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リョーコの手作りブログへようこそ!
2019/6/16(日) あちこち不具合はあるけど、まだ走れてるよ
前回のシングルスの試合の日の朝のこと。いつものストレッチのとき、開脚で前屈(#21)をしたとたん、左の坐骨結節の外側がバキッとなった。
時間がないので、あせってやったせいである。
『ヤバイ!』と思ったけど、とくに痛みもなく、そのまま試合に出かけた。シングルスで5時間走っても大丈夫だった。

でも、日に日に違和感が増していって、左のお尻と股関節がパンパンになってしまった。ストレッチでは、とくに開脚の前屈が痛みが出た。せっかく床にキッスできるようになったのに、床までが遠くなっちゃった。

一生懸命ハリを打って、「正しく歩く」努力をつづけるうちに、左でん部の不具合は消えていった。
なのに、昨日の朝、また開脚の前屈で、今度は右の坐骨結節の外側がバキッとなった。左右対称の同じ部位である。

20パターンあるムーブメントストレッチの中で、開脚はメニューの最後から2番目である。真向法は「床」という目印があるのがつらい。
実は私、ストレッチが大嫌いなのである。なので、「ストレッチを終わらないとご飯が食べれない」と自分に縛りをかけて、嫌々やっているのだ。
お腹もすいているし、出かける時間も迫っている。10秒ずつ負荷をかけながら、合計1分間の予定なのに、早く終わらそうとあせっちゃった。

ほぐれていく過程で筋肉バランスが変化していく。硬い筋肉が1本ほぐれると、別の筋肉に負担がかかる。
「バキッ」が壊れた音なのか、単に大きくほぐれた音なのか、様子をみているところである。

ゆっくりやれば壊さずにすむんだけど、一気にやろうとして壊してしまう。
何度も何度も同じ轍を踏んでしまう、この性格はなかなか変えられない。

右肩も一進一退である。

私の右肩の可動域は完全じゃない・・・と気がついたのは、去年の7月、ストレッチでキラキラ星(#6)をするようになってからだった。
あの角度、この角度と、いろんな角度で痛みが出た。しかも、動かすたびに、パキポキ、バキボキと、あちらこちらから音が聞こえてくる。
痛みの出るポーズを見つけては10秒数え、キラキラ星をがんばった。

1ヶ月ぐらいたったら、パキポキ音がほとんど出なくなった。
「骨がこすれて音を立てる」と思い込んでいる人が多いけど、骨と骨がぶつかり合っているわけじゃない。他方向からつながっている筋肉の、腱と腱がこすれる音なのである。

筋肉がこり固まっていると、動かないので音もしない。筋肉がほぐれて、動き出すと音が出る。そして、もっとほぐれると音がしなくなるんだよ。

音を立てずに、すいすいと動く 筋肉は柔軟で、可動域もOK
パキポキ音を立てながら動く 硬いけれど、可動域はある程度維持
X 音を立てないけど・・・? こり固まっている場合もある

数ヶ月で、キラキラ星(#6)では問題がなくなったけど、4月になって、「アラーの神」(#18)で右肩に痛みが出ることに気づいた。「思いっきりバンザイ」(#10)でも痛みが出る。
右腕の前方挙上に問題があった。耳の後を越えて、腕をまっすぐ上に伸ばしたときに、ズキンと痛んで肩が抜けそうになる。
今はバンザイで負荷をかけ、10秒ずつこらえてストレッチをしている。

テニスのときは、肩の前方に1本、真ん中に1本、後方に1本と、計3本のテーピングをしていた。(ブログ→2019/4/10
でも、壁打ちに行って、『あれ、痛い?』とストロークも打てない日もある。
今日は前方にもう1本、今日は後方にもう1本、その場でテーピングを追加してみる。
しばらく打って患部が温まると、痛みが消えて打てるようになるのである。

あっちに不具合、こっちに不具合と、いろいろと抱えているのだけど、仕事もテニスも全力で取り組めている。
老体にしてはなかなかだな・・・と自分を慰めているんだよ~~(笑)
2019/6/5(水) 試合より人目を気にしてドツボにはまる
水曜日、テニスクラブの親睦会のときのこと。4チームで3試合。前半と後半に分かれて、それぞれ25分ずつ試合をやるんだけど・・・

1戦目、相手ペアが高齢なのに、すごい上手な男性と組むことになった。足を引っぱっちゃいけないと、えらく緊張して、つなぎに徹することにした。
6-0で勝ったあと、「すごい、ノーミスだったね」と褒めてもらったんだけど、実は私の内部ではヤバイ現象が起こっていた。

そこそこのボールを打ちつづけているうちに、自分のショットが縮こまってしまったのである。
『ここで勝てても、次の試合に響くな・・・』と気がついて、最後のほうはしっかり打とうと決めたんだけど、パフォーマンスは低下したままだった。

2戦目と3戦目は、自分のストロークを取り戻そうとがんばったけど、25分制なので、あっという間に終わってしまう。
いいボールを打とうとすると、力んでしまってボールが死ぬ。あせりまくって、おっとこどっこいショットを連発。「打てる」感覚を取り戻したのは終わる直前だった。

1勝1敗1引き分けだから、まあまあの結果なんだけど、納得いくストロークが打てなかったので、超ブルー。とぼとぼと壁打ちに行った。
そこで会ったおじさんと、パーティまでの時間シングルスをやって、やっと調子を取り戻した。(私の赤チームは2位だった)

木曜日はCさんにシングルスの特訓をしてもらった。翌日が試合なので、休憩をまじえながら、決めパターンをひとつ教わった。

金曜日はシングルスのラウンドロビン。4人ブロックが2つ、5人ブロックが1つで、合計3ブロック、13人の出場だった。

火曜日の開催だとクラブがお休みである。誰も見ていないところでのびのびとやれたんだけど、金曜日だとクラブ会員がときどきのぞきに来る。
『知り合いに見られる』と思うと、緊張感が増して、落ち着かなくなってしまう。試合の詳細をあまり思い出せないから、そうとう気が散っていたらしい。

1戦目、あっという間に5-0になった。『あれ、勝てる?』と意識したら、急に不安に駆られた。「勝ちビビリ病」である。
折悪しく、おじさんが1人見学しているのが目に入った。ビビリに拍車がかかって、どんどん縮こまっていった。
そのまま7ゲーム連取されて、5-7で負けてしまった。

2戦目、『ゼロがつづいても気にしない。ミスを恐れず、思いっきり打とう』と決めた。はじめはアウトの連続だったけど、あれあれ?途中で2ゲーム取れた?調子を取り戻せたけど、2-6で負けた。

3戦目も似たり寄ったりだったけど、相手のセカンド、ポッコンアンダーサーブに翻弄されて、2-6で負けた。

結果は3連敗で、またまたブロック4位。他の3人はそれぞれ2勝1敗の三つ巴だったらしい。(私も入れて四つ巴になれそうだったのにね・・・)

4位トーナメントの1回戦。相手は「おばさん」だった。バッコン打ってくるボールもあったけど、足が遅い。
5-2で私のサーブ。またまた「勝ちビビリ」病に襲われた。おっとこどっこいショットを連発して、40-40になった。トスを上げながら『ここで取られて、またビビリ病が悪化したらどうしよう』・・・などと考えちゃうこと自体がヤバイ。

そしたら、あれ?アウト?サイドラインの外に落ちたボールを見て、自分の目を疑った。相手がリターンミスをしてくれたのである。いそいで「アウト!」とコールして、やっと一勝できた。

4位トーナメントの2戦目、隣のコートがクラブ会員に解放された。すぐ隣で顔見知りたちがゲームをしているので、気が散って気が散ってしかたない。
相手はダブルスプレーヤーで、返ってくるボールが短い。短いボールを打ち込む自信がなくて、いちいち下がってラリーをつづけ、2-6で負けた。

結果は1勝4敗だった。
サーブは100番を打って、ダブルフォルトは1試合に1・2回。練習どおりのサーブが打てたのは進歩である。
短いボールを打ち込むことも、上から打ち込むことも、怖くてできなかった。そういう練習をやってなかったから、今後の課題だね。

ノーアド(ジュースなし)なのに、シコラーになって、ロングラリーをつづけたので、私の試合が長かったらしい。5時間ほとんど休憩なしで、5試合やった!
最後まで走りつづけられたのはよかったけど、相手を見るとか、組み立てを考えるとか、新しいことに挑戦するとか、そういう余裕がなかった・・・

人目が気になって集中できないとなれば、この先の試合が危ぶまれるけど、クラブの皆さんは温かい目で見てくれてる。
見物していたおじさんにも、「慣れが必要なんだよ」と励ましてもらった。

ちょい下のベテランの女性にも、「5-0から逆転されるなんて、しょっちゅうだったわよ。先輩に、『5-0とかになったら、今は0-0、今からスタートと思わなくちゃダメよ』とアドバイスされたのよ」と励ましてもらった。

「慣れ」れば試合精神力が鍛えられるのかもしれないね。
サーブだって打てるようになったんだから・・・と、それを信じて、これからもチャレンジするしかないね~~(笑)
2019/5/26(土) 調停③ 弟の弁護士の「意見書面」
3回目の調停は去年の2月19日だった。2ヶ月の余裕があったので、1年10ヶ月分の記録を整理した。全部で89ページになった。
項目ごとに番号をつける作業があるというので、1週間ぐらい前に弁護士さんに郵送しておいた。

年表
カレンダー(1年10ヶ月分) 2011年9月~2013年6月
リハビリカルテ この間の日々の記録
酒田の土地の売却に関して 当初からのいきさつと、この間の記録
弟とのやり取り 会話と、送った葉書のコピー
青木病院の母の主治医に渡した手紙のコピー

前回は、母が植物状態寸前になってから、1年後に新潟の実家に旅行(→2011/8/23)できるまでになった期間の記録だっだ。

今回はその後の記録だけど、いろいろあったなあ・・・
青樹(老健)に入所していたんだけど、お尻に褥痩ができてしまった。慈恵医大で手術(→2011/12/4)をして、1ヶ月入院。そこから青木病院の内科に転院になった。(青樹は青木病院の系列である)

慈恵医大では外科病棟だったので、お年寄りがいない。そのおかげか、看護師さんたちが歩かせてくれ、同室の患者さんたちが話しかけてくれと、みなさんが寄ってたかって協力してくれた。
手術&入院という難関にもかかわらず、予想外のいい展開になり、母はいい状態で退院ができたんだけど・・・

笑いながらお喋りしながら、歩いて入院した母を、主治医は「お母さんは認知症があるので歩かせません」と言い放った。
そのうえ、私に相談もなくパーキンソンの薬を飲ませていたことがわかり、薬を拒否したら、主治医に激怒された。

毎日必死で歩行訓練に通ったけど、1日1回では限界がある。私も体調を崩してしまった。それで主治医と看護師への手紙を書いた。
「知らなかったわ。やってほしいことがあったら、何でも言ってください」と看護師さんに呼び止められたほど、みなさんが共感してくれた。

同じ病院でも主治医が変わると治療方針も変わる。
新潟でゾンビ状態になった母を受け入れてくれたときの院長、精神科の五味淵先生は3月で退職した。向精神薬を使わない治療に取り組んでいて、人格者で思いやりがあって、素晴らしいドクターだった。
(現在は九段ごみぶちクリニックを開業している!)

褥痩が治ったあと5月に精神科に移り、8月に青樹に戻った。
青樹→慈恵医大→青木病院→青樹という、波乱の1年10ヶ月の記録なんだけど、この間、弟夫婦は1回も母の見舞いに来なかった。

調停の当日、家庭裁判所の待合室で、弁護士さんにいきなり、分厚い書類を手渡された。弟の弁護士が送ってきた「意見書面」である。
「今朝、事務所に寄ったらこれが届いていて。とりあえず、あなたに手渡す分をいそいでコピーしたんですが、まだ読んでいないんですよ」とのこと。

調停室に入ると、調停員さんたちが苛立っていた。意見書面を指差して、「ここに着いてから、さっき受け取ったところなんですよ」と言う。

うちの弁護士が、「事務所にFAXが届いたのが金曜日の夜だったので、私も今朝受け取ったばかりで。さっき彼女にコピーを渡したところです」と言った。

男性調停員さんが、「ざっと目を通しただけで、まだちゃんと読んでいないんですよ。これじゃあ、どうしようもありませんね」と、不快そうに言った。
女性調停員さんは、「自分たちがやったことがないから、介護がどんなに大変か分からないんでしょうね」と眉を寄せている。
結局、その日は何もできないので、「このままお帰りください」ということになった。

家に帰って「意見書面」を読んだ。調停員さんたちが、まるでゴキブリの死骸でも見るような不快な目つきをしていた理由が分かった。

前半の文書は嘘だらけだった。事実をねじまげながら、弟夫婦は母にお金を出したのに、私が不当に母のお金を使ったと結論づけてあった。

母が新潟の老健に入所中に、自分たちが引き出したお金は、領収書どころか明細もなく、すべて「医療費等」で片づけられていた。
私の帳簿の引き出し記録から、病院代とおむつ代だけを列挙し、それ以外のすべてを私の「不当受益」と計算していた。

ドッカ~ンと頭にきた。徹底抗戦である。
新潟の老健に電話をして、母の外出記録を出してくれるようにお願いした。
紙の記録は5年で廃棄なので、コンピューターに残っている記録、後半の1年分しか出せなかったとのことだった。
なんと、1年間で外出が1回に外泊が1回のみ。どちらも私である。

「病院への送迎は外出にはならないんですか?」と聞いたら、「病院の送迎は職員がやるので、ご家族が連れて行くことはありません。病院代も老健持ちなので、ご家族が窓口で支払うことはありません。利用料と一緒に口座引き落としになっています」という返事だった。

つまり、「医療費等」は真っ赤な嘘なのである。
老健は付き添いがなければ、ドアの外にも出られない。1年間、お盆もなければ正月もなく、お墓参りも買い物も外食も一切なし。まるで囚人のように、施設に監禁されていたようなものである。
しかも、その間、母の口座からちょこちょこお金を引き出して、2年間で120万円も使っていたのである。

弟夫婦が、私の「使途不明金」として請求してくれたおかげで、私の知るところとなったというのは皮肉である。神様が見ていた、としか思えない・・・

文章は得意分野である。意見書面の前半は、すべて書き出して、嘘の部分にアンダーラインを引き、一行一行、論破していった。
後半の金銭の部分は、見た瞬間に脳みそが飛び散るので、後回しにした。

どっちにしろ、介護をした人間が、母の病院代以外の費用をすべてまかなわなければならず、何もしなかった人間に遺産のほとんどを渡さなければならない
・・・などという主張は、良識をわきまえた人間にとっては、ゴキブリの死骸以上に不潔で不快なものであるというのは明白だものね!
2019/5/14(火) 「魔物」は左腰に移動したけど、治ったよ~
三連休、右腕は大丈夫だったけど、疲れがたまっていてなかなか起きれず、思うようにテニスができなかった。
初日の4日も寝坊して、クラブについたのは2時ごろだった。壁打ちを30分ぐらいやったあたりで、ゴロゴロと遠雷が・・・

みんなテニスを中断。あっちからもこっちからも、ゾロゾロとクラブハウスに避難していった。
来たばかりの男性がひとりだけ、「まだ、できるよ。やろうよ~」とコートで人を誘っていたけど、誰も行かない。
昔、某テニスクラブで、コート上のプレーヤーに雷が落ちた事件があったので、みんな用心しているのである。

しばらくしたら雨が降りはじめ、そのうちバラバラとすごい音とともに雹が落ちてきた。大きいものは直径1センチぐらい。
コートの上も雹だらけになってしまった。もうテニスは無理である。
クラブハウスで待機していた人たちもついにあきらめて、次から次へと帰っていく。さあ宴会と、ビールを飲みはじめる人たちもいた。

天気予報をまったく知らずにバイクで行ったので、雷がおさまるまでは怖くて走れない。帰るに帰れず、ビールも飲めずで、ボーッと待つしかない。
京王テニスクラブのセンターコートである。雹がころがっているのが見えるでしょ。

冷たい風に吹かれて、雨と雹が降る様子をずっと眺めていたら、なんだか仕事のストレスが抜けていくのを感じた。
こんな風な休暇の過ごし方もありなのかな・・・と、久しぶりにのんびりした気分を味わった。

隣に坐っていた女性と話をしたんだけど、彼女はなんと、コートでの落雷事件のとき、現場に居合わせたのだそうだ。
「4人でゲーム中だったのよ。雨も降っていなくて、まさか!という感じよ。サーブを打ってる人に落ちたのよ。ラケットを高く上げるでしょ」
その人は右利きだったので、命は助かったけど、内臓がぜんぶやけどになって、ずいぶん長い間苦しんだ・・・という話だった。

雷って、とんでもない遠方から落ちてくるんだってね。用心、用心。。。

仕事が忙しくて、あまりテニスができなかったので、右腕のほうは順調に治っている。でも、左手で壁打ちをしたら、左腰痛になってしまった。上前腸骨棘の前と後の両方の筋肉が硬くなって、治すのに苦労した。左右のバランスを考えながらテニスしないとやばいよね。
仕事も腰に負担がかかるので、必死で自分の治療をしている。

昨日は普通にテニスができたけど、テニスを忘れてしまって苦戦した。4セット目ぐらいからやっと思い出したけど・・・
すぐに忘れちゃうなんて、まだまだ駆け出しだよね~(笑)

今は症例集の更新にはまっている。
症例53:ふくらはぎ(神経麻痺による萎縮)は、両方のふくらはぎがカカシの足のように細くなっていた患者さんの症例である。
片側が坐骨神経痛による「廃用性萎縮」、片側が脊柱管狭窄症による「神経性萎縮」だった。でも、あきらめずにがんばったおかげで、テニスができるぐらいに回復したのである。

ついでに、症例52:ふくらはぎ(腓腹筋とヒラメ筋)に、本からスキャンした画像を加工したイラストを加えたので、関心のある人は見てね~
2019/5/3(金) またまた右腕に「魔物」が取り憑いた
水曜日の朝、「うっ、右腕が痛い!」とびっくり仰天した。
腕を高く上げて肘を曲げると、肘の内側(肘窩)にビキーッ!と激しい痛みが走る。

腕を下げているときは痛みが出ないので、仕事はできそう。

ティラを抱っこするのも無理だし、右腕に鍼を打たなくちゃならない。ポプラがお休みだったので、ティラを置いて仕事に出かけた。

3年前(→2016/5/18)に「魔物」に取り憑かれたときと同じ症状である。
ここかな?ここかな?と、鍼を打っても打っても、次から次へと痛みが移動したのである。肩から指まで、あらゆる筋肉に鍼を打って、やっと治ったのである。
8日間もテニスを休んだんだよ。

右腕全体の筋疲労が蓄積したことによる「複合汚染」である。
2年前(→2017/4/30)にも同じ「魔物」に悩まされたから、治療法は分かっている。

患者さんが帰ったあと、ベッドに寝そべった。あちこち角度を変えながら、右腕全体、あらゆる筋肉に鍼を打ちまくった。
10本に1本ぐらいの割合で、内出血。どろりと汚れた血が出てきたので、かなりうっ血もしていたらしい。5つも青痣ができた。

2時間ぐらいやったら、ビキーッとくる痛みはなくなった。夜中に井穴から邪気を抜き、翌朝にはテニスをやれそうなほど回復した。
でも、治りかけにこじらせると長引くから、もう1日テニスはおあずけ。迷いを断ち切るように、朝から雨で、雷まで鳴ったからね~(笑)

マウスの使いすぎも原因だ。リカちゃんストレッチからはじまって、怒涛の勢いでレイアウトの変更をやった。昔の症例の書き直しもした。

症例27の「めまい・1改」は、私のめまいの体験を中心に全面的に改訂。
めまい・2改」は、前回更新のものに2つの症例を書き加えて手直しをした。症例マップにもリカちゃんのイラストを入れ、分かりやすくしたんだよ。
読んでね~~

「あとから悪くなったところから先に治る」ので、最後に残ったところが、はじめに痛めた筋肉である。
そんで、サーブのフォームを変えたせい、ということがわかった。

ラケットを「担ぐ」ときの右腕の形に注目。右肘をうしろに張り出すと、の部分、大きく腕を使うことができる。
その分、サーブの威力が増すことを発見した。


後方のスペース()が使える
サーブの威力が増す

野球のピッチャーの投球フォームと同じなので、肘の内側につながる筋肉を酷使する。
サーブ練習のあと、右肘に重みを感じたんだけど、放っておいたんだよね。
治療もしなければ、テーピングもしなかった。

野球肘になる部位はここ
肘の内側(=尺側)
このラインの筋肉全体に負荷がかかる

とにかく忙しくて、立ち止まって考える余裕がなかった。
肩とか上腕二頭筋とかは、ワインを飲みながらでもハリを打てるけど、このラインはベッドに寝そべらないと打てないのである。

「入れとけ」サーブは、腕だけで打つので、どうしても腕に負担がかかる。『入ればいい』と思っても、ときどき『もっと威力を』と欲が出ちゃうからね。

しばらくの間は、ダブルスで100番サーブを打つことはあきらめ、「コートに立って上からサーブを打つ」ことに慣れようと決めたのである。

明日から3連休。他にやることがないのでテニス三昧・・・のつもりだけど、できるかな~~?
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