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リョーコの手作りブログへようこそ!
2020/8/29(土) 「バイエル100番」スライスサーブが完成
ついにサーブの「バイエル100番」が完成した。まだ「バイエル=なんとか弾ける」というレベルなので、あまり自慢にはならないけど・・・(笑)

ボール籠を持ってコートに入って、ひとりで練習してから9年もたつ。
Cさんに教わりはじめて、回転系のスライスサーブに取り組んでから7年である。
同時にすべては無理と思って、パズルのピースをひとつずつマスターしようと「バイエル1番」からはじめたのが4年半前のこと。(→2015/3/28

練習に練習を重ね、細部の修正を重ねて、ダブルスでもとりあえずサーブが入るようになったのが1年前である。
入り口を小さくすると、スイングがバラついても、とりあえずコートにおさまってくれることを発見したのである。(→2019/8/25

ダブルスだとペアがいるから、そこそこのサーブでもなんとかなる。「入る」という安心感の積み重ねで、サーブ恐怖症と完全にサヨナラできたんだよ。
『一生、サーブが打てないかもしれない』と悩んでいたので、打てるようになった自分がいることが不思議な気持ち。。。

1年前のサーブ "previous" では、1(uno)でトスを上げ、2(dos)でボールを打った。部分にこだわると動作が緩慢になって、ラケットの振りが鈍くなる。タイミングを早めて、細部を意識する時間をなくしたのである。

次の課題は、フォームを維持したまま、運動連鎖を加えることだった。
この細身の小さな身体でスピードサーブを打つためには、下半身のパワーを使う必要がある。コロナ自粛で一時中断したけれど、やっと最近フォームがまとまってきたのである。

"new version" では、トスとインパクトの間に、「2=膝を曲げる」動作を入れた。合言葉は、1(uno)→2(dos)→3(tres)→4(ven!)である。"ven!" はスペイン語で「来い!」という命令形である。

previous
new version
1 トス
1 uno トス
2 dos 両足をそろえて膝を曲げ、低い姿勢でタメを作って、落ちてくるボールを狙う
2 インパクト
3 tres インパクト
4 ven! 「さあ、来い!」と、返ってくるボールに備える

はじめはスペイン語の4(cuatro)にしてたんだけど、「クアトロ」だと間が抜ける。そうだ、リターンに備えるために、「来い!」を使おうと思い立った。
打ったあと、自分のサーブの落下点を確認してしまう。その悪いクセを、言霊で追い払おうと思ったのである。

練習では打てても、ダブルスではみなさんに気をつかってしまうので、冒険はできない。ファーストを思いっきり打って失敗すると、セカンドで力が抜けずに、ダブルフォルトしちゃうんだもの。

転機はいつもシングルスのときに訪れる。
バッコン強打のおじさんとシングルスをしたときのこと。私がなんでも返すので、負けるわけにはいかないと男性は必死になる。
私のゆるいサーブを、ことごとく一発で打ち込んでくるので、ダブルフォルトのほうがマシと追い詰められる。
だんだんサーブが良くなっていくんだよ。

そのあとダブルスをやったら、"new version" サーブがそのまま打てた。
あれあれ?と、自分で自分に驚いた。
9年前から知っているおじさんが、「みづさん、サーブが良くなった!前のはサーブじゃなかったけど、まともなサーブが打てるようになったね。練習の成果だね~」と感心してくれた。

サーブ恐怖症で、アンダーサーブでもダブルフォルトしたりしていた私を知っているクラブの人たちは、みなさん、自分のことのように喜んでくれるんだよ。
ゲームしていない人にまで、「サーブが入るようになったね!」と声をかけてもらってる。素敵なテニキチたちに囲まれて、私は本当に恵まれている。
アドバイスをしてくれた人たち、心配してくれた人たち、励ましてくれた人たち、みなさんに感謝、感謝である。

もう後戻りはできない。。。
気弱になって「入れとけ」サーブを打っても、そういうときは結局ダブルフォルトになったりする。ちゃんと打ってフォルトするほうがマシなのだ。
「バイエル100番」は実はセカンドサーブ。確実に入れるための、回転系のスライスサーブで、私はずっとセカンドを打ってきたのである。
『これはセカンドなんだから』と自分に言い聞かせながら、がんばってる。(笑)

木曜日の朝、首が動かせないことに気がついた。首を回そうとすると、左の首から肩にかけての激しい痛みが起こる。右のほうがマシだけど、両側ともカチンカチンに固まってしまっている。
念入りにストレッチをやり、鍼も打ったけど、ちょっとずつしか良くならない。

次の日テニスに行って、サーブ練習をしようとしたら、トスを上げた瞬間からズシ~ンと痛みが起こった。ダブルスでもガンガン打つようになったから、サーブの打ち過ぎが原因だったらしい。
これは動かして治すしかない・・・と思ってがんばったら、だんだん痛みがやわらいで、なんとかサーブは打てるようになった。

腰でん部の痛みが完全に消えたタイミングで、入れ替わるように、首・肩に痛みが出たのだ。人間の身体って、ほんとうに不思議。

もうすぐシングルスの試合である。
今朝もまだ痛みが残っていたので、テニスはお休みにして、自分の治療に専念することにした。たまには休養も必要だもんね~~
2020/8/22(土) [映]ボヘミアン・ラプソディ 他
毎日毎日猛暑がつづき、どんどん色黒になっていく。黒くなる=皮膚にメラニン色素が増える→メラニン色素が紫外線を吸収する、という仕組みである。
自分のメラニン色素とバージンオイルで、「やけど」から肌を守っていると、だんだん太陽に慣れていくんだよ。

ちなみに、紫外線の量が減ると、メラニン色素が破壊されていくので、少しずつ色白に戻っていく。戻りきらないうちに春が来るので、また色黒街道まっしぐらになっちゃうんだけど。。。(笑)

テニスコートは灼熱地獄。ギラギラ照りつける太陽と、砂で乱反射する輻射熱で、オーブンの中でジリジリと焼かれているみたいである。
人は少ないけれど、それでもコートにはテニキチが集まってくる。

炎天下でテニスをするようになってから、1回も風邪を引いてないんだよ。そのうえ、夏バテとも無縁になって、今は生涯最高に元気なのである。どんなに暑くても、テニスを休むつもりはない。

怖いのは「故障」なんだけど、腰痛はゆっくりだけど順調に治ってきている。

一番違和感が残っている部位はで、腰の下方とでん部の上方を、ぐるりととり囲んでいる。

腰の回転で酷使する筋肉と、全力疾走で酷使する筋肉が、まだ完全に戻っていない。
テニスのあと、必死で治療しているんだよ。

坐っているときにも圧がかかるのは、コロナ自粛のときのパソコン仕事の後遺症でもある。

*腸腰筋の回復には時間がかかるのである。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」は誰でも知っているよね。ロックバンド、クイーンのボーカルだった、フレディ・マーキュリーの伝記である。
誰かに「泣けた」とか「感動した」とか聞くと、かえってしらけてしまったりするんだけど、この映画にはほんとうに感動した。

「クイーン」というバンド名は知っていたけど、彼らの音楽をちゃんと聴いたのは初めてだった。リアルタイムで味わいたかった・・・という後悔が残る。
ゲイであることが、まだ恥ずべきことだった時代。素晴らしい友人たちに恵まれてはいたけれど、どうしても「幸せ」にはなりきれなかったんだろう。エイズになって41歳という若さでこの世を去ってしまった。

遅ればせながら、クイーンの音楽を聴くようになって、フレディの声と音楽性、全身から溢れ出るエネルギーに、あらためて感動している。
惜しい人を亡くしたものだ。

他の映画もまとめて紹介するね。

映画「マリアンヌ」は、ロバート・ゼメキス監督のアメリカ映画である。第二次大戦中の1942年、ケベック出身のカナダ人諜報員のマックス(ブラッド・ピット)は、モロッコのカサブランカに赴く。
フランスのレジスタンスのマリアンヌ(マリオン・コティヤール)と、夫婦を装ってドイツ軍に入り込み、ナチスの高官を襲撃する任務を命ぜられたのだ。

華やかで美しく魅力的なマリアンヌと、硬派で無口なマックスは、任務をきっかけに恋に落ちて、ロンドンで結婚する。子どもも生まれて幸せの絶頂だったはずなのに、マリアンヌに二重スパイの疑いがかけられた。

戦場で敵と殺しあう。市街地でも空襲でバタバタ人が死んでいく。イギリス、フランス、ドイツなど、各国の人間が入り混じり、誰が味方なのか敵なのかもわからない。戦争という悲劇のさなか、さらなる悲劇が襲いかかったのだ。

マリアンヌは本当に二重スパイなのだろうか?彼女の「愛」は演技だったのだろうか?軍部を信じ切ることもできずに、苦悩するマックスは、自分で真実を探ろうと奔走する。。。


映画「ローマンという名の男」では、あの超カッコいいデンゼル・ワシントンが、18キロも増量して、冴えない中年男になって登場している。
監督はダン・ギルロイである。
主人公のローマン・J・イズラ(デンゼル・ワシントン)は長年の間人権弁護士として、人々に正義をとがんばって、貧乏暮らしをつづけてきた。
ある日、つい出来心で不正を働き、大金を手に入れてしまう。

犯罪者になってしまい、追われる立場になったローマン。でも、その現実以上に、自分の正義感との葛藤に苦しんだローマンは、ついに自分で自分を告発する決心をしたのである。


映画「バリー・シール アメリカをはめた男」は実在した人物のお話である。監督はダグ・リーマンで、トム・クルーズが主人公のバリー・シールを演じた。

民間航空機のパイロットだったバリーは、中南米の反米組織の航空写真を撮るように依頼されて、CIAのエージェントになった。
危険な業務なのに給料が安すぎる。麻薬王パブロ・エスコバルに捕らえられて、麻薬を運ぶようにと脅された。

表向きはCIAの偵察機のパイロットとして働き、裏稼業で麻薬の運び屋をやるバリー。スリルあり過ぎの生活をして、莫大な金を儲けたのだった。
結末は推して知るべしである。


映画「否定と肯定」も実話をもとにしている。監督はミック・ジャクソン。
第二次大戦中、ナチスドイツよるユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)は、誰でもが知っている歴史的事実と認識されている。

でも、イギリスの歴史学者デイヴィッド・アービング(ティモシー・スポール)が、「ホロコーストはなかった」という否定論を展開したのである。
アメリカの歴史学者、デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)はユダヤ人女性で、彼の否定論を「ホロコーストの真実」で否定した。

1994年、デボラはアービングに名誉毀損で訴えられ、イギリス人の大弁護団とともに法廷で争うことになった。

膨大な資料をもとに、調査結果を詳細に分析する学者が、つねに正しい意見を言うわけではないのである。同じ史実をもとに、正反対の結論を導き出すことも可能なのである。
しかも、法廷で真実を争うことがこんなにも難しいとは・・・


映画「幸せの絵の具」は、実在するカナダの女性画家、モード・ルイスの生涯を描いたもの。
モード(サリー・ホーキンス)は、子どもの頃から重度のリウマチを患っていた。猫背で身体が曲がっていて、ビッコを引いて歩いている。ノバスコシアの小さな田舎町でとても厳しい叔母と暮らしていた。

モードは商店で、家政婦募集の広告を貼るエベレット(イーサン・ホーク)に興味を持つ。孤児院育ちのエベレットは魚の行商をやっていて、いかにも無学無教養な気難しい男である。

「なんで?」と思うけど、モードはエベレットに一目ぼれしたらしい。彼の家で住み込みの家政婦をすることになる。不自由な身体で一生懸命に働いた。
田舎町のことだから、近隣の住民に白い目で見られ、イヤな噂をたてられるんだけど、2人は結婚して、(ぜんぜん楽しそうに見えない!)暮らしをする。

ニューヨークで暮らすサンドラは、別荘にいるときはエベレットのお得意さんである。モードが壁に描いたニワトリの絵を見て、彼女の才能を見抜き、絵の依頼をする。
評判が評判を呼び、モードの絵を買い求める人が増えていく。エベレットとの関係がちょっとずつ変化していく様子も興味深い。
モードは、ニクソン大統領から依頼が来るほどの有名な画家になったのである。
2020/8/12(水) 炎天下、真昼のシングルス・オフ
調布は市営のテニスコートが少ないので、1年間落選つづきだった。真夏の真昼、12時~2時の時間帯にしたら、なんと3つも当選したのである。

ベテランの大会のシングルス出場を目指してやってきたんだけど、今年は胸骨の怪我もあったし、コロナ自粛でほとんどシングルスをやっていない。6月と7月のラウンドロビンは、体力に自信がなくて延期してしまった。

腰痛はほぼ落ち着き、体力と筋力は8割ぐらい戻ったかなあ?ギリギリまで迷って、「リハビリ・スタートです」と断って、シングルス・オフを開催した。

昨日は暑かったね~。たぶん38度以上。雲ひとつない快晴で、太陽がギラギラ照りつけていた。今年一番の暑さだったけど、ちょっと風があったので、意外に楽だった。

真っ先に申し込んでくれたのは、中高テニス部だったという26歳の女の子。テニスを再開して1年ぐらいとのことだけど、ビビッた。ちゃんと相手ができるのか心配した。
前夜に40代の男が申し込んでくれて、3人になった。4ゲーム先取にして、交代で日陰休憩を取ったんだよ。

自分のシングルスはおととし並みのレベル。ラリーをやってもつなぎ切ることができない。決めボールはミスしてしまう。
体力より、(シングルス)精神力のほうが問題だった。自分は途中でリタイアして、若い2人に目一杯やらせてあげよう・・・なんて考えたりして。

いつもテニスクラブの気心の知れた仲間とやっているので、知らない人とやるのはけっこう苦痛なのである。
だったら、なんで開催したの?と思われるだろうけど、自分の対人恐怖症と好奇心のアンバランスに、ずっと振り回されつづけた私なのである。

『開催したのは私なんだから』と気を取り直して、最後までプレーをした。
ゲームが取れたから、結果はまあまあかな。。。
終わったあとの投稿を読むと、2人とも「暑さの中で2時間やれた」と書いてきているので、暑さに一番強かったのはどうやら私らしい。

おとといは、ファミリーでテニスをしたんだよ。同じく12時~2時だったけど、日差しがなかった分マシだった。

中2で現役の軟式プレーヤーのジュナちゃんとは、軟式でラリー。中学で軟式をやった高1のユーガ君と、初テニスのパパとは硬式でラリー。
反面で軟式、反面で硬式という妙な組み合わせだったんだよ。

両隣ではおじさんおばさんがダブルスをやっていた。ボールがあっちこっちに飛んでいくので、かなり迷惑をかけてしまった。m(_ _)m

Cさんに軟式ボールを打たされたことがある。足元のボールに右足軸足を寄せて、下から上に思いっきりバシンと振り上げる。この打ち方を覚えると、ゲーム中に足元に落ちたボールにしっかり対応できるのである。
おかげで、軟式でもちゃんとラリーができたんだよ。

市民コートの受付で、「ここに記入してください」と紙を渡された。発熱とか倦怠感とか、体調についての質問表だった。名前と電話番号も書かされた。登録してあるカードで申し込んであるのにね!

コロナの感染力は、発症の3日前から前日が最大になる。「今」熱があるかどうかを調べたって無意味なのに、「対策してます」のパフォーマンスのために余分なことをやっているんだよ。

面倒くさいなあとイライラして、「体調が悪い人は、こんな炎天下にテニスなんかやりませんよ!」と文句を言ってしまった。
PCR検査とか、切実に必要なことはまったく進まない。自粛自粛と唱えるだけの政治家にはほんとうにうんざりである。

東京都医師会の会長が「医療現場の準備ができていないから、自粛を続けてほしい」とか言っていたのにも腹が立つ。
国民皆保険制度を支えているのは、私たちが払っている多額の健康保険税である。
国民が今一番必要にしているのは、コロナに対応する医療である。それを整備するのが医師会の役目だろうに、「できない」と偉そうに言い切るって、なんか本末転倒なんじゃないの?

年に1回は海で泳ぎたい私だけど、今年はあきらめた。墓参りにも行き損なっている。「東京者が来た!」とか、白い目で見られるのはイヤだもの。
でも、まあ、テニスができている間はストレス解消になるので、なんとか楽しく生き延びている。それが救いかな。。。(笑)
2020/8/1(土) 2年ぶりのぎっくり腰:決め手は腹筋だった
ブログの更新が遅れたのは、症例39「脊柱管狭窄症・1改」を書き直していたからなの。はじめての患者さんの症例だけだったので、ずっと気になっていたんだけど、イラストなどを加えて、11年ぶりに改訂した。
脊柱管狭窄症は老化と密接な関係があるので、「脊柱管狭窄症・2」では、その後の患者さんたちを年齢順に紹介した。
読んでくれれば、どんだけ時間がかかったか理解してもらえると思うよ。(笑)

コロナ自粛で2ヶ月テニスができなかった間に、筋肉がとことん落ちてしまった。再開してすぐ、ちょっとハードに走っただけで、腸腰筋を痛めてしまい、股関節が固まってしまったことはすでにお話した。(→2020/6/17)

うちの患者さんが昔テレビで見て、「腸腰筋は疲労しやすく、しかも疲労が回復しにくい筋肉なんですってね」と教えてくれたことがある。

大腰筋と腸骨筋をあわせて、腸腰筋という。

後側には骨盤があって、表側には腹膜につつまれた内臓がある。

筋肉の端っこにしか鍼を打てない。
指圧の指も届かない。

いったん壊すと治すのが大変なのである。

今回の腰痛の特徴は、骨盤の「上前腸骨棘」あたりに、ピンポイントの痛みがあることだった。

左右の骨盤の角に、尖ったもので刺されるような、キーンと甲高い痛みである。

立っているときのいろんな動作でおこるので、腰でん部のいろんな筋肉の硬直が、そこに集約されるのだろうと思う。

手当たり次第に治療をしたけど、どうしても消えてくれなかった。(今でもまだちょっと残っているんだよ)

テニスにもとくに支障はない程度の不具合だった。コロナ自粛のあとでリハビリを意識していたし、雨で思うようにできなかったおかげもある。
腰でん部が固まっていることには気づいていたけど、普通のテニスはできていた。

立ったままで靴下をはくときに、だんだん足があげにくくなっていった。痛いというより、固まっていて、太ももがきっちり持ち上げられない感じだった。

リョコちゃんストレッチのムーブメント#11が難しくなっていった。

<ムーブメント#11

仰向けで、膝を曲げて、足を両手でつかんで身体に引き寄せる。

太ももとお腹の間にクッションでもはさまっているみたいで、くっつけようとすると、太ももの付け根の上下のあちこちに痛みが出る。

ちなみにムーブメント#12は、
膝を伸ばして引き寄せるストレッチである。

これでは痛みは出ない。

でん部(坐骨結節)~膝下まで走行している、大腿後面のハムストリングスは二関節筋なので、そこで制限され、どっしにしろお腹にピタリとくっつけられない。
「より難しいのに痛みが出ない」ことが不思議だった。

次に気づいたのは、リョコちゃんストレッチのムーブメント#21が難しくなっていったこと。

<ムーブメント#21

両足をそろえての前屈。

真向法を教えてくれた患者さんには、「開脚のほうが簡単で、こっちのほうが時間がかかる」と聞いていた。

私にとってはこれが一番難しいストレッチなんだけど、それにしてもどんどん苦痛になっていった。
この姿勢で坐っていることすら苦痛になったけど、「痛みが出る角度を発見したら、そこでがんばる」のがコツなので、痛みをこらえてやりつづけた。

だんだんお腹の調子が悪くなっていった。
梅雨時は雑菌にとっては快適な気温と湿度なので、食べ物の中でどんどん繁殖してしまう。そのうえ、冷たいビールとエアコンで、内と外から身体を冷やしてしまう。胃腸に魔物が住み着きやすい季節なのだ。

このままだと、ビールが飲めない胃腸になってしまう・・・と思い、早めにお腹にお灸をしておこう・・・、と思った。
仕事の合間にベッドに横たわって、お腹にカマヤミニでお灸をした。胃腸の調子がよくなって、すっかり楽になったと喜んだのもつかの間だった。
家に帰ってから、「あれ、腰が痛い?」と驚いた。

中途半端にカマヤミニをやったおかげで、「寝た子」を起こしてしまったらしい。

翌朝にはぎっくり腰がはじまっていた。ちょっとずつ進行し、仕事で前傾姿勢が取りにくくなった。
ベッドを真ん中に移動して、マンツーマン治療でしのいだ。左右両方から鍼を打てるから、中腰の時間を減らせるのである。

カマヤミニの前日、久しぶりにハードにテニスをやった。
Cさんに、スピンの回転量を上げるためには、右足軸足1本で、しっかり腰の回転を使って打つようにとアドバイスをしてもらった。
シングルスを1セットにダブルスを2セット半。「腰の回転」を意識してストロ-クを打って、だんだん以前の感触を取り戻していったけど・・・
日常生活では絶対に使わない筋肉を酷使したのも引き金だった。

ぎっくり腰になってからは、Tゾーンの硬直と痛みが悪化していった。

Tゾーン=腰椎と骨盤の付着部
縦は腰椎(男性はここに負荷がかかる)
横は骨盤(女性はここに負荷がかかる)
前傾姿勢(中腰)で痛みが起こる。バイクに乗っているときもズシンと来る。
リュックを背負って階段を上がると、上半身の重さが骨盤にめりこむみたいに、ズシンズシンとくる。
坐った姿勢をつづけたあと、立ち上がった瞬間にもズシンとくる。(それでもパソコンをやめられない)

Tゾーンとでん部には鍼を打ちまくり、もう打つところがないぐらいにほぐれたというのに、それでも腰痛は治りそうな気配がない。

腰の回転に必要な筋肉のうち、後面はすでにほぐれているから、腹部の筋肉(外腹斜筋とか、内腹斜筋とか)を重点に治療をしようと思った。

お腹に鍼を打つときは、腹痛の激しいとき。内臓をつつんでいる腹膜に鍼を当てると、調子が良くなる。

でも、今回の目的は筋肉である。

深部を温めて治そうと、透熱灸を何回か試してみたけど、すぐに熱くなっちゃって、多壮灸にならない。
それで、お腹に鍼を打つことにしたのである。

鍼の響きが内臓痛のときとは違う。不思議に思いながら、圧痛点に次から次へと深い鍼を打ちまくった。

そのあと立ち上がってみたら、腰の痛みがびっくりするほどやわらいでいた。
「峠を越える」という言葉がある。病がどんどん深くなっていくときは、ものすごく苦しいのだけど、やがてターニングポイントが訪れる。「あ、治っていく!」と気づく瞬間で、そこからみるみる回復に向かいだすのである。

腹筋への鍼が、今回の私のぎっくり腰のターニングポイントだった。翌日には前傾姿勢での痛みがなくなったんだよ。

ムーブメント#11(膝を曲げて、足をお腹にくっつける)とき、痛みが起こるクッション()にも、次から次へと鍼を打った。

このあたりの筋肉が硬直していたから、ストレッチで痛みが出たんだね。

鍼のあとはすっかり痛みが消えて、スムーズに曲げられるようになったんだよ。

ムーブメント#21(両足をそろえての前屈)で、以前の角度まで、普通に曲げられることが判明した。
ストレッチをやっていると、自分の身体のどこに不具合があるか、すぐに発見できるという利点がある。

ちょうど1週間テニスを休んだ。ズシンと来る痛みはなくなったけど、Tゾーン()の硬直は残ったままである。
自分で鍼を打つのも限界なので、動いて治そうと思った。

テニスクラブに出かけたら、2人で練習しているグループがあったので、グッドタイミングだった。1時間ぐらい練習をして、じっくりフォームの調整をした。
そのあとのダブルスで、1セット目は腰の塊のせいで、イマイチ動きが悪かった。
2セット目の途中で、T()の塊がほぐれたのを感じた。同時に(心地よい)痛みがはじまった。

固まっていると痛みが眠る。痛みが出たのは、ほぐれた証拠である。ここで無理をすると、また悪化するかもしれないので、そこで終わりにした。

「壊して、治して」、そんでやっと原因がわかるというのは悲しいけど、これが自己治療の限界なのである。
でも、「壊して、治した」おかげで、自分の腰でん部(+腹部)が、ぎっくり腰の前よりもほぐれているのを感じる。

スピンの回転量も上がって、ストロークはほぼコロナ前のレベルに戻った。
今日は、テニスのレベルは上がっていたけど、走りに走って強打をつづけたから、腰のあちこちにまた痛みが起こってしまった。
自分の目指すテニスに見合うだけの体力と筋力を取り戻すのは、もうちょっと先のことになりそうである。

相変わらずの私の、細かいぎっくり腰の報告にうんざりしている人もいそうだね。すべてをきっちり一覧表にして、ぎっくり腰のページを書き直したいものである。
もうちょっと待っててね。すべきことが山積みなんだもの。。。
2020/7/21(火) パン焼きトラブルで、地方の「東京」観を知る
コロナのおかげで、数ヶ月も小麦粉を買えなかった。
物心ついて以来、「モノが売られていない」状況を経験したことがなかったので、心底驚いた。戦時中みたいに、食料の買いだめをしなくちゃならない時代がやって来るのかな・・・という危機感に駆られた。

小麦は年に1回しか収穫できないんだから、今年いっぱいダメなのかと思ったら、またスーパーの棚に小麦粉が並ぶようになった。
品物はあったんだね。想定外の売れ行きに、人手不足になり、倉庫から出して袋詰めするのに時間がかかっただけらしい。
日本人の「買いだめ」根性はやっぱりすごいね!気持ちはわかるけど、やり過ぎは迷惑である。

小麦粉が手に入ったので、先週の水曜日、久しぶりにパンを焼くことにした。
内釜に材料を入れてから、ホームベーカリーに装着しようとしたんだけど、グラグラしちゃって、どうしてもはまってくれない。ジョイント部分が壊れた、と思った。

説明書を見てメーカーに電話をしたんだけど、つながらない。ホームページをのぞいてみたけど、「よくある質問」にもどこにもろくな説明がない。
どうしたらいいんだろう・・・と途方にくれた。

それで柏崎の友人に電話をかけた。
転校をくり返した私の子ども時代。中学1年と2年は新潟の柏崎三中だったんだけど、それ以来の友人である。彼女はパン作りが趣味で、公民館で教えていたこともある達人なんだよ。

電話したらいきなり、「東京、大丈夫?」と聞かれた。
テレビの報道を地方で見ていると、まるで東京中が汚染されて、みんながコロナに感染している・・・っていう風に思えるんだね。

彼女は4月に孫出産の手伝いで、2週間東京にいたそうだ。
「東京行き」は、近所の人や親戚にも誰にも内緒にした。だんなさんに車で送り迎えをしてもらい、どこにも出かけず、どこにも立ち寄らず、家に帰ったあと2週間引きこもっていたそうだ。
だんなさんの東京出張のときにも、誰にも内緒で、帰ってから2週間、自主的に引きこもりをしたそうだ。

たまたま、その次の木曜日、中三で通った村上中学時代の同級生から、「東京は感染者が多いそうだけど、大丈夫ですか?」とメールが来た。

東京都は人口が多い。1300万人もいるらしい。200人とかでマスコミが大騒ぎしてるけど、知り合いの知り合いをたどってみても、コロナにかかった人がいるという話を聞いた人は誰もいない。
私も子どもたちも患者さんたちも、働いている人は普通に働いている。みなさん遊びには行けなくなっちゃったけど、私にはテニスがあるのでラッキーだ。

地方の人はマスコミの報道でしか「東京」を知らない。
感染者が少ない分、恐怖感が増す。感染する恐怖以上に、近隣に知られて「病原菌」扱いをされることのほうがより恐ろしいのだ。

それは「東京」も同じ。私は全員が1回はコロナと戦い、免疫を手にするしかないという持論の持ち主だけど、今、かかるのは困る。
仕事を休まなくちゃならないし、出会った人全員に報告して「ごめんなさい」を連発し、人に感染させたという汚名をこの先ずっと浴びせられる。。。

ホームベーカリーの話に戻ろう。柏崎の友人によると、内釜が装着できないなんてトラブルは、いまだかつて聞いたことがないそうだ。
「自分でこねるしかないね」と言われたけど、時間がない。
テニスから帰って、焼きたてのパンを冷凍し、それから仕事に行く予定だった。

「そのままだと材料がダメになっちゃうから、内釜に手をつっこんで、とりあえず材料を混ぜるしかない」と言う。
「ボウルとかにあけなくていいの?」と聞いたら、「そしたらボウルも洗わなくちゃならないから、手間でしょ」と言う。

材料を手でまとめて、まな板の上に置いて、指に材料がつかなくなったらビニール袋に入れる。「冷蔵庫に入れておけば、今日の夜でも明日の朝でも、ゆっくりつづきができるよ」とのこと。
「ビニール袋は二重にしなくちゃだめだよ」と念を押された。

なんだか時間が押し迫ってしまったし、外は小雨模様である。最近はほとんど小雨の中でのテニスだったけど、時間だけじゃなく、気持ちにも余裕がなくなっちゃった。
そのまま仕事に出かけ、つづきは次の日の夜にすることにした。

息子が洗ってくれた内釜を、置く場所がないので、ホームベーカリーに入れたら、なんとカチンと装着できた。2斤分の小麦粉と水で重かったから、不安定になってグラグラしたらしい。
(これからは、内釜を装着してから材料を入れることにしよう!)

そのままホームベーカリーにつづきをやってもらったほうが楽そうである。

でも、内釜の中に装着する羽根がない。これがないと、コネコネできない。そこら中を探したけど、どこにもない。
もしかしたら、三角コーナーに捨てちゃったのではないだろうか?

仕方がないので、ゴミ袋を取り出して、シンクに広げてみた。生ゴミの真ん中にちょこんと羽根があるのを見つけた。
羽根を洗って取り付けて、材料を入れて、スタートボタンを押したら、5時間後にちゃんとパンが焼けていた。

やれやれ、である。
ポプラには羽根を見せて、ことの顛末を話し、「今度洗うときには、羽根を捨てないように気をつけてね」と言い渡した。

2年前、ドコモポイントをホームベーカリーに交換したときも、彼女に電話をしてアドバイスしてもらったんだよ。
レシピに「スキムミルク」があったんだけど、どうしても使う気になれなかったからなのである。「スキムミルクは入れなくても大丈夫」とのことだった。

ついでに、「あんたのことだから、国産小麦粉を使うんでしょ。レシピは外国産小麦粉の分量だから、国産の場合は水は65%にしなくちゃだめだよ」と教えてくれた。
ホームベーカリーでパンが上手く焼けないという人がいるけど、水を「65%」にすることが秘訣なのである。

日本人は人に迷惑をかけることを何よりも恐れる。「東京」人は旅行先でも嫌がられるに違いない。お葬式すら遠慮しなくちゃならない。
観光業の人は、「東京」から来てほしい。でも、それ以外の人は「東京」とは接触したくない。地方でも意見が割れているんだろうな。。。

この間のテレビで、82%の人が「また緊急事態宣言を出してほしい」と望んでいるという調査結果が報告された。
日本には、働かなくても食べていける人が82%もいるらしい。驚きの結果である。
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