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リョーコの手作りブログへようこそ!
2006/12/9(土) はたして人間は進化するのだろうか?
<源氏物語を読んで思ったこと>
久しぶりに村山リウの「源氏物語」を読んだ。創元社の上・中・下に分かれている本だ。昔、彼女の「源氏物語ときがたり」を読んで興味を持ち、そのあと円地文子の現代語訳も読んだことがあった。
何十年ぶりかで、また図書館で借りて、読み直してみたのだ。

原文ではもちろん読めないし、読んだことはない。何人かの現代人がそれを現代語に訳したのだが、どうやら、翻訳をするときに、訳者の好みや人生観によって、ある部分ははしょられ、ある部分は強調されと、かなりの編集が行われるらしい。
それゆえ、村山リウの源氏物語は「村山源氏」と呼ばれていて、彼女なりの解釈が人生観とともにつづられている。

もともとの源氏物語は、平安時代の女性、紫式部が書いたもの。藤原道長の娘彰子中宮の教育係として宮中に招かれた紫式部は、娯楽としてより、「いい女とはこうあるべき」のお手本、教科書として源氏物語を書いたということらしい。

光源氏はプレイボーイだ。いい女の噂を聞くと、何とかしてものにしようと、ありとあらゆる手管を尽くす。御簾を押しのけて抱き上げて、など、まるでレイプまがいのこともする。だが、一度寝た女は、決して見捨てず、生涯生活の面倒を見るあたりは、今どきのプレイボーイたちとは明らかに一線を画す。
それなりのしきたりや、当時の上流階級の社会通念における常識にのっとった行動を取っているということなのだろう。
いろんな男たちを描くことで、「いい男」とはこういうものであるという、男のスタンダードを明確にし、男選びの基準を女たちに教えているという要素もあるようだ。

当時は、一夫多妻制のもとで、有力な男は何人もの妻を持つ。
源氏物語の中では、いろいろな個性を持った女たちが描かれている。
容貌やスタイルが美しい女はもちろん賞賛されているが、字の美しさ、頭の良さ、歌(手紙)や服装(色の組み合わせ)のセンス、音楽の才能なども、いい女の重要な要素だ。
良き妻たちは、貞節で、嫉妬を抑え、男の服装や対人関係に気を配らなければならない。宮中のこと、生まれや身分、後ろ盾になっている父親の権威などに翻弄されながらも、けなげに生きる上流階級の女たちが描かれている。

「男にとってのいい女」つまり、女としての商品価値をいかに高めるかの、指南書的役割を持つ本だ。働く女として自分を生かせない、「妻」として以外の生き方ができない上流階級の女を中心に物語が描かれているからなのだろう。
そういう制約の中、紫式部は、源氏物語の中で、さまざまな性格や人間性を持つ女たちを、個性豊かに書き上げている。

面白いのは、他の男と寝たとしても、本人が相手を愛していて、「激情に駆られてやったこと」ならまだしも許されるが、その気がないのに「不注意で」そうなってしまった場合は軽蔑されるんだって。
それって、けっこう「跳んでる」?古いというより進んでる?

村山リウは、人間は進化するものと思っているらしい。「1000年前の女性が」という言葉が何度も出てくる。平安時代は、大昔の、未開の時代。その頃の人間は現代人より未熟である、ということを前提にしている。
でも、果たしてそうなのだろうか?
「源氏物語」はあくまで、ほんの一部の上流階級の人たちの話。たぶん、庶民は、次元の異なる困難を生き抜いていて、それなりの幸福感や達成感を持ち、もっと自由に生きていたんだと思う。

このごろ私は、人間も他の動物たちと同じ、DNAに書き込まれた「本能」に定められた行動を取っているのではないか?と思うようになってきている。
だって、100年前の小説を読んでも、1000年前の小説を読んでも、ちっとも古さを感じないのだもの。その国、民族、時代に特有の風習や社会制度に多少の違いがあったとしても、心の動きや人間関係は、今とまったく変わらない。
どんな時代にも「今どきの若い者は」というセリフ、「この頃は、モラルが低下し、世の中が殺伐としてきて、凶悪犯罪が増えてきた」というセリフがあったりする。

「野蛮だった過去から学び、制度を改め、より良い社会を作り上げ、人類は進歩している」というのは、幻想なのではないだろうか?
と、この頃私は思うのである。「歴史は繰り返す」とも言われているし。
2006/11/25(土) 宇井純さんの訃報
先週の新聞で、宇井純さんの死亡記事を読んだ。
直接の知り合いなんかではなく、たった一度だけ、講演を聴いただけなのだけど、彼の話は今でも強烈に印象に残っている。惜しい人を亡くしたものだ。

宇井純は「公害原論」の著者で、ずっと東大の助手だった。正しいことを言い過ぎるので万年助手のまま出世できずにいる、という伝説的な人物だった。
東大を退官し、沖縄大学の教授に招かれていくことになり、ちょうどその狭間の春休みに講演会があった。

場所は栃木県の佐野市。足尾鉱毒事件で有名な田中正造の生家。地元の人たちが、田中正造の生家を利用して、市民講座(田中正造大学)を開くことになり、第1回目の講座を宇井純が担当することになったのだ。
それを聞いて、共同保育のメンバーみんなで、子どもをジャラジャラ連れて出かけた。家の裏に大きな川(渡良瀬川?)があって、講座の間、大きい子どもたちはそこでめいっぱい遊びまくった。

宇井純さんは、有名になったあとでも、全国の川を歩き回っていたそうだ。「自分の足で歩くことが肝心」なんだって。河川の状態を調査し、下水処理システムなどの研究をしていたらしい。町ごとに小さな汚水処理場を作った方が、安価で安全で効率がいいのだが、自治体は、大金をかけた巨大な施設を作りたがる、という話も聞いた。

--東大の助手って、権威はないけれど、給料も待遇も、そんなに悪くはなかった。助手のままでいるつもりだった。
だけど、共通一次が始まって以来6年間、面白い生徒がひとりも入ってこなくなった。たったひとりでも、「こいつは」と思える生徒がいればやりがいがある。

研究者というのは、先人が打ち立てた理論に「疑い」を持たなければならない。すでに確定している理論に、疑いを持ち、すべてひっくり返して考えてみることから、新しい理論が生まれる。

共通一次というのは、短い時間に数多くの問題を答えさせる試験だ。そういう試験で高得点を取る学生というのは、教科書にのっていることに、何の疑いも持たず、片っ端から丸暗記をし、自動的に答えを出す。そういう人間に、研究者としての素質はないのだ。(まさに官僚向き?)--

宇井純さんの話を聞いて、本当にその通り、と思った。今でも忘れられない。
すぐれた研究者が、有名大学ではないところから輩出されるようになったのも、そんなこんなの事情からもきているのだろうな。
2006/11/11(土) あんふぁんての「お産サイドブックⅡ」あげます
「お産サイドブックⅡ」は、「あんふぁんて」というグループが、会員たちのアンケートをもとに編集した本で、妊娠・出産の経験談がぎっしり詰まっている。2002年3月に出版された。
これから子どもを生む人には、とても役立つ本。私のところで何冊か預かっているので、欲しい人は、送料310円分の切手を同封して、名前、住所、郵便番号など書いて送ってください。

30年間続いたあんふぁんても、とうとう去年(2005年)解散した。1975年3月に、新聞の「子持ち女集まれ!」の呼びかけで集まった女たちがはじめたらしい。
全国組織で、その時どきの子育て中のお母さんを中心に、だいたい800人ほどの会員がいた。子育てが一段落したあとも残る人は少なく、常に、新陳代謝をしていたところに特徴があった。

私にとっては、今の私を生み出した第2の母のようなもの。(フランス語で「生む」という意味なのが、偶然の一致か・・・)
鬱屈した密室育児からの解放、心許せる仲間づくりなど、自分らしく生きる第一歩を、あんふぁんてで踏み出すことができた。そして、あんふぁんてからの旅立ちがあって、その後はOBとしてときどき関わってきた。
ときどき、困った羽目に陥ると、事務局や旧メンバーに助けを求め、みんな、いつも心温かく相談に乗ってくれた・・・(ありがとう!)

子連れのウーマンリブ(女性解放運動)みたいなものだった。
母親としてだけじゃない「私」も、生き生きと自分らしく生きたい。でも、子どもたちにも生き生きと自分らしく生きて欲しい。その両方の願いがかなえられた。
共同保育や預け合いをして、大人にも子どもにも仲間ができた。共同保育で育った子どもたちって、本当に良く遊ぶんだよね。友達作りが上手なの。
出会った女たちで、いろんな話をし、公園で遊び、一緒に勉強会をしたり、映画会や旅行などの楽しいイベントもやって、家族ぐるみの付き合いになり、そして今でも生涯の友人だ。

「子育てをひとりで背負い込まない」なんて、そんなあたり前のことを、スローガン掲げて努力しなきゃできなかったこと、今思えばおかしいよね。
人間ひとりを育て上げて大人にするんだもの。母親一人でできるはずがない。父親がプラスされたって、若い両親に全責任を負わせるなんて無理に決まってる。大事業なんだもの。その子どもたちが成長して、世の中を動かすようになるんだから。
子どもの私有化。それを押し付ける社会。子どもの成功や失敗に一喜一憂する親たち。親のエゴ(条件つきの愛?)にがんじがらめになる子どもたち・・・

あんふぁんては解散し、OBたちで「あんふぁんて倶楽部」を作った。それは、私がやっているプロジェクト「みんなで友達になる会」、つまり、老後の茶飲み友達を30年がかりで作るという、気の長~い計画と似た発想かも。
友達作りの楽しさを、思う存分味わったので、その味を忘れられないのだ。

今が旬の若い人たちも、親子ともに一生付き合える仲間作りができたらいいのになと思う。
2006/10/24(火) 「ひざ痛」完成して、肩バリバリになる
症例集の設計図が頭に浮かんでから、寝る時間も削って、ヒマさえあればず~っとパソコンに向かって1週間。とうとう書き上げた!

文章書くだけじゃなく、天井インデックスも書き直したり、更新履歴も書き直したりの、細かい作業がけっこうある。
本当は、ひざ痛、1ページくらいで短くまとめるつもりだった。それなのに、書き始めると、どんどん長くなって、とうとう最長の4ページ。

たぶん、文章って、自信がないときのほうが早口になるのかも。はじめの頃は、なるべく簡単に、短くまとめようとしてた。いろいろな人に読んでもらっているうちに、だんだん長々と語るようになる。
新幹線並みのスピードで書き飛ばした、最初の頃の症例集を、もっと詳しく書き直したい衝動に駆られたりする。

でも、まだまだ頚椎症も途中だし、「坐骨神経に似た症状(半腱様筋の痛み)」で書く予定の、臀部から足への痛みの症例たちも、頭の中に山となって積んである。帯状疱疹についても書く予定で、本も買って用意してある。

今回久しぶりに症例集を書いて、書くことって勉強になるな、と実感した。一応本も調べるし、カルテも見直す。いろんな人の症状や治療を思い出して、人に分かるように説明しようとする。その作業が、頭の中の散らかった机(うちの治療室の机の上は、いろいろな本や書類で散らかっている)を、整理するのに役立った。

しゃべるのはけっこう得意なんだ。しゃべりながら、頭の中で、どんどん新しいアイデアが浮かんで、それがまとめられていく。聞いている自分が「へー、そうだったんだ!」などと感心していたりする。
しゃべりながら考えをまとめ、聞きながらそれを絵にする。
「書く」という行為は、その絵を、きちんとファイルする、みたいな感じかなあ。とっても勉強になった。

ずっとパソコンにかじりついて、ただでさえ、肩こり症の私の、首から両肩にかけて、ジンジンしびれるほどになっていた。
それで、今日は、久しぶりに指圧に行ってきた。神楽坂で、学校時代の友人が開業しているの。本当は鍼が好きなんだけど、今、私の治療をしてくれる人がいないので。
帰りに紀伊国屋へ寄って、本を買ってきた。スペイン語の辞書(西和辞典)と、OxfordSpanish Dictionary (西英&英西辞典)、それとイラストでいっぱいの初心者向けの Spanish Dictionary for Biginners だ。ほとんど、趣味の世界だよね。
重いリュックをしょって、本屋の中をうろうろしてたら、またバリバリになってしまったみたいだけど・・・。
2006/10/18(水) すこしヒマになりました
この頃、気候が安定しているので、新患も急患も少なくて、少しヒマになった。
この前は「脳ミソは急に止まれない」だったけど、今度は、時間ができるようになっても、ふたたび走り出すまでには、時間差が必要だ、ということに気がついた。
信号待ちで、ギヤをニュートラルに入れたら、ロウに入れ直して、車が動き出すまでにちょっと時間がかかる、みたいなものかなあ。

ちなみに、うちの車はマニュアルです。(バイク好きはマニュアルに乗りたがる!)

まず、時間に余裕ができる。それから、毎日、ボ~ッとする。「やらなきゃ」と頭では思っているのだけど、どうしても取りかかれない。久しぶりの友達に電話をしたり、遊びに行ったり、飲みに行ったり・・・。
とりあえず、遊んで、そんでまだまだボーっとし続けて。その合間には、ビデオを見たり、本を読んだり、手の込んだ料理を作ってみたり。

すると、あら不思議。ある朝、目覚めたら、突然頭の中に、設計図が浮かび始めた。
症例13「坐骨神経痛」の2ページ目に、「坐骨神経痛じゃなかった人」を続けてしまったために、続きが書けなくなっていたの。
そうだ、坐骨神経痛と同じ場所が痛んでいる患者さんを、「坐骨神経痛に似た症状」(症例34)としてまとめれば、すっきりしてこの先が書きやすいぞ!
頭の中に、いろいろな症例が浮かんできて、次々に文章になってゆく・・・

てなわけで、仕事場にやってきて、書きかけのまま放ってあった、症例33「ひざ痛」から書きはじめたというわけ。
他にも、書きかけのまま中断している症例があって、やり遂げるにはまだまだ時間がかかるけど、気長に待っていてください。

<追記:症例34「坐骨神経痛に似た症状」は、「半腱様筋の痛み」「バレエで膝を痛め、お尻から太ももに波及」と2つです。 2020/4/15>
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