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リョーコの手作りブログへようこそ!
2016/12/24(土) 合言葉を「すい~、パーム」に変えてみた
退院して以来、母の食事はずっと「ミキサー食」である。
医者が、マイコプラズマだったと認めたがらず、「誤嚥」と言い張ったせいもあって、食事のレベルがぐ~んと下がってしまった。

なんと、おかずだけでなく、ご飯もミキサーに格下げになっている。米粉を煮たものらしく、まるで「糊」である。
「舌切り雀」というお話は、おばあさんが作った「糊」を雀が食べて、怒ったおばあさんが雀の舌を切ってしまった、というところから始まる。
昔は、でんぷん質の豊富なご飯で糊を作り、障子を貼ったりしたのである。

「病院でも、ずっとご飯はお粥だったんですよ。舌切り雀じゃないんだから、『糊』なんて不味くて食べられません。ご飯だけでもお粥にしてください」とお願いしたんだけど、聞き入れてもらえない。

母には「食べないと、食事のレベルが上がらないから、我慢して」と言い聞かせていて、素直にがんばって食べてくれているけれど、あんまり長い期間つづいたら、生きていることがとことん面倒になるかもしれない。

亡くなった従兄弟の嫁さんが母の面会に来てくれたとき、一緒に夕食を食べさせたんだけど、味見をした彼女も、「あまりにもかわいそう過ぎる」と憤慨していた。
・・・やっぱり、早めに自宅に、ということになるのかなあ・・・

この間発見した「すい~、ポン」は、なかなか役に立っていたけど、「ポン」だと、当たりが淡白で、球離れが早すぎる。もっとねちっこくボールを捉えるために、他の言葉に変えたほうがいいかもしれない、と思った。

ボレーやスライスでは手首の固定が必須条件だから、「ポン」を「パーム」に変えてみた。「パ」で当てて、「-」でボールを掴み、「ム」でスライス回転をかけながらフォロースルーにもっていく。

ニックネームは「すい~、パーム」に進化した。
とにかく今は、ボレーの会得が急務である。ボレーの振りはスライスと同じなので、両方をなんとか身につけたいが・・・、どっちも練習しにくい。
ゲーム中はミスが怖い。誰かとラリーをするときは、つづかないと悪いから、やっぱり得意なスピンで打ってしまう。

いつも夕方に現れるおじさんがいるんだけど、大学の教授だけあって、けっこう教え好きである。「ゲームは自分が教えてあげる」と言ってくれている。
昨日も誘ってくれて、空きコートでラリーをした。途中で、「全部スライスで打ってみて」と言われた。

「ゲームのとき、いろいろな球種を打てると有利だよ」と言い、「片手バックは打てるの?」と聞かれた。

片手スライスは、年に1・2回、Cさんに教わったことがあり、壁でときどき練習していたけど、なかなかできるようにならない。
練習のときは、心の準備ができているからなんとかなるけど、ゲームでは使えない。身体の動きが逆なんだもの。後ろ向きになって打たなくちゃならないんだよ。

先週、Cさんに片手スライスの特訓をされたばかりだった。
今まで使っていなかった筋肉を酷使したので、左の大胸筋と肋間筋が筋肉痛になった。(正しい筋肉を使えてたという証拠で、ちょっと誇らしい)

ちょうどいいタイミングである。

相手に押し込まれ、やっと追いつくようなボールのときには、片手スライスが必須である。ナダルやマレー、錦織だって、バックハンドは両手打ちだけど、しのぐときには片手スライスを使っている。
「しのぐ」だけでなく、同じフォームでドロップショットも打てる。できないと、上に行ったときに行き詰ってしまうと、2人して同じことを言っている。(笑)

「後ろ向きになって」打つのは、とっさのときほど難しいが、えんえんとスライスでラリーをした。
「スライスもスイングで打っているでしょう。スピンやドライブはスイングで打たないと力が伝わらないけど、ボレーやスライスは、スイングじゃなく、タッチで打つんだよ」と、アドバイスしてくれた。

なるほど。いつも当たりがまちまちで一定しないので、『なんか違うぞ』と思っていたのである。

今日は、シングルスがメッチャ上手な男性とラリーをしてもらった。スライスも試してみたけど、自分的にはまあまあかな?
ちゃんと打てたスピンは3・4本に1本ぐらいで、ほとんどが変な当たりでなんとか返るという、いつものパターンだった。
最後に、「10ポイント先取のタイブレークをやりましょう」と言われた。

ポイントがからむと、とたんに緊張して弱気になった。結果は2-10で、取ったポイントは2つともネットインだった。「入ればいいんですよ」と、彼はあっさり言う。
手加減してくれたんだろうけど、「ボールが何でも返ってきますね」とほめてくれた。走り方はやっぱり変で、テニスらしくないって。

でも、1年前よりはぜんぜん進歩していた。みなさん、本当にありがとう!
2016/12/14(水) 「三角」+「すい~、ポン」でレベルアップ
先週金曜日、母は無事退院し、ホームに戻れたけど・・・
2度の入院で、ホームの職員さんたちはビビッている。「ミキサー食から試させてください」と言われた。

1ヶ月も病院のベッドに横たわったままだったので、「車椅子にのって食堂」だけでも、かなり疲れている様子。久しぶりに、座位でのリハビリをしたら、グラグラしている。座位を保つ筋力がそうとう弱っていた。

認知症のほうはさほど進んでいないみたい。会話が通じている。
退院の夜、パッチリ目を開けていた母は、一生懸命、会話をしようとしていた。「まわる」と言ったから、目が回っているんだと思う。
長い間水平でいると、座位ですら重労働になるのだ。重力に逆らって脳に血液を送る機能が低下してしまうからである。

ROM訓練は関節の拘縮を予防するんだけど、古方按摩もかなり効果があったみたい。1ヶ月間毎日やったおかげで、効能がよくわかった。ホームにもちょくちょく行ってあげなくちゃならないねぇ~~
食べることに加えて、筋力を取り戻すこと、自律神経の働きを取り戻すことなど、母のリハビリはこれからである。
(私はこの1ヶ月で2キロも痩せてしまったが・・・)

介護を長つづきさせるためのキーワードは、「いいかげん」だと思う。
・・・ということで、またまたテニスネタである。

ニックネームをつけて、自分のモノにする作戦は、功を奏している。

スマッシュを打つときの「三角」は、ストロークにも役立つことがわかった。
短いボールにまっすぐ突っ込んで行く悪いクセがあった。腕の長さ、ラケットの長さを計算して、回り込むように走って行かなければならないのに。
「三角」とつぶやきながら、ボールとの間に三角錐をはさむ感じでボールに近づくと、いい感じでスイングできる。

ボレーのときも、「三角」を作ることで、ボールに斜めに入る動きができる。
サーブのときも、間に「三角」を置くと、トスの位置の目安になる。ラケットをのびのびと振れる位置にトスを上げられる。
つまり、「三角」はテニスの必須項目だったのだ。

Cさんにまたサーブのフォームを直されているので、「グリップをうつ伏せで」は、今は考え中であるが、サーブの「4本指」は、別の効果があった。

トスが上手く上げられなくなるときは、緊張感で身体がガチガチなとき。ゲーム中にいきなり不安に襲われたときだ。悪いトスが不安をあおり、サーブがますますぐちゃぐちゃになる。
「4本指」を意識すると、グリップを握る右手に意識がいくので、トスを上げる左手がフリーになる。自然体でトスが上げられ、インパクトに集中できる。

最近発見したニックネームは、「すい~、ポン」である。

スマッシュの特訓をしてくれ、「三角」を発見するきっかけを作ってくれたおじさんと、一緒にゲームをしたときのこと。
ボレーに苦労していた私に、「打つときに、『ポン』と声を出すといいですよ。心で思うだけでもいいんですよ」とアドバイスをしてくれた。

なるほど、「ポン」と思うと、ラケットを大振りしなくなる。勢いはなくても、面を合わせてコースを狙える。
つなぎのボレーの効果を発見できたのは、「ポン」のおかげである。

親睦会のペアの男性のアドバイス、「ボレーを打つときの立ち位置は、もう50センチ前」についても、あれこれ対策を考えた。
ボレーのときには、ステップを踏んで打ちに行くのだけど、自分が想像していた以上に、大きく足を前に動かすのではないだろうか?

「すい~」と足を動かしてネットに近づき、「ポン」で打ってみたらどうだろうか・・・と思いついた。はじめはタイミングが合わなかったけど、だんだん慣れてきている。

「すい~、ポン」は、サーブにも役に立ちそうである。

Cさんに、サーブを打つときに力んでいることを指摘され、「すい~、ポン」のリズムで打ってみた。
打つまでの動作は「すい~」と流し、「ポン」でインパクト。すると、力みが消え、一連の動作が流れるようにスムーズになった。

ゴルフの上手な患者さんに話したら、「それいいね~。ゴルフでも役に立ちそう。早速、明日やってみよう」とのこと。どういう結果がでるか楽しみである。

言葉には「言霊」がある。「えいっ!」とか、「そ~れ!」とかだと力が入る。
「すい~」や「ポン」だと、どうしても力が抜ける。
「すい~、ポン」の間の「、」は、「間」である。上手に使えば「タメ」も作れる。

テニスクラブは名コーチの宝庫でしょ~。みなさんが寄ってたかって教えてくれる。
本当に、ありがとう!
2016/12/7(水) ホームへ戻れるのか、ドキドキである・・・
母は、肺炎のほうは落ち着いているけれど、なんとなくボーっとしている気がする。
病院にいたら、レベルダウンは避けられない。1日1回のリハビリでは限界がある。できるだけ早く、退院させて欲しい・・・

先週、「いつ退院できるんですか?」と看護師に聞いたら、なんと主治医が変更になっていた。3人目の(マイコプラズマを発見してくれた)医師が挨拶に来て、前の主治医にバトンタッチしたとのことである。

翌日、主治医から電話があった。いきなり、「お母さんはあまり食べられないようなので、ホームに戻るのは無理だから、長期療養型の病院に転院してもらいます」からはじまった。
やれやれ、また最初からやり直しである。

「長期療養型には行きません。自宅に連れて帰ります。このまま自宅ではなく、いったんホームに戻してもらって、ホームで手に負えなくなったら自宅、というのが希望です」と、同じ話をくり返した。

主治医は、母がマイコプラズマだったと、どうしても認めたくないらしい。
「誤嚥も多少はあった」、「前にもマイコの治療もちょっとしたけど、あまり効果がなかったようで」と言うのである(!)
「病院にいるとレベルダウンが心配だから、早く退院させて欲しい」と言ったら、「お母さんはかなりレベルダウンしてますからね」と言う。

どっか~ん、と頭に来た。
主治医は母のことを認知しているのだろうか?母に話しかけたりして、状態を把握しているのだろうか?
似たようなおばあさんを10人並べて、その中から母を見つけられるのだろうか?
「自宅介護の予定」はカルテに記載されていないのだろうか?

昨日の午後、調布病院の相談員との面談があった。
前回、親身になって話を聞いてくれた人とはまるで別人である。「ホームに戻るのは無理ですね」と強気である。コンピューターの画面を開いて、「ほら、あまり食べられていないでしょう」と言う。

「ホームにいるときから、この数ヶ月は、食事を全量取れるのは、2日に1回か、3日に1回で、今もそれは変わっていないんですよ。だから、ホームで受け入れられない食事量ではないんです」と説明した。

相談員は、「前回の入院から、4日で再入院ということは、お母様の状態が良くないという証拠ですよね。だからホームに戻っても、すぐにまた入院ということになりますよ」と言う。

「前回は、誤嚥性肺炎の治療しかしなかったからなんですよ。だから、治っていなくて、4日で再入院になったんです。
3人目の医師がマイコプラズマを発見してくれたおかげで、再入院の翌日からは、ぜんぜんゼロゼロしなくなったんです。
8月に一気に痩せてからずっと調子が悪くて、身体が硬くなっていて、9月10月ぐらいには、死相が出ていて、こっちも『年内かな・・・』と覚悟をしていたんです。
でも、マイコプラズマの治療をしたら、死相も消えて、おかげさまですっかり元気になったんですよ」
と、こっちは半ば戦闘モードである。

相談員はびっくりして、「医学的なことは医師に聞かないとわからないので、主治医を呼んできますね」と、いったん出て行ったんだけど、「主治医は現場を離れられないそうです」、と戻ってきた。
「ホームのほうで受け入れ可能かどうか、もう一度、ちょうふの里さんに話を聞きに行って、むこうの相談員の方に、私に連絡するように言ってください」と言われた。

病室に行って、上の空で母のリハビリをした。ワナワナしながら仕事場に戻ったところで、主治医から電話があった。

「マイコプラズマは若い人がかかる病気だし、血液検査では擬陽性になることも多く、間違いが多いんです。痰の培養検査では、マイコプラズマは出ていなくて、肺炎球菌や大腸菌、緑膿菌なども検出されていますから、誤嚥はあります。
今回の抗生物質、ミノマイシンは大腸菌にかなり有効なので、それが効いたのだと思いますよ」

・・・と、医学用語を並べ立てながら、私を丸め込もうとしている(?)
でも、私は、西洋医学にもかなり詳しい。結核だって、痰を培養して、結核菌が発見されることはあまりない。
ミノマイシンは、マイコプラズマの治療に使われる抗生物質である。

私は、誤診とか、そんなことはどうでもいいのである。
その主治医は、前回、私の要請を受け入れて、食べさせてくれたし、退院してホームに戻ることを許可してくれた。今回もホームに戻してくれればそれでOK。
終りよければすべて良し、なのである。

前回は、私が介護したら数週間、ホームで介護したら数ヶ月、そう思っていたけれど、今、母はとても元気そうなので、自宅介護をしたら、えんえん長生きをしそうである。
「いったんホームを出たら、もうなかなか入れないんですよ」と主治医に言った。

あんずやポプラが協力してくれるとはいえ、いくらなんでも、あまり長いと、こっちが先につぶれてしまう。ギリギリまでホームでみてもらって、最後は自宅で看取るというのが、唯一の現実的な解決法なのである。

とりあえず、主治医は退院許可を出してくれたみたいなので、ホームにその旨を連絡した。スムーズに行けば、金曜日に退院ということになりそう。

20年前、おばあさんの患者さんが病院に行ったとき、「先生は、ずっと机の上の検査結果を見ながら話をしていて、1回も私の顔を見なかったんですよ!」と憤慨していたことを思い出す。

昔は紙の検査結果、今はコンピューターの画面である。検査技術が向上して、病人を「診る」よりも、データーを「見る」ことが優先されるようになった。
医師は、人の身体にメスも入れられるし、劇薬も処方できる。母の「生死」だけでなく、「どう生きるか、生かされるか」の決定権も持っているのだ。もうちょっと親身になってもらいたいものである。

鍼灸院には、元気な人しかやって来ない。QOL (Quality of life)=生活の質の向上が仕事である。
人の生死に関り合わない点が気楽であるので、大きいことは言えないけれど、話題の人物は「私の母」なのである。患者Aで片づけられては困る。

無事に退院できるまでは、まだまだ戦闘モードがつづく。
母を迎えるために部屋の模様替えをはじめたばかりだから、もうちょっとがんばって欲しいなあ・・・
2016/11/30(水) テニスの親睦会とラウンドロビン
母の病状は安定しているみたい。マイコプラズマの治療をはじめてから、痰がからむことがなくなった。
病院のベッドにポツンと寝かされっぱなしなので、なんとなく淋しそうである。レベルダウンが心配だ。早く退院させて欲しいなあ。

忙しさバクハツだけど、テニスクラブのクリスマス親睦会に参加することにした。今期最後で、来年の4月まで、イベントがないのだもの。
母のことで全力疾走のあとの全力疾走なので、かなり疲れているけれど、ちょっとは気晴らしもしないとね~。

前の日、母に「明日はテニスクラブの親睦会なんだよね。試合をやって、夜もパーティがあって、自転車で行くから、ここには来ないよ。あんずに頼んでおいたからね。あんずが来てくれるよ~」と伝えておいた。
返事はなかったけど、自分も遊び人だったから、おおいに了解してくれたと思う。

親睦試合は土曜日の午後に行われた。
4チームに分かれて、ミックスダブルスを1人3試合やる。1試合25分間で、ゲームの途中で終った場合は、1ポイントでも多く取ったペアがそのゲームを取れる。

1戦目、飲み仲間のおじさんと組んで、顔見知りのペアとの対戦になった。
ストロークはのびのびと打てたけど、ボレーがおっかなびっくりでしか打てなかった。ポッコンなので、全部返ってくる。また仕切りなおしで、ラリーがはじまる。
ペアのおじさんがスライス系の打ちにくいショットを打ってくれるし、私はほとんどミスなしだったので、4-3でとりあえずの1勝。

これで(私の)ノルマは果たしたと、気が楽になった。
ボレーが怖くて打てないのはしょうがない。今日は、ゆっくりとボレーの調子を上げていく日なのかもしれないと思った。
「決めよう」とか欲を出さずに、「つなぐ」ことに専念することにした。

2戦目、3戦目は、両方とも「引き分け」に持ち込んだ。ペアも上手だったけど、相手もかなり手強かったんだよ。
チームは初体験のビリ。でも、自分は「負け」なしだったので、満足である。
それに、新しい発見ができた。

ゆるいボレーを、相手が2・3歩でも、走らなきゃならない場所に打つと、いいボールが返って来ない。仕切り直しのこともあるけど、チャンスボールが来ることもある。
初心者で女だから、ここは甘えちゃおうと居直ったのだが、ペアはベテランの男性なので、文句を言わずにがんばってくれた。

「決めよう」とするとミスも出るし、力んでポッコンになると、いいように料理されたりもする。威力がなくても、コースが良ければ、なんとかなるみたい。
「つなぐ」ボレーの効果を発見したのである。

「ストロークがいいね~」とか、「つなぐボレーがよかった」とか、みなさんが言ってくれ、「ずいぶん上手くなったね~」と、ほめてもらった。

パーティのとき、最後のペアが、「ボレーが真芯に当たっていませんでしたよね。今、それでなんとかなったとしても、そのままだとまずい。進歩がないですよ」とアドバイスしてくれた。「立ち位置も、あと50センチぐらい前にしないと」だって。
なるほど・・・手が先に出てしまうのは悪いクセだ。まず足を動かして、いいポジションで打たなくちゃならないんだった!

中2日あけて、昨日は、シングルスのラウンドロビンに出た。
母のことがあるから、試合に出る気分じゃなかったんだけど、今年最後だし、先延ばしにしていても何も得るものもない、と出ることに決めた。

シングルスは最悪だった。前日にCさんが特訓をしてくれたけど、このところずっと、テニスに集中できなかったし、練習もろくにしていなかった。
親睦会のダブルスが楽しかったから、そのギャップはすごかった。

自分のテニスの内容が悪かった。
風も強かった。ストロークの調子が悪かった。クロス打ちもできず、ほとんどのボールがセンター(相手のいるところ)に返ってしまう。チャンスボールもミスの連続。
まるでサーカスの綱渡り。練習どおりのいいボールが打てたのは、10本に1本ぐらいの割合で、ゲームの「組み立て」なんか、考える余裕もなかった。
『なんで、シングルスなんかやるんだろう』と、いつもの葛藤が心にちらついて、ぜんぜん楽しくなかった。

とくに、最後のポッコンショットのおばさんとの試合は、ほんとうに苦しかった。何でもかんでも、ポワ~ンとまあるいボールが返ってくる。なんとか6-4で勝てたけど、自分の情けなさに、絶望のどん底におちいった。
ポッコンボールの攻略と、チャンスボールを決めること、良かったり悪かったりのばらつきのない安定したストロークを打てるようになること・・・
課題が山積みである。

土曜日に親睦試合、月曜日に特訓を4時間、火曜日にシングルスのラウンドロビンで4試合。仕事も忙しかったし、合間に母のリハビリで、すっごいハードスケジュールだった。身体が持ったのが不思議なくらいである。

今日の午前中、Dさんの練習会で、新しいボレーの打ち方を試し、Cさんに教わった新しいストロークを途中で思い出して試してみた。なんと、昨日のシングルスのときとは別人で、びっくりするほどいいボールが飛んで行った。
そのうえ、元気一杯で、いくらでも動ける。身体って、極限を越えて動かすと、うとうと眠っていた筋肉たちが目を覚まし、パワーアップできるのかもしれないね。

シングルスの試合に出たあとはいつも、より「強く」なっている自分を発見できる。
試合中はメッチャ苦しかったけど、今になってみると、6-0、2-6、2-6、6-4の2勝2敗で、3位になったんだから、まあまあだったのかな?と思えるようになった。
調子の悪いときに、格下にはとりあえず勝って、格上に2ゲーム取れたんだから、多少の試合勘みたいなのを身につけつつあるのかも?

そう思って自分を励まし、来年もまたがんばろうと思う。
2016/11/23(水) 母が再入院、マイコプラズマ型肺炎だった!
ホームに戻れて、やれやれとホッとしたのもつかの間で、母がまた調布病院に入院してしまった。

火曜日の朝、ちょうふの里から電話が来て、痰がゼロゼロして、ご飯も食べられない。血中の酸素濃度が低いので、呼吸困難になっているようだ。病院に連れて行くけど、酸素吸入が必要だろうから、入院になると思う、とのことだった。

つかの間の安泰は霧と消え、やっぱり年内なのかな・・・と不安に駆られて、病院に行った。

診察室の中、ストレッチャーの上で点滴をされている母の表情は、前回と違ってゾンビにはなっていない。赤味がさして、顔色も良く、健康そうである。

今回の医師は、また別の人。コンピューターの映像を私に見せてくれ、肺の炎症のかたまりが、前回と同じ部位で、同じぐらいの大きさであると説明してくれた。
血液検査の結果は、なんと「マイコプラズマ型肺炎」だったと言うのである。

「え、ということは、誤嚥性肺炎じゃないんですね?」と驚き、「じゃ、前回も誤嚥じゃなくて、マイコプラズマだった可能性がありますよね?」と聞いた。

コンピュータに入っている前回の検査結果(5回分ぐらい)をのぞいてみたけど、検査の項目に「マイコプラズマ」はなかった。
つまり、2人の医師は、母を見て老人性の「誤嚥」と思い込み、他の可能性の検査をしていなかったのだ。

「誤嚥じゃなかったんだから、ご飯を食べられますよね?胃漏も中心静脈もやるつもりはありませんから、食べる能力がなくなったら飢え死にしてしまいます。食べさせてくださいね」とお願いした。

医師はなんとなく煮え切らない態度で、曖昧な応答をしたけれど、どういう対応をしてくれるのだろうか・・・?

この間、たまたま「マイコプラズマが大流行」と、ワイドショーで見たばかりだった。
私の記憶では、効果的な薬があって、簡単に治る病気というかんじなので、なんだか急に安心して、気が抜けてしまった。

うちの長男が小学生の頃に罹ったとき、八王子中央診療所の山田真先生が教えてくれた。
「しつこい咳と微熱。風邪が長引いてなかなか治らない。こういうときにマイコプラズマ型肺炎を疑って、レントゲンを撮ってみると分かるんです。
マイコプラズマには、普通に使われる抗生物質が効かず、エリスロマイシンなどのマイナーな弱い抗生物質が効果があるんです。
たいていは、マイコプラズマと気づかず自然に治って、なにかでレントゲンを撮ってみたときに、『ああ、昔、肺炎をやったことがありますね』ということになるんですよ」

12年前(H16年11月)に、なかなか風邪が治らなかった患者さんがいて、「もしかしたらマイコプラズマかも。お医者さんに言ってみれば?」と、アドバイスをしたこともある。
医師がびっくりして大騒ぎになり、分厚い本を調べて、薬局に電話して薬があるかどうか確認したりしたんだって。
「薬を飲んだら、1日ぐらい、ものすごく気分が悪くてつらかったけど、翌日には熱が下がり、すっかり良くなった」と、彼女は喜んでいた。

当時は、レントゲンで確認するしか診断ができなかったけど、現在はインフルエンザと同様に、血液検査ですぐにわかるみたいである。

ちょうふの里から付き添ってきてくれた看護師さんによると、ホームでは風邪が流行っていて、みなさんなかなか治らないでいるんだって。16人も入院中なのだそうだ。もしかしたら、その人たちも全員マイコプラズマかもしれない。
「ホームに報告します」と、帰って行った。

誤嚥の心配がなければ、粗刻みでもお寿司でも、何でも母に食べさせてあげられる。
アルツハイマーだと、自分が歩けないことを忘れて、いきなり歩き出そうとして転倒、骨折したりする。食べられない状態なのに、それを忘れて食べてしまい、誤嚥を起こしたりする。周囲の人の管理がとても難しい。

でも、母はとても慎重で、自分の体調を良く知っている。食べれるときには全量食べる。でも、ダメそうなときには、口を開けない。丸2日間でも1口も食べなかったりする。安心して本人の意思に任せられるのだ。

医師にも看護師にもそう話して、「とにかく食事を」としつこくお願いした。
「声かけをお願いします」、「本人に聞けば、最低限必要なことは、小声だけど答えてくれます」 etc...etc...
担当が替わるたびに、会う人会う人に同じ話をしつづけるのはとても大変だけど、やりつづけるしかない。

母は、守られている安心感からか、ほんとうにいい表情をしている。
駆けつけてくれたあんずの話にも反応して、一生懸命答えようとするのだけど、酸素マスクのせいで、言葉がまったく聞き取れない。
でも、なんとなく「幸せ」オーラが漂っている。
前回の2週間の入院生活は、母のメンタルにすごいいい効果をもたらした。
私も、母の状態が良く理解できるようになったし、老人医療のおおよそを把握でき、いろいろと得るものがあった。

今日、母は酸素マスクが取れ、とても落ち着いて、すやすやと眠っていた。食事はまたもやゼリー食だったが、どちらにしても食べられそうな様子ではなかった。
最近は、耐性菌によるマイコプラズマが増えているという。もしも、感染したのが耐性菌だったら、楽観はできないのだが、ゼロゼロ痰がからんでいないところを見ると、抗生物質が効いているらしい。

またしばらく全力疾走しなくちゃならない。
でも、今では、自分の方針も決まったし、ホーム⇔病院の道筋もできたみたいなので、ちょっとは気が楽である。

私の中休みはたったの4日間で終わり・・・
ばあちゃん、早く治ってね~~
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