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2023/8/5(土) |
炎天下のテニスでリフレッシュ |
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暑いときにはヒマで、涼しくなった途端に忙しくなる・・・というのがいつものパターンだった。
ところが先月は暑いのに具合の悪い患者さんが続出した。若い人は1回で治るけど、70代になると、いったん壊れると元に戻るまで数週間、数カ月かかってしまうのが普通である。週2回の患者さんが2人もいて、治療室は大繁盛だった。
たぶんエアコンのせいだと思う。人間は「冷え」に弱いのだ。
私もテニスにハマる前は、一日中エアコンの中にいた。6月ぐらいから食欲がなくなって、身体がだるくなって、生きているのもつらくなる。
「夏バテだよ~」と言うと、患者さんに「先生、今から夏バテして、どうするんですか?この先7月、8月ともっと暑くなるんですよ」などと言われたものである。
ところが、炎天下でテニスするようになったら、夏バテと無縁になった。食欲も旺盛で、ガンガン食べて、ガンガン飲んで、ガンガン走って、毎日元気に活動できるようになった。
仕事が忙しいと空き時間を見つけるのが難しくなるんだけど、壁打ち1時間だけでもと、なんとか週三ぐらいはテニスクラブに出かけてる。
あの夏バテは二度と味わいたくないのである。
でもテニスクラブでは日に日に人が少なくなっている。ダブルスの仲間を見つけるのが難しくなってきている。。。
テレビでは熱中症の話題ばかり。何人救急搬送された。何人死んだ。みなさん不要不急の外出を控えましょう。エアコンかけた部屋に引きこもっていましょう。。。
コロナのときと似ているなあ。あまりの大宣伝に、逆に疑心暗鬼になってしまう。家に引きこもっていたら体力が低下する。エアコンで冷えて体調も悪化する。いいことはひとつもない。
栄養をばっちりとって、日に数時間は炎天下で動いて汗をかく。汗で出る分の水分とミネラルを補給すれば問題なし。身体も暑さに慣れてくれるし、そのほうが元気に猛暑を乗り越えられる。
そう信じて、実行している私である。 |
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2023/7/24(月) |
症例63「とびひ(+あせも)」を更新 |
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あまりの猛暑なので、サンダルを履くようになった。去年はサンダルの紐に沿って細菌(皮膚の常在菌、黄色ブドウ球菌)が大団地群を形成。「とびひ」になったと気づいてからお灸をはじめたので、治るまで1カ月もかかってしまったのである。
去年の細菌はとっくに死滅しているはずと思いながらも、サンダルを見るだけで、なんとなく怖かった。
いざ履いてみると、猛烈な不快感である。紐に当たる皮膚に渋いようなザワザワ感が起こる。あっちでチリチリ、こっちでゾワゾワ、不快感のオーケストラなのだ。
怪談をきいて背中がゾクゾクするときの感じに似ているかなあ。。。
でもサンダルは止められない。
毎日たんねんに皮膚を観察した。「とびひ」の初発を見つけて、そこで阻止しようという作戦を立てたのである。
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しばらくして、左足に小さな水泡(●)を見つけた。
紐のライン上である。
すぐにお灸をしたら3日で縮んでくれ、その1つだけで終わってくれた。 |
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水泡ができた左足は、ステロイドを(1回だけ)塗ってみたほうである。ステロイドによる免疫力の低下は翌年までつづくんだね!
去年の暮れに症例58「虫刺され」のページを書いて、最後に「とびひ」の顛末を載せたんだけど、再発を機に独立ページを作ることにした。
今回の更新は、症例63「とびひ(+あせも)」で、後半は「虫刺され」で書いたものをそのまま転載してある。
タイトルを「蠢(うごめ)く」にして気がついた。「春」の下に「虫」がふたつ並んでいる。暖かくなるにつれて細菌の活動が活発になっていく自然現象を、一文字で表現する「漢字」ってすごいよね。
「とびひ」は皮膚にいる常在菌の感染症だ。普段は無害だけれど、皮膚に傷がつくと、傷口を栄養源にして繁殖する。掻きむしると傷が増える。指にくっついた細菌が「巣」を遠方に運んでいく。
去年あちこちに大団地群を形成したので、皮膚の免疫力が、完全には戻っていなかったらしい。
同じ季節に同じ細菌が蠢いて、再発のチャンスを狙っていたのである。
細菌が勢いが増せば増すほど、治療は困難になる。今回は初発で「巣」を壊滅させたので、「飛び火」しないですんだ。
細菌が蠢く気配がなくなって、サンダルの不快感も消えた。
細菌は生き物なのでお灸の熱で死んでくれる。痒み止め効果が半日ぐらいつづくので、掻かずにいられる。水泡は細菌の「家」なので、どんなに大きなもぐさを載せて焼いても、人間の皮膚に痕が残らない。
さすが、数千年の歴史の淘汰を乗り越えてきただけのことはある。誰でも簡単にできるから、ほんとうに重宝なんだよ~~ |
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2023/7/15(土) |
猛暑のシングルスは3敗、私はボロボロだった |
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前回に報告したように、クラブのダブルスでバックサイドに入らせてもらって、「攻め」のテニスに取り組んだ。両手バック、片手バック、ボレー、スマッシュなどの練習をつづけてきたんだよ。
勝率も上がって、自分としてはあらたな開眼と大満足していた。
Cさんにその話をしたら、「両方やることはとても大事」と言ってくれた。
バックサイドからの逆クロスのほうが簡単に打てるのだそうだ。相手の前衛のバック側になるので、前衛を気にせず伸び伸び打てる。
フォアのクロスのほうが難しいショットで、しかも前衛を避けながら打たなくちゃならない。
「シングルスはフォアのクロス打ちが大事。シングルスをやるなら、フォアに入って、ガッコン、ガッコン、クロスラリーをやったほうがいいんだけどね」とアドバイスをしてくれた。
久しぶりにフォアサイドに入ってみたら、フォアのストロークが怖い。なんだか心もとなくて、打ち方をすっかり忘れてしまったのである。
そのうえ『えんえんとラリーをつづけるのは疲れるなあ・・・』という声が心の中から聞こえてきた。
あれこれ試せるバックサイドのほうが面白くなっちゃったのだ。
そんな状態で、火曜日にラウンドロビンに出場したのであった。
今週、月・火・水は信じられないほどの猛暑の連続だった。まだ身体が暑さに慣れていないので、大丈夫かなあ・・・??
今回の参加者は14人で、私ははじめて3人ブロックになった。普通は6ゲーム先取なのだが、3人ブロックは8ゲームマッチ(8-8でタイブレーク)を2試合やることになる。
1戦目の相手(リーグ1位)は年配だった。1-1のあと、相手がサーブの順番を間違えた。私と同じ素人かと思ったんだけど、もしかしたら「作戦」だったのかもしれない? 気が緩んだところで、前に出られて怒涛の攻撃をされ、バタバタしてしまった。
何度もジュースにはなったけど、1-8で負けた。
次の試合まで、エアコンのきいた室内で2時間も待つことになった。
妙な展開になって中断が長引いた。試合がもつれて8-8になった。タイブレークは「7-6」で勝敗を決めたという、ありえない結末だった。
(タイブレークは2ポイント差がつくまでやる)
2戦目がはじまったのは12時半だった。相手(リーグ2位)は、チェンジコートのたびにベンチの前でしゃがみ込み、テニスノートにメモをする。太陽をものともしない気迫の女だった。
他の人のトラブルで気が散って、暑さと待ち疲れで気が散って、あっという間に0-8で負けた。
ブロックでビリだけど3位なので、3位トーナメントに出ることになった。
フォアのストロークが完全に狂っていて、どうしてもイメージ通り打てない。おまけに、あらゆるボールを「攻め」にいってしまう自分がいた。
頭では「ラリーをしなくちゃ」と思っていても、身体が勝手に打ち込んでしまい、ネットかアウトで、1本で終わってしまう。相手はさぞかし楽ちんだっただろう。あっという間に0-4で負けた。
スコアがゼロで負けても、内容が良ければいい。自分なりのテニスができれば、先へ進む課題も見つけられる。
でも、今回はぜんぜん「シングルス」ができなかったのである。
試合が終わったあと、喫煙所で若い女性と一緒になった。彼女はフレンドリーで、「ぜんぜんダメだった」という私の話を気長に聞いてくれた。
最後に、「あらゆるボールを身体が勝手に打ち込んでしまい、すべてネットかアウト。ラリーをしようと思っても、どうしてもできなくて。今年のテーマは『攻め』のテニスだから、そのままつづけてればなんとかなるのかなあ・・・」とぼやいたときに、「もしかしたら、それは『攻め』るボールじゃなかったのかもしれませんね」と言われた。
昔Cさんに教わっていたとき、決め急ぐ私に「そのボールはまだ打ち込むボールじゃない。もっとラリーをつづけて、チャンスを待て」と言われたことを思い出した。
若いアスリートの女の子に対等に話しちゃった自分がなんとなく恥ずかしくなって、彼女の試合を見ようと思った。
2位トーナメントの決勝で、私の2戦目テニスノートとの対戦だった。
喫煙所の彼女は、きれいなフォームで、バッシン、バッシン、後方からすごいストロークを打ちつづけていた。
なるほど、これこそがシングルスだ!と思った。
以前のブログ(→2020/11/1)に「大きなテニス」と「技ありテニス」をテーマにしたことがあった。
ダブルスはコートに4人いて展開が速い。前衛の足元に打ち込む、頭を越えるロブを打つ、2人の間センターを抜く。前後左右に打ち分けて、意表をつく。組み立てで戦う「技ありテニス」である。
でもシングルスはストローク戦。後方から後方へ、えんえんとラリーを打ち合う。威力で相手を押す「大きなテニス」ができないと、「試合」にすらならないのである。
ダブルスが楽しくなったおかげで、シングルスを忘れてしまった。
ダブルスかシングルスか、どちらかを選ぶ「分かれ道」に来たのかなあと思った。クラブのシングルスプレーヤーには、ダブルスを避けている人が多いのだもの。
でも・・・、人間は成功より失敗からのほうが多くを学べる。この「気づき」を無駄にするのはもったい。猛暑のシングルスのあとも身体には異変がないし、右膝も問題なしだった。
今までだってざんざん負けつづけてきたんだし、もうちょっとがんばろうと気を取り直した私である。(笑) |
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2023/7/4(火) |
母のリハビリカルテ4&5を更新 |
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2年ぶりに「母のリハビリカルテ4」を更新した。植物状態寸前から4カ月半たって、「新潟にいるものとばかり思っていたけど、違うんだもんね」と、やっと現実認識ができるようになりはじめた頃のこと。
つづいて「母のリハビリカルテ5」も更新。お正月を家族と過ごしたあと、母の感情が生き生きと活発になった。いい感情のときは明るく笑うかわいい女、悪い感情のときは不機嫌なイヤな女・・・と、昔通りの母が(ときどき)出現するようになったのだ。
コロナで病院や施設での面会ができなくなって、私の経験は役に立たなくなった。母を植物状態から救い出すことができたのも、晩年に「幸せ」を感じてもらうことができたのも、自由に面会に行けたからなのだ。
すっかりやる気を失くしていたんだけど、また「面会解禁」になる日がやって来そうなので、続きを書くことにしたのである。
資料はある。遺産相続の調停のために書いたのだ。
弟嫁は大ウソつきで、自分を正当化するために、次から次へと嘘のストーリーを編み出す。「悪の天才」プーチンのミニチュア版、「小プーチン」なのだ。ひらすら欲しいのは「金」らしい。
(あれあれ?悪の天才はトランプのことだったっけ?)
冤罪から逃れるのは難しい。自分がしたことなら、「こういう理由で」とか「あのときの状況は」とか、なんとか弁明ができる。
でも、やってもいないことを「やった」と言われたら、「やってない」としか答えられない。
ひとつずつ反駁するよりも、はじめからの流れを詳細に記して、相手に付け入るスキを与えないほうが早道なのだ。
資料を作ろうと思い立ったのにはもうひとつの理由がある。
母が亡くなってすぐに弟から電話があった。「遺産は半々に」と言ってきたのだけど、最後に「お前はさんざん親に金をせびってきただろう!」とワンワン怒鳴りまくった。怪しい。。。
そのあとも不審な手紙が次々にやってきたので、心底ゾ~ッとして、とりあえず調布市の無料弁護士相談に行った。
その弁護士さんに、「お母さんの介護のためにあなたのお金が減ったかどうかは関係ありません。お母さんのお金が増えた、または減った、それだけが遺産相続の対象になるんです」と言われた。
「じゃあ、私は鍼灸師で、リハビリは仕事なんです。母のところに通った治療費を請求するのはどうでしょう?」と聞いてみた。
彼は「う~ん」と考えて、「それなら可能性はあるかもしれませんね。あなたが治療に行かなければ、他の人にお願いすることになる。結果的にお母さんの遺産を減らさずに済んだ。特別寄与に該当する可能性はありますね」と言った。
私が「完璧な資料があるんです」と言ったら、「それも時には不利に働くこともあるんですよ」と言った。
完璧な資料を作り上げて、「これなら絶対に勝てる」と思って裁判に臨んだことがあるそうだ。
「そしたら負けちゃったんですよ。裁判官に『こいつめ!』と思われて不興を買ったんです。裁判官も人間だから、感情で動くんです。事実を列挙してもダメですよ。相手の感情に訴えるんです」と、大笑いしながらアドバイスをしてくれたのである。
最初の調停のときに、私が「カギを壊して実家に侵入して金庫を盗んだ」と弟夫婦が訴えた、と言われた。
「えっ?」と驚く私を、調停員さんたちはすぐに信用してくれた。自分のほうが嘘つきと証明してくれたようなもので、すっかり気が楽になった。
<私のブログ→2018/12/29>
調停員さんたちは年配の男性と女性だった。まともないい人たちで、介護のことにとても関心を持っていた。たぶん、すでに介護に悩んでいるか、介護が目前に迫っているのだろうと思った。
彼らのためにも介護の実際を分かりやすく説明してあげたいと思ったのが3つ目の理由だった。
2回目の調停の日、(訴えられた側の)相手方待合室で順番を待っていたとき、男性調停員が番号でなく私の名前を呼んで、すぐに私を見つけ出した。うちの弁護士は「名前と顔を覚えられてますよ!」とえらく驚いた。
ついでに言うと、「あなたのその変わったキャラが、完全に受け入れられてますよ」と、のちのちえらく感心されたのである。(笑)
1年分のリハビリカルテを書き上げ、年表や診断書や写真などと一緒に持参した。100ページを越える分厚い資料だった。
止める弁護士を無視して、私が「これを書いてきたんです」とテーブルの上に差し出したら、女性の調停員さんが「あら、ぜひ読ませていただきたいわ」と、すんなり受け取ってくれた。
<私のブログ→2019/4/20>
調停が進むにつれて、私の怒りはどんどん上昇していった。
私が「これを本にして、新潟県警の前で売ってやる」と毒づいたときも、ふたりして大きくうなづいて、「介護をしたこともない人間には、大変さが分からないんですよね」と共感してくれた。
6年半分のリハビリカルテを書き上げ、(医師との面接などをのぞいて)母のリハビリに通った回数を数えたら、831回だった。治療代5500円と出張料2000円を計上し、合計6百万円を請求した。法外な金額を分捕ろうとした弟夫婦の報復である。
この資料を元に裁判に持ち込もうとした私の意気込みは「今日で終わりにしませんか?」という調停員さんたちの言葉で、シュルシュルッと消えてなくなった。いきなり面倒になったのである。
<私のブログ→2018/7/11>
帰りがけに、女性調停員に「ぜひ、本にしてくださいね!」と言われた。参考になると思ってくれた人がいる・・・と思うと、とても励みになる。
とはいえ、膨大な調停資料をまとめて完成させるのは、想像を越える大変さがあることに気がついた。本にするほどのエネルギーもないので、とりあえずホームページに載せはじめたのである。
中断から2年。書きながら、こんなに長くて詳細なものを読む人がいるのだろうか・・・と気力がくじけそうになる、でも、「どこかにこれが役に立つ人がいるはずだ」と思って、気を取り直す。
記憶の良さが強味の私だけど、いつか薄れていく日が来るだろう・・・と、周囲の人たちを見ていると、不安を感じざるをえない。
記憶が確かなうちに書き上げないとマズい。。。
他にも書きかけの症例などがたくさんあるから、もう数年はボケずに生かしておいてもらいたい。。。
そういう年齢になったんだね~~(笑) |
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2023/6/25(日) |
ダブルスでも「攻め」のテニス |
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JOPのシングルスでは1ゲームも取れずに初戦敗退したけれど、「攻め」のテニスをやり通したことで、自分の中で一皮むけたらしい。
クラブのダブルスでも「攻め」のテニスができるようになったのである。
今までは周囲の思惑が気になったり、気弱病に襲われたりした。
いいときは怒涛の攻撃、悪いときは自信喪失でボロボロと、日によって「出来」がマチマチだったというのに。。。
公式戦でできたことは、真に自分のモノになるらしい。あれ以来、気弱病に襲われなくなったのである。
シングルスではバックハンドを打つ事が多い。相手がバックを狙ってくるからだ。バックハンドは好きである。両手打ちは強打ができる。得意不得意は別にして、思いっきり振り回して打つのが快感なのだ。
シングルスならとりあえず深く返していればなんとかなるけど、ダブルスではそうもいかない。
これまでずっと、ほぼ100%フォアサイドでプレーをしてきたけど、もう勝敗なんか気にしない。ダブルスではなるべくバックサイドに入らせてもらうことにした。
前衛がいるので組み立てを考えて、いろんなコースに打ち分けなくちゃならない。コントロール力を磨く練習ができるのだ。
とっさのときに身体を反転させて、片手で返して凌ぐ技も身につけたい。できるようになれば、シングルスで2ポイントは取れる。
それにフォアに入っていると、どうしてもベースラインにステイバックして得意なストロークを打ちつづけることになってしまう。
バックサイドに入ると、今までの自分と異なるプレースタイルを試すことができる。真ん中のボールがフォアに来るので、ボレーやポーチの機会が増える。ネットに突進して、バシン、バシン、打ちまくっているんだけど、ミスの回数が激減した。
今の季節は雨の日が多い。3日以上テニスができないと、身体が腐ったみたいに気持ちが悪くなる。毎日ティラと1時間以上も歩いているのだけど、それでは足りないらしい。歩くだけでは身体のあちこちに淀みが溜まってしまうのだ。
もう小雨ぐらいでひるんでいられない。壁打ちだけでも・・・と出かけると、必ず何人かのテニキチが来ている。ダブルスをやっているうちに止んでしまう日も多い。
思いっきり動くと、溜まった淀みを押し流してくれるみたい。テニスのあとは身体がスッキリするんだよ~~ |
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日記 TOP |
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