2019/12/29(日) |
自転車で激突、胸を痛めちゃった |
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今週の月曜日もテニスクラブに行った。ハードなテニスを楽しんだあと、クラブハウスでみんなで飲んだ。(これが本年最後になっちゃった)
ベトナムに行っている男が休暇で戻ってきていたので、久しぶりに大勢が参加して、ものすごく盛り上がっていた。
そのままニ次会に。みなさん、とってもお酒が強い。ワインのデカンターを次から次へと注文し、次から次へと空にしている。お喋りしながらつられて飲んで、飲みすぎてしまったらしい。
帰り道は自転車である。真っ暗な中、家路を急いで走っていたら、なにかに突然ぶつかって、すごい衝撃が!
私は立っていたけど自転車が倒れ、籠から落っこった荷物を、通りがかりの男性が「大丈夫ですか?」と拾ってくれた。
足元には、車よけの白い鉄のパイプがあって、そこに激突したらしい。
また走り出したんだけど、左のペダルが変。妙な具合に傾いた左のペダルを踏みながら、なんとか家に帰りついた。
胸から肋骨からそこらじゅうが痛い。じっとしていてもズシズシ痛いし、起き上がろうとすると激痛が走る。深呼吸をしてみたら、肋骨の上部にもかすかな痛みが出る。
もしも骨折などしていたら、どんどん痛みが強くなるはず。そうでなければ、だんだん痛みがおさまるはず。。。そう思って、とりあえず寝ることにした。
翌朝には痛みがすこしマシになっていた。ストレッチをしてみたら、またちょっとマシになった。
腕を上げてパジャマを脱ごうとしたら、ズキンと痛む。ジーパンのボタンをかけるときもズキンと痛む。お皿も洗いにくい。
腕を下げての動作にはあまり問題がないので、普通に仕事に出かけた。
『これは長引くぞ』と覚悟を決めて、年末のテニスはあきらめ、身体の治療を優先することにした。
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鎖骨(問題なし) |
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胸骨(ここが壊れた) |
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肋間筋と肋軟骨の上半分 |
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腕の付け根にも軽い痛み |
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大胸筋 |
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胸骨(■)がもっとも衝撃を受けたらしい。押すだけで超痛いし、ふとした動作でギクッと強い痛みが走る。
肋骨周辺(■)の障害は上半分で、下半分と鎖骨(■)は大丈夫。
左腕の付け根(■)と、そこからつながる肋骨にも痛みがある。ハンドルを握って衝撃を受けたせいで、腕全体が重い。
一番の激痛は、うつ伏せで腰に鍼を打とうとしたときに起こった。
後に腕を回した瞬間、巨大な岩が落ちてきて、おふとんに押しつぶされたみたいに、胸と肋骨にズッキ~ン!と抜けるような激痛が走った。
大胸筋(■)には問題がないが、使うときに問題が起こる。
両腕をグイッと力を入れて近づける(=肩関節の内転)で大胸筋を使う。
うつ伏せで後に腕を回す(=肩関節の内旋)でも大胸筋を使う。
大胸筋(■)は胸骨(■)と上部の肋軟骨(■)に付着している。収縮することで患部を思いっきり引っぱっるので、激痛が起こる。
解剖学的に激痛の説明ができるのは、なんとなく安心だね。(笑)
うつ伏せの鍼は恐怖だけど、でも、ここでぎっくり腰になったらもっと困る。自分では認識できていないけど、全身に衝撃を受けているから、この先何が起こるかわからないもの。(良医は「未病を治す」である)
この数日、自分であちこちに鍼を打った。
肋骨の下には肺がある。深い鍼は打てないので、木曜日に胸に透熱灸をすることにした。
字幕の映画やテニスやバレエだと画面から目が離せないから、ストレッチ用に録画している水戸黄門を見ながらである。
胸骨(■)と肋骨周辺(■)は、残念ながら目で見られない。無理に下を見ようとすると目がおかしくなるんだもの。
水戸黄門を3本分、鏡に映してえんえんと、30ヶ所以上もお灸をしたんだよ。
肋骨まわりの構造は複雑である。
背中の12個の胸椎から出た12本の肋骨が、胸郭をぐるりと取り囲んで、鳥かごのような形をしている。
どこかに強い圧がかかると、鳥かご全体がひしゃげてしまう。衝撃が胸郭全体に波及するので、治療するのは大変である。
(胸部と肋骨の障害については、「症例49・ぎっくり肋間筋」と「症例50・肋軟骨の障害」で詳しく言及してある)
しかも、打撲の治療が一番難しい。
腰痛にしろ何にしろ、運動器疾患は、この筋肉からあの筋肉へと、障害部位が類推できる。でも、打撲は身体のあちこち、とんでもない遠方まで同時に傷めるので、傷めている部位を探すだけでも一苦労なのである。
その上、自分の身体は、外から客観的に全体を見渡すことができないから、この部位、あの部位と、ひとつずつ治療するしかない。
朝目覚めたときの痛みが一番すごい。寝ている間に鳥かごが圧迫されて、胸骨の痛みがマックスになっている。
立って動いているうちに、だんだん痛みが和らいでくるのである。
これから大量のお料理を作らなくちゃならないから、動いて、動いて、動きまくって治す。今までもそうしてきたから、そのほうが効果的と思う。
安静にしたほうが早く治るかもしれないけど、動かずにいたら患部が固まってしまう。肋間筋が硬直したら、胸郭の可動域が狭まってしまう恐れがある。
いろんな人から「息が切れた」という話を聞くけど、私はどんなに走りつづけても、一回も息が切れたことがないのである。
肺活量が多いのは、肋骨の可動域が広いから?
肺をふくらませるときは、鎖骨を上に引き上げ、横隔膜を下げ、肋骨を広げる。胸郭を形成している筋肉の柔軟性があるから、たくさんの空気を吸い込めるのかもしれないもの。
日に日にマシになってきて、今は胸骨(■)に痛みが集中している。もしかしたら骨折とかヒビとか、何にしろ器質的なほころびがありそう。お正月のテニスどころか、月単位で障害者暮らしがつづくかもね。
自転車のペダルがひしゃげるような衝撃を受けたんだから、しょうがない。。。
酔っ払っての自転車はほんとうに要注意、ほんとうに危険だね!
そういうわけで、本年最後の報告は、またも自分の怪我である。
年末年始はたいていどこか具合が悪くて、元気一杯で新年を通り抜けたことがほとんどない私である。
たぶん、年末に仕事をやりまくり、空き時間にはテニスをやりまくり、家族にまつわるもろもろもやりまくりと、飛ばしまくりの生活のつけがくるんだろうね。
来年からは、用心、用心、と心に誓った。 |
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2019/12/17(火) |
最後のラウンドロビンでからくも1勝 |
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ぎっくり腰でテニスを休んだおかげで、症例集を書き直す時間ができた。
症例17「腰痛・2改」をまた改訂。今年になって治療法をちょっと変えたので、どうしても書き直しが必要だった。前回の更新から5年たって、その後の展開にも言及した。読んでね~~
先週金曜日はシングルスのラウンドロビンだった。8人出場で、4人ブロックが2つになった。予報どおり、その日だけものすごーく寒かった。
前回は準備万端だったのに雨で中止になった。今度こそと楽しみにしていたのに、ぎっくり腰のリハビリ中である。大丈夫かな・・・と心配だったけど、今年最後なので出ることにしたのである。
1戦目は、半年前に2-6で負けた相手。最初のゲームだけは、相手のミスと私のダウンザラインで取れたけど、ストロークで押され、甘いボールは前に出られて、きっちりと決められ、1-6で負けた。
2戦目の相手は常連さんだけど、対戦は2年ぶりである。ちょっとはマシになったところを見せたかったけど、相手もその間に上手くなっている。狙って打とうと思ったんだけど、それがミスの連続になった。ストロークで押され、ノーミスで決められ、0-6で負けた。
3戦目の相手は、1戦目の相手に0-6で負けていたし、けっこうミスをしてくれるのでなんとかなるかと思ったけど、0-6で負けた。
またまたリーグでビリ、4位になった。金曜日なので会員さんたちがちょこちょこのぞいている。それぐらいで気が散るようでは未来はない。自己顕示欲と羞恥心を克服するための戦いでもあった。
でも、どっちにしろ、どうにもならなかった。何が悪いのかもわからず、あんちょこをのぞいても攻略法もなし。自分のテニスができなかったので超ブルーになった。
4位トーナメントの相手は若くて長身。チャンスボールのミスを連続する素人だったけど、メチャ足が速かった。ベースラインで打ち合っていたとき、私のボールがネットに当たって、ポッコンと真下に落ちた。これで決まりのはずが、なんと後方から走ってきて、ボール追いついてポットンと返してきたんだもの。
どちらもサービスキープができずに、一進一退ですすんだ。
格下と戦うときは、「安全ショットを打つ=相手にあわせてプレーのレベルを下げる」、つまり、「入れ」に行って縮こまると負けてしまう。1球ごとに、『思いっきりやるんだ』と自分に言い聞かせた。
5-5で相手のサーブ。30-40で相手がミスしてくれて、やっと6-5で勝てた。
今年に入って1勝つづきを維持し、なんとかビリから2番目になって、最後のラウンドロビンが終了した。とりあえず、ホッ。。。(笑)
順調に上達してきたのに、こんなにレベルダウンして、この先シングルスに挑戦する意味があるのだろうか?と落ち込んだ。
数日かけてひとりで反省会。敗因を分析した。
去年の連敗続きのシングルスは、ストロークで相手を押しているにもかかわらず、チャンスボールをことごとくミスしていた。
今年になって、チャンスボールのミスが減った。そのおかげで、負けるにしてもゲームは取れるようになって、競った試合ができるようになった。半年前からサーブの不安がなくなって、上達街道まっしぐらだったはずのに。。。
最大の敗因はストロークの弱さである。ストロークで押せるのが唯一のとりえだったのに、逆に押されて、相手にチャンスボールを与えまくった。
「バックに打とう」とがんばってみたけど、状況はもっと悪化して、逆に打ち込まれるパターンになった。
まてよ?と思った。「シングルスをやめたくなった」落ち込みを前にも経験したなあ・・・?
自分で書いたブログ(→2017/2/25)を読み返してみて、同じ穴に落ちたことに気がついた。
やっぱりシングルスは「フォア」である。得意なフォアを打ちつづけ、フォアのラリーで相手を押せてこそシングルスが戦える。
自分の身体の動きもイマイチだったけど・・・
でも、自分のボールを見送ってしまっていたのかもなあ・・・?昔からの悪いクセだけど、ダメになればなるほど、『ちゃんと打てているかな?』と自分のボールが気になってしまう。
出遅れた上にあれこれ考えすぎて、ますます動きが悪くなってしまったのかも。
進歩した点もある。サーブが入るようになったこと、チャンスボールを決めれるようになったこと、女のボールに慣れてきたこと。
そのおかげでボロでも1勝できるようになったみたいだけど、まだまだ、戦略をたてるようなレベルではないのかもしれない。
腰痛のせいでこの数週間、シングルスはおろか、ラリーすらぜんぜんやっていなかった。準備不足もはなはだしかった。これからは、手当たり次第にお願いして、シングルスに取り組まなくちゃ、と決心した。
昨日はテニスクラブでまず壁打ち。思いっきり回転をかけて、鋭いボールを打つ練習をしたら、だんだんストロークがよくなった。
ちょっと安心。
そのあと、ダブルスに誘われた。ちゃんと走れたし、けっこういいボールを打つ人たちだったので、ストロークの練習になった。
テニス界には「負けに不思議なし」という言葉があるんだって。負けには必ず原因がある。つまり、失敗には学びのチャンスがあるのだ。
転んでもただでは起きない。小石ひとつでも拾って、また立ち上がる。それが私のポリシーなのである。 |
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2019/12/6(金) |
ぎっくり腰の「ぎっ」になったけど・・ |
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先週土曜日はテニスクラブの親睦会だった。お昼頃に自転車で出かけたら、2羽の鳩が遊歩道で遊んでいて、なかなかどいてくれない。
やっと走り出したら、今度は橋の上をうろうろと歩いている鳩に邪魔された。
私は太っちょの鳩が嫌いなのである。逃げようともせず平気で歩きまわる。いきなり集団でバサバサ飛んでいき、おきみやげに糞を落とされたりする。
あ~あ、三羽の鳩に行く手を阻まれた。今日は日が悪いぞ・・・と、しょっぱなからブルーになった。
試合開始前に壁打ちを10分ぐらいやってアップした。今は右肩より左肩の痛みが強いんだけど、どちらも大丈夫そう。とりあえず体調は万全だった。
4チームに分かれての対戦で、私は黄色チームだった。前半後半に分かれて1人3試合。ノンアドで25分間の試合をやる。
1戦目は相手ペアが強すぎた。女子は若くて美人で長身で、ジュニアからやっていてフォームも完璧。バシンバシンと男以上のボールを打ってくる。やっと返したボールをペアのおじさんがボレーで決めてくる。
私のペアはサンデープレイヤーなので、ボールが返らない。でも、すごいサーブの持ち主なので、なんとか1ゲーム取れ、あっという間に1-6で負けた。
2戦目も相手ペアが強かった。相手の女子は若めで長身でなかなか強い。2年前に対戦したときは女子力で負けたけど、今は互角になっていた。
相手の男子は何でもできるノーミスのおじさんである。私のペアは、いいストロークも打てるんだけどミスもするので、男子力の差で、2-5で負けた。
3戦目は勝てそうな相手だった。2敗しているので、『今度こそ』と力が入ってしまった。私のペアはバッコ~ンとすごいサーブやストロークを打つ。でも、ミスを多発する。飲み仲間で気心は知れているけど、前回(5月)の親睦会でボロボロになったときのペアである。
今回も途中から、自分がどんどんボロになって行った。ストロークがちゃんと打てずに、入れに行ってミスしたりして、ますます怖くて打てなくなった。
「行く手を阻む3羽目の鳩は私だあ~」などとつぶやきながら、追い上げられて結果は4-4で引き分けになった。
チームも4位でビリだった。凄腕のおじさんも何人かいたんだけど、みんな負けちゃったらしい。レベルの差を無視しての抽選なので、難しいんだよね。
そうは言っても、問題は自分のテニス。ストロークが打てなくなったので、超どん底に落ち込んだ。
なんで打てなくなったんだろう?と、考えに考えた。前回の5月の親睦会と同じ穴に落ちたから、そこに秘密があるのかも?
前回の2戦目も彼と組んだ。追い上げてなんとか勝ったけど、ストロークが縮こまったままだった。。。
3戦目はもっとすごいショットを打つ男と組んだ。ウィナーとミスを多発して、みるみる追い上げられて負け、相手に「みづさん、調子悪かったね」と言われたほど、ボロになった。。。
そのまま飲み会に出る気になれなくて、壁で会った男とシングルスをやったんだっけ。。そしたら自分のストロークを思い出せたのである!
バッコーン、エース!バッコーン、ミス!のペアと組むと、エース!でも私はいらないし、ミス!でも私はいらない。
自分の出番がないまま、ゲームの行方をボ~と見ているので、傍観者になっちゃうんだね。動かずにいると「大脳」優勢になってしまい、自分のテニスを忘れちゃうらしい。
私って、走りに走ってラリーをしながら自分の調子を上げていくタイプらしい。動いているうちに「小脳」優勢になって、躍動感あるテニスができる。
ウィナーor ミスの人間は自分のテニスに酔っているので、「つなぐ」ことができないし、したいとも思わない。
クラブではミスの多い人間は嫌われる。勝敗だけの問題じゃなく、ミスで躍動感が途切れてしまうので、つまらない試合になっちゃうからなんだろう。
相手に惑わされずに自分のテニスができればいいんだけど、今の私には難しい課題だね。
土曜日に休んだので、次の日は仕事が忙しい。休む間もなく次から次へと鍼を打ちつづけているうちに、だんだん腰が痛くなっていった。
中腰なので、腰に負担がかかるのである。
あわててベッドに横たわって自分で鍼を打ったんだけど、良くなる気配がない。
しばらくテニスはお休みである。ちょうど仕事もヒマだったので、日常生活にはあまり支障がない程度。ぎっくり腰の「ぎっ」ぐらいである。
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原因の第一は「冷え」である。急な寒さに対応しそこない、冬仕様にするのが遅れてしまった。
実は2週間ぐらい前から、靴下を履くときに、きっちり足が上がらないのを感じていた。
ストレッチをちゃんとやっていたから大丈夫と思っていたけど、それだけじゃ間に合わなかった。
「温泉」「お灸」「指圧」が頭にチラチラ浮かんだのに、警鐘を無視。タイミングを逸してしまった。 |
自分で打つ鍼もサボリぎみだったから、それも敗因である。
こういう不具合って、あれもこれもといろんな要因が積み重なってしまうときに起こるんだよね。
腰痛の部位は、いつもの蝶番のあたりである。Tゾーンが固まってしまっていた。
その下、左右の股関節を結ぶように横棒が1本入っている感じがするのは、いつもの腰痛と同じである。 |
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自分でも必死で鍼を打ち、お灸をしてもらい、指圧もしてもらい・・・おかげで日に日に腰痛は改善されていった。
昨日の朝は、横棒がかなり小さくなっていた。動いたほうが隅々の筋肉に血がめぐる。
動いて治す時期がきたのかどうか?ためしにテニスに出かけてみた。
壁打ちでは問題なし。軽めの女性とやろうと思ったけど、けっこうガンガンやってくるおじさんたちに声をかけられた。長いゲームを2セットやって、腰はOK。そのうえ、2勝できたので気分は爽快。親睦会のブルーを払拭できた。
まだ完治とはいえないけど、「ぎっ」から「き」ぐらいに硬直が縮小した。病人暮らしは4日で終了。やれやれ・・だね。 |
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2019/11/27(水) |
[映]ローマ法王になる日まで |
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この間、ローマ法王フランシスコが来日した。細切れのニュースを耳に入れただけだけど、発言からすばらしい人格者とわかる。ちらちら姿を見ただけだけど、深みのある人柄がにじみ出ていた。なるほど、人気があるのもうなづける。
なんだかダライ・ラマを思い出してしまった。独身を貫き、貧しい民衆のためにすべてをささげてきた宗教家。洞察の深さから、世の中の動きや歴史を勉強しつづけてきたこともわかる。
パパ(スペイン語で「法王」は Papa で「お父さん」は papá )は、広島や長崎を訪問し、福島のことにも触れ、「核兵器のおかげで平和的均衡が保たれている、というのは本当の平和じゃない」と語り、安倍首相に「唯一の被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立ってほしい」と伝えたそうだ。
安倍は「お任せください。わが国はその第一人者です」とか、堂々と嘘を言っていたけど、パパはすべてを知っているのである。
前々から、映画「ローマ法王になる日まで」を取り上げようと思いつつ、面倒だなと先延ばしにしていたんだけど・・・、やっぱりしなくちゃね。パパの姿を映像で見て決心がついた。
イタリアの映画で、監督はダニエル・ルケッティである。
2013年3月、アルゼンチン出身のローマ法王、フランシスコが誕生した。中南米出身の教皇ははじめてで、パパはスペイン語でしゃべっていたね。
冒頭は、コンクラーベ(次の教皇を決める選挙)のためにバチカンを訪れたホルヘ・ベルゴリオ(エルヒオ・エルナンデス)が、過去を回想するシーンからはじまる。
若き日のホルヘ・ベルゴリオ(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)は、恋人と別れ、神に仕えることを決意した。当時のアルゼンチンは軍事独裁政権下にあって、民衆が軍の圧制に苦しんでいた。
反政府運動に関わった青年たちを神学校にかくまい、軍の捜索直前にウルグアイに逃がしたこともある。
民衆の声に耳をかたむけていたオリベイラ判事が危ないと気づき、家族とともに寄宿舎にかくまったこともある。
「解放の神学」の活動をしていた2人の神父と、恩師エステルの娘が軍に連れ去られた事件があった。ベルゴリオは枢機卿に願い出て大統領官邸でミサをささげ、3人はなんとか解放された。
でも、次にはエステルと友人たちが逮捕された。飛行機に乗せられた彼らは睡眠薬を打たれ、空中から海に投げ落とされてしまった。
当時の私はスペイン語を勉強していたので、スペインや中南米の歴史や実情を多少知ることになった。
アメリカ合衆国は中南米を自国の「裏庭」と位置づけ、軍事政権を擁立して多額の援助を行った。拉致、誘拐、不当逮捕、拷問、惨殺が日常茶飯事で、人々は圧制に苦しんでいた。
神父として、ただ神に祈るだけでなく、積極的に人々を助けようというのが「解放の神学」である。スペイン内戦時に、教会を信じる民衆を裏切って、権力に加担した歴史が教訓になったのだろうか?
映画とは関係ないけど、シスターが修道服のスカートの中に武器を隠して運んだというエピソードが印象に残っている。カトリックの国ではシスターはものすごく尊敬されているので、シスターのスカートをめくって調べようという勇気のある人間は誰もいなかったからなのだそうだ。
命を救う宗教家が、命を奪う武器を自ら運ばなければならないと決意するほど、民衆への弾圧がすさまじかったのである。
そんな時代に、危険を犯して民衆に寄り添い、積極的な行動に出たベルゴリオが、いかに人々の尊敬を集めたかは推して知るべし、である。
パパがやってきたことは映画で垣間見ることができる。
彼を認めて枢機卿に任命し、教皇候補に推薦し、そして教皇に選んだカトリック世界はすごいな!と思った。
自分の利益だけを追求する人間、堂々と嘘をつく人間が主権を握っている国がたくさんある。みんな選挙で選ばれたんだもんね!
テレビでパパが発するオ・ラを感じ、すっかり大ファンになってしまった。
82歳とのことだから、うんと長生きして、私たちにお手本を示してもらいたいものである。 |
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日記 TOP |
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