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リョーコの手作りブログへようこそ!
2014/8/3(日) はからずも、ほんものの一人旅
いろいろな偶然が重なって、一人旅をすることになった。
3日間で900キロを、ひとりで運転した。慣れた道だし、車の運転は得意だし、旅の間はほとんどの時間、ヴェルのことを思い出しつづけた。

昨日はヴェルの2回目の月命日。まだたったの2ヶ月とは思えない。ものすごく長く感じる。それだけつらい日々だったんだね。

失恋したあと一人旅にでる人の気持ちがわかった。自分の感情世界に浸りきって、思い出を反芻することが、ほんとうに癒しになる。
ふたつの偶然は、ヴェルのあの世からのプレゼントだったのかもしれない。
(それとも、ボクのことだけ考えて~、というヴェルの思い?)

去年、夜ホテルまで訪ねてきてくれた友人から、「お父さんの具合が悪いから、約束ができなくなった」と連絡があった。
なので、自分の都合で患者さんの予約を調整し、宿の予約をすませ、急遽、4連休をとった。向こうで会えばいいものね。

そしたら、彼女から電話。
お父さんがショート・ステイに入っている間に、東京に住むお姉さんと八ヶ岳に登ることにしたんだって。それがなんと、ピッタリ同じ日程で。
28、29、30日、私が新潟にいる間、彼女は東京に来るという、まさに完璧な行き違いである。

2日目の夜は、高校時代からの友人と、新潟で飲む約束をしてあった。これも去年と同じパターンなのだが、今回は中心街のホテルを予約した。
初日、車が今まさに村上市に入ろうというあたりで、彼から電話があった。さっきお父さんが亡くなったので、遊ぶわけにはいかなくなったとのこと。

はからずも、完璧な一人旅を初体験することになった!
2時にいつものホテル瀬波観光に到着。とりあえず水着に着替えて海に出た。
途中、ホテルで借りたムームーを水着の上からかぶり、びしょ濡れのまま車から荷物を出してチェックイン。
ヴェルの写真を4枚、部屋に飾り、荷物をおいてまた海に出た。

朝、大雨が降ったらしく、海にはところどころ小枝や海草などのゴミがプカプカ浮いていた。でも、この人気(ヒトケ)のなさがいいんだよね。
この数十年ではじめて、たくさん泳げた。テニスのおかげですごい体力がついていて、自分で自分に驚いた。
ただ、右ひじが重くなったので、右手を使わないようにしてのんびり泳いだ。

海にプカプカ浮いては、砂浜で寝そべって休憩。
夕方になったら、カモメたちが砂浜におりて、ちょこちょこ歩き回っていた。生き物をみると、思い出すのはやっぱりヴェルのこと。

5時ごろ海から上がって、温泉に直行。ゆっくり右ひじを温めた。夕食までの時間は本を読んで過ごした。
これがその夜のディナー。
胃腸の調子がよくなって、想像以上に食べられるようになっていた。ご馳走をすべて平らげて、ビールに日本酒、そのうえご飯に味噌汁にデザートまで食べることができた。胃腸のほうも数十年前のレベルに戻っていた。

「年を取れば取るほど若返っていく不思議」と誰かが言ってたけど、部分的にはそれもありかな?と思った。(笑)
2014/7/23(水) 心と肘のリハビリ中
昨日の夜、「明日は久しぶりにテニスクラブ・・・」と思ったら、急に右ひじが痛くなった。4日間テニスを休み、全快寸前と思っていたのに。

この頃では、日常的にはほとんど痛みがなく、包丁を使ったあとに違和感が生じる程度だった。
もしかして、心因性?なんてことがあり得るのだろうか。

朝起きたときにもズシーンと重い。上腕骨外側上果にピンポイントの痛みである。それでも、仕事の前にテニスクラブに寄ってきた。ヴェルがいないから、クラブから仕事場に直行できる。淋しいけれど、楽ではある。

壁では、右手と左手を20分。休憩のあと、おじさまたちに「一緒にやる?」と声をかけられた。
「ゲームできないし、ストロークしか打てないけど、ラリーしてもらえます?」と聞いたら、「いいよ~」と、ニコニコ。
こっちは若いので1人、向こう側は、81歳と72歳なので2人。年齢は相対的なものなのである。1対2でラリーをした。

ラリーのときは、バックは両手でやる。この間、両手のフラットスライスの打ち方を習った。右手は添えるだけなので、右ひじに負担がかからずに打てる。
でも、まだまだ打ち方をマスターしていない。

そのうえ、フォアも、思ったようなボールが飛んでいかない。
さんざんやって気づいた。ボールを打つタイミングが遅れていた。休んでいる間に、コートでのボール勘がなくなってしまっていたのである。

コーチしてくれる先輩は、こっちが打ちやすいボールを、毎回きちんと狙って打ってくれるので、タイミングが取りやすい。
でも、普通のおじさんとのラリーは、球種も方向もまちまちである。
ボールの行方を見守ってから、あわててボールに近づくので、構えるのが間に合わなくなって、おっとっと、と打っていたことに気がついた。

早めに動いて、来るボールを待ち構え、ちゃんとしたフォームで打つために私がやっていたのは、「1、2、3」と、数えながら打つことだった。
ブランクの間に、いろんなこと忘れてしまっていた。

相手が打つときに「1」と数え、テイクバックのときに「2」と数え、インパクトのときに「3」と、数えながら打つようにしたら、ちょっとマシになった。
思い出したところで、残念ながら時間切れ。

今日も蒸し暑かった。肉体的な疲れより、暑さ疲れのほうがきつい。でも、ここで踏んばらなくちゃね。夏のテニスは、まず暑さに慣れることからはじまる。

テニスの間に痛みが強くなったけど、仕事をしている間に治ってしまった。
心と肘と、リハビリは着実に進んでいる。
2014/7/16(水) 笑いと元気を取り戻す
日曜日、夜中までかかって、やっと、ヴェルの last page を書きあげた。

「1日前」までは怒涛の勢いだったけど、最後の日のことはつらくてなかなか書けなかった。でも、あんまり時がたつと、細かいこと忘れちゃうかもしれないし。
どっかで踏ん切りをつけなくちゃと、半泣きでがんばった。

次の日、どっと疲れが出て、11時半まで眠りこけてしまった。
そのまま1日、本を読んだり、ヴェルのこと思い出したりしながら、家でゴロゴロしていようかと思ったけど。。。

カーテンをあけて、窓の外を見た。雨は降りそうもない。肘もまあまあだし、そろそろ、やりながら治す時期にきている。
体力、筋力を取り戻さなくちゃならないし、暑さにも慣れなくちゃならない。腹も出てきたので、シェイプアップしなくちゃ。

久しぶりに、パキンと起きて、テニスに行く準備をはじめた。入念に360度ストレッチをして、肘にテーピングをしたり、飲み物の用意をしたり・・・
朝から(昼だけど)、バタバタと出かける支度をするのが、なんか懐かしい気分。

テニスクラブに着いて、全身にバージン・オイルを塗りたくった。化粧を一切しない私は、これだけが唯一の日焼け対策なのである。

壁に行ったら、ものすごい暑さである。
右手と左手を交互に10分ぐらいやったら、もうイヤになってしまった。やれることが2種類しかないので、やり甲斐がなくてあきちゃうんだよね。

日陰で休憩してたら、先輩が通りかかり、上のコートでラリーをしながら、打ち方を教えてもらうことになった。

例年なら、春からだんだん太陽に慣れ、今頃はすでに色黒になっている。つまり、皮膚に産生されたメラニン色素が、紫外線から守ってくれていた。
今年は、2ヶ月近くも引きこもりで、日光に当たっていない。いきなり真夏の太陽にさらされたので、体が大パニックを起こした。

両耳の下、頚動脈がドキンドキンと脈打ちはじめると、耳が聞こえにくくなり、頭がボワ~ンとなって、クラクラしはじめる。
これが熱中症というものか?

「ちょっとお水」とコートを出て、冷たい氷の入ったお茶をゴクゴク飲むと、ボワ~ンがおさまり、ホメオシタシスを取り戻す。

私のお茶は、ドクダミ、はと麦、ほうじ茶などのブレンドである。ペットボトルに浄水を入れて凍らせておき、冷たいお茶を注いだもの。
この時期は、1時間に500mlぐらい飲む。飲む時間帯に合わせて、氷の量を変えていき、夕方まで冷たいお茶が飲めるように調節している。

1時間ぐらいやって、さすがに先輩も、「顔色が悪いね。まだ暑さに慣れていないから、そろそろ終わりにしたほうがいいね」などと、やさしい言葉をかけてくれたのだが、そうこうしているうちに雲で日が翳ってきた。

「涼しくなったから、大丈夫だね」と、また特訓を再開。
腕に負担をかけないようなラケットワークで、足腰の力をつかってボールを打つ。こんどこそ、故障をしないような正しいフォームを身につけたい。

右手はフォアのストロークだけ。下から打つのはあまり支障がない。
バックハンドは右腕の伸筋を使うので、絶対にやりたくない。悪化することは目に見えている。
「右手を添えて打ちなさい」と言われ、右手はグリップを握らず、軽くつまんで、左手の力だけで打った。ちゃんとボールが飛んでいった。

テニスのあと、やっぱり、右ひじの痛みは増悪した。打つ瞬間にギュッとラケットを握る衝撃のせいと思う。
家でポワロなんか見ながら、えんえんと右腕にハリを打ちつづけた。右肩から手首まで、パンパンになって、あちこちガタピシいっていた。

昨日は透熱灸もした。多壮灸をすると、いったん痛みが増すのだけど、半日ぐらいたつとスッと軽くなるのである。

今朝は、肘の痛みがほとんどなかった。
仕事の前に1人で壁打ちをしてきた。壁ではリスクを避けて、バックサイドは左手1本で打っている。
2時間ぐらいいたけど、打ったのは正味1時間ぐらいかな。半分は「暑さ」避難。
いろんな人とお喋りした。

太陽の下で、汗を流して運動をしたのがよかったんだと思う。
来週20日がヴェルの四十九日なんだけど、その直前に、持ち前の明るさと活気を取り戻したみたい。
ふつうに元気に笑っておしゃべりをしている自分を発見した。いつまでも落ち込んではいられない性格なのである。

いろんな人が共感してくれ、自分のペットとの別れを話してくれたりしたので、とても癒されたしね。
追悼ブログを書き終わったのが、ひとつの区切りになったんだと思う。

7年間、「ヴェルの部屋」を書きつづけてきたおかげで、かわいい写真がたくさんあるし、部屋をのぞけば、いつでもヴェルの思い出に出会える。

この先も、わずかだけど残った写真と、ヴェルとのエピソードを書きたくなることがあるかもしれないけど・・・
2014/7/9(水) [映]グース
月曜日も壁打ちに、と思っていたが、朝からジャンジャン雨が降っていた。右ひじのためには休養も良し。今週いっぱい、テニスはお休みすることにした。

なのに、杏ジャムを2.6キロも作ってしまった。こういう調子だから、治りが遅くなるんだよね。(作るんなら今すぐだよ~)
残りの時間は、右ひじにハリを打ちながら、録画してあった映画をみた。
ヴェルのことがあって、動物ものはちょっと・・・とひるんだんだけど、見てよかった。

「グース」(Fly Away Home)は、カナダの彫刻家、ビル・リッシュマンの書いた実話を元に作られた映画である。監督はキャロル・バラード。
以下はネタバレあり。

13歳の少女エイミー(アンナ・パキン)は、母親とニュージーランドに住んでいたとき、交通事故で母を亡くした。
病院のベッドで目覚めたエイミーは、迎えに来た父親トーマス(ジェフ・ダニエルズ)に会う。なんと10年ぶりだった。
エイミーは父親とカナダで暮らすことになった。

トーマスは彫刻家で、森林や野生動物の保護にも関心が高かった。
広大な原野に住んで、月にある着陸船のレプリカをつくったり、手造りの飛行機に乗って空を飛ぶなど、型にはまらない芸術家である。
こんな人がお父さんだったら、子どもは大喜びだろうな。自由で、一見ハチャメチャだけど、エイミーをとても愛してくれてる。

でも、両親が離婚してから、1度も会ったことがなかったのだから、はじめて会ったようなものだ。「会いに来てくれなかった」父親にすねてもいた。
エイミーは父親にも、ガールフレンドのスーザン(ダナ・デラーニ)にも心を開かない。人に会いたがらず、学校にも行きたがらず、殻に閉じこもっていた。

すぐ近くの森林がブルドーザーで伐採され、野生のグース(雁)たちがバタバタと飛び立って、巣を残して逃げていった。
エイミーは、置き去りにされたグースの卵を拾い集め、たんすの中で温めた。卵が孵って、16羽の雛が生まれた。

小さな可愛い雛たちが、エイミーにまとわりつく。1羽1羽に名前をつけて、エイミーとグースは毎日一緒に遊んだ。
家の中は糞と羽毛だらけだろうし、大変なことだなあ・・・、でも、トーマスもスーザンもそんなことは気にしないで、グースを育てる協力をしてくれた。

森林保安官(?)の男の人がやってきた。
家庭でグースを飼う場合は、羽を切らなくてはいけない、と言う。近隣に迷惑をかけないように、条例で定められているのだそうだ。

羽を切ろうとする保安官にエイミーは抵抗し、トーマスもスーザンも一緒に、みんなで彼を追い出した。
その頃からエイミーは2人に心を開きはじめたようだ。

グースたちは、最初に見たエイミーをお母さんと思い込み、エイミーのあとを追いかけて、ちょこまかと走っていく。
インプリンティング(刷り込み)というんだってね。

グースたちは、地上は走るけれど、空を飛べない。
お父さんが飛行機に乗って、なんとかグースたちに飛ぶことを教えようとするが、うまく行かない。”お母さん”エイミーが飛ばなくちゃ、グースも飛ばない。

トーマスはエイミーにグライダーを買ってあげ、「ママ・グース号」と名づけ、操縦の仕方を教えてあげた。
お父さんの「パパ・グース号」と並んで空を飛んだら、グースたちは必死にあとを追いかけて、ついに空を飛ぶことを覚えた。

グースは雁、渡り鳥である。冬になるまえに、南へ飛び立たなければならない。
玄関の前から飛び立てば、そこからの地形を覚えて、夏になったら自力で故郷に帰って来ることができるはずだ。

友人たちの協力を得て、「グースの渡りお手伝い作戦」ともいうべき、プロジェクトがはじまった。

鳥類学者に相談して、グースたちの行き場所を探した。
米国に湖を見つけた。昔からの野鳥の保護区なのだが、年々野鳥の数が減って、土地はどんどん狭められていった。
もう何年も1羽の野鳥も来ていない。11月1日までに飛来がなかったら、地主が土地を開発することになっていた。

エイミーのグースたちが飛来すれば、そこはグースたちの土地になる。森林が破壊されるのを防ぐことができる。
行き先が決まった。

綿密な計画を練った。
パパ・グース号とママ・グース号で、空を飛んでグースたちを先導し、地上隊は、食料とキャンプ用具、ガソリンなどを大量に積んで、車と船で移動する。
約1000キロもの道のりを、4日かけて飛ぶ計画をたてた。

1日目は、オンタリオ湖まで55キロ、対岸の米国まで55キロ、フランクリンビルの農地まで120キロ。計230キロ飛ばなければならない。
2日目は、アパラチア山脈を越えて、ペンシルバニアまで220キロ。
3日目は、ボルチモアの東を飛んで、バージニアまで南下。
4日目は、チェサビーク湾のニューホープへ行き、そこから海岸沿いを18キロ飛んで、目的地に到着する。

グースは時速50キロぐらいのスピードで飛ぶんだって。
野生のグースは1日に1000キロも飛べると言う。でも、エイミーのグースたちは、30キロぐらい飛ぶと息切れしてしまう。
目標は1日250キロだが、日程には余裕が必要だ。

イゴーと名づけられた足の悪いグースがいた。なんとか飛べるようになったけど、練習飛行のとき、森の中に落ちてしまった。
家族、友人総出でイゴーを探しに出かけている間、例の森林保安官(?)が、グースたちを盗み出し、「保護」してしまった。

作戦は計画の練り直し。
みんなでグースを盗み返し、さあ出発。
4日も遅れてしまったので、もうギリギリの時間しか残されていない。

グースたちは一生懸命飛ぶ。
湖の上を、山の上を、畑の上を、海の上を、ビルの谷間を、田舎町の空を・・・

この作戦がテレビに放映され、人々は空を見上げる。目的地では、自然を守ろうと、大勢の人々が湖のまわりに集まった。
地主に依頼された業者も集結し、ブルトーザーで人々を追い立てようとする。

11月1日夕刻、エイミーとグースは無事に湖に飛来した。イゴーだけは、エイミーのうしろにちょこんと坐ってのグライダー飛行だったけど。
お父さんの手造りの飛行機は途中で故障し、そのあとはエイミー1人で飛んだのである。
(なんと、その日は私の誕生日でもある!)

自分たちのものになった湖で、グースたちは楽しそうに遊び戯れる・・・
作戦は大成功。集まった人々は喝采を上げた。

グースの羽を切って、ペットとして納屋に閉じ込めておく方法もあった。そうすれば、エイミーはずっとグースと一緒にいられる。
それでは、監獄にとじこめられている囚人と同じだと、お父さんはエイミーを説得した。野生の鳥には野性の本能、野生の暮らし方がある。自由に生きてこそ、心の底からの幸せを味わえる。
エイミーも納得した。

半年間もグースと離れ、「かならず帰ってきてくれる」と信じて、ひたすら待ちつづけたエイミーは偉いね。
私はヴェルと毎日ずっと一緒に過ごし、旅立ってしまったヴェルの不在に、まだまだいたたまれない思いをしているというのに。。。

翌年、グースたちは、イゴーを含めた16羽全員で、エイミーの玄関に戻ってきた。ちゃんと道を覚えていて、自力で飛んで来れたのである。

エイミーのお母さんは歌手で、世界中をエイミーと一緒に旅をした。お母さんと2人の10年間も、とても幸せに暮らした。
両親は離婚してしまったけど、別々とはいえ、両方の親に愛されて、エイミーは幸せだね。片方の親に愛されただけでもラッキーといえるのに。

「グース」は、子どもと動物の物語のようだけど、それだけじゃない。
自然を保護し、野生動物の生きる権利を守るために、大人たちがよってたかって知恵と力を出し合った。
夢と理想をかなえるために行動した、大人たちのサクセス・ストーリーなのである。
2014/7/2(水) テニスを再開してみたら・・・
土曜日の午前中、治療をはじめて早々、腰が痛くなった。
こっそり待合室のテーブルに足をかけ、360度ストレッチをやった。30秒ぐらいだったけど、なんと一瞬で腰痛が消え、ベッドにかがみ込めるようになった。
今までの積み重ねの貯金があったんだね。

テニスもせず、ストレッチもせず、仕事以外は外に出ない。健康にいいこと、建設的なことは何もする気にならなかった。
そんな気力はなかった。
ヴェルが来る前の、昔の生活に逆戻りしたみたいに、毎日ゴロゴロしていた。

うっかり外に出て、野川を歩く人や犬に会うのもイヤだ。
テニス・クラブに行ったら、大勢の人に会い、挨拶をしたり、雑談をしたりしなくちゃならない。引きこもっていたかった。

・・・人に会うのが怖い・・・

5年前のテニス肘のときは、ものすごいこじらせ方をした。なんだかんだ1年ぐらいかかって、ひどい目にあった。右肘はまだ一進一退。

・・・テニスをするのも怖い・・・

「来週」「来週」と、先延ばしにしてきたけど、クラブの先輩に、「そろそろはじめたら?やってみて痛かったら、すぐにやめればいいんだし。いつも『やりながら治せ』と言ってるの、自分じゃん」と言われた。
たしかに正論である。

怖くて打てないのはわかっていたので、再開するときは、ちゃんと打てているかどうかコーチに見てもらわなくちゃならない。
スクールに戻ろうかとも思ったけれど、先輩が手伝ってくれることになった。

前日に怖気づいた。
まだ無理、と思った。断ろうと思ったが、その前に、久しぶりに易をしてみた。10円玉を3枚使って、6回ふって卦を出すやり方である。

全部で64卦もあるのに、同じことを占うと、同じ卦が何度も出るという優れものである。潜在意識(無意識)に答えを聞くのである。
すると、「みんなと親しめ。ぐずぐずすれば凶」という卦がでた。
行くしかない。先に延ばせば延ばすほど、もっと行きにくくなるもの。

月曜日に久しぶりにクラブへ。壁打ちし、そのあとコートでちょっとラリーをした。フォアのストロークはなんとか打てることがわかった。
バックハンドは右手の伸筋を使うので、無理そう。肩より高い位置に、腕を上げて打つのも無理そう。ボレーとサーブもやめといた。

暗~いまま、数人と犬の話をして、そそくさと家に帰った。
肘はとくに悪化はしていないみたい。
最初のハードルをひとつ越えたら、テニスがやれそうな気がしてきた。

今日はヴェルの、はじめての月命日である。
(月命日を意識したのは初めてであるうえ、なんと、この面倒くさがりの私が、ヴェルにお水をあげるのを、まだ1日も忘れていない)
仕事の前にクラブに寄って、壁打ちをしてきた。右手と左手、どっちもフォアで半々に。まあまあであった。

「久しぶりだね」と、いろんな人に声をかけられ、「どうしたの?」と聞かれた。
「肘を痛めて。それと犬が死んじゃって。しばらく壁でリハビリです」と答えた。

犬を亡くした人、猫を亡くした人、亡くすことを恐れている人・・・
ペットロスでつらい思いをした人がたくさんいるね。
ヴェルはけっしてかわいそうな死を迎えたわけじゃなかった、と思えてきた。

ヴェルの写真を、家中のあちこちに飾ってある。
無意識にヴェルを探すクセが抜けない。あちらこちらを見回すと、そこにヴェルの写真がある。「かわいい!」と嬉しくなる。
つらい思い出が、楽しい思い出とからみあい、合わさって織り込まれていく。

ひとりではどこへも行かれない甘えん坊のヴェルだから、たぶん、その辺で私のことを待っているんだろうな・・・と思えてきた。

お日様の下で身体を動かしたあと、久しぶりに元気いっぱいで、笑いながらおしゃべりをしている自分を発見した。

これがつづくといいな~。
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