もう一度ズベレフのサーブを子細に観察した。

低い姿勢で構えてから、
右足を後ろに引いて、後に体重移動。
左足でステップイン、前に体重移動。
→左足に乗ってトスを上げながら、ラケットを振り上げていた。
ズベレフのイントロ
自分のサーブに①②のステップを加えようとしたけど、もう自分なりのスタイルができているので、とても無理である。

ついでに全仏女子ダブルスで優勝したシニアコバが、ラケットを担いだところからサーブをスタートしていたことを思い出した。
シニアコバ
ラケットを担ぐ
やってみたけど、ラケットを回す勢いが中断されてしまう。せっかく一連の流れができたところなので、これも却下した。
結局、そう大きくはフォームを変えられない。「振り上げ」から、そのまま「打つ」というスタイルが、すでに定着していたのだ。

今週月曜日、ものすごい猛暑にもめげずテニスに行った。ズベレフのサーブを試し、シニアコバも試し、えんえんと打ちつづけた。100球を越えたあたりから、やっと折り合いがついていった。

今回の変更点は・・・
ラケットを回しはじめ、振り上げながら、(左足でちょっとだけ前に踏み込んで)トスを上げる。
今回の変更点
低く構え
ラケットの始動
途中からトスアップ
振り上げ
インパクト
今日は朝から雨だった。昼過ぎ、ティラの散歩の途中でまた降られ、テニスに行くのをあきらめてしまった。
明日はシングルスのラウンドロビンの予定だったけど、雨予報なので来月に延期した。

週末(日・月)はお墓参りに新潟に出かけるので、二連休にさせてもらった。次のテニスまで1週間以上もあるけど、今度こそ忘れずに打てるといいなあ。。。(笑)
2024/6/30(日)
シングルスでサーブが崩れ、イントロから変更
先々週のシングルスのラウンドロビンは、いきなりの暑さのせいか、参加者が16人だった。私は3人ブロックで、8ゲーム先取の試合をした。
初戦は1-8で負け、2戦目も1-8で負け、リーグ3位になった。3位4位トーナメントでも1-4で負けて三連敗した。
今回、最大の敗因はサーブの不調だった。

初戦の相手(リーグ1位)は何度か対戦したことのある強者だった。
試合前にサーブを4球練習するのだけど、なんと、4本ともすごいサーブが飛んで行ったのである。
自分でも驚いたけど、相手もびっくり仰天したようだ。彼女が凡ミスを多発して、1ゲーム目が取れた。(笑)

でもナイスすぎるサーブで心神喪失に落ちたのは私のほうだった。
いつも「練習でサーブが入ると本番でボロ、練習がダメだと本番で打てる」というパターンなのだ。
『変なジンクスは忘れよう』と自分に言い聞かせたのだけど、そのまま一気にドツボに落ちて、どうしても打ち方を思い出せなくなった。

いつもシングルスでサーブがレベルアップしてきたというのに、今回は崩れたままで、最後まで立て直しできなかったのである。
超ショックを受けた。「ダブルスではダメでも、シングルスなら」という、唯一の希望の命綱が断たれたのだった。

不安に駆られるとサーブが「グチャグチャ」になる原因のひとつは・・・
フォームの構築のために「バイエル1番から」と、サーブのフォームを変えてきた。緊張感が高まって、集中力がなくなると、かつてのいろんな打ち方が顔を出してしまうのだ。

精神力を鍛えるのは無理らしい。
不安に駆られた状態でも「これでしか打てない」という一連の動作、つまり「フォーム」をガチガチに固めるしかないのかもしれない・・・と思った。

半年ぐらい前に、膝の力を使ってトスを上げるのは「余分な上下運動」と指摘され、左足を伸ばしたままトスを上げることに取り組んだ。合言葉はアレクサンダー・ズベレフの愛称である「サーシャ」にした。
<ブログ→2024/2/17
これまでの「サーシャ」
左足を伸ばしてトス
トスの上げ方を変えたので、けっこうな苦労だった。『いつかは安定するはず』と、筋トレのつもりで練習したのである。
トスがいいときは、あきらかにフォームのブレが減ってくれたんだけど。。。

トスを上げる前の動作、つまり「イントロ」からフォームを構築してみるのはどうだろう?
そう思って、あらためてズベレフのサーブをイントロから観察した。
彼は後ろ足の右膝を曲げてスタートしていた。そして、右膝を曲げつづけたまま、次の動作に進んで行った。

突っ立った状態から膝を曲げるのは、けっこうな集中力がいる。
浮足立っていると、立ったまま打ってしまう。それが私の最大の弱点だった。

なるほど、低い姿勢のままでサーブの態勢に入ると、あらためて膝を曲げる必要がなくなる。。。

隣のコートのおばさんが、トスを上げる前にラケットを回しているのが目に入った。
ちょっと試してみたら、あれあれ、確実に「ラ、ディ」ができる!

2年半前にラケットの振り上げを変えた。 ラケットを外から回して振り上げると、肩を開きやすくなる。弓矢を射る肩になって、サーブがスピードアップしたんだよ。
<ブログ→2021/11/16
「ラ、ディ」サーブへの変更点
前から上げる 外から回す

(この差に注目)
サーブは一瞬である。すべての課題を一気にやろうとすると、身体がブレたり、古い癖が出たり、インパクトまで気が回らなくなったりする。忙しすぎるのだ。

トスの前にラケットを振り上げておくと、課題のピースが激減する。その結果、インパクトに集中できるようになった。

新しい「サーシャ」を紹介しよう。
イントロ
姿勢を低くして構える
後ろ足の右足は膝を曲げる。
前足の左軸足はつま先を上げて膝を伸ばす。
先にラケットを振り上げる
肩は開いて、後ろに引く。(弓矢を引くときのポーズ)
両足の形はそのまま維持。
トスアップからインパクトへ
低い姿勢のままトスを上げる
左軸足の膝を曲げる。
曲げたままの右足を左足に寄せて、トスを上げる。
ジャンプしてインパクト
打つためにはジャンプするしかなくなる。左軸足でジャンプして、インパクトに集中。
練習ではかなりの安定感である。
トスに膝を使う問題点を指摘してくれたHさんが通りかかったので、「どう?」と聞いてみた。
インパクト以外はOKとのことだったので、ホッと安心。インパクトはこれからの課題なのである。

アレクサンダー・ズベレフは198センチの長身なのに、サーブのフォームがゆっくりで丁寧なので、分かりやすいから参考にした。
彼はすごいサーブの持ち主なんだけど、去年あたりはダブルフォルトに苦しんでいた。
もしかしたら(私と同じく)精神力が弱いのかもね。それでフォームをガチガチに固めているのかも?

なあ~んて想像すると、ちょっと希望が持てるね~~(笑)
2024/6/21(金)
(初の)同窓会など、イベントつづき
先週土曜日は新潟県立村上高校の同窓会だった。関東支部の総会のあと、夕方から同期会をやるというハガキが来た。

転校転校の連続だった私。引っ越しをくり返すと数年後には行方不明者になってしまう。同窓会に呼ばれたことがないので、「一度行ってみたい!」と、友人2人を誘って四谷に出かけていった。

中三で村上中学に転校し、村高で3年、合計4年間も同じところに住んだので、なんとなく「故郷」に近い感じがする。
とはいえ、卒業50周年である。遠い遠い過去、たくさんの記憶の下に埋もれた世界は、まるで映画を見ているようでもあった。

15人の参加者のほとんどが村中出身者だった。私は1人しか覚えていなかったけど、みなさんが私のことを覚えていたらしい。
「目が昔と同じだね」と何人もの人に言われてびっくり。「かわいかったよね」とも言ってくれたが、やっぱり過去形だった。(笑)
「変わってたよね」と言われ、「うん、今も変わってる」と答えた。
「よく先生に立てついていたよね」とも言われた。当時の同級生たちにとっては驚きの行動だったらしい。

「バスケやってたよね。その様子だと、今もなんかやってるみたいだね」と言われ、「テニスしてるの」と答えたけど・・・
高二のときはバスケ部のキャプテンで、体育館の中を走り、外を走り、雨の日は校内の廊下を走っていた。なので誰も驚いてくれない。

結局、今の自分は高校時代とさほど違っていないことに気がついた。
目的志向が強く、(ときには周囲を巻き込んで)邁進した。正義感が強くて、どこでも、誰にでも、理詰めで意見を言った。
そういえば当時も犬を飼っていたし、人間て年を取ると、若い時代、プリミティブな自分に回帰していくのだろうか?
不思議である。

同期会のあとは、一緒に行った友人と3人でワインを飲みながらえんえんとお喋りした。
古い友人たちと親交を深められ、ほんとうに有意義で楽しい時間を持てた。

その前の週の土曜日は渋谷公会堂。男だけのバレエ団「トロカデロ・デ・モンテカルロ」の公演に行った。
うちの患者さんがあんずと私を招待してくれたんだけど、想像以上に素晴らしい舞台だった。
技術力が高く、芸術性も高い。飽きさせないプログラムで、そのうえ笑わせてくれるのである。

青山のスペイン料理のお店では、メニューが激変していた。期待した料理はなかったけど、サングリアとパエリアは美味しかった。
そのあとあんずにせがまれて、渋谷でカラオケもやった。2週つづけて深夜に帰宅したのである。

そのうえ同窓会の前日がシングルスのラウンドロビンだった。
ほとんど調布を出ない私なのに、めったにないイベントが集中。患者さんの予約の調整が大変で、分刻みのスケジュールだった。

ラウンドロビンでは、サーブがグチャグチャに崩れて三連敗。このつづきは次回に報告するね~
2024/6/12(水)
腰でん部の縮み→太ももの硬直
去年の暮れぐらいから久しぶりの患者さんの来院が相次いだ。そのうちの何人かを紹介しよう。
ずっと苦手としていた年寄りの治療だけど、この頃はコツが分かってだいぶ上達したのである。
その過程で新しい発見をした。太ももの硬直は腰でん部の縮みと関連があるらしいのだ。
ひざ痛2」で紹介した保育士さんのMさんは、年金暮らしになって来院を中止したあと、12年ぶり、80歳でやって来た。
腰でん部()は縮んで固まって、岩盤のようだった。
膝痛()も悪化していて、とっくに正座ができなくなっていたとのこと。

右の坐骨神経痛)と診断されたそうだが、症状が軽い。でん部の深層の筋肉が硬直して神経を圧迫する「梨状筋症候群」と思った。たいてい1~3回で治る。
80歳
でも年齢はあなどれない。軽減していったものの、「まったく痛みが出ない」日がつづくまで、週に1回の治療で2カ月かかった。
腰でん部()の盛り上がりがちょっとずつ薄くなっていったところで治療を終了した。

数年前から足が前に出にくくなって、歩くのが遅くなってしまったそうだ。
腰椎が縮むと仙骨が後方に突き出し、骨盤の筋肉が固まる。股関節の可動域が狭まって、足が前に出にくくなるのだ。
10年前に数回治療したことのあるKさん(78歳、女性)が「ダブルスで動けなくなった」と来院した。
うちの患者さんが走れているのを見て来たのだけど、「その年だと難しい。週に1回の治療で3カ月はかかる」と覚悟してもらった。

本人が感じる痛みは鼠径部()のみで、すぐに消えた。
全身が縮まっていて、とくに背中から骨盤()にかけて、盛り上がった硬直が岩盤のように固まっていた。
78歳
トシなので「定量」の治療しかできない。それでも治療の翌日はでん部とハムストリングス()が痛くて走れなくなる。翌々日には痛みが消えて動けるようになる。

身体のどこかに不具合があると、筋肉が「ギプス化」する。患部を固めて痛みを眠らせるのだ。
硬直をほぐして痛みを掘り起こさないと深部まで治せない。Kさんに「どうする?」と尋ねた。
「動けるようになりたい」が目標だと、「痛みが出る」のは必須の過程なのだ。
Kさんは「なるほど」と納得してくれた。

Kさんが「仰向けの鍼が痛いのよね」と言うので驚いた。筋肉が硬直していると、鍼が細胞の間を分け入っていくときにズシンと響くのだ。
太もも()と脛の筋肉に深い鍼を打つのと打たないのでは治療効果に大きく差が出るので、飴をなめて耐えてもらった。

うつ伏せのほうがたくさん打っているのに、「そっちは痛くない」そうなので、不思議でならなかった。

めでたく3カ月後には「横に」動けるようになったそうだが、「後に動けないのよね」と言う。
後に動くためには左右のでん部()を別々に使えなければならない。
骨盤が一枚岩のように固まっているので、年齢的にそれは不可能に近いと思う。

同世代のテニス仲間とのダブルスでは、充分な動きができるようになって、「動けるとテニスが楽しい!」と、Kさんは大喜びしてくれた。
そのあと、「太もも()の鍼が痛いですね~」と、Kさんと同じことを言った患者さんがいた。
脊柱管狭窄症・2の「40代で発症、50代直前に再発して悪化」で紹介した男性である。

彼は現在60歳で、テニスや水泳を愛するスポーツマンである。
隔週でメンテナンスをしているけど、腰椎下方の硬直はまだ取り切れていない。
股関節の可動域が狭まって、それでも走ろうとすると、太ももの筋肉に過負荷がかかるのではないだろうか?
もしかしたら、太ももの硬直は、腰椎や骨盤が固まっているのが原因なのかもしれない?

腰痛持ちの患者さんには太ももが硬い人が多いのだけど、その理由が判明したのである。
テニスクラブのNさん(現在73歳)はKさんの来院のきっかけになった女性である。
2013年にひざ痛の治療をしたあと、現在も支障なく走っている。(→「左膝痛で来院、右膝には昔の半月板損傷」で紹介)

コロナでしばらく中断したあと、背中から腰まで甲羅のようになっていて、ほぐすのに苦労している。
「草取りをすると腰が痛くなる」と言い、年中腰痛と格闘しているそうなのだ。

1年前から、左鼠径部()と太もも()の痛みに悩まされるようになった。
「テニスをすると悪化する」「ダッシュのあとで悪化する」とのことで、一進一退に手こずっているのである。

前回の治療時に、テニスのときは腰にテーピング()をして、そのうえコルセット()もしているという話を聞いた。
73歳
え~!と驚いた。
腰痛に効果のあるテーピングがないことは私が経験済みである。骨盤の筋肉は縦横に張り巡らされているからだ。

コルセットもご法度である。コルセットに支えられていると筋力が落ちてしまう。それぞれの筋肉の可動域が制限され、団子でしか働けなくなる。

腰痛」があるだけマシなのだ。MさんもKさんも腰痛をまったく感じていなかった。
甲羅が薄れてきているのに、コルセットをしてテニスをするのはもったいない。それでは「完治」は望めない。

「テニスで動く」ことが治癒の秘訣なのである。
自分で自分の腰を後ろ手で治療するようになって、えらい苦労を重ねてきた。
壁打ちで快方に向かい、ラリーで快方に向かう。深部にある細かい筋肉までひとつひとつに鍼を打つことはできないので、「動く」ことが完治への道なのである。
ダブルスをやってまた快方に向かい、シングルスのあとで「治った」という経験もした。

走れるようになったからこそ、遠くのボールも取りに行く。
腰でん部を固めた状態でダッシュをするせいで、左鼠径部()と太もも()に過負荷がかかってしまうのである。

Nさんはぎっくり腰を恐れているけど、壊れたときが深部の硬直を治療するチャンスで、そのあとグーンと可動域が広がるのだ。

・・・というわけで、Nさんに新たな挑戦をお願いしたところである。
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