2008/6/8(日) |
[映]フリーダム・ライターズ |
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久しぶりに感動の映画に出会った。ヒラリー・スワンク主演の、実話をもとにした映画である。監督はリチャード・ラグラベネーズ。「勇気あるもの」のダニー・デービト、スワンク自身も製作にかかわっている。
ネタバレありなので、映画を見てから読んでね。
弁護士の資格を持つエリン・グルーウェルは、「罪を犯したあと、法廷に立って弁護をするときには、もう手遅れ」と、高校の国語教師になった。
エリンが選んだのは、ロサンゼルス郊外、ロングビーチにあるウィルソン公立高校だ。貧しさ、暴力、家庭崩壊、そして死が、子どもたちから希望を奪っていた。
1994年、ロス暴動の直後で、人種間の抗争がますます激化していた。黒人、ラティーノ(ヒスパニック)、アジア人などに分かれての殺し合い。みんなが「戦争」に巻き込まれていた。友達や家族が何人も殺された。
「戦争」が、高校の中にも持ち込まれていた。卒業まで生きのびれるかどうかもわからない、そんな生徒たちの、白人の女教師を見る目は冷たかった。
子どもたちの現実を知って愕然としたエリンは、自分の思いを、書くことで表現してもらおうと、ひとりひとりにノートを手渡す。
彼らの日記帳を編集して出版された本の題名が「フリーダム・ライターズ」だ。
ウィルソン校では、人種差別撤廃の法律によって、地域に住むありとあらゆる人種が通うようになった。それまで白人だけが通うレベルの高い学校だった。教師は、クラスを能力別に分け、新米教師のエリンは、落ちこぼれだけを集めた1年生のクラス。他の先生たちは、とっくにさじを投げていて、熱意に燃えるエリンにちっとも協力してくれない。
エリンは、生徒たちに本を与えるために、アルバイトをはじめた。
エリンの熱意が子どもたちに伝わる。日記を書いて、本を読み、歴史や世界のことを学んでいった。
生徒たちはだんだん変化していく。希望を持ち、物事に前向きに取り組むようになる。何よりも、教室が「家」になる。信頼しあえる先生や友人に囲まれ、安心して自分を語れる仲間ができた。
アンネの日記を読んで、ホロコーストの記念館(寛容の博物館)に見学に出かけ、生き残りのユダヤ人たちとレストランで食事。これらの費用も、エリンがアルバイトで稼いだお金だ。
ついには、生徒たちみんなでお金を集め、アンネをかくまった老婦人、ミーブ・ヒースを、オランダから呼んで話を聞く。すごい行動力だ。
この映画は、時間軸に沿って撮影をしたんだって。お互い見知らぬ人間同士が、教室で出会い、演技をとおして交流し、ホロコーストの博物館の見学をする。
体験を共有していくうちに、役者である子どもたちの間にも、家族のような絆が生まれていった。それが、よりいっそう映画にリアリティーを与えることになった。
サイダーで乾杯をするシーンで、ある少年が日記を読み上げるのだけど、それはアドリブで、彼自身が自分の日記を読んだのだそうだ。エリンやみんなの目に浮かぶ涙は、本物の感動からおこったものだったのだ!
エリンの夫、スコット(パトリック・デンプシー)は、彼女の情熱を共有することができない。なんか、わかるなあ。片方が、理想に燃えてあることに熱中して、もう片方はそれに関心がもてない。ふたりの間に溝ができて、一緒にいる意味を見出せなくなってしまう。どちらが先に離婚を言い出すかは別として。
音声解説で、監督とヒラリー・スワンクが話してた。
「生徒たちは変化したいと思っていた。エリンが希望を与え、生徒たちはそれに食らいついた。スコットは今の生活に満足していて、変わりたくなかった。平凡な生活を望んでいたんだね」
監督は、映画のために、いろいろな夫婦にインタビューして、そういう行き違いの話をたくさん聞いたのだそうだ。
「愛」だけでは越えられない、価値観の違い。分かち合えるはずと信じていたけど、結局は、空回り。相手にとっては余計なお世話?
いつのまにか、別々の道を歩いていたことに、ある日気がつく。
生き生きしていく子どもたちとは対照的に、冷淡になっていく夫の淋しげな姿。はじめは反対していたけど、よき理解者になってくれる父親。そんなふたりの対比にも、考えさせられた。
いい映画には、人生が詰まっているなあ・・・ |
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2008/5/24(土) |
爪はがし事件の真相は??? |
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このあいだの日曜日の昼間、テレビ朝日のザ・スクープを見て驚いた。北九州病院の「看護師による爪はがし事件」は、どうやら冤罪だったらしいのである。
去年(2007年)の6月、北九州八幡東病院の看護師、上田里美さんが、認知症のお年寄りの爪をはがしたということで、大騒ぎになった。
でも、実は、虐待ではなく、上田さんは、フットケアの一環として、爪水虫の処理をしていただけだったのだそうだ。
日本看護協会も彼女を支持して、次のような発表をしているとのこと。→「北九州市「認知症高齢者の爪はがし事件」に関する日本看護協会の見解」
<後述: 現在はなくなりました>
上田さんを知る患者さんたちは、彼女は優しくて親切で、本当によく面倒を見てくれたと言っている。上田看護師がそんなことをするはずはない、と100通以上の嘆願書が出されたそうだ。
なぜ、このような冤罪がおこったのか・・・
① |
その前に「爪はがし」事件があった。施設で働く看護助手の男が、認知症のお年寄りたちの爪をはがし、「ストレス解消のためにやった」と、容疑を認め、世の中を震撼とさせた。 |
② |
最近は訴訟が多い。老人ホームに限らず、病院や学校や保育園などでも、訴訟を警戒して、管理職はピリピリしている。 |
③ |
上田さんは、病棟を移ったばかりだった。以前の病棟で取り組んでいた爪水虫の処置(フットケア)をいつもどおり行っていたのだが、今度の病棟では、フットケアに対する認知度が低かった。 |
④ |
それで、そのような誤解が起こってしまったらしい。フットケアのことを知らない看護師が、虐待と勘違いして、上に報告した。 |
⑤ |
現場を知らない上層部が、事実関係を調べないまま、即日、記者会見を開き、それがマスコミに報道され、そのまま起訴され、逮捕された。 |
上田さんは、102日間も拘留され、日本中の人々に、虐待看護師と思われてしまった。
ザ・スクープの取材に素顔をだして、「もう一度、患者さんに接する仕事につけたら・・・」と涙ぐむ上田里美被告。もうすぐ、彼女の裁判が行われる。
ここまでは、テレビを見ての、私の受け売りである。
人はみな「心はひとつ」と思う。ストレス解消のために他人を虐待する人もいるだろうけど、決して人道的な心を忘れない人もいる。
そして、そういう人が大半と私は思う。
実は、私も、爪水虫の治療をしたことがある。
普通の皮膚の水虫にはお灸が効く。水虫の上にお灸をすると、即、治る。
ある患者さんに頼まれて、治療のついでに、爪水虫にお灸をしてあげた。「爪水虫が治った」というところまでいかなかったが、お灸をしたあとはとても気持ちがよくて、「スッ」とするのだそうだ。1年以上つづけたと思う。
その女性は一人暮らしで、体を折り曲げるのがむずかしいので、自分で爪を切るのがとても困難だった。治療のたびに爪も切ってあげたりした。
上田さんが、水虫におかされた爪をきれいにして、患者さんに快適に過ごしてもらおうと思った気持ちは、とてもよくわかる。
(実は、身体が硬くなって、前屈ができなくなったお年寄りを何人もみて、自分で自分の爪が切れなくなったら大変だと思った。大嫌いなストレッチを真面目にやるようになったのは、もともと体が硬い私が、このままやらずにいたら、大変なことになると恐怖心に駆られたからなのである)
医療にたずさわる人間として、他人事とは思えない。仕事に対する真摯な姿勢と、患者さんを思いやる気持ちがあっても、ときにそれを実行するのは難しいこともある。
決まりきったルーチンワーク以外のことをやろうとするとき、大きな組織というのは、時には手ごわい大きな敵に回ることもある。
現場の看護師も、爪がはがされていると勘違いしたとき、なぜ、上田さん本人に事実を確かめずに、まっすぐ上司に報告に行ったのか?
協力し合って仕事をするチームワークより、一本釣りで「チクリ」を奨励する、職場の管理のやり方にも、大いに問題があると思う。 |
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2008/5/16(金) |
不思議のダンジョンにはまってる・・・ |
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毎晩、携帯のゲームをやっている。ドラクエの音楽をきくと、昔を思い出して、とってもいい気分になれるので、ついつい夢中になってしまう。
たったひとつのいい点は、あの小さい画面を見つづけているとものすごく目が疲れるので、けっこう早く眠くなってしまうことかな。やりすぎると、次の日の体調に響く。めまいのようなフワフワ感がでたり、頭痛がしたり、気持ち悪かったりする。
用心、用心。
おととしFOMAに買い換えたとき、「不思議のダンジョン」がプリインストールされていた。例のごとくはまってしまい、ヤバヤバだったけど、いったん始めたら、やめられない私。今思うと、去年のめまいの原因の一つだったかもしれない。
この1年半、ときどきダンジョンにおりて、ちまちまとアイテム集めをつづけた。プリインストール版で可能なかぎりの、武器や盾や指輪などを錬金した。
レアメタル、金の○○、スライムのかんむり、ちからのもと、せかいじゅの葉なども、それぞれ何個も取りまくり、(あくまのしっぽを除いて)倉庫はとっくに満杯。
もうこうなったら、サイトに接続するしかない。
とうとう、パケホーダイの契約をした。
自分で携帯サイトを作ってはいるけれど、作るだけで精一杯で、利用することはほとんどなかった。これからは現代人の仲間入り?
勇気の洞窟は、アイテムを一つも持っていけないので、厳しい。拾ったアイテムを利用するしかない。運が大きく作用するのだけど、ちょっと気を抜くと、あっという間に町に戻されてしまう。
攻略サイトをプリントアウトし、けっこうお勉強がたいへんだ。だからこそ、やる気になっているのかもしれないけど。
でも、どうせ、すぐにあきるんだろうな。そして、あきてもチマチマやるんだろうな・・・ |
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2008/4/22(火) |
[本]依存症から回復した大統領夫人 |
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この間から、ちょびちょびと1ヶ月以上もかかって読んだ本。
DVDで映画をみたり、図書館で借りた「らんま1/2」や、「モーツアルトとクジラ」の本など、あれこれ他の本を読みながらだったので、えらく時間がかかったけど、最後まで読む価値はあった。
うつ病と言われて、抗うつ剤や抗不安剤など薬を飲んでいる人を何人か治療したり、うつ病の友人や家族を持つ患者さんたちと、いろんな話をしたりして、薬の依存症についてずっと考えていた。本もたくさん読んだ。
私の感じでは、うつ病が治った人は、みんな薬をやめた人で、薬を飲みつづけている人は、治るどころかますます状態が悪くなっている。薬の依存症になっているのではないかとすら思える。
著者のベティ・フォードは、かつてのアメリカ合衆国フォード大統領の奥さん、つまり元ファーストレディーである。だんなさんのジェラルド・フォードは、ケネディが暗殺されたあと、副大統領から大統領になった人である。
ベティ自身は、薬の依存症であることは自覚していたという。首の神経痛(頚椎症?)にかかって、痛み止めの薬を飲むようになり、ひとつの薬に耐性ができると、また別の薬を増やし、どんどん薬の量が増えていった。アルコールと一緒に飲むと効果が強まる。
ファーストレディとしての役割と、4人の子どもの子育て、あまりにも忙しすぎる夫、完璧さにこだわりすぎる自分、、、心の問題に気づかないまま、がんばりつづけてきた。
社交上のお酒と思い込んで、カクテルパーティを催したり、招かれたりしているうちに、いつのまにかアルコールの依存症にもなってしまっていたのだった。
もちろん、アルコール依存症は体質が関係していて、そういう人は、何十年禁酒していても、一口飲んだだけで、あっという間にアルコールに溺れてしまうという。
アメリカのアルコールの依存症者の治療は、まずインタベンション(初期介入)からはじまる。
ベティのインタベンションは、末娘のスーザンが、父親(フォード元大統領)と、3人の兄に声をかけ、医師や看護師をまじえて行われた。
そのときに、はじめて家族の口から、今までそれぞれの心に秘められていた現実、ブラックアウト(記憶喪失)によるおかしな言動、数々の失策をつきつけられた。
絶望のどん底に陥りながらも、家族の愛に励まされて、治療施設に入ることを決断した。そして、その事実を公表した。
公表することに反対した人も大勢いた。女性がアル中だなんてとんでもない。ひた隠しにしなければならない、という時代だった。
でも、ベティは、家族に励まされ、勇気をもって自分の病気をカミングアウトした。アメリカ中の依存症の女性のために。
治療が終わったあと、著名人や金持ち連中から寄付を集めまくり、依存症者のための治療施設、ベティーフォード・センターを設立した。
今も運営にかかわり、アメリカ中を飛び回って講演をし、そしていまだにグループ・ミーティングにも参加しているのだ。
アルコール依存症の治療には、サポートグループの助けが不可欠だという。男性の場合は、グループに女性が混じっていても問題がないのだが、女性の場合、女性だけのグループの方が効果的なのだそうだ。ベティも多くの女性たちに助けられたと言っている。
退院したからといって、アルコールや薬物に依存することになった心の問題がすっかり解決したわけではない。性格や環境は、そうかんたんには変化しない。継続的なサポートシステムが必要なのだ。
アメリカでは、アルコール依存症の女性の80%は、1種類か2種類以上の薬物に依存している。それらの薬物が組み合わさったときの影響は、非常に強力なものになる。
ベティ自身も、山のような薬に依存していた。治療施設から帰宅したあと、アルコールの誘惑の方は、わりとあっさり退けられたそうだが、「今、あの薬を一粒飲めたら・・・」という衝動を抑えるのはとてもたいへんだったそうだ。薬の誘惑から解き放たれるのに、1年以上もかかったという。
「お酒より、お医者様が出す処方箋による薬のほうが、問題が大きい」とベティは言う。名前も思い出せないほどのたくさんの薬を、医師の勧めで飲んでいたのだ。
アメリカでも日本でも、同じ現象が起きているように思える。
リタリンなど、薬に疑問を持ち、依存症の治療をしている竹村道夫先生(赤城高原ホスピタル)の他にも、薬に依存しない治療を心がけている西洋医学のお医者さんがたくさんいるのは、本当に心強いことだと思う。
鍼灸の治療をしていて、確実なのは、痛み止めにしろ、抗不安剤にしろ、抗うつ剤にしろ、精神安定剤にしろ、薬をやめたあとは、治療効果がてきめんに増大する、ということだ。
神経に作用する薬を飲むと、気の流れが悪くなって、気の力を利用して治療する鍼灸の治療効果を損なうのかもしれない・・・? |
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2008/4/5(土) |
東京ドームで野球の観戦 |
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古い友人に誘われて、大リーグの開幕戦をみにいった。
野球にはほとんど興味がない。高校野球を夢中で見たのは、桑田と清原のPL学園時代だった。中日にピッチャー今中がいた頃、うちの子達は熱狂的な巨人ファンだったので、アンチ巨人の私と壮絶な家庭内バトルをしていた。(私は今中が好きだった!)
野球のルールは、ちばあきおのマンガ、「キャプテン」と「プレイボール」で覚えた。
東京ドームにも行ったことがない。数十年前、旧後楽園の外野席で、友人たちと芝生の上に寝ころがって、ビールを飲みながら日本ハム戦をみたことがある。それが私の唯一の野球観戦体験だ。
患者さんに話したら、「東京ドームで野球見ながら飲むビールは美味しいですよ。そのためだけでも行く価値がありますよ」と言われた。
3月26日水曜日、レッドソックス対アスレチックスの二戦目だ。残念ながら、松坂は前日の試合に登板したので、知っている人はひとりも出なかった。ラミレスがホームランを打ったとき、運悪く、ハンバーガーを買いに行っていた。
東京ドームって、一体感がある。ものすごく広いはずなのに、なぜか狭く感じる。大リーグの試合なので、どちらの選手かにこだわらず、ヒットやファインプレーで、球場全体がパチパチと拍手をするという、妙な観戦者たち。(私のそのひとりだったのだけれど)
でも、外野の広いのには驚いた。あんな広いスペースをひとりで守って、バッターが打つと同時に、球の落下点に走るのは、たとえナイスキャッチできなくても、すごいことなんだなあと実感した。
私なんか、あっという間に球が消えてしまい、野手の動きを見るまで、どこに球が飛んだのかすらわからないことがほとんどだと言うのに。 |
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日記 TOP |
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