2010/12/28(火) |
スペイン旅行記⑥ バルデモサ |
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FAQ を久しぶりに更新。患者さんに、自分でやれるテーピングを教えてあげているんだけど、素人スポーツマンの人たちに、すごく役に立っている。私も、練習のときには、必ずテーピングをしている。
症例集を書くたびに、いちいち同じ説明をするのは面倒なので、まとめてみた。自分で貼るときの参考にもできるしね。
”FAQ 20: キネシオテーピングのやり方”だよ。
あまりの忙しさに、ポカばかりやっている私。
いつものように24日も仕事だったのだが、「今日はクルマイス・イブなのにね」と言ってる自分の声を聞いて、あれ?変?『車椅子』・イブなんて言っちゃてる。
クリスマスも言えなくなっちゃった。。。母のことに相当忙殺されているなあ。
だから、海外旅行はストレス解消になる。何があっても、駆けつけられない。やるべきことから離れて、やりたいことだけできるのだもの。
マジョルカ島の3日目は、バルデモサに出かけた。だいぶ利口になって、前の日のうちに、スペイン広場の
i で、バスの時刻表を手に入れておいた。
私は時間の管理が苦手。目的のバスに乗るためには、起きる時間、朝食の時間など、逆算しなければならない。
計算しても計算しても、ますます混乱してしまう私に、先輩がきっぱりと時間の計算をしてくれた。旅は道連れ、2人で1人。
私はスペイン語はわかるけど、時間もお金も、計算ができない。先輩は時間の計算はできるけど、お金の計算ができない。超どんぶり勘定の二人連れだ。
バルデモサは、ショパンとジョルジュ・サンドが愛の逃避行をしていた村だ。パルマから長距離バスで、30分ぐらいのところにある。ドラック洞窟とは反対方向だ。
前日のマナコール方面とは全く違う風景の中をバスは行き、どんどん山を登っていった。水と緑の豊かな、湿気のある地帯だ。
バスを降りてすぐ、途方にくれた。地図を見ても、どっちに行ったらいいのか、皆目見当がつかない。i で、地図をもらおうとしたら、有料で、買ってしまって損しちゃった。
人がぞろぞろ歩いていく方に行けばよかったんだよね。 |
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ショパンとジョルジュ・サンドが隠れ住んでいたのは、カルトゥハ修道院だ。(Real Cartuja) 1399年に建てられて、廃屋化していたものを、1838年に、貸別荘として使うようになった。
不倫の噂が広まって、パリに居づらくなった2人は、ここで一冬を過ごした。
肺病だったショパンの静養を兼ねていたらしいのだが、毎日雨がつづいた。
ショパンの「雨だれ」は、マジョルカの雨だった。ショパンの肺病は、湿気のためか、ますます悪化し、サンドに去られてしまった。死の床にあるショパンを、友人たちが取り囲んでいる絵などが飾られてあって、なんだかかわいそうになった。
ジョルジュ・サンドは既婚で年上。
「恋多き女のサンドに、ショパンは、遊ばれちゃって、捨てられちゃったのね」と、先輩がしみじみ言った。 |
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ショパンたちが住んでいた部屋の前には、小さな庭がある。そこから山が見渡せる。
屋根の上には、素敵な塔が建っていた。 |
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2010/12/15(水) |
バイクはアクシデントつづき |
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今年の新着が1コだけなんて、これはまずいと、久しぶりに症例集の更新をした。症例22のつづき、「五十肩・2」だよ。読んでね~
先週、バイクであやうく事故りそうになった。
八雲台小学校の横の道を走っていたら、左前方にいた自転車が、右前方の道へ曲がろうとして、いきなり私の前を横切った。
たぶん、私に気づかず、何も考えず、「あ、あの道だ」という調子で、ひょいと方向転換をしたのだろう。
いきなり目の前に、自転車のおばさんが!
「きゃーーー!」と叫び声を上げながら、思い切りブレーキをかけた。「絶対ぶつかる」と思った。まあまあスピードが出ていたし、3メートルぐらいしかなかった。
タイヤがロックし、バイクが思いっきり左右に暴れた。胸にぶら下げたヴェルのバッグも、振り子のように左右に揺れた。「こける」と思った。ヴェルと一緒にこけたら、ただじゃすまないかも・・・
でも、バイクは無事に自転車の前で止まった。
私より若いおばさんが、「すいません、すいません、すいません」と謝りつづけていた。
白昼の悪夢のような一瞬だった。
「私の運動神経もまだまだ捨てたもんじゃないな」という点はちょっと嬉しかったが、あやうく大惨事になるところだった。
そのあと、最近のテニスのやりすぎで、ちょっと違和感のでていた肘が重くなって、昔痛めた肩も、なんとなく重くなった。
Sさんにも治療してもらって、だいぶ良くなったけどね。
その次のバイク・アクシデントは切符切られ事件だ。仕事の合間に、母のところへ差し入れに行く途中、違反切符を切られた。ムカつく。
家を出る前に、母の好きな「納豆おはぎ」を、わざわざ作ってきたのだ。
もち米を1合炊いて、すりこぎで半殺しにする。
お砂糖を少し入れて、納豆をガンガンかき回し、おもいきり粘り気を出してから、醤油をいれ、ちょっと甘辛の納豆の中に、ちぎって丸めたご飯を入れて、熱いうちに納豆からでたタレを絡める。
「納豆おはぎ」は母のレシピで、自分で作る以外、手にいれる方法はない。
ご飯を柔らかめに炊いて、突くのも柔らかめにして、食べやすいように小さく作った。大好物を見ると、母の目が輝き、必死になって食べることで、脳が活性化する。ちょっとでも良くなって欲しいと願う娘心だよ。それなのに・・・
45分しか空き時間がないのに、日曜日なので、ヘタなドライバーが多く、いらいらしてガンガン飛ばした。
病院に着いたところで、原チャリのおまわりが追いついて、「もしもし、一時停止をしませんでしたよね」と話しかけてきた。
「もしかして、急いでます?」だって。あたりまえだ。誤嚥がこわいので、つきっきりで食べさせなければならない。ものすごくゆっくり食べるので、30分はかかる。
「10分で済ませます」とおまわりは言うが、そんな余裕はない。とりあえず、免許証を渡して、母の病室に急ぐ。
食べさせている途中で、「すいません、切符切られて、今、警官が下にいるので、ちょっと母をお願いします」と言って、病室を出たのだが、病室を出るときに鍵を開けてもらい、ナースステーションを出るのにもまた鍵を開けてもらわなければならない。えらく面倒だ。母は閉鎖病棟にいるのだ。
戻ってみると、看護婦さんたちがみんなで同情してくれていた。
「セブン・イレブンのところでしょ?裏の畑に隠れて、見張っているのよね。汚いわよね。警官だって悪いことするくせに」
「私も、通勤のとき、あそこでつかまったのよね。ひどいよね~」
品川道の青木屋とガストの間の道を下ったところ、一方通行の出口で、見晴らしがよく、いちいち止まらなくても安全だ。
安全だから、止まらずにすむし、事故が起こる心配がないから、警官も安心して隠れていられる。
どういうこと?こっちは免許を取って以来、○十年、毎日運転しているけど、無事故なんだ。
うちらの税金で仕事をしている警官が、そんなところで無駄に時間をつぶし、納税者の生活を脅かすなんて、言語道断だ。それが、堂々とまかり通っている。
おとなしく切符は切らせたが、がんがん文句を言う私に、警官は警官特有の「無」表情である。
善人を罰するためには、自分が善人であると信じなければならない。
自分のしていることが「悪いこと」だという事実を見ないようにして、自分を揺るがす言葉をすっと聞き流す。その「偽善的無表情」には、ほんとうにムカつく。
プライバシー保護のためにネットでは書けないが、最近、警官がらみのイヤ~な事件があった。鍼灸室の中や友人には、おおやけにしている話題だけどね。
解決のめどが立ち、やっと忘れかけたところに、また警官の偽善を目にして、あの苛立ちをあらためて思い出してしまった。
どうして、世の中の人の常識が、警官に通じないことが多いんだろう?
個人的な直感や考えを封印し、上の命令に従って動くことで、警察組織は成り立っているようだ。自分で観察して、自分なりの結論を出そうと思ったら、警官やっていられないんだろうね。
だから、冤罪が起こる。
冤罪とは、日ごろの行いや心情、信念とは無関係に、ある日突然、いきなり降りかかってくるものなので、防ぎようがない。困ったものだ。
たった一つだけど、いいこともあった。
違反切符を切られたときの、人々の共感と同情は嬉しい。
「警官なんて、ろくでもないよね!」と、みんなで言い合う快感で、ちょっとは気が晴れたけど、違反点数と、6000円はやっぱりムカつく。
ま、組織とはどこでもそういうものだ。「何が正しいか?」ではなく、「誰が上司か?」が、価値基準としてまかり通る。
私は、自分なりの考えをちゃんと持って、それに基づいて行動し、間違っていたら反省し、自分の責任は自分で取る、そういう人としかお友達になりたくないな・・・ |
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2010/12/5(日) |
スペイン旅行記⑤ 巨大なサラダと私の写真 |
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ポルト・クリストの海で遊んだあと、レストランでお昼を食べることにした。喉がからからだから、とりあえず、ビールが飲みたい。
バスの時間まで、30分ぐらいしかないから、軽く食べようよと、海老のにんにくと唐辛子をつかった料理をたのんだ。
「サラダが食べたいわ」と、先輩。
「たぶん、ものすごい量だよ。食べれる?」
「食べたいわ。野菜を食べていないもの」
私は小食。スペインの料理の1人前には用心が必要だ。 |
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で、出てきたものは、やっぱり、超巨大なサラダ。なんとかのパティオ(中庭)という名前のサラダをたのんだから、予想はしていたんだけど。
「これじゃあ、15分で食べるのは無理ね」と、先輩。
バスの時間を1時間遅らせ、ふたりでしっかり食って飲んだ。美味しかった~。
これは私の写真だよ。本邦初公開。
結局、夜になってもお腹がすかず、部屋で日本から持っていったものなどあれこれ広げ、ちょこっとつまんで終わりにした。昨日買いこんだビールとワインが役立った。 |
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2010/12/3(金) |
スペイン旅行記④ ドラック洞窟 |
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次の日、朝食をすませて、バスでスペイン広場へ。またまた
i に行き、ドラック洞窟への行き方を聞いた。
長距離バスの発着所 ESTACIÓ D'AUTOBUSOS はすぐそばにあって、そこの i で、バスの時刻表をもらった。すべてのバス停の往復の発着時刻が書かれてあるので、これさえあれば、臨機応変に行動できる。
ドラック洞窟 CUEVAS del DRACH は、パルマから Costa dels Pins 行きのバスで約1時間半、ポルト・クリスト Porto Cristo の町にある。そこはナダルのおじさん(コーチ)が住んでいる町だそうだ。
途中、ナダルの住むマナコール Manacor を通る。立ち寄ってみようと思ったが、さほど素敵というわけでもない石造りの家が並んでいる町なので、バスの窓から眺めただけで満足した。どうせナダルはアジアに遠征中だしね。
11:10のバスに乗り、12:40に Coves (Cuevas) に着いた。ちょうど1時から、洞窟の見学ツアーがあった。
ガイドブックには1時からのツアーはなかったのだが、バスの時間に合わせてあるんだね。それをスペイン人的いいかげんさと受け止める人もいるだろうが、私にはその臨機応変さが嬉しい。
ドラック洞窟は鍾乳洞である。ガイドさんの案内に従って、薄暗い鍾乳洞を下っていく。底には地底湖がある。世界最大の大きさだそうだ。
湖に向かって、小さなスペースに観客席がしつらえてある。薄暗い中、はしこく席を見つけ、左側の最前列に坐れた。
すべての光が消えた。
暗闇の中を、灯りをともした小船が3・4艘、湖の上にすべりでてきた。洞窟の壁が次々にライトに照らされ、素晴しく幻想的な光景がかもしだされる。
一艘の小船には、オルガンとバイオリンのミニオーケストラが乗っていて、ショパンをはじめ、クラシックの曲を、何曲も何曲も演奏してくれた。
なんて素敵なの!私たちは大感激である。
演奏が終わって、また洞窟全体が少し明るくなると、ガイドさんが、スペイン語であれこれ言っている。
私は「左じゃなくて、右に行け」というふうに聞こえたのだが、右の桟橋の方にはすでにぞろぞろと人が向かっている。
右は遠い。でも、左はすぐだ。先輩を呼んで、とりあえず、左の桟橋の列に並んでみた。
なんと、小船に乗せてくれたのだ!
私たちは2艘目の一番前にすわることができた。そこから右の桟橋に向かって、ゆらゆらと湖水の上を漂っていく。あれっ?あれはクラゲ?
水にひたした手をなめてみたら、しょっぱい。海水の湖だったのだ。
こんなに手の込んだ趣向を凝らすなんて、さすが、遊び心というか、観光の島の歴史の古さを感じさせられた。
洞窟からポルト・クリストのバス停まで、ぎらぎら照りつく太陽の下を歩いた。5分ぐらいだったと思うが、とにかく暑い。
さすがマジョルカ。太陽の国。ジーパンではとても耐えられない。 |
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土産物屋で半ズボンを買った。ビーチサンダルは持ってきてあったので、小さな入り江で足だけ海につけた。澄んだきれいな海でしょ!
中央にいるのが私。はいている白パンツが、例の、テニスクラブの試合でポケットがなくてあせったパンツだよ。 |
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2010/11/30(火) |
スペイン旅行記③ カラ・マヨール |
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バルセロナから飛行機で30分。あっという間にパルマ・デ・マジョルカに到着した。ソン・サン・ファン空港に降りて、ほっと安心。
私の予感どおり、マジョルカ島までは波乱万丈。これからは、すべてがラッキーつづきになるに違いない。そう確信した。
「ほら、ナダルがお出迎えよ!」
先輩が指した方向を見ると、大きな大きなポスターの中で、ナダルがニッコリ笑っていた。ナダルはマジョルカに住んでいるんだよ。
いつものことながら、まず、空港の i (información) へ。
当然、マジョルカでもゼネストだって。でも、バスは動いている。間引き運転だ。スペイン人て個人主義だから、みんなでスト、という発想がないのだろう。
バスでパルマ・デ・マジョルカの中心、スペイン広場に行き、そこでも i へ。ホテルへの行き方を教えてもらった。
私たちの泊まるホテルは、スペイン広場からバスで30分ぐらいのところにある。ストのせいでバスはメチャ混み。ゴロゴロ転がっていきそうになるトランクには参ったが、迷惑そうな顔をする人もなく、あっちこっちでトランクを止めるのを手伝ってくれた。
みんな親切だなあ~。ほのぼの。。。
バス停はカラ・マヨール。そこから歩いてすぐのところにホテル、プラヤ・カラ・マヨールがあった。
チェックインしながら時計を見たら、なんと、家を出てから丸二日たっていた。 |
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これがホテルである。古くて趣があった。
エレベーターのドアを自分で開けなくちゃならなくて、「なんだか、怖いね~」と、かなりドキドキ。 |
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鍵もオールドファッションで、2回回して開けるのだ。
部屋もすてきで広々として、バルコニーからは海が見渡せる。こじんまりとした小さなビーチで、まばらに人が泳いでいた。さっそく写真をとった。 |
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海の美しさに惚れ惚れ。私たちがいた4日間、空も海もず~っと、その美しさだったんだよ。
さすが、昔から「地中海の楽園」とよばれていただけのことはある。年間300日以上が晴天で、1年中泳げるんだって。
荷をといて、まず、スーパーマーケットに買出しに出かけた。フロントで場所を聞いたのだが、すでにつぶれていた。
近くのお店でビールとワインなどを買い込み、冷蔵庫に入れた。
「とりあえず、泳ごうね~」と、2人で水着に着替えて、ビーチに出た。
水は少し冷たかったけど、太陽はあたたかい。海の水は温泉効果がある?長旅の疲れがすーっと抜けていった。 |
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日記 TOP |
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