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雑談・9
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<あなたには憑いてる「キツネ」がいる?>
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狐憑き=人間に「キツネ」が憑りつく
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古来の人々は動物が人格を持っていて、人間と交流すると信じていた。昔話には狐や狸に化かされたり、鶴や亀が恩返しをしたりするお話がたくさんある。動物が人間に憑りついたりすることもあった。
「狐憑き」は人間が「キツネ」に憑りつかれた状態である。民俗学の本でその治療法についての記述を読んだことがある。
村人の誰かがうつ病になったり、妄想的なことを口走るようになると、「あの人にはキツネが憑りついている」となる。村人総出でかがり火を炊き、輪の真ん中に病者を坐らせて、祈りを唱えながら踊り明かしたそうなのだ。
病気になったのは本人のせいじゃない。家庭環境や生い立ちのせいでもない。一時的に憑りついた「キツネ」のせいなのだ。
個人の病気が村中の人々の問題になる。病者は「祭り」の中心人物になり、村人が寄ってたかって助けようとしてくれる。この集団のダイナミズムが病者を癒してくれるのではないか?
「キツネ」を追い払えば病者ではなくなる。レッテルを貼られることもなく、のけ者にされることもなく、普通の暮らしがつづけられる。もしかしたら、最も手っ取り早くて効果的な治療法なのかもしれない。
「狐憑き」の「キツネ」は悪い意味で使われているが、何かにとてつもなく夢中になる人には、その人なりの「キツネ」が憑いているのではないか?と思うようになった。 |
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タベモノギツネ |
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20代前半から消費者運動をやり、無農薬野菜などの共同購入をやってきた。でもいろんな疑念から消費者運動界にうんざりした。『もう止めようかな』と思いはじめた20代後半、小寺ときさんに出会った。
彼女は無農薬で自給自足するグループ農場を主宰していた。40歳で農業を始めたときには、縄文時代からの農業に関する本を500冊以上も読んだそうだ。5人の子どもを育てながら、自ら畑を耕して米や野菜を作り、油や天日塩などの調味料や、あらゆる食材を作っていた。東毛酪農と消費者で「みんなの牛乳勉強会」をつくり、牛の餌や殺菌法にもこだわって、ノンホモのパスチャライズ牛乳を(のちには生乳も)作り上げた。
その超ハードなスケジュールの合間に、通りすがりの農家に立ち寄って、日本の在来種の種を集めたりもしていたのだ。
「小寺ファン」を自称して、いろんなところについて行ったりしたのだけど、私には他にやりたいことがたくさんあった。小寺さんには「食べ物」という「キツネ」が憑いている・・・と思ったのである。 |
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オリモノギツネ
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織物作家の小林愛子さんは「織物」に全人生を懸けていた。
自宅の壁にでっかい織機を作って、ひたすらタペストリーを織っていた。
自然の風景の中にさまざまな鳥や動物たちを織り込む。
色鮮やかで魅惑的で幻想的な独自の世界を表現していた。
(→右は2025年の新作である) |
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世界中の織物を買い集めてもいた。年に何度もグアテマラに行き、先住民であるマヤの人たちの精緻で美しい織物(ウィピル)を買い漁っていた。古物市で見つけたエジプトの古いマットを10枚以上も手に入れて、「家族にはこんな汚いものをとあきれられてるけど、眺めてはよだれを垂らしているのよ」と笑った。
小林愛子さんには「織物」という「キツネ」が憑いていたのだ。 |
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ホイクギツネ
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32歳のとき近所の保育園で保母の仕事をした。1歳児のクラスで1カ月、0歳児を4カ月、鍼灸学校に入ってからは遅番を半年間。
私になついてくるのは問題を抱えた幼児や赤ちゃんたちだった。そういう子どもたちのこだわりや恐れやためらいを取りのぞくコツを、何故か生まれつき知っていたのだ。
遅番は本当に大変だった。0歳の赤ちゃんから6歳の幼児が一部屋に集められる。長時間預けられてストレスがたまっているので、まずケンカから始まった。わめき声と泣き声で阿鼻叫喚さながらになるのである。
子どもたちを仲良く遊ばせるコツを知っていた。一緒に遊んだほうが楽しいと知ると、子どもは無益なケンカをしなくなる。お迎えに来たお母さんも、「ここは居心地がいいわね~」と、しばらくくつろいだりするようになった。
そうなるとただ見守るだけになる。「子どもは遊びから学ぶ」という持論があるので、やることがなくなってしまうのである。
でも同僚や友人の保育士の中に決して飽きない人たちがいた。年齢ごとの発達の勉強をし、発達に合わせたおもちゃを手作りしたり、人形劇を習いに行ったりと、列挙すればキリがない。
小さな子どもたちのために身をささげ、保育に全精力を投入した。彼女たちには「保育」という「キツネ」がついていたのだ。 |
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私のはナオシタイギツネ
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ずっと自分の「キツネ」を探していた。いろんなことに熱中し、すぐにある程度はできるようになる。でも途中で飽きてしまうのである。器用貧乏な自分がイヤでたまらなかった。自分が一生かける仕事がどこかにあるに違いないと、ずっと探していたのである。
スペイン語の勉強にも熱中したけど、通訳や翻訳家は自分の意見が言えないことを知って、私には向かないと思った。
料理が好きだからと、自然食レストランでランチを作っていたこともある。でも仕込みの退屈さに耐えられず、料理人は向かないと知った。
子どもが好きだし、いい保母になれる素質はあったけど、自分には「セラピスト根性」があると気づいたのだ。
32歳のとき、お付き合いで買った井上真の「戦争と鍼灸」を読んで、『鍼って、こんなにもいろいろな病気が治せるんだ!』と感動し、『奥が深そうだから、これなら一生飽きそうもない』と思った。
友人たちには「今度は鍼なの?」とあきれられ、「どうせすぐに飽きるに違いない」と言われたりしたけど、私の中には確信があった。
私には「治したい」というキツネが憑いていたのだ。子どもの頃からやたらに病気に関心があった。いろんな人たちの病気の話を興味津々で聞き、家族が病気になると全力投球で取り組んだ。
たぶん身体が弱かったせいと思う。気管が弱くて風邪とはお友だち。胃腸が弱くて下痢ともお友だち。皮膚も弱くて皮膚病ともお友だち。元気いっぱいだったので、小さな怪我もしょっちゅうだった。
やりたいことを妨害する「身体」をなんとか「治し」て、やりたいことに取り組みたいという熱望が原点かもしれない。
鍼灸の「仕込み」は勉強と研究である。好奇心と探求心のかたまりで、あれこれ調べたりするのが大好きなのだ。
それまでの人生で熱中したことがすべて役に立ち、味わった不幸の数々までもがすべてプラスに働くという、まさに天職を見つけたのである。 |
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好きなことに全力で取り組もう
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人間が何かに囚われ夢中になる。全精力、全人生を賭けて熱中する。昆虫に魅入られて昆虫学者になった人。古代遺跡の発掘に没頭する人。看護に身をささげたナイチンゲールやマザー・テレサ。漁業や農業の達人、ものづくりの達人もいる。その道を突き進む人には「キツネ」が憑いているのだ。
世の中のほとんどは、家族に生きがいに感じたり、日常生活を楽しむことに幸せを感じる人たちだと思う。うちの両親がそうだった。我が家を持ち、家族がなにより大事で、子どもや孫に多大なエネルギーを投入した。職場や親戚、ご近所づきあいも大切にした。趣味や旅行も楽しみのひとつだった。
でも私はそれだけでは満足できなかった。目的志向型の人間なのだ。自分の「キツネ」を追い求めて、家族や友人を二の次にしてきた。熱中と熱中との合間に現実に戻って人づきあいをこなし、なんとかバランスを取ってきたのである。
昔の患者さんで30代から中国語に熱中し、ラジオ講座で勉強をはじめた女性がいた。15年後には翻訳の仕事が来るようになって、20年後、50代になって中国語で就職したそうだ。諦めずに好きなことをやりつづけて、その道のプロになったのである。
演劇に熱中していた女性もいた。彼女はチラシやチケットを作る能力、いろんな人にチケットを買ってもらうという営業能力も持っていた。30歳ぐらいで演劇を止め、紆余曲折のあとで税理士の資格を取ったそうだ。好きなことに全力を投じているうちに新たな道が開けたのだ。
「今好きなこと」に全力を投じること、自分の「キツネ」に忠実に生きることが自己実現につながるのだと思う。
ただし世の中には「金」や「物」、「権力」や「支配」というキツネが憑いて、周囲の人々に不幸をもたらす人もいる。そういう人には憑いたキツネをお祓いしてもらいたいものだ。 |
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