2015/7/28(火) |
淡路島① うずしおクルーズ |
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調布市で、小型飛行機が民家に墜落・・・連日その報道が世の中を騒がせている。
日曜日の朝11時ごろは、バイクに乗って通勤中だった。甲州街道を下っているとき、後方からパトカーがサイレンを鳴らして走ってきた。つづいて前方から、救急車がサイレンを鳴らして走ってくるのが見えた。
「どこへ行くんだろう?」と不思議に思いながら、空を見上げることもなく、そのまま仕事場に直行した。
現れた患者さんが、「真っ黒い煙が見えたけど、火事でもあったのかなあ」と言った。「まるで車が炎上したときのような、すごい煙だったよ」
へえ~?でも、見物に行っている時間はない。
そのまま治療をはじめたら、昔の患者さんから「大丈夫ですか?」というメールが届いた。それではじめて事件を知った。
ここにはテレビがない。
でも、携帯のワンセグを思い出して、チラ見しながら仕事をした。
治療室と現場の富士見町は、甲州街道をはさんでちょうど反対側に位置する。
黒煙は南風に乗って、三鷹市のほうへ流れて行ったらしい。
三鷹でテニスをしていた人が、「煤がパラパラ降ってきた」と言っていた。
夜、家に帰ってポプラに話したら、「ええ!」と驚いていた。地上波を見ないので、何も知らなかったって。
というわけで、自宅も治療室も、母の「ちょうふの里」も無事である。
早めの夏休みは、兵庫県に行ってきた。
まずは淡路島である。明石市から明石海峡大橋を通って、そのまま淡路島に直行できる。便利になったね~
初日は有名な「渦潮」の見物に出かけることにした。
車の中で大潮の時間を調べ、図書館で借りたガイドブックと、ネットの口コミを参照して、どの船に乗るかを検討した。
海中での渦潮の様子を見れる船(アクアエディ)は、渦潮の真上に行くそうだが、逆に甲板に上がる時間が短くて、欲求不満になったという。
定員24名のクルーザー(ヘリオス)で、あっという間に渦の真っ只中に行けるというのもあったけど、乗船時間が30分だそうだ。
昔からある「咸臨丸」は、幕末の蒸気帆船を模したレトロなデザイン。素敵だし、乗船時間が1時間と長い。
スリル満点の小型船で、ガーッと30分乗るよりも、大型船でゆったり1時間、のんびりしたい気分であった。
その日の大潮は2時40分だった。
3時ごろ、南あわじ市の福良港に着いて、駐車場から歩きはじめたら、小雨がパラパラ降ってきた。黒々とした雲が、みるみる空をおおっていく。 |
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出航直前の船に乗り込み、見晴らしのいい2階のデッキに向かったが、最後尾で乗船したので、テーブルもイスも人で埋まっていた。 |
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そのへんをウロウロしていたら、急に風が強まって、横殴りの雨がデッキに降り注ぎはじめた。
乗客たちは、あわてて避難して行き、そして・・・、誰もいなくなった。雨に負けなかった私たちは、まんまとデッキのテーブルに陣取ることができた。
とはいえ、ほとんどの時間、手すりにはりついていたけどね。
淡路島の天気は変わりやすい?
あっという間に黒雲は去り、青空が広がった。
広々とした海の上を漂い、たくさんの渦潮を見ながら、のんびりとミニ・クルーズを楽しむことができた。 |
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2015/7/14(火) |
「モニョモニョ動き」大作戦 |
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ほんとうに疲労の回復が悪くなった・・・
去年の今頃までのほうが、もっともっと、とてつもなくハードにテニスをしまくっていたけど、こんなに長々と、疲れを持ち越したことはなかった。
疲れを感じるのが2・3日後と、感度が鈍くなった。そのあと1週間以上、ときにはもっと長い間、疲労の蓄積がつづくようになった。
1つ年を取ったという以上の変化が、きっぱりと、ヴェルがいなくなった日を境にはじまっている。
鍼灸治療は相変わらずつづけている。
お散歩の途中に、ハシゴに片足をかけてやった「360度ストレッチ」は、今も家の中でやっている。身体がどんどん柔らかく、しなやかになっている。
それなのに疲労が蓄積する。違いは、「お散歩」としか考えられない。
ヴェルは小さいし、しかも老犬だったから、お散歩ものんびりしたものだった。
犬に合わせてゆっくり歩く。ヴェルを見たり、白鷺を眺めたり、空を見上げたりしながら、ちょっとした筋トレをやったりもした。
テニスの前にお散歩。次の朝もまたお散歩。ヴェルがいた頃は、毎日、毎日、1時間以上、そのへんをうろうろ歩きまわった。
ハードな動きのあとの、スローな動き。それが疲労回復の、重要なファクターだったのではないだろうか。
筋肉は収縮するたびに、「筋ポンプ作用」で、内部の血が動く。
何時間も走り回って、筋肉の中に疲労物質が溜まる。ゆっくり動くことで、新しい血が巡り来て、古い血の中の疲労物質が押し流される。
「犬の散歩は運動にならない」とか、
「ゆっくり歩いても運動にならない。早足で歩きなさい」とか、
かつて、そういう説が流布していた。
でも、指1本持ち上げるときにも、全身のあらゆる筋肉が動く。
どの筋肉はどのぐらいと、脳が収縮率を計算し、すべての筋肉が一瞬にして協調運動をする。だから人間は、スムーズに動くことができるのである。
ちょっとした動作でも、全身を使うということは、どんな動きも無駄ではないということだ。
お散歩に当てていた時間は、ガーッとテニスをする以外は、パソコンに向かって、ジーッと坐っている時間になった。
「ゆっくり動く」時間がなくなったのが、疲労回復が悪くなった原因なのではないだろうか?
また犬を飼うわけにはいかない。忙しいのだもの。
そこで思いついたのが、「モニョモニョ」大作戦である。
子どもを思い浮かべてみよう。「イスに坐って、おとなしくしていなさい」と命令しても、ジッとさせておくのは至難の業。いつもモニョモニョ落ち着かない。
こっちのイスから、あっちのイスへ移動するときも、ピョンピョン跳ねたりして、無駄な動きが多い。
それに比べて、お年寄りはジッとしているのが得意である。イスに坐ったまま、彫像になっていられる。移動するときは、最短コースを省エネで動く。
良く動く人は元気だけど、動かない人はどんどん身体が衰えていく。
つまり、子どものように、いつもモゾモゾ、モニョモニョ動いていれば、疲労物質が押し流されやすいのではないか?
そう仮説を立てた。
朝のまどろみの時間。
私は、目が覚めてから、身体が目覚めるまで、とても時間がかかる。夢を思い出したり、あれこれ浮かんでくる想念を整理したり。深い海の底に沈んだ石像のように、固まったまま想念の世界に埋没するのが、最高の至福の時間だった。
でも、ヴェルがいた頃は、撫でたり、話しかけたり、匂いを嗅いだりして、ちょこちょこ動いていたはずだ。
石になるのはマズイ。おふとんの上で、手足を動かしたり、ゴロゴロ転がったり、動きながらまどろむクセをつけよう。
踊りながらお皿を洗う。家の中を踊るように歩く。坐って休憩しているときも、パソコンに向かっているときも、手をヒラヒラ、足をクルクル、あちこちをモニョモニョ動かしながらのクセをつけよう。
そう決心した。仮説を立てたら、実行して効果を確認しなくちゃね。
なんだか、成功しているみたい。
もうひとつ発見があった。「テニスは身体にいい」ということである。
雨で丸7日、そのあともテニスができない日がつづいた。
太ももの付け根がなかなか治らないから、休養もいいのかもと自分に言い聞かせながら、ふくらはぎなど、硬くなった筋肉の治療に専念した。
太ももの付け根は、灸頭鍼でかなり良くなり、足の筋肉も弾力を取り戻せた。
でも、テニスやれない日がつづくうちに、だんだん身体が硬くなっていった。筋肉を伸ばすのに苦労するようになった。
ストレッチをすると身体の状態がわかるのである。
金曜日にピカッと晴れて4時間テニス。翌日も2時間テニスをした。そしたら、ストレッチのときに、スーッと筋肉が伸びるようになった。超快感である。
鍼灸とテニスとストレッチと、プラス「モニョモニョ」大作戦で、なんだか若返ったみたい。思い通りに身体が使えるって、ほんとに楽しいね!
2つも大発見をしちゃった。
みなさんも子どもに返ったつもりで、「モニョモニョ大作戦」を試してみない~? |
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2015/6/30(火) |
チャンスボールはピンチ・ボール |
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京王テニスクラブの会員は、みなさん「テニスきちがい」である。
ダブルスのゲームだけを楽しむという人も多いけど、もっともっと上達したいという人もたくさんいる。
練習会をやっているグループがいくつもあって、リーダーがボランティアで、球出しやコーチングをしてくれている。素晴しいことである。
去年の暮れぐらいから、毎週水曜日の午前中は、女性が主催の練習会に参加させてもらっている。
練習会は月・水・木とあるのだが、朝10時から開始となると、週1が限度である。
他の人たちは適当な時間にやってくるのだが、新人なので、(自主的に)10時前に行って、コートの確保などのお手伝いをしている。
とにかく、ボレーに難があった。
2年前、先輩に、グリップもフォームもすべて変えさせられたが、モノにできないまま月日が流れていった。ストローク中心で教わっていたからである。
ストロークは壁でもできるし、ラリーの相手も見つけやすいけど、ボレーの練習をする機会が、なかなかなかった。
練習会はボレーがメイン。ネットダッシュなど、ダブルスの動きが中心だ。
はじめの頃は、冷や汗ものだった。ボレーがノーコンなので、ラリーがつづかない。
「ごめん!」「また、やっちゃった!」の連発だった。なんたって、私のような初心者と違い、ほとんどが歴戦のつわもの達なのである。
「下手だから練習するんだから、気にしないの」と優しい。
「みづさん、足を動かしてないよ!」とか、プレーをしながらのアドバイスは的確で、ほんとうにありがたい。
いつも教わっている先輩とは多少切り口が異なるが、注意されることはほとんど同じである。ボールを追っているといろんなことを忘れてしまうのだ。
3ヶ月ぐらいたって、なんとかボレーがつながるようになった。
練習会での「ごめんなさい」が減ったとはいえ、ゲーム中の「決め」のボレーは、相変わらずミスの連発である。
ボールが浮いてきて、『これこそ、チャンス!』と思う。ボールに飛びついて、思いっきり打つと、アウト。恐るおそる「入れ」に行くと、全部返ってきて、えんえんとラリーがつづく。
「前に出るのはいいことよ。そのうち、入るようになるわよ」と、みなさん、発展途上国の私を励ましてくれるんだけど・・・
この間、ゲームで組んだ女性に、「チャンスボールを決めてくれなくちゃ、いったい、いつ終るのよ!」と怒鳴られた。(たまに、こういう人もいる)
実際は、彼女自身、ミスの多いプレーヤーなのである。
攻撃的な人間は、テニスも攻撃的になる。後方からでも、無理やり強打をしたがる。気持ちよく決まることもあるけれど、確率は低い。そういう人はたいていボレーが下手である。
フォームを観察すると、ボレーのときでもラケットを大振りしている。
「人の振り見て、わが振り直せ」だ。
ボレーは「ラケットを振ってはいけない」のが基本である。正しいフォームを身につけて、ボレーの達人になってやるぞ!と、気合のスイッチが入った。
先輩にはいつも、「1本目のボールは難しいんだから、1本、深くつないで、チャンスを待て」と注意されつづけてきた。
でも、やっぱり、目の前でボールがポワ~ンと上がると、飛びついてしまう。アドバイスを思い出すのは、失敗したあとなのである。
あれこれ考えつづけて、ふいにひらめいた。
なるほど、ゲーム中は、どこにどういうボールが飛んでくるかわからない。
「チャンス・ボールが来た!」と思って、それから打ちに行くので、その時点で、すでに出遅れている。
1本深く返して、次のボールを打つときは、甘い球を「待っている」から、すでに準備ができている。そこで、本当のチャンスが生まれる。
鍼灸治療も含めて、すべてに言えることなんだけど、私は、自分なりに理論体系化しないといられない人間なのである。
頭の中の辞書には、先輩に教えられた注意事項が、ぎっしり書き込まれてある。言葉としてインプットされていても、体験と工夫を通して理解しないと、自分のものにならないのだ。
腑に落ちたからといって、身体で表現するのは、また別問題である。
バシンと決めるボレーも教わって、ボレーのフォームはおおむね及第点をもらえるようになった。
それでも、やっぱり、ゲーム形式での練習になると、1本目から、「決めよう」と無理をして、ミスをしてしまう。たまに決まるから、つい、張り切っちゃうんだよね。
ついに先輩は、ボールを出した瞬間に、「ピンチ!」と叫んだ。「これは、チャンスボールじゃない。ピンチボールと思え」と、にっこり。
プロでも、チャンスボールをミスするのは珍しいことじゃないそうだ。チャンスボールは一番の危険球なんだと、解説者もコメントしていた。
こんだけ長い間ミスを連発すると、さすがにとことん身にしみる。「発展途上」などと甘えているのも限界である。
なんとしても、できるようになりたいものである・・・ |
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2015/6/21(日) |
またまた日帰り温泉に・・・ |
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月曜日、おじさま3人に混じってゲームをしていたとき、右太ももの付け根を痛めてしまった。
みなさん超ベテランで、ドロップ・ショットなど、きわどいショットを多用して、ポイントを取ろうとする。
私はドロップ・ショットを返すのが得意である。99%拾えるし、カウンターで返したり、ロブでしのいだりと、処理も上手になってきた。
「足、速いね~!」などとほめられて、調子に乗って走りまくっていたら、右の大腿四頭筋の付け根、鼡径靭帯のあたりが、ミシミシッという痛みとともに・・・壊れた。コートチェンジになったところで、ちょっと失礼して、トイレでテーピングをした。
テーピングのおかげで、テニスはつづけられたが、もう全力では走れない。フォアは右足が軸足なので、踏ん張れない。
壊れたところをかばって、9割ぐらいのテニスしかできなかった。
それでもなんとか互角のゲームはできたのは、成長の証である。
「上手くなったね」「調子良かったね」と、おじさまたちにほめられた。ドヘタな頃からやってくれた優しい人たちなのである。
痛めた部位は、4年前に母の介護で壊したところである。
お布団に寝た母を、2時間おきに抱え起こして、歩かせてトイレに連れて行った。3日目の夜中にギクッと痛みが走り、右太ももを持ち上げられなくなった。
それ以来、そこが弱点になって、ときどき不具合がおこるのである。
先週木曜日、「無理」を越えた、「無茶」なテニスをやった。
30分壁打ちをしたあと、3時間半、休みなしの特訓を受けた。さすがにこれ以上は無理と思ったが、まだ3時半なので、飲むには早いなあ。。。
ベンチで休んでいたら、4人目を探している人がいた。ミックス・ダブルスに入れてもらって、ボールを追いかけて走りまくった。
そのあと、おじさんとシングルスをやって、またまたコートの中を走りまくった。
ヘロヘロになってからの走りは、「ランナーズ・ハイ」と同じで、超快感なのである。
限界を越えてどこまでやれるのかを、試してみたい気持ちもあった。
「疲れ」を感じたのは、数日後である。トシだね~。
毎日、足や腰など、あちこち自分でハリやカマヤミニをしたのだけど、太ももは盲点だった。
自分の身体の、全体を見渡すことは不可能なのである。
脳はフォーカスの機能があるので、一番気になるポイントしか把握できない。だから、自己治療では限界がある。
前にも書いたけど、「人間が魚をさばくのは簡単だけど、魚が自分で自分をさばくのは難しい」というのと、同じ原理である。
古傷だし、痛みも深いので、長引きそうな気配がした。
火曜日に自分でピンポイントでハリを打ったら、とりあえず深い痛みは消え、テーピングさえすれば、一応テニスに支障はなくなったけど。。。
金曜日にまたシングルスのラウンドロビンに申し込んであった。だけど、ここで無茶を重ねたら、取り返しがつかないことになるかもしれない。
雨の予報が100%だったし、これは神様が「休むように」と取り計らってくれているに違いない。そう思って、翌月に変更させてもらった。
毎月1回行われていて、他の回に振り替えられるのである。
仕事は休みの予定だったので、あんずに来てもらい、2人で家の大掃除をしたあと、夕方、また日帰り温泉に行った。
こういう疲れが、温泉で回復するのかを試してみたい気持ちもあった。
調布インターから中央道に乗れば、相模湖インターまで30分ぐらい。そこからは田舎の山道を15分ぐらい走る。ちょうどいいドライブである。
山の見える露天風呂でのんびりしたら、疲れとストレスが飛んでいった。すっかりリフレッシュして、元気を取り戻した。
温泉効果プラス、日常を離れたバカンス効果もあったかもしれないね。
準備運動も嫌いだった私が、毎日ストレッチをしている・・・
温泉なんてあまり好きじゃなかった私が、今季3回も日帰り温泉に行った・・・
こうやって人間は、年老いていくことに順応していくんだな・・・、と感慨深い、今日この頃である。 |
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2015/6/7(日) |
ヴェルの命日:一周忌 |
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ぎっくり腰のほうは、あのまま治って、翌日からいつものように、練習にゲームと、テニスをしまくっている。
シングルスに出たおかげで、もうひとつ発見があった。
シングルスの試合のあとの、初テニスの日、ダブルスのゲームに入れてもらったら、『なんか変・・・?』と、あっという間に負けてしまった。
頭の中が「シングルス・モード」になっていて、ダブルスに慣れるのに、かなり時間がかかったのである。
「シングルスの前の日は、ダブルスをやっちゃダメだったのよ。ぜんぜん違うんだから」と、試合のあとで言われたんだけど・・・
ダブルスをさんざんやったあとの翌日のシングルスでは、何の違和感もなかった。
「ダブルス→シングルス」は違和感がなく、「シングルス→ダブルス」で戸惑ったということは、ダブルスのときに「ダブルス」をしていなかったということだ。
得意なのがフォアだけなので、いつも後ろでストロークを打っていた。ワン・パターンだけど、そこにいると安心だし、それが一番負けにくかった。
でも、これからは、苦手なこと、できないことに挑戦して、ダブルスの時にはダブルスらしいテニスをしなくちゃいけないね。
「ダブルスとシングルスは、まったく別のスポーツと思ったほうがいい」と、前々から先輩にもアドバイスはされていたんだけど・・・
今頃になって実感するなんて、シングルスだけじゃなく、ダブルスもまだまだ初心者だったんだね~。
ちょうどいいタイミング(?)で、右手の親指を突き指した。
去年、テニス肘で右腕が使えなかったとき、両手バックハンドのスライスを習った。それだと、右手は添えるだけ。左手1本で打つので、何の問題もない。
この際だから、苦手なバックサイドに入れてもらって、リターンからスライスで前に出て、そのままボレー&ボレーをするようにした。
バックに入って勝ったことが、今まで1回もなかったんだけど、初めての一勝!
得意なフォアが封じられて、かえって新境地が開けたみたい。
これもまさに、いつもの「怪我の巧妙」である。
6月2日はヴェルの命日だった。ついに一周忌である。
いつも火曜日に来ている患者さんたちが、そろって他の日に移動したので、チャンスと思って、お休みにしてしまった。
ぎりぎりまで迷っていたけど、どうしても仕事をする気になれなかった。
連休ぐらいから、湿度が上がってくる。吸い込んだ空気の中に、水の粒が混ざっているのを感じる。
「ああ、ヴェルの調子が悪くなっちゃう・・・」と、不安に駆られた感覚が蘇ってくる。
まるで夏が来たかのような暑い日がつづく。
ヴェルがいきなりレベルダウンした日も、こんな暑さだった。暑さにぐったりするヴェルを、気が狂いそうになるほど心配した。
同じ季節になって、同じ感情が心に舞い込んでくる。
肉体がどんどん壊れていくヴェルを、見守るしかなかった日々。愛するものの死を、受け入れるしかなかった日々・・・
気持ちがどんどんブルーになっていった。
猫を5匹亡くした人が、「そうなのよね。その時期になると、どうしても思い出して、悲しくなっちゃうのよ」と言った。
5匹もいたのに、いまだに忘れられないとは!
お喋りするインコを亡くした人が、「2年はかかるわね。2年たって、やっとお骨を埋葬する気になったの」と言った。
父親と同じ霊園に納骨したそうだが、父親のときは泣かなかったのに、インコの納骨のときは、おいおい泣いてしまったんだって。
ヴェルの命日は、あんずと2人で日帰り温泉に行った。夜は居酒屋で飲んだ。
酔っ払っての帰り道、久しぶりに、涙がポロポロ。ヴェルを思い出しておいおい泣いてしまった。
ヴェルには魂があると思う。DNAだけでは説明できない個性があった。肉体が滅びても、魂はまだそのへんにいると思う。
きっと私を見守っていて、私と一緒に天国に行く日まで、道の途中で待っているんだよね。「ね、ヴェル!」 |
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