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リョーコの手作りブログへようこそ!
2015/12/27(日) 「サーブ恐怖症」を克服できそう・・・
このままだと「サーブ恐怖症」になって、一生サーブが打てなくなるんじゃないかと、ずっと危惧していた私。
その反面、この先、多種類の回転の異なるサーブをいくらでも打てるようになりそう、という気もしていた。

「混迷のドロ沼」を書いた翌日、手首の固定とラケット面に注意を払いながら、サーブ練習にいそしんだ。
フォームを確かめながら、えんえんと打ったんだけど、ラケットダウンの瞬間に、どうしても、時々ラケット面が裏返ってしまう。
底なし沼にはまったみたいに、永遠に這い上がれそうもない。。。

ふいに、午前の練習会のDさんの言葉を思い出した。
1・2週間前、「みづさんはスマッシュが打てるのに、どうしてサーブが打てないのかしら・・・」と、不思議そうにつぶやいたのである。

スマッシュのフォームでラケットを振り上げてみたら、ちゃんとラケットがうつ伏せで、そのまま上がっていく。スライス回転もかけられる。
サーブを打とうと思うと、ラケットが裏返る!

スマッシュの打ち方で、サーブを打ってみたらどうだろうか?

そこにいたスライスサーブの得意なおじさんに聞いてみたら、彼は、サーブとスマッシュは打ち方が全然違う、と言う。

コートを探してうろうろしていたら、帰ろうとしていたCさんにバッタリ会ったので、聞いてみた。「自分は、スマッシュとサーブは同じ打ち方だね」と言う。
それで、スマッシュの打ち方をサーブにアレンジするために、ちょこっとだけ教わった。夕方、また1人でサーブ練習をしたが、まあまあである。
スマッシュと思えば、卵形の軌道でラケットを振り上げ、ラケットヘッドをシュッと走らせることもできている。筋力もかなりついていたらしい。

スマッシュは、Cさんに1回教わって、そのあと自分でボールを放って練習したら、すぐにできるようになった。
スマッシュの場合は、いろんなボール(&回転)が飛んでくるので、ボールに合わせること、足の運び、ボールへの入り方に重点がおかれる。
相手が打ってくるボールを高い位置から打ち下ろすので、非力でもタイミングがあえば、バシンと相手コートに打ち込める。

サーブは、自分で上げたトスだから、合わせるのは簡単である。でも、止まっているボールを、自分の力で遠くへ飛ばさなきゃならない。
つい力んでしまう。
力まないようにすると、ヘナヘナになる。できなければできないほど、注意事項が増える。それらを意識すると、身体がぎくしゃくして、スムーズな動きができなくなる。迷いながらラケットを振り上げると、インパクトの頃には力尽きてしまう。

「サーブ」と思うと打てないが、「スマッシュ」と思えば、ちゃんと打てる!

つまり、私は「サーブ恐怖症」に陥っていたのである。
前にも書いたけど、スポーツの世界には「イップス」という病気がある。脳にインプットされた何かが身体の動きを阻害して、どうしても修正できなくなってしまうことをいうのだそうだ。
昔の患者さんに教わった言葉だが、彼女はバックハンドでイップスになって、ある高さ、ある位置のボールだけがどうしても打てなくなり、そのせいでテニスをやめて、マラソンに転向したのである。

そうだ、名前を変えよう!

ヴェルを預かるときに、山のように犬の本を読んだ。
問題行動のある犬の躾け方の本の中に、「どうしようもなくなったら、犬の名前を変えなさい」と書かれてあった。

たとえば、ジョン君という犬がいたとする。「ジョン」という自分の名前を呼ばれると、数々の失敗や、叱られた記憶がよみがえる。惨めな記憶がトラウマになって自尊心を失い、金縛りになってしまう。
名前を変えて、「ライアン」とか呼ぶことで、ダメ犬のイメージを捨てて、新しい自分に生まれ変わることができるって。

サーブ(service)は、スペイン語でセルビシオ(servicio)と言う。
これからは、「サーブ」という呼び名を捨て、「セルビシオ」と呼ぼう!(笑)

次の日、けっこう上手な人たちの女ダブに入れてもらった。
ファーストサーブのときは、「これは、グランド・スマッシュ」と自分に言い聞かせた。いいサーブが飛んでいくし、不安感もない。

フォルトすると、次はセカンドである。足元すくわれるような不安感が襲ってくる。
「これはセルビシオ」と自分に言い聞かせた。回転をかけることを心がけて、スマッシュを打つように打ったら、ほとんど入ってくれた。

サーブでスマッシュを打つと、ゲームでのスマッシュが安定することも発見した。サーブがスマッシュの練習にもなるんだね。
(いけない、いけない、セルビシオだった・・・)

その日のゲームは、なんと、6-1、4-6、6-0と、上手なお姉さまたちを圧倒してのいい出来だった。
「ほんとに上手くなったわね」と感心された。「みづちゃんは、『攻め』があるからね」とも言われた。決めのボールがほとんどうまく行ったのである。
去年の今頃は、8本連続ミスとか、しょっちゅうだったのに、1年で成長したものである。

なだいなだが「アルコール依存症は、『底つき』するまで治らない」と、どこかの本に書いていた。
私の「サーブ」も、混迷のどん底に落ちて、もう脱出不可能と思われた。
どん底の底にはバネがあって、もうダメという瞬間にピョ~ンと跳ね上がれる・・・というのは私の持論なのだが、今回もそうだった。

練習のし過ぎ(と誰かに言われた)でイップスになっちゃったとしても、いい副作用があった。

確実に入るセカンドサーブのために、腕をゆっくり振って、フォームを確かめながら打つ練習をしてきたおかげで、いつの間にか、勢いで打ち込むクセが矯正されたみたいである。
最近、スマッシュがいきなり良くなったのは、その副作用だったと思う。

迷い道を抜けて、新しい未来が開けてきた。
筋力もついたし、何より、トスは格段に安定したし、やっぱり、練習に無駄はないね~~

まだまだ課題は山積みだけど、来年に向けての希望が出てきた。これからもがんばるぞ~
もちろん、仕事もがんばります!
2015/12/20(日) サーブは混迷のドロ沼に・・・
試行錯誤のおかげで、肩の治療に新境地を開けたけど、サーブのフォームのほうは混迷の極みにある。

先月、おじさん3人の中に入れてもらってゲームをした。
サーブに迷っていたときで、セカンドのアンダーまで2本もフォルトした。舞い上がってしまうと、アンダーも入らなくなるのだ。

相手側のおじさんが、「セカンドも上から打ちなさい」と、コートの向こうから声をかけてくれた。平日親睦会の最初の試合で組んだ仲良しのおじさんである。

ペアのおじさんは、「肩を回す」話をした人である。
「全部ダブルフォルトでもいいですか?」と聞いたら、「いいですよ。いいサーブ、持ってるじゃないですか」と励ましてくれた。前回はじめてゲームしたときは、サーブの調子がいいときだった。

おっかなびっくり上から打ったら、本当にほとんどフォルトで、1セットに2本しかコートに入らなかった。

ゲームのあと、3人目のおじさんが、「いくら練習したって、試合で打たなきゃ、入るようにならないんですよ。だいたいから、これは練習で、試合じゃないんですから。ここで入らなきゃ、試合では絶対に入りませんよ」
「とにかく、誰に何と言われようと、サーブは上から打ちつづけなさい!」
物腰柔らかで優しい人なんだけど、厳しい顔できっぱりと言った。

それ以来、「アンダーサーブは封印しました」と断って、ゲームに参加することにした。ダブルフォルトして嫌われたら、もう私を誘わなくなる。それならそれで結構と、居直ったのである。
でも、ほんとうにダメなときは、アンダーを使わざるを得ない。

「ゲーム中に上から打て」というのは、精神力を培うためのアドバイスである。
練習ではいいサーブが入っているのを見ているから、ゲームで入らないのはメンタルが原因だと、まわりの人は思っているらしい。

たしかに、メンタルは大きな問題だ。
緊張感から浮き足立って、基本を忘れて、打ち急ぐ。うまく行かないとパニクって、ますますフォームが乱れて、ドツボにはまる。

でも、メンタル以外にも問題があることを、自分では知っていた。
いろんなサーブが飛んでいくのである。あるときはフラットサーブ。あるときは、落ちて曲がる失速系のスライスサーブ。あるときは、弾んで伸びていくスピン系のサーブ。。。
相手は嫌がるけど、自分でコントロールできているわけじゃない。どういうサーブがどこに飛んでいくか、打ってみるまで分からないのである。

「サーブが一番難しい」と、クラブの人たちみんなが言う。

私がサーブに苦労して、ひとりで練習していると、いろんな人がアドバイスをしてくれる。ほんとうに、何十人もの人が、気にかけてくれている。
とりあえず、取り入れてみて、試してみると、はじめは大抵「いい感じ?」なのだが、2・3日でまた入らなくなる。

先週なんか、午前中に、ある人に、「トスを高く上げなさい」と言われ、夕方には別の人に、「トスを低めに上げて、クイック気味に打ったほうがいい」と言われたんだよ。(笑)

最近気づいたのは、みなさん、自分の打ち方を教えてくれるってことだ。苦労して身につけた、その人自身のサーブの極意を教えてくれるのだ。
自分なりのサーブを模索し、「これだ!」というフォームを見つけるまでがひと苦労。緊張感のあるゲームのときに、安定したサーブを打つのにまたひと苦労。

自分が苦労してきたから、みなさん、私に優しくアドバイスをしてくれるのだと思う。逆に、そこそこのサーブに甘んじてきた人ほど、フォルトに厳しい。

もとがノーコン状態のところに、あれこれマイナーチェンジをくり返していたら、ついに本当におかしくなった。
またサーブの打ち方を忘れてしまった。今回の病は重症で、どうやっても、回転がかけられなくなった。

練習しているコートにCさんが来て、細かいチェックをしてくれた。
いつの間にか、テイクバックのときのラケット面が逆になっていた。手首のコックができていないから、面がグラグラ変化する。行き当たりばったりにいろんな回転がかかっていたのは、手首がグラグラしていたせいだったらしい。
とりあえず、最大の欠点がわかった。

Cさんも、自分と同じサーブを打てるようにと教えてくれた。
そのためにこの2年半、段階を踏んで、フォームの改造に取り組んできた。自分なりのフォームを見つけるといっても、そこがベースになっている。

なんと、今回の注意事項は2年前にフルチェンジをしたときと、ほとんど同じだった。つまり、全然できるようになってはいなかったということ?

Cさんは「8割のところまで来ているんだから、あとちょっとだから頑張れ」と励ましてくれるのだけど・・・
人それぞれ、筋力も骨格も、身体能力も違う。
重いラケットを、手首をコックしたまま振るには筋力がいる。ラケットヘッドをシュッと振り抜くにも筋力が必要だ。

手首のコックと、面の向きに気をつけて、フォームを作っていくとしても、筋力がついていくのを待たなくちゃならない。
筋トレはしない主義。やりながら、必要な筋肉をじっくりつけていかないと。
30歳を過ぎたら、筋力がつくより先に、手首を壊してしまうのだ。

そろそろ、単に「コートに入れる」ところから、「コースを狙う」を目標をしたいものである。高きを目指して低きに甘んじるか、日和って、自分にできるサーブでよしとするか、迷い中である。
2015/12/6(日) 「肩を回す」から、あらたな治療法を発見
サーブには相変わらず、てこずっている。

3年教わった前述のCさんから、とりあえずの「ひとり立ち」をし、このところ独学状態で、自分なりのフォームを身につけるために試行錯誤している。
苦戦している私に、いろんな男性が、いろんなアドバイスをしてくれる。
その度にフォームのマイナーチェンジをして、やっぱりダメと元に戻してをくり返し、どんどんドツボにはまっている。

飲み会のときに、向かいに坐っていた男性が、「女の人は、キャッチボールの経験がないから、肩が回せないんですよ。娘にテニスを教えたときは、ボール投げからはじめました」と、私に言った。

「えっ、肩を回すって、こう?」と、椅子に坐ったまま、右の肩関節を回してみた。
「あ、みづさんも、あまり肩が回っていませんね」と、言う。

「えっ、じゃあ、このぐらい?」と、肩関節を思いっきり広げて回してみた。
「それだと、けっこう回ってますね」と言った。

肩関節をそんなに開かなくちゃならなかったなんて、初耳である。次の日さっそく試してみた。
振り上げからインパクトまでの道筋が、一筋に規制されている感じでフォームが安定し、いいサーブが飛んでいく・・・気がしたが、2日目には全部、オーバーするようになった。
彼のサーブを観察してみたけど、そこまで肩を開いてはいないようだ。

ゴルフの上手な患者さんにその話をすると、「肩を回すというのは、こうなんですよ」と、スイングを実演して見せてくれた。
肩関節をぐるりと回すのではなく、体幹を軸にして、両肩を回すやり方だった。

サーブのときに「回す」のは、肩関節なのか、それとも両肩なのか???

次の日、一緒にゲームをした男性に聞いてみた。
「あなたはちゃんと、ラケットを回してサーブを打ててますよ。私も若い頃にはラケットを回せていたんですけどね。年を取ると肩が回せなくなって、正面を向いて打つしかなくなってしまうんですよ」と言われた。

なるほど、年配の男性が正面を向いてサーブしているのは、肩が回せなくなったからなのか・・・と、納得。
それ以来、いろんなおじさんのサーブのフォームを観察した。
シングルスで優勝するような男性でも、サーブは正面を向いて、力づくで打っている。肩を回せている人はいない。
(テニスは見てもわからないけど、筋肉の動きを見るのはプロである)

結局、Cさんに相談した。
野球のピッチャーは、両方の肩甲骨がくっつくぐらい、肩関節をぐいっと広げて、両肩を回してボールを投げる。
でも、テニスの場合はラケットがあるので、そこまで広げるとフラットに当たってしまう。回転がかけられないから、確率がさがってしまうのだそうだ。
だから、サーブがオーバーするようになったのだ。

スムーズに行けているうちは道を覚えないけど、道に迷うと、かえって周囲の地理に詳しくなるよね。
迷うことによって、ダメな点がわかると、ここしかないというサーブの道筋=フォームがはっきりするという効能はある。(と、ちょっと負け惜しみ・・・)

ちょうど、テニスをやっている患者さん(60代後半の男性)が来たので、「肩、回せる?」と聞いたら、「あまり回せてないね」とのこと。
肩に集中治療をしてみたら、肩甲骨がひらいた。狭まっていた肩甲間部が広がったのである!
あんなに手こずっていたのに、秘密は「肩」にあったのである。

次から次へ、「今日は、肩の治療をやらせてね」と、年配の患者さんたちに肩への集中治療を試してみた。みなさんに効果があった。
腕に伸びが出て、肩関節の可動域が広がり、スムーズに動くようになる。首や肩甲間部の筋肉もゆったりとほぐれてくれる。

新しい治療法を発見しちゃった!人生に「無駄」はないね~。

何故、年を取ると、肩が回せなくなるのだろうか?

筋肉は縮むことによって働く。筋疲労が蓄積すると、そのまま縮んで硬くなってしまう。多方向に張り巡らされた筋肉たちが、くっついて固まってしまう。それぞれの筋肉の自由な収縮が制限され、硬直した動きしかできなくなる。
だから、肩が回せなくなるのである。

ストロ-クにも同じことが言える。
前述のBさんがかつて、「若いうちはスピンがかけられたけど、年取って筋力がなくなると、スピンがかけられなくなるんですよ。だから、非力なおばさんにスピンは無理なんです。フラットを覚えなさい」と言っていた。

でも、Cさんにはスピンを打てと言われた。今ではスピンが、私の一番得意なショットになっている。筋力ではなく、柔軟性の問題だったのだ。非力な小学生でもスピンが打てるのだから。
首、肩、脊柱、肩甲骨が硬直すると、もうスピンはかけられなくなる。おじいさん特有の猫背の曲がった身体では、フラットかスライスしか打てなくなる。

サーブで「肩を回す」というのは、体幹を軸にして、両肩を回すという意味だったのであるが、同時に、肩関節の可動域も重要なファクターだと思う。

テニスの上達には、筋力だけでなく、柔軟性が必要不可欠なのである。
2015/11/29(日) 正会員の親睦会に初参加
金曜日は、シングルスのラウンドロビンに出るつもりだった。
でも、前日の夜になって、急に不安に駆られた。朝の9時に京王に行って、試合に出られなかったらイヤだなあ・・・
フロントに電話して聞いてみたら、エントリーされていなかった!

毎月やっている試合だから、雨で流れたら、自動的に翌月に・・・なんて、なんとなく思い込んでいたんだよね~。
その都度、エントリーしなくちゃならなかったとのこと。初心者だからしょうがない。
シングルス参戦は来年に持越しである。

先週は、おじさん3人にお願いして、3日つづけてシングルスの練習をした。
見た目と違って、とてつもなく遠慮深い私であるが、気心の知れてるおじさんたちに片っ端から声をかけて、練習相手をお願いしたのである。
もう背水の陣で、それしか、いまは手立てがない。

カミングアウトするまでにも長い時間がかかった。
このトシで、まだ初心者同様で、シングルスに出ようなんて気恥ずかしい、という気持ちから、おおやけにできずにきた。
自分の中の「やる気」を育てるには、修行と時間が必要なのである。

金曜にシングルス、土曜にクラブの親睦会では、体力的にきついなと思っていたから、出られなくてちょうどよかったかも・・・(笑)

土曜日の親睦会は、正会員しか試合に出られない。
平日に来ている人もいるけれど、ほとんど知らない人ばかりだった。怖気づいて、緊張感から心臓がドキドキ。浮き足立っていた。

ドローはすべて抽選だったけど、パートナーに恵まれた。

1戦目、はじめはコートに立っているだけで精一杯。2本連続でミスをして、「ごめんなさい」とあせったら、ペアの男性が、「親睦なんだから、いいんですよ」と励ましてくれた。彼も(つられて?)2本ミス。
ペアのミスを見ると、なぜか落ち着く。1ゲーム目を落としたけど、ムーンボールとロブでつなぎまくり、1勝目をあげた。

2戦目のペアは、男子ダブルスの優勝者という若めの男性だが、相手に上手な(本物の)若い女の子がいた。小5からテニスをしている本格派。きれいなフォームで、ビシバシ打ってくる。
普通は、ミックスのときは女性を狙うのだけど、「ミスしてくれる男を狙え」と、事前にアドバイスされていた。

真っ向勝負ならかなわないけど、私の変なボールに翻弄されてくれたみたい。魔術師サントーロを見習って、意外な配球で相手をかく乱した。
正統派の私のペアは、バシン、バシンといいショットを打ち込んでくれた。
2勝目をあげ、彼に、「なかなかグッドでしたよ。ボレーも2本、決めてくれたし」と、にっこり笑ってほめてもらった。

3戦目のペアは、「トスは瞑想」と教えてくれた男性。
彼はそれまで3連敗で、かなり調子を崩していた。
1ゲーム目、ミスをくり返す彼と逆に、スーパーショットを2本。生まれてはじめてのポール回しも成功させた。
相手は動けない女性と、普通の男性なので、ここは勝つしかない。ふたりで協力し合って、3勝目をあげた。

実は、合間に他のコートをのぞきに行って、1歩も動けず、スコン、スコンと抜かれて、平気でいる女性たちを見たのである。
『え、そんなんでいいの~?』と驚いた。ショットも深さが足りないし、相手にいいように打たれまくり、棒立ちのまま抜かれまくっていた。

「何でも返す」と、やる人ごとに言われた訳がわかった。
どんなボールもとりあえず追いついて、返す。当たりそこなってのミスはあっても、ラケットにボールが当たらないことは、めったにない。

なんだか急に自信がついて、逆にペアを励ます落ち着き振りであった。
サーブはまだまだノーコンだったのだが、彼とだと気楽にやれて、けっこうファーストが入ってくれた。

「1勝3敗だけど、最後に勝つと、全勝したみたいに気分がいいね。みづちゃんのおかげだよ」な~んて、彼は大喜びである。

私もはじめての3勝0敗で、超いい気分。「勝つ」って、楽しいねえ~~
2015/11/17(火) 「教える」と「稽古をつける」の違い
この数週間、パソコンの不具合で右往左往し、更新する余裕がなかった。

まず、インターネットの速度がどんどん遅くなっていって、ついにはネットもメールもタイムアウトして使えなくなった。原因は、大掃除のあと電話線の差込がゆるんで、どんどん下がっていったためという、笑い話のような結末だった。
次に、メールの受信ができなくなった。迷惑メールをいじったせいだったのだが、何度もYahooとやり取りして、復旧に1週間ほどかかってしまった。

いろいろな人にテニスを教わってきた私。

テニスとの出会いは、11年前である。友人とスペイン旅行に行ったとき、ふくらはぎ痛に悩まされた。私は、地下鉄や電車をつかって、自力で歩いて観光したい人間である。そのほうが地元の人とも触れ合えるし、生活ぶりもよくわかる。
ホテルで夜な夜な自分に治療をしたけれど、ほとんど効果がなく、ふくらはぎの痛みをこらえながら歩き回ることになった。

それまでの10年間、趣味といえば、パソコンや映画鑑賞、ドラクエなどのRPG。通勤はバイクか車で、狭い治療室の中をちょこまか動きまわる以外、歩くことすらめったになかった。
ふくらはぎの痛みは、筋力が足りないせいだから、鍼灸治療では治らない。
たまの海外旅行を楽しめないようでは人生暗いな・・・、なにかやらなくちゃな・・・とあせった。

数日後、自分でラケットを買っている夢を見た。
数日後、患者さん(Aさんと呼ぶ)が、「京王テニススクール、インドアができたよ」と教えてくれた。
数日後、珍しく電車に乗って講習会に出かけた帰り、「ただ今、入会キャンペーン中」というスクールの吊り広告を見た!

これは、神様の思し召しと思った。
今となっては笑い話だが、『インドアなら日に焼けなくていいな』というのも、京王に入った理由のひとつだった。

4年間は、テニスなんて面白くもなんともなかった。身体のために運動しなくちゃと、惰性で通っていたのである。
4年を過ぎて、スクールの友人たちと、市民コートで練習したり、合宿に行ったりして、だんだんとテニスをする機会が増えていった。

ちょうどAさんがリタイヤして、テニスを教えてもらうことになった。
初心者の荒れ球を打ちやすいところに返してくれるので、自分が上手くなった気がする。ちょっとしたアドバイスはしてもらったが、コートの中を走りまくって、えんえんと打ち合い、テニスの楽しさを知った。
テニスに夢中になって、休日はテニスを中心に回ることになった。

テニスクラブは、何十年毎日テニスをしてきた人、かつて試合でならした人、今も試合に出ている人など、玄人の集まる場である。
スクール上がりの初心者では、なかなか相手にしてもらえない。

そのときのお助けマンがBさんである。彼に、ボール出しやラリーでさんざんしごかれ、どんどん体力が向上していった。
高校時代のバスケの頃のように、ヘロヘロになってから走りまわる快感、つまり、ランナーズハイを再体験し、ますますテニスにはまり込んだ。
でも、ストロークがどうもイマイチ上手く打てない。

Bさんがお願いしてくれたのが、Cさんである。
身体の各部の動きとラケットの動きが分析、分解され、理論体系化されている。
その理屈っぽさが、私の超理屈っぽい頭にピターッとはまった。
プロの試合をテレビ観戦し、スピンやスライスを打ち分けられるようになりたいと願っていた私に、あらゆるショットを教えてくれた。

Cさんは、頭でわかっているだけじゃなく、自分でもそのとおりにできる。人の動きも見れるし、教えることもできる。技術指導のレベルはかなりの高水準である。
ショット1つに100の注意事項があるのだが、ひとつひとつ順を追って、できるようになるまで根気よく教えてくれた。
レッスンのときは、とりあえずできる私。でも、なかなか身につかない。「この間教えたのに、また忘れたの!」となじられる。
教わったことをモノにするのは、本人の問題。壁で打ったり、誰かにラリーをお願いしたりして、自分で練習しなくてはならない。

ストロークは壁でもできるけど、ボレーは自力では無理。いつになってもできるようにならない。
そこで、ダブルス中心の練習会に参加させてもらうことになった。リーダーのDさんは、朝10時から昼過ぎまで、一緒に練習をして、ところどころアドバイスをまじえながら、身につけるまでつきあってくれる。
だんだん、フォームが身について、コントロールもできるようになってきた。

治療室に研修生が来て、自分が人に教える立場になって、同じ「教える」でも、やり方には2種類あることに気づいた。

Aさん、Bさん、Dさんは、言うなれば「稽古をつける」人である。細かい技術指導はできないけれど、反復練習にえんえんとつきあって、モノにできるまで稽古をつけてくれる。
現役をしりぞいて、楽しみでテニスをしている。教えることも楽しみのひとつで、つきっきりで、できるまで面倒をみてくれる。

Cさんは、「技術指導」をするタイプで、教えるのは趣味のひとつであるが、彼自身がまだ上を目指し、進化を求めている。
できるまでは教えてくれるけど、自分のモノにできるかどうかは、本人の努力にかかっている。

鍼灸治療は、Cさんの「教える」と似ている。
ツボにハリやお灸をし、どうやったら治るのかを身体に教えるのが治療である。その場で良くなるだけじゃなく、そのあとも治療効果がつづく。
でも、どこまで良くなるかは、患者さん自身の努力にかかっている。
「動きなさい」とか、「この筋肉を鍛えなさい」とか、アドバイスはするけれど、一緒に歩いてあげるわけじゃない。本人次第なのである。前向きな人だけが、どんどん元気になっていく。それが現実である。

治療のやり方を教えることも、Cさん的教え方である。
鍼灸治療は理論をベースに、患者の治療をしながら、経験を積み重ねていく臨床医学である。言葉にできないポイントがたくさんあって、すべてを説明できるわけじゃない。
はじめて鍼灸院で助手をしたとき、院長に「技術は盗んで覚えろ」と言われた。

師匠自身も現役の治療師であり、経験をつんで日々進化している。「これで完成」という日はやって来ない。道半ばであの世に行く運命にあるのである。
弟子入りをするのなら、「見て」、「真似て」、「実践して」、各自が自分の中に、自分なりの治療法を構築していかなくちゃならない。

鍼灸師はアーティストなのである。
一人前になるのは大変なんだよ~~
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