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リョーコの手作りブログへようこそ! |
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2023/12/29(金) |
母のリハビリカルテ14を更新 |
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テニスを再開して驚いたのは右足の安定感である。フォアは右足軸足だが、驚くほどstableなのだ。右膝を曲げて構え、軸に乗って打つことができ、しっかりとスピンがかけられた。
左足足背の低温火傷の傷をかばって、右足がそうとうにがんばってきたらしい。左足を高く上げて、右足1本でシャワーをしたりもできるようになっちゃったんだもの。
でも両手打ちバックハンドは左足が軸足なので、打ち方を忘れてしまっていた。思うようなボールが飛んで行かないのである。
フォームを取り戻すために、左足軸足を意識して打つ練習をした。左足を出して、膝を曲げて、下半身の力を使ってインパクトをする。。。
壁打ちで一生懸命に練習し、そのあとラリーもしてもらった。
昨日がテニスクラブの最終日だった。年末は忙しいので気持ちの余裕はないのだけど、身体がモヤモヤ気持ち悪い。やっぱり運動は必要である。ティラのお散歩だけじゃダメなのである。
2時半ごろにゆっくり到着。女性のグループに入れてもらって、4ゲーム先取のダブルスを2セットやった。
「ちゃんとフォームで、いいボールを打つ」ことに取り組んだ。やっぱりバックハンドがイマイチである。ミスが多くて迷惑をかけちゃったけど、自分のテニスを取り戻さなくちゃならない。
テニスのあとは左の腰やお尻が筋肉痛になるけど、さぼっていた筋力も取り戻さなくちゃならない。。。
先週は6ゲーム先取のミックスを2セットやったんだよ。1セット目の途中で疲れて『もう帰りたい』と思ったんだけど、そこを越えたら元気があふれて、最後まで走り通せた。なぜかテニスのときには左足の傷がまったく気にならないのである。
試合は負けたけど、体力にちょっと自信がついた。まだリハビリ中なので、本格的な再開は来年に持ち越しである。
この3カ月、「母のリハビリカルテ」の完成に取り組んでいる。記憶が薄れることが心配になって、一気にやることにしたのだ。
重複を避けなくちゃならないので、あっちもこっちも書きかけのまま、なかなか終わりが見えてこない。
母がゾンビになってから4年目の後半、「リハビリカルテ14」を更新。この年の6月2日についにヴェルが14歳半の生涯を終えたのである。
14歳になってから一気に老化が進んだ。僧帽弁閉鎖不全症があると肺に水が溜まってしまう。『息してるかな?』と、しょっちゅうヴェルの様子を観察し、ヴェルの体調が私の関心の中心になった。
母のことはホームにお任せ状態になって、会話もせず、食事介助もせず、ROM訓練以外のリハビリが手抜きになった。
私とあんずがダライ・ラマの講演に出かけた日(→2014/4/22)、なんと弟は青樹に母を訪ねて行った。ちょうふの里に移ったことはちゃんと教えてあったのに、忘れてしまったらしい。
ドライブモードを解除して、青樹と青木病院からの留守電に気がついた。「お母さまの移送先を教えてもいいものかどうか、連絡をください」という内容だった。
苗字が同じでも「長男」と名乗っても、自分の母親の移送先を教えてもらえない。うちの長男の許可を得て、やっと母に会えたという大恥をかいたのである。
これは「偶然」じゃない、ダライ・ラマのオーラが「人としての道」を教えてくれようとしたのだと思った。
でも弟は気づかなかったのだろう。オーラは受け取る人間の受信能力に依っている。多くの人が崇高なオーラではなく、金権主義の権力者に追随しているのだもの。
ダライ・ラマは「正しいことをしている」と、私を励ましてくれたのだと思う。 |
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