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・・・ 出会いから編 ・・・
ヴェルの思い出
2014 ・ last page
7月13日 6月2日のこと・・・
その日は月曜日で、私は仕事がお休み。ゆっくりヴェルの看病ができる。
前の日、ひとまわり小さくなったヴェルだけど、朝、またお腹のあたりが大きくなっていた。

腹水がたまっていたのかもしれないね。肝臓とか腎臓が機能低下すると、腹水がたまるらしいから。
呼吸はゆっくり穏やかだったので、肺の水ではなかったのかもしれない。

私のおふとんにヴェルを連れて行き、横になったまま、また古方あんまをやろうとした。でも、ヴェルが嫌がった。

手足が立たないので、腹ばいになったまま、バタフライでおふとんから逃げて行った。ヴェルの背中に手を伸ばして、しつこく按摩しようとしたら、『いや~ん』、『いいよ~』、『やだよ~』と、人間の子どものような声で言いながら、どんどん遠ざかっていった。

『いや~ん』、『いいよ~』、『やだよ~』って、ほんとうにそう言ったんだよ。
人間語をマスターしようとしてがんばってきたヴェル。ついに会得したか・・・

仕方がないので、背中に鍼を2本打った。エアコンの風の下に、ヴェルのバスタオルをかけた座布団を置いて、その上に寝かせてみた。
冷たい畳の上がよかったらしく、またバタフライで移動。座布団からおりて、畳の上に寝そべった。

お水のお皿を顔の近くにおいたら、ペロッとお水をひと舐めした。すぐに顔をそむけ、お皿から逃げた。
「飲んでくれた!」と喜んで、またお皿を顔の前に置いたが、どんどん逃げていくので、あきらめた。

あんずには朝6時ごろメールをしたのだが、10時ごろ、「気づかなかった」と電話があった。
だんなのご飯を用意してから電車で来ると言う。

おしっこは丸1日半していない。尿毒症が心配だ。
あんずが来たら、2人がかりでヴェルをトイレシートの上に立たせてみようと思いながら、ヴェルの様子を見守った。

ヴェルは相変わらず、横たわったまま、ひたすら息をしていた。私がゆったりしているので、安心しているみたい。

11時半ごろ、急にヴェルが元気になった。バタバタと動き回り、顔をあげて私を見た。

ヴェルの目に光が戻り、キラキラと輝くまなざしで私を見つめた。

「元気になった!」と喜んだ。
・・・これなら、もう1週間ぐらいは、なんとか生き延びてくれそうだ・・・

そう思って、パチリと写真を撮った。
これが、ヴェルの最後の写真になってしまった。

あらためて、今見ると、全然元気に見えないね・・・
でも、2週間、ずっと目がどんよりしていたから、すごく元気になったように感じたんだよね。私に何かを言おうとしていたみたいだった。

その瞬間、あんずから電話が来た。
携帯でしゃべりながら、そのまま台所に行った。電話が終わって、まだ写真の保存をしていなかったことに気づき、いそいで保存した。

あんずが来たら一緒に食べようと、ごはんのしたくをはじめた。
ヴェルは糠漬けが大好きだから、きゅうりの糠漬けなら、食べてくれるかもしれないと思った。

居間に戻って、ヴェルの隣の座椅子にドカッと腰を下ろし、ヴェルの鼻先に、きゅうりの糠漬けを差し出した。

やっぱり、反応しない。
昨日から、プリンやらお菓子やら、ヴェルの大好きなものを次々にあげてみたけど、すべて無視していたんだから、当然だよな、と思った。
鼻も乾いているしな・・・

ふいに、不安が胸をよぎった。「そうだ、背中、背中。呼吸を確認しなくちゃ」と、あらためて、ヴェルの背中を見た。

えっ、動いていない?

まさか!

7年半の間、ずっと恐れていたことが、ついに現実になった。ヴェルの背中は動いてなかった。もう呼吸をしていなかった。

本当に死んでしまったのだ。

じっと動かないヴェルの亡骸。

そばについていてあげようと思ったのに、ひとりぼっちで逝ってしまった。

泣きながら子どもたちに電話をした。
その電話が11:57'で、あんずからの電話が11:38'だったから、その間。
私が台所にいた間に移動して、上の写真から、180°逆向きになって、私の座椅子のすぐ横で息絶えていた。

ヴェルは境界を越え、別の世界に旅立ってしまった。生きているものと、死んだものとの境界は、深く険しく、ほんとうの別世界である。

暑い日だったので、亡骸はどんどん腐ってしまう。冷凍庫から保冷剤を持ってきて、ヴェルのお腹に当てた。でも、『もし、まだ生きていたら、凍えてしまう』と不安にかられ、あわてて冷凍庫に戻した。

ヴェルの亡骸をなでて、匂いをかいだ。まだ温かみが残っていた。みるみるベロが黒ずんでいった。

でも、もしかしたら、私が部屋に入った瞬間は、まだ息をしていたのかもしれない・・・私の姿を見て、安心して最後の息を引き取ったのかも・・・
そう思いたい。

あんずが到着し、2人でヴェルを撫でながら、わあわあ泣いた。
ついにあきらめて、亡骸のまわりを保冷剤で囲んだ。

友人に電話をかけ、数年前に犬を亡くした人が深大寺で火葬してもらったという話を聞いた。

長男も次男も仕事が忙しいので、ペットが死んだからという理由で、早引けしたり休んだりはできない。
ヨーコが来てくれることになったので、その日の夕方、3人でヴェルを火葬することにした。

ベニヤ板の上にバスタオルを敷いて、ヴェルを横たえた。胸とお腹に、冷凍のホットケーキを抱っこさせた。
あんずが、ヴェルの象とうさぎのぬいぐるみを探し出してきた。
私が「思い出に取っておきたい」と言ったら、あんずが「ヴェルひとりで行かせるのはかわいそうじゃない!」と言った。そりゃそうだ。

写真は携帯とパソコンの中に入っている。自宅にはプリンターがないので、写真を飾ることはできない。でも、いいよね。心に思い出があるから。

2人でヴェルを車に乗せ、調布駅にヨーコを迎えに行った。ヨーコが小さな花束を買ってきてくれた。

そのまま深大寺に行く予定だったけど、まだ時間がある。ヴェルの遺髪がほしかったので、飾り毛を切るためのハサミを取りに自宅に寄った。

くるくるとカールした、ヴェルの耳のまわりの飾り毛が大好きだった。体中の毛を短くカットしたときでも、飾り毛だけは残していた。
でも、あんまり切っちゃうと、あの世で会ったときに、ヴェルとわからなくなっちゃうものね。ちょっとだけもらうね・・・

まるで人間と同じ。父が死んだときと同じように、火葬の手順が進んだ。
泣きじゃくる私たち。ボイラーの中に、ひとり入っていったヴェル。死は無情である。死者は肉体を葬りさらねばならない。

お骨を拾い集め、骨壷に入れ、箱に入れ、ふろしきに包んで、ヴェルのお骨を持ち帰った。深大寺は近いけど、忙しすぎて、お墓参りは無理。
本棚に入れてある父の位牌の隣に置いた。

深大寺に着いたとき、小さなウサギがどこにも見当たらなかったので、ヴェルは象だけをお供に旅立ったのである。
自宅の駐車場にウサギが落ちているのを見つけた。

鏡の中のヴェルの写真をとったとき、私の携帯からぶら下がっていたのは、私のお守り「フマレコⅢ世」である。
数日前に紐が切れて、机の上に置いてあった。これは神様の思し召しと思い、ウサギとフマレコⅢを、お骨の上にのせた。
ヴェルを守ってね~

ヴェルが死んで1ヶ月ぐらいは、亡骸を思い出しては泣いていた。かわいそうで、かわいそうで、どうしようもなかった。

やっとこのごろ、ヴェルの死はけっしてかわいそうじゃなかった、というふうに思えるようになった。

天寿をまっとうしたはずだ。
脳も身体も少しずつ壊れていき、肉体という「形」を維持することができなくなっていった。
苦しい思いもせず、痛い思いもせず、私がなんとかしてくれると信じたまま、家族のそばで安心して、静かに最後を迎えた。

「死ぬ直前に、最後の命の炎をすべて燃やしつくして、一瞬元気になる」という話を聞いていたのに、「元気になった」と勘違いした私。
「最後」と気づいて、そばにいてあげればよかったのに、バカな飼い主である。それが心残りだ。

ヴェルのおかげで、小4から悩まされつづけた不眠症が治った。
「ヴェル、かわいい~」と、腕の中のヴェルに気を取られているうちに、目覚めると朝になっている。「眠れなかったらどうしよう」という強迫観念から解放されたんだね。
ヴェルにたくさんの幸せをもらったけど、これもプレゼントのひとつ。今も不眠症は大丈夫だよ。

まだときどき無意識にヴェルを探してしまう。
「どこで寝ているんだろう?」「ちゃんと息をしているかな?」と、ヴェルの居場所と体調を確認してきたクセが、なかなか抜けない。

パスタを茹でるとき、『あ、ヴェルの分を取り分ける必要がないんだ』と気づく。
お肉料理をしながら、『ヴェルのご飯は作らなくていいんだ』と思う。
自分の荷物だけ持って、どこでも1人で自由に出かけられる。旅行にだって行かれる。でも、新しい生活にまだなじめない。

ヴェルはもう、思い出の中にしかいない。ヴェルを撫でたり、ふわふわの毛に顔をうずめることもできない。ヴェルの感触や温かみや重みの記憶も、そのうち消え去ってしまうんだろうな。それが悲しい。

「最後の日」をなかなか書くことができなかった。
やっと書けるようになってからも、ちょっと書くとつらくなってページを閉じる。それをくり返して、何週間もたってしまった。

来週20日が、四十九日だって。その日に魂が彼岸に行くらしい。

でも、ヴェルはひとりでは行けないと思う。お散歩で外に出ても、そばを離れなかった。遠くへ行きたいときでも、何度も振り返って、私がいるのを確認してた。
自分では水1杯飲めない犬だもの。
たぶん、そのへんをウロウロして、私が逝くのを待っているんだろう。

私が死んだらヴェルの骨も一緒に焼いてもらって、遺灰を海に流してもらって、ふたりで世界中を冒険の旅にでるんだ。
よろしくね~。
○ ○ 追記 ○ ○
追記・33 新しいチワワがやって来た
愛する犬を亡くしたつらさは、筆舌に尽くしがたかった。いてもたってもいられなくて、9日間連続で仕事。胸に杭を打たれたように、悲しみが胸に突き刺さり、喪失感におそわれて、ほんとうにつらかった。

それでも日がたつにつれて、悲しみのすきまに、楽しかった思い出が混じってくる。「かわいかったなあ~」という幸せな瞬間のほうが、だんだんに多くなっていく。

「ヴェルの部屋」をのぞくことが癒しになった。
ブログというのは最新ページから入るようになっている。いつもいつも亡くなった日に直面するのはつらずぎる。
ヴェルが来た日から読めるように、順番を変える作業をはじめた。

2年以上が過ぎ、作業が終わりに近づくにつれ、最後の日々に近づいていった。だんだん筆が鈍ってくる。

いきなりラストスパートをかけて完成させたのは、うちに新しいチワワが来たからなのである。気持ちを切り替えなくちゃね~
今日、ペットショップに引き取りに行ってきた。

5月27日生まれの男の子(まだ名前は決まっていない)なのだが、今まで半年以上、誰も引き取り手がなく、ずっとペットショップで暮らしていた。

年末から家の模様替えをはじめたので、ホームセンターにたびたび出入りするようになった。
あんずと一緒に、ほんとうに久しぶりにペットショップに立ち寄った。やっと、他の犬を見れるようになったのである。

売れ残りのチワワがいた。いつ行っても、まだ売れ残っている。気になる。どんどん心配になる。
ヴェルとちょっと似ているけれど、でもぜんぜん違う・・・と思った。

治療室でうろうろ歩き回っていたら、ドサッと何かが落ちる音がした。「何だろう?」と思いながらも放っておいた。
パソコンに向かってふと下を見たら、本が落ちていた。拾い上げてみると、なんと、「チワワのしつけと飼い方」という本だった。

本棚にぎっしりと並べられた本の間から、手も触れていないのに落ちたのである。その本の存在すら忘れていたというのに!

これは神様のお告げかも?と思い、気持ちが揺らいだ。そして、次から次へと、不思議な偶然がつづいて起こった。

自由がなくなる・・・、テニスに行きにくくなる・・・、お散歩もしなくちゃならない・・・、また犬のご飯を手作りしなくちゃならない・・・1時間早く起きなくちゃならなくなる・・・

でも、かわいい犬を抱き、ふわふわの毛に触れたら、ものすご~く幸せな気持ちになった。こんな幸せを抑制する意味はないな・・と思った。

「誰かに飼われてほしい」という気持ちから、「他の人に取られたくない」という気持ちに変わり、ついに決断したのだ。

かなり大変そうである。半年以上もペットショップ暮らしだったから、犬らしさがぜんぜんない。トイレの躾もされていない。

いろんな人に偶然がつづいた話をしているうちに、なんとなく、神様じゃなく、ヴェルのお告げだったのかもしれないと思いはじめた。
「この子を飼ってあげて」とヴェルにお願いされたようなのだ。

その顛末は新しいページに詳しく書くつもり。ゆっくり待っててね~
updated: 2017/2/5
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