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リョーコの手作りブログへようこそ!
2008/3/21(金) ダライ・ラマとチベット
中国でのチベット人の反乱と、中国政府の過酷なる鎮圧に、胸が痛む。

私がチベットに興味をもったのは、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画を見たのがきっかけだ。
ブラッド・ピット扮する、オーストリア人の登山家のハラーは、1939年、イギリス軍に捕らえられ、インドの収容所に入れられた。ちょうど、第二次大戦の頃だ。
2年後、友人アウフシュナイダーと脱走。2年間の逃避行ののち、チベットのラサにたどり着いた。当時は、外国人が入りこめない禁断の地だったそうだ。
だが、意外にも、チベット人たちは素朴で親切だった。ハラーはついに宮殿に招かれて、少年ダライ・ラマの家庭教師として、西洋文明や英語を教え、二人は友情を育む。
ハラーがチベットを去ったあと、毛沢東の中華人民共和国が成立し、チベットは中国の一部にされてしまう。大勢のチベット人民が殺害され、ダライ・ラマはインドに亡命した。

ちょうど、仏教に興味をもっていた私は、ダライ・ラマの自伝を読み、いたく感銘を受けた。ダライ・ラマ14世は、私の理想の人リストのひとりである。

自分がダライ・ラマの生まれ変わりとして、どんな風に選ばれ、探し出されたか、、、宮殿での暮らし、、、宗教的な指導者であり、なおかつ政治的な指導者であるために、どんな風に教育されたか、、、宮殿に暮らすいろいろな人たちのこと、、、そして、中国の侵略が、いかに残虐で非人道的なものであったか、、、

ダライ・ラマは、マルクスやレーニンなどを勉強し、共産主義の理論に興味を覚えたそうだ。だが、毛沢東のことを「共産主義の皮をかぶった、中国大国主義」と批判していた。
ダライ・ラマは、好奇心旺盛で、知的な面でとてもリベラル。しかも、常に人民のことを真っ先に考え、人民を思いやる偉大な指導者だ。遠くインドに亡命して、チベットを離れても、なおもチベット人の心のよりどころとなっている理由がわかる。

「生まれ変わり」を信じて、後継者を見つけ出し教育をする、チベットの伝統的なやり方にも感銘を受けた。
夢のお告げをもとに、生まれ変わりの子どもを捜して僧侶たちが旅をする。「○○村に、ものすごく頭のいい子どもがいる」とか、村人の評判を聞きながら訪ね歩くのだ。
夢のお告げや生まれ変わりを信じるかどうかは別にして、フツーの農民や遊牧民の子どもの中から、能力のある子ども(神童)を選んで、英才教育をするそのシステムには一理あると思う。世襲による弊害もないし、受験戦争もない。
僧侶は独身を貫かなくてはならないので、世襲しようもないけれど・・・。自分の家族も子も持たず、子どもの頃から、一身を人民のために捧げるなんて、すごい。それもあって、あそこまで尊敬されているんだろうな。私も含めて。

とにかく、中国のやり方はひどい。嘘も百ぺん言えば本当になる、とでも思っているのだろうか。
2008/3/7(金) タンゴを観てきた
2月ぐらいから、めまいのような、変なフワフワ感がときどきあって、なんだか心配。
めまい持ちの患者さんに、「またでた~」と言ってる人がいたし、私がはじめてめまいに襲われたのも、ちょうど去年の今頃だった。
めまいは、疲れやストレスだけでなく、気圧の変化ともおおいに関係している。梅雨時に症状がでる人のほうが多いのだけど。

大体、忙しくて疲れ果てているというのに、ストレス解消にと出歩きまくり、DVDもみまくり、不思議のダンジョンもやったりと、不摂生がたたっているなあ・・・

そんな中、先月、タンゴを観に行った。急に行けなくなったからと、患者さんにチケットをもらって。
私がタンゴに興味を持ったのは、映画「セント・オブ・ウーマン」を見てからだ。アル・パチーノが演じた、盲目の退役陸軍中佐が、レストランで若い女性とタンゴを踊るシーンが、とても素敵だったから。
生のタンゴをみるのは初体験なんだ。

私が見にいったのは、中野サンプラザで行われた「タンゴ・ダンス・プレミアム」。
アルゼンチンのブエノスアイレスで、90年代から、世界一のタンゴダンサーを競って、「タンゴダンス世界選手権」が毎年行われるようになったんだって。
5年前(2003年)の優勝カップル、ジセラ&ガスパルがリーダーになって、それ以降、4組の歴代の優勝カップルを率いて、日本にやってきたのだ。

ジセラとガスパルのダンスカップルは、群を抜いてすごかった。見せるタンゴ、という感じ。立っているだけで、その姿勢、その姿に目が釘付け。舞台の上で、ひときわ輝くオーラを発していた。まさに芸術だ。
他の4組も素敵だったけど、彼らに比べると、ああ、踊りが上手だな、という感じ。
歌手のマリア・ホセ・メンターナは、9歳でタンゴを歌い上げ、天才少女と言われていたらしい。すごい声量で、感情ゆたかに、まさに「歌い上げる」タンゴは、力強さともの哀しさを、ラテン的な明るさで表現していた。
フェルナンド・マルサン楽団が、またすばらしく上手だった。リーダーでピアニストのフェルナンド・マルサンは、オーラがあって、しかもイケメンだった。

フラメンコを見に行ったときは、ほとんど男の観客がいないことに気づき、女ばかりの異様な世界、、、なんて思ったのだけど、タンゴは、男の観客もチラホラいた。
社交ダンスをやっている人なのかな??? 
ダンスが始まって、即、納得。男女がまとわりつくように踊って、女性が、腰までスリットの入ったドレスを着て、美しい足を頭の上まで上げて、ものすごく色っぽいのだもの。

フラメンコは、情熱的と言われているが、女の人はぜんぜん色っぽくない。足を高く上げても、セクシーというより、力強くて、挑戦的な感じがする。
フラメンコは男がセクシー。だから、フラメンコの観客は、ほとんど女性なのかもな。
2008/2/24(日) 花粉症の季節到来
とうとう花粉症の時期になり、去年発見した治療法(自分ですか花粉症治療の極意)を試すことができる。ちょっとウキウキするような、心配なような、複雑な気持ちである。

先週、武蔵小杉の「さとうはりきゅう治療院」に治療してもらいに行ってきた。鍼学校時代の友人がだんなさんと開業したので、最近、電車に乗ってちょくちょく通っているのだ。(ふたりとも、とってもいい人で真面目で一生懸命だよ!)
治療してもらった夜、熟睡していたのに、喉がふさがって息ができなくなる夢を見て目がさめた。体はすっきりして快調なのに、なんで???

そういえば、その数日前から、なんとなく目が痒くなりはじめていた。喉に手を当ててみると、あごの下がぐりぐりと腫れている。冷たい風に吹かれたせいもあって、貼りついた花粉が喉を刺激し、腫れて息苦しくなったらしい。
私の場合は、「冷たい」「寒い」と「花粉」が合体すると、花粉症の症状がひどくなるのだ。暖かい日は、風が強くてもけっこう大丈夫だったりする。

いそいで鏡に向かって、耳たぶの「目ポイント」に爪楊枝のお尻をあて、グィーッと押した。とにかく、渋面兆候をめざして、自分の耳たぶをいたぶった。すると、目がすっとした。ついでに、鼻ポイントと、喉ポイント(らしきあたり)にも。
冷たかった耳たぶが、赤味がさして、温かくなってきた。とりあえず、そのまま、また寝た。

朝起きたときには、喉の腫れが引いていた。そのままで、一日、効果が持続した。次の日は、朝から風が強く、春一番が吹き荒れた。
睡眠不足と疲れも災いして、本格的な花粉症がはじまりそうだったので、治療室についてから、耳のつぼに金粒を貼り、足のつぼ「飛陽」に銀粒を貼った。アレルギーポイントは、とりあえず、無視した。

それで今のところ、花粉症は大丈夫。耳のつぼを刺激すると、目や鼻が、耳のほうに気をとられて、花粉の刺激を忘れてしまうのかなあ・・・なんて考えて、それでまた、新しい発見!

「気をとられて」という言葉はすごい。東洋医学の真髄がそこにある。つまり、刺激されて腫れるというのは、「実」の状態だ。気が集まりすぎて重積し、腐っている状態のこと。
耳のつぼを刺激して、そっちの方に「気」を引っぱって、実している部分の余分な「気」を流す効果がある、ということなのかもしれない。

ということで、症例集の花粉症、3ページ目を書かなくちゃ。
もうちょっと待っててね。書きかけのページが、山のようにあるんだあ・・・。
2008/2/13(水) 15周年を迎えたよ
ついに開業15周年を迎えた。平成5年(1993年)の2月2日に、みづ鍼灸室はオープンしたのであった。

先週、中学生がふたりで来て、問診表に記入しながら、「あれ、平成・・・?」「5年だよ」の会話。えっ?と聞き耳を立てた。
平成5年生まれの彼らは、お誕生日が来ると15歳になるそうだ。
ということは、みづ鍼灸室は早生まれだから、現在中学3年生。ただいま高校受験の真っ只中。春には高校に入学する年齢だ。

「2月2日は天中殺の最後の日」と、そればかりを待ち望んでいたので、記念日であることをすっかり忘れてしまっていた。
実際には、天中殺があけるのは2月4日である。旧暦では、3日が節分で大晦日、4日が立春で新年になるらしい。
どっちにしても、2年間の天中殺が終わったので、これからいいことあるかなあ?

10周年記念には、バリ島に旅行に行った。途中から数えるのをやめてしまったのだけど、そうと知っていれば、なんかイベントを考えたのになあ。
2008/1/18(金) 新年のあいさつ、遅れました
とりあえず、あけましておめでとうございます m(_ _)m 去年の疲れが尾を引いて、こんなに遅くなってしまった。
去年の分の領収証、準備ができたよ~。必要な人はメールしてね。

お正月のハイライトは、2日に多摩川の川原でテニスをしたこと。楽しかったなあ。さんさんと太陽が射し、青空の下、広々とした屋外でのテニスは、気持ちがいいね。ものすご~く寒かったけどね。

聖蹟桜ヶ丘で待ち合わせ、総勢6人の男女で、とことこと歩いてテニスコートへ向かった。約10分ほどの道のりは、ウォーミングアップにちょうどいい。着く頃には、けっこう身体があたたまっていた。

事前の情報では、「更衣室はなし。トイレもあるとは言えないぐらいお粗末。すぐにテニスのできる格好で集まること」ということだった。二面あるコートをぐるりとかこむ柵は腰ぐらいの高さなので、ホームランを打ったら、コートの外まで取りに行かなくてはならない。
でも、2時間で400円の格安市民コート。しかも、年始早々、貸してもらえるのだから贅沢は言えない。

今、私たちの最大の課題は、ボレー&ストローク。ベースラインのあたりに立つ人がストロークを打ち、ネットの近くの人がボレーで返す。それをえんえんと繰り返すことになっているのだけど・・・。
ストロークのラリーなら、なんとか続けられるようになったのだけど、それはお互いにコートの中を駆けずり回ってのこと。望むところに正確にボールを返すのは、まだまだ難しい。

とにかく、寒かった。一年中気温25度の室内で仕事をしている私は、寒さに極端に弱い。耳が冷たいので、フードをかぶった上に帽子をかぶり、2時から4時まで楽しく練習をした。でも、帰り道・・・、

駅のトイレで鏡を見た私は、あまりに醜い自分の顔に愕然! 風に吹かれてボサボサになった髪の毛の下には、真っ赤な鼻に、真っ赤なほっぺ。
こんなみっともない顔で、聖跡の駅のまわりを歩き回っていたなんて!
でも、もうすでに、すっかり見られてしまったし、どうだっていいや!と居直って、調布に戻ってそのまま飲み会に突入した。

今回は、土曜のクラスの人たちとの合同練習会&飲み会。ジェネレーションギャップをまったく感じずに、いろいろと突っ込んだ話ができるので、得るものも多い。みなさん、これからもどうぞよろしく!
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