2015/9/20(日) |
新潟へ行ってきた |
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木・金と2連休にして、新潟に行ってきた。
夏休みは兵庫に行ったし、パソコン仕事のせいで、まったく休みが取れなかったので、いつ行こうかと、ずっと気になっていたのである。
空き家の実家の面倒をみてくれているご近所さんに、年に1回は直接出向いてお礼を言わなくちゃ、テンションが下がってしまう。
顔を出すだけで、みなさん、ものすごく喜んでくれるんだよ。好意でやってくれている、ほんとうに親切な人たちなのだ。
(そういう人たちと仲良くしていたということは、あの母もなかなか「いい人」だったということか?私との間にはそうとうな葛藤があったのだけど・・・)
木曜日は雨でテニスができない。金曜日のシングルスの試合を翌月に変更すれば、1泊で行ける。
3回も延期したので、今回は出なくちゃと思っていた。
テニスクラブの患者さんに相談したら、「田舎の人だから、それは行かなくちゃ。気になっていることは、早く片付けたほうがいいよ。試合の延期も、3回も4回も一緒だよ。できるんだから延期して、10月、気候のいいときに出ればいいんだよ」と、アドバイスしてくれた。
決めたのが前日の夜なので、今年も1人で行くことになった。
ホテルを予約し、新潟に住む友人たちと連絡を取って、夜中に出かける準備をした。だいぶ旅慣れてきたね~。
木曜の朝、ベランダにバタバタと打ちつける雨の音を聞いて、ヤバイと思った。
こんな大雨の日に車で高速を走るなんて、無謀かも。
いつもテニスができない日に買い物などの雑用をすますので、出かけるのはいつも雨の日なのであるが。
中央道~圏央道は、視界が悪いぐらいの雨で、時速80キロぐらいしか出せなかったけど、新潟に近づくにつれ、雨がマシになっていった。
その日の夜は、新潟駅のちかくで昔の友人と飲んだ。去年お父さんが急死して、会いそこなった彼で、2年ぶりである。
翌日、新潟は快晴だった。
私の辞書には「墓参り」という語彙はないのであるが、人並みに、父の墓をたずねて行った。
お墓を洗って、花を生け、治療用のお線香に火をつけた。
青空が広がり、太陽がさんさんと輝き、さわやかな海風がそよそよと吹いてくる。こんな穏やかな日和の墓参りははじめてである。
きれいに飾られたお墓を眺めると、そこに父がいるような懐かしい気持ちがし、『だから人は墓参りをするのか』などと、感慨深かった。
「さあ、テニス」と思うと、毎回、雨。
これは父があの世でやきもきしているせいかも?な~んて思いもあって、出かけて来たのだが、父が大喜びで、お天気をプレゼントしてくれた気がした。
帰り道、海岸通の途中で車をとめて、海の写真をとった。 |
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実家のご近所さんたちも喜んでくれた。
前もって知らせずに、いきなり行ったのだけど、家の中まできれいに掃除してくれてあった。
母の様子を伝え、そそくさとまた車に乗って、村上へ走った。
そっちの友人も去年会いそこなった人。彼女のだんなさんが若年性の認知症になってしまい、電話であれこれアドバイスをしていたのだけど、やっぱり本人に会っておこうと思ったのである。
午後2時から、精神障害者のための授産施設での面接とのことで、そこにもついていった。
ただの親切心だけでなく、私にとってもいろいろと勉強になる。
またもやそそくさと別れ、村上で魚や野菜など、食料品を仕入れた。新鮮で美味しいのである。そこから東京まで、高速をひた走った。
私がETCをつけたのは今年の7月。「土・日の高速代が1000円」というバラマキに腹を立て、絶対につけないつもりだったのだけど、温泉通いで高速を使う機会が増え、ついに主張を曲げたのである。
券を取ったり、財布を開いたり閉じたりの手間がなくなり、楽ではある。
帰り道、料金所のETCレーンで、思わぬアクシデントに見舞われた。
前の車につづいて私が入った瞬間に、いきなり赤信号がともった。前の車の前でバーが降りて、閉じ込められてしまったのである。そのままえんえんと待つのは時間の無駄である。
他の車は入ってこないだろうから、「バック厳禁」という表示を無視して、ハザードを出してバックして、隣のレーンに移動した。
運転歴が長いからねえ~。運転技術も(今のところ)年々上達している。
助手席のミッフィーちゃんとふたりで、2日間で870キロも走った。
東京は雨で、シングルスのラウンドロビンは、またも中止になったんだって。
強行スケジュールだったけど、ほんとうに行ってよかったね~。 |
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2015/9/12(土) |
「自己中」と「わがまま」の違い |
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未明の地震はすごかった。
すごい音とともに、上下に小刻みにガタガタする揺れがしばらくつづいた。巨人がエレベーターの胸ぐらをつかんで、「てめえ~」と言いながら、上下にガクガク揺すったような感じ。(それが直下型の縦揺れというものなのかな?)
それから、ぐらぐらと横揺れに変わって行って、大きなボールの上でゆっさゆっさと揺られているような、ふつうの地震になった。
いそいでテレビをつけたら、東京湾が震源なのに、調布市だけが震度5で、他は4とのこと。(狛江の人に聞いたら、縦揺れはなかったって!)
本棚のこけしが1個、ガチャンと床に落ちただけで、被害mゼロだった。
心配のメールや電話、ありがとね~~
この間の小型機の墜落といい、今回の地震といい、調布がピンポイントで狙われてるみたいだね~(笑)
ホームページの移行のあとも、あれこれの手直しがあった。
携帯の画面を見て、間違いをチェックしたり、レイアウトを直したり、リンクエラーを修正したりと、しばらく「パソコンの子」だった。
「さあ、テニス!」と思ったとたんに、毎日、毎日、雨がつづいた。
1ヶ月間、1・2時間の練習だけにしていたので、筋肉が落ちて、腕も足も細くなっちゃってる。何年もかけて作ってきたのに、悲しいなあ。
昨日になってやっと晴れて、久しぶりにクラブに行った。
フロントの前で声をかけられ、練習なしでそのままゲームをはじめた。
まるで、プールの中でテニスをしているようだった。ギラギラの太陽に照らされ、コートもボールも、キラキラ光って見えにくい。
ラケットにボールが当たる感触もにぶくて、水中で打っているみたいに手ごたえがない。走っていっても、足の動きがおぼつかないので、ミスショットの連続。
2こ目ぐらいから、だんだんと、まとまなボールが打てるようにはなっていったけど、途中で疲れて、帰りたくなっちゃった。
来週はシングルスなのに、こんなんで大丈夫かなあ・・・
ところで、今日の本題。
クラブやサークルで、テニスを通して、いろんな人たちとお付き合いをするようになっった私。
「友だちも患者、患者も友だち」という生活では見えなかったものが、いろいろ見えるようになった。
それで、最近発見したのが、「わがまま」と「自己中」は違う、ということ。どちらも「自分勝手」と評されたりするけど、質がまったく違う。
「わがまま」な人は世界に他人がいる。相手がいるから、わがままを言えるんだし、自分がわがままなことも自覚している。
日ごろ、ものすごいわがままでも、相手の状況に応じて、わがままを引っ込めたりすることもある。
困っている人を助けたり、ぽつんとしている人に声をかけたり、全力で人助けをすることもある。
だから、かわいいところがある。言動にムッ!としても、まあ、許してやろうかという気にもなるし、しょうがないな、と受け入れる気持ちにもなったりする。
邪心がない人なら、子どものように自分に正直で、裏表がなくて、かえってつきあいやすいと思うこともある。
「自己中」な人は、世界に人間は自分1人しかいない。他人はみな「アイテム」である。
リカちゃん人形ハウスで遊んでいるようなものだ。自分が唯一の人間で、まわりにあるのは「モノ」だけ。
額縁が『ずっと同じ場所じゃあ、飽きるかも』とか、椅子が『いつも坐られてばっかりじゃ、つらいだろう』とか、考える人はいないものね。
自己中な人は、自分の欲望、快、不快でしか行動できない。他人の心を思いやる想像力が欠如している。
自分のことしか考えられない。自分さえよければ、まわりの人の気持ちは、アウト・オブ・眼中である。
自分中心でないといられないから、うっかり仲良くすると、いつの間にか、その人のまわりを回る惑星にされてしまう。ブラックホールみたいに、まわりのエネルギーをぜんぶ吸い込んでしまう。
それに気づいて距離を置くと、逆切れされ、立ち去ろうとする背中にナイフを突き立てられる。これは比喩だが、ま、被害妄想だったりするからね。
必ず、最後は、嫌な思いをする。
自閉症は脳の障害なので、自己中とは無関係だ。いろんな性格、いろんなタイプの人がいる。
人の心が読めない、暗黙の了解がわからない、社交辞令が苦手など、コミュニケーション能力に障害がある。
「独りよがり」な面があるけど、邪心がなくて純粋で、社会への適応がむずかしい「不器用」な人なのである。
人はみな、優しい人が好き。自分を思いやってくれる人になつくのである。
人に好かれたかったら、与える喜びを知るといいよね。「多くを与える人が、多くを受け取る」のである。 |
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2015/9/2(水) |
ホームページの移行がおわったよ |
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これを「見た」ということは、あなたはちゃんと新しいホームページにたどりついた、ということだね!
URLの変更をお願いします。iij4uのメルアドもそのうち使えなくなるので、そちらの変更もお忘れなく!
ついに、ホームページの移行が無事完了した。
1ヵ月半もかかった、というより、よくもこんなに短期間で!と、自分のクレージーぶりを賞賛してもいい。
ファイルを整理している途中、昔のブログ(2008/7/2)に、2つのサーバーにまたがってしまった経過が書かれてあったのを見つけた。
当時は「ファイルが100以上」だったから、あれから20倍以上になっていたんだね。3600個あったファイルを整理して、今は2000個を切っている。
うちはホームページを作るのが早かった。
とくに、携帯サイトは、ヤフー・モバイルに登録したとき、鍼灸の分野で、全国で17番目という早さだった。
症例集などの内容が充実していたので、「ハリ、灸」で検索すると、検索でトップに登場していたという歴史がある。
そのうち、だんだん業者が参入して、検索の上位になるために、あれこれ策をもちいるようになったので、今では、後ろのほうに追いやられてしまったけど。
PC版はともかく、携帯サイトが複雑で、何倍ものファイル数があったのには理由がある。
ある日、図書館で「iモード用ホームページの作り方」という本を見つけた。それを読んで、自力でしこしこ作ったのである。
当時は、通信速度が遅くて、容量を最小限にしなくてはならなかった。1つのファイルを数個に分けて、「つづく」でつないで行くくしかなかった。
画像は最小限。表も使えず、文字の大きさ、フォント、色などの指定もできなかった。
携帯でドラクエの「不思議のダンジョン」にはまったとき、『もしや・・・?』と思って、サイトマップなどいくつかのファイルを変更してみたりもしたけど・・・、
ずっと、気になってはいながら、面倒なので、最初のパターンをそのまま踏襲してきたのである。
自分で決めた〆切は8月いっぱい。
レイアウトまであれこれ考える時間もないし、才能もない。
「スマホで見やすいように」と言いながらも、私はガラ系なので、どっちつかずでちょっと中途半端かもしれない。
参考意見を聞かせてくださいね。それと、リンクの貼り間違いもあるかも。不具合を見つけたら、教えてね~~
FAQ(よくある質問)の中に、未熟な頃に書いたものがあったので、いくつか書き直した。これも前々から気になっていたのである。
フォルダーやファイルがどんどん整理されていく快感、早くアップしたいという切望で、お休みの日も仕事場に来ていた。
テニスにはちょこちょこ行っていたけど、1・2時間の練習のみにして、ゲームも飲み会も封印した。
昔の文章をチェックしながらの作業だったので、超大変だったけど、「クレイジー」な集中力で、とりあえず、見れるものができたと思う。
まだまだ直しは必要なので、残りは合間にゆっくりやろうと思う。
とりあえず、よろしくね~~ |
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2015/8/23(日) |
姫路城を見学 |
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更新が遅れているのは、PCに向かう時間がないからではなく、逆に、「パソコンの子」になっているからなの~~
うちのホームページは、実は2つのサーバーにまたがっている。
はじめに、グラフィックデザイナーの友人が、看板と診療案内だけの簡単なホームページを作ってくれた。その直後、彼が「うつ」になってしまったので、図書館の本で勉強し、手探りで更新をしてきた。
メインのホームページはIij4u にあった。Yahooで練習をしたあと、そのまま英語版にして、2つのサイトを管理していた。
でも、ある日、Iij4u にファイルが送れなくなった。容量が小さかったせいである。
そのときに、Yahooをメインにすればよかったのだけど、ファイルのほとんどをYahooに移動して、サーバーとサーバーをリンクして乗り切ってしまった。
先日 Iij4u から、来年3月で、すべてのサービスを停止するという通知が来た。今までの表紙だけじゃなく、メールアドレスも消えてしまうので要注意!
これからは、英語版"Miz Acupuncture Office"がホームになる。9月にはリニューアル・バージョンをお見せできる予定。
ついでに、フォルダーを整理して、すべてをやり直すことにした。
手探りでつくったものなので、建て増しを重ねた家のように、中のファイルがぐちゃぐちゃに入り組んでいる。ものすごく複雑で、大変な作業をしていたのである。
初期に書いたものなど、手直しが必要なものもあって、前々から気になっていた。
携帯サイトは、スマホ対応にモデルチェンジしているので、アドレスはすべて変わってしまう。
(後注:スマホはPCサイトが便利だそうだから、やっぱりガラ系用であった)
真夏は患者さんが少ないので、今がチャンスである。ファイル3600個以上もあるので、死に物狂いなのである。
「すごい集中力だね」と、みなさんに驚かれるけど、何時間でも虜になってしまう。まるでパソコンの部品になって、このままでは廃人になりそう・・・
お助けマンは、テニスである。2時間でも炎天下で身体を動かすと、すべてがリセットされ、人間らしい自分を取り戻せる。
テニスがあって、よかった~~
そこで、先延ばしにした姫路城の話題だよ。
姫路城は、何年(何十年?)もの長い間、シートに覆われていたらしい。リニューアルが終って、全貌が見えるようになったのは、今年の5月だ。
「ものすごく混むんだって」とか、「4時間待ちなんだって」とか、おそろしい噂を聞いた。
でも、以前に見学したことのある患者さんが2人もいて、「朝の9時に行ったので、待ち時間がなくて、スムーズに見学できました」と教えてくれた。
前日に道順などを下調べして、小雨がぱらつく中、朝9時に門の前に到着。待たずに入れて、2時間もかけて、ゆっくり中を探索することができた。 |
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子どもの頃、母方の実家に「お蔵」と呼ばれていた土蔵があった。窓も電灯もなく、中は真っ暗闇である。ろうそくに火をともし、提灯を持って、母屋から渡り廊下を歩いて行った。
子どもにとっては怖いところで、「お蔵に入れるぞ~」などと、おとなは嬉しそうに子どもを脅かしたものだった。
「お蔵」の古い木の匂い、長年の埃やカビが入り混じった匂いがし、一気に歴史の深みに入り込んだ。
木でできた建造物を、500年もの間、手入れに手入れを重ねて保存してきた人間の執念はすごい。
限りある命をの虚しさを、歴史に残すことで、永遠を感じたいのだろうか。海外でも、遺跡とかカテドラルとかを見るのが好きなんだ。 |
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2015/8/5(水) |
淡路島② 海で泳ぐ |
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淡路島の2日目、同行者ともども、お昼まで眠りこけてしまった。
コンドミニアムに泊まったので、朝食は出ない。前夜に買い込んだパンなどでサンドイッチを作って食べた。
さあ、泳ぐぞ~!
とにかく、年に1回は海で泳ぎたい。1年間に染み込んだ邪気を、新鮮な海の気と交換するのも目的のひとつ。リフレッシュできるのである。
海で泳ぐときは水着を着る。そのために、春先からずっと、水着に合わせた「日焼け」を作ってきた。
クラブの女性たちはほとんど全員、日焼け予防に全身を覆っている。中には、顔をマスクで覆っている人もいる。
いろんな女性に、「きれいに焼けてるわね~」などと話しかけられ、ついでに、「そんなに焼くと皮膚がんになると、医者に言われたのよ」とか、「私なんかシミになっちゃうから、肌を出せないのよ」とか、忠告されたりする。
けっこう用心はしているんだ。
メラニン色素は紫外線を吸収してくれるので、春の太陽から少しずつ慣らして、ゆっくりと自前のメラニン色素を作ってゆく。
やけど予防には、バージンオイルを皮膚に塗っている。
暑くなるにつれ、メラニン色素がどんどん増えて、真夏には真っ黒になる。
秋から冬へと、太陽が弱まるにつれ、メラニン色素が破壊されていき、冬には白っぽいお肌になる。
でも、白くなりきらずにまた春が来るので、昔の私を知っている人には、「焼けてますね!」と、1年中驚かれるのである。
足だけ白いとかっこ悪い。春先からスコートをはき、足を焼く。
(シューズを履かずにテニスは無理なので、白いソックスをはいたみたいになるのは避けられないが・・・)
半袖で焼けると、土方焼けになる。シャツはフレンチスリーブにして、日差しの強い日には、袖をめくって肩を出す。
肩はあっという間に焼けるので、たまにタンクトップにすれば、きれいに焼ける。 |
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洲本市の大浜海水浴場は、平日のせいか閑散としている。まるで村上の海岸のようである。
海の水はきれいだったが、とても冷たかった。
なんとか慣れて泳ぎはじめたころに、パラパラと小雨が降ってきた。遠くに見えた黒雲の塊が、徐々に上空にやってくる。
そして、ついに土砂降りに。同行者たちはリタイアして、海の家に避難している。いちばん年寄りの私だけ、それでもしつこく泳ぎつづけた。
手と足の指先がチリチリと痺れはじめた。それでもかまわず泳いでいたら、尋常でない痺れに変わって行った。
『凍死するときって、こうやってはじまるのかな?』という不安にかられ、ついに私も陸に上がった。
そのままホテルの温泉へ。
手足の痺れは、別のタイプの痺れに変化していった。冷え切った細胞に温かい血が通いはじめるときの痺れ・・・、正座のあとのビリビリと似ている。
30分以上もお湯につかって、やっと身体が温まった。出たころには雨もやみ、うすぼんやりした青空が見えはじめた。
山頂まで車で行けるというので、すぐ近くにある洲本城の見学に出かけた。私たちが泳いだ海岸が見渡せる。 |
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最終日は姫路城を見学に行く予定だったので、この数週間、ちびちびとではあるが、姫路城についてお勉強をした。
そのおかげで、城を見る目が少しはできている。
三熊山洲本城址は、城そのものは消失している。
敵の侵入を妨害するために、わざとくねくねと歩きにくく作られた階段や、大小さまざまの石を積み上げて作られた頑丈な石垣など、当時の人々の苦労と工夫を見て、感無量の心地だった。
帰りは「歩きたいね」と、運転係りに車を任せて、2人で歩いて山をくだった。雨のおかげで空気がひんやりしている。地元では聞いたことのない、いろんな種類のセミの声が響いていたよ。 |
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日記 TOP |
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