2010/11/21(日) |
テニススクールにまた入った |
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今日は、母を連れてパルコのお寿司屋さんに食事に行った。まん中の息子と3人の予定だったが、昨日の夜、「明日お見舞いに行きたい」と親戚の人から電話があり、では一緒に、ということになった。
母の調子は中ぐらい。車に乗り、歩いてお店へ。一人前を箸で食べた。そのぐらいには元気になれたんだよ。
秋田に住んでいるおばさんが、東京に住んでいる娘と一緒に来てくれたのだ。母にとっては義妹と姪。家族ぐるみで仲良く付き合ってきた。
いとこは母の手をさすったりしながら、となりでずっと涙をぽろぽろ。
あんなに元気だったのにこんなになっちゃって、という思いと、廃人同様と聞いていたのにこんなに元気になって、という思いがごっちゃになっていたのだろう。
よかった、よかった。
この状態をなんとか維持できるように、がんばろう。
ところで、私、またテニススクールに入ったんだよ。
クラブの人たちに一緒に練習してもらって、あまりにもヘタな自分に気づいた。この1年半、ときどき壁打ちに行くぐらいだったんだもの。
「練習あるのみよ」「私たちも10年かかったんだから」などと励まされた。
そしたら私は○十歳。うまくなるのが先か、身体がガタガタになるのが先か、というトシになってしまう。もうテニスはあきらめたほうがいいのかな・・・と、超落ち込んだ。
もっと気合を入れてとことんがんばるか、きっぱりやめるかしかない。こうなったら、やれるだけやってみよう、そう思って、スクールで基礎からやり直すことにした。
「コートに入るかな、入るかな?」などと心配しているようじゃ、どうしようもないもんね。まず、安定したショットを打てるようにならないと。
クラスはいつものSコーチ、木曜の12:30からの初級である。
安定したショットを打つためには、ボールに回転をかけることだそうだ。6年前からずっと言われてきたことだけどね。
スピンをかけるためには、尺側の屈筋を使うそうだ。手のひらを上に向けたときに、肘の内側から手首に向かってついている筋肉である。
それらの筋肉は、まだ薄く弱々しい。
最初のテニス肘は、外転筋を痛めてこじらせたものだった。
筋肉を使いながら治そうとがんばってきたので、いつのまにか肘の筋肉が盛り上がって、私としては、相当な筋力がついたと思う。(腱をかばったせいなのか?)
試合のときは、強く、遠く、ボールを飛ばそうと思ってしまう。すると、どうしても一番強力な外転筋を使って打ってしまう。
手のひらが下を向き、ボールはフラットに飛んでいく。「変な打ち方をしてるな」と自分でもわかる。
このごろになって、ようやく、自分の腕使いを、分析して観察できるようになった。
「あ、変だった」とわかるが、でも、どうやればいいのかはわからない。
壁打ちばかりだと、どうしても自己流になってしまい、いつのまにかフォームが崩れてしまうのだろう。
無理に筋トレをやると、筋力がつく前に、また痛めてしまう。ショットを打ちながら、半年ぐらいかけて必要な筋肉をつけるつもり。
右手でずっと打っていると、だんだん右肘が重くなってくる。ラケットを左に持ちかえて、左手でしばらく打っていると、右肘が軽くなる。
右肘の保護のためもあるが、いざというときのために、左も使えるようにキープしておこうと思っているんだ。 |
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2010/11/9(火) |
スペイン旅行記② 飛行機に乗りそこなう |
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ホテルから空港までは、渋滞もなくトラブルもなく、スムーズに到着。
ホッとして、なんだか気が抜けた
空港の中も静かで、騒乱の様子はない。デモの人たちが、ゆっくりと穏やかに歩いてきた。 |
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私たちは、カートに荷物をのせたまま、掲示板の前で待機。自分たちの乗る便の"BORDING"の表示が出るのを待っていた。1時間たっても、表示に変化はない。"CANCELED"の便もいくつかあって、ストのため出発が遅れているのだろうと、漠然と考えながら、掲示板の前で、ずーっと待っていた。
「あ、やっと表示が出た!」と思ったら、いきなりの
"LAST CALL"。同じ時間帯の飛行機がすべて、いっせいに
LAST CALL になったのだ。
「えっ、なんで?」と、大慌てでカートを押して、チェックイン・カウンターに走った。
e-チケットを見せると、「もう、閉めました」と言われた。「この飛行機には乗れません」だって。
「えー!私たち、ずっと掲示板の前で待っていたんだよ!表示されたのが今なのに!!」と騒いだけれど、どうしようもない。次の飛行機は3時半だから、会社のカウンターに行ってチケットをもらいなさい、と言われた。
その会社"SPANAIR"のカウンターでがんばったんだけど、「待っていたって、何処で?」「そんなところで待っていないで、さっさとチケットに交換しなかった、あんたが悪い」とばかりに、けんもほろろ。
「そのチケットはもう無効だから、あらたにチケットを買ってください」と言う。値段を聞くと、140ユーロだって。
「検討します」と言って、そこを離れた。
3時まで空港で待つなんて、サイアクだ。ストで電車もバスも動かないから、空港に缶詰め。喫茶室も売店も、何もない空港で、私たちはターミナルマンになった気分。
1時間以上も掲示板をながめていたので、他にも、パルマ・デ・マジョルカ行きの飛行機がたくさんあったことに気がついてた。
1時間遅い便、10:35発の飛行機があった。その会社"vueling"は、前回の旅行の前、マジョルカへわたるための方法をあれこれ調べたときに、プリントアウトして検討した航空会社だった。
ふたりだと話は早い。「急げ~!」と、先輩にカートを押させて、航空会社のカウンターに走った。
"vueling"の前には、すごい人が並んでいる。またしても間に合わないかもしれない。とりあえず、別々の列に並んで、ジリジリ、イライラ、順番を待った。
スペイン人はおおらかというか、うしろに人が待っているなんて配慮をしないので、どの列ものんびりと、ほとんど動きがない。
よーくまわりを見回してみると、どこの会社のカウンターの前も、すごい人だかりだ。
掲示板の担当者がストで人手薄で、そのために表示がスムーズに行かず、あっちでもこっちでも似たようなトラブルが発生していたらしい。
チケットを振り回して、「俺は、このチケットを買ったんだぞ!」と叫んでいるおじさんもいて、やっぱり、けんもほろろの扱いをされている。
先輩の方の列がすすんだので、私もそっちに移り、やっと私たちの番になった。
「10時半の飛行機の切符を買いたいんですけど」と言ったら、「何枚?」と聞かれた。
あまりのあっけなさに、え、買えるの?夜の10時半とかじゃなく、「1時間後の10時半なんですけど?」と聞くと、「次のでしょ?パルマ・デ・マジョルカ行きの」とあっさり。さっきの会社のより値段も安い。
やったー!カウンターのお姉さんが天使に見えた。
「時間がないから、急ぎなさい」と言われ、今度こそ、と走りに走った。
飛行機はちょっとボロだったけど、ガラすきで、20人ぐらいしか乗客がいなかった。
大きな落胆のあとだったので、私たちは幸せいっぱい。空も青いし、海も青い。
さようなら、バルセロナ!
トラブルがあったおかげで、ドキドキ、ワクワクの体験ができた。BORDING が出てからトランクを預けるのだが、その前に、チケットをゲットしておかなければいけなかったという、貴重な教訓も得た。
余分なお金はかかったけど、こんな面白いハプニングが味わえたのだから、ちっとも気にならない。
同行の先輩がちっとも騒がず、どーんとかまえて悠然としていたのには救われた。
やっぱり、旅は、ひとりよりふたりの方が楽しいね~~ |
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2010/10/21(木) |
テニスクラブの親睦会 |
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先週、クラブの平日親睦会に参加した。強制的にチームを組んで試合をするので、顔見知りができるだろう。そのあと食事会にでれば、コミュニケーション作りができるかも。
このへんで状況の改善を図らなければ、進退をきめることもできない。
試合は、4チームに分かれてのミックスダブルス。三試合やって、チームごとの勝敗が決まる。私は青チームだった。
なんたって、試合はもう半年ぐらいやっていない。おまけに、この数ヶ月は、テニスの練習時間が、なかなか取れなかった。
まわりは知らない人ばかり。最初の2試合は、心臓バクバク、ひざがガクガク、あがりまくって、足を引っぱりまくって、負けてしまった。
マジョルカ島で買った白パンツをはいて行ったのだが、自分のサーブの番になって、ポケットがないことに気がついた。パートナーの人にボールを持ってもらって、いちいち「すいません、ボールください」とお願いしなくてはならなかった。
超みっともない。
3試合目になって、すーっと気持ちが落ち着いた。どうやら居直ったらしく、のびのびとプレーができた。
2試合目(0-6で負けた)のパートナーの人に、「なんと5-2で勝ったんですってね!相手ペアはすごい実力ある人なんですよ~」と驚かれた。
もちろん、パートナーが1人でがんばったんだけど、私もちょっとしか足を引っぱらなくてすんだ。
そのあとの飲み会で、男の人たちに、「いつも壁打ちしてるでしょ。女の人で壁打ち熱心な人はめずらしいから」と、みんなに言われた。
不思議に思って、私のことを見てたみたい。1年以上も壁打ちしてたから、けっこう有名人だったたらしい。
親切な女の人に、「1人でサーブ練習してるの見て、なんでこの人、1人なんだろう?声をかけてあげたほうがいいのかな?と迷っていたのよ」と言われた。
「1人でクラブに入って、1人でこんな会に出るなんて、すごい勇気。そんだけ度胸があれば大丈夫よ」と、励ましてくれた。
やっぱり、親切な人はどこにでもいて、暖かく受け入れてくれた。精神的緊張感と、肉体疲労でへとへとになってしまったけど、参加した甲斐はあった。
母の病状は一進一退。手をかけてあげないと、落ちてしまう。
マッサージに鍼灸。ROM訓練、歩行訓練などの理学療法。字を書かせたり、絵を描かせたり、手仕事をさせたりの作業療法。
外に連れ出したり、親戚に電話をさせたりして、心と脳を活性化するなどなど、やれることはたくさんある。
すべてやったら、私のプライベートライフはゼロになる。
やれることをやらないとなると、なんだか罪悪感を感じてしまう。技術や知識がある分、葛藤も多いんだよね。
やったからといって、昔どおり、ピンピン元気になるというわけでもない。今の状態をできるだけ長く維持する、それしか望めないのが現実だ。
クラブでみんなに挨拶しまくって、「誘ってください」とお願いしたのに、今、顔を出さなければ、「あの人、やっぱり来ないね~」と、また忘れられてしまう。
長丁場の介護と、自分の人生のバランスを取るために、休日はテニスを優先にする決心をした。
とはいえ、今日は雨。残念だなあ・・・ |
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2010/10/9(土) |
スペイン旅行記① えっ、スト? |
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無事にスペインから帰ってきたよ~。
明日は仕事を休んで、楽天オープンの決勝戦に行く。ナダルを応援するための、スペイン国旗も、バッチリ買ってきてある。
(準決勝は、ほんとうにハラハラ、ドキドキさせられて、ナダルの試合を見られますようにと、神様にお願いしちゃったよ~~)
あんずと2人で、観客席でひらひらさせるつもり。テレビにうつるかなあ?
今回は、バルセロナ→マジョルカ→バルセロナの6泊8日の個人旅行だった。
旅行会社はファイブスタークラブ。リゾート系のツアーの企画がたくさんあったし、びっくりするほど安い。ホテルが海のそばだから、海で泳いだり、観光したりの組み合わせができるかもと思って、そこが気に入った。
KLMのマイレージが9月で切れるので、期限を延長するためには、どうしても9月中に出発しなくちゃならなかった。そんなことでもないと、なかなか思い切って海外には行きにくいから、いいきっかけだった。
ひとりでも行くつもりだったが、バドミントン時代の先輩が一緒に行くことになって、とても楽しい旅ができた。
「スペインどうだった?」と、来る人来る人に聞かれるので、そうだ、早く報告しなくちゃ、とあせってる。。。
KLMのダイヤが変わっていたみたい。アムステルダムでは3時間も待ち時間があって、バルセロナに着いたときには、もう真っ暗だった。
空港バス(アエロ・ブス)もリニューアルしていて、乗り場も違えば、バスも変わってて、ちょっとおたおたした。
<スペイン語では、BUSをブスと読む>
プラット空港からカタルーニャ広場まではアエロブス。そこからタクシーに乗れば、経費を節約できる。
ホテル、フロント・マリティムに着いたのは、もう夜中の1時ごろだった。
チェックインしている間、カウンターの上の立札を見たら、’huelga’の文字が目に入った。『ウェルガ?え?スト???』と自分の目を疑った。
英語とスペイン語で、翌日、9/29のストライキのことが書かれていた。
なんと、バスも電車も動かず、美術館も博物館も、公共のものはすべてお休みになるって!
「ストのこと知ってます?」と、コンシェルジェに聞かれた。
「今、読みました。本当ですか?」
「本当です。スペイン全土でゼネ・ストです。飛行機は何時ですか?」と聞かれた。私たちが翌朝マジョルカ島に渡ることを知っていたみたい?
チケットの紙を見せた。
「明日は、空港までタクシーで行くしかありません。朝食は7時からなので、7時半にはタクシーを待たせておきます。みんなが車を使うので、渋滞するかもしれませんので、早めに行った方がいいですよ」、とのこと。
とりあえず、部屋に入り、テレビをつけてみた。日本なら、直前にスト回避、とかありえるもの。道路でタイヤを燃やしてる映像なんかが映されていて、ぞーっとした。
翌朝、別のコンシェルジェとタクシーの運転手さんが、深刻そうに話しかけてきた。
「道路が封鎖されている可能性があります。空港に入れないかもしれないから、途中まで行って、あとは、歩かなければならないかもしれません」
「えーっ? どのぐらい歩くの???」
「たぶん、15分ぐらいだと思いますが、この目で見たわけではないので、確かなことは言えません。とにかく、行けるところまで行きますから」
不安が倍増。騒乱の現場を通り抜ける?
重いリュックをしょって、大きなトランクを引きずって、ゴロゴロと歩かなければならないなんて、最悪だ!
にこにこと優しげな運転手さんには安心したけど、ドキドキしながらタクシーに乗り込んだ。 |
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2010/9/27(月) |
スペインで遊んでくるよ~ |
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またまた更新が遅れ、ごめんなさい。
やるべきことをやり遂げて、明日からいよいよスペインだ。
あまりの忙しさに、旅行の準備はこれから、という切羽つまりぶりだ。先週届いた旅行日程表は、封筒をあけただけで、同行する先輩に丸投げした。読んで理解する余裕がなかった。
でも、バルセロナは3回目。マジョルカ島ははじめてだけど、ホテルの場所など、すでに頭の中にインプットしてある。
母は、14日に、調布の青木病院に無事に入院した。ゾンビ状態になった母を見てから、なんと1ヶ月と1日しかたっていなかった!
非常事態における私の行動力は、相変わらずすごいものがある。まだまだ衰えてはいないなあ。
向こうの病院では、母は、ほとんど寝たきり。必死になって通って、看護士さんたちとあれこれ話をしたものの、植物状態よりはマシだ、という程度のものだった。
車椅子にのせてあげて、支えてあげればなんとかトイレにも行けて、なんとかご飯を自分で食べる・・・
その状態を少しでも長く維持する、それだけでもいいと思っていた。
ところが、ところが、ケアが変わると、ここまで回復できるのか!という驚きの結果になった。
転院した翌日には歩かせてもらい、車椅子がいらなくなった。4日目には、目がパッチリ開き、人間らしい表情が戻った。1週間で、ベッドから起き上がり、自分で歩き、トイレに行き、着替えもでき、爪も自分で切れるようになった。
これで、安心してスペインに行ける。疲れは限界を超えているけど、あっちでのんびり過ごして、心と身体をリフレッシュしてくるよ。
院長の五味渕先生が主治医になってくれた。病室の中を母と歩いていたら、声をかけてくれた。
「お母様、お元気になられてよかったですね」と嬉しそう。「向精神薬は一切使っていないんですよ」と、ちょっと自慢げでもある。
院長といえば、院長室にふんぞりかえっているのが普通なのに、病院の中を歩き回って、患者の様子をみてくれる人なのだ。
入院の日も、自ら母の車椅子を押して、「お疲れのようだから、入院手続きはあとにして、3階のお部屋に連れて行ってあげましょう」と、看護士たちに言いながら、急ぎ足に歩いていたなあ。
人格者はつねに謙虚なのである。
青木病院は、治療室から歩いて15分ぐらい、バイクに乗れば2・3分のところにある。こんな近いところに、向精神薬を使わずに、ケアで病人を治そうとする医師に巡り合えるなんて、奇蹟に近い。
本当に、ラッキーだった。 |
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日記 TOP |
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