2016/3/30(水) |
花粉症は「風邪」と共に去りぬ・・・ |
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先週、まあまあだったはずの花粉症が、いきなり激化・・・?
患者さんが帰ったあと、息つく間もなくくしゃみを連発。鼻は塞がれたみたいに詰まり、鼻水があとからあとから洪水のように噴き出してくる。
なんで?なんで?とパニクって、耳と足の玉を貼り変えてみたけど効果がない。
そのうち喉までどんどん腫れはじめた。パンパンになって熱を持っている・・・?
咳こんで、やっと、それが「風邪」だと気づいた。
その日の昼間、いつものように歌いながら母のROM訓練をしていたとき、途中で息切れがした。テニスでガンガン走っていても、一度も息が切れたことがないのに?と、妙な気がしたのを思いだした。
つまりその時点で、もう私は風邪に罹患していて、呼吸機能が低下していたんだね。花粉症と思い込んで、風邪の初期症状を見逃してしまったのである。
家に帰って熱を測ってみたら、37.1度。まだまだ上がりそうである。
私の風邪治療は、熱いお風呂と野菜とビール。熱のあるときの冷たいビールは最高である。発酵食品だから、ウィルスにも効きそう?
湯たんぽを入れたおふとんにくるまって、汗をかいては着替えた。
丸二日間こんこんと眠りこけた。目が覚めたら、ご飯を食べ、またビールを飲んで寝た。よく眠れるんだよね~。
熱は38度までしか上がらなかったし、2日でよくなったから、インフルエンザではなかったと思う。
私の感じでは、ウィルスは古い血が好き。首とか肩とか(腕とか)がこっていると、その中に溜まっている古い血に、『ここだ~』とウィルスたちが押しかけて、そこでコロニーを作るように思える。
こり固まっている筋肉にウィルスがたかっているな・・・という感じで、腰とかときどきギシギシ痛んだ。「節々が痛む」ってそういうことだと思う。
今年は、風邪でキャンセルする患者さんがやたら多かった。寒暖の差が激しいので、身体が対応に苦慮するんだろう。
そして、ついに私も。風邪を引いたのは1年半以上ぶりである。
熱を出すのは嫌いじゃない。逆に、たまには熱を出したい。体温が上がることで、他の病原菌を一気に殺すチャンスと思っている。
「発熱信仰」と呼んでもいいかもしれない。
風邪を引くのは不快だけど、風邪やインフルエンザのウィルスと戦って、免疫機能を賦活させるのはいい。たまには訓練をしなくちゃね。
中途半端に薬で症状をやわらげると、せっかくのチャンスが無駄に終ってもったいない、と思う。
今回のウィルスとの戦いはけっこうシビアで、そうとう体力を消耗した。3日目の朝はまだふらふらしていていたけど、動かないと体力が戻らないので、たまった仕事と家事を必死でこなした。
その次の日は、テニスクラブのお花見親睦会。正会員になって、2回目の親睦試合の日であった。
実は、この間からフォアの新しい打ち方を習っている。前の打ち方を忘れた上に、新しい打ち方も理解ができず、フォアがぐちゃぐちゃになっていた。
代わりにバックハンドが良くなっていたんだけど、そっちもフォームを直されて、ぐちゃぐちゃになっていた。
親睦試合の前に調整をしようと思っていたのに、できないままになってしまった。
おまけに体力も自信がない状況。走るのだけが取り柄なのに。
こうなったら欲は捨てて、とにかく、「なんでも返して、返しまくる」ことを目標に試合に臨んだ。
今回もドローは抽選だった。ペアのおじさんは3人とも初対面。試合の前に、「初心者ですけど、よろしくお願いします」とあらかじめ断った。逃げ道を一つ用意しておくと、気楽にやれるのである。
でも、3戦目のおじさんには大笑いされた。「もう初心者じゃないでしょう。あんなに練習してるんだから。サーブだってあんなに」と、にこにこしてる。
平日にシングルスの練習をしている人らしく、こっちは知らなくても、私が練習しているのを見ていたんだね。すっごい上手だった。
結果は1勝、1敗、1引き分け。「よく返しますね」とみなさんにほめてもらったから、目標は達成できたみたい。
あまり緊張しなくなったし、緊張してても、まあまあのレベルを維持できるようになった。着実に成長している。
体力を取り戻すには数日かかったけど、不思議なのは、風邪が治ったと同時に、花粉症もどっかへ行ってしまったこと。
本物の有害なウィルスとの戦いで、杉の花粉なんてたいしたことない、過剰反応だったと、免疫システムがやっと気づいたのかなあ?
ずっと軽かった私の花粉症が激化したのは、風邪がきっかけだったから、理由はよくわからない。
風邪のなごりの鼻炎はまだ消えていないけど、鼻をかむことはほとんどなくなった。
とりあえず、メデタシ、メデタシ、としておこう。 |
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2016/3/15(火) |
「戦闘モード」は花粉症の特効薬? |
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昨日は雨でテニスはお休み。母のホームへ行ったら、ホールでパンを売っていた。となりの障害児施設で作っているのである。
母の好きなあんぱんなど買ってみた。ベッドに行ったら、母が目を開けていたので、「あんぱん食べる?」と聞いたら、なんと「食べたい」という返事が!
いつものように歌いながらROM訓練をした。母の目に光が宿るし、関節がやわらかくなってリハビリもしやすい。
おわってから、ベッドに坐らせた母にあんぱんを食べさせた。指でちぎって餡をからませ、口元に持っていく。喉を見つめ、飲み込んだのを確認してから、つぎのパンを食べさせる。
なんと、「美味しい」を連発している!
ベッドに寝かせて「じゃあね」と言ったら、なんと、「もっと食べたい」と言う。「どんなパンを持ってるの?」と聞くのである。
正月に「行かない」を2回。そのあと1回、自分の名前を「すみ」と答えた以外、この3ヶ月半ずっと無言だった。
もう自分のことも私のこともわからなくなっているのかな・・・とあきらめモードだったので、驚くやら嬉しいやらである。
職員に牛乳をもらいにいって、チーズクリームとジャムのパンを食べさせた。なんと、パンを2個ともぺろりと平らげて、牛乳もぜんぶ飲んでくれた!
最近は食べないときが増えていると、さっき職員に聞いたばかりだったので、報告したらみなさんで喜んでくれた。
休みの日はテニスに行っちゃう。母のところは仕事の空き時間に行くことになるので、いつも時間に追われてバタバタしてる。どうせ母も無反応だし、歌いながらリハビリして、さくさく帰ってきていた。
雨の月曜日、たまたま母がしっかりしていて、ラッキーだった。
久しぶりに正気な母にパンを食べさせてたら、ヴェルにおにぎりのおすそ分けをしたことを思い出しちゃった。犬みたいでかわいかったよ~。
先週金曜日はまたシングルスのラウンドロビンに出た。
ほんとうは、延期したかったんだ~。
あっという間だった3週間、ダブルスばかりやっていて、シングルスの練習はおろか、ラリーすらほとんどしていなかった。
でも、体調は万全に近いし、腰痛も治っている。逃げ道は「雨」しかないが、ぎりぎりまで雨予報が出なくて、やっぱりやるしかないなあ・・・
前日にCさんに特訓を受け、アスリートのおじさんにラリーをしてもらい、「一夜づけ」で準備をしたけど、試合の前からすでに気弱な私であった。
9時前に家を出たら、なんと雨。車の中からあわてて京王に電話をしたら、「やる予定です」と言われた。
しょぼしょぼ小雨が降ってるし、ものすごく寒い。コートも濡れているので、ボールが水を吸って重い。飛ばないし、弾まない。
試合をやっていても、ぜんぜん楽しくない。「勝とう」という気迫もない。
結果は、4-6、2-6、0-6、0-4の4連敗。はじめの2つはけっこう競ったけど、だんだん、どうしていいかわからなくなって、ずるずると負けた。
でも、先月よりはあきらかにレベルアップはしていた。
前回は、左右に振られたボールを、相手のいるところにしか返せなかったんだけど、クロスに打ち返せるようになっていた。
サーブは、まだ上半身だけのセカンドサーブの段階だが、安定感があってほとんど入ってくれた。
こんなレベルでシングルスに出るなんて、私ってほんとにバカだなあと思う。
世の中には、練習をつんで、万全の準備を整えてから本戦に出る人が多いと思う。でも私は、とりあえずのっぴきならない立場に身をおいて、それから必死こいて、クリアーするためにがんばるタイプなのである。
人生常に背水の陣?できなさそうな課題を自分でつくって、あくせくする習性があるんだね。テニス以外でもなんでもそうだった。
不思議だったのは、その日、テニスコートで1回も鼻をかまなかったことである。
試合の合間に壁打ちをし、終わったあと、練習をやり、ダブルスもやったけど、ずっと花粉のことを忘れていた。
鼻をかんだのは、帰りの車の中である。
私の花粉症は、雨が降っていても、寒い日がやばい。「花粉」と「冷気」がコラボしたときに症状が出るのである。
シングルスの日、ものすごく寒かったのに平気だった、というのは驚きだ。
「戦闘モード」になっていると、花粉症がなくなるのかな?ふだんのテニスのときも意外に平気だし。
耳の金粒と飛陽の銀粒のおかげで、私の花粉症はほとんど沈静化している。
今年は(今のところ)、ひどかったのは2回だけだ。1回目はストレス状況に置かれていたとき。ストレスから解放されたら、30分ほどでおさまった。
2回目は掃除の直後の家の中で、外に出かけたらすぐに良くなった。
ヴェルだって花粉の時期、河川敷におろすと、「ヘップショイ」とときどきくしゃみをしていた。
こんだけ花粉が飛んでいれば、誰だってくしゃみぐらい出るし、鼻も出てあたりまえ・・・と居直る気持ちも大切と思う。 |
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2016/3/9(水) |
[映]天国の青い蝶 |
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「天国の青い蝶」は、実話をベースにした映画である。カナダとイギリスの合作で監督はレア・プール。撮影は南米、コスタリカの熱帯雨林で行われた。
(以下、ネタバレ)
10歳の少年、ピート・カールトン(マイク・ドネイド)は、末期の脳腫瘍に侵され、余命は数ヶ月だろうと宣告されていた。
たぶん、腫瘍は小脳に近かったのだろう。歩行のバランスが取れなくなって、ついに車椅子を使うようになった。
母のテレサ(ハスカル・ブシェール)は、世界的に有名な昆虫学者、アラン・オズボーン(ウィリアム・ハート)に会わせようと、ピートをモントリオールの昆虫博物館に連れて行った。
息子の最後の願いをかなえてあげたいと思ったのである。
ピートは昆虫が大好きで、アランをとても尊敬していた。
青い蝶(ブルー・モルフォ)は世界一美しいということ、そして奇跡をもたらすという、アランの言葉を信じていた。
死ぬ前にブルー・モルフォをひと目見たい、捕まえてみたいと切望していた。
アランは驚愕する。病気で、しかも車椅子の少年を、未開のジャングルの奥地に連れて行くなんて、とんでもない。
しかも、ブルー・モルフォの生息期間はあと1週間しかない。
当然のことながら、いったんはお断りする。
アランは言うなれば奇人・変人のようなもの。昆虫に身も心も入れ込んでいる「昆虫きちがい」である。昆虫にありったけの情熱をそそぐ者同士、「きちがい」が「きちがい」の熱意に感応したのかもしれない。
アランは、テレサとピートを連れて、飛行機で熱帯雨林へ向かった。
現地の人々は、「1週間しかないのに」と困惑しながらも、大歓迎してくれた。
木や草がうっそうと生い茂る森の中で、多種多様な動物や昆虫がわがもの顔に生きている。そんな大自然の中、さまざまの生き物たちと共存し、昔ながらの生活スタイルで暮らす素朴な村人である。
夜、焚き火を囲んでみなが集まり、語り部ともいえる祈祷師が、青い蝶の伝説を語ってくれる。
別の祈祷師があらわれ、森の奥に住む人食い人種の伝説を語る。
密林の中の世界は、カナダとはまるで別世界である。3人を仲間として受け入れてくれ、よってたかって親切にしてくれる。
ピートを肩車して走るアラン。彼の上で捕虫網をふるうピート。ふたりで蝶を捕まえる練習をする。(アランは強靭である!)
みんなで荷物や車椅子を運んでくれ、ジャングルの中で蝶を探すけれど、ブルー・モルフォは見つからない。
「大勢でこんなに騒がしい音を立てたら、モルフォは絶対出てこない」とアランは苛立つ。ピートも同感する。
村人に背負い籠を作ってもらい、ふたりだけでモルフォを探しに行くことにした。
青い蝶は滝が好き。ついに、青い光を反射させながら、ひらひらと舞う美しい蝶、ブルー・モルフォが現れた。
必死で網を振るピートを背負って、アランは走る。あとちょっと、というところで、2人は深い穴に落ちてしまう。アランは大怪我をし、動けない。
ピートはひとりで助けを呼びにいくことにする。よろけながらも、磁石をたよりにジャングルの中を歩いた。
でも、途中で発作が起こってしまう。脳がショートしたのだろう。木や花や虫や動物が、鮮やかな色を放ちながらうごめいている。人食い人種までがあらわれる。
はげしい恐怖におそわれ、倒れたピートの頭に、人食い人種がヤリを当て、脳腫瘍を吸い取ってくれた・・・?
夕方になっても戻ってこない2人を心配して、村人たちがたいまつをかかげて探しに来てくれた。アランもピートも救われた。
大冒険を終えたあと、帰国して検査をしてみたら、なんとピートの脳腫瘍は跡形もなく消えていた。奇跡が起こったのである。
この映画は、1987年、カナダの有名な昆虫学者ジョルジュ・プロッサールと、6歳の少年デヴィッド・マランジュとの実話をもとに作られた。
10年以上たった今も、デヴィッドは元気に昆虫を追いかけている。
なぜ、奇跡がおこったのだろう?
青い蝶に出会いたいという強い望み。それを実行に移すことで、自分の「心」がひとつになる。憧れの蝶を見つけた心の躍動が、免疫機能を高めて、体内に巣食う「腫瘍」を消滅させたのかもしれない。
アランを救うために、あえて困難に立ち向かったピート。まっすぐ歩けない身でありながら、ひとりで歩いて助けを呼びに行った。その勇気と強さが癌細胞を殺したのかもしれない。
すべての事象が、理屈で割り切れると信じられている、現代の西欧的世界。
それと比べて、未開のジャングルでは、まだ伝説が生きている。下界ではありえないことでも、天国でなら起こりうる。
日常世界から遠く離れ、別世界で素朴な人々と触れあったことも一因なのかもしれない。まるで「こぶとりじいさん」のようなお話が現実に起こったのである。
癌がいつの間にか消えてしまったという話をいくつか知っている。
余命3ヶ月と宣告された末期の肺がんの男性が、(うちらの)無農薬のグループ農場に入りびたりになり、農業に夢中になっているうちに癌が消えた話。
うちの患者さんのお父さんは、末期の胃がんと診断されたそうだが、「手術はしたくない」と好きな農業をつづけているうちに、癌が治っていたという。
「好きなことに一生懸命になる」「自然の中で暮らす」という共通項はあるね。
放射能や有害物質のせいでDNAが変異を起こして、癌になる場合もある。それは、手の施しようがないかもしれない。
でも、腫瘍(悪性のものを癌とよぶ)には何百もの種類があって、ほとんどが細菌やウィルスが原因という説もある。
たいていの「いぼ」はウィルスが原因だ。いぼや帯状疱疹や水虫にお灸がきくのは、ウィルスや細菌が生き物だからだ。
昔、指にできたいぼが何年も消えなくて、気になって気になって、勉強しながら、歯でいぼを噛みちぎったりしたものだ。いぼの内部には、皮下から林のように血管が伸びていて、体内から栄養が送られていた。
お灸をすると、熱でウィルスが死ぬ。出っ張っていたいぼはぺたんと薄っぺらいシールのようになって、ぺろりと剥がれた。血管の密林は跡形もなく消えていて、まっさらですべすべな皮膚にもどっていた。
他の生物に寄生され、体内に「癌」や「腫瘍」と呼ばれるコロニーが作られているとしたら?
身体を乗っ取られれば、宿主の「死」という結末になる。
宿主のパワーが強くなれば、コロニーを壊滅できるかもしれない・・・
この映画は、いろんな希望を人々に与えてくれるのである。 |
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2016/2/24(水) |
「姿勢」は年齢を推測するものさし |
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先月、シングルスの2戦目のあと、腰痛になったことは前に書いた。
腰椎の5番と仙骨の間、両側の(骨盤の)腸骨稜の間の筋肉が硬直して、自分の感覚としては、腰の蝶番(ちょうつがい)がガチッと固まってしまった感じだった。
ふだんの動作には支障がなく、テニスも普通にできたけど、「全力」でテニスをしたら、蝶番が壊れるかもしれないという不安があった。
壊れてぎっくり腰になってしまったら、最低3日はテニスができなくなる。(私の治療をしてくれる人は本業で忙しい)
せっかく覚えた威力あるショットは、しばらく封印するしかなかった。
テニスをはじめるときは腰が重いのだけど、動いているうちに、だんだん軽くなっていき、終るころには「治ったかな?」という期待が持てる。
でも、翌朝にはまた腰が固まっていて、やっぱり治ってはいないことに気づくという毎日だった。
自分でちょこちょこ治療してなんとか持ちこたえたものの、不具合は3週間もつづいてしまった。
そのままだと次のシングルスは延期するしかなかった。ラウンドロビンは、前日に他の回への振替ができるのがメリットである。
試合の1週間前のことであるが、鏡の前で腰にカマヤミニでお灸をしたあと、自分の姿勢を確かめてみた。
首から背中にかけての猫背のなごりは、ほとんど目立たないぐらいになっているので、ちょっと安心した。
20代、30代の頃を知っている友人だけじゃなく、10年ぐらい前からの患者さんにも、「はじめて会った頃は猫背だったわよ」と言われる私が、今も現在進行形で姿勢が良くなりつづけている。
スペイン語に delirio (精神錯乱、妄想、熱狂)という言葉があるんだけど、私の姿勢に対するこだわりは、その言葉がいちばんピッタリくる。
もう二度と猫背に戻りたくないというこだわりが、人一倍強烈なのである。
鏡の前で猫背を確かめ、ついでに、腰を思いっきりそらしてみた。『なるほど、この姿勢ができるのが、若く見られる秘訣だよな』などと思いながら、数分間そらしつづけていたら、そのあと前傾した瞬間に、腰にギクリと衝撃がきた。
腰と骨盤の境目に、幅3センチぐらい、長さ25センチぐらいの横棒が1本はさまっていて、そこで「腰が折れる」ような感じである。
それ以上治療するのは面倒なので、そのまま寝てしまったのだが、朝には前傾ができるようになってはいた。
自分できっちり治療するしかない!そう決心して、その夜、仕事のあとベッドの上に横たわって、経絡治療もし、手の届く範囲でハリとお灸もした。
翌日、「あれ、治った?」と自分でも驚いた。
腰の蝶番の固りはほぐれていて、金曜日のシングルスに間に合った。
戦績は1勝3敗。ほとんどボロ負けだったが、前回よりも、いろいろなことができるようになっていた。イースタングリップでのスライスの決め球が、けっこう安定したのが進歩かな。
シングルスをやると、今の自分の実力がはっきりとわかるのがいいね。「勝負」に対する精神力も試される。
試合となると、人間、持てる力以上の動きをしてしまう。
腰の蝶番は大丈夫だったけど、全力疾走をくり返したおかげで、大腿四頭筋の付け根、臀筋や大腿二頭筋がパンパンに張ってしまった。
次から次へ、治療を休む暇はないね~。
「姿勢」は、年齢を推測するものさしである。
同年代が背骨が曲がりはじめているのを見る。身長も縮みはじめている。
年上の世代は、ほとんどの人が、首、背中、腰のどこかが縮んでいる。個人差はあるけれど、動けなくなったり、しなやかな動作ができなくなっていったりと、老化に足を引っぱられている人が多い。
筋肉は収縮することで働く。筋肉が働けば、内部に乳酸などの疲労物質が産生される。放っておくとそのまま縮んで固まってしまう。
軽いテニスで筋肉がやわらぐのは、運動することで筋肉の中を血液が巡り、老廃物を押し流してくれるからだ。
動かなければ、疲労物質が少ないかわりに、回復するチャンスもない。
激しいスポーツは、筋肉が硬くなって縮むリスクと、血流で老廃物を流すメリットとの両面を持っている。壊す可能性もあるけれど、パワーアップできる可能性もあるのである。
私がテニスの上達をあきらめないですむのは、鍼灸治療と360度ストレッチの助けがあってのことだ。
悲しいことに、封印していた間に、威力あるショットの打ち方を忘れてしまった。
また覚えなおさなくちゃならないね~(笑) |
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2016/2/17(水) |
やけどを梅酒と味噌で治療した |
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日曜の夜、湯たんぽにお湯を入れてたときのこと。
以前から『危ないな・・・』とは思っていたんだけど、面倒くさがりやの私。シンクの角に湯たんぽを置いてお湯を注いでいた。
いきなり湯たんぽがずれ落ちて、あわてて支えた左手に、グラグラに煮え立ったやかんから、熱湯がドボドボとほとばしった。
左手の甲と、中指、薬指、小指の背側にやけどをしてしまったのである。
すぐさま流水で冷やした。水道の蛇口は目の前である。
冷たい水から手を離すと、皮膚がヒリヒリと痛む。ヒリヒリ感がやわらぐまで10分以上も冷やしつづけた。
痛みがやわらいだあとは、ビニール袋に氷と水を入れて氷嚢を作り、左手の上にのせたまま数十分、テニスの録画のつづきを見た。
身体は自分にとって何が最適かを知っている。「気持ちがいい」かどうかが、治療の目安になることは多い。
左手だけが北極にいるみたいに冷たくなったけど、ジンジンする冷たさがとても心地よかった。
「冷たさ」が不快と感じるようになったら、もう冷やす必要はない。
さて、そのあとはどうしようか?薬箱の中に昔のやけどの薬があったけれど、使う気になれない。
鍼灸学校では、お灸でやけどをしたら傷口を消毒しろと習ったのだけど、その後の研究で、殺菌成分が細胞の持つ治癒能力を侵害するので、やけどは消毒しないほうがいいと分かったそうである。
ガーゼのハンカチをハサミで切って、梅酒でたぷたぷにした。それを手の甲と指に当て、ラップで覆った。
発酵食品の酵母の力で、やけどを治そうと思ったのである。
開業する前に出張治療に行っていたとき、灸頭鍼をしたあとの熱々のハリを指でつまんでしまい、右手の親指と人差し指に、ひどい火傷をしてしまったことがある。指の腹に、白い筋がくっきりと見えた。
その家には3人も患者さんがいて、まだ治療の途中であった。
おばあさんが、「万田酵素がいいのよ」と言って、小さなお皿に酵素の液体を入れてくれた。
指を浸すと痛みがなくなる。あたたかい身体に指が触れるとひりひりと痛む。
ツボを取っては酵素に指を浸す。交互にくり返して、無事に治療を終えた。
酵素を浸したガーゼを指に当てたまま家に帰り、一晩寝たら、なんと火傷は跡形もなく治っていた。
その話を患者さんにしたら、「うちには大高酵素があるのよ」と、使いかけのビンをくれた。治療室には万一のときのために酵素のビンが置いてあるけど、自宅にはない。
あの甘い匂いに似たものとして思いついたのが、梅酒なのである。
その夜は、ラップの上からゆるい手首ウォーマーをはめて寝た。
翌朝、指は大丈夫になっていたけど、手の甲はまだ空気に触れると軽いヒリヒリ感がおこった。ラップの中に追加の梅酒を流し込んで、ビニール袋をかぶせてお皿を洗った。湯沸かし器の温かいお湯がかかっても、ヒリヒリ感はおこらず、無事に家事を終えた。
テニスはできるのかな?
意気消沈していて、気力が尽きていたけど、とりあえず行ってみよう。だめならすぐに帰ってくればいいんだものね。
薬箱の中をさぐると、なぜか眼帯セットが入っていた。
ガーゼのパッドを取り出して、内側に味噌を塗りたくり、キネシオテープで手の甲に固定した。
大昔から、「やけどには味噌を塗る」のがオーソドックスな治療法だった。
殺菌剤や消毒薬が登場して、「不潔」とか言われ、まるで「迷信」のような扱いをずっと受けてきた。
発酵食品には、酵母などの有用な菌が豊富に含まれている。雑菌の繁殖する余地はないから、清潔なのである。
傷口をアルコールで洗うのも、お酒が発酵食品だからである。酵素の代わりとして梅酒を選んだけれど、味噌でもよかったのである。
おっかなびっくりはじめたけど、テニスには全然支障がなかった。途中で冷たい小雨が降ったりもしたけど、かえって元気になれた。
家に帰ってから、恐る恐る味噌つきの眼帯をはずしてみたら、なんと、やけどはすっかり治っていた。
お風呂の中に左手を入れても、全然OKだった。
3日たった今も、まだちょっとした違和感は残っているけれど、皮膚は治癒力が強い。このまま自然に治ると思う。
皮膚がべろりと剥けてしまったら、それは要注意かもしれない。その先は管轄外なので、自分で考えてね~。
昔の人はすごいね。「迷信」転じて、最高の治療薬になった。
何万年もかけて人類が伝承してきた生活の知恵の素晴らしさを、あらためて実感した。
最後に・・・
みなさん、湯たんぽのお湯は、平らなところで入れようね~~ |
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