2013/9/8(日) |
[映]ダブルフェイス - 秘めた女 |
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フランス映画「ダブルフェイス - 秘めた女」は、インナー・チャイルドの物語である。監督はマリナ・ドゥ・ヴァン。(以下はすべてネタバレである)
冒頭のシーン。ジャンヌ(ソフィー・マルソー)は、念入りに化粧をし、身支度を整えている。黒髪に金髪メッシュをいれた、美しい中年女性。
裕福な暮らし、素敵な家、愛する夫、かわいい息子に娘。完璧な人生を送っていたはずだった。
ジャンヌはもとジャーナリスト。小説が書きたくなって、出版社に持ち込んであった。子どもの頃をえがいた小説だったが、出版を断られた。
「細部の描写は完璧だが、感情がない。人は、感情を求めて小説を読む。この本は出版できない。現在のことを書きなさい。なぜ、そんなに幼少時代にこだわるんだ?」と言われた。
8歳で交通事故にあったジャンヌには、それ以前の記憶がない。失われた子ども時代を取り戻したくて、小説を書いた。それが、変容のきっかけになった。
変容。
あらゆるものが変化していく。
家具の配置も違って見える。蜂蜜の瓶もどこにあるかわからなくなる。自分の顔すら、違って見えはじめる。家族を映したビデオムービーには、自分の場所に、見知らぬ女が立っていた。
長い黒髪の、小さな女の子が現れる。無言でジャンヌを見つめ、近づこうとすると、走って逃げていってしまう。
鏡の中の自分の顔も、左半分は自分、右半分は見知らぬ女の顔と変化していき、ついに、見知らぬ女(モニカ・ベルッチ)に、自分を乗っ取られる。
今まで見えていた世界と、新たに見えはじめた世界。
深く幻想の世界に迷い込んだジャンヌは、現実をこなせなくなる。
半狂乱になったジャンヌ。怯える子どもたち。仲良しだった優しい夫、テオ(アンドレア・ディ・ステファノ)も、驚き、とまどう。
その夫も、ある日突然、見知らぬ男(ティエリー・ヌーヴィック)に変化した。別人になったテオを、どうしても受けいれられない。
壁に飾られた写真、引き出しの中の写真、ジャンヌは真実を求めて、証拠探しをはじめた。
写真の中の自分も、いつのまにか別のジャンヌに変化していた。だが、周囲の人々は、誰も不思議に思っていない。
混乱から逃げだそうと、実家に避難する。母親は1人暮らし。交通事故で、父も弟も他界したのだ。
その母も、今までの母(ブリジット・カティヨン)から、別の母(シルビィ・グランノテール)に変化してしまう。
別のジャンヌは、引き出しの中から、イタリア旅行のときの古い写真を見つけた。
今までの母と、別の母との若い姿。そして金髪の少女の3人が写っている。
「これは誰?」と、別のジャンヌは尋ねる。
「イタリア人のお友達と、私と、あなたよ」と、別の母は答える。
別のジャンヌは、真実を知るために、イタリアへ行く決意をする。
荷物を持ってきてくれた別の夫と、駅で待ち合わせる。
「僕のこと、愛してる?」と聞かれ、「わからない」と答える、別のジャンヌ。
(昔の私みたいだなあ・・・)
イタリアに行き、写真の風景を見つけた。
そばのレストランで、今までの母を見つけた。話しかけると会話を拒絶され、傷ついてホテルに帰る。
そこへ、尋ねてきたのは、なんと、今までの夫である。別のジャンヌは喜ぶが、すぐに、これは夫ではないと気づく。
夜、黒髪の少女に導かれて、別のジャンヌは、とある家にたどりつく。そこは、パーティの真っ最中。ジャンヌは自分の秘密を知る。
別のジャンヌは、黒髪のローザマリア。それがほんとうの姿だった。
母親が再婚し、弟ジャンニが生まれた。今までの夫は、弟そっくりの姿だったのだ。
義父は、ローザマリアを虐待したらしい。
実母(今までの母の姿)は、思い余って、イタリア人の旅行者に、ローザマリアを養女にしてもらう。
新しい家族にかこまれたローザマリア。金髪の少女はジャンヌで、ふたりはとても仲良しになる。やっと幸せになれるはずだった。
だが、悲惨な交通事故にあい、養母とローザマリアを残して、ジャンヌも養父も義弟も、みんな死んでしまった。
昏睡状態からさめたローザマリアは、記憶を失っていた。
過去のつらい記憶を消すために、自分を「ジャンヌ」と思い込んだ。養母(別の母)はそれを受け入れて、彼女を育ててくれたのだった。
記憶を抑圧していたローザマリアの目には、自分はジャンヌの姿、夫テオは弟ジャンニの姿、養母は実母の姿に見えていたのだ。
現実と思っていたものが、実は幻想であった。
小説を書くことで、内的な世界に深く入り込んだ。幻想のおおいが徐々に破れていき、ついに、現実の姿を、ローザマリアに見せた。
ジャンヌとして生きてきた間に、心の奥の箱にしまいこまれていたインナー・チャイルド、ローザマリアが望んだことだった。
事実を知り、記憶が蘇ったローザマリア。8歳の黒髪の少女が列車に乗った。
フランスに向かいながら、少女はどんどん成長して行き、ジャンヌの姿になって、家に向かう。
ジャンヌが自宅のドアを開けると、ローザマリアが歩いていき、夫や子どもたちと抱き合うシーンが見えた。
・・・楽しそうに遊びたわむれる、金髪の少女と黒髪の少女・・・
ローザマリアが閉じ込められていた間に、ジャンヌは勉強をし、仕事をし、家事をこなし、大人としての社会的役割を果たしてきた。
でも、本当は、2人で一緒に人間関係をはぐくみ、子どもたちを育ててきたのだ。
外的な世界の記憶と、内的な世界にある感情。
外側の世界を生き抜いてきた大人の女と、内側の世界にとどまって、愛や心や感情を持っている少女。
2人は一緒に、パソコンの前に坐る。1人の人間としての、オリジナル・ストーリーをえがくための、共同作業がはじまったのだ。
久しぶりに、1本の映画を、一気に最後まで見た気がする。
目で見たものを解析する能力が低く、しかも、人の顔を憶えられない私にとっては、ものすごく大変な映画だった。
そして、次の朝、何週間もつづいていた頭痛が、すっかりなくなっていることに気がついた。人生のターニングポイントを示す道標には、ときどき映画が使われる。
プライベートな人間関係の不協和音をきっかけに、私も、ずっと内的な世界をさまよっていたみたいである。
内的な世界が現実に思え、現実が映画のように感じられていた。
私も昔小説を書いたことがある。だから、私の外的な人間と、内的な人間には、それぞれ名前がついている。(それは、ヒ・ミ・ツ)
子どもの頃から、ずっと心の奥の箱に閉じ込めていた、私のローザマリア。
彼女が外に出たがったとき、私は子どもたちを守るため、小説を書くことで、彼女をふたたび箱に閉じ込めた。
しっかり鍵をかけたつもりだったけど、「どうつ」という形で、ローザマリアが箱から出てきた。死を選ぶか、ローザマリアを育てるか、2つに1つしかなかった。
ローザマリアは、無意識の中に住んでいる。
言葉を持たないローザマリア。彼女の声を聞き、彼女と交流するのは、大変な作業である。
自分を観察する。見たこと、話したこと、聞いたこと、感じたこと、分析したこと、あらゆることをノートに書きつづる。潜在意識からのメッセージは、夢を通して伝えられることも多い。夢の解読をしたり、易やタロットを利用したり。
私のジャンヌは、大人としてやるべきことを、すべてこなしてきた。
私にとっては、本当の私はローザマリアで、ジャンヌはブラインドでしかなかった。どうして人が、ジャンヌを私と思い込むのか、不思議でならなかった。
ローザマリアもジャンヌも、どちらも自分の一部であるということに気づくまでだって、何年もかかった気がする。
この映画のように、短期間に合体できれば、人生ってとても簡単だ。でも、映画は、象徴的な「物語」だからね。
現実はそうはいかない。私は何十年もかかっているし、今だって時々、2人のギャップに困っているもの。
私のインナーチャイルドは何歳ぐらいになったのだろう?
かなりのお転婆娘で、ときどきとんでもない冒険をやらかすので、その後始末が大変である。(笑) |
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2013/8/31(土) |
歯医者に通いはじめた |
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硬いものを噛んだ拍子に、前歯の差し歯が、グラッとなった。
だんだんぐらつきがひどくなり、ついに前歯でものを噛めなくなった。歯茎のあたりに、妙な不快感がある。
ついに、勇気をふりしぼって、火曜日に歯医者さんに行った。
怖がりの私は、レントゲンを撮られるのさえ、ものすごく緊張する。
「そこに、手をのせてください」とかの説明も、よく理解できなくて、えらく戸惑った。「そうそう、よくできました。偉かったですね~」なんて、子どもをあやすように、ほめられちゃったりして。(苦笑)
歯医者のベッドに横たわって、あらためて、不安と恐怖におそわれた。
歯は再生不能。抜かれたり、削られたりしてしまえば、もとには戻らない。
うちの患者さん、たいてい男だけど、「もう、まな板の上の鯉。煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」、な~んて言う人があって、その言葉を思い出しちゃった。
差し歯の根っこが折れているんだって。「根管切除されました?」と聞かれた。
かつて通った歯医者さんは、口腔外科並みの治療をするところだった。ものすごく丁寧に根管治療をしてくれ、歯根にコアを入れて、小学生からの差し歯を修復してくれたのだった。
でも、根管切除した歯は、根っこがもろくなって、折れやすいと言われた。
前の歯はメタルボンドで8万円。まわりの歯とそっくり同じ色合いの、きれいな差し歯を作ってもらった。
30年ぐらい持ったから、そろそろ寿命だったのかな?
当時はとても満足していたけど、年を重ねるにつれ、他の歯が黄色くなっていく。それなのに差し歯だけは、輝くような白さのまま。
差し歯が変色するのも、自前の歯が退色するのも、結果は同じ。「永久」がないのなら、保険でできるプラスチックでいいな、と思っていた。
でも、今回は、両脇の2本と組み合わせてのブリッジをすすめられた。メタルボンドで7万円かかる。保険でできるのは、部分入れ歯だって。
母の入れ歯にさんざん苦労したので、それは、まっぴらである。それで、ブリッジをお願いすることにした。
ベテランのお父さんに相談しながら、娘さんが治療してくれた。説明がきっちり丁寧である。彼女の「歯」に対する、打ち込み方がすごい。強烈な熱意を感じた。
お任せするしかない。
麻酔をかけられ、ガーガー、ガ-ガー、何十分も削られた。
女医さんが横をむいているスキに、こっそり、そばの手鏡で確認したら、両脇の2本の歯までが小さくなっていた。
ガ~ン。。。すごいショック。。。
何の問題もない健康な歯が削られてしまった。もう取り返しがつかない。
そういうことだったのか。金属をつかって固定する代わりに、3本セットの差し歯のブリッジというのが、現代風らしい。
仮歯を入れてもらって、帰宅。まだ、歯茎の不快感はそのままだ。根っこが折れているので、そこから炎症をおこしているんだって。
そして、昨日。ついに、抜歯。
午前中に抜歯して、午後は仕事なんて、ちょっと無謀だったかな?
でも、痒いところに手が届くみたいな感じで、それほど不快でもなかった。子どもの頃に成長が止まってしまったみたいな、小さな小さな根っこだったから。
その日は、お酒を飲んじゃだめだって。まさかの休肝日になった。
夜まで不快感はつづいたけど、あちこちハリを打ったりしながら、映画を1本観た。
翌朝目覚めたら、かなりすっきり。とりあえず、落ち着いたみたい。
歯の治療はプロにお任せするとしても、精神的緊張で、全身、バリバリである。 |
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2013/8/25(日) |
夏のイベントは終わりだね |
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木・金は、仕事もテニスもお休みして、府中の市民プールに行ってきた。
ユーガ君とジュナちゃんと、お泊り会をしたのである。
今年は、お天気が悪く、曇り。そのうえ、雨、雷雨の予報も・・・
でも、「プール」しか考えていなかったんだよね。
気温28度、水温29度ぐらい。蒸し暑いので下界はつらいが、プールで遊んでいると、暑さを忘れられるね。
流れるプールがあるので、子どもたちは大はしゃぎ。元気いっぱいで泳ぎつづけ、私は、ときどき、プールサイドでお昼寝。
1年生と3年生なので、放っておいても、自分たちで遊んでくれる。プールには監視員もたくさんいるし。楽チンだなあ。
私が1人で泳いでいると、キャッキャと大騒ぎでやってきて、「髪が赤いから、目立つ!」「すぐに見つけられるよ~!」と、なんでも楽しめる年頃である。
今年は海に2日、プールに2日入ったけど、すべて曇り。風邪を引いている身には、肌寒く感じられた。
(実は5日、瀬波温泉に行く日の朝から、風邪を引いていたのである)
夏の〆は、調布市の花火大会だ。
人ごみが嫌いなので、ここ数年は、あまり行ってなかったんだけど、去年につづいて、今年も、京王テニスクラブで花火見物をさせてもらった。
5時からの立食パーティ。「あまり食べるものがない」という印象だったけど、今年は食べものがたくさんあって、すごく美味しかった。
支配人いわく、「今年は、食べ物をすべて、サッパリ系にしたんです」だって。よく考えてくれてるね~。出席者はみんな年寄りばかりなんだもの。 |
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さんざん食べて飲んだあと、両手にビールとワインの紙コップを持って、テニスコートへ移動した。
コートにしかれたブルーシートの端っこに陣取って、寝転がって空を見上げた。途中から雨が降ってきたけど、いつもの晴雨兼用傘が大活躍。大慌てで逃げ出す人たちを横目に、最後まで見物できた。 |
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老健に入所中の母も、子どもたちに協力してもらって、2回もお寿司を食べに連れ出せた。
これで、夏のイベントは、すべて終了だね~。
「夏風邪は長引くよ~」とみなさんに言われたけど、本当だね。3週間たっても、まだ咳が残っている。
風邪の間も、1日も、仕事も遊びも休まなかった。
(「だから治んないんだよ!」と、母が元気なら言われそうだけど・・・)
明日からは、いつもの生活パターンに戻して、体力の回復に励もう。(笑) |
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2013/8/14(水) |
村上、瀬波温泉の海 |
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年に1回は、海で泳ぎたい。
できれば、マジョルカ島とかに行きたいんだけど、実家があるかぎり、新潟に行かざるをえない。
このトシになると、一緒に海で遊びたがる友人をみつけるのは難しい。30代の頃から、すでにそうだったのであるが。。。
海には1人で行き、夜は、高校時代の友人たちとおしゃべり、というのが、今年の私のバカンスであった。
2泊3日でいそいで帰ってきて、4日目はテニスに行った。
テニスのとき、水着にあわせた日焼けをしようと、がんばってきたんだよ。
春からは半袖だから、日差しの強さにあわせて、フレンチスリーブと、タンクトップを交互に着たりして。
足だけ白いのはカッコ悪いから、半ズボンかスコートで、足も焼いた。
ただし、テニスは靴を履いてするものなので、くるぶしから下は真っ白。白いソックスをはいているみたいになっちゃうんだけど、これだけは、どうしようもないね。
おかげで、浜辺に立った私は、毎日海で泳いでいる人みたいだった。足首から下は、砂にかくれて見えないと信じて。 |
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中学1・2年は柏崎に住んでいた。夏には、臨海学校があって、1週間、毎日海に通う。遠泳を習った。最後の日は遠泳大会があって、2年生のときは、私も2キロ、なんとか泳ぎきった。
そのときに横泳ぎも習った。右を下に横になって、寝そべるような体勢で泳ぐので、あまり疲れない。楽々と前に進める。
仰向けになって、鼻だけ水面から出し、あとはすっぽり海の中、プカプカ浮かんで休憩するのも楽しい。
夏の日本海は、ほとんど波がない。だから、サーフィンは無理だね。冬は、波が荒すぎるし。
沿岸から1・2メートルで、もう足が立たないほどの深さになる。シュノーケリングをする人も、見たことがない。
海とたわむれたり、砂浜に寝そべったり、無限と思われる時間を過ごすのが好きなのである。
なんたって、ほら、人が少ないでしょう! |
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宿泊先は去年と同じ、瀬波観光ホテルである。
去年より、あちらこちら、きれいになっている気がした。毎年、こつこつと改装をつづけているらしい。食事も、いっそう美味しくなっている気がした。
これは、レストランの窓越しに撮影した、日本海に沈む夕日である。雲が多いときはこんなもんだけど、それでも素敵だった。 |
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次の日は、朝、雨が降ったらしい。
でも、私は晴れ女である。10時に水着でチェックアウトし、車の中に荷物を置いて、浜辺に行った。お昼ぐらいには、太陽が顔を出した。
気温27度、水温27度である。風邪を引いていたせいか、ちょっと肌寒い気がしたが、チェックアウト後も、砂浜からそのまま温泉に入れるので、超リッチな気分が味わえる。
海で泳ぐ目的のひとつは、大自然の「気」エネルギーをもらい、自分の中の古い汚れた「気」と交換することである。
山もいいらしいが、私には海のほうが合っている。
みなさんも、時々は、どちらか好きなほう、大自然の中で過ごすといいよ。ヘドロのように溜まった疲れが取れて、スッキリすること請け合いだよ。 |
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2013/8/4(日) |
私は虚証? それとも実証? |
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水曜日の夜、ついに1ヵ月半ぶりに全身治療をしてもらえた。
忙しい中、無理して来てくれたSさんは、お茶も飲まず、口もきかず、猛スピードで治療をし、傘も忘れて、バタバタ帰ってしまった。
徹底的にハリを打ってもらい、体調は万全である。Sさん、ありがとう!
メガネを買って以来、1回もコンタクトを使っていない。
コンタクト・レンズを入れるのは、かなり神経を使うので、メガネのほうが楽。バッグから取り出して、かけるだけなんだもの。
そういうお年頃なのか、今年の夏は、はじめて、目に汗が入るという体験をした。年を取ると、顔に汗をかくようになるらしい。
メガネが滑る気がして、しょっちゅう顔の汗を拭くというハメにもなった。コンタクトのときは、だらだら汗が流れても平気だったのだろうか?
昔、経絡治療学会に勉強に行っていた。遅刻して入っていった私を見て、講師が、「あの人こそ、虚証の見本のような人です」と言った。
痩せていて、色白で、元気のない人が「虚症」で、太っていて、赤ら顔で、元気いっぱいの人が「実証」とのこと。
当時は、学校と仕事と子育てで、寝る時間もないほど忙しかった。普通の人、4人分ぐらいの過密な人生を送っていて、いつも疲れ果てていた。
元気がなかったのではなく、元気を使い果たしていたのだ。
でも、冷え性で、汗もほとんどかかなかったから、やっぱり虚証だったのかな?
今は、冷え性も治ったし、汗もかくようになったし、真っ黒に日焼けしてる。テニスのおかげで体力もついたし、元気いっぱいに見える。
当時より、もっと痩せてはいるけどね。
午前中にテニスして、午後は仕事なんて、「先生は、まさに実証ですよね」と、ある患者さんに言われた。
昔は、深いハリが苦手で、どうしても必要なとき以外は、浅いハリとお灸で治療してもらっていた。
今は、深いハリじゃないと物足りなくて、全身にブスブス刺してもらっている。そういう意味でも、体質が変わったのだろうか?
私って、虚証なの? それとも、実証なの?
いまだに、ずっと謎である。
市販の日焼け止めクリームは一切使わず、バージンオイルを、日焼け止めとして使っている。(火傷止め、かな?)
メガネで日に焼けると、なんとなく、目のまわりだけ、白っぽいような?
でも、テニスには全く支障がないので、気にしない、気にしない。
もしかしたら、もう、コンタクトでテニスすることはないかもしれない。 |
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日記 TOP |
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