12/29(月) |
体調は今が最高 |
今年受け取った年賀状を見ながら、来年のを書いていたときに気がついた。
年上の人だけでなく、同世代の友人たちから、体力の衰えとか、自分や家人の病気とかの報告がたくさんあった。
私は、不思議なことに、今までの人生の中で、「今」が一番体調がいい。
何十年も胃の不調で悩んでいた私。胃の痛みとお友だちで、どんどん食が細くなり、どんどん痩せていった。
飲み会などの暴飲暴食のあとは、1週間は不調がつづく。
いつもいつも、胃の悲鳴と相談しながら生きてきたようなものだった。
3年前の春には最悪の状態になった。
毎日、いつもいつも胃が痛くて、体重も41キロまで落ちた。『きっと癌に違いない』と思った。
だったら、ぎりぎりまで楽しく生きたい。残りの人生を病院で過ごすのは、まっぴらごめんだ。元気があるうちに、スペイン旅行に行っておこうと思った。
(ヴェルが肺水腫になったために、旅行はキャンセルしたが・・・)
その年の夏、何十年も常飲していたウーロン茶が原因だったことに気づいた。
ウーロン茶をやめて、生協の神農茶(ドクダミ、はと麦などが入っている)と、ほうじ茶をブレンドして飲むようになった。
それ以来、少しずつ良くはなってきたのだけど・・・
決め手は、お灸だった。
おととしの冬、「絶対、胃を治そう」と決心した。それまでは、調子の悪いときだけお灸をしていたんだけど、良くても悪くても、毎朝、お腹にカマヤミニをすることに決めたのだ。8ヶ月間、毎日お灸をつづけた。
そしたら、なんとなんと、長年の胃の不調からついに解放された。
夜中の12時を過ぎたらドカ食いをしないとか、それなりに気をつけてはいるけど、今では、飲み会が連日でも平気になった。不摂生のあとは、胃が重かったりとかもあるけど、すぐに治ってしまう。
1.2人前ぐらい食べられるようになった。どんどん太っていくかと思ったけど、44キロぐらいでとどまっていて、まだかなりの細身ではある。
久しぶりの患者さんに、「あのときは、あまりにも痩せていて、この人、病気なんじゃないかしら?と思ったけど、ずいぶん健康そうになったわね」と言われた。
他にも、私が癌なんじゃないかと思っていた人がいたのかもしれないね。(笑)
友人にも、「そういえば、痩せてはいるけど、ガリコさんじゃなくなったわね」と言われた。痩せてはいても、逞しい?
K先生にも、「みんなが筋肉が落ちていく年齢で、これだけ筋力がアップしていくのはすごいですね」と感心された。まだまだ、現在進行形である。
12月に入ってから下痢が止まった。
6月2日にヴェルが亡くなって以来、半年間、毎日下痢をしていたのである。たぶん、神経性だと思う。お腹が痛いとかは、一切なかったから。
子どものころから下痢はお友だちだったから、ぜんぜん心配しなかった。
不思議なことに、胃痛に悩まされていた間は、下痢とは無縁だった。
もう立ち直ったと思っていたのだけど、心って、そう単純なものではないらしい。半年たって、やっと喪があけたのかな?
お散歩している犬を見られなかったけど、最近は逆である。特に、チワワを見つけると、つい目で追ってしまう。
「ヴェルの思い出」を整理して、追記を書いているのであるが、写真やエピソードがたくさんあってよかったと、つくづく思う。
ときどき、無性にヴェルに会いたくなるけど、ぬいぐるみで我慢している。
今年は1回もぎっくり腰にならなかった。(最終はちょうど1年前である)
ここ数年の腰痛は、広背筋など、テニスで腰を回転させる筋肉と関連していた。やりたいテニスに見合うだけの筋力がついたのだろう。
年頭の頚椎症もすぐに治って、首・肩こりもほとんど気にならなくなった。
隔週でのK先生の治療と、毎日やっている360度ストレッチのおかげと思う。
姿勢が良くなったんだよ~。
若い頃の私のトレードマークだった「猫背」も、今では片鱗しか残っていない。
同年代が、そろそろ、身長が縮んだり、首や背中が丸くなったり、腰が縮まっていく中で、生まれてはじめて「背筋を伸ばす」快感を味わっている。
そういえば、この間、「水戸黄門」を見ていたとき、思いついたことがある。
寺子屋をやっている無職の浪人と、家老の息子が対決をした。姿勢がいいのは浪人のほう。背筋をピンと伸ばし、剣を構える姿は、まさに正義の人。息子のほうは背中が丸まって、見るからに悪人である。
日本人はストレート・ネック。そのせいで、日本人だけが、首・肩こりや頚椎症になると、友人がアメリカで医者に言われたそうだ。
うちの患者さんも、しょっちゅう治療に来る人は、みなさん背骨がまっすぐである。それだけじゃなく、ところどころ、ありえない方向にカーブしている。
日本列島に背骨の形が悪い祖先が上陸して、多くの子孫を残したせい、という仮説を立てていたのであるが・・・
もしかしたら、「崇高で正しい人間は、背筋がシャンとしている」という武士道的な発想から、まっすぐな脊柱が好まれたという、自然淘汰によってのことかもしれないね。
子どものころから、「病弱」と言われた。でも、「元気でエネルギッシュ」とも言われてきた。このアンバランスが、いつも私を悩ませてきた。
だから、鍼灸に興味を持ったのかもしれない。
華奢な身体で無茶をつづけてきたけど、今が一番、体調がいいんだよ!
・・・と、ここでいったん自慢をさせてね。
病院も行かないし、血液検査すらしたことがないから、もしかしてどこかに病気があって、急に死ぬかもしれないものね。(笑)
今日は仕事納め。明日から、年末年始の休暇がはじまる。
元日は一族の大集合。大掃除もしなくちゃならないし、山のようにお料理も作らなくちゃならない。
それなのに、なんと、元日以外、毎日テニスの予定が入っている。楽しみだけど、身体がもつか、ちょっと心配でもある。 |
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12/21(日) |
パズルのピースがはまりはじめた |
大昔、ジグソーパズルに熱中したことがあった。
はじめは、まっさらな台紙の横に、何百枚ものピースが山になって積まれている。小さなピースを1こ1こ台紙にのせて、1枚の絵を完成させる。
食卓の上にパズルを広げていたので、床でご飯を食べる羽目になるという、まことにはた迷惑な趣味であった。
この2年、私を教えてくれているクラブの先輩は、フォアのストロークだけでも百の注意事項がある人。
つまり、1つのショットにつき、100個のピースがあるのである。
「ラケットは、こう振り出して、こう動いて、こうなって、ここでボールを捉えて、面の上をこう転がして、ラケットをこう抜いて、こう振って、終わりはこう」
そして同時に、「右足はこう、左足はこう、腕はこう、腰はこう。こう動かして、こうボールを捉え、体重移動はこうで、こう動いて、こうやって、終わりはこう」
まるで分解写真のようである。
先輩の頭の中には、体の各部の動きがすべて分解、分析されていて、その通りに自分でやれる。
「理屈で覚えろ」が口癖なのだが、理屈どおりに身体が動かせるのである。
そのうえ、弟子たちのフォームを見て、ラケットと身体の動きを観察し、細部の不出来を矯正することができる。
注意事項も、1つ、2つぐらいまでは、なんとか理解できるけど、3つ、4つ、5つとつづくと、もうお手上げだった。
頭の中はぐちゃぐちゃになり、自分が何をやっているのかも分からなくなる。
言われたとおりにやろうと必死なのであるが、出来ているのかいないのか、それすらも把握できなくなる。
でも、ラケットが振れなくなったことは一度もない。それなりに打てる。それも先輩のコーチ能力のすごいところだ。
そして、ちょっとずつフォームが身についてきた。
今までずっと頭の中は、ピースがゴッチャゴチャになっている状態だった。
練習をしながら、あのピース、このピースと拾い上げる。1つをはめれば、別のが落ちる。「この間教えたでしょ。また忘れたの!」と怒られる。
ところが、ところが、このところ、ピースがあらかた糊付けされたようなのである。
サーブやストロークのフォームが、自分の頭の中で、やっと「絵」になった感じがする。自分なりのフォームが分かりつつある。
1人でやってて『おかしいな?』と思っても、落ちたピースを拾い上げられる。どこが悪かったのか分かるようになってきたのである。
「はじめから、あらゆるピースを教える」という教え方が、新しいことを覚えるときの、いつもの私のやり方と似ていることに気づいた。
ホームページを作ったときや、パソコンの修理をしたとき、経理の勉強をしたときなど、図書館で同じテーマの本を一度に何冊も借りた。
1冊目を読んでいるときは、書かれてあることがまったく分からない。
分からない本を読むのはけっこう苦痛なのだけど、がんばって読みつづける。2冊目、3冊目と読んでいくうちに、なんとなく分かってくる。
5冊ぐらい読みおわる頃には全体が見えるようになり、必要なことがちゃんと理解できるようになる。
自閉症の人は、generation(普遍化)が苦手と言われている。
私の脳はとても自閉症的なので、普通の人のピース1個分のスペースが、100個ぐらいに細分化されている。
100個のピースが埋まって、やっと1つの事象が理解できるのである。
あらゆることを分析、分類してからでないと統合できない私にとって、テニスクラブでの先輩との出会いはほんとうにラッキーだった。
教わる過程で次から次へ、いろんなピースを投げ込まれ、頭の中の台紙に、必死になって当てはめていく作業をつづけてきた。
はめただけでは落ちてしまう。定着させるには、くり返しやってモノにしなければならない。
糊付けされてしまえば、1個や2個落ちても、貼り直しができる。すべてが糊付けされたあとは、いつでも取り出して眺めることができる。
各ショットのジグソーパズルは、完成に近づきつつある。だから、「やった~!」とここで1回、喜んでおこう。
「絵」になったからといって、それを身体で表現するのは難しい。
ゲームのときは、どこにボールが飛んでくるか分からない。常に正しいフォームで打つためには、ボールの予測、コートの中での動き、ショットの選択、戦術など、まだまだゴッチャのままのピースがたくさんある。
これから次のチャレンジがはじまる。目標があるって、ほんとうに楽しいね~~ |
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12/6(土) |
「怪我の巧妙」だらけである |
久しぶりの再開のときは、ずいぶん勇気がいったけど、やったほうが良くなることを実感して、それ以来、ほぼ平常どおりにテニスをしている。
先週はゲームにも入れてもらった。
ゲーム再デビューの相手は、優しくて、気心が知れていて、全力でやらなくてもいい女性たちだった。
1年半前のスランプ脱出のきっかけになった人たちで、1人で練習していたら、たまたま向こうから声をかけてくれたのである。
ラッキー!
コートの中をほぼ普通に走れたので、「ほんとに怪我してるの?」なんて言われたけど、頭を越されるロブだけは追えなかった。
左足で地面を蹴って、身体を右に反転させ、うしろに下がらなくちゃならない。ボールを見上げた瞬間に、「無理」と身体がフリーズ。ピクリとも動けない。
左足の第三腓骨筋は、地面を蹴るときに使う筋肉だったのだ。
サーブも怖かった。左足に右足を引き寄せて、両足軸足で前方に軽くジャンプしながら、サーブを打つ。
その瞬間、左足の第三腓骨筋に、全体重がかかるのである。
なので、歩くようにしながら打つフォームでしのいだ。セカンドはアンダーサーブだから、まったく支障がなかった。
テニス肘のとき、ラケットを上に振り上げられなかった期間があった。そのときにアンダーサーブを覚えたことが、今回も役に立った。
さて、今週はフルコースでテニス。
3週間を過ぎたので、なるほど、普通にゲームができる。うしろのボールも追えるようになった。まだ、全力で下がるのは怖いけど。
たぶん、この寒さのせいと思う。やりはじめは軽い痛みがある。でも、患部が温まってくるにつれ、気にならなくなる。
テニスのときはテーピングをするけど、普段のテーピングはもうやめた。
なるべく早く、あちこち硬くなった筋肉や靭帯をほぐさなくちゃならない。完治のためには、ストレッチが大切なのである。
怪我の巧妙がたくさんあった。
不思議なことに、休んでいる間に、ちょっと上達していた。
いつも、頭から突っ込むような、がむしゃらなテニスをしていた私だけど、故障のおかげで、かえって展開がよく見えるようになった。
人にどう思われるか気になって、集中を欠いてしまうという悪い癖も、故障中なので、逆に居直れた。雑念に邪魔されないテニスができた。
私は、クラブの先輩たちに育てられたようなもの。テニスを教えてもらい、仲間に入れてもらい。。。
みなさん応援してくれているし、私の上達を喜んでくれている。
もちろん、中には性格の悪い人もいる。「絶対、抜いてやる」という気持ちがバネになるので、意地悪も(逆説的に)ありがたい。
テニスクラブは実力の世界である。
ヒエラルキーの最底辺からはじめて、あの人を抜き、この人を抜きと、この2年ぐらいで、まさに下克上で上達してきた。
精神的プレッシャーは相当なものがある。
肉体を酷使したせいで怪我をするのか、それとも精神的に煮詰まってが原因なのか・・・、まことに微妙である。
走り出したら、自分からは止まれない・・・
そんな私に、神様が心の休養を与えてくれたように思える。
自分の中にある「負け犬」の心。「無理に決まってる」とか、「できなくて当たり前」とか、「負け犬」がときに自分の足を引っぱる。
休んでいる間に、決心した。
中途半端なショットを打っていると、フォームが縮こまる。せっかくの練習がゲームで生かせない。
どんなボールも全力で打とう。ミスしても、ミスしても、やりつづけよう。悔いのないテニスをしつづけようと、(今度こそ、本当に)決心したのである。 |
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11/26(水) |
第三腓骨筋の肉離れ、その後 |
ねんざと肉離れを両方やっちゃったから、すごい大変なことになった。
ねんざをかばえば、肉離れが悪化。肉離れをかばえば、ねんざが悪化。そのため、なかなか思うように回復しなかった。
朝は透熱灸のあと、テーピングして仕事。夜はハリを打ってからテーピングして眠る。そんなパターンを毎日つづけた。
ときどきベッドの上に横たわって、手の届く範囲で全身治療もした。K先生にも1回、治療に来てもらった。
部分治療だけのときより、効果は抜群で、しばらくは足を痛めたことも忘れるぐらいスタスタ歩ける。
第三腓骨筋が動かせるようになるまで、1週間ぐらいかかった。「動け」と脳が命令しても、ピクリとも動かない。筋断裂で使用不能だったんだね。
ピクリと動きだすまで1週間、ほぼ100%動かせるまで10日ぐらいかかった。
ずっとびっこを引いていると、あらゆる筋肉と関節が、それに見合う形でシフトされていく。かばって動いている間に、身体が歪んでしまう。
いつの間にか、普通に歩くやり方を忘れてしまう。
家の中とか治療室の中とか、狭い範囲を歩く分には、あまり不自由を感じなかったのだけど、パルコと西友に買い物に行ったときは途方にくれた。
『どうやったら、まっすぐ歩けるんだろう・・・?』
痛みそのものはわずかになったが、体がこわばっているので、普通に歩けない。
治すためには、「ちゃんと普通に歩く」ことが必要だ。こわばった筋肉を正しく使う。そうやって、動きながら筋肉をほぐさないと完治しない。
必死になって歩いているうちに、歪みが取れはじめ、患部の痛みも減少した。
2週間目、ついにテニスを再開した。
肉離れの場合は、1週間で「小走り」、2週間で「練習復帰」、3週間で「試合に参加」が、私のメソッド(medi art)である。
それなのに、いざ、自分のこととなると怖い。テニスができるとはとても思えなかった。でも、患者さんにうるさく言っている手前、やるしかないと決意した。
クラブの先輩が教えているサークルの練習会に参加させてもらった。練習なら、ヤバイと思ったら、すぐに中断できるもの。
バイクを停めた場所からコートまで、けっこうな距離がある。
どうしても軽くビッコを引いてしまう。まだ脳に障害がインプットされていた。普通の歩き方をするには、まだあちこち歪みが残っていた。
あまり動かないでいいように、ショートラリーからはじめた。基本の動きとラケットワークを主に練習した。
「遠いボールは無理して取りに行かないように」と言われたのだが、けっこう動けた。第三腓骨筋をかばったまま走ったんだけどね。
やっぱり、テニスをしてみてよかった~~
終わったあとは、かえって良くなった。帰り道はビッコを引かずに歩けた。カマヤミニ程度の治療でもかなりの効果がでたぐらい。
ここでこじらせないように気をつければ、来週あたりには普通にテニスができそう。
自分が故障をすると、ほんとうに勉強になる。
いつものことであるが、テニスライフには故障はマイナスかもしれないが、鍼灸師としてのキャリアにはプラスに働く。
今回負傷した第三腓骨筋は、外果の前側をとおる筋肉で、足首を外にひらく(外反)と、足背を持ち上げる(背屈)に使う。
昔、ねんざと思っていた患者さんの中に、短腓骨筋を損傷していた人がいたので、暇な時間を利用して、症例47「ねんざ(足首)3 短腓骨筋」を更新した。
短腓骨筋は、外果のうしろ、アキレス腱との間を通り、足首を外にひらく(外反)は同じだが、爪先を伸ばす(底屈)に使う筋肉である。
どちらも小さな目立たない筋肉である。
ねんざの治療にてこずった患者さんの中には、どちらかの筋肉の損傷の人がいたのかもしれないね。
興味のある人は読んでね~。 |
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11/12(水) |
新しいラケットを買ったのに・・・ |
このところスランプがつづいたのは、ラケットが壊れているからなんじゃないか?と思うようになった。
前のラケットは、テニススクールに入って半年目に、2人のコーチのおススメで買ったウィルソンである。扱いやすくて、急に上達した感じだった。それ以来愛用してきたんだけど、10年も使ったのだもの。
経年劣化もするし、金属疲労もあるかもしれない。夏にボールを取ろうとして、2度ほどコートをぶっ叩いたこともあった。
私って、車やバイクに超敏感なんだよね。「ちょっと変」とお店に行くと、「こんなの普通は気づかないよ」と、小さな不具合が見つかる。
ラケットが扱いづらくて、思うように打てない感じも、技術的な問題じゃなく、ラケットの不具合かもしれないじゃん。
今までのラケットに似たものを探そうと思った。
ラケットって、どうやって選ぶのだろう?
クラブの先輩たちや、お店の人にあれこれ聞いて、だいぶラケットに詳しくなった。
今までのラケットは、かなり軽量だけど、バランスは真ん中辺にある。
軽いラケットは、どうしてもヘッドのほうが重くなりやすいらしい。ヘッドヘビーだと、ストロークで強いボールが打ちやすいんだって。
ボレーの微妙なラケットワークにはヘッドライトがいいらしい。
調布のときわスポーツで試打用のラケットを借りてみた。軽くて、バランスがよくて、前のと同じウィルソンか、ナダルと同じバボラがいいなあ・・・。
そうなると、数あるラケットの中で、候補になるのは2本しかない。
1本目、ウィルソンのスピンを借りた。ガットの本数が少なくて、すごい回転がかかると聞いた。たしかに、サーブやストロークですごい回転がかかっている。難ありのバックハンドがバシンバシンと打てた。
でも、ボレーやスマッシュが当たらない。前のより10インチ、面が小さいせいかも?
2本目、バボラのピュアドライブを借りた。サーブとフォアは違和感がなく、自分のより打ちやすいかも。バックハンドは心もとない。
でも、面が小さくても、ボレーとスマッシュは、ちゃんとボールに当てられる。
バックハンドはラケットに合わせて練習すればなんとかなると思うが、ボレーは瞬間の動きなので、ボレーが打ちやすいほうがいいと思った。
憧れのナダルと同じメーカーだし、しかも見た目がかわいい。 
というわけで、試打2本目で決めてしまった。このNewラケットを取りに行ったとき、バイクを盗まれかかったのである。
1週間後、同じラケットをもう1本買ってしまった。Newモデルが出るために半額だったし、1本では、また壊れたときに不安である。
みなさんには反対されたけどね。
女子は(非力なので)ガットが切れないから、1本あれば十分、とか。ゆっくりと2本目を探したほうがいい、とか。
でも、私は買い物が嫌いだから、ラケットを探す面倒は1回で終わらせたい。
いつも以上に張り切って、ガンガン、テニスをしまくった。
そしたら、月曜日、左足首を捻挫してしまった。
何度も捻挫をしているので、どうせまた、ゆるんだ靭帯を伸ばしただけだろう。そう思って、テーピングだけして、そのままゲームをつづけ、2つもやってしまった。
去年の暮れの「魔物のような」捻挫のときは、次の日にはスタスタ歩けたのに、今回のは、今朝になっても、まだ、患部に熱を持っていた。
古傷を伸ばしたのではなく、新しい捻挫だったのだ。
朝、炎症を起こしている患部にかなりの治療をしたので、さらに痛みは増悪した。びっこを引き引き階段をおり、びっこを引き引き仕事をした。
でも、夕方にはかなり痛みが引き、そろりそろりなら普通に歩けるようになった。
足首全体の腫れが引き、痛みがあらかた和らいだあと、メインの障害部位を調べてみた。
どうやら第三腓骨筋を損傷したらしい。本には、「足指伸筋の第5の腱として知られている」と書かれてある。
足関節の背屈と外反ができないから確実だ。
「捻挫が治らない」と来院した患者さんの中には、実は「周辺の筋肉の障害だった」という人がいるんだよね。
せっかく新しいラケットを買ったのに、テニスできるのはいつになるんだろう・・・
華奢な身体で無茶をするから、年に数回は故障をする羽目になってしまう。
でも、上を目指すテニス、まだまだあきらめないぞ~~ |
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