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2024/2/29(木) |
ナワリヌイを検索してネット詐欺の画面に遭遇 |
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ロシアの監獄でアレクセイ・ナワリヌイ氏が殺害され、おおいにショックを受けた。
いつもはネットニュースをほとんど見ないんだけど、死亡の経緯についての情報を求めてあれこれ検索していた。
<→ロシア語の>をクリックした瞬間に、「あなたのパソコンがウィルスに感染しました」と、中央にでかでかとポップアップ画面が現れた。
Windowsからと、Microsoftからの警告があって、「今すぐ電話で相談してください」と、電話番号が記載されていた。
昔、パソコンに詳しい患者さんに、「怪しい電話番号と思ったら、その番号を打ち込んで検索すると正体が分かりますよ」と教わったことがある。
とりあえず電話番号をメモして、その画面を消そうとしたのだけど、どうしてもできない。フリーズしてしまったのだ。
まずパソコンの終了である。
ハラハラドキドキしながら、「Ctrl」キーと「Alt」キーを同時に押しながら「Delete」キーを押した。
Win11でやったのは初めてだったし、久しぶりでもあった。見慣れない文字に迷ったけれど、とりあえず「サインアウト」を選んだ。
するとスタート画面が現れ、無事にいつものように始まってくれた。
さっきのポップアップ画面は消えていたけど、心配なのでマカフィーでスキャンしたら、感染はしていなかった。
そのあとGoogleの検索窓にメモした番号「01017736349200」を打ち込んでみたら、「詐欺被害ナビ」のページがあり、その番号を使ってのセキュリティ詐欺が多発しているという注意喚起があったのである!
慌てて電話をしないでよかった~~
私がナワリヌイ氏に関心を持ったのは、彼のドキュメンタリー映画「ナワリヌイ」を観たからだ。政権の幹部を装って電話をかけ、自分を毒殺しようとした犯人を見つけ出したのである。
信念の男で、しかもハンサムでユーモアのセンスがあって、とっても明るくて前向きで、すっかりファンになってしまったのだ。
ナワリヌイ氏が「自分を怖がっているプーチンは臆病者だ」と言っていたけど、痛いところをついているなあと思う。まさに「天敵」だった。
ナワリヌイ氏は毒殺されかかったというのにロシアに戻った。
空港で逮捕され、監獄で拷問を受け、3年後に獄中死することを、彼は想定していたのだろうか?
まさかそこまでは・・・と期待をしていたのかもしれないけど、プーチンの恐怖政治はどんどん進化しているのだ。
数日後にスペインでマクシム・クジミノフ氏が地下駐車場で銃撃されて死亡しているのを発見された。彼はロシア軍の元パイロットで、ウクライナで投降し、名前もパスポートも変えて亡命していたそうだ。
世界中のどこに逃げても執拗に探し出して処刑する、KGB恐ろしや、である。
プーチンは大統領選の前に、国民に徹底的に「恐怖心」を植え付けようと画策したのだろう。
他国の人間を平気で殺す為政者は、自国の人間も平気で殺す。自分に反対を唱える人間は、「出る杭は打たれる」である。でも言いなりになっちゃうと、兵士として戦場に送られる。
日本だっていつの間にかそうなってしまう可能性はある。みんなが自由に意見を言って、あっちにもこっちにも「杭」が出れば、「打ち」ようもなくなってしまうだろう。「同調圧力」を打破しようね~~ |
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2024/2/17(土) |
サーブのフォーム変更、合言葉は「サーシャ」 |
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半年前のサーブを思い出そうと、クラブに行くたびに練習をした。「筋トレ」も兼ねているので、ひたすら全力で打ちつづけた。
腕の振りはだいぶマシになって、だんだん「らしく」なっていったけど、まだまだバラツキが大きい。
帰ろうとしたとき、クラブハウスでHさんに呼び止められた。あたりはもうすでに真っ暗である。
「Cさんにはサーブでどんな注意をされてます?」と聞かれ、「Cさんの注意事項なんて50もあるから、一口で言えないよ~」と答えた。
Hさんが「トスを上げてみて」と言うので、左手でトスを上げる動作をしたら、「サーブを打つときと同じようにやって」と言われた。
実際に打つときは、足の力を借りてトスを上げていた。大昔にスクールのコーチにも指摘され、Hさんにも指摘されたことのある悪い癖なんだけど、『ま、いっか』と、無視してやっていたのである。
Hさんは「膝を使ってトスを上げる人はたくさんいるし、それはそれでいいんだけど、あなたの場合は打つときに膝を使うでしょ」と言う。
「ほら、こうやって、トスで膝を使って」と私の真似をして、「また打つときに膝を使って」と実演。 「2度も身体が上下して、無駄な動きをしてるよね」と言われた。
・・・ううっ・・・、超カッコ悪い・・・
膝を曲げてトス |
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伸ばしたあと |
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また沈み込む |
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私はボソボソ、「左手だけでトスを上げる自信がないので、つい膝を使っちゃうの」と、言い訳をした。
Hさんは「左手の肘を曲げているからかもしれない」と言う。「肘を伸ばしたほうが振幅ハバが大きいから、腕を大きく振れるよ」と教えてくれた。
ついでに、「肩を回せているのはすごい」とほめてくれた。「男性だって肩を回している人はほとんどいないのに、ちゃんと肩が回っている。腕の振りはOK。カッコイイよ」と言ってくれたのである。
教わるのはこれで3度目だけど、Hさんの注意事項はシンプルで、しかも必ず褒め言葉もかけてくれる。さすが、もと小学校の教員である。
1度目は5年前、トスにラケットの振りが間に合わなくてスランプに陥っていたときだった。(ブログ→2019/1/9)
「打ってみて」と言われ、「いいじゃん」と褒めてくれ、そのあと、「トスを投げるように上げてるよね。速く上げると、速く落ちてくるんだよ」と教えてくれたのである。
(そのときにも「膝を使って上げないように」とアドバイスしてくれた)
2度目はおととし、「軸がぶれていないときはいいサーブが飛んでいくね」と教えてくれ、ついでに「フォームがカッコイイよ」と褒めてくれたのだ。おかげですごい自信になった。(ブログ→2022/11/23)
今週月曜日、祭日で平日会員がいないので、やる相手がほとんどいなかった。Hさんのアドバイスを試そうと、サーブ練習をはじめた。
半年前の「カエルサーブ」のときも、ちょっとだけ足を使ってトスを上げていた。左足のつま先をきっちり上げると安定するな・・・と思っていたんだけど、膝が使いにくくなるせいだったらしい。
(これは昔のスクールコーチのアドバイスだった)
左足をピ~ンと伸ばしてトスを上げると、カカシになったみたいですごくやりにくい。
でも、あれあれ、勢いのあるサーブがドッカ~ン!と飛んで行った。
足を伸ばしてトス |
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そのまま沈み込む |
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サーブがバラつくのは、トスで膝を曲げるせいだった。無駄な動きが加わって軸がぶれてしまうのだ。不自由だけど続けるしかない。
今までだって何度もフォームを変えてきた。『フォームなんて、数日で変えられる』と自分に言い聞かせてがんばった。
途中でHさんが通りかかったので、「アドバイスありがとうございました」と声をかけ、「できるかどうか分からないけど・・・」と付け加えた。
Hさんは「大丈夫。何でもできるよ」とニッコリ笑った。
Hさんは変わり者で、壁打ちと練習しかやらない。自分のフォームをビデオに撮って研究しつづけてる、ものすごい「オタク」なのだ。誰も気づかない細かい点に注意を向けるので、「オタク」の私と気が合うのである。
またまた合言葉を変更した。
アレクサンダー・ズベレフは身長が198センチもあるのに、サーブのフォームがゆっくりで丁寧なのである。すごいサーブの持ち主なのに、去年はダブルフォルトに苦しんでいた。
そんなことにも共感を覚え、合言葉は彼の愛称「サーシャ」にした。左手を高く掲げて沈み込むイメージを描ける。
サーブ練習にハマってしまい、2時間以上も打ちつづけたら、腰の左方向に細いピアノ線が生じた。
筋力が落ちたのに無理をしたせいだね。なので昨日のラウンドロビンは出場をあきらめた。アスリートの身体じゃないんだもの。
大谷のバッティングを見たんだけど、彼は左半身の軸がまったくブレないのである。軸を中心にすごいボールを打っていた。
サーブの完成はまた遠のいたけど、「サーシャ」をモノにすれば、サーブでアドバンテージが得られる。
・・・どうしてもその夢を捨てられないのである。 |
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2024/2/3(土) |
母のリハビリカルテ17~19[完]を更新 |
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昨日はみづ鍼灸室の開業31周年記念日だった。相変わらず直前になって気づき、学生の頃に練習台になってくれた昔の患者さんと飲むことにした。
夜の診療をお休みにして、久しぶりの旧友とお喋りの花が咲き、楽しい記念日の夜を過ごすことができたんだよ。
笑い話がひとつ。PTAのバドミントン時代の(年上だけど)後輩の患者さんがいる。手首痛の話題になった。
10年以上も熱中していた彼女に、「バドミントンで手首を痛めたこと、あるでしょ?」ときいてみた。すると、「あら、バドミントンでは痛めないのよ。後に手をついたときに、グキッとなって痛めるのよ」と言った。
「へえ~」と、驚いた私である。
そしたら翌朝、おふとんから起き上がって、後ろ手で手をついた瞬間、グキッ!と痛みが走って、左手首を痛めてしまったのである!
スマホに気が行って、身体を左に傾けたせいらしい。 |
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患者さんに話すとみなさんが大笑い。ほんとにまるで笑い話でしょ~。
テーピング |
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日曜日の仕事は手首にテーピングをしてやった。だんだんに痛みがやわらいでいってくれた。
夜、手首周りの痛む部位を探して透熱灸をした。最後に残ったのがここ(→)である。
手の平を広げてつくときに痛む。指を広げて支えるときは大丈夫だった。 |
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痛めた部位 |
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左手だからテニスにはあまり支障がないけど・・・どうしようかな・・・
「治った」と思ったあと、もう1日休むというのが安全策なのだ。こじらせると厄介だし、変な打ち方になってフォームが崩れる心配がある。
これは「早く完成させろ」という神様の思し召しと思った。テニスをあきらめて、治療室で「母のリハビリカルテ」の仕上げに取り組んだ。
母が新潟で向精神薬で植物状態寸前になってから、丸6年たった日からはじまった、最後の8カ月の奮闘の記録である。
7月31日にはスシローでお寿司をたくさん食べられた。ちょうどマイコプラズマ型肺炎が大流行した頃だった。日曜日の昼時で、待合室まで人があふれていた。ここでマイコに感染したらしい。
10日後に会った母は一気に激瘦せして、シワクチャのお婆ちゃんになっていた。ポプラが「ばあちゃんもついに寿命だな」とつぶやいた。
2日か3日に1回しかご飯を食べられなくなって、10月にはゼロゼロがはじまって、微熱が出た。
3カ月後の11月3日に「誤嚥性」肺炎で入院した。(ブログ→2016/11/9)
主治医に「胃漏をしないと施設に戻れませんよ」と言われた。いったん入院したら最後、植物人間へのベルトコンベアに乗せられてしまうという現実を知った。(ブログ→2016/11/13)
在宅で看取る覚悟を決め、必死の交渉で、いったんちょうふの里に戻してもらった。(ブログ→2016/11/19)
--->ここまでが「母のリハビリカルテ・17」である。
母は中4日で再入院になった。3人目の医師がマイコの検査をしてくれたおかげで、母がマイコプラズマ型肺炎だったと判明した。前回の医師は2人とも老人性の「誤嚥」思い込んでいたのである。対マイコの抗生物質が母の肺炎に劇的な効果を上げた。(ブログ→2016/11/23)
でも最初の主治医が「誤嚥もあった」と主張したため、またもや交渉は難航した。なんとかホームに戻れたのだけど、職員さんたちがビビってしまい、母の食事は「糊」のようなご飯とミキサーに格下げになった。
--->ここまでが「母のリハビリカルテ・18」である。
お正月に母は普通の料理をたくさん食べられたんだけど、ホームではミキサー食のままで、のちにゼリー食へと格下げになった。
家庭介護では親に美味しいものを食べさせたいと願うので、誤嚥のリスク、食べ物を喉に詰まらせるリスクが高くなる。施設はそのリスクを避けるのである。
噛まないでいるために筋力が落ちて、痰を吐き出せなくなった。夜中に痰が詰まって、野村病院に緊急入院した。(ブログ→2017/3/8)
退院後、手足のむくみが激しくなった。取っても取っても、翌日にはまたむくみが舞い戻っている。これは死の前兆と恐れおののいた。
気道に痰が蓄積して、末端への酸素の流入量が減ってむくみが起こる。脳への酸素の流入量が減って脳死になる。母はホームで、眠ったまま亡くなってしまったのである。
--->ここまでが「母のリハビリカルテ・19」である。
その後の顛末を書く気力はもう残っていない。リハビリカルテなので、このテーマは終了である。
とてつもない労力と時間がかかったけど、とりあえず終わったので、「やった~!」と、とてもすがすがしい気持ちである。書きかけの症例集など、他のページの更新に励まなくちゃね~~
テニスにも気持ちが集中できそう。今度こそ、である!(笑) |
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2024/1/19(金) |
カエルサーブを完全に忘れてた |
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月曜日はティラが血便垂れ流しになって病院に連れて行った。獣医さんの話では胃腸炎が流行っているのだそうだ。犬が具合が悪いときに、置いてテニスなんてとんでもない。。。
昨日はクラブに着いたのが夕方の3時過ぎ。終わって帰ろうとしていた人たちにお願いして、4時まで女ダブをやってもらった。
1週間ぶりなので、またテニスを忘れてしまった。0-3からなんとか追い上げたのだけど、3-5で終わった。まわりを見まわしても誰もいないので、サーブ練習をすることにした。
今日はシングルスのラウンドロビンの予定だったのだけど、アンダーサーブでは試合にならない。しょぼいサーブを打つと、一発で打ち込まれてしまうのだもの。
来月に延期してもらったので、それまでにサーブを思い出さなくちゃならないのである。
「カエルサーブ」を打つのは4カ月ぶりで、打ち方をきれいに忘れてしまっていた。途方に暮れた。
「打つ」ことができないのだ。「カエル」も「ガーオー」も、合言葉を唱えるどころじゃない。ほとんどのボールがネットのこちら側に落ちた。
私のサーブは、打ちながら作り上げたものじゃない。Cさんに各部の動きを教わって、細部を組み合わせたもの。まるでジグソーパズルのピースを糊で貼りつけたようなものなのだ。
運動連鎖で打つサーブなので、1枚でも剥がれると、すべてのピースが剥がれ落ち、グチャグチャに崩れてしまう。
利点はある。各部の動作を分析して、崩れたときに自分でフォームの修正することができる。
でもここまでバラバラだと、ピースを組み合わせて運動連鎖で打つのは絶望的と思った。サーブは、ほんの一瞬で、一気に、すべてをつなげなくちゃならないのだもの。。。
左足で踏ん張れない。左手を高く上げられない。左半身で軸を作れない。ラケットワークもおぼつかない。
左半身に注意を集中すると、右手のラケットがグラグラになる。ラケットに集中すると、身体がグラグラになる。。。
ボールがネットを越えないのは、下から上への体重移動ができていないせいらしい・・・と気がついた。
低く構えて、ボールに向かってジャンプ・・・、そこで、左足1本でジャンプができないことに気がついた。身体は重く、左足もヨロヨロしている。筋力が足りないのである。 左足でケンケンをしてから打ってみたら、ちょっとだけマシになった。
ネットの前に落ちたボールを拾い上げて練習をした。右肩とか腰とか足とか、あちこちに痛みが出はじめてた。
「もう一籠」と思ったんだけど、疲れ切っていて、そこで終わりにした。
サーブは全力で打つ。ゲームやラリーだと、まずボールに追いつかなくちゃならないし、どこに打つかも考えなくちゃならない。しっかり構えて全力で打てるチャンスはめったにない・・・ことに気がついた。
「カエルサーブ」を打つためには、ものすごい筋力が必要だったのだ。
ティラのお散歩中に左足でケンケンして、筋トレをしようかな・・・と思ったんだけど、私は筋トレはしない主義なのである。
「サーブに必要な筋肉はサーブでつける」のがモットーで、練習で筋肉をつけてきたことを思い出した。
低温火傷明け以来、テニスに行くのは週に2回、夕方にちょこっとという状態になっていた。すっかり夜型人間になってしまって、どうしても朝早く起きれない・・・などと、言い訳している場合じゃない。
テニスをするんなら「やる」、「やれない」のならテニスを止める。そのぐらい気合を入れなくちゃと、心を入れ替えた。
今日は筋トレを兼ねて、仕事の前に30分だけサーブ練習に行ってきた。隣のコートではラウンドロビンの決勝をやっていた。なんとなく雰囲気を味わったおかげで気合が入ったのかもしれない。
ちょっとだけ「カエル」を思い出すことができた。これならなんとかなりそうと希望が出てきたんだよ~~ ホッ。 |
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2024/1/8(月) |
映画「onoda 一万夜を越えて」 |
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年末は自宅の大掃除に買い物、大量のお料理も作った。元日は子どもたちが来て、5人でお正月を祝った。
飛ばしまくりで疲れ果てていたので、2日は休養日にした。たまには「何もしない」日を作らないとマズい!と身に沁みたのである。
ピザを焼いて、ビールとワインをお供に、映画「onoda 一万夜を越えて」を観た。3時間もの長い映画だったけど、まったく気持ちが切れずに最後まで没頭。深い感動を味わった。
第二次大戦がすっかり過去のものとなっていたとき、横井庄一さんがグアム島のジャングルで発見された。敗戦を知らず、28年間もたったひとりで生き延びていたことに、日本中がびっくり仰天した。
その翌年、フィリピンのルバング島から小野田寛郎さんが帰還した。
小野田少尉は敗戦を知っていたにもかかわらず、アメリカの傀儡政権を打倒するまでと信じて、戦いつづけていたのである。
日本の戦争を描き、出演者もほとんどが日本人で日本語、それなのに監督がフランス人、アルチュール・アラリなのだ。
批判も注釈もなく、ただひたすら「事実」だけを追っていく。様々な性格の軍人がいて、死を目前にして選ぶ行動も様々だ。知り合いにいそうな人々が登場して、リアリティに満ちている。
過酷で壮絶な事実の積み重ねが、自分もそこにいるかのような臨場感で迫って来るんだよ。
イタリアは早々と降伏した。ドイツも降伏した。それなのに何故日本だけが最後まで戦い抜こうとしたのか?フランス人の監督がその疑問の解明をしようとしたのではないか・・・と思った。
昔の日本人の真面目さ、勤勉さ、忠義の心、死を恐れぬ武士の美学など、自分のルーツに出会ったように感じさせる映画なのだった。
3日はテニスに出かけ、男3人に混ざってダブルスを3セットもやった。そのあと治療室の大掃除を11時までやった。
4日はすごいボールを打つ若い男と、強風の中1対2でラリー。両方のお尻が筋肉痛になったけど、治療室の大掃除のつづき。何年も何十年も放ってあった棚の上にも取り組んで、不要なものを捨てまくった。
自分の身体が「動く」ことに驚いたんだよ。サマンサの早回しのような動きで、夜中まで大掃除ができたのである。
去年は「動き」がのろくなってて、ゆっくりゆっくりしか動けなくなっていた。『もうトシなんだな』と落胆していたんだけど、とてつもない疲労の蓄積が原因だったらしい。
低温火傷でテニスを休んだこと。何よりもインフルエンザで3日間寝込んだことが疲労回復に役立ったらしい。体力が戻るまで1・2週間かかったけど、高熱のおかげで身体の大掃除ができたみたいだね。
なんだか2歳ぐらい若返った感じである。家の中を走り回りながら、テキパキ、テキパキ、「思うよりも先に身体が動く」という、かつての自分を取り戻したのである。
そういえば、年末に駆け込みで母のリハビリカルテを2年分更新した。
ちょうふの里に入所して母の足はみるみる衰え、歩行訓練ができなくなって、すっかりやる気をなくしてしまった。母の介護はホームに任せっきりだったので、1ページ=1年、である。
「母のリハビリカルテ15」はゾンビになってから5年目の1年間である。
身体は寝たきりになったけど、職員さんたちの熱心な介護で、向精神薬による脳障害が改善していった。母は坐位を保てるようになって、よだれも垂らさなくなったのである。
酒田の土地が売れた話をしたら、母は半年ぶりにまともな口をきいた。双方向のコミュニケーションが取れる日が増えていった。
「母のリハビリカルテ16」はゾンビから6年目の1年間である。
母のパーキンソン症状が悪化して、身体の硬直が進み、だんだん食べることが難しくなっていった。
母の食事は「粗刻み」をお願いしていた。普通の食べ物を細かく刻んだものである。職員さんに「刻み(=ミキサー)」に変えたいと言われて了承したんだけど、母は唇を固く締めて食べ物を拒否した。
「粗刻み」に戻してもらったと話したら、母は一気に活気づいた。このときのことはブログでも紹介してある。<→2016/8/2)
今日のテニスでは久しぶりにCさんにストロークを教わった。かつての注意事項を次から次へと浴びせられた。あらたな着眼点によるアドバイスもあって、だんだんテニスを思い出していった。
クラブに行くまでは面倒なんだけど、やってるうちに「楽しい!」を再発見するんだよ。仕事と家事とテニス+休養のバランスを取って、今年もがんばらなくちゃね~~ |
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日記 TOP |
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