2022/4/13(水) |
悪人は大喜びで、善人も嫌々ながらも人を殺す |
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25年も昔の患者さんの話だけど、24歳の女の子に5歳下の彼氏ができた。彼は言うなれば「格好だけミュージシャン」で、ギターの練習をすることもなく、カラオケ屋でバイトをしていた。
新宿の歌舞伎町でビラ配りをしていた彼とバッタリ出くわしたことがある。同行の友人に「みづさん、あんな変な人と知り合いだなんて、すごい!」と驚かれたほど、見た目がやばかった。
その彼が(お金もないのに)40万円の羽根布団を買うことになったそうだ。彼女はとても頭がいいので、消費者センターに連絡したりして、「それはネズミ講だから」と一生懸命に説得を試みた。でも彼はのめりこんでいて、どうしても聞く耳を持たないとのこと。
私に相談に来たので、「彼の友人に連絡を取って、ふたりがかりで説得すれば、なんとかなるかも」とアドバイスをした。
彼女も友達も失うことになるのは困ると、彼はしぶしぶだったが、とりあえず説得に応じてくれた。でも、強面の男たちが集団でカラオケ屋にやって来たのだそうだ。
「ネズミ講だって聞いたんですけど」と恐る恐る言ったら、「そうだよ、俺たちはれっきとしたネズミ講だ。お前だってワルだろう。一緒に悪いことして、大金持ちになろうぜ!」と居直られたのだそうだ。
事実を知って納得したものの、あまりの怖さに断り切れない。印鑑を持っていなかったので、「明日持ってきます」とその場を逃れ、そのままカラオケ屋をやめたそうである。
プーチンとロシアを見ていると、その話を思い出すのである。
「ロシアの平和を守るため」とか、「虐殺はウクライナがやった」とか、「西側の報道はフェイクニュース」とか、あくまでも嘘をつきつづける。
ラブロフ外相も在日ロシア大使もプーチンと同じ嘘をつき、ほとんどのロシア人がそれを信じているらしい。
どうして、「ロシアの領土を広げるために、一緒に悪いことしようぜ」とか、本当のことが言えないのかが不思議である。
普通の善人に悪いことをさせるために「大義名分」をたて、善人は内心の小さな「疑念」を振り払って、権力者の言いなりになる。
悪人は喜んで人を殺し、善人はイヤイヤ人を殺す。そうやって戦場はますます悲惨なことになっていく。。。
ウクライナの次は北海道を狙っているそうだ。国中をがれきの山にしても平気なやり口を見ると、たぶん、原発にミサイルを打ち込む作戦かもしれない。パニックに乗じて、北海道に傀儡政権を樹立する。
日本は雨が多いから、放射能は数年で海に洗い流される。あとからゆっくりやって来て、自分の国を造ればいいのだもの。
だから、ウクライナは日本のために戦っているようなものなのだ。
はじめの一歩でつまづかせないと、この先、ロシアがどれだけ勢力を拡大するのかわからない。古代のローマ帝国みたいに、「大ロシア - チャイナ帝国」になって、世界を支配するかもしれない。
似た者同士だから、いつか仲間割れをするだろうけど、50年後ぐらいのことになるかもしれない。
心配はつのるけど、私には何の力もない。
ウクライナの惨状に胸を痛め、暗い想像力を働かせ、いまだ気もそぞろなんだけど、今はひざ痛のつづきを書いているんだよ。
マウスの中央のコロコロを中指で回しつづけるので、右肘の上腕骨外側上顆から中指へのライン、つまり総指伸筋の中央を震源とした「マウス肘」がしつこく残っているのである。
月曜日は、テーピングを忘れて出かけるほど、肘の状態が良かった。
クラブについてから、中指へのラインに2本だけテーピングをして、おじさんとラリーをはじめた。そこへ動けないおばさんが2人やってきて、ダブルスをすることになった。
まるでミックスダブルスのようなゲームになって、ヘトヘトに疲れ、ボールの衝撃で「マウス肘」が「テニス肘」になってしまった。
しばらくは雨予報なので、心置きなくテニスを休める。
そしてパソコン仕事に熱中し、また長引いてしまう、というパターンになるのは避けたいんだけどなあ・・・(笑) |
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2022/4/1(金) |
ウクライナは決してあきらめない・・・ |
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ウクライナ侵攻がはじまってすぐ、『そうだ、ロシアが反対隣りで手一杯のスキに、北方領土を奪還したらどうだろう』と思いついた。
クラブでおじさんたちに言ったら、「みづちゃんたら~~」とみなさんにあきれられ、「それじゃあ、ロシアを批判できなくなる」「同じ穴のムジナになっちゃうじゃないか」と笑われた。
よく考えてみると、ロシアに「日本占領」の大義名分を与えるのもまずいな・・・、と思い直した。
ところが、先週来た患者さんが開口一番、「このチャンスに、北方領土に攻め込むべきですよ」と言ったので、えらく驚いた。
右翼でも左翼でも何でもない、酒好き旅行好きの、普通の真面目なサラリーマンなのである。
でも、彼は札幌の出身。なるほど、北海道の人にとってみれば、北方領土は目と鼻の先。のどに刺さったトゲのように、片時も忘れられない悔しさなのだろう。
私は新潟育ち。海の向こうにいつも見える佐渡が、もしもロシアの領土に取られたのなら・・・と想像して、はじめて北海道の人たちの気持ちが理解できた。
沖縄のことも、ぼんやりとしか理解できていなかった。何十年も米軍基地と共存してきたのに、どうしていつまでも必死で追い出そうとしているんだろう?などと不思議に思っていたんだよ。
戦時中に上陸された。家を燃やされ、銃で追われ、手当たり次第に殺され、婦女子をレイプされ、ついには家も土地も米軍基地に乗っ取られてしまった。
その恨みと屈辱は、何十年たっても魂に刻印されているのだ。
関が原で負けた西軍、長州の毛利家と薩摩の島津家では、正月に集まっては「今年こそ、徳川打倒」「いやいや、まだ時期尚早」と、300年間も軍事訓練をつづけてきたという。
ペリーが来航したとき、サラリーマン化した徳川の武士では対抗できず、長州と薩摩に助けを求めるしかなかった。明治維新でついに徳川家を倒して、関ヶ原の恨みをはらしたのである。
「忘れっぽい」と言われる日本人でもそうなのである。
もしも今の戦争に負けたとしても、ウクライナ人は決してあきらめない。奪還を目指して、何百年でも戦いつづけるだろう。
ウクライナ情勢を求めて、いろんなテレビ番組を渡り歩いた。「ロシア人もウクライナ人も同じスラブ民族でしょう」と言った人がいたけれど、ウクライナ人には確固たる固有の民族意識があるようだ。
古代から何度もロシアに攻め込まれた。帝政ロシア時代にも、ソ連の時代にも、属国にされては独立を勝ち取ってきた・・・という歴史がある。
「ここはウクライナ人の土地」という思いは、何世代も受け継がれ、決して消え去ることはないだろう。
スペイン語を勉強するときには、スペイン語圏の国々の歴史や文化も一緒に学ぶ。スペイン人が最も誇るのは「レコンキスタ(=国土回復運動)」である。(conquistarは「征服する」という意味で、reconquistaは「征服から奪還」という意味になる)
日本の戦国時代から関ヶ原合戦ぐらいの時代に、カスティーリャのイサベル王女と、カタルーニャのフェルナンド王子が結婚して、スペインが統一された。2人は「カトリック両王」と呼ばれた。(コロンブスをアメリカ大陸に送ったのはイサベル女王である)
当時のスペイン人は北のほうに追いやられて、イベリア半島のほとんどがイスラム教徒に占領されていた。2人は次々にイスラム教徒の城を攻めていった。最後にアルハンブラ宮殿のイスラム教徒を追い出して、レコンキスタが終わったのである。
では、いつ頃からイスラムに征服されたのだろう?と思って調べたら、なんと710年から始まっていた。800年近くも、「イベリア半島は自分の土地」という思いを持ちつづけて、戦いつづけてきたのである。
世界のいろんな国でいろんな民族が、確固たる民族意識を持って、「ここは自分の土地」という思いで、何百年も戦いつづけているのである。
ゼレンスキー大統領が国会で演説した日。ライブで聞くため、5時50分に治療室を出て、ビュンビュン車を抜きまくって、2分前に帰宅した。
彼の「アジアで一番最初にロシアに制裁をしてくれた国」という感謝の言葉に、「日本人として」はじめて誇らしい気持ちになった。
北方領土のことに触れなかったのは、あえて言わなくとも、同じ恨みを共有しているはず・・・と思ったからなのだろう。
ウクライナ侵攻がはじまってすぐのとき、テニスクラブで別のおじさんが駆け寄ってきた。「みづさん、ウクライナが他人事だと思って、ロシアを放っておくのはまずいよ」と言った。
「中国が成り行きを見ているからね。戦争を仕掛けても制裁を受けないとなると、中国が台湾に攻めてくるよ。そうなったら日本も知らんふりはできないよ」と、わざわざ声をかけてきたのである。
ロシアを中国がバックアップしている。どちらの国も人民を弾圧している。言論の自由もなく、ちょっとでも政府に反対意見を言うと、すぐに連行されて牢屋に入れられる。粛清、毒殺、暗殺が日常茶飯なのだ。
近隣の国々を攻め滅ぼして吸収し、「領土を広げる」ことに執着する。残虐行為もいとわない、自国を正当化するために大嘘をつきまくる「専制君主」が支配している国なのだ。
ウクライナ侵略が成功して、ロシアがより強大な力を持てば、次には北海道から攻め込んで来るかもしれない。
中国が台湾に侵攻して成功すれば、そのまま沖縄、九州と攻め込んで来るかもしれない。
日本の上半分がロシア領、下半分は中国領になって、日本が両国に割譲される日が来るかもしれない。
どっちの国も、「絶対そこの国民になりたくない」国の筆頭だよね~~
でも、日本もやばかったんだよ。
安倍の長期政権が次々と法律を変えて、中央集権化にいそしんでいた。それには「言論の自由」が邪魔である。日本は古来から法治国家なので、「憲法」を変えないとどうしようもない。
安倍が潰瘍性大腸炎にならなかったら、プーチンになっていたかもしれない。引き継いだ菅がまずやったことは、学術委員会で、政府に反対したことのある5人の任命拒否だった。
「政府がお金を出している。人事に関することだから理由を言う必要はない」と居直ったけど、政府のお金は国民の税金なのだから、説明責任があるはずだ。桜を見る会の名簿もついに誰からも出なかったし、あらゆる疑惑がすべて不問に付された。
絶対的な権力を求める「独裁者」の下には、利権を求める輩が集まって、権力構造を支えている。その集団には言論の自由はない。
プーチンひとりの悪行のように言われていたけど、彼に群がる権力志向集団がプーチンを支えている。いつの間にか民衆は「人権」を失って、将棋の駒にされてしまっている。
でも「領土拡大」に執着するロシア人の民族性が、そもそもの根本にあるのか?とりあえず、ウクライナ人とゼレンスキー大統領はロシア人をまったく信用していないようである。
なんたって民主主義の欠陥は、多数決で政権が決まることだ。51対49で、49%の人間がいい人でも、国家としての暴走を止められない。
新型コロナの脅威よりも恐ろしい。桁外れの殺戮をあっという間に成し遂げてしまう人間を見て、「人類を滅ぼせるのは人類だけ」という私の持論をますます強固にしていった。
ウクライナの人々の惨状に心を痛め、暗い想像力をふくらませながらも、2週間でテニスを再開した。
不思議なことに、ボールを打つ筋肉は大丈夫そうである。マウスを使うと悪化するから、テニス肘というよりも「マウス肘」だったらしい。レイアウトの変更は、ほとんどが怒涛のマウス仕事だったのである。
テニスをすると、前腕の筋肉がほぐれてくれる。固まった身体もあちこちほぐれる。男のボールは重いので肘にかかる衝撃が心配だ。優しい女性たちとテニスをしているんだよ。
今のところ悪化の気配はないけれど、治るまでは用心、用心だね~ |
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2022/3/21(月) |
ラウンドロビンで全敗、途中で右ひじ痛 |
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去年は1年間、故障つづきでほとんどシングルスができなかった。
年末からはパソコン仕事。3か月間一心不乱で取り組み、テニスから気持ちが離れていた。ダブルスをちょこっとしただけ。練習もしてないし、サーブ練習もしなかったし、シングルスもぜんぜんやらなかった。
無謀かも?とは思ったけど、年寄りは故障と故障の合間にしか試合に出られない。「パソコン・オタク」から「アクティブ・ライフ」への再スタートと思ってチャレンジしたのである。
先々週金曜日のラウンドロビンは人数が少なくて、4人ブロックが4つだけ。2面展開だったので、休むことなく試合が進んだ。
1試合目の相手(ブロック2位)は、「中盤が大事」と教えてくれた常連さん。久しぶりの初戦で当たりたくない相手だった。(→2020/11/29)
サーブも忘れてフォルトの連続。シングルスをすっかり忘れていて、あっという間に0-6で負けた。
2戦目の相手(ブロック2位)は若くて長身。ミスを多発してくれたので、あっという間に3-0になった。『勝てそう、勝ちたい』と思ったのが運の尽きだったらしい。無意識にミス待ちをしてしまったのかもしれない。相手は足がめっちゃ速くて、何でも追いついてしまう。そのうち私のほうがミスを多発し、苦戦した挙句、5-7で負けた。
3戦目の相手(ブロック1位)は若くて本格派。スピンボールが速くて深くて、とんでもなく弾む。いつ見てもきっちり構えて、きれいなフォームでバッシン、正確なショットを打ち込んでくる。
相手のミスでジュースになったのが1回で、ほとんどポイントも取れずに、あっという間に0-6で負けた。
4位トーナメントでも1-4で負け、またビリに逆戻りした。
シングルスの試合勘もなく、ビジョンもなく、全敗して意気消沈したあと、クッシャン、クッシャン、花粉症がバクハツした。
やっぱり、ストレスとの関連はあきらかだね~~
試合の途中から右ひじが痛くなったので、ストレス解消のクラブテニスはあきらめて、そのまま温泉に直行した。
首肩の鎧のような硬直はみるみるほぐれてくれたけど、右腕の硬直には効果がなかった。
レイアウトの変更はほとんどがマウスを使う仕事である。テニスの途中で、ラケットを持てないぐらいに前腕が痛くなったこともあった。
途中で帰らせてもらったのに、日常生活では痛みが出ない。治療室に着くとまっすぐにパソコンに向かい、あっという間に10時を過ぎる。『治療は明日に』と先延ばし、という毎日だったのである。
不具合を感じていたのに、ほとんど治療していなかった。
何度も落ちたドツボにハマった。肩から指先まで、すべての筋肉が硬直してしまった、いつもの「複合汚染」である。
硬直をそのままに、シングルスで無理をしたために、かつてのテニス肘の古傷が蘇ってしまった。
「もっといいボールを」と思って、腕に力が入ってしまったのが原因らしい。腕だけで力んで打ったから、ミスショットを多発したのだろう。
テニス肘がおこる上腕骨外側上顆(●)は、肘を曲げて眺めたときに、外側に見えるでっぱりである。
昔こじらせたので、ここに「ほころび」が残っているのだと思う。
はじめはハンマーでギターの弦を叩くような「明るい」痛みだったけど、だんだん「病める」ような不快な痛みに変わっていった。 |
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肩~指先 |
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前面 |
後面 |
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上腕骨外側上顆(●)には、浅層の伸筋の多くが共同腱(=総伸筋腱)になってくっついている。こじらせると厄介なのは、一緒に収縮して過負荷の連鎖反応が起こるからである。 |
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短橈側手根伸筋 |
手首の伸展と撓屈 |
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(総)指伸筋 |
指をそらす |
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小指伸筋 |
小指をそらす |
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尺側手根伸筋 |
手首の伸展と尺屈 |
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テニスは休んでいるけど、腕を使わない時間はない。朝起きた時には快調なんだけど、だんだん痛みが起こってくる。鍼を打つとき、鍼を磨くとき、マウスを使うとき、包丁を使う、炒め物をする、ティラの世話・・・など、女性のテニス肘はほんとうに治しにくいのである。
肩から指先まで、毎日鍼やお灸をやりつづけた結果、今日はほとんど痛みがなくなった。『テニスに行こうかな』と思ったんだけど、もう数日休むことにした。ここでこじらせたらまた長引くかもしれないものね。。。
(そう言いながら、あくまでもパソコン止められない私である)
シングルスではビリになったけど、4試合走っても下半身の痛みが出なかったので、ちょっと希望が持てる。
1年半前の年末が一番ノリノリで絶好調だった。シングルスがだんだん分かってきて、あれこれ組み立てもできるようになった。そのイメージで無理をしたのがテニス肘をぶり返しそうになった原因と思う。
「ミスを多発するときは腕だけで打っているときだから、足で打つようにする」という自分へのアドバイスをあんちょこに付け加えられたのは、ひとつ進歩だね~~(笑) |
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2022/3/14(月) |
弥生会計で申告終了、レイアウト修正も終了 |
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みなさんもそうだと思うけど、ロシア軍のウクライナ攻撃に、ここまでやるのか!と激しい驚きと怒りを感じている。
刑事コロンボを見ながらのストレッチが日課だったが、今はチャンネルを変えながらずっとウクライナのニュースを追っている。
寝る前にもケーブルテレビのCNN(アメリカのニュース番組)をチェックしている。ずっとウクライナのニュースで、夜中は同時通訳がないんだけど、だいたい大筋はわかる。
ウクライナの人たちが心配でたまらない。がんばって欲しい!と祈るような気持ちで戦況を見守っている。
おかげで気もそぞろなんだけど、パソコン仕事は着々と進んだよ。
パソコンが壊れたために生じた難題は、ホームページだけじゃない。2002年から使っていた会計ソフトも使えなくなった。ほとんど1年分を入力した後に壊れちゃったのである。
JDLには不満があった。大企業から個人事業主まで対応しているので、容量がものすごく大きい。私が使うのはほんの一部である。
Windows10のノートパソコンに試しにインストールしたとき、使えなかっただけじゃなく、アンインストールができなかった。パソコンのあちこちにいろんなデーターが残されたままになってしまい、どうしても完全に削除することができなかった。
いったん入れてしまったら面倒なことになる。
おととしまでのデーターはUSBメモリーに保存してあるけど、去年のデーターはメールに添付しただけだった。それを読み込めるのかどうか?不安に駆られた。
問い合わせしたら、「メールのデーターをコンバートするのに別途4万円が必要」という返事が来た。
高額なソフトを購入するうえに、プラス4万円ときいて、ついにJDLへの未練が切れた。
過去のデーターを見るのはあきらめた。1年分を年初から記入し直す決心をして、別の会計ソフトを探すことにした。
私がパソコン会計をはじめたきっかけは、はにわきみこが書いた「フリーのための青色申告デビューガイド」だった。弥生会計のソフトを例に解説してある。それを見ながらJDLに対応したのである。
ネットで調べたら、個人事業主に最適で、会計の知識が全くない人のために作られているとのことだった。
電話で問い合わせたら、「弥生の青色申告」というソフトで充分とのこと。メールや電話でのサポートなしの一番安いタイプの場合、初年度は12000円である。翌年から「安心サポート」として、年間8000円かかるんだけど、元号の変化や、毎年の税制の変化に対応してくれるとのこと。
期限が迫っていたので、即決した。
でも、前年度までのデーターはどうしても見たい。振替伝票など、プリントアウトしてないものがあるし、導入のときに参考にしたい。
去年もらったXPは、再インストールしたあとで、ドライバーがないことに気がついた。古すぎてネットでは手に入らなかった。
別の患者さんがXPをくれたんだけど、CDドライブがなかった。別の患者さんが外付けのCDドライブを貸してくれたんだけど、MACだった。
ちょうど現れた患者さんに「XP持ってない?」ときいてみたら、「あるよ~」とのこと。夕方わざわざ持って来てくれ、申告が終わるまで貸してもらえることになった。
私はずっとDELLだった。同じXPでもメーカーが違うと、ぜんぜん違う・・・と言っていいほど景色が異なるんだよね~
彼のXPに無事にJDLをインストールすることができた。USBメモリーの中のデーターは入れられたけど、半ば壊れかかっていたのでインターネットにつなげられなかった。メールに添付されている去年のデーターをUSBにコピーしたけど、JDLは認識すらしてくれなかった。
でもおととしのデーターを参考にできたので、ものすごく助かった!
慣れない会計ソフトで、期首の数字を入れる「導入」でまずつまづいた。「科目」でつまづき、「登録」でつまづき、「家事按分」でつまづき、そのたびにネットで調べる羽目になった。えらい苦労をしたけれど、結局、ほんとうに超簡単だった。
数字の入力に1週間、そのあと見直しと調整に時間をかけて、木曜日にバイクで税務署に提出しに行った。
手書きの必要がなく、すべてを簡単に印刷できたんだよ。
合間にちょこちょこやっていたレイアウトの修正も終わった。太い文字は見えることに気づいたので、小見出しを「MS UI ゴシック」に戻した。
これでやっと自分のホームページな感じが戻ってきた。
申告とホームページ修正が終了したので、ここから生活時間を前倒しして、午前中にテニスに行けるアクティブライフに戻ろう・・・というその第一歩が、翌日のシングルスのラウンドロビンだった。
このつづきは次回に持ち越し。途中で右肘に痛みが出たので、テニスはしばらくお休みである。テニス肘をこじらせたくないもんね~~ |
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2022/3/2(水) |
「ヴェルの思い出」のレイアウト修正が終わった |
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Windows11ではフォントの指定があると、日本語の文字が細くて見えにくくなってしまう。でも、英語はそのまま見える。
英語はアルファベットが26文字しかないので、いろいろなフォントに対応するのは簡単だ。日本語はフォントの文字数が膨大なので、すべてに対応するのが面倒になったのだろう・・・と推測した。
今ではスマホやタブレットなど、いろんな媒体がある。フォントの指定がないほうが適応力が増すかもしれない・・・とも推測した。
なので、レイアウトの修正を決意した。いったん思うと、どうにも止まらない性格なので、またパソコンの子になってしまった。
夜中まで作業するので、朝起きれない。テニスに行くのは3時ごろ。ちょこっとやって気もそぞろに治療室に直行。おかげでムキムキだった太ももの筋肉がすっかり細くなっちゃった。。。
ホームページ作りをはじめた頃は、完璧な素人だった。最初はコピペでやったので、昔のは細かくフォントの指定をしてあった。
そのうち、スタイルシートで一括で管理するほうが楽だと気づいて、文字ごとの指定を外した。その都度ちょこちょこ直してきたので、症例集などは、スタイルシートの変更をするだけでほとんどOKだった。
ブログなどは読みやすいように、表に隙間(colspan)を入れてあった。
「表」を使ってレイアウトしているんだけど、「枠を非表示」にして、画面には見えない枠を作って、それぞれのコンテンツを配置している。
Windows11では、パソコンが勝手に隙間を入れるので、結果、文字が飛び散ったように広がってしまう。
この隙間(colspan)はずしに一番手間がかかった。
最後に残ったのが「ヴェルの思い出」だった。もう見ている人はいないだろうな・・・と思って先延ばしにしていたんだけど、レイアウトの崩れ方が半端じゃなかった。
携帯で写真を撮ったのだけど、当時は画像が小さかった。小さい写真に合わせて、横に並べて文章を入れた。ちょうどピッタリのサイズにするために、文章を削ったりとさんざん苦労した。
Windows11では、写真の大きさときっちり合わせたはずの文章が、長~く伸びて、下に広がってしまう。見た目も悪く、しかも読みにくい。レイアウトの細かさがあだになったのだ。
残念ながら、ホームページビルダー上と、「11」の画面上は、見える景色がまったく異なる。 「11」に似た画面で作業をするために、下書き用のスタイルシートを作った。似たような形のフォントを選び、色を合わせ、字間を広げ、きれいにおさまるようにレイアウトの修正をした。終わってからスタイルシートを元に戻して転送した。
(このブログもそうやって作っている)
直さずにはいられなくなって、「ヴェルの思い出」の変更に着手。1ページ直すのに30分もかかる。ぜんぶで34ページもあったから、とっても大変だったんだけど、昨日やっと手直しを終了した。
ヴェルがうちに来たのは7歳になったばかりのとき。二人目の子どもが生まれて「犬に手が回らなくなった」と長男に言われて、しばらく預かることになったのだ。(そして手放せなくなった・・・)
犬の写真をホームページにのせれば、「看板犬」として、犬にかかる費用がすべて経費で落とせる・・・と患者さんに教えてもらった。
写真を載せるだけでよかったのかもしれないけれど、世界が犬を中心に回ってしまうので、ブログがほとんどヴェルの話になってしまう。
なので、別に「ヴェルの部屋」を作ったのである。
子どもの頃に犬を飼ったことがあるけれど、外犬だったし、世話はほとんど両親がやっていた。自分で犬を育てるのははじめてだったので、本を参考にヴェルを観察して、毎日が新しい発見の連続になった。
手直しをしながら、久しぶりにヴェルの思い出にひたった。ヴェルの可愛さ、利口さ、自己主張と、私たちの格闘が懐かしかった。
そのうち、ヴェルの身体の白さが「まるで裸」になっているみたいに思えてきた。黒い服を脱いじゃったティラみたいで、寒そうである。
ヴェルがだんだん年を取っていく。僧帽弁閉鎖不全症を患い、元気がなくなっていく。ヴェルの体調に一喜一憂した日々。
身体が老いていくのと反比例するように、人間語の理解がすすみ、ますます利口になっていき、ますます人間に寄り添うようになっていく。
老犬の可愛さは、ほんとうに半端じゃないんだよ。これは飼った人にしかわからないだろうと思うけど。
終わりに近づくにつれ、その頃の不安や喪失感をまざまざと思い出した。涙ぐんで手直しをする私の横、椅子の隙間にティラが入り込み、私にピタリと身体を押し付けていたんだよ。
私を慰めようとしてくれたのかもしれないね。。。
人間に逝かれてしまったあとは、それぞれ心の別の場所に存在している。父の場所、母の場所、従兄や友人や、それぞれが別の個性を持って心の中で別々の場所に住んでいる。決して重ならない。
でも、ヴェルとティラは心の中で重なって、区別がつかなくなってしまう。
携帯の待ち受け画面は、いまだにヴェルがランダムに現れる。
かつては写真を見るたびに、当時のエピソードを思い出し、フワフワの毛の感触、身体の重さや温かみまで、ありありと蘇った。「可愛かったなあ・・・」と幸せな気持ちになった。
でも、ティラが来てからは、単なる「写真」になってしまった。そのうち、ヴェルの写真を見ても、ティラと区別がつかなくなった。
面倒をみてあげないと生きていけない存在。ご飯やお散歩はもちろん、自分ひとりでは水を飲むこともできない。口がきけないので、犬の心を飼い主が想像する。
犬の個性よりも、ふくらんだ想像の世界がはるかに大きいのだろう。
ヴェルとティラは心の中の同じ場所に住んでいて、いつまでも「私の赤ちゃん」で、自立して旅立つ日は永久にやって来ない。
「ペットロスを癒すのは、ペットを飼うのが一番」と言われているけど、本当にそうかもしれないね~~ |
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